佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

ふるさと共創シンポジウム in 佐世保

2017-01-10 | 佐世保・長崎

9日の「成人の日」(佐世保市主催の成人式は8日でしたが)、アルカスSASEBOでこんなシンポジウムが開催されました。

なんと、司会は、あの田原総一朗さんです!

そしてパネリストはこちらの4名の方々。

左端の方は、佐世保市民ならご存知のはず市議会の新星、橋之口裕太議員。鹿児島県いちき串木野市生まれ。長崎国際大学大学院を卒業後、九州文化学園高等学校教員を経て、2015年佐世保市議会議員に第2位当選!

その隣は、あの里山資本主義の提唱者の藻谷浩介さん山口県徳山市生まれ。東京大学法学部を卒業後、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行。日本総合研究所調査部主席研究員。著書に『里山資本主義』、『デフレの正体』、『和の国富論』など。

その隣の方は…知る人ぞ知る佐世保出身のスーパーウーマン。ルイ・ヴィトン・ジャパンにて常にトップの売上げを記録。独立後はインポートブランドや旅行業も手掛け、また、銀座と丸の内で「蜂の家」を経営するなど幅広く活躍中。

そして、最後は「パタゴニア」日本支社長、辻井隆行さん。東京生まれ、早稲田大学大学院社会科学研究科修了後、1999年パートタイムスタッフとしてパタゴニアに入社。2000年に正社員となり、2009年より現職。 シーカヤックと雪山滑降を楽しむなど自然と親しむ生活を続ける。 2016年日経ビジネス「次代を創る100人」に選出。

 

こーんなすごい方々が佐世保の未来について真剣に考え議論して頂くなんて、不思議だけれど嬉しい…。

 

さて、始まってすぐ、田原さんは言いました。
なぜ地方は疲弊していくのか?なぜ若者は都会に出ていくのか?

藻谷さんによると、佐世保は出生率は高い方だが、高校を卒業すると福岡や東京の大学をめざし、そのままそこで就職、結婚し佐世保にはなかなか戻ってこない。それが人口減少の大きな要因。

櫻澤:実は私もそうなんです。東京の大学を出てそのまま東京に就職しましたし、また東京で結婚しましたのでそのまま東京に住んでいます。でも、私の場合ふるさと愛が強くて、佐世保の「蜂の家」をのれん分けしてもらって東京で経営し、世界にも届けています。いずれは佐世保に帰りたいと思っています。

同じくパネリストの1人、橋之口裕太さんは逆のパターン。鹿児島県から大学入学で佐世保にやってきて、佐世保で就職、結婚し、現在も住み続けている。

なぜ、教師を辞めて政治家になったのか?との田原さんの質問に、

橋之口:担任していたクラス生徒42名のうちの16名が1人親家庭でした。

授業料が払えない家庭も多かった。目標はあるが15~6歳で自分の限界を決めてしまっている子どもたちの現状を見て、教員としての限界を感じました。やはり世の中の仕組みを変えなければいけない。そういう思いから政治の世界へ入ろうと。

 

どうやったら地方を元気にできるのか?と問われた藻谷さんは1つの事例として、波佐見町をあげました。

佐世保の近くに波佐見という町がある。
全国どこでも焼き物の町は寂れる一方だが、ここは違う。その要因は、大規模経営を辞めて小規模経営を目指し、ブランドアップを図ったこと。各事業者が対立するのではなく、手を組んで波佐見全体のイメージを良くしていこうとしたこと。

また、農業も盛んで、飲食店は土地の野菜や肉を使って料理を提供する。何でも地元のものを使おうとする意識が高いので、地元にお金が落ちて繋がっていく。佐世保くらいの規模になると、そこまで地元産に拘らない。他県のものを使って作る。売上があっても最終的に残るお金が少ない。佐世保の資本主義は東京に近い…。

田原:京都と大阪とは全然違うね。
大阪の企業は東京に進出して大きくなろうとするが、京都の企業は東京には行かない。京都に残り、企業同士が仲が良い。それはどういうことかと言うと、相手の邪魔をしない、真似をしない、オリジナリティーを大事にする。下請け企業を下請けとは言わず、協力企業と呼んでいて対等に扱う。格差をつけない。

藻谷:まさにそうなんです。大阪の企業はパナソニックがそうであるように、他所に出た方が本物であるという意識がある。京都は東京になんか行けるかと。京セラとかオムロンとか佐川急便もそうですが、そこにいて世界中に展開すればいいという、自分のいる場所を中心として考える文化がある。
佐世保もそういうふうに考えるとアジアの中心になれる可能性はあるんだけれど、なかなかそういう風に考える人は少なくて、大阪に近い感じがします。

 

佐世保はあなたにとってどういう町ですか?問われた橋之口さん。

住みやすい町です。都会過ぎず田舎すぎず。便利さもあり自然も豊かですし。地域の繋がりが濃いところもあれば、私のようにアパート住まいだと、正直、隣の人が誰かもわからない。二面性のある町だと思います。

 

田原:佐世保で1つ問題だと思うのは、佐世保は米軍の軍港ですよね?。海上自衛隊、陸上自衛隊の基地もある。米軍は何人くらいいるんですか?

