佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

MRの旅

2014-02-25 | 佐世保・長崎

ここは相浦。

駅前がすぐ港です。

漁船でしょうか。

これは駅のホームから望遠で撮りました。

相浦駅は、松浦鉄道(通称MR)の駅です。

 

実は、先日の「さよなら原発 愛宕山登山」のとき、カメラを失くしてしまいました。

山から下りてきた時まで持っていた記憶はあるのですが、どこで失くしたのやら・・・

だご汁と筍ご飯を食べたあのテントかな?

それとも、その前にみかんを買ったあの道端かな?

いやいや、そのみかんが重くて、リュックの中のジャンバーと入れ替えたときかな?

などなどつい小一時間前の記憶を辿りながら友人と探して回ったのですが見つからず…

諦めの境地で帰宅したところへ、

「カメラありましたよ!」と「あたご市」スタッフの方からの連絡!

翌日は予定が入ってて取りに行けないことを伝えると、

「では、相浦駅そばにある相浦商工振興会で預かっています」と言われ、

初めて相浦駅に向かったのでした。

 

帰りの電車を待つ間、ホームから見える港の写真を撮りながら日向ぼっこ。

無人のホームは何にもなくてさびれていました。

(MRの駅は、ほとんど無人のようです)

 

ところが、やっときた電車に乗ったら…

わ-お!すごくレトロな雰囲気の素敵な車内!

今まで5~6回MRに乗りましたが、こんな列車に出会ったのは初めて。

しかも乗客はほとんどいない…

なんだか昭和の中頃にタイムスリップして、特別列車に乗ってるような気分。

車窓から、愛宕山が見えました。

3日前あのてっぺんにいたんだよな~

今は筋肉痛で、階段を降りるのがイテテ・・・だもんな~

なんて思いつつ車窓に釘付けになっていて気づいたのですが、

MRの無人駅には、それぞれに大きな絵が展示されています。

こちらは相浦小6年生の作品。

こちらは中里小学校の6年生が描いたもの。

これはすごいな~と思ったら、佐世保工業高校美術部の作品でした。

 

Wikipedia によると、

松浦鉄道は1988年の開業以来、2000年度まで黒字経営を維持。

「三セクの優等生」と言われていた。

が、沿線の過疎化が進行し、利用客は1996年の年間442万人をピークに減少。

2001年以降はついに赤字経営に陥る。

長崎・佐賀両県と沿線市町は2006年度から8年間で23億円を支援。

支援が切れる2014年以降の経営存続が大きな課題となっていたが、

昨年、2014年度からの10年間で総額約15億8千万円の支援を続けることが決定。

 

利用者はホッとしただろうな~

2年ほど前に乗ったときは、車内は満席で高校生がたくさん立っていたっけ。

きっと朝夕は通勤通学の大事な交通機関に違いない。

市民の大事な足、そしてローカル線の旅を楽しむ人たちのためにも、

MRがずっと存続しますように…

 

私も時にはバスではなくMRに乗るようにしよう~

 

 

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希望の牧場

2014-02-23 | さよなら原発

 

「希望の牧場・ふくしま」のことを知ったのはちょうど2年前。

「ふくちゃん」という骨折した被ばく牛の新聞記事を見たのがきっかけ。

その時はじめて、警戒区域の中で、被ばくした牛たちを飼育し続ける牧場があることを知りました。

http://blog.goo.ne.jp/michie39/d/20120216

その後も、時々、「希望の牧場・ふくしま」のHPを覗いていましたが、

ふくちゃんが死んでしまってからは、だんだん遠ざかり、

最近はほとんど開いていなかった…

 

その「希望の牧場」の吉沢正巳さんが長崎にやってくる!お話が聴ける!

