佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

北陸の旅~散居村~

2009-08-22 | 
二日間、「おわら風の盆」をたっぷり楽しんで、翌日帰路に就きました。

帰る前に、全く予定外の場所、砺波を訪れたのですが、
そこで、とても印象的な素晴らしい風景に出会いました。

「散居村」って聞いたことありますか?
私は初めて。何だろう?って思いました。
で、「となみ散居村ミュージアム」に行ってみました。

そこには、伝統館や情報館などありましたが…いまいちピンときません。
それで受付の方に「散居村が一望できる展望所があるってきいたんですが」というと、
地図を出してきて行き方を教えてくれました。

「でも今日は曇っているし、いえ、もうすぐ雨になりそうなので、見えないかもしれませんよ」

との忠告を受け、それでもその場所を目指しました。

途中から道はどんどん上り坂。山を登っていきます。
忠告通り、雨が降り出しました。だんだんひどくなります。
目的地に着いたころはザーザー降り。

でも、しばらく待っていると小雨になり、そのすきに展望台への階段を上りました。


霞んでいるけれど、素晴らしい景色です。





散居村とは、家のまわりに屋敷林があって、その周りに水田があって、
それはその家の人が耕しているんだけれど、
だから、家と家が離れていて・・・
高台から見ると、広大な田んぼの中に住居が分散しているような村ってことなのでしょう。

実に美しい光景です。

砺波平野は、庄川のそばで水量は豊富なのですが、水が地下へ浸透しやすいのだそうです。
それで一日数回、水田の水門を開閉するために、自分の家のまわりに水田を確保するようになり、
結果的に、このような村の形が出来上がっていったというわけです。

砺波平野のほかにも散居村は全国にたくさんあるそうですが、
となみは、日本三大散居村の一つで、
あと2つは、出雲平野(島根県)と胆沢平野(岩手県)だそうです。




農家を取り巻く屋敷林はカイニョと呼ばれ、それは開拓時に、原生林の一部を屋敷林として
残したものだそうです。
砺波平野は三方が山に囲まれた盆地状の平野で、冬は寒く、夏は厳しい暑さが続く場所。
厳しい 冬の風雪と夏の暑さを防ぐためにも屋敷林は欠くことのできないものでした。

米作りに欠かせない太陽と水。
そして丹精込めた実りの時を脅かす風。
人々は昔から、これら自然の恵みと悪戯の両方に、上手につきあって生きてきたんですね。

その中から「風の盆」のような情緒深い文化が芽生えてきたのでしょう。

「風土」という言葉がやっと理解できた気がする旅でした。




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北陸の旅~おわら風の盆・2日目~

2009-08-21 | 
今日は夕方から舞台踊りを見る予定ですが、昼間は踊りがないので、
八尾の町を散策することにしました。


江戸時代、越中と飛騨との交通の要所として栄え、
また、富山藩唯一の交易市場として繁栄を重ね、養蚕や和紙の都としても有名でした。

そんな江戸時代のたたずまいが色濃く残る街並みは、「日本の道百選」にも選ばれています。

曳山展示館、坂のまち美術館、和紙文庫桂樹舎などなどあちこち見て回りましたが、
やはり「おわら資料館」が一番見ごたえがありました。


ここには「おわら」に関するあらゆる資料が展示されています。
「おわら」の歴史、
唄や踊りについての解説、
民謡おわらを芸術的に高めた人々の写真や功績、
「おわら風の盆」を題材とした絵や歌や書の数々。











ここにあるように、おわらを芸術的に高めた功労者として川崎順二の名は良く聞かれます。
そして、彼の周りに集まった「甚六会」のメンバーたち。
その解説を読んでなるほどと合点がいきました。

「俺だって都で学問すれば、芥川龍之介のような文学者になれる」
「俺だって都で働けば、渋沢栄一のような実業家になれる」
「だけど親が許してくれない。跡取りとしてこの地に縛り付けられる」

そんな不満を内に秘める若者たち。
向上心と自信と野望に満ちた若者たちが、そのエネルギーのはけ口として、
郷土のおわらに「何か光るものを感じ」、その改良や創作に情熱を注いだという。

そうだったのか…
その情熱が唄の中にも踊りの中にも凝縮されているから、あんなにも人の心を惹きつけるのか…

都への憧れ、
陽の当たるところへ出られない悔しさ、
諦めの中に見出した地元の宝、
その宝物を磨き上げることにここで生きる意味を見出したに違いない。。


そんなふうに勝手に納得して、今夜は夕方6時からの前夜祭ステージを鑑賞しました。
(あいにくの雨で外での踊りは中止となりました)

