佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

その男 らんぼう?

2010-02-26 | さよなら原発
山口県上関原発建設予定地で、虹のカヤック隊として奮闘している「らん★ぼう」さんが佐世保に来ます。
すんごい熱い男との噂です。是非彼の話を聴きに行きませんか?

と、お誘いメールをもらいました。

プロフィールを見ると、

 北海道札幌出身。現在山口県在住。
 あーすガイド代表
 上関原発を考える若い衆(わかいし)の会 共同代表。
 2005年、世界一周を経験。
 現在はスタディーロードという体験学習ツアーを山口やケニアで主催。

とのこと。
ふむふむ、確かにすんごい行動力。
興味津津。
合唱練習をさぼって聞きに行くことにしました。


茶話会会場となったS君の家はバスも通っていない郊外にあり、
運転できない私は仲間の車に拾ってもらうことに・・・

佐世保駅近くから3台の車で向かったのですが、たまたま私が乗せてもらった車に、
「らんぼう君」も乗っていました。

全く気取りのない、ごく普通の若者で、
知りたがり屋の私の質問に、何でも気軽に答えてくれて、熱心に語ってくれます。
そのうちに、「あ、これはみんな今日しゃべることだったんだぁ・・」と。

それは申し訳ない。私も感動が半減するといけないし・・と会話を中断。
それを待ってましたとばかりに前の助手席から二人のチビッコたちが後部座席に乗り込んできました。
彼女たちは5歳と3歳の姉妹。
運転してるYさんの子どもたち。
すっかりらんぼう君になついてる様子で、まとわりついてはしゃぎます。
それはそれは楽しそうにゲラゲラ笑って、妹のふたばちゃんは苦しそうなくらい笑い転げている。

子どもの感は鋭いから、子どもに好かれる人に悪い人はいない。
彼は「乱暴」者には程遠い人物と見た。
では、なぜ「らんぼう」という名に?

訊きたいのをがまんして、後で話してくれるのを待つことにしました。

さて、会場では、3本のDVDを見せてくれながら、らんぼう君はいろんなことを語ってくれました。

そのうちの1本は、今彼が住んでいる祝島の映像です。
瀬戸内海に浮かぶハート型をした小さな島、祝島。
島民が一丸となって原発建設反対運動を続けている島、祝島。
人工わずか500人で、そのほとんどが漁業に従事している。
主な農産品は枇杷。とても甘くて美味しいそうだ。

棚田がすごいと言う。
長崎の棚田もすごいよ、絶景だよ、と思っていたら、
こちらは高さがすごかった。

一段の石垣が5~6mという!
確かに写真を見ると、人の3倍は十分ある。
「この石垣は親子3代で造ったそうです」との解説に、感動も3倍!

また、島に1軒薬屋さんがあって、らんぼう君が風邪薬を買いに行った時のこと、
薬屋のご主人は「その程度の風邪ならこれを飲んでおきなさい」と、
自分の私物の薬を出してきて彼に渡したそうです。
もちろん、お代は無しで。

彼はこの島の自然にも人にもゾッコンで、その思いは言葉の端々にあふれていました。

1982年以来27年間にわたって原発反対運動を続けている島民の心意気、
(なんと石木ダム建設絶対反対同盟と年月も不変の意志も同じ!)
それに感動した彼は、島の漁民と共に、カヤック隊の一員として闘い続けています。

その映像の一部分。
工事の着工を許すまいと台船の上で頑張るおばあちゃんたち。
「お願いします。帰ってください」
「お願いします。どいてください」
と、頭を下げ合っているおばあちゃんと中国電力職員。
「どうしても始めるというのなら、私を海に沈めてからにしてください」と再び頭を下げるおばあちゃん。

涙が出そうになる。

こういう会話が繰り返され、最後に中電の職員があきらめて去っていく。
おばあちゃんの粘り勝ち!

感動も頂点に・・というところで、
カメラはその隣の船の男に移動。
この命をかけたやり取りをしてる隣では、なんと島の男がのんきに魚の1本釣りを楽しんでいた!
見事釣り上げたりっぱな魚を掲げて見せて、にっこり笑顔。

なんとも好いオチではないか!

島では、毎月曜日の夜、女性たちがデモをするんだそうです。
原発賛成派と反対派の割合は1:9で、反対派がほとんどのこの島で、なんでデモの必要があるのか不思議ですが…

らんぼう君いわく。
こんなこと言っちゃあ悪いかもしれないけれど、みんなどこか楽しんでいるみたいな感じ。

上関原発計画に係る10億円以上の漁業補償金の受け取りを拒否し続けている祝島の漁民たち。
いくらお金を積まれても、心はぶれない。
宝の海を守ることでしか自分たちは幸せに生きていけない、ということをトコトン知っているから。
そのための海上デモや夜のデモ行進、抗議の座り込みなど、それを隣人たちと団結して続けることに、
堅い絆を感じ、満たされ、身体的労苦も凌ぐ心の余裕が生まれるのかもしれない。


彼が初めて祝島を訪れたのは2006年の3月とのことなので、まだ4年ほど。
彼はカヤック隊の一員として、島の漁民と一丸となって海上での阻止行動を続けているが、
春と秋には京都で人力車を引くアルバイトをしている。
やはり生きていくためにも活動するためにも、ある程度はお金も必要だし…ね。

