佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

3ヶ月を振り返って

2010-06-30 | 石木ダム

今日は6月30日。

2010年の折り返し地点だ。

とても速い半年だった。

年齢のせいばかりではないと思う。

川棚通いが始まって、一日があっという間に終わるように感じられるようになった…

 

座り込みを始めて3ヶ月が過ぎた。

少し振り返ってみたい。

 

3月24日、年度末の駆け込み的に県は付替え道路工事を着工した。

付替え道路を造ることは、ダム本体工事の前提であり、土台作りである。

まだ事業認定もされていないのに…県の横暴に地権者は抗議の座り込みを始めた。

 

「命に代えてもこの土地は守る!」堅い団結の地権者がいる限り、ダムはできない。

できないダムのために、ムダな公共事業を強引に進めようとする県は間違っている。

貴重な税金をドブに捨てるようなものだ。

私も賛同して座り込みに参加した。

(他にも数人の支援者が毎日参加しているし、時々やってくる人もいる)

 

はじめの1週間は、マスコミも連日やってきたが、すぐにその潮は引いていった。

一方、住民の座り込みはだんだん長時間に及んでいった。

当初は朝のうちだけ(7時から9時くらい)だったが、その時間を避けて業者は中に入ってしまう。

と、工事はどんどん進む。

いくら住民、県民が抗議の声をあげても、行政は耳を塞いでいる。

県庁まで抗議文を届けに行き、座り込みの現場を見に来てほしいと訴えても、

ついに知事は来なかった。

 

抗議行動は阻止行動に移るしかなかった。

業者が6時に来れば、翌日、住民は5時半に行って座り込む。

すると、その次の日、業者は5時に来るといったふうに…。

 

5月になって、県はこのような大きな看板を設置した。

しかし、住民は誰もこんな脅しにはびくともしなかった。

住民との約束を破って、権力を翳して住民の権利を奪おうとしてるのは誰だ?

違法云々という資格があるのか?

私たちは体を張って自分たちの権利を守ろうとしているだけなのだと。

 

私たちの仲間に法律に詳しい人がいる。

彼によると、憲法学者の宮沢俊義は抵抗権についてこう述べている。

「抵抗権は人権宣言において補償される人権の一つであり、

人権を侵害する公権力に対して抵抗する権利のこと」

「個人の尊厳から出発する限り、どうしても抵抗権を認めないわけにはいかない。

抵抗権を認めないことは、国家権力に対する絶対的服従を求めることであり、

奴隷の人民を作ろうとすることである」

 

正面ゲートから入れなくなって、業者は山側から入るようになり、

住民はそこにもバリケードを張った。

表玄関と2つの裏口への道を塞がれた業者は、ある日、川を渡って現場に入った。

翌日から住民はまた、その川岸で終日番をするようになった。

そうして、今では4ヶ所での阻止行動が続いている。

 

県は、住民がこれほど抵抗を続けるとは思っていなかったのだろう。

座り込みと言っても、いつまでも続けられるものではないサ。

一日中できるものでもないサ。

くらいに高を括っていたのか?

思惑が外れ焦っているのか、つい最近新たにこのような看板を設置した。 

警告の主は「石木ダム建設工事安全協議会」となっているが、

これは単なる任意団体に過ぎず法的な権限は何もないそうだ。

 

しかし、私たちは業者と対立するのを決して望んではいない。

できるだけ平和的にやっていきたいと思っている。

特にそこで働いている社員や下請け作業員には申し訳ないと、私は思う。

 

あなたたちが阻止をすることによって、仕事を奪われる人たちがいる、

収入が減らされる人たちがいる、生活が苦しくなる人たちがいる、

それを承知でやるのか?

と、身近な人に問い詰められたことがある。

 

即答できなかった。しばらく考え込んだ。

迷いつつ通っていた。

でも、やはりこうするしかないとの思いがだんだん強くなっていった。

 

社員の方は、ここで仕事がなくなっても他の現場に回されるだろう。

下請けの方は、一時的には困っても、また新たな仕事が得られるだろう。

でも、住民の方は、工事が進んでダムができてしまったら、家を追われるのだ。

土地を奪われるのだ。生活を奪われるのだ。

先祖から受け継ぎ子孫に残したいと守ってきた家や田畑を水底に沈めるのだ。

「そんなにダムを造りたいなら、うったちを殺してから造りゃよか!」と、

いつもニコニコ笑顔のおばあちゃんが言ってるのを聞いてしまった。

 

