佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

欧州では再生可能エネルギー100%達成が見えてきた!

2016-08-23 | さよなら原発

九州では猛暑が続いています。

ここ佐世保市では7月15日以来40日間真夏日(30度以上)を更新中です。

そのうちの12日は猛暑日(35度以上)です。

さすがに今年はエアコンのお世話になっています。

電気消費量を気にして昨年までは一人の時はほとんど使わないようにしていたのですが、

この夏は、一時体調を崩したこともあり、熱中症を防ぐために、あえて使うことにしました。

九州電力は川内原発を再稼働させており、それを思うと後ろめたさがありますが…。

 

ヨーロッパでは、自然エネルギーへのシフトが加速しています。

ポルトガルで5月7日午前6時45分から11日午後5時45分までの4日半の間、

ソーラー、風力、水力、バイオマスを合わせた再生可能エネルギーによる発電比率が

全電力消費量の100%に達したそうです!

ドイツでも5月8日、一時的にではありますが、

再生可能エネルギーによる発電比率が全電力消費量の95%!にまで到達したそうです。

こういう状況を受けて、西欧諸国では、今後、10数年という短いスパンで、

再生可能エネルギー依存度100%を達成する可能性が高まってきたと報じられています。

http://business.newsln.jp/news/201605170442030000.html

 

日本も再生可能エネルギーに早くシフトしてほしい。

あの福島原発事故を経験しながら、なぜ政治家はその決断をしないのか、不思議です。

しかも、安倍総理は企業と共に他国への原発輸出に力を入れているのですから、理解できません。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201601/CK2016012602000121.html

 

そんな日本が輸出した原発が、建設はしたけれど使われないまま廃炉になろうとしています。

台湾の第4原発です。

ノーニュークス・アジアフォーラム通信141号(8月20日発行、B5-32p)によると、

7月28日に開かれた立法院臨時会で、台湾電力の予算審議が行なわれ、第四原発凍結予算を削除する提案は、異議なしで可決されました。その内容は、

第四原発凍結予算とは、稼働する可能性を残しておくために立てられたもの。

しかし新政権により、もう稼動しないとの方針が決まった以上、凍結計画を取りやめるべきで、

新しい予算は組むべきではない。

そして今年度は第四原発廃止計画を策定すべき。

というものでした。http://nonukesasiaforum.org/japan/archives/118

 

そして、このような動きの原動力となったのは、学生・市民の声。

2014年4月27日、5万人のデモ隊が台北駅前の8車線道路を15時間占拠し、

「原発を終わらせよう、主権を市民に返せ」と叫び続けました。

http://www.nonukesasiaforum.org/jp/128a.htm

このニュースは見た記憶がありますが、すっかり忘れていました。

日本でも反原発デモは全国に広がったのに、結局は何も変えられなかった。

だから、台湾も同じようなものかと思っていたら、全く違っていたのです。

 

あの時のデモが実を結びつつある。

国を確実に変えてきた。

一方、日本では再稼働が少しずつ始まっている。

なぜ?

なぜ、日本は変われないのだろう?

世界最大の原発事故を経験しても、原発エネルギーを求め続け、

世界唯一の原爆被爆国でありながら、核兵器禁止条約に賛成できないでいる。

 

なぜ?

 

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フクシマを忘れない 3・11佐世保のつどいに参加しませんか

2016-03-08 | さよなら原発

まもなく、あの日がやってきます。

自然の猛威に恐れ慄いたあの日、3月11日。

そして、人間の造ったものの恐怖に凍り付いた3月12日。

しかし、時の流れは、その恐怖の記憶を和らげていきます。

生きるためには、恐怖や苦痛の記憶はできるだけ忘れたい、消してしまいたい。

でも、忘れてはいけないこともある。

二度と同じ恐怖を味わないために。

 

だから、「さよなら原発させぼの集い」では、こんな集会を企画しました。

 

 

平日の午後です。

お仕事なさっている方は、まず無理ですが、

お時間のある方、お近くの方、是非ご参加ください。

 

移住者の方は佐世保市民ではありません。

県内ですが、少し遠くからやってきてくださいます。

子育て真っ最中のお忙しい中、時間を作って来てくださいます。

福島から来られた多くの方は、人前で話すことに抵抗があります。

辛いことや悲しいことを思い出すだけでなく、

今現在も福島で暮らしている方々の心情を思うと、話したくない気持ちにもなるでしょう。

その葛藤を経て、話して下さることになりました。

 

