佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

居場所を探して

2011-12-16 | 雑感

累犯障害者たちにスポットを当てた長崎新聞シリーズ企画「居場所を探して」。

第3部となる今回は、「ある聾唖者の裁判」を取り上げ、その聾唖者の姿を通して現状を見つめるという。

 

 

「社会より安心できる」・・・そこが刑務所だと言う。

パンもくれるし、病院にも連れて行ってくれる。

刑務所は社会よりも安心して暮らせる場所だったという橋本さん(仮名)。

 

受刑者の誰もが一日も早く出所したいと願う刑務所に、「悪い思い出はない」という橋本さん。

言いかえれば、それほど社会=シャバは居心地の悪い、イヤな思い出だらけの場所だったのだろう。

シャバの住人としては、とても哀しい気分になる。

 

罪を憎んで人を憎まずの精神だろうか?現在の受刑者処遇法では、受刑者の人権を尊重し、

教育や医療、運動など、その生活環境が守られている。

そのような厚遇が良くないという人もいる。

税金を使って犯罪者を養っている、もっと厳しくしなければ…と。

そういう考えが、シャバを寒々しい居心地の悪いものにし、累犯を助長していると思うのだが…

 

「善意の無関心」という言葉がある。

時としてこういうことも必要だが、

単なる無関心は、弱者の心を傷つけ、弱らせ、追い詰めるケースも多いのではないだろうか。

 

つい先日、メール便を出しに、いつものように駅構内のクロネコヤマトへ向かった。

メール便を出し終え、次の目的地へ急いでいたが、

自動券売機の近くを通り過ぎようとして、券売機の前に立っている男性のことが気になった。

その男性はさっきも同じ場所に立って、キョロキョロしていたから。

近づいてみると何やらブツブツ呟いてる。

どうしたんですか?と尋ねると、「きっぷ、出ない」という。

画面を見ると、2070円の切符を求めて、1000円入金、あと1070円不足と表示されていた。

「どこまで行くんですか?」と訊いても返事が返ってこないので、

「この切符を買いたいんですか?」と2070円の表示を指さすと、うんうんと頷く。

「あと1070円入れなきゃ切符は出てこないですよ」と言うと、

男性は財布を開いて、この中から取ってくれとでも言うように私に差し出した。

が、小銭があるだけで、お札は1枚もなかった。

困ったなぁ・・

「あのー、これ全部入れても2070円の切符は出てきませんよ」と言うと、

「ちがう、ちがう」と首を振る。

え?何が違うんだろう…と不審に思い、もう一度画面を指差し、

「この切符を買いたいんでしょう?」と確認すると、大きく頷く。

「でも、2070円入れなきゃ出てこないので、いったん取り消した方がいいと思いますよ」と言うと、

また、違うと首を振る。

もしや・・「にせんななじゅう円の切符じゃないんですか?」と訊くと、

「にひゃくななじゅう円」と小さく呟く。

やっと合点がいって、「270」のところの画面をクリックすると、切符とおつりがジャラジャラ出てきた。

「はい、にひゃくななじゅうえんの切符」と言いながら切符を渡すと、

「ありがとう、ありがとう」と何度もお辞儀する。

「いいえ、それより早くお釣りを取った方がいいですよ。忘れないように」

ああ、と笑顔のままお釣りを取り出す手元が震えていた。

 

60代~70代に見える男性の本当の歳はわからない。

脳卒中などの後遺症で上肢に麻痺が残って、画面を押す手元が狂ったのかもしれない。

言葉がスムーズでなかったから、初め外国人かとも思ったが、やはり病気の後遺症かもしれない。

しかし、「2070」を「270」と思い込んでいたフシがあるので、知的障害のある人かもしれない。

本当のところは、私には何も分からない。

 

ただわかるのは、自動券売機のシステムが、その男性にとっては利用困難な機械であったということ。

昔のように窓口で駅員が対応する販売方法であったなら、男性はこんなに困らずに済んだ。

隣の券売機を利用していた人が声をかけていたら、こんなに長い時間、途方に暮れることもなかった。

世の中はどんどん合理化され、機械化され、多くの人が便利になったと感じているが、

その流れに適応できない人たちのことは、置き去りにしている。

見て見ぬふり。

そんな社会より刑務所は、累犯障害者にとって、よほど人間らしい温もりのあるところなのだろう。 

 

 

コメント
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