佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

こうばるホタル祭り2010

2010-05-30 | 石木ダム
5月最終土曜日、いよいよホタル祭り当日!

昨年初めてホタル祭りを見に来て、灯りの舞の美しさと、こうばるの食の美味しさに感動。
今年は、お手伝いと称して裏方に潜入し、
23回目のホタル祭りの舞台裏を見せて頂きました。




こうばる公民館には、いくつものガスコンロと、大鍋やらお釜やら大きなザル、そしてタライまでが…。



その中に入っていた大量の食材は次々に料理され、あっという間にできあがっていく。

おにぎり、お赤飯、山菜おこわ、おでん、シシ肉の煮物、山菜の煮物、ぜんざいetc.
そして、かきあげやにゅうめん、焼きそばの下ごしらえ等々。

わずか13世帯の住民が家族総出で準備に集中。それぞれの持ち場で、それぞれが大活躍。
誰もドタバタせず、目を吊り上げたりもせず、穏やかに冗談を言い合ったりしながら、
なぜか仕事は猛スピードで進む。
その、集団的名人芸とも言える技と、あうんの呼吸にただただ感嘆するばかり。



こちらは、川原名物「ホタルだんご」の皮を作っているところ。
ゆでたジャガイモをつぶして冷まし、小麦を混ぜて作るんです。
皮ができたら、用意しておいた餡子を包み、油で揚げてできあがり。
揚げたてのアツアツは、最高に美味し~いですよ!



山菜の煮物。ワラビ、ゼンマイ、フキ、筍など、どれも手間ひまかけた絶品です。
1か月以上前から、おばあちゃんたちが暇を見つけては山に採りに行き、
乾燥させたりあく抜きしたり・・・
特に乾燥筍の煮物は、他では味わえない逸品。




こちらは、できあがった山菜料理をパック詰めしているところ。
きちんと計量して詰めていきます。
小学2年生のはるちゃんも、黙々と手際よく手伝っています。
その根気の良さと、考えて行動する力(決して指示待ちではない)にびっくりしました。
きっと物心ついたときから、ホタル祭りの準備をするおばあちゃんにくっついてきたのでしょう。
言葉で教えなくても、大人の背中を見てしっかり学んでいくものですね、こどもって。



こちらの親子は福岡からお手伝いにやってきました。
お母さんのふる里がここ、こうばるだから。
きっとこの女の子も、毎年こうしてホタル祭りに参加してきたのでしょうか。
そしてこれからも、毎年こうしてお手伝いにくるのでしょうね。
ホタル祭りが続く限り…

昼食をはさんで、作業を再開。



パック詰めしたものは、どんどんテーブルに並べて冷まし、
ある程度温度が下がったらパックを閉じ、段ボールに詰め、ホタル祭りの会場へ運びます。




会場でも準備は着々と進んでいました。
こちらは、ライブのステージ。
ご覧の通り、トラックの荷台です。
真っ白な幕と、その上にくっつけているのは、布メッセージ。
全国各地から届いたばかりの、石木ダム反対運動応援メッセージです。


こちらは愛媛県からいただきました。いろんな布が貼り付けてあります。


こちらは遠く北海道から。


こちらは、山口県から。
祝島の原発反対運動に賛同している「虹のカヤック隊」からのメッセージです。
らんぼう君の名前を見つけました。


こちらは東京の高尾山から。
虔十の会」の坂田さんの名前もありました。

らんぼう君、坂田さんはじめ、石木ダム問題に関心を寄せ応援をして下さる各地の皆さん、
本当にありがとうございました。
とても元気づけられます。
そして、この布メッセージの呼びかけをしてくださったヨーチやタカさんありがとうございました。



広場の奥の方ではマキでお米を炊いています。
お餅もたーくさん作るから。

白いお餅に、ヨモギ餅、餡子入りとそうでないのと、ぜんざい用の小餅も。

つきたてのお餅に餡子を入れて丸めるお手伝いもしましたが、
熟練者の3倍くらいも時間がかかってしまい、お恥ずかしい・・・

こどもたちは今年も金魚すくいを楽しんでいました。



おじいちゃんやおばあちゃんにおしえてもらって男の子が作っているのは、ホタルかご。
3本の藁を使って編んでいきます。

私も教えてもらいましたが、完成できないまま退散。
何をやっても役に立たないことばかり…トホホ

さあ、売り出し開始!