若者の司会者が踊り方の説明をしてくれて、
私たちも客席に座ったまま、手の振りだけでも覚えようと努力しました。
が、なかなか…。















踊り手だけでなく、演奏者としても若者が活躍しています。


「おわら風の盆」があるかぎり、八尾の町は若者を都会に盗られる心配はないのではないか、
一度出て行った若者も必ず帰ってくるのではないか、
そんな気がしました。

町おこし、ふるさと再生などの看板を掲げてはムダな税金を使っている石頭の方々、
一度足を運んでみては? 越中八尾おわら風の盆!

文化こそが人を育て、町を育てるのです。
そして、魅力的な町には、箱モノがなくても、高速道路がなくても、
人は集まってくるのです。




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北陸の旅~おわら風の盆~

2009-08-20 | 
さて、いよいよ今日は越中おわらの里、八尾入りです。

おわら風の盆――その言葉を聞いただけで、なんだか切ない気分になるのはなぜでしょう?
小説やTVドラマにもなったというが、それらを私は知らない。
また、八尾に行ったこともないし、おわらの踊りを見たのはテレビニュースくらいなのに…。

いつの頃からか、私の中に芽生えてしまった「風の盆」へのあこがれ。
ちょっとドキドキです。
出会ってしまえば、「な~んだ」って思うかもしれない。。
そんな不安も感じつつ、和倉温泉を出発。

途中、「能登島ガラス工房」や「のとじま水族館」を見て、八尾に着いたのは4時ごろ。

なにせ、今夜の食事は5時半から!ですから、その前にお風呂にも入らねば…。
なぜそんなに夕食が早いかというと、盆踊りの会場まで宿の方でバスを出してくれるからです。
踊りは8時からですが、みなさん場所を確保するために早く行かれるんですね~

実は今日20日から30日までは、なんと前夜祭なのです。
11日間もの前夜祭ってあり?!って感じですが…本番は9月の1、2、3の3日間。

この間、20万人以上もの見物客が全国から殺到し、八尾の町は飽和状態。
八尾は2005年の大合併で富山市の一部になりましたが、それまでは富山県婦負郡八尾町。
人口22,000人足らずの小さな町でした。
3日間に、街の人口の約10倍の人々が訪れるのですから、これ以上は受け入れ不可能。でも、見たい人はまだたくさんいる。
そういう人々のために長い前夜祭をもうけているのかもしれません。

さて、7時過ぎのバスに乗って会場まで行くと、すでに石段などの良い場所はほとんど埋まり、
私たちは隅っこのほうで2時間半立ちっぱなしで見ることになりました。

今か今かと待つ私たち。
はじめに踊るこどもたちも出番を待ってそわそわ。


いよいよ始まりました。
お姉さんたちに守られて女の子たちの踊りです。
その輪の中で、小さな小さな女の子が、みんなの踊る姿をじっと見つめています。


八尾の子どもたちはこうした空気の中で育ち、地域の文化をしっかり受け継いでゆくのでしょう。


続いて女踊りと男踊りです。



女踊りはたおやかで、男踊りは力強さがあります。
そして、不思議にどちらも色っぽいのです。



そして最後は男と女のペアの踊り。
形が決まると、会場から大きな拍手が沸きます。





目の前をたくさんの踊り手たちが通り過ぎて行きます。
そのときふと気付きました。

この風の盆の空間では、編み笠を被っている人は皆、とてもセクシーに感じます。
笠の下の顔がわからないからこそ魅力的なんだと気付きました。

同じ着物を着て、同じ踊りを踊っているのに、
編み笠を被っていない人にはあまり魅力を感じません。
その人がどんなに美人であっても、です。

おわら風の盆が日本人の心を引き付けるのは、見えないものへの憧れもあるのかも…。
哀愁のある三味線や胡弓の音色、しなやかな手足と指の動き、それらも十分魅力的なのですが、
きっと、この編み笠こそが、私たちの心を惹きつけてやまないのでしょう。


夜があるから夜明けが素晴らしいように、
タネがわからないからマジックが面白いように、
すべてが見えていると、わくわくする心が失われていくのかもしれません。。




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北陸の旅~能登の輪と和~

2009-08-19 | 
輪島と言えば「朝市」、有名ですよね。

宿を出るとすぐ、朝市通りがあって、朝から買い物客がたくさん!