また、祝島の実情を伝えるために、このような講演?活動をしたり、
体験学習型ツアー(スタディロード)を企画したり、
アースガイドと称して、ケニアを案内したりするのだそうです。

ケニア?なぜケニア?
と誰もが思いますよね。

そこから彼の熱い話はますます熱くなるのです。

そもそも彼のこのような生き方は、ある人の影響を受けたからという。

昔は野球少年、野球一筋だったようで、
何歳の時かは聞きそびれましたが、靭帯を切って野球ができなくなって、
これから自分は何をすべきなのか、何ができるのかわからなくなって・・

そのとき、世界を見てみたいと思い立ち、ピースボートに乗り込んだのが運の尽き、
ではなく運命の女神がほほ笑んだのですね~

彼はその船旅でナナオさんという女性に出会い、ものすごく影響を受け、
彼女から、ケニアという国のこと、ケニアのスラム街のこと、
そこに学校を作りスラムの子どもたちを教えている早川千秋さんのこと等々を教えてもらう。

早川さんを日本のマザー・テレサと尊敬するナナオさんはケニアまで早川さんに会いに行き、
そこで見たことを伝えようとドキュメンタリー映画を作成、
そのDVDを多くの人に見てもらいたい、事実を知ってもらいたいと活動している矢先に、
突然亡くなったという。

そのショックはらんぼうさんをどんなに打ちのめしただろう…
が、彼はナナオさんの意思を受け継ぐことで新たな人生をつかんだようです。

彼女が作成したDVDを彼女に代わって多くの人に広めているうちに、
いろんな人との出会いがあったのでしょう。
彼女が伝えたかったことを伝えるために、ケニアへのツアーを企画、自らガイドをして
早川さんに会いに行く。
その早川さんを祝島に招き、祝島の素晴らしさを再認識する。
そこで祝島でもスタディツアーを企画、若者たちに呼びかける…

彼の行動範囲はどんどん広がり、仲間もどんどんふえている。

最後に彼はこう言いました。

僕がこれからやりたいことは、分断されているものを繋いでいくこと。
地域と地域、人と人、課題と課題。

原発推進派と反対派の壁はもうぜったい修復できないと言うけれど、
話していけば、きっとわかりあえる日が来るはず。
そう信じてやっていきたい…と。


頑張れ、らんぼう君。 
応援してます。


帰宅して思い出しました。
「らんぼう」…その由来は? と訊くことを。

「佐世保にはまた来ます」と言ってたから、それまでお預けとしよう。。
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長崎県知事選結果

2010-02-22 | 佐世保・長崎
昨日の長崎県知事選挙は自民党の圧勝に終わった。
民主党推薦の候補者に94,000票の差をつけ、316,603票獲得した。
それは、投票総数の45%に上る数字である。

選挙戦が始まってからほぼずっと自民優勢の声は聞こえてきていたが、
まさかこれほどの大差がつくとは思わなかった。

投票率、60.08%。前回より8ポイントもアップ。
昨年夏の衆院選では、県内すべての選挙区で民主党が議席を取っている。
競り合ったとしても結果的には民主党推薦の橋本氏が勝つだろう、
よもや大差で負けるなんて想定外の結果だった…

その原因は、民主党の中枢人物の「政治と金」の問題が逆風となったのだと、どの新聞も分析している。
昨夏の追い風は止んで、逆風に見舞われた。
有権者は民主党にお灸を据えた。
などと書かれている。

県民にとって知事選とはそんなに軽いものなのだろうか。
その時々の風に乗って、貴重な一票はあっちになびきこっちになびきするものなの?
自分たちが暮らしている県という自治体の政策を4年間任せる相手を選ぶのに…風まかせ?

お灸を据えた結果は、4年間いやひょっとしたらそれ以上、自分にふりかかってくるということを忘れてる?

私は中村氏個人を批判するつもりは毛頭ない。
ただ、彼は元副知事として、金子県政を共に担ってきた人物。
貧しい長崎県が今後さらに借金を背負うことになるであろう大型公共事業を推進してきた人。
候補者アンケートを見ても、石木ダムや新幹線を推進しようとし、
諫早湾干拓事業排水門開門調査には反対の政策を明言している人。

今年初めの長崎新聞県民アンケートの結果では、わからないという答えがかなり多いが、
それでも大型公共工事には反対という県民の意向ははっきり見て取れた。

その結果を信じるならば、中村氏を選択するはずがない。
民主党のどなたかに会計帳簿上の問題があったにせよ、
私たちの知事を選ぶことの判断基準としては、それはさして重要問題ではない。
各候補者の政策が何よりも優先されるはず、そう思っていた。

その思い込みは見事はずれてしまった…


それにしても、川原の人々は、私なんかよりはるかに失意の底にいるのではないだろうか。
何しろこの結果は、ダム建設反対地権者にとっては最悪の結果。

でも、結果は書き換えられない。
現実は受け止めるしかない。

この現実の中でできることを、また新たに考えていかなくてはならない。。

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団結小屋の主たち

2010-02-20 | 石木ダム
17日、初めて団結小屋の中にお邪魔しました。



何度もこの前を通りましたが、そのほとんどは午後からで、誰もいない時間帯でした。
一度だけ窓越しにお話をしてお茶をいただいたときもありましたが。

この日は、ダム問題について研究している東京のYさん(東大大学院生)が石木ダム現地を訪れるので、
是非ご一緒に…とのお誘いを受け、喜んで参加させてもらいました。

Yさんはすでに県職員の話、絶対反対同盟の話、地元住民の話を二日間にわたって聞き取りし、
この日最終日は団結小屋に集う人々とじっくりお話したいと思われたのでしょう。