橋之口:軍人が3000人で、家族も含めると5000人ほど。自衛隊員は海上自衛隊が3000人で陸上自衛隊が1700人くらい。来年からは水陸両用部隊のための基地建設も始まります。

田原:佐世保は自衛隊と米軍に委ねている?甘えている?ということはないか?そのことによって、佐世保自体がどう発展しようかと考え悩む真剣さにかけているのではないか?

橋之口:佐世保という町の成り立ち(人口4000人ほどの寒村が海軍鎮守府が置かれて栄えるようになった)からして、軍と市民や経済界との関係はたいへん良好です。

櫻澤:私の妹も米軍で働いていますが、公務員のように安定していて職を失う心配もないのでいい職場だと思っているようです。

 

そういう意味では佐世保には企業城下町のような雰囲気がある。
その心は?親方日の丸的な甘えがあり、気位が低いということらしい、と藻谷さん。

田原:高速道路ができてから、長崎に来る観光客の多くが福岡に泊まるらしい。昼間長崎で遊んで、夜は福岡へって。ゴミだけ落として、金を落とさなくなったって、長崎の人が言ってたけど、ホント?

橋之口:確かに。いま佐世保で問題になっているのは宿が足りないってことです。リーマンショックの後たちいかなくなって閉じてしまった宿がいくつもあり、ハウステンボスの復活で観光客が戻ってきているが、その客の止まる宿が足りない、取りこぼしてしまっている。

辻井:新たなホテルを建てるよりも、官民が力を合わせて民泊の施設を増やした方がお客さんは喜ぶのでは?

友人が岩手県の小さな町の古い小学校を改築して新たな宿を造ったんですが、そこに中国からの富裕層がたくさん泊まりに来ている。爆買いに飽きた家族連れが何もない田舎町で、ホヤを取る手伝いをしたりして、それを食べて喜んで帰って行く。来年の6月まで予約でいっぱいだという。佐世保や川棚にもそういう観光の可能性がいっぱいあると思う。

櫻澤:旅行業界ではホテルの少ない優れた観光地には、大型船ではなく中型船で行きます。富裕層の乗る中型船にはホテルもレストランももちろん完備されているので寄港地に宿が無くても大丈夫。1週間かけて長崎、五島、佐世保などを船でゆっくり巡りながら、それぞれの地の面白さを満喫するとか・・・
そのためには通訳やガイドの教育に力を入れること、それがリピーターを増やすことに繋がります。

等々、旅行業のプロ、国際企業の経営者、里山の魅力を知り尽くしたエコノミスト三者からの貴重なアドバイスが続出しました。

 

そして、話は佐世保だけではなく隣の川棚町にも及んでいきました。

長崎県内では都会である佐世保市と焼物の町波佐見町に囲まれて、これといった産業もない川棚町だが、まさに里山の魅力が詰まっていて、東京生まれ東京育ちの辻井さんは本当の豊かな暮らしを感じると言う。

でも、そこにはダム建設計画があり、それは佐世保市民にとっても無関係ではない・・・ということで、話題は石木ダムに移っていきました。 

この続きは、ぜひこちらをご覧になってください。

 

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大雪(17cm)の被害

2016-01-26 | 佐世保・長崎

これは昨日(1/25)の朝8時。

外はかなり明るくて、もう雪は止んだようでした。

いつものように、8:00発五島行きのフェリーも出航したばかり。湾内をゆっくり進んでいます。

白い雪に覆われた岸壁が珍しくて、カメラを持ってベランダに出ると、まだまだ寒い!

急いで部屋へ舞い戻りました。

 

しばらくして、洗濯物を干そうとベランダに出てみたら、ギョっ!

またもや吹雪の世界!

ニュースによると、今日も県内は雪模様。

高速道路は封鎖、電車もバスも一部を除きほとんど運休とのこと。

どおりで静かでした。

高速道路には一台も車の姿はなく、道路も線路も雪に覆われています。

 

JR九州長崎支社によると、24日夜、佐世保、喜々津両駅では約150人が車中泊したそうです。

えー!

目の前の駅の列車の中で一夜を過ごした人たちがいたなんて・・知りませんでした。

お疲れ様でした。

また、竹松駅で止まった列車の乗客14人は近くの県消防学校で宿泊。

長崎駅と周辺施設で約60人、長崎市立図書館内で約130人が一夜を明かしたとのこと。

わずか17cmの積雪で、帰宅困難となる長崎県! 