カニやエビをはじめとする能登自慢の海の幸を並べたテントの下では、
威勢の良い掛け声が道行く人々を呼び止めます。

小さなパラソルの下では、採れたての野菜を売るおばあさん、
手作りの草履や民芸品を売るおばあさんもいます。



大きな通りをはさんで、朝市通りの反対側には、「わいち通り」があります。
人通りの多い朝市通りとは対照的にひっそりしています。



でも、店のたたずまいはこちらのほうが趣があり、私は好きです。
通りの電柱には「わいち懐隈」と書かれ、
お店の壁には、「わいち」のマークが見られます。



「わいち」の言葉には、人と人のふれあいと「わ」を大切にしたいとの意味があるそうです。
「わ」には、輪島の「輪」と人の輪の「輪」と、親和の「和」が込められているのでしょうか?

通りの中ほどに「わいち交流サロン どっこら処」というのがありました。
何かな?と近づいてみると…
トイレがあって、車いすや電動スクーター貸出の文字が…
お年寄りや体の不自由な方々が立ち寄るところでしょうか?
名前を見ただけでも癒されそうな、私も入って皆さんとおしゃべりしたくなるような、
そんな雰囲気の場所でした。


輪島を後にして、海岸沿いに東へ走ると10km足らずで、「白米の千枚田」に着きました。



すごいでしょう?!
ほんとに小さな小さな田んぼがぎっしりです。
全部で2,092枚もあるそうです。しかも、1枚の田んぼの平均面積はわずか1.6坪だとか。


千枚田を過ぎて、ひたすら海岸沿いを東に走ります。
このあたりの海岸は、大小の岩や石がごろごろころがっています。



実は、このような海岸線を人工的に作ったという新聞記事をつい最近読んだばかり。
それは、青森県の木野部海岸のこと。
コンクリートだらけの堤防を壊して、砕いたブロックで海底に基礎を造り、
その内側に大きな自然石をばらばらに配置しただけなんだけど、それがすごいんです。
どうすごいかというと、大波が来ると石が動いて消波機能を発揮、台風がきても被害無し。
その上、海藻の宝庫となって、ウニやアワビが戻ってきて、寂れていた漁業が復活。

このすばらしい工事は、河川再生法として注目を浴びている「近自然工法」の技術を取り入れ、
海に活かしたもの。
「近自然工法」とは、護岸をコンクリートではなく、自然石を積み上げて造り、木々を植え、
川を蛇行させ、瀬や淵を造る。すると自然にコケや藻が生え、魚が集まってくる…
生き物にやさしい土木工法なのです。
それを海の再生に活用したんですね。

その記事をたまたま読んだばかりで、記事に添付されていた海岸線の写真が、
窓から見える能登の海岸線にあまりにもそっくりに見えて…。

で、あっちゃこっちゃで、「あ!近自然工法だ!」を何回も連発してしまった 
単なる自然の姿だったのですが…。


しばらくしてたどり着いたのは、能登半島の東にある「禄剛埼灯台」。





イギリス人技師の設計による明治時代に建てられた燈台。
美しく、またどっしりした構えの灯台です。

周りはすべて海で、あっちが上海、あっちがロシアなどという方向指示板がありました。


ただぼんやり海を見ていたら、「海しか見えませんね」と声がして、
振り向くと、そこには白髪の男性が立っていて、

「ふーん、この向こうがロシアですか・・・ぼくは昔ベトナムにいたんですよ」
「えっ、ベトナムですか?」
「そうです。戦時中、遠い昔ですがね。」

糊のきいた白い長そでのYシャツと折り目がビシッと入ったズボンを着て、
背筋もピンとのばしたそのおじいさんは、中学を卒業して士官学校に入ったのだそうです。

「日本ではなくてベトナムにも士官学校があったのですか?」
「ええ、おかげでぼくは命拾いをしました。
 隊の仲間はインパールや中国に送られ、ほとんど死んでしまったけど。
 ぼくは一度も前線に出ることもなく終戦をむかえましてねぇ」

その言い方が残念そうに聞えたので、未だに軍国主義者?と思いきや…
「軍隊は暴力社会」「ぼくたちは毎日先輩にぶたれた」
「死んで虜囚の辱めを受けずと教えられた」
「男に生まれたら国のために死ぬのは当たり前と思っていた」

