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佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

2020年大晦日

2020-12-31 | 雑感

今年も残すところ数時間。

テレビをつけると、東京の今日の新型コロナ感染者が初めて1000人を突破した!と報じていた。

今年はまさに、コロナイヤー。
コロナに怯え、コロナに泣き、コロナに苦しみ、コロナに世界中が揺れた。

学校も会社も休みになり、ひきこもりが奨励され、家族が入院してもお見舞いにも行けず、亡くなるときも死に目に立ち会うこともできず、目に見えぬウイルスが人と人を引き離した。

私も生まれて初めて1人での年越しだ。
子どもの時はもちろん、大人になって都会で一人暮らしをしているときも、年末には実家に帰り、一緒に年越しうどんを食べた。(蕎麦アレルギーなので)

結婚してからはもちろん新たな家族と一緒だった。初めは2人で、途中から4人で、そしてまた2人で。去年までは。

今年も夫は年末には帰ると言っていたが、熟慮を重ねた結果、今回は帰らないことにした。何しろ肺気胸に高血圧、不整脈等々の持病があり、感染は絶対に避けねばならないから。

そんなふうに、帰省をしない選択をした人も多く、ことしの年末は飛行機も新幹線もガラガラらしい。

昨日は私の誕生日だった。子どもたち夫婦の優しさが部屋中を明るくした。

いつも夫が買ってきてくれるお寿司を自分で買いに行ったが・・・

私が買うと、こんな安物になってしまう。
でも、美味しかったし、一人にはちょうど良い分量で大満足。ウニもイクラもエビもホタテもみんな少しずつ。少しずつなのがいい。美味しさを噛み締めることができるから。

よく私は買い物で佐世保駅構内を通るのだが、昨日も今日も通常の人通り。例年は改札口の周辺には、子や孫を迎えに来た人たちがたくさん立っている。みんな再会への期待と喜びが顔に出ていて、寒い日でもホカホカとした熱気が伝わってくる。

そんな熱気が今年は全くなかった。

でも、これがずっと続くわけではない。明けない夜は無い、と言うように、コロナもいつかは終息する。来年か再来年か、わからないが、終息する前に、コロナとの付き合い方も見えてくるだろう。恐れ過ぎず、侮らず、そして、コロナ禍を招いたのは我々人間だという認識を持とう。

この星の数多の生きものの1種に過ぎないヒトが、傍若無人の振舞いを重ね、あまりにものさばり過ぎている。森を焼き、水を汚し、CO2を増加させ、気象危機を招いている。他の生きものと、この星自体を苦しめている。これはきっと、いい加減にしろよ!というウイルスからの警告に違いない。

2021年のお正月はステイホーム。静かに家族と祝おう。
家に帰れない人は、家族と電話で話そう。
近くに森や川や海がある人は、そこに出かけよう。
自然の中に身を置いて、自然の声に耳を澄まそう。
街中に住んでいる人は、窓を開けて、風に耳を澄まそう。
空を見上げ、雲や星と話そう。

忘れかけていた何かを取り戻せるかもしれない。

取り戻そう。手遅れになる前に。

 

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憲法をいじるのはやめろ

2019-05-04 | 平和

「安倍君、憲法をいじるのはやめろ」

5月3日の憲法記念日に、1954年生まれの同級生として、安倍君に苦言を呈したのは、なんと、元NHKのプロデューサー!

「元」とはいえ、NHKの関係者。その歯に衣着せぬ真っ当な発言に拍手!

そして、それを伝えたのは、なんと、なんと、産経新聞!!

大拍手です。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190503-00000545-san-pol&fbclid=IwAR2G4_ss

 

元NHK・永田浩三氏「安倍君、憲法をいじるのはやめろ」

5/3(金) 18:38配信

産経新聞

 憲法記念日の3日、東京都内で開かれた護憲派集会で、元NHKプロデューサーで武蔵大教授の永田浩三氏がマイクを握った。安倍晋三首相と同じ1954年生まれであることを明かした上で、「大事な憲法をいじるのはやめておとなしく身を引きなさい」などと強調した。発言の詳報は以下の通り。