祝島の住民も原発建設に反対して、24時間体制で座り込みを続けているという。

沖縄の高江では、米軍のヘリパッド阻止のため、もう3年間も座り込みを続けている。

同じく沖縄の辺野古では、基地を造らせないために海上での阻止行動と、

テント村での座り込みを行っていて、全国から支援者がやってきて共に座っている。

権力者の暴走を阻止するには、やはり非暴力で、しかし体を張って訴えるしかないのだ。

 

今日は3時ごろ、山栄建設の人が重機を出したいとやってきた。

私たちは、テントをたたみ、椅子などすべてを撤去した。

ガードマンが門扉を開け、重機は大型トラックに乗せられて出ていった。

 

山栄建設の人は、私たちに「ありがとうございます」と言った。

私は「ご苦労様」と小さな声で言った。

 

工事を阻止することの目標は、あくまでもダム計画を推進している権力者への抵抗。

それをこれからも肝に銘じて座り込みを続けたい。 

 

 

 

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いきものカフェ

2010-06-29 | 石木ダム
今度、こんなのやるの。
よかったらここで、石木ダムの話してくれない?

佐賀県に住む友人ヨーチに誘われて、27日(日曜日)、
「石木ダム絶対反対同盟」のKさんとその娘さんのHちゃんと3人で出かけました。

そのチラシのタイトルは、" ヤゴタマーケット×いきものカフェ"
どんなイベントか想像できますか?

ヤゴタマーケットとは、地域通貨ヤゴタを使ってお買いものをする市のこと。
矢答(やごた)に住む若者たちが自ら考案印刷し、実際に仲間同士で使っているのです。
でも、私たちのようにヤゴタを持たないヨソモノもやってきますから、もちろん円も使えますし、
出店者同士、物々交換もできます。おもしろい市です。

その会場は、ヨーチのお城、BIG FAMILY
古い農家の納屋を改造して、中はまるでおしゃれなログハウスのよう・・・
「ビフォー・アフター」の匠に負けないくらい素敵にリフォームされていました。
(感心ばかりして、写真を撮るのを忘れてました

雨上がりのアジサイと、びっこのわんこタマちゃんと、
ヨーチの可愛いこどもたち、こうめちゃんとふたばちゃんが出迎えてくれました。

タマちゃんは、猪のワナにかかって足を切断されたとか・・
でも人間を恨むことなど知らないかのよう、
誰にでもつぶらな瞳で近づいてくるタマちゃんでした。

板の間のあちこちにミニテーブルが置かれ、商品が並べられていきます。
こちらは、えぐりちゃん作の陶器。


まるでロクロを使って作ったように正確な形で、
しかも手捻りの柔らかさが伝わる湯呑み茶碗やお皿など。
色も渋くて素敵です。




こちらは福岡からやってきた若い女性の作品。



絵や彫り物の精巧さには驚きでした。
コップやスプーン、シャベルにまで精密な模様が刻まれています。
インド女性のような雰囲気の、美しいその人は、
「私、ネクラなんです。ずーっとやってても全然飽きない」と言って笑ってました。

他にも、紙で作った手描きのCDケースや絵葉書などの作品を並べたテーブルがあったり、
自分ちの畑で採れた大根、小松菜、玉ねぎ、にんにくなどの野菜のコーナーがあったり…


我らがHちゃんも、「こうばるを思う1000のメッセージプロジェクト」の看板まで造って、気合い十分です。


このプロジェクトは、こうばる(川原)に育ったHちゃんが、
大人になってやっと気付いたこうばるの素晴らしさを、絵や写真に託して発信していき、
それを見た人や、実際にこうばるを訪れた人ににメッセージを書いてもらって、
まとめ、展示したいというものです。

売り物の古着や古本のそばに、撮りためたこうばるの写真集がありましたが、
とてもいい写真がたくさんありました。
テーマやアングルなど、普通とはちょっと違うゾ・・
はっとしたり、ほっとしたり、ふんわりしたり・・
これからも、もっともっとこうばるを撮り続けてね、Hちゃん。


予定より1時間近く遅れて、いきものカフェ開始!



まず、冨田さんから生物多様性年の意味や、
今年日本で開催されるCOP10についての説明があり、
その後、上関原発建設に反対し続けている祝島の人々の様子や、
建設予定地田の浦の周辺の海や生物を映した映像の上映がありました。

冨田さんとは、冨田貴史さんのこと。
月刊誌「Actio」に、「脱原発を目指す旅」を連載中の若者。
そこに紹介されているプロフィールには、
映画『六ヶ所村ラプソディー』を携えて少人数で語り合う上映会を全国120か所で開催。
エネルギー、お金、暦の未来について語らうワークショップのファシリテーター。
と書かれています。

今月号の記事、「本当の生物多様性は 人間中心の視点からは生まれない」には、とても共感。
是非また直接にお話を聞いてみたい(実は今回で3回目)と思っていたところでした。