私は皆さんより少し遅れて、川棚駅からタクシーに乗って団結小屋に向かいました。
運転手さんに「石木ダム絶対反対同盟の団結小屋ってわかります?」と尋ねると、

「ああ、あの掘っ建て小屋ですね。今日はなんかあるとですか?」と言う。

「いいえ、そこにいつも集まってる方のお話を聞くだけです」

「へぇー、そうですか…」

「新政権になってからダム問題がいろいろ話題になってますが、川棚の皆さんも関心お有りでしょうね」
と水を向けてみました。

「いや、ダムについてはいっさい何も話されんとです。地元には賛成派も反対派もいますけんね。
遠くから来られた人やったっちゃ、どこからどう伝わるかわかりませんからね」

「なるほど、そうでしょうね。でも、ダム建設は皆さんの税金が使われるわけだし、
ダムができることによって洪水が防げるのか、逆に被害が大きくなるという人もいますし、
自分たちの問題として身近な人たちとは話していらっしゃるんでしょう?」

「いやー、私らはそんな難しいことはわかりませんから」と言われて、この話は打ち切ったのですが、
しばらくして向こうから話しかけてこられました。

「県のやり方がまずかったとですよ。機動隊ば入れたりして。
そいで地元の人たちはヘソば曲げてしもうたとですよ」

ふ~ん、この方は反対地権者に対して少々批判的な見方をしてるような…。
もしかしたら推進派?と勘ぐっていたら、

「ほら、そこに大きな家が何軒か見えるでしょう?
あれが、立ち退きした人たちの家ですたい。りっぱかでしょう?ダム御殿ですよ」

あれ~、ダム受け入れ地権者にも好意的ではない?
単なる傍観者なのか???

そんなことを考えているうちに目的地に到着。


中に入ると、団結小屋の主たち(川原の元気なお婆ちゃん達)と、
Y君と、長崎のTさんの笑顔が待っていました。

Y君に初めましてのご挨拶をしていると、さっそく私の前にも手作りのおはぎとお茶が出されました。
「僕はもう3個目ですよ」というY君の言葉に安心して、遠慮なく頂くことに。

みかんやお菓子もいっぱいあって、
途中で珍しい芋まんじゅう?(サツマイモを蒸かして潰して揚げたもの)の差し入れも頂いて、
その上お昼もしっかり食べて…、
何をしに行ったのか?食べに行ったのではないかと思うくらい、食べ続けでした。

そして、お婆ちゃんたちもよく食べる!
よく食べ、よくお茶を飲み、よく語り、よく笑う。
とっても仲がいい。
「姉妹みたいなもんですたい。13世帯はみんな兄弟姉妹ですたい。
そうやなかったら団結は続きまっせん」

彼女たちも、かつては鉢巻きを締め、抗議の座り込みをし、シュプレヒコールをあげたのだろうが、
今はこの小屋で共に楽しい時間を過ごすことで団結を深め、
彼女たちの団結が息子や嫁や孫たちにも波及しているのではないだろうか。

朝、お弁当を持ってここへ集い、お茶を飲んでおしゃべりしてお弁当を食べて、1時過ぎに帰宅。

午後からは、それぞれの畑で野菜を作ることが彼女たちの「お仕事」。

孫やひ孫にまで囲まれて過ごし、家族のために美味しい野菜を作るという仕事を託され、
日々顔を合わせ笑いあう友がいて、山があって川があって…
ここを離れたくないという気持ちがよくわかる。

皆さんのお話をいろいろ聞きたくてやってきたのに、逆に、質問責めにされる一幕も。
「生まれはどこ?」「なんで佐世保にきなさったと?」「こどもさんは?」等々。
夫が佐世保の出身で、彼の希望でリタイア後の生活の場所として引っ越してきたことを伝えると、

「そうですかー。私たちと同じやね。やっぱり故郷はよかもんね。生まれ育ったところが一番ですたい」

「佐世保に来てくんしゃったおかげで石木ダムに関わらしてねぇ。ほんに有難かですよ~」
「東京のように遠いとこから学生さんも来られて、皆さんが関心持ってくれらして、感謝しとります」
「私ら13世帯だけじゃ何もできまっせん。地元の議員さんなんかも寄り付かっさんですもんね」

などの言葉を聞いて、嬉しかった。
長い長い間、外部との接触を絶って、「見ざる、言わざる、聞かざる」を合言葉に、
13世帯の団結を堅く守ってこられた皆さんにとって、
一年ほど前からの私たち佐世保市民有志の行動がどう映っているのだろう?
若い世代や中年の方々とは会合等で話し合っているけれど、そのご両親の世代になるとどうなんだろう?
はたして受け入れてもらっているのだろうか…と少し不安を抱いていたからです。

そんな不安も解消して、ますますリラックス。
小さな電気炬燵に皆で足をつっこんで、テレビでオリンピック中継を見たりした。

男子フィギュアスケートをやっていた。
日本選手が登場するとみんなおしゃべりを止めて見入る。
誰誰が調子いいとか、今のジャンプは高かったとか、けっこう情報通の方もいる。
しかし、感心したのは、どなたも、どこの選手に対しても声援を送ること。

この人は上手ねー

うん、上手やねー

この人はきれいかねー

うん、そうやねー

ああ!ころんでしもうて、惜しかったねー

うん、もったいなかったねー、

あらー、だいぶ点数の落ちたごたるねー、

かわいそかったねー、

ばってん、おかげで、高橋と織田が2位と3位に残っとるとよ

ああ、そうやね、それはよかったね


そう言いながら、また次の他国の選手が登場すると、その選手に声援を送るのです。
そのフェアな観戦にとても温かいものを感じました。

もしかしたら、川原の美しい豊かな自然が育てた感性なのだろうか…
というのは考え過ぎ?