 

また、もっとも多くの県民が受けた被害は、水道管破裂による断水です。

NBCニュースによると、

3日前から続いた寒波の影響で、長崎県内の各地で水道管の凍結や破損による漏水が相次ぎ、この影響で断水、停水が広い範囲で出ている。

長崎市では琴海地区のおよそ5千世帯で25日夜8時頃から停水。これは水道管の凍結・破損で漏水が多数発生し、水を各世帯に送る配水タンクの水位が異常に低くなったためで、同じ理由による停水や断水は長崎市内の他の地域でも発生しているが、水道局でも詳しい数は把握できていないらしい。

県内ではこのほかにも午後4時現在、わかっているだけで諫早市のおよそ1万2000世帯、平戸市のおよそ1万世帯、佐世保市のおよそ7千世帯、南島原市のおよそ5千世帯、対馬市のおよそ4600世帯、新上五島町のおよそ3600世帯のほか五島市、松浦市、雲仙市など、県内の広い範囲に及んでいて、合計の世帯数は5万5千世帯を超えている。

県は午前10時に災害警戒本部を設置。同時に自衛隊に災害派遣を要請し、松浦市、対馬市、南島原市、平戸市などに給水車を派遣し対応している。

また、各市や町では配水池やタンクの水量が大きく減少しているため、今後も大規模な断水がおきる恐れがあるとして、各家庭に対し節水に協力するよう呼びかけている。

とのことでした。

5万5千世帯ということは、10万人以上の県民が断水・停水の不自由な生活を強いられているということですね~

ライフラインに関することは、行政はもう少ししっかり取り組んでほしいものです。

ハコモノ(ダムなど)だけを造っても、配水管が古くなっていたり、質の悪い管を使っていたりしては意味がない。

ハコモノにお金をかけるより、今あるものをきちんとメンテナンスして安全安心な状態にするのが先決!

 

と思っていたら、こんな情報を見つけました。

 
 
佐世保市役所さんの写真
 

水道管の破裂などの影響で、市内で断水が発生しています。
断水に伴い、本日1月26日(火曜日)19時より随時、臨時給水を行います。
また、現在水が出ているところでも、今後断水する可能性がありますので、ご注意ください。

この佐世保市水道局からの情報をシェアした佐世保市民の方のfacebookページには、
 
このようなコメントが添えられていました。
 

取水できないのではありません古い大正時代の導水管だらけが原因です。

石木ダムは必要ありません。導水管の交換が先決な佐世保市です。

市議会、県議会のみなさん猿の声聞こえますか?

やっぱり小回り効かない日本の行政ですね。大統領制が必要ばい。

石木ダム建設予算を導水管交換予算に回せばいかがなものか?

これでは市民に節水呼びかけても無駄ですね。

市民および水道局員を苦しませるな。政治家殿。

 

全く同感です!   

 

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観測史上初の積雪を記録!

2016-01-24 | 佐世保・長崎

今朝はやけに寒いな~と思って、窓を開けてみると・・

すごい雪です!

5cmほどはあるでしょうか?

そう。5cmでもすごいんですよ、佐世保では。

しかも、佐世保の街のど真ん中に雪が積もることなんて、滅多にありませんから。

 

思い切って、ベランダに出て北の方を見ると、

わー!吹雪です!

写真がピンボケしているのではありませんゾ。

ほら!

左から右に、横殴りの吹雪が…見えるでしょ?

 

新聞を取ろうと廊下に出てみたら、

廊下にまで雪が…!

初めてです~

廊下に雪が積もっているのを見たのは。

佐世保に越してきて、8回目の冬にして初体験。

郵便受けのある1階まで降り、右手の窓から外を見ると、国道も真っ白!

エレベーターで一緒だった方は、車で行くのは怖いから、今日はバスにしますとおっしゃってました。

 わたし、今日は何も予定がなくてよかった~

 おとなしくパソコンの前で丸くなっていよーっと!

などと思ったのでありました。

 

そして、夕方のニュースによると、

 

積雪は午後5時現在長崎で17センチと観測史上最深を記録しました。

積雪のため、長崎空港発着の空の便は終日、欠航

高速道路も各地で通行止めとなり、バスや鉄道各社も運転を見合わせていて、

足止めとなった観光客のために、長崎市は、さきほど午後5時半、

長崎駅に近い市立図書館を避難所として開設しました。

あす午後6時までの雪の量は、多いところで20センチと予想され、

交通機関への影響が長引く恐れがあります。

 

なんと!わずか17cmほどの雪で生活困難地域になってしまうとは…

それにしても、よかった~

一日早く、この寒波が襲来していたら、昨日は東京から戻れないところでした。

ホッ!

