佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

伝えるべきこと

2011-02-23 | さよなら原発

上野動物園にパンダが到着したニュースをテレビは何度も伝えるけれど、

山口県上関の海で今おこっていることは何も伝えない。

 

原子力発電所を建設するために、海を埋め立てようとする中国電力。

命あふれる海と自分たちの暮らしを守るために、阻止行動を続ける祝島島民。

自然を愛する若者たちの純粋な想いが島民を後押しする。

決して武器は持たないけれど、待った無しの命を張った攻防が続いているのに、

マスコミは何も伝えない。

 

TVをつけても、私が知りたかった上関のニュースは伝えずに、

キャスターは、リビアの反政府デモの映像を流しながら、

「リビアの国営放送は、このデモについて何も伝えていません」と伝えていた。。

 

先日見たTV番組で、多様な自然エネルギーのことを伝えていた。

太陽光や風力、水力、地熱などだけでなく、潮力や振動による発電もあるという。

実際に橋を渡る車の振動で電気を起こし、橋のライトアップの電力を補っていた。

日本中の高速道路にこの装置を取り付けたら、かなりの需要が賄えると言っていた。

 

極めつけは、宇宙太陽光発電

宇宙空間にソーラーパネルを広げて太陽光を受け取るんだって。

宇宙だから広~くて、いっぱいパネルが置けるし、夜がなくて、雨も降らないから、

一日24時間、一年365日、電気を造り続けられるんだって。

できた電力はマイクロ波で地上に送られるんだって。

 

ま~た~。SF小説の世界?そんなことが可能ならとっくにやってるでしょうよ。

そんなことが可能なら、こんな危険極まりない原子力発電に頼ろうなんて誰も思わないでしょう?

核廃棄物を10万年間閉じ込めるための手立てを真剣に議論したりしないでしょう?

と思ったんだけど、

意外なことに、その研究は進んでいた。

 

三菱電機が開発している SOLARBIRD もその一つ。

小型の発電衛星を複数打ち上げて、巨大な発電衛星と同等の発電能力を得ようというもの。

比較的実現性が高く、実用化に近い構想だと書かれている。

http://www.mitsubishielectric.co.jp/society/space/overview/solarbird.html

 

物理や化学に弱い私には、その可能性のほどは全くわからないけれど、

なぜ、こういうことが話題にならないのだろう。

石油もウランも限りある資源。そのうち採れなくなる。その先はどうなるのだろう。

と、誰もが内心の不安を感じているはず。

こんな情報をわかりやすく幅広くメディアが発信すれば、

私たちは、もっと希望のある未来が描けるのに・・

 

今はただ、CO2を出さない原子力発電は、クリーンなエネルギーだと刷り込まれ、

原子力=原爆をイメージしてしまう私たち日本人でさえ、

いつの間にか原発に頼るのが当たり前のような感覚に陥っている。 

原発事故は怖いけれど、電気は必要だから仕方ない…

電力会社は安全安心なエネルギーだと太鼓判を押しているし、

きっと大丈夫なんだろう…と。

事故が起こらなくても、核廃棄物を増やし続ける、その危険性は考えようとしない。

 

これ以上未来の人々にツケを回さないために、

可能性のある方法が今そこにあるのなら、それをまず知らせるべきだ。

多くの人が知って、多くの人が取り組んで、失敗を繰り返して、いつか成功に辿り着くかもしれない。

宇宙太陽光発電に限らない。

素人の私には、地熱発電は大いに脈があると思えてならない。

小学生の頃別府で、ボコボコ湧き出る熱い温泉を目の当たりにした時、

地下は熱く燃えているんだと実感した。

 

宇宙に目を向けるのもいい。

地下に目を向けるのもいい。

今有るものを利用する知恵こそが大切。

人間の浅知恵で生み出した元素なんて、自然界が受け入れるわけがない。  

 

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中国電力、埋め立て工事再開!