1時半頃、みんなで団結小屋を出ました。




お婆ちゃんたちが見えなくなるまで見送って、私たちは川原公民館に立ち寄ったあと、
岩屋神社に向かいました。



この小さな岩穴を這って入り、中で手を合わせていたY君、どんなことを祈っていたのでしょうか。。

またいつか川原を訪れてくださいね。
団結小屋の主たちも楽しみに待っていることでしょう。



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ラジオ生放送

2010-02-19 | 佐世保・長崎
昨日、ラジオの生番組に出演しました。

昨年12月には、私たちが企画していたシンポジウムについて、
ほんの5,6分、地元のFM放送局の番組に出演し、宣伝告知させてもらいましたが、
今回はNBCラジオという、長崎県内ではたいへんポピュラーなラジオ局の方が、
あちらから声をかけて下さって…

発端はこのブログのおかげ!

歌声喫茶について書いていた以前の記事がスタッフのお目にとまり、出演依頼があったのです。

「うたごえ」ってどういうもの?
歌声喫茶ってどういうもの?
どんな歌を歌っているの?
と、若い方が関心を持って下さったのでしょう。

しかし、急に言われても、平日の昼間、仲間が集まれるわけはありません。
仲間の多くはお仕事中。
普段は仕事をしてないサークル代表のSさんも、
昨日は、選挙カーに乗って、ウグイスおばさんをやってる真っ最中。
遠くに旅行中の仲間もいます。
時間が取れそうなのは、人形劇団をやっているKさんと私の二人だけ。

二人しかいないので無理ですといったんは断ったのですが、どうしてもと頼まれ、
結局我が家で、二人だけで出演することになりました。

本番1時間前、Kさんがギターを抱えてやってきました。

スタッフの方の話では、歌声喫茶についての話を聞いた後で、
「青春の思い出の1曲」を歌ってほしいとの注文です。

しかし、Kさんはふだんボーカルをやってるので、弾ける曲はたった3曲しかありません。
その中の一つ、Kさんも私も昔よく歌った「若者たち」を選び、スタッフの方と一緒に歌うことにしました。

本番中はやはりあがってしまい、何を訊かれ何と答えたのか記憶も定かではありません。

どうもこういうのは苦手です。

やはり、歌声喫茶開催中に是非取材に来てほしいな~  
そして、高齢者も生き生きと歌っている声を、電波に乗せてほしいな~
とつくづく思いました。
            



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消えた水源を探して

2010-02-15 | 石木ダム

13日土曜日午後、KさんとYさんに誘われて、下の原貯水池に出かけました。

翌日の勉強会に備えて、やはり現場を見ておくべきだろう…というのは建前で、
水道局がその存在を否定する「下の原取水場」を探してみたいというのが本音でした。





正面に見える灰色の壁が「下の原ダム」のコンクリート堤です。
目の前の川が小森川。
予想以上の流量です。
橋の向こうはぐっと水嵩も多そうです。



近づいてみました。
やっぱり。水は満々と漲っていました。
大喜びのKさんは、「ここで泳ぎた~い!」と、寒さも忘れて叫んでいました。

小森川はこの先ほぼ90度の角度で右に湾曲し、
権常寺町を右手に見ながら下流に流れ、早岐瀬戸に出ます。

いわゆる安定水源「権常寺取水場」(現在の呼び名は「小森川取水場」)がこの辺りに有るはず。

それはすぐ見つかりました。
ダム堤の前に見える白い建物がポンプ棟ですが、そのすぐ近くに取水口らしいものがありました。

おそらく、そこからポンプアップして、小森川の水をいったん貯水池に入れ、
そこから広田浄水場へ送っているのでしょう。

この水量から見て、2100m3/日などということは有り得ないだろう、
もっとずっと多いはず・・・とは3人の一致した感想でした。

しかし、私たちは、ここが消えた水源「下の原取水場」ではないと思ってました。
なぜなら、水道局の「ダム管理規定」の中の「水利使用規則」の中に、
「取水口の位置」という資料を見ていたからです。

「下の原取水場」には3つの取水口があり、
A.本取水口、B.注水用取水口、C.集水用取水口と言い、
それぞれの所在地も取水量も異なっています。

住所から見て、AとCはダムのすぐそばです。
Aは貯水池本体からの取水量と一致します。

ということは、Aは、下の原貯水池から広田浄水場へ送る取水口で、
Cは、ダムのそばを流れる小森川から集水してポンプアップして貯水池に送る取水口と考えられます。

残るBは、ダムからかなり離れた吉福町にあります。
消えた取水場「下の原取水場」は、その吉福にあるのでは?と考えたのです。

そのとき、「下の原ダム」の案内板をカメラに収めていた私たちは「あー!」と声をあげました。



なんと、案内板の写真にはっきり明示されていたではありませんか!
「小森川上流(吉福)からの導水」と。

まちがいない!
吉福へ、いざ、出発!


