累犯障害者たちにスポットを当てた長崎新聞シリーズ企画「居場所を探して」。
第3部となる今回は、「ある聾唖者の裁判」を取り上げ、その聾唖者の姿を通して現状を見つめるという。
「社会より安心できる」・・・そこが刑務所だと言う。
パンもくれるし、病院にも連れて行ってくれる。
刑務所は社会よりも安心して暮らせる場所だったという橋本さん(仮名)。
受刑者の誰もが一日も早く出所したいと願う刑務所に、「悪い思い出はない」という橋本さん。
言いかえれば、それほど社会=シャバは居心地の悪い、イヤな思い出だらけの場所だったのだろう。
シャバの住人としては、とても哀しい気分になる。
罪を憎んで人を憎まずの精神だろうか?現在の受刑者処遇法では、受刑者の人権を尊重し、
教育や医療、運動など、その生活環境が守られている。
そのような厚遇が良くないという人もいる。
税金を使って犯罪者を養っている、もっと厳しくしなければ…と。
そういう考えが、シャバを寒々しい居心地の悪いものにし、累犯を助長していると思うのだが…
「善意の無関心」という言葉がある。
時としてこういうことも必要だが、
単なる無関心は、弱者の心を傷つけ、弱らせ、追い詰めるケースも多いのではないだろうか。
つい先日、メール便を出しに、いつものように駅構内のクロネコヤマトへ向かった。
メール便を出し終え、次の目的地へ急いでいたが、
自動券売機の近くを通り過ぎようとして、券売機の前に立っている男性のことが気になった。
その男性はさっきも同じ場所に立って、キョロキョロしていたから。
近づいてみると何やらブツブツ呟いてる。
どうしたんですか?と尋ねると、「きっぷ、出ない」という。
画面を見ると、2070円の切符を求めて、1000円入金、あと1070円不足と表示されていた。
「どこまで行くんですか?」と訊いても返事が返ってこないので、
「この切符を買いたいんですか?」と2070円の表示を指さすと、うんうんと頷く。
「あと1070円入れなきゃ切符は出てこないですよ」と言うと、
男性は財布を開いて、この中から取ってくれとでも言うように私に差し出した。
が、小銭があるだけで、お札は1枚もなかった。
困ったなぁ・・
「あのー、これ全部入れても2070円の切符は出てきませんよ」と言うと、
「ちがう、ちがう」と首を振る。
え?何が違うんだろう…と不審に思い、もう一度画面を指差し、
「この切符を買いたいんでしょう?」と確認すると、大きく頷く。
「でも、2070円入れなきゃ出てこないので、いったん取り消した方がいいと思いますよ」と言うと、
また、違うと首を振る。
もしや・・「にせんななじゅう円の切符じゃないんですか?」と訊くと、
「にひゃくななじゅう円」と小さく呟く。
やっと合点がいって、「270」のところの画面をクリックすると、切符とおつりがジャラジャラ出てきた。
「はい、にひゃくななじゅうえんの切符」と言いながら切符を渡すと、
「ありがとう、ありがとう」と何度もお辞儀する。
「いいえ、それより早くお釣りを取った方がいいですよ。忘れないように」
ああ、と笑顔のままお釣りを取り出す手元が震えていた。
60代~70代に見える男性の本当の歳はわからない。
脳卒中などの後遺症で上肢に麻痺が残って、画面を押す手元が狂ったのかもしれない。
言葉がスムーズでなかったから、初め外国人かとも思ったが、やはり病気の後遺症かもしれない。
しかし、「2070」を「270」と思い込んでいたフシがあるので、知的障害のある人かもしれない。
本当のところは、私には何も分からない。
ただわかるのは、自動券売機のシステムが、その男性にとっては利用困難な機械であったということ。
昔のように窓口で駅員が対応する販売方法であったなら、男性はこんなに困らずに済んだ。
隣の券売機を利用していた人が声をかけていたら、こんなに長い時間、途方に暮れることもなかった。
世の中はどんどん合理化され、機械化され、多くの人が便利になったと感じているが、
その流れに適応できない人たちのことは、置き去りにしている。
見て見ぬふり。
そんな社会より刑務所は、累犯障害者にとって、よほど人間らしい温もりのあるところなのだろう。