 

この寒さは沖縄にも達し、名護市で、午後10時半頃、みぞれが観測されたそうです。

沖縄本島でみぞれが観測されるのは初めてとのことで、気温も5度を下回り、

記録的な寒さになっているようです。

 

そして、沖縄と言えば、気になっていた宜野湾市長選挙

残念な結果となってしまいました。

  ▽佐喜真淳(無・現)当選、2万7668票。
  ▽志村恵一郎(無・新)2万1811票。

佐喜真氏は、移設計画の具体策には触れず、ただ普天間基地の早期返還を政府に求めると訴えたのが功を奏したのでしょう。

一方、志村氏は、翁長知事と共に辺野古への移設に反対すると訴えましたが、地元の人にとっては、難しい選択となったのかもしれません。

 

負けは負けですが、でも、これだけの市民が、

我が市だけ基地を撤去できればそれでいいとは考えず、

辺野古への移設に反対の意思表示をしているのは、すごい!と思います。

 

翁長知事は、どうか今まで通りの方針で頑張ってほしい!  

 

今日の東京新聞、「平和の俳句」で選ばれたのは、これでした。

  沖縄を僕は支持する君どうする

 

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2016年元旦 曇り?

2016-01-01 | 佐世保・長崎

2016年元旦午前11時の佐世保。

我が家のベランダから今年初めてパチリ。

左手の三浦岸壁に停泊しているのは、中国のクルーズ客船『中華泰山(チャイニーズタイシャン)』。

右手奥に見えるのは海上自衛隊のイージス艦と米海軍の艦船。

 

天気は晴れなのですが、pm2.5の影響で曇って見えます。

佐世保の代表地点大塔の数値は36μg/m3。平均値を超えています。

平均値35を超えたら、赤ちゃんとの外出を控えたり、洗濯物を外に出さない等の注意が必要なのだそうです。

 

そして、この曇り空は、この国の今を現わしているような気がします。

東日本大震災被災地の復興が足踏みしています。

原発の再稼働が次々に具体化し始めています。

昨年の安保法制の制定で、ここ佐世保市に多く住む自衛隊員の家族も不安を募らせています。

そして、石木ダム。

県は昨年の農地の強制収用に引き続き、宅地の収用手続きも進めています。

個人の財産権も、居住権も、降伏を追及する権利も顧みず、

必要性のなくなったダム建設のために13世帯の家々や豊かな自然を水の底に沈めようと…。

13世帯の半世紀にわたる抵抗と沖縄の闘いが重なります。

民の思いが届かないこの国の政治。

私たちは未だ民主主義を手にしていないのではないか?

戦後世代の私たちは生まれた時から日本国憲法の下、平和を当たり前のように享受し、

それと同じように民主主義も手にしていると思っていたのは錯覚だったのかもしれない。

 

それでも、決してくさったり諦めたりはしない。

いつでも、希望と、信じる心だけは持ち続けたい。

信じて、自分にできることを、やりつづけたい。

2016年元旦の今の実感です。

今年もよろしくお願いします。

 

 

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旬彩魚酒の店 K

2015-02-15 | 佐世保・長崎

今日は新鮮なお刺身を堪能!

魚が美味しいことで評判の旬菜魚酒の店K。

いつも夫がお世話になっているAさん御夫妻を案内する予定でしたが、

Aさんの体調不良で急遽キャンセル…ではなく、夫と二人だけで行ってきました。

今日も期待を裏切らない美味しさ!

刺身の盛り合わせ、天ぷら、茶碗蒸し、小鉢3種(イカの酢味噌和え、トマト、すり身揚げ)、

ご飯、鰤アラの味噌汁、香の物3種、デザート(コーヒーゼリー)…の「地魚御膳」がなんと、

1620円!

なんといっても、お刺身が絶品でした。

 

タイもハマチもアジも…みんなコリッコリの食感。身が引き締まってるから超美味しい!

アラの味噌汁もいいダシ出てる!

などと感激を口にしながら食べているのに、目の前のご主人?ニコリともしない・・

予約を入れた時すでに個室は空きがなく、私たちはカウンター席で食べていたのです。

目の前では店のご主人(or板前さん)らしき方が黙々と刺身の盛り合わせを作っていました。

以前来た時もカウンター席でしたが、

その時の板さんorご主人は、魚やお酒の話など気さくになさってたのにな~

 

カウンターの左端に立てかけられていた数冊の本を待っている間、パラパラとめくってみると、

なかなか面白い本ばかりでした。

魚の本がほとんどだったので、お店のご主人の趣味かも・・と思って、

「面白い本ですね」と声をかけると、

ちらっとこちらを見て、「ああ、お客さんの本ですよ」とボソリ。

お客さんの所持品という意味なのか、お客さんが書いた本という意味なのか、理解できず、

聞いてみようかなと思ったけれど、止めました。

本にも、客との会話にも全く関心がなさそうだったので。

 

その本というのがこちら。

タイトルは「大村湾再発見」

大村湾誕生ー推定年齢9000歳>そんな目次に惹かれて少しだけ読んでみました。

特に「チョー!超閉鎖性内湾」というコラムが印象的でした。

湾口から湾奥までの距離(奥行)÷湾口の距離(幅)が4以上だと閉鎖性海域と呼ぶそうで、

例えば東京湾は5で、博多湾は4で、有明海は19でというふうに・・

で、大村湾がどうかというと…なんと130もの倍率!