この日の話でショックだったのは、
今の地球は、恐竜が絶滅した頃の4000万倍のスピードであらゆる生物が絶滅している!
また、COP10を日本で開催するにあたって、他国から強い反対があったこと。
かつて「化石賞」(地球温暖化防止交渉にマイナスな発言をした国などに贈られる賞)を
何度も受賞しているような国では、会議の成功は望めないから・・とのことでした。

戦後ずっとアメリカばかり見つめてきたこの国は、アメリカこそが世界のスタンダードだと勘違いして、
経済では先進国の仲間入りを果たしましたが、環境問題では未だ後進国なのですね。。


そして、石木ダム問題の話題に移りました。

 

私は、石木川に棲む生物(魚や貝やカニなど)と、石木川の源である虚空蔵山の紹介、
そして、こんなに自然あふれる地域に強行されようとしている石木ダム計画の概要と
経緯について話し、
続いてHちゃんからメッセージプロジェクトの話と写真が紹介され、
最後にKさんが地元住民の思いや計画の無謀さについて具体的に話して下さいました。

 

会場は佐賀県鹿島市ですから、石木ダムのことはほとんど知られていません。

私たちの話がどれだけ伝わったかはわかりませんが、

それでもHちゃんの写真を見て、メッセージを書いて下さる人たちもいました。


また、冨田さんからはいろんな質問が出され、大きな関心を示して下さいました。

(実際、翌28日には川棚まで来て下さって、雨の中、ダムサイトやその周辺を
 カメラに収めて帰られました)

 

ヨーチが与えてくれたせっかくの機会!と思って、
石木ダム問題を少しでも多くの人に伝えたい、わかってほしい…
と、ついつい熱く語ってしまったけれど、
「いきものカフェ」の本筋からは少しはずれてしまったかもしれない。

違う話を期待してきた人もいらしたかも…
そのような方には、たいへん申し訳なかったと後になって気付きました。

 

そのような反省をしながら、ふと思ったのです。

こういう場を県内で、特に地元の川棚町や佐世保市でできたらいいのになぁ…

 



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田んぼの水面に映る・・・

2010-06-23 | 石木ダム


何の写真だかわかりますか?

私はさっぱりわかりませんでした。

メールのタイトルは「田んぼの水面に映る『石木の意志』」
それを見てもナンジャラホイ?と鈍い私。

2枚目を見て、な~るほど!納得です。



猫丼さん、ありがとう。
素敵な作品ですね。
私だけで見るのはもったいないので、公開させてもらいました。

ほたる祭りのときに撮られたようですが、今はもう苗が育っているからこの光景は見られませんね。


同じ川棚でも、地域によって田植えの時期は微妙にずれていることを最近知りました。

佐世保から川棚へは電車で通っていますが、川棚が近づくにつれ、窓外にたくさんの田んぼが見えます。
先週まで、まだ田植え前の茶色の水田がところどころにありました。
今週になって、ほぼすべての田植えが完了したようですが、
どこの田んぼが早くやって、どこが遅かったか、一目瞭然です。
緑の量が全然違うから。
緑の苗がほんの少し細く低く頭を出している田んぼあり、
すでに緑の絨毯のような田んぼあり・・
一様でない緑のグラデーションがとてもおもしろくて、毎日見とれています。

この歳になって初めて、田んぼの美しさを知りました。

一方、石木ダム建設のために移転した方たちの田んぼは、荒れ果てたままです・・
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こうばる作折れ

2010-06-20 | 石木ダム
「作折れ」という言葉を初めて知ったのは、ほぼ1か月前のこと。

座り込みをしてるとき、こうばる住民のSさんから1枚の紙を渡されました。
日時や場所が書かれたそのお知らせには、
「今年の作折れは、ほたる祭りの打ち上げ、阻止行動お疲れ様を兼ねて行います」
と書かれていました。

田植えが終わった頃、「こうばる」の人々が集まって会食したり旅行に行ったり、
共に慰労し合う行事、それを「作折れ」と言って、ここでは以前から行われていたようです。

「作折れ」という言葉は辞書を引いても出てこないので、この地域特有のものかもしれません。

今年は、阻止行動に参加している人も招待したいとのことで、
もちろん、私たちは喜んで参加しました。

午前中は、山の上に造られたグランドで、グランドゴルフ大会。
時折雨が強く降る中、カッパを着てがんばりました。

初めての体験で、運動神経の鈍い私の結果は惨憺たるものでしたが、でも楽しかったです。


そのグランドの脇に、小さな小さな水たまりがありました。


何かいますね。何だかわかりますか?