等々、過去の日本を非難する言葉がつぎつぎに…。
教育勅語や軍人勅諭の話をして、
「今の学校もいろいろ問題が多そうだけど、それでも昔よりはずっといい」
「少なくとも、命を捨てろという教育はしないんだから」とも。

私が腕時計に目をやると、
「いやー、ここは暑いですなー、もう下に降りましょうか」と言い、おじいさんは歩き出しました。
「すみません。もっとお話聞いていたいのですが、連れを待たせているので」と言いつつ従う私。

実際もっと戦争の話を聞きたかったのに、帰り道では、もう戦時中の話はされませんでした。
金沢市に住んでいることや、月に一度名古屋在住の息子さんが帰って来られること、
その方は弁護士をなさっていて、婿養子にいかれたことなどをぽつぽつと語って下さいましたが。

「ここにはよく来られるんですか?」と尋ねると、

「いや、実は初めてです。ぼくはあんまり県内のことは知らないんですよ。
 最近友達もどんどん亡くなりましてね、私もいつお迎えが来るかわからない。
 動けるうちにあちこち見ておきたいと思いまして、
 毎朝8時に家を出て徘徊の旅をしておるんですよ」

駐車場に着くと、「ほら、あれがぼくの愛車ですよ」と指さす先にあったのは、
小型のよれよれのバイク!
「とりとめもない老人の話を聞いてくれてありがとう」と言ってヘルメットを被り、
バイクにまたがり、「では、よい旅を!」と、颯爽と去って行かれました。

かっこいいバイクじいちゃんの後ろ姿に敬礼したくなりました。


次に訪れたのが見附島。
弘法大師が佐渡から能登に渡る際見つけた島で「みつけじま」と命名されたそうな。
形から、またの名を軍艦島とも言うらしい。



島もいいけど、島を望む公園が、静かで涼しくて、のんびりできる素敵な空間でした。




時間的にもう1か所寄れそう、でも、外はめちゃくちゃ暑いし…
ということで、「のと海洋ふれあいセンター」を覗いてみることに。

たった200円の入館料で、能登の海のこと、海の生き物のことがたくさん学べ、
生き物に触れ、磯遊びもできるし、塩作りも体験できる素晴らしい施設でした。

水槽の中を覗いていたら、職員の方が来て、「よかったらご案内しましょうか」と。

おかげで、いろんなことを質問しながら興味深く見て回ることができました。
相棒は、大好物のウニやナマコに触れて楽しげでした。




ここを出て車は南下、今日の宿、和倉温泉に到着です。
「のと楽」は、予想以上に素晴らしい宿でした。
建物も、料理も、温泉も、スタッフの接客も、そして部屋から見える景色も。



さらに、床の間には、私の好きな相田みつをの書が。


窓からの夕日を受けて、額のガラスがうっすらピンク色に染まっています。
まさに「いま」この時の美しさと「ここ」に居る幸せを残すべく、シャッターを切りました。




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北陸の旅~削られた大地~

2009-08-18 | 
3日目。
宿を出て1時間足らずで最初の目的地「東尋坊」に着きました。




ここは福井県坂井市三国町。越前加賀海岸国定公園に属しています。
輝石安山岩でできた岩肌が海食によって削られ、柱状節理の岩壁が続きます。
その規模は世界的にも珍しく、国の天然記念物の指定を受けているそうです。



昔、勝山市平泉寺に住んでいた東尋坊というお坊さんは乱暴者で仲間の僧達から恨まれていて、
ある日この断崖から投げ込まれ、殺されてしまいました。
その直後から雷や暴風雨が49日も続き、みんなはその霊を慰めるため祈りました。
それから人々はこの崖を「東尋坊」と呼ぶようになったそうです。



遊覧船に乗って海から見上げるとこんな感じです。
今日も太陽の日差しは強烈ですが、船の中、窓を開けると潮風がとても心地よく吹き渡ります。


東尋坊を出て金津から北陸自動車道を北上。金沢西で降りました。
行先は、金沢城でも兼六園でもありません。
香林坊でもありません。

街中を抜け、犀川に沿って上流に向かいます。
住宅地を過ぎてしばらく行くと、見えてきました。
辰巳ダムです。 建設中です。


このダムは全国的にも珍しい洪水調節(流水型)ダムです。
「通常は水を貯めないので単なる河川の一部のようなもので、魚介類の遡上も可能。
大雨で洪水が起きそうな時にその機能を最大限発揮する」と説明されています。
はたして本当にそうでしょうか…。