2011-02-21 | さよなら原発
中国電力は今朝(2月21日朝)、およそ1年3か月ぶりに、海上での埋め立て工事を再開しました。
上関原発の建設予定地でも午前6時から作業員らおよそ400人が、作業を始めようとしましたが、
祝島の島人や島民を支援する人たちなど120人が抗議を続けて、作業に取りかかれないでいます。
KRY山口放送の動画ニュースで、その様子が見られます。

リポーターの問いに答えて、4時から座り込んでいると答えたおばあさん。
疲れてないかと聞かれたのでしょう。

「疲れたなどとは言われません。私たちは命張ってるんですよ」…と。

すぐに、川原のおばあちゃんたちの顔が浮かびました。

同じだ…。同じこと言ってる…。

「そがんダムば造りたかなら、うちたちば殺してから造ればよかたい」という言葉が耳に残っている。

 

現場にいる「らんぼう」君からのメールにも泣かされました。

多くの人に知ってほしくて…、転載します。

 

らんぼう@田ノ浦です。

昨夜(21日)午前2時ころから始まった陸上の作業は約400人の中電社員や土建屋などが作業を強行しました。

陸上では最初、約20人での抗議でしたが全国各地から集まった人たちや祝島島民らが合流し最大で120人ほどで抗議行動を行いました。

陸上の作業内容については、浜辺は共有のものですが作業員らは浜への出入り口を封鎖するための防護ネットを四ヶ所に設置しようとしました。

結果骨組は多少作られはしましたが防護ネットは粘り強い抗議で設置はできませんでした。

海上については作業台船が9隻出ました。
9時ころからは排水口側に5~6隻の作業台船が作業区域内に侵入し作業台船10杯ほどの土砂(岩?)を投入しました。

他にも田ノ浦を目指し作業台船が向かってきましたが、祝島魚船団などにより埋め立て工事を阻止しました。

今日、現場にいて涙が出てきました。


ここの海を守りたいです。


対立をなくしたいです。


明るい未来を作りたいです。


皆さん力を貸してください。

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10万年の危険

2011-02-19 | さよなら原発

数日前、数人の友人たちから同じ内容のメールが届いていた。

それは、「地下深く 永遠(とわ)に ~核廃棄物 10万年の危険~」というTV番組の予告。

でも、残念ながら見れない!

それは、 NHK 衛星放送 の番組だから。我が家のテレビは衛星放送が映らないのだ!トホホ・・

でも、友人に録画を頼んでいたら翌日早速届けてくれて(感謝!)、それを昨夜観ることができた。

 

確かにドキュメンタリー映画と聞いていたが、観ているうちに、

本当にドキュメンタリー番組なのか、ドキュメンタリー風に創られた映画なのかわからなくなってしまった。

それほど、私は無知であり、私たち日本人の意識が遅れていることを痛感させられた。

 

オンカロという固有名詞も初耳だった。

が、それは本当にフィンランドで計画され造り始められた核廃棄物の処分施設なのだ。

それは、核の危険を10万年先まで本気で閉じ込めようという壮大な計画!

 

一方日本では、何も決めないまま原発をどんどん造って稼働して、どんどん核廃棄物が溜まってしまい、

いっぱいになって困ったなぁ~そうだ資源ゴミとして再利用すればいいんだ!と思いつき、

六ヶ所村に再処理工場を造ったけれど、それも見切り発車だったので故障続きでうまく稼働せず、

核のゴミは溜まるばかり・・・

未だ最終処分場の受け入れ先も決まらず、

それでも稼働し続け、核のゴミを出し続け、その上まだ原発を造り続けようとしている。 

 

2010年、国際環境映画祭グランプリを受賞したというこの映画の解説には、次のように書かれている。

 

各国が頭を痛める原子力発電所の廃棄物問題。

北欧のフィンランドが世界に先駆け、核のゴミの最終処分場の建設に乗り出している。

「オンカロ」(フィンランド語で「隠し場所」)と呼ばれる処分場は、

太古の岩盤層を深さ500mまで掘り下げた先に作られ、

施設が国内で排出される核廃棄物で満パンになる約100年後に、入口を完全封鎖されるという。

核廃棄物の最終処分が難しい理由は、実はその先である。

廃棄物が出す放射線が、生物にとって安全なレベルに下がるまで、

欧州の基準では少なくとも10万年かかるとしている。

つまりオンカロは、人類の歴史にも匹敵する膨大な歳月の間、安全性の確保が求められるのだ。

革命や戦争が起きたり、気候や地殻の大変動に見舞われたりしたとしても・・・

最も危惧されているのは、今の人類が姿を消したあとの未来の知的生物が処分場に侵入し、

放射線が漏れ出してしまうシナリオだという。

そうならないよう、近づくと危険だという警告を伝えた方がいいのか?しかし、どうやって?

あるいは何もせず、記憶から消し去ってしまう方がいいのか?