と知って、昨日聴きに行きました。

 

・3月11日、地震直後の浪江町の状況

・12日~15日すべての原発が爆発する様子

・17日、東京電力と国へ一人抗議に向かった経緯

・「牛より人間だろう!」と言われ、レスキュー計画実現せず

・戻った吉沢さんに社長は言った「牛を生かそう!」

・立ち入り禁止区域のバリケードをかいくぐって、餌を運ぶ日々

・5月、国は警戒区域内の家畜の殺処分を決めるが、吉沢さんたちは拒否

・高邑前衆院議員の計らいで立ち入り許可証を取得、本格的救助開始

・「希望の牧場・ふくしま」プロジェクト発足

 

そして現状について、よどみなく、力強く、

ときにはユーモアを交えて語ってくださいました。

 

なぜ被ばくした牛を助けるのか?

売り物にならないとわかっている牛をなぜ飼育し続けるのか?

それは、この牛たちが原発事故の生き証人だから。

放射能被害の貴重な科学的データを集積できる、

体内被曝の調査、生殖器官への影響など様々な研究の役に立つから。

 

そうおっしゃっていましたが、それ以前に、

きっと、理屈ではなく、ただそこにいる牛たちを助けたかった。

牛の命を見捨てられなかった。ベコ屋として。

それが本音ではないか・・・

 この写真を示された時、そう思いました。

これは、牛舎につながれたまま死んでいった牛たちの写真です。

自分の子どものような牛たちを、こんな姿にだけはしたくなかった、

できなかったのではないか。

 

いま、事故の風化が始まっている。

風化させてはならない。

被曝牛を生かし続けることによって、忘れさせない。

国の罪を問い続け、闘い続けたいと吉沢さんは言います。

 

「希望の牧場」のサイトアドレスはこちらです。
http://fukushima-farmsanctuary.blogzine.jp/

 

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第2回「さよなら原発」愛宕山登山

2014-02-22 | さよなら原発

今日は「さよなら原発」と「てくてくウォーキング」の仲間による愛宕山登山!

昨年に続いて2度目です。

http://blog.goo.ne.jp/michie39/d/20130223

 

昨年同様青空の下、昨年と同じ(川渡りなどもある)楽しいコースを

今年は16人で歩きました。

 

低いけれど、かなり急な坂道もあり、息切れすることも…

参加者の様子を見ながら、休み休み案内してくれるYさんのおかげで、

途中でリタイアを考えてた人も完歩。

頂上で至福のひと時を味わっていました。

 

私は山頂からの美しい景色に疲れも吹き飛び、山に感謝。

ふと、放射能まみれになった福島の山のことを思い、心が痛みました。

 

でも、それを他人事と感じる人たちがたくさんいて、

いま玄海原発の再稼働に向けて着々と準備しています。

(19日、原子力規制委員会は再稼働への安全審査を先行させる原発の

 絞り込みをすることを発表しましたが、報道によると、

 玄海原発は大飯原発と共にかなり有力視されているらしい)

 

福一では、また高濃度の汚染水が大量に漏れたというのに!

再稼働検査のために使う労力があるなら、

一刻も早く福一の事故の収束と廃炉作業に取りくむべき!

再稼働なんて愚かな動きをどうか止めて下さい!

と、山頂の愛宕神社の神様に、しっかり神頼みしてきました。

 

下りはみんな余裕しゃくしゃく、

行きかう人に「がんばって~もう少しですよ~」とか、

小さな子には「偉いねー、頑張ってるねー」とか声をかけながら下山。

 

声をかけられた人の中には、「ありがとうございまーす」の後、

私たちの胸に下がったプラカードを見て、

「あ、さよなら原発ですね、頑張ってください」と笑顔を返す人も。

 

私の前を歩いていた仲間の胸には、こんなプラカードがありました。 

 

それを見た女性が、すれ違う時、このアルファベットの読みを尋ねました。

「ヌークスって読むんですよ」

「ヌークスって何?」

「核兵器をさす場合もあるし、原発をさす場合もあるし…

 今は脱原発、さよなら原発の意味で使っていますが、

 私たちはどちらも無くしたいと思っています」

と説明すると、

「ちょっと待ってください。メモするから」と言って、

手帳とボールペンを取り出され、びっくり! 