オタマジャクシ?
いいえ、頭の後ろに羽飾りのようなものがついていますよ。
ウーパールーパーみたいなこの飾りは、「外鰓」と言って、エラの一種なんです。

これは、サンショウウオの幼生です。
水族館以外でサンショウウオを見るのは初めてです。
感動!
この地域はやっぱり生き物の宝庫なんですね。

グランドで汗をかいた後は、川原公民館に移動。
お寿司や刺身や、たくさんのお料理、サンドイッチやフルーツまでご馳走がいっぱい!

食べて飲んで、もう何も入りませ~んと言ってたら、
I さんが釣ったフナのお刺身とおみそ汁が出てきました。


これがフナのお刺身。
まるで生きているようなツヤツヤピカピカのお顔で…
お刺身の方は食べなかったけど、おみそ汁の方はとても美味しかったです。

お腹一杯になったころ、ビンゴゲームが用意されていました。
グランドゴルフはさっぱりだった私ですが、ここではツイテいて、
一番に「ビンゴー!」の声を発することができました。

身も心も満足して、川原公民館をあとにするころ、
外はまだ雨が降っていましたが、
緑の美しさ、小雨に煙る山の景色がとても素敵で、思わずパチリ!



また来年も呼んでくれるかな~?
その頃は、阻止行動も終わって、ダム建設が中止になっていることを願っていますが、
阻止行動やってなくても、また、サンショウウオのこどもに会いに行けるかな~?
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キャンドルナイト

2010-06-19 | 平和

昨夜は知人の呼び掛けに応じて、キャンドルナイトに参加しました。

キャンドルナイト=電気を消して、ロウソクの灯りでスローな夜を楽しみましょうという運動。
原発などのエネルギー問題、地球温暖化、エコ等に関心の高い若い人々の間で広まっています。

今回は単なるキャンドルナイトではありませんでした。
その灯は、福岡県星野村の「平和の灯」から採火したものでした。

星野村の「平和の灯」とは・・・
1945年9月、あの広島原爆の焼け跡の火をカイロに移し、故郷に持ち帰った兵士がいました。
彼はその灯を仏壇や囲炉裏に移し、決して絶やすことなく灯し続けます。
それは、父親代わりだったおじさんの遺骨の代わりでもあり、
おじさんを焼き殺した米国への怒りや恨みでもありました。
しかし、その恨みはしだいに平和への祈りに変化していきます。
1968年、この灯は星野村の平和を願う供養の灯として村に引き継がれ、
公園の一角に建立された「平和の塔」の中で静かに燃え続けています。

このランプの灯が、その「平和の灯」から採火された灯です。

このランプの火を、集まった10人のキャンドルに灯します。

この灯についての話をAさんから聞き、
ドキュメンタリー映画「マッシュルームクラブ」を観た後、みんなで語り合いました。

平和って何だろう?

初めは原爆の悲惨さに皆衝撃を受けていましたが、
集まった若者たちにとって戦争は無縁の世界なのか、
関心は心の有り様に向かいます。

社会生活の中で、何に対しても感謝する心を持てば、心の平安が得られ、
それが平和だ…と。

それは全くその通りなんだけど・・
それだけでいいの?
例えば沖縄のことなんかどう思うの?
沖縄はいま平和だと言えるの?
自分の周辺だけではなく、もっと広い社会に目を向けた平和のことも考えてみない?

私は若い人の本音が知りたくて、普天間基地をどうしたらいいと思っているか尋ねてみました。
みんな黙っているので、前政権の鳩山さんが「最低でも県外に移転」すると言って、
代替地を探したけど、どこも受け入れ先が見つからなかったこと、
打診された市町村はみな猛反対したことなどを話しました。

それなら沖縄に押し付けるべきではないという人もいましたが、
「でも、沖縄の人も基地が移転したら働く場所がなくなって困るんでしょう?」
「どうして沖縄に米軍基地があるの?」
「やはり、日本を守ってもらうためには基地が必要なのかな~」
などの意見もありました。
でも、ほとんどは、よくわからないといった感じ。

私たちもそうでしたが、学校ではほとんど現代史を教えてくれないので、
日米安保条約も基地問題も沖縄の変遷も知らないし、関心もなかったようです。

時間はすでに10時を過ぎていたので、私の知っていることを少しだけ話させてもらいました。

知ることって大事だね。
戦争を体験した人たちがどんどんいなくなっていってるので、今のうちに聞いておきたいね。

最後にこんな感想を聞くことができて、
私にとっても素敵なキャンドルナイトになりました。

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内閣支持率と普天間問題

2010-06-17 | 平和

昨日国会が閉幕し、政界は参院選モードへ突入。

菅政権発足直後、内閣支持率も民主党支持率も驚異のV字回復を果たしましたね。

民主党は大いに元気付き、いけいけどんどん、強気ムードいっぱいです。

 