だから、超閉鎖性を超えて、チョー!超閉鎖性という表現になるわけですねー

 

そして、このようなことも書かれてました。

閉鎖的過ぎる大村湾は海水交換が乏しいので、いったん水質が悪化すると、

その改善には長い時間がかかる・・と。

 

でしょうね。

それは素人でも想像できます。

大村湾の海の幸を守るには、大村湾の水質を悪化させないことが大事。

私たちの生活排水や工場用水がそのまま流れ込まないよう、

また、これ以上ダムを造って川の水を堰止めたりしないよう、

みんなが意識してチョー超閉鎖的な大村湾の環境を守っていきたいな~

などと思いながら、魚の旨さを噛み締め・・・完食!

 

「ご馳走様でした」と立ち上がると、

「ありがとうございましたー!」と、目の前の方の初めて元気な明るい声が返ってきて・・

「また来ますねー」と、心の中で呟きました。

                      

 

 

 

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青空の下で かき食うカキ祭り

2015-02-14 | 佐世保・長崎

今日は絶好のカキ日和。

カキとは牡蠣のこと。

この時期、九十九島パールシーリゾートでは「九十九島かき食うカキ祭り・冬の陣」を開催中。

会場はこのように大賑わい!

 

生カキ1kg 700円、木炭1kg200円、軍手・カキ開けナイフセット250円とお手頃価格。

美味しかったです!

2人でカキ2kgに、ウチワエビ、鶏肉、しいたけ、とうもろこし、焼き芋、おにぎりなどなど・・

お腹いっぱい食べました~

 

食べ終わると、ゴミは分別して捨てます。

飲み物の缶はこっち、割り箸や串はあっち、ビニール袋はそっち…なんて具合に。

不思議に思ったのは、貝殻の箱が2つあって、牡蠣殻と他の貝殻とに分かれていること。

理由を聞いてみました。

普通の貝殻は砕いて肥料にするそうです。

では、牡蠣殻は?

牡蠣殻は、ギョショウにするそうです。

魚醤ではなく漁礁です。

もう一度海に戻して、良い漁場作りに役立てるわけですね~

調べてみると、牡蠣殻の効果はすごい!

水質浄化、底質改善、アマモの成長促進、そして生物多様性(多種類の魚が集まる)等々。

それなら、特別扱いされるのももっともですね。

 

さてさて、おなかもいっぱいになり、でも、久しぶりの青い空を見ていると、

このまま帰るのはもったいない…で、弓張岳に登ってみました。

登ると言っても、車で行くだけですが・・

展望台から左手を見下ろすと

佐世保港と駅周辺の市街地、遠くには西海市や川棚方面も見えます。

反対の右手の方を見下ろすと、

南九十九島や、高島、黒島、遠くには平戸まで見えました。

中程に見える赤茶色の広い敷地は、陸上自衛隊相浦駐屯地です。

 

さてさて、真下を見下ろすと・・

米海軍佐世保基地です。

佐世保湾の水域の約83%は米軍の使用を優先する制限水域となっているのですから、

残念ながら自慢できる景色ではありません・・

 

軍隊と言えば、この展望台のすぐ近くの公園には、砲台跡があります。

第二次大戦中に造られたもので、佐世保空襲のとき300発ほど撃ったけれど全然命中しなかったという…

 

いつ行っても人気のない静かな公園ですが、今日は立ち入り禁止になっていました。

ガードマンらしき人に尋ねると、

「すみません。いま工事中なので公園は閉鎖してるんです」と言われ、

しかたなく車に戻って発車しようとした時、

その男性が近づいてきて教えてくれました。

 

さっきね、この上を鶴が飛んでいったんですよ。

鹿児島から来たヤツだと思います。

 

え!?マナヅルの北帰行?

何羽くらい飛んでましたか?