貴重なお話に耳を傾け、共に考え、語り合う。

そんなひと時を 少しでも多くの皆さんと共有したいと願っています。  

 

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「悲しい闘い」と「希望に満ちた闘い」

2015-07-14 | さよなら原発

「原発なくそう!九州玄海訴訟」の【第13回口頭弁論意見陳述】を転載します。

陳述されたのは元朝日新聞記者で、「福島原発かながわ訴訟」原告団長の村田弘さんです。

 

村田さんは自分たちの訴訟は「悲しい闘い」だけど、あなたたちの訴訟は「希望に満ちた闘い」だといわれました。

それがどういう意味なのか、是非最後までお読みください。

 

1 はじめに

村田弘と申します。昭和17年12月、神奈川県生まれの72歳です。

敗戦間近の昭和20年、父母の故郷である現在の南相馬市に疎開し、高校卒業まで暮らしました。

新聞社で働き、定年退職後の平成15年、南相馬市小高区にある妻の実家に移住しました。

二千坪余りの果樹園跡を開墾、農作業をしておりましたが、福島第一原発事故の避難指示により横浜市に避難しました。現在は、妻とネコ、娘夫婦と横浜市内で借家暮らしをしています。

平成25年9月、神奈川県内の避難者が横浜地方裁判所に提訴した「福島原発かながわ訴訟」原告団の団長を務めています。

2 原発事故時の状況

地震発生時、私は、町はずれにあるスーパーの駐車場にいました。スーパー入り口の鉄柱につかまって、激しく、長く続く揺れが収まるのを待ちました。店や蔵の多くが倒れ、道路からは水が吹きあげていました。

1.5㎞ほど離れた山際の自宅に戻ると、畑の真ん中で妻がネコを抱いて震えていました。約40分後には津波が襲い、南相馬市でも1000人を超える犠牲者が出ました。

12日午後4時前、津波に流された母親の実家を見舞って自宅に帰ると、隣の奥さんが「原発、爆発したってよ~」と駆け込んで来て、初めて原発が深刻な状況に陥っていることに気が付きました。

午後6時半ごろ、テレビに「20㎞圏内に避難指示」のテロップが流れました。私の家は原発から北西に約16㎞です。「直ちに影響はありません」という枝野官房長官の会見があり、市や町からも指示はありませんでしたので、その夜は家で津波のニュースを見ていました。

翌朝、妻が「外はシーンとしている。誰もいないみたいよ」と言うので、町に出てみました。人影はなく、役場に残っていた若い人が、「みんな昨夜避難した。パニックだったよ」と呆れ顔でした。

家に戻って毛布2、3枚と缶詰5、6個などを車に積んで、9㎞ほど北にある中学校の体育館に行ったのが長い避難生活の始まりでした。

3 避難、錯乱の日々

中学校には千数百人が避難していました。毛布1枚ほどのスペースを譲ってもらい、震えながら夜を過ごしました。電話も通じず、車のラジオが唯一の情報源でした。15日深夜、初めてつながった携帯電話をとると、「逃げろ!逃げるんだ!」という声が飛び込んできました。大阪に住む元会社の先輩でした。原発の相次ぐ爆発、高濃度の放射能の放出、事態は深刻の度合いを深めていたのです。

16日夜10時ごろ、避難所に駐在していた市の職員がハンドマイクで、「ここは明朝で閉鎖する」と告げました。①集団で新潟に避難する②自力で避難する③市の次の対策を待つ、のどれかを明朝6時までに選択しなさい、というものでした。

私と妻は、神奈川県にいる子どもたちのところへ避難することにし、一緒にいた弟は病気だったため、医師と一緒に新潟に行くことに決めました。
川崎市の長女宅に着いたのは19日の午前1時半でした。川崎、横浜と3人の子どもたちの家を転々としたあと、3月末に下の娘が住んでいた横浜市の公団住宅5階の空き室に入居、避難生活が始まりました。ネコは下の娘の所に隠してもらいました。