本当は7時開始なのに、こうばるの食の美味しさを知ってるお客さんが早くからつめかけ、
1時間前に売り始めると、どこも長蛇の列。
お一人様3パックまでと制限してるのに、飛ぶように売れ、売り切れ続出です。





6時半を過ぎ、ようやくライブ開始。
トップバッターは、長崎ジェンベクラブ「ホロヤカン」の歌と太鼓と踊り。
パワフルで楽しい演奏に、会場はお祭りムード全開です。

つづいて、佐世保から、「うたごえサークルふれんど」が登場。
えー、私もメンバーの一人です。。
" 下手の横好き "とは私たちのこと。
枯れ木も山の賑わいと開き直って、2曲だけ歌いました。

3番手の3人組は、セミプロのグループ「オトヒトツ」
ヒロピの独特な歌声に、聴き入る人々。
演奏が終わってもアンコールの掛け声があがり、
嬉しいけれど、私も聴きたいけれど、すでに予定時間をかなり過ぎていたので、私はあわてて
「すみません、次の演奏者が待っていますので」とお客さんを制しなければならなかった…。




そして、いよいよ最後は「ながせん」!
あたりはもうすっかり闇の中。
簡易ステージの上に3つの電球がホタルのように灯りを点しているだけ。


「こうばるのうた」から始まり、
「ふるさと」や「翼をください」など会場の人たちも熱唱。


みんな幸せそうな表情でした。

「ながせん」「オトヒトツ」「ホロヤカン」「ふれんど」の皆さん、ありがとう。

こうばるの人々を応援したいという皆さんのお気持ちがとても嬉しかったし、
訪れたたくさんのお客さんにも皆さんのメッセージは伝わっていたと思います。

長崎、諫早からもたくさんの方々が、来て下さいました。
東京からは「水源連」のE氏や、大学院生のY君も、この日のために来て下さいました。

石木川のホタルたちも、きっと喜んでいたでしょう。

そして、川原の皆さん、ほんとうにお疲れ様でした。
来年も再来年も、ずっとずっと、この素敵なお祭りを続けていってくださいね。

ダムはきっとできませんから。
造らせませんから。
そう信じ続けていきましょう。   



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そぷんさんの気持ち

2010-05-24 | 石木ダム
今日はまた、感動のメッセージをご紹介します。

常連の読者の方なら、コメント欄の「そぷん」さんのこと、覚えていらっしゃるでしょう…

「石木川まもり隊」の仲間で、それ以前に敬愛する大先輩で・・・

あ、いえ、年齢のことではありませんよ。
年齢はたいしてかわらない、少しお姉さんという程度。
そうではなくて、この佐世保で生まれ育って、反戦・反基地運動をずーっと続けてこられた、
筋金入りの平和運動家なのです。
だけでなく、原発問題や石木ダム問題にもかなり以前から熱く取り組んでいる市民運動家です。

「運動家」というと、ちょっと激しいイメージですが、ぜ~んぜん違ってて、
きさくで優しいお姉さんタイプ。

佐世保に越してきたばかりの、右も左もわからない私にいろんなことを教えて下さって…
そういう意味での大先輩なのです。

石木ダム問題も、まさにそうでした。

その大先輩のそぷんさんが、「やさい通信」に石木ダムのことを書かれました。
その記事を読んで私は…
いえ、余計なことを言うのは止めましょう。
前置きが長くなりました。

そぷんさんの了解を得て、全文掲載させていただきます。
どうぞ、じっくりお読みください。



川原(こうばる)の里

 石木ダムの建設予定地である、東彼・川棚町川原郷を初めて訪ねたのは、もう16年も前のことである。当時、佐世保市は大渇水できびしい制限給水が続いていた。鳴りを潜めていた「石木ダム」建設の話が、市民の口の端に上るようになってきたのもこの頃だった。こんな中、ダム建設反対を掲げ反対運動を続けられている地元の方のお話を聞く機会があって、私は川原郷を訪れたのだった。
 
川原郷は、登山愛好家にはマッターホルンに似ていると人気の高い、虚空蔵山の麓にあった。澄み切った川の流れ、小さい石積みの棚田が広がる里の様子に私は心を奪われた。「ああー、人間はこうやって営々として田圃をつくり、米を収穫して、何世代にも亘り生き抜いてきたのだ。」と言う思いがわきあがり感動したのだった。こんなに美しい郷を水の底に沈めていいのか?私の気持ちは、反対同盟の方のお話を伺う前に、ダム建設反対の気持ちで固まった。

そもそも石木ダム建設は、川棚町の治水と佐世保市の利水を目的とした多目的ダムとして計画された。しかし、実態は針尾工業団地への水の供給と工業団地が出来れば、人口が増え水の需要が増すだろうとの見込みから計画されたものである。だが、県の目論見ははずれ、広大な工業団地は買い手が付かないまま10年以上が経ち、1992年、やっとテーマパーク「ハウステンボス」ができたが、2003年には会社更生法の適用を申請、現在も再建中なのは、みなさんよくご存知のことだろう。