 「皆さん、こんにちは。32年間、NHKでプロデューサー、ディレクターをしていました。今は大学の教員として若者とともにドキュメンタリーを作ったりしています。今日は、総理の仕事をしている安倍晋三君について話したいと思います。知らない人は、あの嘘つきといえば思い出されるかもしれません」

 「私と安倍君は同じ1954年生まれです。同じ学年には(共産党委員長の)志位和夫君、(元文部科学事務次官の)前川喜平君、ドイツの首相、メルケルさんがいます。安倍君は福島(第1)原発事故の後、すぐに原発をやめると決めたメルケルさんとは相性が良くないみたいですし、加計学園の獣医学部を作るのが、いかに無理筋だったかを証拠立てて語る前川君が苦手なようです。あと志位和夫君も苦手みたいです」

 「私たち1954年生まれは、皆、戦後民主主義教育の申し子です。日本国憲法の3つの柱、『国民主権』『基本的人権の尊重』『平和主義』がどれほど大事なのか、小学校や中学校でしっかり学んだんです。先生たちも熱心でした」

 「小学校4年生のとき、東京五輪がありました。オリンピックは参加することにこそ意義がある。日の丸が上がるかどうかは関係ない。優れた競技やすごい記録に拍手を送るんだ。アベベ、チャフラフスカ、ショランダー…。柔道(無差別級)で神永(昭夫)が(オランダの)ヘーシンクに負けたときも、ショックはなくて、ヘーシンクに私は拍手を送りました」

 「『日本を、取り戻す。』『がんばれ! ニッポン!』。その旗を振る安倍君、少し了見が狭すぎませんか」

 「大学を卒業し、安倍君はサラリーマンを経て、政治家になり、私はNHKのディレクターになりました。ある時、思いがけない接点ができました。2001年のことです。私は、日本軍の慰安婦として被害に遭った女性たちを扱ったNHKの番組の編集長でした。一方、その時、安倍君は内閣官房副長官。君は放送の直前にNHK幹部たちにちょっかいを出し、番組が劇的に変わってしまいました。永田町でどんなやりとりがあったのか。その後、朝日新聞の取材で輪郭が明らかになっています」 「私は抵抗しましたが、敗れました。体験したことを世の中に語ることができず、孤立し、長い間、沈黙を続けました。悔しく、また恥ずかしいことです。あのとき君はそれなりの権力者でした。放送前に番組を変えさせるなんて、憲法21条の言論の自由、検閲の禁止を犯すことになり、そのことが世の中にさらされれば、君は今のような総理大臣になっていなかったことでしょう」

 「今、官邸記者会見で、東京新聞の望月衣塑子記者が菅(義偉)官房長官からさまざまな圧力を受け、質問が十分にできない中、それでも、われわれの知る権利の代行者であろうと必死で頑張っています。私には人ごととは思えません。でも、私と大きく違うのは、望月さん自身が勇気を出してSNSや集会で状況を発信し、市民とともに事態を共有することで、ジャーナリストを含めた連帯の輪が広がっていることです。市民とジャーナリストの連帯、メディアを市民の手に取り戻す。希望の光がわずかに見える思いです」

 「安倍君の話に戻ります。君が以前アメリカを訪問したとき、キャロルキングの『You’ve Got a Friend』という曲が好きだと言いましたね。『どんなに苦しいときでも友達でいようよ』。僕も大好きですし、その感覚はわかります。でも、残念だけど、君とトランプ米大統領は友達なんかじゃない。欠陥だらけの高額な兵器を買わされるカモにされているだけです。君には戦争の中で傷ついた人、声を上げられない弱い人を思いやる気持ちが欠けています。君の『You’ve Got a Friend』は友達にえこひいきをし、国の仕組みを私物化することです。それは友情ではない!」

 「友情とはもっと気高く素晴らしいものです。君は実力以上に大事にされました。これ以上、何を望むことがあるでしょうか。同い年、同じ学年として忠告します。『これ以上、日本社会を壊すことはやめなさい! これ以上、沖縄をいじめるのはやめなさい! 大事な憲法をいじるのはやめておとなしく身を引きなさい!」