 

150くらいかな~

カギのような形で飛んで行きましたよ。

 

わー、見たかったな~

夫も私も思わずそう言うと、

 

この前、そろそろここを通る頃だとたくさんの人が見に来てましたけどね、

結局その日は来ませんでしたよ。

今日は、すぐそばを飛んで行きましたよ。

 

と、とても誇らしげに話してくれました。

きっと、みんなが見たがっている鶴の編隊を見た嬉しさと感動を、誰でもいいから伝えたい。

伝えて、びっくりさせたい、そして、自分の幸運を確認したい・・

そんな心境だったのでしょうか。。

 

でも、ほんとに羨ましかったな~

今日の青空に白い鶴の編隊は、きっと、きっと、間違いなく感動的なシーンだったことでしょう。

いつか私も出会いたい・・

 

 

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命は取り戻せない~菅原文太さんの「遺言」

2014-12-18 | 佐世保・長崎

菅原文太さんの「遺言」 失われたら、命は取り戻せない 有機農業、反戦、脱原発 根っこは同じ

毎日新聞 2014年12月17日 東京夕刊のオンライン記事です。

http://mainichi.jp/shimen/news/20141217dde012200002000c.html

転載させていただきます。

 

「仁義なき戦い」では一本気なアウトロー、「トラック野郎」では人間味あふれる純情者……。そんな銀幕のスターが先月末、81歳で逝った。晩年、菅原文太さんが私たちに伝えようとした「遺言」とは何だったのか。【小国綾子】

 
沖縄県知事選での応援演説が、菅原さんが公式な場に姿を現した最後となった=11月1日、佐藤敬一撮影
沖縄県知事選での応援演説が、菅原さんが公式な場に姿を現した最後となった=11月1日、佐藤敬一撮影
 

 「選挙中とはいえまるで言論統制だ」。同じ東北出身で親交のあった評論家、佐高信さんは切り出した。菅原さんの訃報が伝えられたのは衆院選公示の直前。多くのメディアは集団的自衛権行使容認や原発再稼働を進める安倍政権に配慮し、菅原さんが反戦や脱原発を訴えてきた事実を十分に報じなかったのではないか、と言うのだ。

 確かにテレビの追悼番組では晩年の政治的な発言に触れず、映画スターとしての功績だけを追うものが目立った。無農薬有機農業を広めることと、再び戦争をしないよう声を上げることの二つの「種」を世にまいた、とつづった妻文子さんのコメントを、肝心の農業や不戦に触れた部分を削除して報じたテレビもあった。ネット上では「菅原さんの反戦の思いを封殺した」と批判の声が上がった。

 佐高さんには忘れられない思い出がある。菅原さんに「文化勲章をもらうことになったらどうする」と冗談交じりに尋ねたら、菅原さんは「きっと『非国民』栄誉賞だな」と笑った。「彼には『非国民』と呼ばれようと、この国の未来のためには一歩も引かない覚悟があった。政治色がついたら俳優もタレントも干されるこの国で、そこを突破した最初の大スターではないか」

 菅原さんが大切にしていた仕事に月刊「本の窓」(小学館)の対談連載がある。2010年に始まり、全部で43回。対談相手の35人はすべて自分で選んだ。俳人の金子兜太さん、元沖縄県知事の大田昌秀さん、著書「タネが危ない」で知られる種苗店経営者、野口勲さん、第五福竜丸元乗組員の大石又七さん。顔ぶれに菅原さんの大事にした憲法9条や沖縄、脱原発、農業などのテーマが見て取れる。

 編集長の岡靖司さんが「出版社の地味で小さなPR誌ですが……」と恐縮しつつ連載を依頼した時、菅原さんは逆に「とても気の利いたいい話だ」と喜んだ。目立つことがすきではなかったうえ、週刊誌のような大きなメディアでは言いたいことが言えないこともあるだろう、と。

 実際、菅原さんの連載は率直で、時に政権も批判した。

 <拳を振り上げ、憲法改正を煽(あお)りたてる人たちは、いざとなったとき戦場には行かない人たちじゃないですか。(略)出て行くのは無辜(むこ)の民衆だけ>(13年6月号)

 <安倍(晋三)首相が「日本人は中国で何も悪いことをしていない」というようなことを言ってるんだから。(中略)上がそうだから、若い連中まで「虐殺はなかった」なんて言っている>(13年7月号)

 連載を書籍「ほとんど人力」(編・菅原文太と免許皆伝の達人たち)にまとめた岡さんは語る。「菅原さんはこの対談を、在野の精神を持ち続けるアウトサイダーたちの語り合う場にしたいと考えていた。日本社会は『はみ出し者』を排除し『無菌状態』を作ろうとしていると強い危機感を抱いていたから」

 東日本大震災後、進まぬ復興や原発問題に憤った菅原さんは「役者引退」を宣言し、12年暮れ、身近な仲間と「いのちの党」を結成した。被災地沿岸に計画されていたコンクリートの防潮堤に対し、宮脇昭・横浜国立大名誉教授が提唱する「緑の防潮堤」を応援する講演会を開いたり、ミツバチの大量死とネオニコチノイド系農薬の関係についての勉強会を開いたりした。