「見ざる・聞かざる・言わざる」のユニークな反対運動を続け、県や市の職員など外部との接触を一切断っていた反対同盟が動いたのは一昨年9月。
淀川水系流域委員会の座長だった今本京都大教授、同じく荻野教授を招いての石木ダム現地見学会と調査報告集会が開催され、県内外から多くの人が集まった。そのような動きの中から、川棚町では「清流の会」佐世保では「水問題を考える会」が発足し、学習会やシンポジウムを開く中で、はっきりと石木ダムの必要性が否定されたのだった。

 私は、この学習会の中で出会ったMさんが立ち上げた、石木ダムに反対する市民グループ「石木川まもり隊」に参加し、他の会員のみなさんと一緒にパンフレットの配布や事業認定申請反対の署名活動、事業説明会での質問などを行ってきた。同時に情報公開法を使って、市内のダムの貯水量の変遷や補水量、取水量の動きなど会員で手分けして、細かく調べあげた。その結果分かったのは、佐世保市が過大な水需要予測をしていること、1日1万トンもある漏水に有効な手を打っていないこと、そして極めつけは10年前にはあった水源が消えてしまっていることなどだった。私たちは水道局に疑問をぶつけたが、納得のいく回答は得られなかった。
「このままではダムが造られてしまう。」私たちは石木ダム建設に疑問を抱いている市議会議員・県議会議員に資料を渡して議会で追及してもらうことにした。その結果、3月議会で水道局は「漏水防止対策をやる。再生水利用の拡大をはかっていく。」と確約したのだった。

3月24日、県は予算が付いていることを理由に、付け替え道路の年度内着工に踏み切った。雑木林が次々に伐採され、山肌があらわになっていくが、まだまだだ。政府も「コンクリートから人へ」を標榜している。そう簡単にダムは作らせない。いま工事をやっているところは買収済みの土地だ。未買収の土地のほうが多いのだ。私も共有地権者の一人だし、立木4本も所有している。絶対に売りはしない。

3月31日から、建設現場入り口で、ばあちゃんたちや女たちを中心にした抗議の座り込みが続いている。朝7時半から2時間程度、ラジオ体操をしたり、石木ダム反対の歌・こうばるの歌を歌ったり、ばあちゃんたちと話をしたり、時間はあっという間に過ぎてしまう。半世紀近くも反対運動を続けてきた人たちだけど、川原の人たちはみんな気のいいやさしい人たちばかりだ。
「ごめんねぇ。遠くから毎日来てくれて、悪かねぇ。」とばあちゃんたちは言うけれど、「ごめんね。」と言わなければならないのは、私のほうだ。
「夜にゆっくりしょうか、もう寝ようかとすると、県の職員の来らす。正月は元旦から佐世保の市長さんの来らす。言わすことはお願いします、お願いしますだけ。こん何十年ちゃ、気の休まる時はなかとよ。」…。

気のいいみなさん方を、長年苦しめてきたのは私の住む佐世保市だ。とどのつまり、ダム推進の為政者しか選べなかった私たち自身がこの人たちを苦しめてきたのだ。だから私は、今日も「ごめんね。」の気持ちで、ばあちゃんたちの横に座る。


                  


そぷんさんの優しい気持ちは、ばあちゃんたちだけでなく、川原の皆さんにしっかり伝わっています。
だから、佐世保から来る私たちはみんな、温かい歓迎  を受けているのです。

そぷんさん、ありがとう。 



 
 

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ホタルとうたごえ

2010-05-23 | 佐世保・長崎

風薫る5月ももうすぐ終わり・・

早いものですね~

月が変わると、そろそろ梅雨の季節が始まります。

梅雨前の今が一番いい時季。

暑からず寒からず、緑が輝き花もあふれ、そして川にはホタルが・・・

 

そう、恒例のホタル祭がやってきます!

日時:5月29日(土)夜7時~

場所:長崎県東彼杵郡川棚町岩屋郷川原(こうばる)地区石木川のほとり

出し物:おでんに焼きそば、山菜料理にぜんざい等々地元の主婦による手作りの

    ご馳走がいっぱい!(もちろん有料、すぐ売り切れちゃうからお早めに…)

    もちつき、金魚すくい、ホタルかご作りコーナーも!

    今年はライブで盛り上がろう~!