住所と地図を頼りに、目星をつけて車から降りて少し歩くと、
橋のそばを走る導水管を発見!



かなり太いです。
これが下の原貯水池に送られる水の通り道に違いないでしょう。

ということは、この近くに取水場があるはず・・・。

しかし、なかなか見つかりません。
手分けをして、川の上流や下流を行ったり来たり・・。

堰は見つかるのですが、取水場らしき設備は見当たりません。
川のそばに灰色っぽい建物を発見すると期待して小走りになりますが、
公民館だったり、廃屋だったり・・

小森川の土手をうろつく中年男女三人組、きっと不審者みたいに見えたでしょうね。
しかし、当人たちは、「ぼ、ぼ、ぼくらは中年探偵団♪」と口ずさんだりしながら、
見つかると信じて歩きまわりました。

そして、ついに発見!!!



フェンスに囲まれた施設。
中には人工溜め池らしきものが見えます。







設備そのものはわりと新しく、今現在使われていることは間違いないようです。
このすぐ近くに取水口もあるはず。




ありました。
川のそばの小さなフェンスに近づいて下を見ると、
川の水がどんどん吸い込まれているのがはっきり確認できました。

これらの施設は、正式には「吉福導水施設」というものでした。
帰宅後、手持ちの資料を再びひも解いてわかったのです。

「吉福導水施設フロー」の図があり、
吉福取水口→吉福沈砂池→導水管→下の原ダム注水口(着水井)
と書かれていました。

私たちは数字にも騙されやすいのですが、言葉にも騙されます。

この写真に写っている取水口から、仮に毎日1万トンの水を取ることができたとして、
その施設を「取水場」と呼べば、その1万トンは水源のように感じるし、
「導水施設」と呼べば、それはただ1万トンの水を運ぶだけの設備のように感じます。

少なくともかつては、つまり平成18年までは、ここを「下の原取水場」と呼び、
不安定ながらも水源としてみなしていたのではないか、
しかし、その取水量15,000m3が存在すれば、ダム建設の邪魔になる、

19年度の再評価委員会に出した資料で、将来の水需要予測は117,000m3となっており、
18年度までの水源総量は、120,500m3で、「な~んだ、ほぼ足りてるじゃん」となりかねない。
安定水源と不安定水源の違いを重視しない市民にはダム建設の説得力に欠けるだろう。
そこで、15,000m3を消して、すべての水源量は105,500m3ですよ。
足りないでしょう?
しかも、そのうち安定水源は、たったの77,000m3ですよ。
心配ですねー、不安ですねー、ダムが早くできるといいですねー、
と誘導したのではないでしょうか?

私たちはそのように思えてなりません。

でも、もちろん、仮説です。

これから専門家のご意見を聞いたり、
情報公開請求でさらなる資料を集めて勉強していかなければ…と思っています。

なにしろ、私たちド素人にはチンプンカンプンの世界です。
資料を半日見ていると、頭がフラフラしそうです~ 

でも、あせらず、じっくり考えていきたいと思います。   

 

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消えた水源

2010-02-09 | 石木ダム
「石木川まもり隊」のHPをご覧になっている方はすでにご存じだと思いますが、
私たちは今、佐世保市の「消えた水源」をめぐって調査中です。

たまたま仲間のKさんが発見したのですが、
平成7年11月に作成された佐世保市水道白書には、
安定水源が82,500m3、不安定水源が34,400m3、合計116,900m3と書かれていました。

私たちが何度も聞かされてすっかり頭にこびり付いてしまった数字は、
安定水源77,000m3、不安定水源28,500m3、合計105,500m3というもので、
それは平成11年度の再評価委員会の資料以降、ずっと同じでした。

いったい、いつからその数字は変わったのか?
安定水源のマイナス5,500m3、不安定水源のマイナス5,900m3、合計11,400m3の水源は、
いつ消えてしまったのか?
なぜ消えてしまったのか?


2つのデータの違いを見てみると、いくつもの不審な点が・・・

1.平成7年度には安定水源とされていた「三本木」と「岡本」の2つの取水場が、
  11年度には不安定水源に変更されている

2.平成7年には存在した「佐々」「下の原」の2つの取水場と、
 「下の原」「矢峰」「柚木」の3つのさく井が消えている

3.嵩上げによって下の原ダムの取水能力は増えたのに、
  全部のダムの取水能力の総量は増えていない

他にも疑問はふつふつとわいてきます。
これはもう直接水道局の職員さんに教えて頂くしかないでしょう!
ということで、8日午後、4人で水道局を訪ねました。

いつも親切な水道局の方々は、Kさんが事前にお願いしていたので、快く説明に応じて下さいました。
あちらも4人!

そして、その説明をお聞きすると・・・

1.当時の取水実績からそうなったようだ。
  つまりだんだん川の流量が減り安定的に取水できなくなってきたということ。

  ★どういう具合に減っていったのか訊くと、当時のデータはもう残っていないから
   具体的にはわからないとのこと。

2.「矢峰」と「柚木」のさく井がなくなったのはいわゆる水枯れで、あまり水が出なくなったから。
  「下の原」のさく井はホウ素が基準値の何倍も出て水質の関係で使えなくなった。
  「佐々」と「下の原」の2つの取水場は、単なる記載ミス。
 
  ★ここで、「えー!?」と私たちはいっせいに声を発してしまいました。
   水道白書ですよ。白書にそんな大きな記載ミスをするんですか?