県は2007年1月、北陸地方整備局に「ダム建設の事業認定」を申請、
同年11月に認定されました。
そして、土地収用法に基づき建設予定地の反対派住民の土地を強制収用する方針を表明。
それを受けて反対派は、事業認定の取り消しを求め、現在訴訟中です。

私たちが関わっている石木ダムの一歩前を行く事例のようで、関心を持っていました。
この裁判の結末はどうなるのか?
はたして本当に土地の強制収用は行われるのか?
そういった関心が、私の足を向かわせました。

工事現場に近づくことはできなくて、遠くから見るだけでしたが、
そこで感じたのは、
やっぱりダムはまぎれもなく自然破壊をしているってこと。

四方すべて緑の山に囲まれた谷あいに薄茶色の台地が目に飛び込んできました。
まっ平らに削られて、その上をクレーン車やブルドーザーや人々が蠢いています。
みんなとても小さくて蟻んこのようです。



東尋坊の荒波は堅い岩肌を削って芸術的な海岸線を創ったけれど、
人間は柔らかな台地を削ってチャチな玩具しか作れない。
それも自然を傷めつける玩具。。

あの緑の山肌が誰かの手のように見えてきた。
そして、その手が、ある日ある時いきなりギュッと握りしめたら…
人も車も機械もみんな握りつぶされてしまう。
それが自然の仕返し。
あまりにも傲慢な人間の仕業に我慢できなくなった時、自然はきっと怒りを爆発させるだろう。


とりとめもない妄想を巡らしているうちに車は再び高速道路へ。
が、車線を間違え、北陸自動車道に入ってしまった。
ダメダメ、そっちに行ったら富山方面。
今夜は輪島だから北へ向かわなくっちゃ。

ということで次のインターで降りて後戻り、能登有料道路に入り北へ北へ。

能登金剛に着きました。
能登金剛とは、能登半島の東側30kmほどの海岸線で、日本海の荒波によって浸食されたもの。
その名は、朝鮮半島の景勝地、金剛山に因み、それに匹敵する景観という意味らしい。
「義経の船隠し」や「ヤセの断崖」などいくつかの見所があって全部は回りきれません。
鷹巣と巌門の2か所に絞りました。

こちらが、その巌門です。浸食されてすっかり穴があいています。


穴の下の水はこんなにきれいです!


この岩には人間が削って造った穴もあり、その階段を上っていくと…


幸せの「がんもん橋」のでました。

どうして幸せなんだろう?

この景色を見ることができるからでしょうか?



この巌門に降りていくところにはレストハウスやお土産屋さんがあって、
観光バスも止まっていましたが、
巌門の前に立ち寄った「鷹ノ巣」では、見物客の姿もなく、土産物店もひっそりしてました。

その理由がこれでした。


2007年の北陸地震。
その時は店内の商品もほとんど壊れ、地面には大きな亀裂が入り、本当に怖かった
と、お店の人が語ってくれました。
以来客足は遠のき、その上昨年の大不況で…と、肩を落としておられました。

自然の猛威の前では、人間の力など微々たるもの。
どうにもできませんね。

これ以上自然を破壊することはやめて、自然との共生を真剣に考えなければ…
そんなことを実感させられた一日でした。

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北陸の旅~原発巡り~

2009-08-17 | 
2日目は原子力発電所巡り。

西舞鶴から舞鶴若狭自動車道で小浜西まで走り(その途中にある高浜原発には寄れず)、
若狭湾沿いに北上、敦賀半島の原発銀座を目指しました。

まずはじめに向かったのは、美浜原発そばにある原子力ピーアールセンター。



ところが、あいにくお休み!
エーッ!なんで?!
玄関ドアに近づくと、月曜日は休館と表示されていて…残念! 
仕方なく写真だけでもと、センターの外観などを撮っていたら、警備員さんが近づいてきて、
「敷地内での撮影はおやめ下さい」と注意されてしまった。

ハイハイと素直に遠ざかり、敷地外から望遠でしっかり撮りました。
このセンターの側に美浜原発へ行く橋がかかっていて、
そこから先は関係者以外は立ち入り禁止。
車も1台1台止められチェックを受けていました。




橋の向こうに見えるのが美浜原子力発電所。
2004年8月、5人の死者を出す大災害を引き起こした発電所のそばで、
どんなピーアールをしているのか、是非見てみたいものでしたが、休みなら仕方ない。