 「歴史から学ぶことが嫌いで、不得意の安倍君、戦争の道を断じて進んではなりません。30年前にベルリンの壁が壊れたとき、私は東欧各地の取材をしていました。そのとき、人々が何より大事だと考えたのは、言論の自由と連帯、そして多様性です。憲法21条に明記された言論・表現の自由、一方、放送法第1条には『放送は健全な民主主義に資すること』とあります。健全な民主主義というのは少数者の意見を大事にし、多様性を認め、不埒な政府の横暴にあらがい、連帯することです」

 「今日は5月3日、32年前、朝日新聞阪神支局小尻知博記者が銃弾に倒れました。言論の自由が脅かされる社会なんてあってはなりません。ここにお集まりの皆さんが思っておられるのは多分、こうだと思います。リセットすべきなのは、元号ではなく、今の政権なのだと」

 「『All governments  lie』 今の政権は嘘をつく、今の政権は嘘をついているのです。嘘にまみれた安倍政権こそ終わりにすべきです。心あるジャーナリストとの連帯で、安倍政権を今年中に終わりにさせましょう。ありがとうございました」

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野中広務からのメッセージ 2008年4月15日『不登校新聞』より

2018-02-01 | 平和

【戦争特集】元自民党幹事長・野中広務さんに聞く

――野中さんの戦争体験を聞かせてください。

 僕は1925年生まれですから、国がだんだんと戦争へと向かい、実際に戦争が始まり、終戦を迎えるところまでを見てきた世代です。実際に私も戦争へ行って見事な戦死をとげるのが男子の本懐だと教え込まれ、自分でもそう思いこんでいました。そして、1945年の3月には召集令状も来ていました。

 戦争というのは突然、始まるものではありませんが、いったん戦争が始まると、これは本当に恐ろしく、むごたらしい事態になります。人が人を平気で殺してしまう。軍人だけでなく一般市民までをも巻き込んだ被害が起きるのです。

 先日、3月10日は東京大空襲の日でした。米軍からの爆撃によって東京が焼け野原になった日です。いまの東京を見ても、それを想像できないでしょう。思い出す人も少ないかもしれません。ましてや広島や長崎の原爆被害、そのすさまじい状況を想像するのは難しいことでしょう。

――「日本が戦争へ向かっている」と言われますが、野中さんはどう見られていますか?

 神奈川県の座間には「キャンプ座間」と呼ばれる米軍の陸軍基地があります。キャンプ座間の一部には陸上自衛隊も駐屯しています。現在、この座間にワシントンの米軍の陸軍第一司令部がやってきて、それに伴い、自衛隊の司令部も集結すると言われています。これは深刻な問題です。かつて日本は中国大陸を侵略しようとしたとき、朝鮮半島の上部に満州国をつくり、東京にあった関東軍司令部を満州国に移した歴史とダブるからです。

 満州国ができてどうなったのか。歴史をふり返れば、南京虐殺が起き、ベトナム、カンボジア、インドネシア、フィリピンへの侵略が始まったわけです。日本軍の内部では、フィリピンを攻めた際に「このまま戦争を続けていくのは無理だ」という趣旨の意見も持ち上がっていました。しかし、それがわかっていても、どうにも止められずに戦争を続けたわけです。

 こうした歴史的な背景があるにも関わらず、さきほどのキャンプ座間の「米軍再編」を日本は3兆円もの税金を使って進めようとしているのです。

 いま、政治家のほとんどが戦争を見ていません。質問にあるように、戦争へと国が刻一刻と向かっています。戦争への道にブレーキをかけられるのは、私たちの世代が、最後の砦でしょう。戦争が起これば、かならずその傷跡は後世まで残ります。私は死ぬ瞬間まで、戦争を止めるための努力を続けていきたいと思っています。

―― 一方で、今の若い人たちのことを野中さんはどう思っていらっしゃるでしょうか。フリーターやニートの問題が国会でも議論されています。

 規制緩和の「美名」のもとに、小泉純一郎元首相などが、アメリカの市場原理を導入して、アメリカ並みの規制緩和をしました。たしかに経済だけを見れば、好景気になったと言われますが、それはまやかしです。

 年金制度が崩れ、社会保険が潰され、医療や介護の負担が重くなっていく。大企業は人件費を抑えるためにリストラや早期退職を進め、派遣やパート社員を使うようになりました。正規雇用者と非正規雇用者では、生涯所得格差が3倍になっていると指摘されています。こうしたなかでフリーターやニートが増えました。