  皆さんが納得できないのはごもっとも。でも、ミスなんです。
  佐々取水場の水は菰田貯水池に送られ、
  下の原取水場の水は下の原貯水池に入れるので、別個にカウントしてはいけなかったんです、と。

3.下の原ダムの嵩上げで増えた3,000m3は、他のダムの集水能力の減少分を補うための
  対策だった。だから総量は変わらないとのこと。


いずれも半信半疑と言いたくなるような説明でしたが、
記載ミスというのは、特にイタダケナイ。

井戸水の水枯れや河川水の流量低下などの説明は予想してましたが、
いやしくも「水道白書」に記載された数字が「ミス」だったなんて・・。
それが本当だとしたら、(少なくとも過去の)水道局のデータがいかにいいかげんなものか…、
もし本当でなかったら、さらに信用できなくなるし…。

以前、市立図書館で「水道白書」というタイトルの印刷物を見たような記憶があって、
水道局の帰りによってみましたが、あいにく休館日でした。
どうしても気になって、今日再び立ち寄ってみました。

大収穫!
問題の水道白書は、やはり市立図書館にありましたが、
昨日水道局で見た平成7年に作成されたものだけ。
他の年のものはありません。
職員の方に訊いても、図書館にないだけなのか、
そもそもこの年しか水道白書は作られなかったのか不明でした。

ところが、「水道・下水道事業統計年報」(平成11年度版)というのが目につきパラパラとめくってみると、
「佐世保市水道 水源別系統図」というのがあって、
ここにも「下の原取水場」ははっきり記載されています。

7年に作成された水道白書だけでなく、11年に書かれた統計年報にも記載ミスですか?
それはどう考えても不自然です。

これはもう本気で調べたくなりました。
そして、やっと見つけたのが、「市政概要」という毎年編纂されている統計資料です。

この中の「水道局」の項目に、安定水源と不安定水源に関するデータが毎年記載されています。

問題の平成7年~21年までの15年間を調べてみました。
その結果わかったのは…

☆記載ミスと言っていた「下の原取水場」は平成9年から18年までの10年間、
 毎年しっかり記載されていました。

☆徐々に水枯れ状態で使えなくなったと説明された「矢峰さく井」と「柚木さく井」の
 2つの井戸については、
 どちらも平成7年から9年にかけて増えているのに、柚木は10年に、矢峰は11年に
 忽然と姿を消していました。

WHY?

消えた水源の謎を追って、私たちはこれからも調査を続けま~す。

新たな事実がわかりましたら、また報告いたします。
その時をお楽しみに… 
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こうばるのうた

2010-02-08 | 佐世保・長崎

前回の記事に嬉しいコメントを頂きました。
ブーフーウーさん、ありがとう!

また、遠くの「うたとも」からもメールできかれました。
『こうばるのうた』って、どんな歌?って。

こんな歌です。



アハ・・全然見えませんよね。

とりあえずここでは、歌詞だけ紹介させて頂きます。


     川原(こうばる)のうた 

   1.
春は黄色の 帯のよう
     石木川に寄り添って
     水辺の菜の花どこまでも どこまでも
 
  
2.初夏は日暮れて 帰り道
     石木川のほとりでは
    ふわふわホタルが飛んでます 飛んでます

        ここは こうばる ホタルの里
        自然を守る人が住む


  3秋は黄金の 段々畑
      石木川に吹く風が
    野辺のコスモス揺らします 揺らします
 
  
4.冬は風花 舞い落ちる
    石木川のふるさとは
    気高くそびえる虚空蔵山 虚空蔵山

        ここは こうばる ホタルの里
        ふるさと愛する人が住む


             

 

 

      

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待ちくたびれた?歌声喫茶

2010-02-06 | 佐世保・長崎
昨年5月以来ですから、8ヶ月ぶりくらいでしょうか?
ほんとに久々の歌声喫茶でした。
常連さんの中には「いつやるの?待ちくたびれたよー」という声もちらほらでした。

今回は奄美の島唄歌手・藤あけみさんをお招きするので、
なんとしても50人はきてもらわなくっちゃ赤字だぁ~!ということで、
電話やメールでの呼び込みにも熱が入りました。

実際には59人ものお客様に来ていただいて…私たちはホッとするやら嬉しいやら。



こちらが、藤あけみさんです!
容姿も歌声も、とても素敵な方!
透明感のある、それでいて優しい柔らかな歌声です。
話す時はぐっと低い声になり、話し方も全く気取らない普通のおしゃべりです。

歌ってるうちに、子どもの姿を見つけたあけみさんは、
予定していた曲を一つ削り、子供向けの曲を急きょ歌い始めました。
と言っても、その子も大人も誰も知らない歌です。
全く何の準備も無しですから、伴奏の良太郎君とも息が合いません。
それどころか、あけみさん自身、歌詞も忘れ、何度もやり直し。
私たちはハラハラしながら見守っていましたが、
彼女が諦めることなくとうとう最後まで歌い終わったときには大拍手!
本当に自然体の歌手、藤あけみの真髄を見た思いです。