原子力というパンドラの箱を開けた人類が直面する難問を描く。

 

この映画を一足早く、渋谷で観てきた山田太郎氏(「原発を並べて自衛戦争はできない」著者)は、

以下のような感想を送ってくださった。

 

フィンランドに世界で初めてつくられつつある高レベル放射性廃棄物処理場についての映画で、

放射性廃棄物の危険性の本質をわかり易く示し、しかも、100000年までの保管を目標にしているが

とても安心できるものではないことを浮き彫りにしたすばらしいドキュメンタリーでした。

映画終了後、ゲストの社団法人スウェーデン社会研究所所長・須永昌博氏が

北欧各国と日本の状況について話をした際に、こういう難しい問題についても北欧各国では、

民主的手続きを踏んで進めるが、日本はその手続きが抜けているというのです。

その証拠として、北欧各国の選挙の投票率は70~80%代を確保しているのに、

日本では40~50%と低いことを指摘していました。

日本では、技術的な問題以前に、民主主義を習得する方が先だということです。

 

耳が痛いけれど、ほんとうだな~

政治に無関心な私たちは、政治家が決めたことに、あまり自分自身の責任を感じない。

 

フィンランドの人たちは、10万年後の人類を核の危険から守る手だてを真剣に考えているのに、

私たちは、核の危険から子や孫の世代を守ることさえ考えようとしていない。

核廃棄物の危険性に気付いている人たちさえ、そう多くはいない。

 

だからこそ、こんな映画を観た私たちが伝えなくては・・・ネ

井戸端会議、飲み会、茶話会 etc・・・話題のタネにいたしましょう~     

 

 
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うたごえ喫茶 in 佐世保

2011-02-18 | 佐世保・長崎

すみませ~~~ん!

間際でのお知らせになってしまいました~~~~

 

「うたごえ喫茶」開催のお知らせです。

昨年5月の烏帽子岳以来ですから、もうかれこれ10ヵ月も経ってしまいましたね。

昨年は、「日本のうたごえ祭典」が初めて長崎で開かれたので、

その準備や練習でみんな忙しく、佐世保でのうたごえ喫茶を楽しむ余裕がありませんでした。

そのお詫びも込めて、今回は、皆さんにた~っぷり歌って頂きたいと思っています。

 

日時: 2月20日(日) 午後2時~4時

場所: アルカスSASEBO  地下1階 第1リハーサル室

 

去年の今ごろやったときは、島唄の歌手、藤あけみさんの素敵なプロの歌声を楽しみましたね。

今回は、プロとは違った感動を与えてくれる合唱団「 We Love こうばる 」の歌が聴けますよ。

乞う、ご期待 

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市民革命

2011-02-13 | 平和

古代文明発祥の地で、市民革命が起きた。

人々が思いと情報を共有し、大規模なデモを成功に導いたのは新しい文明の利器だった。

 

歴史的な日、2011年2月12日。

数年後の歴史の教科書には、このことが史実となって記述されるだろう。

 

腐敗した独裁政権に、市民が自らの手で幕を下ろしたのだ。

圧政に耐えてきた市民は、すでに我慢の限界に達していたのかもしれない。

チュニジアのジャスミン革命の影響も大きいかもしれない。

新しい情報伝達ツールを身に付けたネット世代の若者が扉を開いたのかもしれない。

 

でも、それだけでは、成功は得られなかったと思う。

もう彼らは、軍を恐れてはいなかった。

(テレビ画面に映る彼らの顔を見てそう感じた)

大統領が何度居座りを発表しても、あきらめなかった。

自分たちが勝利することを確信していた。

それは、エジプトという国を信じていたから・・?

 

遠く海を隔てたこの国で、私は、その映像を羨ましく眺めているだけ。

 

かつて私も日本という国を信じていた。

変われると思っていた。

 

虎の威を借る狐のように大国につき従い、

自分の意思というものを持たずに、その大国の顔色を窺いながら発言し、

100年先、1000年先を考えず足元ばかりを見て行動する、

平和憲法を掲げながら、平気で軍事力を増大させ、

核廃絶を訴えながら、他国の核の傘の下にとどまり続けようとする、

そんな恥ずかしい国の姿を、私たち若者が変えていけると思っていた。

 

でも、できなかった。

私たちの力が足りなかったのは、変えたいという思いが足りなかったのか、

信じる心が足りなかったのか、わからないけれど。

当時はまだインターネットを手に入れてなかったから、という言い訳だけはしたくない。

 