 菅原さんを「おやじ」と慕う同党メンバー、「夜回り先生」こと作家、水谷修さんは「おやじにとって無農薬有機農業も反戦平和も脱原発も根っこは同じ。『ひとたび命が失われたら取り戻せない』という思い。だから『いのちの党』と名付けたんです」。

 銀幕のスターから社会派へいつ、なぜ転身したのか。30年来の知人、NPO法人「ふるさと回帰支援センター」代表理事、高橋公さんはしかし、「転身ではない」と否定する。「彼は昔から社会問題に深い関心を持っていた。読書家で、俳優時代には父親がしっかりしようと『雷おやじの会』も結成した」

 当時、NHKの大河ドラマ「獅子の時代」(1980年)で会津藩下級武士で自由民権運動の闘士を演じた菅原さん。高橋さんが自治労に勤めていた縁で、自治労の自治研究集会で自由民権運動について講演したことも。「ノーギャラでやってくれた。自由民権運動への関心は、それを演じた一役者という立場を超えるほどに深いものでした」と高橋さんは振り返る。

 菅原さんの父親は宮城県の元河北新報記者。自身も仙台一高の出版部(新聞部)に所属し、当時、部の後輩には作家の井上ひさしさんがいた。実は元々、社会派なのだ。

 ただ、菅原さんの人生観を大きく変えた出来事はあった。01年、長男薫さん(享年31)が踏切事故で夭折(ようせつ)したのだ。高橋さんは「菅原さんと知り合ったきっかけは30年前、合気道などを教える私たちの道場に『ぜんそく気味の息子の体を鍛えたい』と訪ねてきてくれたこと。菅原さんは本当に息子さんをかわいがっていたから、息子さんの死は大きかったろう」と口ごもる。

 菅原さんは我が子の死から2年後、女性誌に「その後の心境はひと様に話すことはできない」「『大事なことで、男はモノを言うな』と、自分に言い聞かせている」と述べている。岡さんは「本の窓」連載の打ち合わせで、菅原さんが「俺は教育については語れない。息子のこともあるし」と漏らしたのを覚えている。菅原さんが岡さんに息子の話をしたのは後にも先にもこの時だけだ。

 「菅原さんは『政治の言葉』ではない言葉で政治を語れる、けうな人だった」と佐高さんは言う。11月1日の沖縄県知事選の翁長雄志氏(現知事)の決起集会での応援演説がそうだ。1万数千人の聴衆を前に菅原さんはマイクを握り、力強く言った。

 「映画(「仁義なき戦い」)の最後で、裏切り者に『山守さん、弾はまだ一発残っとるがよ』というセリフをぶつけた。その伝でいくと『(対立候補の)仲井真(弘多)さん、弾はまだ一発残っとるがよ』とぶつけてやりたい」と。

 しかしあの日、菅原さんの体は既に悲鳴を上げていたのだろう。スタッフに支えられながら壇上に立った。

 「アメリカにも良心あつい人々はいます。中国にもいる。韓国にもいる。その良心ある人々は、国が違えど、同じ人間だ。みな手を結び合おうよ。今日来ている皆さんもそのことを肝に銘じて実行してください」。演説をこう締めくくると、最後は明るく「はなはだ短いけど、終わり!」。

 スクリーンの中でも現実でも、菅原さんは一本気に信念を貫き、行動を止めなかった。数々の「遺言」を残して。

 

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YOSAKOIさせぼ祭り2014

2014-10-26 | 佐世保・長崎

今年もこの季節がやってきました。

もう何回も見てるし・・今は忙しくて・・と思っていたけれど、

ベランダに出ると、駅前広場の方からよさこい音頭の音楽や拍手の音が風に乗って聞こえてきます。

やっぱり、ちょっとだけ見てこよっと!

ほんの少し、と自分に言い聞かせて、まっすぐアルカス広場の会場へ。

ここは階段に腰かけて見れるので、写真を撮るにはもってこいの場所なんですよ。

 

やってる、やってる。

お客さんもいっぱいです。

さわやかな演技有り、

衣装の色も踊りも優雅な雰囲気のチーム有り、

こちらは切れのあるシャープな踊りで惹きつけ、

こちらは・・・

なんと華やかなチームで、その名も「美勝女隊」!

色とりどりの衣装とド派手なメーク。

でも、踊りもすごい!バレエのような新体操のような・・美しい演技。

最後はブルーで統一して美しく去って行きました~

 

続きましては、元気いっぱい学生の踊り。

腰に巻いてる羽織を羽織れば、

あっという間に明るい衣装に早変わり。

衣装に負けないくらい笑顔も明るくはじけます。

 

 

こちらは「風の盆」を思い出させる、色っぽい編み笠集団。

でも、傘を取ると、

こちらも元気いっぱい、さわやかな若者たちでした。

 

印象的な踊り子さんが一人。

なぜか普通の服装のまま踊っていました。

少人数のチームでしたが、ピンチヒッターだったのでしょうか?