◎ 市場原理が心を破壊

 戦後教育のせいだという指摘もありますが、そうではありません。強い者が勝ち、弱い者が負ける、という市場原理が、社会の大切なコミュニティを破壊し、家族を破壊し、子どもの心まで引き裂いていった。日本の心が破壊されたわけです。そういう一連の動きのなかにフリーターやニートの増加があります。

 ただ、福田総理になって、すこしずつ取り戻そうという動きがあります。それも、この間、アメリカを中心とする会社の株価がガタッと下がったため、日本の株も下がり、暗雲が立ちこめています。いまこそ、日本がどんな方向に進んでいくのか、グローバリゼーションの世界戦略のなかで日本の位置をどこに持っていくのか、国内の深刻な社会問題をどうすべきか、議論しなければなりません。しかし、残念ながらそういう全体的な視野の討議が国会ではまったくされていません。

――いまご指摘された「日本の心」とは何なのでしょうか?

 いまは水道をひねれば水が出ます。ガスをひねれば火が出ます。しかし、もともと、そうだったわけではありません。
 日本人は、何の道具もない時代から山に道をつけ木を植え“山”をつくってきました。川には井堰をつくり、ため池をつくり、さらには田んぼをつくり、水が貯まるような仕組みをつくってきました。

 すべては「水の道」をつくり、水害を抑えるためです。日本人は水の道を利用して、米をつくりました。米は何百年と同じ場所で穂を実らせても土が痩せない作物です。ここに飢餓と災害を同時に抑えるための知恵がつまっています。そして、春には豊作を祈る祭、秋には豊作を感謝する鎮守の祭をし、そこから日本の伝統芸能が発展しました。私たちは謙虚な気持ちで自然とともに生きてきた民族なんです。

 ところが、いま山は“無価値”にさせられてしまいました。プロパンガスによって薪を使わなくなり、誰も山に手を入れなくなりました。さらにアメリカの要求で建築基準法が変えられ、外材をどんどん入れ、外材についてきた新しい害虫が山を荒らしました。金になるから、という理由で針葉樹政策がとられましたが、針葉樹のスギやヒノキはしっかりとした根を張りません。すぐに大災害を引き起こすようになってしまいました。

 善し悪しではなく、これがこの国の培ってきた文化や風土です。それはよくみなさんにも知っておいてほしいことです。

――先ほどから一貫して「弱者への視線」を感じますが、野中さんの視線の源にはなにがあるのでしょうか?

 僕は条件が揃っているんです。まず、被差別と言われる地域の育ちですし、戦争中の思い出も大きいです。

 戦時中、家の近所に造兵廠(兵器工場)が疎開してきました。働いていたのは、ほとんどが朝鮮半島から来た人でした。この人たちが毎日、鞭で打たれて血みどろになりながら働いていました。隣町のマンガン鉱も同じような状況だったそうです。そういう姿をずっと見てきたからでしょう。

――最後に子どもや若者へメッセージをお願いします。

 やはり若いもんが、これからの時代を背負っていくんです。ひとつは年寄りに遠慮をしないことです。そして、この国を少しでも誇れるように、あきらめずに反骨精神を持ち、やっていってほしいと思います。

――ありがとうございました。(聞き手・石井志昂)

2008年4月15日 『不登校新聞』掲載

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「優しさは世界一」の日本人が、電車で老人たちに席を譲らない理由

2017-11-09 | 雑感

古い記事ですが、とても心に残る内容だったので、転載させて頂きます。

笑い・共感・羞恥を覚えつつ読み終え、他の人にも伝えたいな…と思いました。

掲載記事はこちらです。→ http://www.mag2.com/p/news/134840

 

よく「日本人の優しさは世界一」といわれますが、電車の席譲りから横断歩道まで、老人や子供などに対して公共の場で手を差し伸べているシーンに出くわすことはほとんどありません。これはいったいどういうことなのでしょうか? メルマガ『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』では、NY在住である著者の実体験をもとに、この不思議な矛盾を解説しています。 

 