ネットの発信力が大いに貢献したことは間違いのない事実だけれど、

それだけで成功するのなら、

いま、沖縄高江のヘリパッドや東江の埋め立てや上関原発の工事も止められるはず。

いくら文明の利器があっても、ここではその効き目が広がらない。

 

それは、沖縄の基地問題が、全国の切実な思いになっていないから。

原発の深刻な問題が、ほとんどの人に知られていないから。

痛みを実感して初めて、人は立ち上がる勇気を持つのだろう。

 

痛みに気付いた時にはすでに手遅れ…ということもあるのに。

 

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自己嫌悪

2011-02-10 | 石木ダム

 

久しぶりに怒っている  

自分自身に怒っている  

めちゃくちゃ怒っている  

いくら怒っても足りないくらい怒っている  

 

なんて愚かな わたし

なんてジコチューな わたし

なんて恥知らずな わたし

いくら後悔しても 時は元には戻らない  

 

失敗を消せる消しゴム

誰か 持っていませんか・・・?  

 

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ぼくが、あってみたいひと

2011-02-07 | 雑感

昨日、金子みすずの詩を紹介したら、とても嬉しい書き込みがあった。

それで、また、みすずの詩を紹介したいのだけれど、今日は止めておく。

もっと紹介したい詩があるから。

 

佐々町立口石小学校1年生 徳田寛(とくだひろき)君の作品

 

         ぼくが、あってみたいひと

 

もし、タイムマシンがあったら、

ぼくとおなじ6さいのおとうさんとおかあさんにあいたいです。

ぜったいに、なかよしのおともだちになれるとおもいます。

さいしょは、はずかしいけど、

「なかまにいれて」いえるかな。

そうしたら、おにごっこ、すべりだい、たたかいごっこ、ぶらんこ。

ひみつきちにも、しょうたいするよ。

けんかしても、すぐになかなおりするよ。

もしも、おとうさんが、けがをしたら、

ぼくが、ばんそうこうをはってあげる。

もしも、おかあさんが、かなしくなって、ないちゃったら、

「だいじょうぶだよ」といってあげるよ。

いつも、ぼくが、してもらっていることを、

ぜんぶしてあげたいです。

 

こどもって、ほんとうに素晴らしい!

詩も素晴らしいけれど、その心が素晴らしい!

その心を育んでいるお父さんとお母さんがすばらしい!

 

でも、悲しいことに、寛君とは正反対の家庭環境で育つ子もいる。

先日ある雑誌で、若者自立支援ホームを主宰している方の寄稿文を読んだ。

ホームを巣立って、せっかく就職しても、多くの子が長続きしない、人間関係のトラブルで辞めてしまう。

その理由は、虐待を受けた子どもは、他人を信用することが大変難しい。

人を信頼することができないから、人間関係を結ぶことが難しい。

と書かれていた。

 

タイムマシンがあったなら、そんな若者を赤ちゃんにもどして、

寛君のおうちに、そっと置いてきたい・・・

寛君ならきっと優しいお兄ちゃんになって、

お父さんやお母さんにしてもらっていることを、その子にもしてくれるだろう。。

 

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金子みすず

2011-02-06 | 雑感

このごろ、金子みすずの歌を久しぶりに歌えるようになりました。

埼玉にいた頃は、毎月1回、新宿の歌声喫茶「ともしび」で、「みすず歌う会」の楽しい時を過ごしていました。

おとなにも感動を与える深い思いを、こどもにもわかるやさしい言葉で表現したみすずの詩。

その詩のすべてに曲を付けられた大西進先生ご自身の指導で、

より深くみすずの世界に親しむことができました。

 

いま、毎月1回、再び金子みすずの歌を歌っています。 

昨年、「日本のうたごえ祭典」に出場した佐世保の「うたごえサークルふれんど」の仲間など、

まだ6人ほどの小さなグループです。

祭典に出場し、全国レベルからはあまりにも遠く隔たっている私たちの歌唱力をあらためて実感!

これじゃあアカン!月に1回くらいは練習せんば!と集まった仲間たち。

会場も先生もゲット。いざ練習となって、何歌う?