    ★長崎ジェンベクラブ「ホロヤカン」(アフリカン太鼓で楽しく踊ろう~)

    ★「オトヒトツ」(若者3人の素敵な歌と演奏で疲れた心も癒されますよ~)

    ★「ふれんど」(歌が大好きな佐世保のうたごえグループ、一緒に歌おう~)

    ★合唱団「ながせん」(長崎の男声合唱団、「こうばるのうた」に乞うご期待!)

 

うたごえと言えば…もう一つお知らせがあります。

こちらも恒例、「歌声喫茶in烏帽子岳」のお知らせで~す!

日時:5月30日午後1時~3時

場所:烏帽子岳山頂「風と星の広場」

アクセス:車か、佐世保駅前11:45発のバスでいらしてください

参加費:無料、コーヒーやトン汁を用意します(こちらは有料)

 

1月アルカスでの歌声喫茶には、歌手の藤あけみさんをお招きして、

素敵な歌声をたっぷり堪能できましたが、

歌い足りなかった、自分たちでもっと歌いたかったという方々もいらしたようで…

そんな皆さん、今回は思いっきり歌って下さいね。青空の下で。

ストレス解消、元気倍増、間違いなし!ですよ。

 

 

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あーした天気にな~れ!

2010-05-22 | 石木ダム

明日は石木小学校の運動会です。

でも、天気予報では雨マーク。 

運動が大好きなYさんちの子どもたちは、

てるてる坊主を作って、お天気になるよう祈ってるそうです。

先生に褒められたダンスや得意なかけっこを家族に見てもらいたい!と、

やる気満々ですって。

久しぶりに会ったYさんは、子どもの話に目を細めます。

 

彼は、まだまだ青年のように若いのに、石木小学校のPTA会長をしています。

児童の親には、ダム建設に賛成派も反対派もいるし、

土地を売って出ていった人も残って頑張っている人もいる。

そんな中で、反対派のホープであるYさんが会長を務めるのは、彼自身もしんどいでしょうし、

PTAの中にも抵抗感のようなものがあったのではないか…と想像していたのですが、

それは余所者の要らぬ心配だったようです。

親としてこどもたちのことを真剣に考え、行動し、

親同士、また先生たちと協力してやっていく、そのリーダーシップを発揮できる人であれば、

個人的な問題はいっさい関知しない・・と、

石木小学校も保護者の皆さんもしっかり割り切り、理解なさっているようです。

それは、石木の方々の子育てに対する意識(シャレではありません)の高さであるとともに、

Yさんの人柄によるところがとても大きいと思います。

 

さて、私も明日はお天気になってほしいナ~と願っている一人です。

というのは、明日は大事な講演会の当日だからです。

そうそう、このブログではまだお知らせしてませんでした。

あらためまして、発表します!

 

「公共事業のいま」と題して保坂展人さんの講演です。

   5月23日(日)  13:00~15:00

   スピカ講座室(アルカスSASEBO2階)

   入場無料

無駄な公共事業が国や地方の財政をひっ迫させているのに、

まだまだその実情をよく知らない私たち。

衆議院議員時代、国会の質問王と称され、

「公共事業チェック議員の会」の代表をつとめていた保坂さんに、

諫早問題、石木ダム問題など大いに語ってもらいます。

佐世保近隣の皆さん、超必見ならぬ必聞?です。

が降っても足を運ぶ価値ありですよ~ 

 

 

 

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ペシャワール会

2010-05-18 | 平和
昨日、初めて福岡市にあるペシャワール会事務局を訪ねました。

ペシャワール会については多くの方がご存じだと思いますが、
1983年、中村哲医師のパキスタンでの医療活動を支援する目的で結成された会です。
しかし、今や中村医師は白衣を脱いで、工事現場監督に転職なさったかのよう

それは、現地で亡くなっていく多くの命が、きれいな水と食糧さえあれば失われることはなかった
という現実を目の当たりにされ、薬よりもまず水を…と思われたからです。

医療のかたわら井戸掘り事業を始め(以前読んだ本では確かその数1500以上と書かれていたような…)、
それだけでは終わらず、2003年からは、作物を収穫できる農地を回復するための用水路建設に着手。
今年2月、実に25.5kmにおよぶ用水路が完成!