日米で違う人との距離感

日本に行くとまずいちばんに感じる日米間の違いは「人と人の距離感」です。

日本では知らない人にむやみに話しかけちゃいけないらしい。

ニューヨークで歩いていると、本当によく通行人に話しかけられます。 人が、人に、話しかけている。

まず、世界を代表する観光都市でもあるため、道を聞かれない日がありません(たまにこちらが知らない場所も聞かれますが、せっかく聞いてくれているのだから、適当でも答えてあげるようにしています。 「Sorry, I don’t know.」というのがあまりに忍びなくて、この道をまっすぐ行って2つ目の角を左。 50メートルほど行ったら1つ目の角を右。 知らない場合はどこであってもそう答えるようにしています。 ホスピタリティの国の出身だし「Thank you!」という笑顔に、めいいっぱいの笑顔で「You’re welcome!」と返すようにしています )。

観光客だけでなく、現地のニューヨーカーにもよく聞かれます。 先日は黒人のおばちゃんに「このあたりで、カニ玉食べられる中華料理屋ある?」と、通りすがり。

メニューまでは知らんがな(笑)。 何より、オレ、中国人じゃない。

この人が何人(なにじん)だろう、まで考える間もなく、近くにいたアジア人に聞いてみる。 なぜならアタシは今、チャイニーズを食べたいから。 聞く理由は至ってシンプル。

これが日本だと、やっぱり挨拶なしにいきなり通りすがりの人に「ねぇ、このへんにイタリアンない? ピッツア食べたいんだけど。 できればマルガリータ」って聞くとやっぱり後で「今日ヘンな人に会った」と盛り上がられるんだろうなと思います。

以前、新宿駅で中年の女性に西武線の場所を聞かれました。 「あの〜、スイマセン…お忙しいところ申し訳ありません…」本題に入る前の枕詞が長い。 目が合った瞬間、カニ玉食べたいんだけど!って聞いてきた前述のオバサンとおそらく同世代の方だと思われます。 ものすごく恐縮されるので、本題がただの「道を教えてくれ」だとわかったときは、少し驚きました。

なるほど。 日本で人に道を聞く場合はここまで恐縮しなきゃいけないんだな。 たまたま知っていたので本当(笑)の道案内をしようと「あそこの階段を上がって1回、地上に出てもらって…」と説明前半部分で、「ああ!! ありがとうございます! ありがとうございます! 後は階段上がった時点で、また聞きますので…」とそのまま行ってしまいました。 頭を50回くらい下げながら。

僕の右手の人差し指はまだ階段の方向を指差したまま。 全行程の4分の1の時点で道案内は終わってしまいました(せっかく、今回は知ってたのにw)。

相手の時間をわずかながらでも頂戴することは申し訳ないと思っているのでしょうか。 あるいは申し訳ないと思っていると思わせたいのでしょうか。 あるいは知らない人とそこまで関わりたくないけど、聞かなきゃしょうがないから最小限に済ませようとしているのか。 あるいは関わる時間が長ければ長いほど恥ずかしいから、短く切り上げようとしているのか(多分、3番目か4番目だな)。

どちらにせよ、日頃僕たちがニューヨークで生活している際の人との距離感とあきらかに違うレンジで人が接してる(言葉は母国同士だからホントはもっとコミュケーション取りやすいはずだけど)。日本以外の国だと人と人の距離感が明らかに近いということは覚えておいた方がいい。 特に多様な人種がうごめくニューヨークでは、いちいち、その国の文化、風習に合わせていられないのか、(あるいは他人にどう思われても平気なのか)至ってシンプルです。

知らないから道を聞く

カニ玉食べたいから、中華料理店を聞く。

以前、エンパイアーステートビルの入り口に立っている人にエンパイアーステートビルってどこ? って聞かれたこともあります。 彼にとっては振り向くというひとつの動作よりたまたま目の前を通った僕に訪ねる方が楽だったということでしょう。

ウイークデーの昼間。 信号待ちしてると、いきなり隣のアメリカ人ビジネスマンにネクタイを触られ、「これ、いいね! どこで買ったの?」とか。 地下鉄車内で隣に座っている人に「カッコいい時計だな。 日本製?」とか。 本当によく聞かれます。 ニューヨークあるあるです。 そして、それはとっても嬉しい気分になります。