ってことになって、私が持っていた歌集から紹介したのが、「土と草」の歌でした。

 

母さん 知らぬ 草の子を

何千万の 草の子を

土はひとりで 育てます

草が青々 茂ったら

土は隠れてしまうのに

 

みすずの歌はこの日だけのつもりだったのに、すっかり気に入ってしまった皆さん。
次の練習日もみすずの歌!のリクエスト。

で、紹介したのは「積もった雪」です。

 

上の雪 寒かろな

冷たい月が 射していて

下の雪 重かろな

何百人も 乗せていて

中の雪 さみしかろな

空も地べたも 見えないで

 

この歌も、すっかりみんなのお気に入り!

もう今や、「みすず歌う会」になってしまったみたいで・・・

大西先生に伝えたら喜ばれるだろうなぁ・・

 

そんなことを思いながら、3回目の練習日は、「私と小鳥と鈴と」を歌いました。

今や小学校の教科書にも載っていて、こどもたちもよく知ってるようです。

愛知万博の時は、英語や中国語やいろんな言語で歌ったっけ・・
(すっかり忘れてしまったけど)

 

「みんな違って みんないい」

この言葉に救われた人はたくさんいると思う。 私もその一人。

最近ちょっと、スローモーな自分にイラついていたけれど、歌ってるうちに思い出しましたよ。

ノロマでもいいんだ。ノロマだからいいんだ。ゆっくり歩くから見えてくるものだってあるんだもの。。

 

私が両手を広げても 

お空はちっとも飛べないが

飛べる小鳥は私のように 

地べたを速くは走れない

 

私が体をゆすっても 

きれいな音はでないけど

あのなる鈴は私のように 

たくさんな歌は知らないよ。

 

鈴と小鳥と それから私

みんな違って みんないい 

                   

  

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もっとも爺

2011-02-05 | 佐世保・長崎

4日の新聞に、平戸市の最教寺での「子泣き相撲」の話題が載っていた。

3日の節分の行事として有名で、県内外から赤ちゃんを抱えた人たちがやってくるという。

昔、平戸藩主が赤ちゃんの泣き声で亡霊を退散させた逸話が由来とされる。

母親に抱かれた赤ちゃんが、行司の「はっけよい」のかけ声で泣き比べ。早く泣いた方が勝ち。

中には仕切り前から双方とも泣いていたり、どちらも泣かずじまいで行司泣かせの赤ちゃんもいるようだ。

赤ちゃんの泣き顔とは裏腹に、周りで見守る大人はみな笑顔。

赤ちゃんが泣けば泣くほど笑顔。

赤ちゃんが泣かないと行司も母親も困り、なんとか泣かそうとする。

赤ちゃんはいい迷惑だな~と思うのは私だけ?

 

ところが、幼い子供にとってもっと迷惑な行事が長崎市にはあった。 

長崎市手熊町に伝わる節分祭「もっとも爺(じい)」というやつ。

もっとも爺とは、節分の前夜に年男と福娘と共にやってくる福の神の一種で、
3人1組で町内を回るそうだ。

年男が「鬼は外~」と言い、福娘が「福は内~」と言って、普通に豆まきをした後で、

もっとも爺が「もっともー!」と大声で叫びながらドカドカ家に入ってくる。

(なぜ「もっとも」と言うのかはわからないらしい)

頭には変な被り物をして、顔は利休色のような暗い色に塗りたくって、大声で叫びながら突進してくる。

子供たちは恐怖に引きつった顔で泣き叫びながら逃げ回る。

子供たちが泣けば泣くほど福が大きくなると言われ、大人たちはニコニコ笑顔だった・・・

 

大人ってほんとに勝手だな~。

子どもが泣けば泣くほど縁起がいいなんて、かってな理由をつけて、子どもには関係ない。

怖い思いをさせられて…可哀想。

神経の細い子などに悪い影響はないんだろうか?

 

私は子どもの頃、すごく怖がりだった。

虫が怖い、ヘビが怖い、暗闇が怖い。

そして、チンドン屋が怖かった。

 

昔はよく紙芝居のおじさんや、アイスキャンデー売りのおじさんが来て、
子どもたちはその後をくっついてまわっていた。

時々チンドン屋さんも来るのだが、あまりにも音が大きくて、派手な身なりに恐れをなして、
私はなかなか近寄れなかった。

が、あるとき勇気を出して、その賑やかな一行に近づいてみたら、なんとなく楽しくなって、
いつの間にか真後を歩いていた。

すると、私の前を歩いていた着物姿のお姉さん(と、私は思い込んでいた)が、クルリと振り向き、
私に顔を近づけてきた。

その顔は、白壁のように真っ白で、真っ赤な唇は耳の近くまで裂けていて、野太い声で何か言った。 

 