それにしては踊りが抜群に上手で、本物の美少女で、目立っていました。

釘付けになったのは、たぶん私だけではないと思うな~

 

ほんのちょっとのつもりが、もうこんな時間!

と、慌ててアルカス会場を後にして、買い物のために五番街に行くと、

そこでもやってました~

こちらも、お客さんは階段に腰を下ろして、じっくり見物。

海をバックに踊る姿もいいものですね~

と、ついついまた見たりして・・

いかん、いかん、もう帰らんばと思ったとき、大きな拍手が!

あ、この大集団は・・・

見覚えのある地味な衣装。

衣装は地味だけど、その踊りは若いエネルギーの爆発そのもの。

まるで一陣の風のよう・・

そう、長崎大学の「突風」の皆さんでした。

佐世保に移住した6年前に初めてであった時から全く変わらない力強さと爽やかさ。

毎年メンバーは入れ替わっているはずですが、なぜか変わらない。

糊のきいたシーツのような、清潔感あふれる笑顔に今年もまた元気をもらいました。

ありがとう~

 

それにしても、不思議だな・・・

今年は175チームが参加しているという。

その中のほんの10チームほどしか見ていないのに、今年も「突風」に出会えた。

毎年20チーム以下しか見ていないのに、毎年「突風」の踊りと笑顔に出会い、

元気と感動をもらっている。

不思議だな・・

来年もまた会えますように! 

 

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秋晴れの日に・・

2014-10-08 | 佐世保・長崎

久しぶりの快晴。

空が青いと海も青くて、ベランダに出たくなります。

ん? いつものフェリーではないぞ。五島行のフェリーよりうんと大きいような…

と目をこらしていると、

どんどん近づいてきて、

目の前の岸壁にしずしずと・・・

大きすぎて全体像が見えないほど。

音楽隊による歓迎演奏が始まり、乗客の皆さんもデッキに集まって聴いています。

なんと、朝長市長の歓迎挨拶も始まりました。

まだ朝の7時半なのに、市長さんもたいへんですね~

 

昼頃、出かけるついでに岸壁まで行ってみました。

船名は「ぱしふぃっく びいなす」

日本船籍のクルーズ船でした。

 

用事を済ませ夕方戻ってきたときには、もう岸壁に「びいなす」の姿はありませんでした。

夕焼け空を見るのも久しぶり。

18:10、SSKのクレーンも、夕焼け空の中に黒く浮かび上がっています。

18:20 皆既月食が始まりました。

18:32 こんなに地球にかじられちゃいました。

19:03

19:27、ついに見えなくなりました。

いえ、赤黒くぼんやり見えているんですが、写真ではほとんど見えませんね。

21:37、また元のように白く輝くきれいなまーるいお月様に戻りました。

 

美しい夕焼けも、皆既月食も、晴れていたから見れました。

お天気に感謝。

素敵な秋晴れに乾杯。

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花火大会in佐世保

2014-08-06 | 佐世保・長崎

佐世保の花火大会(8月3日)を見るために、

花火が大好きな友人夫婦が、阿蘇からわざわざやってきました。

でも、このところ連日の雨。

アキさんも、レイコさんも、何度ベランダに出て空を見上げたことでしょう。

夕方になっても激しい雨が断続的に降り出すので、慌てて家の中に退散。

半ば諦めかけていたら、ようやく空がなんとなく明るくなって・・・

暗くなったころには、雲の切れ間にお月様!

 

これはいけるぞ!

と誰もが確信し、ベランダでスタンバイ。

あ、我が家は、花火会場の真ん前にある建物の13階なので、お金の要らない特等席なのです。

 

でも、花火開始の8時をかなり回っても、いっこうに音も光も始まらず・・・

もしや雨で花火が湿気ったかな?と不安になった時、

シュルシュルシュル、ドッカーン!

 

腕前はプロ並みのアマチュアカメラマンのアキさんは、真剣な表情で動画撮影。

レイコさんは、「わー、きれい!」「すごい、すごい」と連発。

二人ともとても喜んでくれました。

 

花火が大好きで、あちこちの一流花火を見て来てる二人にとって、

佐世保の花火は、本当はチャチな感じだったと思います。

(1万発以上のものばかり見ていたのに、佐世保は3000発ですから・・)

 

でも、そんなことは言葉にも表情にも全く出さず、

すごかったー!楽しかったー!と言ってくれる二人のおかげで、

夫も私も、初めて花火を楽しいな~と感じることができました。

 

いつも明るくて思いやり深いレイコさんの笑顔を見ながら、

優しくて温かい、線香花火を連想してしまいました。

 

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