新聞やテレビなどで、大熊町の施設に居た100人のお年寄りが避難途中に亡くなったこと、須賀川の有機農家、飯舘村の102歳のおじいさん、川俣町の58歳の主婦、相馬市の酪農家の相次ぐ自死のことを知りました。南相馬市の93歳のおばあさんが残した「お墓にひなんします。ごめんなさい」という遺書には、声をあげて泣きました。
近所の大工さんからは「ばあちゃんが死んだ。火葬場が空かないので、冷蔵庫にペットボトルを入れて凍らせて遺体を冷やしている」との電話。
妹からも「義母の遺骨を車に積んだままにしている」と言ってきました。

原発に対する自分の甘い認識、でたらめという以外にない事故対応、相次ぐ被害者の悲惨な姿、足場を失って宙に浮いた日常などがないまぜになって、精神のバランスを失いました。
妻の些細な言葉に怒鳴り返し、団地の他人の部屋に鍵を差し込もうとして叱られ、トイレのカバーの交換に30分もかかる。錯乱の日々が続きました。

4 奪われたもの

4年余りの時が流れました。
朝起きて歯を磨き、顔を洗う。新聞を読む。卵と漬物でご飯をいただく。ようやく、事故前に近い「当たり前の生活パターン」が戻ってきました。

春と秋には自宅に帰っています。
隣町に宿をとり、庭に除草剤を撒き、家の中の除湿剤を取り替え、防虫剤を炊いて帰ってきます。50個もの穴を掘って植えたモモやリンゴ、サクランボ、クリ、ブルーベリーなどは、ほとんどが枯れています。
クワ1本で耕した野菜畑は、雑草に覆われています。庭師さんが手塩にかけてくれた庭の松は、伸び放題で、松ぼっくりの山です。

4年前、家の中で1~2μSv、裏庭の雨樋付近で18μSvもあった放射線は、現在それぞれ0.8、3~4μSv(いずれも毎時)程度と低くはなっていますが、いぜん放射線管理区域並みです。
横浜に戻ると、2~3日はぐったりしてしまいます。

小高区は20㎞圏内で、今は避難指示解除準備区域。
来春には避難指示を解除するということで、除染のダンプカーが走り、そこここに汚染土や放射性廃棄物を入れたフレコンバックの黒い袋が山積みになっています。
昨年から役場や郵便局、銀行は開いていますが、町中に人影はありません。

20㎞圏外の南相馬市中心部では、一見、事故前と変わらない生活が営まれ、伝統の「相馬野馬追」も復活し、マラソン大会なども開かれています。
残った人たちの間では、放射能や120人を超えた子どもの甲状腺がんの話はタブーです。

地元に残る妹には、「避難していればいいんだから、いいね」と言われます。
南相馬市の避難所から仮設校舎に通っている小高区の中学生は、「あっ、600万円が歩いてくる」と指差され、黙って家に帰ったと聞きました。1人月額10万円の賠償を5年分もらっている、という意味です。
仮設住宅に住む避難指示区域の人たちは、スーパーの買い物にも傍目をはばかるといいます。賠償をもらって良い物を買っていると見られるから、ということです。
一方的な線引きによる賠償の有無、多寡が人々の心を切り裂いているのです。



5 終わりに

現在、神奈川県に避難している71世帯、174人で、国と東京電力に対し、損害賠償を求める訴訟を起こし、「暮らしを返せ ふるさとを返せ」と訴え続けています。

加害者である国と東電は、この未曽有の災害を引き起こした責任を認めず、賠償にも誠意をもって対応しようという姿勢を見せていません。そればかりか、国はあと1年半余後の平成28年度で年間空間線量50mSv以下の地域の避難指示を解除し、避難指示区域外からの避難者に対する住宅無償提供を打ち切る、としています。

被害の全容も、責任の所在も明らかにせず、事故収束の道筋さえ見えない中で、被害者に帰還か流浪かの選択を迫るものです。私は、被害者を切り捨て、事故総体を福島の石棺に封じ込めようとする「棄民宣言」と受け止めています。

正直申し上げれば、私たちの訴訟は「悲しい闘い」です。
起きてしまった被害を認めさせ、最低限の償いを求めるものだからです。失われたものは戻ってきませ
。原発事故という人類史上最悪の核災害は、数十年、数百年から十万年の単位で、重くのしかかってきます。

それに比べ、この法廷で展開されているのは「希望に満ちた闘い」だと思います。
冷静に、事の本質を見極めれば、私たちが味わっているような回復不能な損害を回避し、人間が人間らしく生きられる環境が保障される道を選べるからです。

福島原発災害という、底知れない被害の実態に想いを致し、賢明な結論に到達されることを心から願い、私の陳述と致します。

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2015.3.10キャンドルナイト

2015-03-13 | さよなら原発

私たちがおこなった小さな小さなキャンドルナイトが翌日の新聞に掲載されていました。

2月10日現在で死者1万5890人、行方不明者2590人、震災関連死は19県で3194人、

仮設住宅での孤独死が昨年1年間で44人、未だに避難生活を送っている人は約23万人!