それにしても、その支持率の高さは本当に驚きです。

鳩山政権最後の世論調査と比較すると・・・

朝日新聞17%→59%、

毎日新聞20%→63%、

共同通信19%→64%、

NHK21%→60%

だそうです。

この数字は、東本高志さんという方のブログに出ていた数字です。

 http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi/archive/2010/06/16

 

そして、その記事のタイトルは、

『ヤマトゥは沖縄を捨てた 菅新内閣支持率を憤りをもって読む』でした。

彼は、「ヤマトゥの人間どもは結局のところ沖縄を捨てた。同胞としての沖縄を見殺しにしたのだ。

ヤマトゥの人間どもには『普天間問題』などほんとうのところ眼中になかった」と嘆きます。

 

私もそう思います。

鳩山前総理は退陣直前に、普天間基地は辺野古へ移設するという日米合意を果たしましたが、

その合意を踏襲すると菅新総理は明言したのです。

わずかの逡巡もなく。

その菅政権を高く評価する多くの人々(世論調査では40%以上の人々)にとって、

鳩山政権への不満は、普天間問題ではなかったということ?

鳩山さん自身もマスコミも、退陣の理由は、

普天間問題と、政治と金の問題、と言ってましたが、

実は国民は、前者についてはそれほど重要に考えてなかったということ?

それとも、ただ単に公約違反(最低でも県外と言ってたのに、県内という結論を出したこと)

したことに対して怒っていただけ?その中身はどうでもよかったのか・・

 

名護市に住む方のブログ「なごなぐ日記」には、怒りを込めてこう書かれていました。

「デモクラシーはどこにあるのか、デモクラシーとはなんなのか。

デモクラットはどこにいるのか」

 

  沖縄は独自の文化をはぐくんできた、我が国が誇るべき地域です。

  その沖縄が先の大戦で最大規模の地上戦を経験し、多くの犠牲を強いられる

  こととなりました。今月23日、沖縄全戦没者追悼式が行われます。

  この式典に参加し、沖縄を襲った悲惨な過去に想いを致すとともに、

  長年の過重な負担に対する感謝の念を深めることから始めたいと思います。 

 

という菅総理の所信表明演説に対して

「感謝などいらないから、踏んでる足をどけてくれないか。

私は温厚なヘタレだからキレないが、ウヤファーフジにその「感謝」は、

『あんちまでぃ ちゅー うしぇーんなぁ、ぬがらちならん』と叱られると思う。

ましてや死んでも死に切れない地獄の戦火で逝った先輩たちには…」

と、痛烈に批判していました。

 

菅総理だけじゃない。

私たちは長い長い間、沖縄を踏みつけて、

踏んでいることに気付きもせず、

私たちの平和を享受してきたのです。

 

このブログを読んで下さっているあなたはどう思いますか?

あなたの町に米軍基地が来てほしくなければ、

沖縄にもどこにも押し付けることはできないですよね?

 

普天間基地は移転ではなく、閉鎖しかないと思うのです。

沖縄の海兵隊の多くがグアムに移転するわけですから、

人が減った分、施設が減るのは当然だとも思います。

 

普天間に代わる基地など、どこにも造る必要はないのではないでしょうか? 

 

 

 

 

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隠れダム反対者

2010-06-14 | 石木ダム

ここは、私が住んでいるマンションの管理人室窓口です。

小瓶に挿してあるお花、なんだかわかりますか?

小さくてわかりにくい?

これならどうでしょう?

これも同じ花です。

ゴテチャというそうです。

初めて聞いた名前だったので調べたら、スイスの植物学者の Godet さんの名前で、

日本名は「色待宵草=いろまつよいぐさ」、つきみそう科だそうです。

きれいでしょ?

花弁がとても薄くて、すぐに萎れてしまうかなと思っていたら、意外と丈夫なんです。

長持ちします。

1週間以上、花瓶の中で元気、蕾も次々と花開きます。

 

そう。これも川原の人たちが育てている花です。

何日頃だったか・・忘れるほど以前に頂いて、また管理人さんにおすそ分けしていたら、

ずっと窓口に飾ってくれて、毎日元気に咲いていました。

が、我が家と同じように昨日とうとう枯れてしまったので、

今日、再び川原から摘んできました。

 

このお花を育てているFさんが「いつでもかってに持っていってね」と言って、

ハサミまで用意して置いてくれているので、遠慮なく頂いてしまうのです。

 

そして、この花が石木ダム建設予定地の川原の花だということを、

管理人さん達はつい最近知ったのです。

 

別に隠していたわけではありませんが、

どこの花かとも訊かれないのに、いろいろ説明するのもヘンだし…

 