ベースを弾いているのが息子さんの良太郎君。
彼も東京で音楽活動をやっていますが、こうやって時々お母さんと共演なさるようです。
幸せなあけみさんですね。




三線を弾くあけみさんの横でうたっているのは奄美出身の方。
わずか60数名の会場の人々の中に、たまたま2名の奄美出身の方がいて、前に出てもらいました。
若い女性の方は私の知人。彼女が島唄を好きだってことは知ってたので誘いました。
中高年者ばかりの集まりにきてくれるかな…?と躊躇しつつ。
でも、彼女はこのひとときを心から楽しんで、
帰るとき「また誘ってくださいね!」と本気の顔で言ってくれました。

第1部が終わると、喫茶タイム。
いつも裏方を引き受けてくれるTさんやMさんが、今回も美味しいコーヒーを入れてくれました。
「お代りいいですか…」と、申し訳なさそうにコップを差し出す人が何人も…。
用意したお菓子(チョコレート、クッキー、キャンディー)だけでなく、
あけみさんのお土産、奄美の豆菓子や、
お客様のお土産、手作りのザボン漬なども大好評、みるみるうちにお菓子籠の中は減っていきました。


耳だけでなくお腹も満足したところで、第2部がスタート。
「ドレミの歌」から始まって、「手のひらを太陽に」「あなたが夜明けを告げるこどもたち」
「白いブランコ」「花」等々、皆さん待ってましたとばかりに、ほんとに楽しそうに歌ってらして、
やってよかったな~と、司会のSさんと顔を見合わせ頷き合いました。

「芭蕉布」の歌の時には、『うちなー讃歌』と、外間喜明さんのことを少しだけ話させてもらいました。
途中からシーンとなってしまって、ちょっと悲しい雰囲気にしてしまったかな?と心配しましたが、
佐世保合唱団の大先輩のTさんも出てきて、マイクの前で歌って盛り上げて下さいました。

そして、いよいよ「こうばるのうた」の紹介です。
「川原=こうばる」の地名を知らない人いますか~、と訊くと意外にもたくさんの手が挙がってびっくり。
そうか…、これが現実か…、と思いつつ気を取り直し、いえ、尚更張り切って、
川原の美しい自然について語らせてもらいました。
そして、そこにダムができたら、みんな水の底に沈んでしまうってことも。

そして歌の紹介。サビの部分の旋律を皆さんにも覚えてもらえるよう少し練習し、
その後、1番から4番まで皆さんと一緒に全体を通して歌いました。

歌い終わって、あらためて川原から来て下さった10人の皆さんをご紹介し、
皆さんを代表してIさんに挨拶してもらったのですが、
佐世保のお客さんたちは大きな拍手で温かい声援を送って下さいました。
本当に嬉しかったです。

また、ゲストの藤あけみさんも、最後の挨拶の時、
「いま、大事なものがどんどん失われていってます。
大切な故郷の自然をぜひ頑張って守りぬいてください。 応援しています」
とおっしゃってくださいました。

ラストはあけみさんの一声で、カチャーシータイム!
カチャーシーとは、沖縄民謡の演奏に合わせて、両手を頭上に掲げて左右に振り、
足も踏み鳴らす踊りのこと。
手の振り方?いい加減でいいんです、楽しけりゃ何でもいい、とあけみさん。

その通り。踊りだすと皆笑顔。





すべて後片付けも終わってお別れする時に、
『うちなー讃歌』をあけみさんにプレゼントしました。
そうしたらとても喜んで下さって、「こうばるのうた」の楽譜も欲しいとおっしゃって…
もちろん喜んでさしあげました。

どこかの町で、石木ダムの話をしながら歌ってくれたら嬉しいナーと思いつつ。。
コメント (2)
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石木ダム付け替え道路着工延期の申し入れ

2010-02-04 | 石木ダム
2月1日午後、石木ダム建設予定地の住民の方々と共に、石木ダム事務所を訪れ、
付け替え道路建設工事の中止を求める申し入れを行いました。

詳しいことは、「石木川まもり隊」のホームページや、2月2日の長崎新聞に出ています。

私は石木ダム建設に反対している者として当然工事の着工には反対ですが、
それ以前に一県民、一市民として、ダムの賛否とは別の次元で県の説明を聞きたくて参加しました。

なぜ今年度中に、つまり3月末までに着工すると決めたのか、
それを撤回できないなら、その理由は何なのか、それが知りたかったのです。

付け替え道路とは、ダムができれば、今使用している道路が水の底に沈み使えなくなるので、
代わりに新たな道路を建設して、通行できるようにするわけです。
つまり、ダムができた場合には必要だけれど、できなければ無用なものです。

今回の付け替え道路の費用は約2億円ですが、それがムダになるかもしれないのです。

石木ダムは昨年末、国交省による見直し対象のダムの一つになりました。
今年夏までに有識者会議が策定する新たな基準に沿って、本当に必要なダムかどうか検証しなさい、
と言われているダムです。

その見直しの結果、石木ダムは不必要と判断されれば、ダム建設は中止となり、付け替え道路も不要となります。

また、夏まで待たずとも、来月の県知事選挙の結果でも、その可能性は大いにあります。
7人の候補者中、石木ダム建設推進を明言しているのは一人だけ。
明確な反対も一人だけですが、他の候補者は、建設自体はあいまいな発言ながら、
強制収用はしない、話し合いで決めると言っています。

この発言を信用すれば、地元住民の反対が続く限りダムはできない、ということになります。

そのことを何度も問いました。

知事選の結果、ダム建設は白紙撤回されるかもしれないじゃないですか。
有識者会議による新たな評価基準に沿って検証した結果、ダム以外の方向へ転換するかもしれないじゃないですか。
現在申請中の事業認定が、もしかしたら認定されないかもしれないじゃないですか。

この中のいずれかが現実となった場合、ダムはできないんでしょう?
ダムができなかったら、付け替え道路はムダになるんでしょう?
ムダになった道路建設費は誰が払うんですか?
私たち県民市民でしょう?
私たちの税金でしょう?

