輪島と言えば「朝市」、有名ですよね。
宿を出るとすぐ、朝市通りがあって、朝から買い物客がたくさん!
カニやエビをはじめとする能登自慢の海の幸を並べたテントの下では、
威勢の良い掛け声が道行く人々を呼び止めます。
小さなパラソルの下では、採れたての野菜を売るおばあさん、
手作りの草履や民芸品を売るおばあさんもいます。
大きな通りをはさんで、朝市通りの反対側には、「わいち通り」があります。
人通りの多い朝市通りとは対照的にひっそりしています。
でも、店のたたずまいはこちらのほうが趣があり、私は好きです。
通りの電柱には「わいち懐隈」と書かれ、
お店の壁には、「わいち」のマークが見られます。
「わいち」の言葉には、人と人のふれあいと「わ」を大切にしたいとの意味があるそうです。
「わ」には、輪島の「輪」と人の輪の「輪」と、親和の「和」が込められているのでしょうか?
通りの中ほどに「わいち交流サロン どっこら処」というのがありました。
何かな?と近づいてみると…
トイレがあって、車いすや電動スクーター貸出の文字が…
お年寄りや体の不自由な方々が立ち寄るところでしょうか?
名前を見ただけでも癒されそうな、私も入って皆さんとおしゃべりしたくなるような、
そんな雰囲気の場所でした。
輪島を後にして、海岸沿いに東へ走ると10km足らずで、「白米の千枚田」に着きました。
すごいでしょう?!
ほんとに小さな小さな田んぼがぎっしりです。
全部で2,092枚もあるそうです。しかも、1枚の田んぼの平均面積はわずか1.6坪だとか。
千枚田を過ぎて、ひたすら海岸沿いを東に走ります。
このあたりの海岸は、大小の岩や石がごろごろころがっています。
実は、このような海岸線を人工的に作ったという新聞記事をつい最近読んだばかり。
それは、青森県の木野部海岸のこと。
コンクリートだらけの堤防を壊して、砕いたブロックで海底に基礎を造り、
その内側に大きな自然石をばらばらに配置しただけなんだけど、それがすごいんです。
どうすごいかというと、大波が来ると石が動いて消波機能を発揮、台風がきても被害無し。
その上、海藻の宝庫となって、ウニやアワビが戻ってきて、寂れていた漁業が復活。
このすばらしい工事は、河川再生法として注目を浴びている「近自然工法」の技術を取り入れ、
海に活かしたもの。
「近自然工法」とは、護岸をコンクリートではなく、自然石を積み上げて造り、木々を植え、
川を蛇行させ、瀬や淵を造る。すると自然にコケや藻が生え、魚が集まってくる…
生き物にやさしい土木工法なのです。
それを海の再生に活用したんですね。
その記事をたまたま読んだばかりで、記事に添付されていた海岸線の写真が、
窓から見える能登の海岸線にあまりにもそっくりに見えて…。
で、あっちゃこっちゃで、「あ!近自然工法だ!」を何回も連発してしまった
単なる自然の姿だったのですが…。
しばらくしてたどり着いたのは、能登半島の東にある「禄剛埼灯台」。
イギリス人技師の設計による明治時代に建てられた燈台。
美しく、またどっしりした構えの灯台です。
周りはすべて海で、あっちが上海、あっちがロシアなどという方向指示板がありました。
ただぼんやり海を見ていたら、「海しか見えませんね」と声がして、
振り向くと、そこには白髪の男性が立っていて、
「ふーん、この向こうがロシアですか・・・ぼくは昔ベトナムにいたんですよ」
「えっ、ベトナムですか?」
「そうです。戦時中、遠い昔ですがね。」
糊のきいた白い長そでのYシャツと折り目がビシッと入ったズボンを着て、
背筋もピンとのばしたそのおじいさんは、中学を卒業して士官学校に入ったのだそうです。
「日本ではなくてベトナムにも士官学校があったのですか?」
「ええ、おかげでぼくは命拾いをしました。
隊の仲間はインパールや中国に送られ、ほとんど死んでしまったけど。
ぼくは一度も前線に出ることもなく終戦をむかえましてねぇ」
その言い方が残念そうに聞えたので、未だに軍国主義者?と思いきや…
「軍隊は暴力社会」「ぼくたちは毎日先輩にぶたれた」
「死んで虜囚の辱めを受けずと教えられた」
「男に生まれたら国のために死ぬのは当たり前と思っていた」
等々、過去の日本を非難する言葉がつぎつぎに…。
教育勅語や軍人勅諭の話をして、
「今の学校もいろいろ問題が多そうだけど、それでも昔よりはずっといい」
「少なくとも、命を捨てろという教育はしないんだから」とも。
私が腕時計に目をやると、
「いやー、ここは暑いですなー、もう下に降りましょうか」と言い、おじいさんは歩き出しました。
「すみません。もっとお話聞いていたいのですが、連れを待たせているので」と言いつつ従う私。
実際もっと戦争の話を聞きたかったのに、帰り道では、もう戦時中の話はされませんでした。
金沢市に住んでいることや、月に一度名古屋在住の息子さんが帰って来られること、
その方は弁護士をなさっていて、婿養子にいかれたことなどをぽつぽつと語って下さいましたが。
「ここにはよく来られるんですか?」と尋ねると、
「いや、実は初めてです。ぼくはあんまり県内のことは知らないんですよ。
最近友達もどんどん亡くなりましてね、私もいつお迎えが来るかわからない。
動けるうちにあちこち見ておきたいと思いまして、
毎朝8時に家を出て徘徊の旅をしておるんですよ」
駐車場に着くと、「ほら、あれがぼくの愛車ですよ」と指さす先にあったのは、
小型のよれよれのバイク!
「とりとめもない老人の話を聞いてくれてありがとう」と言ってヘルメットを被り、
バイクにまたがり、「では、よい旅を!」と、颯爽と去って行かれました。
かっこいいバイクじいちゃんの後ろ姿に敬礼したくなりました。
次に訪れたのが見附島。
弘法大師が佐渡から能登に渡る際見つけた島で「みつけじま」と命名されたそうな。
形から、またの名を軍艦島とも言うらしい。
島もいいけど、島を望む公園が、静かで涼しくて、のんびりできる素敵な空間でした。
時間的にもう1か所寄れそう、でも、外はめちゃくちゃ暑いし…
ということで、「のと海洋ふれあいセンター」を覗いてみることに。
たった200円の入館料で、能登の海のこと、海の生き物のことがたくさん学べ、
生き物に触れ、磯遊びもできるし、塩作りも体験できる素晴らしい施設でした。
水槽の中を覗いていたら、職員の方が来て、「よかったらご案内しましょうか」と。
おかげで、いろんなことを質問しながら興味深く見て回ることができました。
相棒は、大好物のウニやナマコに触れて楽しげでした。
ここを出て車は南下、今日の宿、和倉温泉に到着です。
「のと楽」は、予想以上に素晴らしい宿でした。
建物も、料理も、温泉も、スタッフの接客も、そして部屋から見える景色も。
さらに、床の間には、私の好きな相田みつをの書が。
窓からの夕日を受けて、額のガラスがうっすらピンク色に染まっています。
まさに「いま」この時の美しさと「ここ」に居る幸せを残すべく、シャッターを切りました。