かつて灰色一色だった砂漠地帯に緑の大地が蘇り、
故郷を捨て、難民とならざるを得なかった多くの民が戻り始めました。
緑の畑が広がり、その中に点在する民家、そして子どもたちの笑い声・・・

その成功の陰には、中村医師を支える日本人ワーカーや現地スタッフと住民、
そして、彼らへの賃金やすべての事業資金を提供し続けるペシャワール会の存在があるのです。


私がこの会の存在を知ったのは、20年くらい前でしょうか。
でも、実際に会員になったのは、3年ほど前、中村医師の講演を生で聴き、心打たれてからです。

その講演会に誘ってくれたSさん(埼玉県在住)が、今回所用で大分にやってきて、
「ペシャワール会事務局にも行きたいんだけど一緒にどう?」と再び誘われ、
喜んでOK、同行することになりました。

Sさんは、私とは親子ほども年齢差がありますが、それを全く感じさせない同じ目線で話せる方です。
軍国少女だった彼女は、敗戦と同時に目覚め、その時の悔しさと、平和を手にした喜びとを、
ずーっとそのまま持ち続け、今も少しも褪せることなく暮らしています。

新聞や本をよく読み、講演会に出かけ、デモに参加したり、裁判の原告人になったり、
平和な社会を守り創るために自分にできることはないか、常に考え行動する人です。

そんな彼女が特に応援していたのがペシャワール会の活動で、
会費を払ったり本を買ったりする以外にもっと何かできないかしら…と考えていました。

その機会が今年3月やってきました。
Sさんが所属する『憲法を読む会inにいざ』が地域の9条の会にも呼び掛けて、
「平和へのコラボレーション」と題するイベントを企画。
DVD『アフガンに命の水を』(ペシャワール会活動の記録)の上映と
アーサー・ビナードさんの講演をすることになり、
彼女は、ペシャワール会との窓口になり、準備に奔走しました。

DVDを上映するだけでなく、現地ワーカーだった人も招いて直接話を聞くことも企画、
100名を超す参加者が集い、大盛況となりました。
ペシャワール会へのカンパもたくさん集まり、
その上もっとワーカーの話を聞きたいとの声も寄せられ、
翌月の『憲法を読む会』の例会で、再びワーカーのお話を聴く場を持つことになったとのこと、
その反響の大きさが窺えます。

Sさんは、そのイベントの時の写真と、報告や感想を記した会報などを携えて、
お礼かたがた事務局を訪ねたいと思ったのです。

私も、『憲法を読む会inにいざ』の元メンバーとして、
イベントの成功も、ペシャワール会へ寄与できたこともとても嬉しく、
SさんやOさん、その他関係者の皆さんに心から「おめでとう!そして、ありがとう!」
と言いたい気持ちでいっぱいです。

さて、1年ぶりに会った私たちは、ゆっくりお昼を食べて、積もる話をした後、
地図を片手に天神から大名町のほうへ歩いて行き…
一度も迷うことなく目的地に辿り着きました。エッヘン!
(事務所の方の話では、福岡市の人でもたいてい途中で迷子になるとか)

事務所は、スタッフやボランティアなど14,5名の方々でいっぱいでした。
ボランティアの皆さんは、葉書の宛名書きをしていました。
その葉書は、会費が入金されたことを伝えるお礼の葉書のようでした。

Sさんが訪問の趣旨を伝えると、皆さんは温かく歓迎してくださいました。
もちろん、遠い埼玉県からの客人だから…ということもあるでしょうが、
「新座市の…」と聞いて皆さん「ああ、あの…」という反応が返ってきたのです。

「?」と思っていたら、
ここ最近、新座市からの入会者が急増しているらしく、
あのイベントが大成功だったに違いない…と職員の方々も想像なさっていたようです。
だから、Sさんが持参した写真や資料を、とても喜んで見て下さいました。

Sさんと私は、皆さんと共に、最新の現地報告ビデオを見せて頂きました。
その後、ワーカーのMさんが、アルバムやパソコンに保存されたたくさんの写真を開いて、
いろいろ教えて下さいました。

「何でも訊いて下さい」と言われ、知りたがり屋の私はついついいろんな質問をしてしまいました。
現地の気温のこと、女性たちの暮らしぶりのこと、事業費用のこと、護岸や河口堰の工法について等々。
Mさんはそのどれにもきちんと真面目に答えてくださって、わからないことは他の人に尋ねたりして、
本当に親切に誠実に対応して下さいました。

印象的だったお話は、

・現地労働者への支払いは、職種の別なくほぼ同額支払われ、1人200アフガニー(約400円)
 一日に約550人働いているから、合計22万円が日々支出されるってこと。
 