前々回の日本出張時山手線に乗車した際、隣に座っている20代後半〜30代前半くらいのビジネススーツの男性が膝の上に置いているネイビーのブリーフケースがとても格好よく見え(実はニューヨークはオシャレなイメージかもしれませんが、男性用の鞄はほとんど黒一色。 黒を基調とした製品しかありません)「いいね、ソレ。 どこのブランド?」と聞いた際の彼のすっごく引きつった驚いた顔を忘れることが出来ません。 あきらかに「ヤバい! ヘンな人に話しかけられたっていう顔(笑)。 同乗した反対隣に座っていた僕の知り合いにも「高橋さん、ヤメましょ、ね。 ヤメましょ」となだめられました (笑)。

オレ…褒めたのに…。

身につけている衣類、アクセサリーを褒める―。 実は世界で、人間にとって、ごくごく自然なことが、日本では不自然なことに映る。 そんな社会になってしまっている気がします。

このメルマガで「日本の素晴らしさ」を、「アメリカのバカっぽさ」をここ数回訴えてきました。 日本が世界でいちばん素晴らしい国だという認識は変わりません

でもねー。

ここだけは強調したいのですが、NYの地下鉄でお年寄りが立っている光景をみることは絶対ありません。 15年間ほぼ毎日地下鉄を利用して、そんな景色はただの一度も見たことがない。

たまの日本出張。 1週間の滞在で何度、そんな光景を見たことか―。

そこだけは日本の圧倒的完封負けです。 断言します。

例えば、前に行く人が扉を開けた際、後から来た人の為に扉を手で支える―。

ニューヨークではそれが当たり前の光景になりすぎて、日本に帰ると驚きます。

先日、 est新宿の地下でベビーカー片手のお母さんが、重いガラス扉を片手で開けようと戦ってる。 そのスグ真後ろをオシャレな格好した若いカップルがガン見して一切助けようとしていない(これ、なんかの罰ゲームなの?)。

池袋のホームでおじいさんが買い物袋をぶちまけて転けた時、乗客全員がおじいさんとぶちまけられた買い物の品々を避けて歩き去っていく(モーセの十戒か?)。

前述のカップルの彼氏なんて、彼女に、いいとこ見せるチャンスじゃないの? それとも助けの手を差し伸べることが、ダサいこと、みたいなわけわかんない価値観まで日本は進んじゃってるの? (なんだ、それ 笑)いい人と思われようとしてると思われることが嫌とか?(めんどくせえ 笑)よくわかりません。

東海道本線で茅ケ崎まで行く車内の中、おばあちゃんが立っていました。 四隅の学生くん。 ビジネスマン。 ホストっぽいの。 OLはそれぞれ全員寝たふりか、ゲームに夢中。

僕がいる席からは少し離れてましたが、「おかあさん、こっち来なよ」と手招きして席譲る間も連中は寝たふりか、ゲーム。

(関東の地理に詳しくない僕は、予想以上に茅ケ崎まで遠くて、立ちながら、ちょっと失敗したかなと思わないでもなかったけど 笑)

しばらく経って、おばあちゃんの隣に座っている人が下車した際、おばあちゃん、今、空いた隣の席のシートをポンっ、ポンっと叩き「空いたわよ」と口パクで教えてくれました。

隣に座った瞬間、僕の耳元で「今日ね、主人にね、いいことあったわって帰ったら話すの」と。「なにがあったの?」と聞く僕にキョトンとした顔で「席、代わってくれたじゃなーい!」と嬉しそう。「 ヤメときなよ、そんなことでお父さん喜ばないよ」という僕に「もう10年この線に乗ってるけど、席を譲ってもらうことなんて滅多にないわ」と説明してくれました。

お年寄りが、電車内で席を譲ってもらったことが家族に話すトピックになる国

そこだけは日本は後進国、だと僕は思っています。

「あ。 以前、アメリカ人さんに譲ってもらったことがあるわ。 なんかね、その人はオーストラリアに住んでる白人のオジさんだった」

おかあさん。 多分その人、オーストラリア人だと思うぞ(笑)。 (でもどっちにしても日本人じゃないんだ…)