まずはこの過酷な事実を伝え、https://www.youtube.com/watch?v=rGBnt5UWodU

黙祷を捧げました。

 

黙祷のあと、参加者のお一人が福島の現状について話してくださいました。

 

県外に移住した子どもたちの多くがヒバクシャということでいじめられている。

耐え切れず戻った子たちは、福島でもいじめられ、居場所がなくなっている現実がある。

でも、長崎の人はそれは絶対しないと思う。

などの話が心に残りました。

 

公園そばのアーケード街を通る人々がキャンドルの方を見つめています。

なんだろう?

何やってんだ?

中には足を止めて、ポスターの1枚1枚に見入ったり、話を聞いていく人もいました。

 

昨年浪江町を訪ねた方のお話も聞くことができました。

 

最後に、みんなで「ふるさと」を歌いました。

ギターが3人、ハーモニカが2人!

5人の方の伴奏のおかげで、参加者全員で歌うことができました。

https://www.youtube.com/watch?v=oncxE052RmA

 

津波で破壊された「ふるさと」が一日も早く復興し、避難者が一日も早く戻れますように…

原発事故で汚染された「ふるさと」に帰れない人々の苦悩に寄り添い、国や東電が責任を持って対応し、

原発被害者の方々が一日も早く普通の暮らしに戻れますように…

そんなことを願いながら「ふるさと」を歌いました。

 

そして、いま思います。

天災によって破壊されたふるさとは、わずかな時間の経過とともに蘇るけれど、

原発事故という人災によって破壊されたふるさとは、そうではない。

果てしなく長い年月を要するか、永遠に戻らないか…

この罪は大きい。

大き過ぎる。

その責任を全く感じない人々が、この国を動かしている。

そのことに戦慄を覚えます。

             

 

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俺たちの生活は、何一つ変わらなかった・・

2014-12-06 | さよなら原発

「アベノミクス解散」「アベノミクス選挙」とアベノミクスを連発し、

安倍自民党は争点を経済問題に押し込めようとしている。

野党も同じ。

マスコミも同じ。

原発問題があまり聞こえてこない。

わずか2年前の衆院選では、原発が一番大きな争点だった。

脱原発を実現するために急遽幾つかの党が集まって「日本未来の党」を創ったりもした。

 

それが、今回はほとんど話題にならない。

何も解決していないのに・・

 

12月2日の毎日新聞に、福島県を離れて暮らす避難者を取材した記事があった。

http://mainichi.jp/shimen/news/20141202ddm041010124000c.html

 

福島第1原発事故から約3年8カ月。

今も県外で避難生活を送っている福島県民は約4万6000人。

事故は収束せず、帰郷の見通しも立たない。

避難者はこの選挙をどのように見ているのか・・

 

   理不尽に降りかかる放射能が 双葉地方の住民から奪い去ったものは 

   生まれ育ったふるさと 

   我が家とわが土地から いとも無造作に放逐された人々は 

   異郷の空の下で あてもなくさすらい続けるのだ

東京都武蔵野市の都営アパートで避難生活を送る詩人、小島力(ちから)さん(79)が

福島県葛尾村から避難後に書いた詩集の一編だ。

妻ヤスさん(84)と暮らす1DKの部屋には所狭しと日用品が置かれる。

「こんなに長くここで暮らすことになるとは思いもしなかった」

ヤスさんはため息をついた。

小島さんは東京生まれだが、戦時中に母の実家の福島県に疎開し定住。

郵便局に勤める傍ら、創作活動をしてきた。

3人の子供と8人の孫に恵まれ、年に数回孫たちが遊びに来るのが楽しみだった。

そんな幸せを原発事故が奪った。原発から約25キロにある村は避難指示区域になった。

小島さん夫婦は子供を頼って都内を転々とし、都営アパートに落ち着いた。

小島さんは「子供や孫が来ても、部屋が狭いから、気を使って泊まらず帰る。

近くて遠い存在になってしまった」とつぶやく。

衆院を解散し、「アベノミクスの信を問う」と強調する安倍晋三首相。

ヤスさんは「避難者の生活より、経済が大事なんだね。

政治家の人たちは福島のこと、被災地のことを忘れてしまったんだね」と思った。

「俺たちの生活はこの3年8カ月、何一つ変わらなかった。

このまま原発は再稼働が進み、福島の避難者がなかったことにされるのでは。

いつ古里に帰れるのかを示すのも政治の役割だ」小島さんは語気を強めた。

 

この国の政治家は、なぜ国民を見捨てたままで平気なんだろう?