ということは…年間、8030万円ですよ!用水路建設事業の人件費だけで…すごい!
これがみんなペシャワール会会員の会費や寄付でなりたっているのですから…す、すごい!
他にも医療関係の費用や、膨大な建設資材など、もっともっと支出は膨大な額になるでしょう。
だから中村医師は、帰国なさっている時は全国を飛び回って講演活動に努めていらっしゃるのかも…
・夏の気温は最高50℃くらいになるとか…
 熱いと言うよりも「痛い」という表現の方がぴったりくるそうです。
 そして、夜でも30度を超える暑さが続くという。。
 (私にはとても耐えられそうにない)

・診療所では、男性の日と女性の日が別々に設定されている

・女性だけでなく男性も人前で裸になることに抵抗が強く、衣服の上から聴診器をあてる
・まっすぐ植えていく日本の田植え方法を教えても、アフガンの人々は苗を適当に投げて植える

・ソバや茶、大豆などいろんな作物を試してみたが、やはり、その地に元々植えられていた作物がよい。

・クナール河は夏と冬では水量が大きく異なり、その高低差は4~5mにも及ぶらしい。
 だから堰を造って冬でも取水できるようにしなければならない。

・その斜め堰は筑後川の山田堰をモデルとし、用水路の護岸法も蛇籠工法で柳を植えるなど、
 日本の江戸時代の川造りの知恵が取り入れられている。

などなど、興味深い話はいつまでも続き、もっともっと聞きたかったけれど、
残念ながらバスの時間が迫ってきました。
いつかまた、今度はたっぷり時間をとって聞きに行きたい…


石木ダム問題に関わるようになって、水や川の大切さを感じてきましたが、
この日、あらためて感じました。
私たちはどれほど水に恵まれた生活をしているか、
それなのに、それ以上の水を求めて、欲望のままに自然を破壊しようとしている愚かしさ…

昨年5月の号外会報で中村医師は、次のように述べておられます。


「自然は決して過剰な要求をしない。
 『過酷な自然』とは、人間側が欲望の分だけ言うのであって、
 自然を意のままに操作しようとする昨今の風潮は思い上がりである。
 インダス川の支流、クナール河は簡単に制御できるものではない、
 殊に取水口の建設は、人為と自然の危うい接点であり、
 「少しばかりお恵みください」という姿勢がなければとても成功するものではなかった。
 遊水地や護岸法の着想もそうで、古人は自然を制御するのではなく、
 同居する知恵を活かしたのである」


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ニューヨーク州立大学病院の壁の落書き

2010-05-17 | 雑感
ついさきほど、mocciさんがメールで紹介して下さった詩、
「ニューヨーク州立大学病院の壁の落書き」を、
私も皆さんにお伝えしたくなりました。

今ネット上で密かに伝わっているということで、すでにご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが…



  大きなことを成しとげるために
  力を与えてほしいと神に求めたのに
  謙遜を学ぶようにと
  弱さを授かった
 
  より偉大なことができるようにと
  健康を求めたのに
  よりよきことができるようにと
  病弱を与えられた

  幸せになろうとして  
  富みを求めたのに
  賢明であるようにと
  貧困を授かった
 
  世の中の人々の賞賛を得ようとして
  成功を求めたのに
  得意にならないようにと
  失敗を授かった

  人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
  あらゆることを喜べるようにと
  いのちを授かった

  求めたものは一つとして与えられなかったが
  願いはすべて聞き届けられた

  神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
  心の中で言い表せないものは
  すべて叶えられた

  私はあらゆる人の中で
  もっとも豊かに祝福されていたのだ

  **ニューヨーク州立大学病院の壁に落書きされて、そのまま残されていた詩**"




私は弱さを授かったけれど、まだ謙遜を学べていない。

健康を与えられたのに偉大なことなどできていない。

それほどの富もないけど、貧困でもないから、賢明になれないのか。

失敗はたくさん授かったのに、このような悟りには全然近づけていない。。

病院の壁に落書きした人は、その病のおかげで、いのちを生きる喜びを知ったのだろうか?
信仰の力だろうか?

私はいつになったらこのような境地に辿り着けるだろうか・・・
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花続きで・・・

2010-05-12 | 佐世保・長崎
連休中がちょうど見頃よ。
ぜひ行ってみて!見ごたえあるよ。

とのお薦めを受けたのに、行く機会を逸してしまって…

もう遅すぎるだろうな…
と思いつつも、気になって、9日に行ってきました。

そこは、佐世保の人ならだれでも知っているという藤の名所、藤山神社。



この大フジは、九州一の名木で、樹齢650年。
この斜めの傾きは…



隣に鎮座するこの神社の神木「招霊の木」(樹齢800年)に寄りそって、地上25mの高さまで巻き付き、
左右に15mもツルを伸ばしているそうな・・・




大フジ以外にも境内には5種類40本もの藤の木があり、
あたりいったいフジの優しい香りでいっぱいでした。

完全に見頃は過ぎ、やせ細ってしまったフジの花ですが、
まるで薄紫のレースのカーテンのようで、この儚さもまた素敵です。




「蛇フジ」は、その名の通り、木に巻き付いた姿がヘビのようです。
どうやったらこのようにクネクネと曲がって伸びて行くのでしょうか?