ギャー!と言ったかどうか、ワーンと泣いたかどうか、まるで覚えていない。

ただ、それ以後、チンドン屋さんの音が聞こえてくると耳を塞ぎ、
音が遠ざかるまで家の隅っこで縮こまっていた。

 

もしあの時、大人たちが面白がって、チンドン屋さんを我が家に連れ込んでいたら、
私は発狂したかもしれない…と思うほど、なぜか怖かったのだ。

小学1年生の頃、我が家に居候していた若い叔父さんが、私を映画に連れて行ってくれたが、
それがヤクザ映画だった。

ピストルを持った1本足の男が、コツコツと近づいてくる…

そのシーンを1ヶ月ほど毎晩夢見てうなされた。

 

大人にも子どもにも個人差がある。

子どもの怖がりは、大人が考える以上に恐怖に慄いているのだ。

 

一歩間違えば幼児虐待だ。 

 

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諫早湾干拓事業の軌跡

2011-02-03 | 有明海・諫早干拓

1月29日放送された「NHKスペシャル"清算"の行方~諫早湾干拓事業の行方~」の録画を
やっと観ました。

なぜか涙があふれてきます。

昨年末、友人の薦めで読んだ「ルポ 諫早の叫び よみがえる干潟ともやいの心」の内容と重なって
より胸に迫ってきたのかもしれません。
 
「魚でも貝でも、湧いてくるとですよ。この海の中から湧いてくるとですよ」
 
豊穣の海で自然の恵みと共に生きてきた漁師さんたちにとって、
諫干という公共事業は、生業の糧を奪い、家族を分裂させ、地域を分断してしまった災いの元、
巨額のお金を費やし、民を苦しめただけの事業だった・・・

その想いが画面の向こうから伝わってきました。

家族、その家族と暮らした家、そこから見える諫早湾、それらの写真を記者に見せながら
懐かしそうに過去を振り返る元漁師の森さん。

漁獲量が10分の1になった今も漁師を続け、開門要求の先頭に立って頑張ってきた松永さんも、
息子に後を継がせられなかったと悔しそう。

以前の諫早湾の姿を知らない私は、昨年秋、初めてその海を目の当たりにしましたが、
その時は心に迫ってくるような何かを感じることはありませんでした。
 
今日、TV画面に映ったかつての干潟には、ムツゴロウなど、いろんな生き物がいっぱい!
まるで運動会のように干潟の上を走りまわっていました。
それはもう楽しそうで、踊っているようでもあり、かくれんぼしてるようでもあり・・・

そして、今の諫早の海は、まるで泣いているように見えました。
調整池から海へ吐き出される水は、アオコで緑色に濁っていて、それがどんどん沖の方へ広がっていく。
海の悲鳴が聞こえそうです。


昨年末の福岡高裁で、開門せよとの判決が出た時の人々の嬉しそうな表情!

しかし、その判決を受け入れた国に激しく抗議する農民の声にも胸を打たれます。
「俺たちは国を信じてやってきたんだ!」
「農水省が大丈夫だというからここで農業を始めたんだ!」
マイクを持つ手がぶるぶる震えていました。
腹の底からの叫びに、農水相も返す言葉がありません。

畑で収穫をしながらマイクを向けられた男性は、
「自分には農業しかできないですから…」 と、ポツリ呟きました。


公共事業って誰のためにするのでしょう?
何のためにするのでしょう?

諫早湾干拓事業は、
はじめは食糧増産のための水田開発が目的だったけれど、だんだんお米が余ってきて、
そこで今度は、灌漑用水の確保を目的にしたり、
長崎大水害の後には洪水対策を目的としたり、
今や大型ファームの開発も加わり多目的事業となっている。

「公共事業にはいろいろ理由付けが必要なんですよ」と、
その「知恵」を働かせた高田元県知事の得意げに語る言葉には、住民のためという思いは窺えなかった。

「ギロチン」のボタンを押したときの水しぶきに驚いた思い出を楽しそうに語っていた・・・

そして、公共事業をやれば人が集まり、物が動き、経済が活性化する。
公共事業は大きければ大きいほど、その効果も大きい。
と、確信を持って語っていた・・・


それが目的だったんですか?

その結果、地元がどんなに苦しんできたか、
今また地元では、住民が激しく対立させられ、怒りが渦巻いているというのに・・・


住民を苦しめる公共事業って・・・???
 
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