原発難民をいつまで放置しておくのだろう?

「すべて国民は、健康で文化的な最低 限度の生活を営む権利を有する。」 と記された憲法25条。

この憲法は、どこの国のものなのだろう?

 

 

 

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塀の中の懲りない面々

2014-10-03 | さよなら原発

御嶽山の噴火から1週間。

犠牲者47人の身元が確認され、戦後最大の火山被害と言われていますが、

まだ安否不明者が20人近くいるらしい。被害はもっと拡大しそう・・

 

9月11日に1日80回を超える地震が観測され、地震活動が活発になっていたので、

警戒レベルを上げていれば登山者もこれほど多くなかったのではないか…

との質問に対し、

気象庁の火山課長は「地震の回数だけで、噴火の前兆と判断するのは難しい」と述べ、

今の火山予知のレベルが決して高くないことを、当日の記者会見で強調していました。

 

その言葉を聞いて、「やっぱり・・・」と思った人は少なくないでしょう。

今年7月、川内原発の安全審査に合格を与えた原子力規制委員会は

「火山活動に対しては噴火の兆候を監視していれば対応できる」としていたけれど、

火山学者からは「予知は困難」と指摘されていましたから。

 

ところが、昨日、原子力規制委員会の田中委員長は、

「今回の水蒸気爆発による噴火と、対応を検討中の巨大噴火とを一緒にするのは非科学的だ」

と述べ、川内原発の対策は妥当だという考えを改めて示しました。

びっくり!です。

地震の専門家でもない委員長が、何の根拠があって、

巨大噴火なら予知でき、対応もできると言いきれるのでしょう?

 

しかし、もっとびっくりする発言が同じ日に安倍総理の口から飛び出しました。

参議院本会議での発言です。

田城郁議員(民主党)「予知不能であったこの噴火は、自然からの警鐘として受け止めるべきです。川内原発の再稼働を強引に推し進める安倍政権の姿勢を認めるわけにはいきません」

安倍総理大臣 「桜島を含む周辺の火山で今般、御嶽山で発生したよりもはるかに大きい規模の噴火が起こることを前提に、原子炉の安全性が損なわれないことを確認するなど、再稼働に求められる安全性は確保されています」

 

ああ・・安倍さんってなんと自信過剰な方でしょう!それとも、超楽観的な極楽トンボ…

どちらにしても、国民は迷惑です。危険に巻き込まれるのですから。

そう言えば、去年の今頃でしたね、「汚染水問題はアンダーコントロールされている」

と大嘘ついて、オリンピックを日本に持ってきたのは。

ご本人は嘘をついているという意識がないのか?本気でそう思い込んでいるのか?

 

それにしても、事故の被害の凄まじさは、私たち一般国民以上に分かっているはず。

何回も視察して目の当たりにしているはず。

地震や津波の被災地にも足を運んでいるはず。

それでも、懲りないのか?

この大地震がこの原発で起きたら・・

この大津波があの原発を襲ったら・・

この大噴火がその原発の周辺で起きたら・・

という発想がなぜ生じないのかが不思議でならない。

何度国民が被害を受ければいいのだろう?

どれだけ犠牲になればいいのだろう?

何回天災に見舞われても自然の威力に恐れを抱かない、懲りない人なのだろうか?

 

懲りない・・といえば、昭和の終わりごろ、

「塀の中の懲りない面々」という変なタイトルの小説が大ヒットしましたっけ。。

「塀の中」とは刑務所のことで、

「懲りない面々」とは服役を終えやっと娑婆に出ても、再び犯罪を繰り返し

入出所を繰り返す累犯者達のことでしたが・・

 

安倍総理や田中原子力規制委員会委員長などは、平成版「懲りない面々」ですね。

彼らがいる塀の中は、原子力村の高い塀の中で、

塀の外でどんな大災害が起きようと、自分達だけは安全なところにいるから、

その危険性が全然感知できない、身に沁みない、対岸の火事でしか有り得ない、

そんな人たちでしょうか。。

 

そんな人をこの国のトップにしてしまった私たちは、なんて愚かな民でしょう。

 

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残したくない負の遺産!