70代と思しき女性でしたが、体力知力共に若々しい、素敵な方でした。

 

来年もまた、愛宕山に登るぞ~!! 

 

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寒かった!さよなら原発させぼの集い

2014-02-15 | さよなら原発

昨日はとても寒かった…

冷たい雨も少し降る中、なるべく屋根のあるアーケードの方へ立って、

私たちは脱原発を呼びかけました。

 

通行人のほとんどは、足早に通り過ぎるだけ。

だあれも聞いちゃいない。

 

アーケード街を通る人々の向こうの島瀬公園の、

そのまた向こうの国道の向かい側に立つビルだけが、

見守ってくれているようでした。

 

わたしは、

福島県南相馬市の桜井市長が細川さんへの応援演説の中で訴えていたことを

伝えました。

 

あの震災直後、635人が命を落とし、111名がまだ見つかっていないこと。

福島第一原発事故により、71500人の南相馬市民のうち、6万人以上が故郷を

離れなければならなかったこと。

今現在も2万5千人を超える市民が避難をさせられていること。

南相馬市の予算は1千2百億円で、その内の半分以上が除染に使われていること。

そしてそのお金は、東京にもっていかれること。

その東京はオリンピックで盛り上がり、

ゼネコンは被災地の建設現場から東京へどんどん引き揚げているってこと。

もちろん復興住宅建設などよりずっと儲かるから。

 

桜井市長のあの力強い演説、

当事者として説得力のある演説、

それを聞いても、都民が選択したのは脱原発候補ではなかったのだから…

と虚しい気持ちもあったけど、それでも伝えたかった。

たった一人の人でもいいから「そうだったのか…」と思ってくれれば。

 

来月で丸3年。

あの恐怖、安全神話を押し付けてきた国や電力会社への怒り、

そんな空気が急速に薄れていっている気がします。

戦争への恐怖、平和への希求が薄れていくのと同様に。。

 

誰かも言ってたけど、やはりこの国は破滅に向かっているのでしょうか?

いえいえ、諦めてはいけませんよね。

絶望の隣は希望なのだから…!

 

いま、その希望の花が1つ開きました。

 

「今まで、復興の役に立てるのかと無力感を感じていた。

五輪の金メダリストになり、これからがスタート。

何か出来ることがあると思う」

 

若き王者の言葉が、希望そのもの

羽生結弦選手、おめでとう!

そして、ありがとう…

 

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私の名前は 希望です

2014-02-13 | 平和

4日前に、やなせたかしさんの言葉について書きましたが、

それを見てくれたのかな?

別の友人から、やなせさんについて書かれた文章が転送されてきました。

それは瀧 久和さんという方が発行されている「ゆうすい」という月刊誌に書かれていました。

やなせさんの著書『アンパンマンの遺書』(岩波書店)と『絶望の隣は希望です!』(小学館)を読んだ感想と共に、やなせさんの言葉も紹介されていました。

 

戦争は、絶対にしちゃいけない。要するに殺人だから。

どんな大義名分があろうが、

戦場に出たら、自分が生き残るために相手を殺さなければならない。

戦争は、普通の人を人殺しに変えてしまうのだ。

正義のための戦いなんてどこにもない。

正義はある日突然逆転する。正義は信じがたい。

ぼくは骨身に徹してこのことを知った。

これが戦後のぼくの思想の基本になった」

さらに、

「戦争でいちばん辛かったのは、何といってもひもじさでした」

と語り、アンパンマンに込めた思いをこう述べています。

「逆転しない正義とは献身と愛だ。それも大げさなことではなく、

眼の前で餓死しそうな人がいれば、その人に一片のパンを与えること。

これがアンパンマンの原点になった」

 

最近読んだ新聞記事に、

太平洋戦争で亡くなった軍人230万人の内の140万人(約60%)

戦死ではなく、餓死、栄養失調による病死だったと書かれていました。

(一橋大学名誉教授 故藤原彰氏の研究分析による)

 

安倍さんは「国家のために尊い命を捧げた人々の御霊」に参拝したと言うけれど、

餓死をすることが国家のために命を捧げたことになるのだろうか?