ところが先日、おっちょこちょいの私は、座り込みの現場からマンションまで、

鉢巻きをしたまま帰ってきてしまいました。

川棚駅のホームで、電車の中で、人々の視線を何となく感じてはいたのですが、

気のせいだろうと思って・・・

現場ではいつもゼッケンと、帽子にこのような鉢巻き姿で、みんな参加しています。

 

自分のドジに気付いた時にはビックリしましたが、

いい宣伝になったかも~と開き直り、以来毎日鉢巻きをして帰ることにしました。

(と言っても川棚駅まで。電車に乗ったらはずしています…)

 

ところで、お花の出所を知った管理人さんの言葉はこうでした。

 

そうだったんですか~

川棚まで毎朝・・・

頑張って下さい!

あそこはよかとこですもんねー

あの川は残さんばですねー

ホタルがきれいかとですよー

見らしたことあります?すごかですよー

あれを見て、私はダムは要らんと思いましたよ。

佐世保は確かに水が足らんですけどですよ、

ダムができたら、あのホタルはもう見られんごとなるでしょ。

たまに水不足の年があったっちゃ、別に私たちは死ぬわけじゃなかですけんね、

でも、ダムができたらホタルは死んでしまうでしょ。

娘にそう言ったとですよ。

娘は結婚して今、川棚に住んでるんですけどね、

娘はホタルより佐世保の夜景の方がきれいだって言うから、

言い合いになったんですよ・・

しょっちゅう見てると、その価値がわからなくなるんでしょうかね。

 

いたー!

ここにも隠れキリシタン、じゃなくて、隠れダム反対者がいました。

嬉しい。

ホタルの力恐るべし。

それまでダムは要ると思っていた人が理屈抜きに要らないと言いだす。

いまだに水不足と思いこんでいても、この程度は我慢できると思えるようになる。

そのくらいホタルの乱舞は、命の美しさを見せつけるのでしょう・・

 

今日、管理人さんが、もらったばかりのゴテチャを窓口に飾っていたら、

通りかかったマンション住人(女性)が話しかけてきました。

私は一足先にその場を離れ、エレベーターが降りてくるのを待っていると、

先ほどの女性が急ぎ足でやってきました。

 

いつもお花を届けて下さるそうですね。

あそこを通るたびに楽しみに見てたんですよ。

あなただったんですね。。

 

あ、そんな・・

私ももらいもので、ほんの少しお裾分けしてるだけで・・

 

川原のことを話す間もなく、その方が降りる7Fに着いてしまいました。

残念!

でも、この方も隠れダム反対者に違いない。

またの機会を楽しみにしておこう。

 

 

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虹のカヤック隊

2010-06-12 | 石木ダム

6月7日、山口県から3人のお客様がやってきました。

上関原発(山口県)建設阻止行動を行っている「虹のカヤック隊」の若者たちです。

 

石木ダム反対座り込み現場のテント内。

頂いたビワを食べながら話を聞いているのはY君。

彼は春から秋にかけては岩国市に住み、錦川で川下り(ラフティング)の仕事をし、
冬場は北海道のニセコでスキーやスノーボードのインストラクターの仕事をする季節労働者?

そして、錦川の平瀬ダムや上関原発の建設に反対し、カヤックで抗議行動。

北海道でも、泊原発のプルサーマル計画反対運動に関わっている多忙な若者。

今回は同じダム反対運動をやっている川原の人たちを応援しようとやってきてくれました。

その向こうで、おばあちゃんたちと楽しそうに話しているのは、彼の妻のSさん。

もう一人のR君が寝坊してバスに乗り遅れたので、一足先に二人を案内しました。

 

初めて石木川を見た二人は、とにかくその川の小ささに驚き、

ここにどうやってダムを造るの???

どうやって水を溜めるの???と何度も言ってました。

 

北海道に生まれ育ったSさんは、初めて見る川原の里山風景に感動。

その見慣れない風景に何故だか懐かしさのようなものを感じる…と不思議がっていました。

 

やっとR君(左)も合流した頃には、もうおばあちゃんたちは団結小屋で休憩中だったので、

そっちにおじゃましました。

お茶をいただいてすっかりリラックスしたところで、R君が数枚のスナップ写真を取り出しました。

それは、海上で原発反対の抗議行動をするカヤック隊や祝島の漁船団、

浜辺で座り込みをするおじいちゃん・おばあちゃんの写真。

 

「ありゃ、○○さんはいつ山口に行かしたと?知らんかったよ」とNおばあちゃん。

写真のおじいちゃんを見て、こちらのおじいちゃんと勘違いなさったのです。

言われてみれば、その日焼けした横顔、笑いジワ…雰囲気がそっくりでした。

そしてよく見ると、座り込みをしている祝島のおばあちゃん達も、川原のおばあちゃん達に似てる…!