2014-08-19 | さよなら原発

 

絵のモデルは、友人のお孫さん。

描いたのは、友人ではなく、この子のお父さん。

友人は、この絵をプラカードにして、官邸前を歩きます。

 

毎週金曜日、官邸前で反原発を訴えるデモ、いわゆる「金官デモ」に彼は今も参加しています。

一番多い時は20万人に膨れ上がった参加者も、最近は1000人前後だそうです。

 

孫たちの世代に負の遺産は残したくない、

自分たちの世代が生み出した原発は自分たちで終わらせたい、

その意思を伝えるために、彼は毎週、官邸前に出かけます。

 

先日友人は東京新聞の記者のインタビューを受け、

そのコメントが、同紙【金曜日の声 官邸前】に掲載されていました。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/kinyoubinokoe/list/CK2014081602000123.html

 

最盛期の頃の200分の1に減ってしまったとはいえ、まだ約1000人の人々が集まっている!

その1000人の中で友人が記者の目に止まったのは、やはりこの絵のせいだと私も思います。

青空と緑の樹木に囲まれて、苗木の鉢を抱えた坊やの顔が、ホントに生き生きと輝いている。

原発の「げ」の字もない。

反対の「は」の字もない。

でも、しっかり伝わってくるものがある。

デモには来られないけれど、坊やのお父さんもきっと同じ想いなのでしょう。

 

平和な世界と美しい地球を、子や孫に残したい。

きれいな水ときれいな空と、美味しい空気を残したい。

私には孫はいないけど、近所の小さな子をみると、やはりそう思わずにはいられないもの。

 

その想い、私も伝え続けよう・・

 

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シロウオ~原発立地を断念させた町

2014-08-05 | さよなら原発
映画『シロウオ~原発立地を断念させた町』をご存知ですか?

この映画は、
故郷を、自然を、仕事を、そして家族を守りたい――と、
原発反対運動を成功させた人々の証言ドキュメンタリーだそうです。
私もまだ観たことはありません。
以前、関東の友人から「よかった!そちらで上映されたらぜひ観てほしい」
とのメールをもらっていましたが、その機会もなく・・

ところが、この映画のプロデュサー兼脚本担当の矢間秀次郎さんが、
原爆関連の取材で長崎に立ち寄られることになり、
急きょ、長崎でも小さな上映会をしよう~と決定!

矢間さんは40年前から河川や水系を守る活動に心血を注いでこられた環境活動家であり、
ジャーナリストでもあります。
長崎県の石木ダム問題にも関心を寄せておられます。

上映後は矢間さんを囲んで、原発や石木ダム問題について、気楽に率直に語り合います。



日時:8月7日18:00~

場所:県民ボランティア活動支援センター 
   095-827-4852
   長崎市出島町2−11 出島交流会館4階 会議室2

参加費:無料

☆定員の関係がありますので、事前の申し込みをお願いします。
 090-6171-5810(松本)まで
 このブログのコメント欄でもOK。お待ちしています。 

 

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NNNドキュメント「活断層と原発、そして廃炉」

2014-06-28 | さよなら原発

今日は「さよなら原発させぼ」の上映会。

2013年1月28日に放送された、NNNドキュメント13 <3.11大震災シリーズ>で、

「活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択」を見ました。

 

活断層が1本原発敷地近くに見つかっただけで建設を中止したアメリカ。

それはサンフランシスコ州のボデガ原発。

40万年前のもので活動性は低かったが、それでも危険性を重視した。

また、カリフォルニア州のフンボルトベイ原発でも活断層が見つかり反対運動がおきたが、

稼働中の原発を止めるのは難しかった。

しかしスリーマイル島の原発事故をきっかけに、その原発も廃炉が決まった。

 

一方日本でも建設中の東通原発(青森県:東京電力)の原子炉の下に何本もの断層が確認された。

原子力安全委員会の中田高氏が「こんなに断層でズタズタの所に造る必要があるのか」と抗議したが、建設は許可された。

幸い福島原発事故後、工事はストップしたままで、その進捗率は10%にも満たないという。

これを建設中止にしなかったら、本当に狂っているとしか思えない。

 