これらの話を日本の方にすると必ずされる返答があります。

「イヤ、実は日本人もみんな席を譲ってあげたいんだ。 だけど、シャイだから行動に出れないだけなんだよね」

そういった類いの返答をされます。

なるほど。 確かにそうかもしれない。いや、おそらくは僕もそう思います。 アメリカ人より、オーストラリア人より、日本人の方が絶対、優しいということを僕は知っているから。 その意見に100%同意です。

ただ、シャイだから行動に出ないのであれば一生シャイで家に閉じこもってたら? とも思ってしまいます。

人と人の距離感の違い―。 あまりに他人のスペースを尊重する文化は尊重しすぎて、助けの手すら差し伸べないなら。

距離感間違えてるよ

2~3年前、ニューヨークのエンパイアーステートビル付近で射殺事件がありました。この街でソレ自体は珍しいことではないのですが、まだ息のある絶対安静の被害者おせっかいニューヨーカーたち救急車が来る前に運んじゃって殺してしまった事件がありました。 やっぱり日本の方が正しいかも? 距離感。

image by: Shutterstock.com

 

NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』 より一部抜粋

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グアムからアメリカへの公開状

2017-08-15 | 平和

「公開状」という言葉を初めて知りました。
「公開質問状」ならしょっちゅう使っていますが…

デジタル大辞泉によると、
「 世間一般の意見や批判などを求めるために、特定の個人や団体にあてた書状を新聞や雑誌などに公開掲載するもの。オープンレター」
だそうです。

「オープンレター」のことか!と納得。
そして、それ以上に、この公開状に書かれている内容に納得しました。

http://attackansai.seesaa.net/article/452695488.html

「グアム」を「沖縄」に置き換えても納得。
さらに「アメリカ」を「日本」に置き換えても納得できるのが悲しい。

転載させていただきます。

 

グアムからアメリカへの公開状

2017年08月14日
グアムからアメリカへの公開状
ビクトリア・ロラ・M・レオン・ゲレロ
(「ボストン・レビュー」)
2017年8月10日

[ビクトリアさんは09年10月に大阪で「戦争あかん!基地いらん!関西のつどい」に参加し、感動的なスピーチを行ったので、覚えている方も多いと思います。現在はグアム大学新聞の編集長、グアム大学、サザンハイスクールなどでジェンダー・スタディーズや「創造的な書き方」などを教え、グアムの軍事化やチャモロの独立をテーマにした執筆や映画の制作で活躍しているそうです。原文はこちらから]

guam1.jpg

親愛なるアメリカのみなさん

あなた方がやっと、グアムで何が起こっているかを気に留めてくれるようになってうれしいです。インターネットで見ていると、あなた方の多くは初めて「グアムって何?」って思ったようです。グアムで育った私たちは、毎日あなた方のあらゆることを聞かされてきました。残念なことに、あなた方が「グアム」という言葉を口に出すのは、私たちが爆弾の標的にされる時だけです。あなた方に知ってほしい、もっと興味深いことがいっぱいあるのに。

私たちはこの間の爆撃の脅迫にそれほど驚いていません。グアムと爆撃が同じセンテンスの中で語られるのを聞くのは慣れています。毎月のように、ミサイル発射実験が行われるたびに、あるいは激しい非難の応酬があるたびに、北朝鮮や中国やロシアがグアムを爆撃するかも知れないと聞かされています。私は中国の悪名高い「グアムキラー」(中距離弾道ミサイルDF-26)の写真を私のコンピューターに保存しています – 私たちの独立運動グループが「インディペンデンス101」(村で行っている学習運動)でのプレゼンテーションで、「なぜ私たちが今すぐ自由を勝ち取る必要があるのかを説明するための1つの事例としてです。

そうです。グアムにはあなた方からの独立を望んでいる人たちがいます。一方で、爆撃の脅しを聞いて、誇大な宣伝に委縮してしまう人たちもいます。この人たちは私たちがあなた方の強力な軍事基地を必要としていると信じ、もっと米軍を強化するよう乞いはじめています。そうすればわれわれが爆撃されないだろうという理由からです。おわかりですか? でも、あなた方こそ、爆撃をめぐるすべての問題の原因です。