この長さ、このボリューム、圧巻です。

来年はぜひとも、「今日がピーク!」という日に訪れてみたいナ~  

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川原の花

2010-05-11 | 石木ダム


ここは川原(こうばる)です。

右側の小山は、無残なハゲ山になりつつあります。
ダム建設による付替え道路を造るため、木を伐採しているからです。

中村知事や朝長市長は、この景色を見ても心が痛まないでしょうか・・

中ほどの看板には、こう書かれています。

  「売って泣くより笑って団結」

  「 WE LOVE KOBARU 」

しかし、約8割の住民は既に田畑や住んでいた土地を売って出ていきました。
生まれ育った土地を売るのは、苦渋の選択だったことでしょう。

看板の手前の土地も売られました。
買い上げた県は、当初は草刈りなどして管理していたようですが、
まもなく荒れ放題となり、雑草が生い茂り、見るに忍びなくて…

それで、近所に住む人たちが、お花を植えるようになりました。




白いマーガレットの中にアマリリスの赤が目立っていますね。


このピンクの可愛い花は何でしょう?


こちらの住居跡は…


今や、カスミソウ畑。
白とピンクのカスミソウが群生し、その中に埋もれるようにポピーやマーガレットも咲いています。

写真を撮っていたら、Sさんがピンクと白のカスミソウを花束にして渡してくれました。

マンションに帰り着いた時、事務所に居る管理人さんと目が合って、
(まあ、きれい!)というような表情をされたので・・・
花束ごとプレゼントしちゃいました。

なんて気前がいい!と思うでしょ?

実は…
先日もらったカスミソウが、まだ、ほら、こんなに元気に咲いているのです。
これ以上一人占めするのは欲張りですよね。






こちらもそのときもらったお花です。
グラジオラス?にしては華奢で小ぶりな感じですが。。


こちらは矢車草。
葉っぱは上のお花のものです。


殺風景な我が家が、最近華やかになりました。

荒れ地に植えられたこうばるのお花たちは、植えた女たちのように、とても明るく元気です。
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母の日と花

2010-05-09 | 雑感

子どもたちから届いた母の日の贈り物。


とても元気そうな真っ赤なカーネーション。
つぼみがいっぱい。まだまだずっと元気をもらえそう…


オレンジとピンクのカーネーションに、
ピンクと深紅のバラ、そしてカスミソウ…優しさが伝わってくるようなアレンジメント。
ちょっと形がおかしいのは、メッセージカードをはずしたから。
(身に余る言葉で…恥ずかしくて公開できません!)


何よりも嬉しい最高の贈り物です。


私も遠くに住む母にお花を贈りました。

花よりだんごっぽい母には、長崎特産の茂木びわと
今回初めて、プリザーブドフラワーを送りました。

プリザーブドフラワーとは生花を加工したもので、水や肥料を与える必要もなく、
長期間そのままの姿を保っています。
3年とも、5年とも、10年もつとも言われています。
最低でも1年以上は大丈夫なようです。
(私自身は買ったことももらったこともないので、実際どのくらいもつのかは確約できませんが)

「すごいねー!生花そっくりよ~不思議ね~何年もこのままだってね~」
「すごい技術を考え出す人がいるもんだね~」
「湿気には注意するように書いてあったけど、どこに置けばいいと思う?」

電話口でかなり興奮気味に話す母。
近年、お花でこんなに関心を示してくれたのは初めて。
考えてみたら、もう90歳を越した母にとっては、
贈られた花の世話もたいへんだったのかもしれません。

もらったら嬉しくて、一日でも長く咲かせていたいから、
日当たりに気遣ってあちこち移動させたり、
水やりもこまめにやっていたら却って根腐れさせちゃったり…

翌月母を訪ねると、ベランダの隅っこにダメになった鉢がこっそり置かれていたことも…
私は今まで自分の好みを母に押し付けて、負担を与えていたのかもしれません。

でも今回は、鉢ものが苦手な母でもずっとお花を楽しめるので嬉しかったのでしょう。
私にアドバイスして下さった「花徳」さん、ありがとうございました!