フクシマの事故後、2022年の原発ゼロをめざしているドイツでは廃炉作業が進んでいる。

作業を進めながら学び研究しつつノウハウを生み出している。

配管もポンプも壁もあらゆるものを細切れにして除染する。

しかし、300トンもある圧力容器は解体せずにそのまま保管されている。

20年経っても放射能汚染濃度が高いからという。

50年経てば1000分の1になるから、それまで待って解体するらしい。

 

ドイツでは、原発建設の申請段階で、廃炉の方法と費用計画も出さないと許可が下りない。

廃炉の時を迎えてからではダメだという。ごもっとも!

電力4社ですでに3兆円積み立てているらしい。

日本ではいくら用意されているのか誰が負担するのかも明らかにされていない。

 

チェルノブイリやフクシマや、他国の事故に学び、原発から脱しようとしているドイツと、

自国の体験にさえ学べない、先のことは考えようとしない日本と、

あまりの違いに愕然としてしまう。

でも、知らないよりは知ってよかった。

やはり原発は高コストで危険極まりないという世間話をする時に、より自信を持って話せる。。。

 

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みんなの海

2014-06-11 | さよなら原発

「みんなの海」プロジェクトをご存知ですか?

私は、昨日知ったばかり。

そのHPはこちらです。 http://minnanoumi.jimdo.com/

 

そこには美しい海が広がっています。

私はまだ行ったことはありませんが、スナメリやカンムリウミスズメなども棲むという

豊かな自然が残されたかけがえのない海です。

 

漁師さんたちは言います。

ここは「祝島の海ではなく、誰の海でもなく、みんなの海だから、守らないと」と。

この海を守るために原発建設に反対し続けてきた島の皆さんの姿は、

映画「祝の島」や「ミツバチの羽音と地球の回転」などで観ましたし、

実際にそこを訪ねた友人などからも話を聞いていました。

 

元気で明るく、頑固でしなやか、老若男女住民一丸となった闘いぶりは、

石木ダム反対運動を続ける川原の皆さんと似ているな~と思っていました。

 

漁師さんたちは中国電力からの漁業補償金の受けとりをずーっと拒み続けてこられました。

それが、原発反対の明確な意思表示でした。

しかし、その意思表示が続けられるかどうかの瀬戸際にきているようです。

 

山口県漁協祝島支店の2013年度の赤字は約1,000万円でした。

高齢化と過疎化が進み、水揚げ減少、祝島漁協の運営は破綻寸前。

でも、組合員を止めると議決権を失うので原発反対の意思表示ができない。

原発推進派の組合員の意思が多数派となって、海が売られてしまう。

それをくいとめるために、 この大きな赤字を組合員の皆さんが年金などを注ぎ込んで

補填しているのだそうです。

しかし、もう漁師さんの個人負担では追いつかないところまできているようです。

支払い期限の7月末日までになんとかお金を集めようと「みんなの海」プロジェクトが始まった

というわけです。

 

カンパの方法はこちらです。

http://minnanoumi.jimdo.com/カンパの方法/

 

祝島からのメッセージ

「祝島の海ではなく、誰の海でもなく、みんなの海だから、守らないと」との思いで、原発建設のために海を売れと、カネをつんで迫られる立場にたたされながら、私たちは頑張ってきました。その思いをうけとめ、いつもたくさんの方々から応援していただき、たいへん感謝しています。

 この1年以上ものあいだ、2012年10月に失効するはずだった上関原発のための埋め立て免許が失効しない中、とうの昔に断った上関原発の建設と運転にかかる漁業補償金の受けとりを祝島の漁師たちがいまだに執拗に強要され、新たな混乱を強いられています。

高齢化した漁師たちは、それでも、海を守りたい一心で、年金をつぎこむようにして黙って苦境に耐えてきました。

いま、それに応えるように、「今度は自分たちが海を守る番」だと「みんなの海の会」さんが祝島を応援するためのカンパの呼びかけを始めるとうかがい、とても励まされると同時にありがたいです。

ともに「いのちの海」を守り受け継ぐために、力をあわせて頑張りましょう。                                

2014年5月30日               

上関原発を建てさせない祝島島民の会 代表 清水敏保

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