そして、多くの兵士を餓死させた参謀たちも祀った靖国に参拝して、

無駄死にさせられた御霊が喜ぶというのだろうか?

 

140万の兵士は敵国に殺されたのではなく、

自国によって殺されたようなもの。

それも餓死などという残酷な殺し方で。。

その当時の指導者たちはA級戦犯と呼ばれ処刑されたけれど、

安倍さんのおじいちゃんの岸信介さんはなぜか釈放され、

政界復帰、首相まで務めたんですよね~

そして、孫の現首相は、おじいちゃんの念願だった自主憲法制定、

つまり日本国憲法を葬ることを胸に秘め、リーダーシップを発揮中。

どんどん怖い世の中に向かっていってるような…

 

それにSTOP!をかけるチャンスだった都知事選に失敗し、

脱原発だけでなく、平和憲法も危機にさらされています。

公共放送であるNHKの経営委員たちの言動をみてもわかるように、

日本はどんどんかつての暗い時代へ向かっているようです。

もう日本に未来はない、なんていう声も耳にします。

 

でも、それでも、諦めちゃ終わり。

絶望だけは止めましょう。

やなせたかしさんはこんな詩を残しました。

 

絶望のとなりに  だれかが そっと腰かけた

絶望は となりのひとにきいた

『あなたはいったいだれですか』

となりのひとはほほえんだ

『私の名前は 希望です』

 

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都知事選を終えて

2014-02-11 | さよなら原発

マスコミの予想通り、自公推薦の舛添氏が圧勝。

9日夜は、悪夢であってほしいと願い、

翌10日は紛れもない現実にガックリし、

脱原発を手にするまたとないチャンスを無駄にした都民に怒ったりしたけれど、

今日は早くもそのショックから立ち直り、

日本人なんて所詮こんなもんさ~、

おバカさんは東京都民だけじゃないし…と居直り気分。

こんなふうに、すぐに自分たちを許してしまう国民性だから、

日本はいつまでたっても変われないのだろうか。。

 

都民ではない国民がこれほど多く注目した都知事選挙は初めてのことかも。

脱原発を願う、あるいは一刻も早い再稼働を願う日本中の人々が見つめていました。

でも、投票率は46.15%。

大雪の影響もあったでしょうが、前回の62.60%を16.45ポイントも下回り、

過去3番目に低い投票率となったようです。

WHY?

そんなに都民にとってはどうでもいいこと?

知事が誰になろうと、関心ない?

 

脱原発を願う私は細川さんの立候補とそれを応援する小泉さんの出現に、

やったー!これでチャンスあり!と単純に喜んでいましたが、

もう一人の脱原発候補と一本化できず、

日に日に両者の距離は開いていき、

協力するどころか対立の雰囲気に…

 

残念です。実に残念です。

あちら側(原発容認派)の人は勝つためなら見栄や外聞など気にしない、

かつて除名処分にした人物を応援する自民党も自民党だし、

自分が見限って離党した政党の応援を頼みにする舛添氏も舛添氏だし、

どちらもかつての主義主張などどこ吹く風。

 

一方こちら側(原発反対派)の人たちは、勝つことよりも、

理念の違いばかりを重視して、歩み寄ろうとはしなかった。

まったく現実を見ようとしない人たちのように見える。

そして彼らを取り巻く人たちが、それを助長していたように思う。

おバカな応援団が、最悪の結果を作りだしてくれた。

あちら側の賢い人たちは、さぞ喜んでいることでしょう。

 

とにもかくにも、

舛添要一氏は211万票を獲得し、

2位の宇都宮健児氏の98万票と3位の細川護熙氏の95万票を合わせても及ばなかったわけで…

これが首都東京都民の意思ということ。

悲しいけれどこれが現実。

せっかく止まっている原発が次々に再稼働されていくことでしょう。

日本国民の多数が脱原発を望んでいるのに、

それとは逆行する道を都民は選択したわけです。

 

でも、都民だけを非難はできない。

もし長崎で同様の選挙が行われたらどうか?