明るく、逞しく、優しい笑顔が並んでいます。

 

そうかぁ・・

こんなにも長い年月反対運動を続けられるのは、

きっと根が明るくて逞しい人たちでないとできないに違いない。

いや、逆に反対運動を続けるうちに逞しく明るくなっていくのかな?

どっちにしても、それが共通点のようだ。

 

そう言えば、もう一つ共通点がありました。

中国電力が山口県上関町四代田ノ浦に原発建設計画を発表したのは1982年で、

その建設予定地の対岸に住む祝島住民は、そのときから島ぐるみの反対運動を開始。

ちょうど同じ年、石木ダム建設のための強制測量をきっかけに、

ここでも住民の激しい反対運動が始まったのです。

つまり、どちらも、28年間に及ぶ粘り強い闘いの歴史があるのです。

(もちろん石木ダムは、それよりずっと前の1962年に計画が持ち上がったので、

その頃から考えると、県との対立は実に半世紀に亘るのですが…)

 

団結小屋をあとにして向かったのは、「虚空蔵山の水汲み場」。

途中の「日向の棚田」を見て興奮する3人。

「なに、これ!」

「日本じゃないみたい・・」

「祝島も棚田がすごいと思ったけど、ここはもっとすごい・・・」

 

そうでしたね。

祝島も美味しいビワがとれて、棚田が自慢だと聞いています。

本当に共通点の多い2つの地域です。

私もいつか祝島を訪ねてみたいナ。。

 

水汲み場に着き、ペットボトルに美味しい水を詰め込んで、次は岩屋神社へ。

例の石段を上って、例の穴をくぐって御社へ。

 

スリリングな参拝を楽しんで、再び石段を下りていき、

降り切ったところで、前に居たY君が振り向いて「ありがとうございました」と頭を下げ、

「いえ、とんでもない!」と答えた私。

ところが、横に居たR君も「ありがとうございました」と後ろを振り向いたのです!

そう。彼らは神社の神様に向かって、参拝させて頂いてありがとうと言っていたのです。

顔から火が出る思いとはこのこと。

今まで何度も足を運んだこの神社に、お礼を言ったことなど全くない私。

今までいろんな人をここへ案内しましたが、そのような言葉は耳にしませんでした。

心の中で感謝していた人もいたのでしょうが、そんな発想を持ってなかった私は気付かなかった…

「アハハ、勘違いしちゃった。お恥ずかしい」

「いえ、Mさんにも言ったんですよ。こんな素敵なところに連れてきてもらって」とY君。

「祝島の人たちは海の神様にいつも感謝してるんです。僕らも自然に教えられました」とR君。

「神様、石木ダムができないよう守ってね~」とSさん。

 

いまどきの若者は素敵ですね。 

教えられることばかり・・

 

2時過ぎ、再び座り込みの現場に戻ると、反対同盟の男性3人がまだ頑張っていました。

お昼の残りを勧められて、お腹ペコペコだった私たちは遠慮なくパクつきました。

おにぎりも漬物もゆでたまごも、本当に美味しかった!

みんな4つずつあったのは偶然でしょうか・・

 

住民の方から直接話を聞いた若者たちは、

この信じられないダム建設計画を進める県当局がどうしても理解できない、

せっかくここまで来たのだから、県の人の考えも聞きたいと言うので、

帰りに石木ダム建設事務所に案内しました。

 

アポ無しではたして対応してくれるだろうか…と思ってましたが、

所長さん自らが30分ほど時間を取って下さいました。

(Y君が「水源連」のメンバーなので、窓口の方にその名前を出したのが良かったのか?)

 

所長さんの話は事前説明会のときと全く同じ。

佐世保市民のため(利水)にも、川棚町民のため(治水)にも、川の環境のためにもダムは必要!

の一点張りです。

Y君が「いや~、どうみてもあの石木川で洪水がおきるとは思えないんですが、

洪水防止のためのダムなら川棚川本流のほうが必要じゃないんですか?