これまでグアムに落とされた爆弾の中で最悪のものは第二次世界大戦の最後の段階で、あなたがたが投下したものです。開戦当初は、あなたがたは日本がグアムを侵略することを十分に知っていながら、私たちを無防備のままにしました。あなた方は攻撃が始まる数カ月前に、白人の軍人の家族たちを安全な船で米本土へ返しましたが、私たちを守るためには何もしませんでした。そうです。前回、あなた方がその国による攻撃から私たちを守ってくれると約束していたその国が侵略した時、あなた方は2日間で降伏し、2万人の人々を見捨て、その多くは最も残虐な戦争犯罪の犠牲になりました。しかし私たちは力強く、醜悪な戦争を生き延びただけでなく、その後に続く損失・喪失にも耐え抜きました。

あなたがたは1944年にグアムに戻ってきたとき、爆弾で私たちの島を荒れ野にし、多くの家族が帰る家をなくしました。あなた方が巨大な基地を建設できるように、私たちは追い散らされ、追放されました。有り難いことに、グアムの人たちはあなた方の軍隊に勤務し、あなた方の自由のために死にました。人口当たりの戦死者の数ではあなた方を上回っています。

これまでグアムに落とされた爆弾の中で最悪のものはあなた方によるものです。

現在、あなた方は私たちの島の3分の1を占領しています。私たちの隣人たちに向けられた爆撃機や原子力潜水艦を駐留させています。あなた方は終わりのない戦争ゲームに興じ、私たちの空、水、土、体に噴煙と廃棄物をまき散らしています。あなた方が私たちの近隣の諸島で爆弾の実験を行う時、私たちは死の灰の中で息をしています – これらの島から風に乗ってここまで来るのです。私たちはあなた方が爆弾で汚染した海から獲れた魚を食べているのです。あなた方の音波探知機の実験のせいで進路を迷い、浜に打ち上げられ、朽ちてゆくクジラを悲しんでください。私たちは犠牲にされています - 一度も同意したことがないのに、それどころか多くの人々にとっては意に反してです。神聖な先祖伝来の村に入ることもできず、1000エーカーもの石灰岩を覆う豊かな森とそこに住む生き物たちが、海兵隊の射撃場のために破壊されようとしています。

あなた方はとんでもない時間に、私たちの家の上で爆撃機を飛行させています。どういうことですか、アメリカの人たち。私は今、ここで子どもを育てています。小さな子どもたちです。自分たちの上をあなた方の旗が飛んでいるのに気付いていて、それを嫌っています。あなたがたの爆撃機の轟音が聞こえると、遊んでいた公園の滑り台の下に隠れます。友だちにも、B—1やB—2の轟音が聞こえたら隠れるように言っています。道路には「児童公園 - 徐行」という標識があります。あなたがたも徐行して、子どもたちを遊べるようにしてくれませんか?

私は子どもたちがここで育ったほしいと思っています。ここはこの子たちの、そして私の、私のママの、ママのママの、そしてそのママの生まれ育ったところです。私がこの子たちにいてほしいと思う場所はほかにありません。私は多くのアメリカ人たちが自分の生まれた土地から逃げて来なければならなかったことを理解しています。アメリカがあなた方にとってより良い生活を与えた、あるいは少なくともそれを約束したでしょう。あなた方の多くは生まれた土地に帰りたけれども帰れません。そして悲しいことに、あなた方の多くは、この「明白なる天明」のために土地と生命を奪われたアメリカ先住民のことについて、あまり考えていません。

しかし、あなた方のせいで誰もが爆撃の対象としてきたこの島、この美しい島は私の島です。あなた方の島ではありません。そして私はここから逃げ出したいとは思いません。私は一度、この島を出たことがあります。大学での教育のためです。しかし、その間ずっと、この島のことを考えて心が痛みました。私は学位を取得した後すぐにここに帰り、学んだことをここで活用しようとしました。生まれ育った土地での生活は、私にとってはよりよい生活です。私はこの土地によって育まれました。私の家族はここで自分たちの食べ物を育てています。私は賢い赤ん坊たちを育てています。裏庭はジャングルです。これが私の先祖たちが私や子どもたちに望んだ生活です。私は私の家族が平和に暮らせると信じて、安心して眠れることを望んでいます。だから、どうか爆撃について語るのはやめて、なぜグアムが2017年の今もあなたがたの植民地であるかを自問して下さい。
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