違う結果がでたか?

やはり同じかもしれない。

「長崎を世界一の街にしたい。

福祉、防災、経済、そしてなにより6年後のオリンピックを成功させたい」

「出産や雇用、年金などあらゆる面に力を入れていきたい。特に待機児童は4年間でゼロにしたい」と述べる候補に1票をいれる人は多いだろう。

未来を守ることより、今の経済、自分の利益に繋がることを考える人は多いだろう。

 

かつて日本人はエコノミックアニマルと評された。

状況は違うけど、経済的な豊かさを求め、お金に頼る国民性は変わらない。。。

 

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初体験 梅が枝酒造蔵開き

2014-02-09 | 佐世保・長崎

今日は、夫のお供で「梅が枝酒造」の蔵開きに行ってきました。

貸し切りバスでお客さんがやってくるほどのすごい人気です。

佐世保では有名な老舗の造り酒屋で、

なにしろ創業は天明七年!200有余年の歴史を誇っています。

 

でもね、実は私、内心仕方なくお付き合い。

だって、日本酒なんて全然好きじゃないし…

ハウステンボス駅には「梅が枝酒造」のバスが迎えにきていたのですが、

そのバスに乗ったとたん日本酒の匂いがムワ~

ああ、来るんじゃなかった…と少し後悔したほど。

 

ところが、降りてみると、お花はきれい!

敷地にはたくさんの美味しそうなものがあるわあるわ…

しかも・・

このしぼりたて生酒の美味しかったこと!

生まれて初めて美味しいお酒に出会いました。

振る舞われたから言うのではありません。

ホントにほんとなんです。

 

そして建物の中に入ると

お琴の演奏でお出迎え。

そのずっと奥では・・・

なんとジャズのコンサート。

蔵というのは音響効果がいいのでしょう。

体にとても心地よく響きました。

でも、着いたのが遅くて、1曲聴いただけで、このステージはお終い。

残念!

 

続いて、酒造見学。

これも面白かった~

これは醪を熟成している過程。

白い米汁がまるでブクブク沸騰しているみたい。

「いま酵母菌が米をもりもり食べています」との説明に、

みんな興味津々でタンクの中を覗きました。

熟成した醪は袋に入れて重ねます。

上からの圧力で絞り出された液体がお酒で、その絞りかすが酒粕です。

 

酒造りの勉強をした後、

ノンベエの夫は嬉々として試飲と買い物に励み…

やっと買い物が終わったころ、最後のジャズコンサートが始まったので、

今度は初めから終わりまで、たっぷり楽しみました。

 

お名前は忘れましたが、この方の「テネシーワルツ」、絶品でした。

 

そろそろ帰るか~と外に出てみると、

こちらも、よさこい踊りで大盛り上がり。

そして、踊り子だけでなく・・・

こ~んなおじいちゃんも飛び入り。

きっと美味しいお酒が為せる技なんでしょうねー。

リズムに乗って、とってもお上手でしたよ~

 

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やなせたかしの言葉

2014-02-09 | 雑感

数日前友人から送られてきたDVD。

気になりながらも、三日間にわたるイベントに追われ、そのまま…

昨日やっと見ることができた。

それは、先月5日のNスペをダビングしたもの。

みんなの夢守るため

やなせたかし”アンパンマン人生”

というタイトルが書かれていました。

 

昨年10月に亡くなられて、私も少しだけ詩人としての「やなせたかし」を知り、

いいなぁと思っていた。

 

でも、あの素晴らしい「アンパンマンのマーチ」に、私は100%共感はしていなかった…

少しひっかかるところがあった。

 

なんのために生まれ なにをして生きるのか

答えられないなんて そんなのはいやだ!