息子よ、娘よ、
私もうんと年を取ったら、プリザーブドフラワーにしてね。。
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20XX年、鳥たちの決意

2010-05-08 | 雑感

あらゆる野鳥たちが、一斉に集まるのは異例中の異例。

彼らは野鳥会議でこれからの運命を決めようとしていた。

「もう限界だ。ニンゲンの意識は変わらないようだ」

普段もの静かなシマフクロウが、この日は口火を切った。

「私たち、どんどん行き場を失っているわ」

アカゲラは泣き声だった。

「汚染された食べ物で体がおかしいの」

セイタカシギは細い足を震わせた。

それぞれが窮状を訴えた…。

「こうなったら困難が待っていようとも新天地へ飛び立とう」

オオワシの決意表明をきっかけにして、

野鳥たちは残らず飛び立ってしまった。

・・・・・・その日から、

地球は鳥の住まない星になった。

 

先日出かけたとき、道の駅で手にした小冊子「Toriino」を開いて目にした掌編。

お持ち帰り自由、とあったので、持ち帰り、そのまま・・・。

今朝、川棚に向かう車中でやっとゆっくり読んだ。

 

発行元は「日本野鳥の会」で、野鳥の写真も少々あるが、

夜の桜吹雪の写真(大きな山桜です。圧巻!です)あり、

懐かしい風景をうたう詩あり、

変わりゆく能登半島を思う随筆あり・・・

とても惹かれる写真や絵や言葉が詰まっている小冊子だった。

 

あるページには、茶色っぽい竹藪の細枝にとまっている薄茶色の鳥が、

「僕、何て鳥だと思います?」と話しかけ、

ページの下の方には、梅の木に枝にとまっている黄緑色の鳥の小さな写真。

その美しい色の鳥は、

「メジロですが、何か?」と言っている。

そして、薄茶色の鳥は、こう語る。

 

人間の皆さんがウグイス色って呼ぶ色で、花の周りをちょこちょこ飛んでいる鳥はね、

メジロっていうんですよ。なんだか間違えている人多いんですよね。

藪の中とかで目立たないようにしている僕らが本物のウグイスですからね。

この機会に覚えて下さいね。

でもせっかく地道に生きてきたのに、最近は地球温暖化とかでこの先どうなることやら…

こういう時代こそ、身近な自然にも目を向けてほしいな。

 

ウグイス色がちっともきれいではない濁った色だってことは、色図鑑で知っていたが、

あのよく見る絵柄「梅に鶯」(紅梅の枝に黄緑色の鳥)が、メジロだったとは知らなかった。

恥ずかしながら、鳥と言えば、フクロウとかインコとかクジャクとか・・・

動物園で見る鳥と、ハトやカラスくらいしか、その名を言える鳥はいない。

それだけ、私が鳥に無関心だということなのだが、

また、私たちの周りに野鳥がいないということも言えるのかもしれない。

20XX年は確実に近づいている・・・?

 

それにしても、鳥のことに限らず、私は自然界のことをほとんど知らない。

長崎に越してきて、そのことを実感した。

(あと2ヶ月で長崎県人としては満2歳になる)

海のこと、山のこと、川のこと、田んぼのこと・・・

もうすぐ田植えの季節だが、そういえば田んぼに水をいれるのはどうやってるのだろう?

田んぼのそばを川が流れていても、川より田んぼの方が高い位置にあるのに・・

海岸には砂や石や岩があるけれど、あれはどうやってできるのだろう。

岩が砕かれて石になり、砂になる?

それとも砂が堆積して固まって岩になり、それが砕かれて石になる?

川には岩や石や土があるけれど、海にはどうして土がないんだろう。

関東の林は冬には裸木になる落葉樹が多かったけど、こちらは常緑樹が多い。

落葉しない葉っぱたちは、生まれてずっと緑のままそこにいるの?

どのくらい生きられるの?

まさか木の寿命までってことはないだろうし・・

 

この年になって、こんなに何も知らないということを自覚するなんて情けないが、

でも、少し嬉しい気もする。

知らないことに気付かないままの私より、少し賢くなれそうな気がして・・ 

でもきっと、私のように何も知らない人間が大半なのだろう。

だから、自然界の異変にもほとんどの人たちが気付かずにきてしまった。

異常気象と騒ぐだけで、その原因を真剣に考えようとしてこなかった。

開発という名の自然破壊や、放射能汚染をもたらす原発や、戦争という破壊行為・・

人間は地球をいつまで傷つけ続けるのだろう。

鳥たちがいなくなってしまう前に早く気付いて、早く手を打たねば・・

 

気付くためには、ウグイス君が言うように、身近な自然にもっと目を向けたい…  

 

 

 

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