また、ダム以外の治水対策もいろいろありますよね~」とつっこむと、

「いや、これまで何度も専門委員会などで議論してもらって、ダムしかないという結論が出てるんです」

 

「でも、その委員会の中には、ダム以外の方法を強く主張された方もおられますよね。

それらは全て無視されたと聞きましたが」と、思わず反論してしまった私。

 

所長さんは私をジロリと睨みつけ、

「中にはいますよ。いろんな方がね。でも大多数はダムしかないということでした」と。

 

それに対する反論も、佐世保の水需要についても、言いたいことは山ほどありましたが、

それを言うと時間はいくらあっても足りない、彼の質問の時間が無くなってしまうので我慢。

所長さんはその後は気持ちよく回答を続け、

職員の方が「もう時間ですよ」と2回も呼びに来られるまで話して下さいました。

 

石木ダム建設事務所を出て、川棚駅で遅い昼食をとって別れたのは5時少し前。

 

これから諫早湾を見に行きます。

今夜は佐世保に戻って、白浜海岸でキャンプして、

明日は九十九島の海でカヤックに乗ります。

 

そう。諫早の海、しっかり見てきてね。

また会いましょう。

 

ちょっと疲れたけど、それ以上に、明日からのパワーを頂いた一日でした。 

 

 

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首相退陣

2010-06-03 | 佐世保・長崎
昨日の夕方スーパーで買い物中、携帯が鳴った。
あわてて出てみると、某新聞社の某記者さん。
鳩山首相の退陣について感想を求められた。

えー!
なんで私に?!
政界のことなんて何も知らないしムリ、ムリ、ムリ!

「いえ、簡単でいいんです。
 鳩山さんの辞任は当然だと思いますか?残るべきだったと思いますか?」

(うーん。難しいなあ。一言では答えられないなぁ…)

確かに普天間移設の問題では公約違反だったと思います。
「最低でも県外」と言ったその言葉を守りましょうと筋を通した福島大臣を罷免して、 
筋を違えた本人が居座るのはおかしいので、そういう意味では辞任は当然だと思います。
でも、鳩山さんが辞めたからと言って次の総理が辺野古案を撤回してくれるとは思えないし、
普天間以外の問題でもまだまだ道半ばのことばかりだし…。
「コンクリートから人へ」という言葉に期待した人たちも多いはず。私もその一人です。
せめてこの点で公約が守れるよう、残って頑張ってほしかったという気持ちもありますねぇ。。

簡単に終わるはずだったのが、
二者択一ができなくて、その気持ちを説明しているうちに長くなってしまった。

他にも、小沢さんの辞任についてどう思うか?
次期総理は誰がいいと思うかなどなど質問された。

そして最後に「名前出してもいいですか?」というので、

それは勘弁して下さい!
(政党や政策について不勉強なので、間違ったこと言ってるかもしれない…)
とお願いして、年齢だけを伝えた。

今朝、我が家の新聞を開くと、(昨日質問を受けた新聞ではない)
1面から始まって、合計8ページにもわたり鳩山首相退陣関連の記事が掲載されていた。

社説では、「稚拙な言動」「実力の無さ」を指摘し、「退陣は当然」と断言。
市民の声としては、「リーダーシップの欠如」「優柔不断」「責任放棄」などの言葉が並び、
識者のコメントに至っては、鳩山さんの退陣表明の内容について、
「ジコチュー(自己中心)」「責任転嫁」「卑怯」とまでこき下ろしていた。


そうか~、そういうふうに受け止める人が多いのか…と思いつつも、なんだか違和感を感じる。

無責任なのは鳩山さんだけだろうか?
政治学の専門家さん、あなたはどうなの?
ジャーナリストの皆さん、あなた方はどうなの?
私たち一般市民はどうなの?

「最低でも県外移設」という言葉に感動し、民主党を支持した私たちだけど、
自分の地元に引き受けるとは誰も言わなかった。
私もそう。
日本中の人がみんな基地はイヤだと言えば、国外にいくかもしれないと思ったから。
沖縄の人たちから見れば、鳩山さんと同じくらい私たちも無責任でジコチューだ。

チェンジを求めて、古い体質の自民党に見切りをつけて、民主党に鞍替えした多くの市民。
昨夏の衆議院選挙では、この長崎でも全選挙区で民主党を選んだ。
だけど、県民は何をチェンジしてほしかったのか・・
無駄な公共事業を廃止して、自然や人々の暮らしを重視しようとする鳩山内閣の新しい政策に
県民自身がついていかなかった。背を向けた。
半年後の県知事選挙では、無駄な石木ダムや新幹線を推進し、諫早湾開門を否定する候補を選んだ。
結局古い体質を引きずり、チェンジできなかったのは私たち自身ではないのか。

5年続けて、首相がくるくる変わる私たちの国、日本。
その異常な現象は、よりよい社会を目指して新しい指導者、新しい内閣を求める国民感情が為せる業か。
けれど、選んだら、あとはその人にお任せ。その内閣にお任せ。
上手くいかなかったら、批判し、罵声を浴びせ、引きずりおろす。
そして、また新しい誰かに託す・・・
その繰り返しでは、あまりにも愚かで悲しい。

そろそろ私たち自身が変わらねば・・



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