 

「なんのために生まれ なにをして生きるのか」

それこそは人生のテーマ、簡単に答えられる人なんているのかなぁ?

「答えられないなんて そんなのはいやだ」と言われても、

答えられないから、みんな自問しながら生き続け、死んでいくのではないか

天寿を全うする頃に、ようやく、その答えらしきものが見つかるかも…

と淡い期待を抱いて。

なぜ、やなせたかしさんは、こんな歌詞を書いたのだろう。

 

昨日見たDVDで、その答えが少しわかった気がした。

やなせさんは日中戦争に出征したという。

多くの戦友を失い、自分だけが生き残ったという負い目。

やなせさんの自慢の弟(京都大学法科生)は、特攻隊員として散った。

あんなに優秀で前途洋々たる弟が、こんなに早く人生を終えるなんて、

弟は「なんのために生まれて」きたんだ?

という思いが、ずっとあったのかもしれない。

そして、弟ではなく、どうして自分が生き残ったのか、

僕は「なにをして生きるのか」と問い続けていたのかもしれない。

そして、見つけたのが、アンパンマンの世界。

漫画でこどもたちに夢を与え続け、

夢を大事に、

夢を忘れないで、

夢を叶えるために元気に生きていくんだよ、

僕の弟や戦争で死んでいったたくさんの子どもたちの分まで。

そういう思いだったのかな~

などと、かってに思いを巡らせてしまった。

 

でも、晩年のやなせさんの言葉は明るくて温かい。

 

絶望の隣には希望が そっと座っている
 
一寸先は闇でも その一寸先には光がある
 

 

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南相馬市桜井市長の言葉

2014-02-07 | さよなら原発

 

 

桜井南相市長の演説(2月2日、有楽町)がユーチューブにアップされていました。
命への思い、原発をなくしたいという思い、
当事者だからこその強い思いを語っていました。

まだ聴いていない方は、どうぞ聴いてみてください。
内容の一部をここに抜粋します。 

 

あの震災直後、21メートルの津波が南相馬市を襲いました。

635人が命を落としました。

111名がまだ見つかっておりません。

その時3月12日に福島原発第一原発が爆発。

家族の捜索ができないまま、避難させられたんです。

 

71500人いた南相馬市民のうち、

6万人以上が故郷を離れなければならなかった。

なぜ強制的に、自分の場所を離れさせられなければならないのか。

今現在も2万5千人を超える市民が避難をさせられているんです。

 

私は市民の命を守るために、私の独自の判断で市民を避難させました。

3月16日に、新潟県泉田知事から、

新潟県は南相馬市民全員を受け入れると言っていただきました。

私は、天から、神からの声の様に嬉しかった。

 

東京にオリンピック、いいですよ。

でも、現場でどういう事が起きているか知っていますか?

建築現場は東京に引き揚げられてるんですよ。

大手ゼネコンは東京の方が儲かるんです。

南相馬市の予算は1千2百億です。

その内の半分以上が除染に使われます。

東京のゼネコンが福島に原発を起こして、福島に金を起こして、

また福島から金を奪っていく。

そんな事が許されますか。

東京を変えなければいけないんです。



国が20キロ、30キロ線引きをしたとき

物が一切入らなくなったときに、

細川佳代子さんは私のところにガソリンを運び、物資も運んできました。

いま命の防潮堤の先頭に立っているのが、細川護煕さんです。

 

今、この争点は「脱原発」とかいう甘い言葉じゃない。

命を守るかどうかなんです。

 

彼は命を掛けているんです。

私も命を掛けて戦っているんです。

東京電力と戦い、国のわけのわからない官僚と戦っているんです。

それは、見捨てられようとする市民の命を守る事なんです。



                       

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