そんな無駄遣いは止めて下さい。

ダム建設が確実になってから道路工事を始めればいいではないですか。
ダム計画が持ち上がってここにくるまで40年間かかったのでしょう?
あと半年ほど、なぜ待てないのですか?
なぜ、不確実な状況の段階で着工しなければならないのですか?

最後まで、明確な説明はありませんでした。

ただ、「我々は計画に沿って粛々と進めていくだけです」と繰り返すばかり。

そして、「仮定の話には応じられない。ダムが中止になったらなどと私たちは考えていない」と言いながら、
「新しい知事もきっとダムの必要性は理解されるだろう」とおっしゃるのです。

つまり、「ダムが中止になったら」という仮定の話は考えたくないが、
「新知事もダム賛成だろう」「事業認定申請は認定されるだろう」
「見直し基準が出されても石木ダムはその基準に縛られることはないだろう」
といった仮定の話は受け入れ、それに基づいて仕事をなさっているんですね。

ずいぶん都合のいい話のような気がしますが…。

付け替え道路工事費約2億円の負担割合は、
県が約6500万円、佐世保市が約4670万円の負担、
治水分として国土交通省が約6500万円、利水分として厚生労働省が約2330万円となっています。

平行線のまま終わった話し合いのあと、参加者たちの感想は、
「政権は変わっても、地方政治はかわらないなぁ」
「結局年度内に予算を使い切りたいだけなんだなぁ、必要性なんかどうでもいいんだよ」
「どうせ選挙のためだろう。票集めのために工事を発注するんだよ」などなど…。

皆さんはどう思われますか?

コメント (4)
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上映会と歌声喫茶

2010-02-01 | 佐世保・長崎

素敵なお知らせが2つあります。

<その1>
プルサーマル反対の署名活動で知り合ったヨーチからの案内です。

       Canta!Timor上映会
            +
      映画の製作者広田奈津子さんと語ろう!

      2月3日(水)
      19時くらいから(みんなが集まり次第)
      会場 BIG FAMILY 
         佐賀県鹿島市飯田乙2416-1
         0954-69-9010
      参加費 投げ銭
      ご希望の方には夕食用意します。(要予約)

      問 BIG FAMILY(一ノ瀬)
        0954-69-9010
        yoti36@yahoo.co.jp

      できれば、参加表明お願いします。

  東ティモールの近くには大きな油田があって、
  
その利権を巡って長い間、インドネシアから侵略されてきた。
  でも、その辛い日々を乗り越えてこられたのは、
  古来から受け継いだ 唄と踊りがあったからだという。
  東ティモールを旅した広田さんが、
  一人のミュージシャンに出会ったことによって生まれた映画だとか・・・
 
  面白そう!私はこの日予定があって行けないのが残念!
  ヨーチの夕食も食べてみたかったなぁ・・
  映画製作者ご本人と会えるのもいいですね。
  いろんな裏話が聞けるかも・・
  乞う、ご期待!


<その2>
  歌うことが大好きなあなた!お待たせしました。
  2010年初の「歌声喫茶」開催で~す!

   

  日時=2月5日(金) 19:00~21:00
  場所=アルカス佐世保の地下1階の第1リハーサル室

  今回はスペシャルゲスト、藤あけみさんの素敵な歌声が聴けますよ~

  「藤あけみ」って誰? 演歌歌手?
  わかる、わかる、その気持ち。私も実はそう思ってしまいました。
  だって・・藤圭子、三沢あけみなどを連想してしまう世代ですもんね~

  で、ネットで検索したら、同姓同名のAV女優の情報がいっぱい出てきたりして、
  歌手「藤あけみ」さんの情報はあまり得られませんでした。
  でも、知る人ぞ知る、奄美の素晴らしい島唄歌手なんだそうです。
  数年前佐世保で歌って下さって、魅了された人も多いとのこと。
  
私も初めて聴けることを今から楽しみにしています。
  しかも今回は息子さんがベースで共演してくださるそうで・・
  ますます楽しみですね!

  今回の情報は「ライフさせぼ」の1月29日号にも掲載されてま~す。

  


  それに・・実は、この日、誰も知らない新曲をご紹介します。

  「こうばるのうた」

  石木ダム建設予定地の、岩屋郷川原地区。
  「川原」と書いて「こうばる」と読むのです。
  「ホタルの里」と言われるところです。

  石木川の恵みを受けて、田んぼや畑が広がり、
  春は菜の花、秋はコスモスが揺れ、
  川にはドジョウやメダカが棲んでいる豊かな里山です。

  この素晴らしい自然を守りたいとの思いに共感されて、
  「青い空は」の歌で有名な作曲家の大西進さんが曲を書いてくださいました。

   
  
  とてもやさしいメロディで、誰でもすぐに覚えられますよ。
  一緒に歌ってみませんか?

  ぜひぜひ皆様のご参加をお待ちしています。

  




 

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