あきらめて、次に向かうは「もんじゅ」です。
もちろん、ここも遠くから眺めるだけですが。。

地図によると、どうやら白木という海岸から見られそうです。
行ってみると、砂浜があって、数人の海水浴客がのんびりと過ごしていました。



その光景に、この異様な建物は、どう見ても不似合いです。



1995年のナトリウム漏えい事故以来ストップしていたもんじゅが、
また運転再開されようとしています。
今年2月の予定は、住民の強い反発で見送られましたが、いよいよ来年3月には…
と、最近のニュースでききました。どうなるのでしょう。

そういえば、あのとき、事故現場のビデオを隠していたとしてマスコミに追われていた西村さん、
彼の死をめぐって、警察は自殺だと処理したけれど、遺族は他殺だとおっしゃって…、
結局は闇の中でしたね。

なぜこのような犠牲者をたくさん産みだす原発が必要なのか、私にはさっぱりわからない!


さてさて、この先にもう道はないので、今来た道を逆戻り、敦賀半島の中ほどまで南下して、
横断し敦賀湾に出る、再び北上して今度は敦賀発電所を目指しました。

近くまで来たら、発電所の少し先に敦賀原発の資料館らしきものをナビが表示。
地図にはなかったので予定外だったし、きっとここも月曜で休館だろうとは思ったのですが、
とりあえず行くだけ行ってみようと…。

幸いにも開いていました! 




中に入ると正面に大きなガラス張りの窓があって、その向こうに発電所の建物が見えます。


手前が1号基、奥が2号基です。

館内にはこのような資料がいっぱい。
実にわかりやすく、うまく説明されています。




日本の原発所在地。この狭い国土に55基もの原発。その上まだ造ろうとしている。
日本の海岸線をすべて原発で埋め尽くしたいのだろうか。。



日本と世界の原発の数。
ダントツのアメリカ103、次いでフランス59、その次に多いのが日本の55基なのです。
中国9、インド15、ロシアでさえ27、なのに小さな日本に55も!





また核廃棄物の処分について、いかに安全であるかを説明しています。






プルサーマルについても、そのしくみや安全性が示され、
まるで予備知識のない人々が見れば、原発=安全+環境に良い+経済的
と思ってしまうだろうな・・・







原発を後にして敦賀市に向かい、遅い昼食を済ませました。
海鮮丼を食べておなかいっぱい、腹ごなしにアーケード街を散歩。

そこはシンボルロードと名付けられた商店街で、
銀河鉄道999のモニュメントがいたるところに設置されていたのです。


















眼鏡のオジサンと横に座ってるオバサンが何となくお似合いで…
思わずシャッターを切ってしまいました。

その後、駅前に止めていた駐車場へ。
一路今宵の宿、坂井市の丸岡温泉に向かいました。

暑くて暑くて、早くお風呂で汗を流した~い! 
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北陸の旅~始まりは天の橋立

2009-08-16 | 
数年来の夢が叶って、越中八尾「おわら風の盆」を観にいくことになりました。
もちろん今回も車でドライブの旅です。

で、どうせなら、まだ行ったことのない能登半島も一周しようということになり、

そんじゃあついでに、敦賀半島も一周しようということになり、

も一つオマケに、日本三景の一つと言われる「天橋立」も…と欲張ってみました。

16日は帰省Uターンラッシュのピークとの情報に、朝7時半頃出発。
おかげでほとんど渋滞に出会うことはなく、特に中国自動車道はいつものようにスイスイ…

夕方前には1泊目の舞鶴に着いてしまいそうで、翌日に予定していた天橋立に直行。



日本三景の一つとはいえ、行ってみれば、たんなる松林。
これといった感動はありませんでした。

ここは、宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる全長3.6kmの砂州で、
松の緑と砂浜の白が海の青に映えるその美しさは、遠くから眺めてはじめて分かるもの。
そのまっただ中にいても認識できないのでした。

近くにある傘松公園から「股のぞき」すると、天に架かる橋のように見えるらしい。
それが名前の由来。

その景色を是非とも見てみたかったのですが、あいにくの大渋滞。
今日はお盆の翌日で灯篭流しがあるという。
こちらも日本三大灯篭流しの一つだとか。
合わせて大花火大会もあるというので、道路は長蛇の列。

あきらめて、松林を散策することに。



ところで、宮津側からこの松林にたどり着くには橋を渡らなければなりませんが、
これが珍しい廻旋橋でした。

私たちが橋のたもとに着いたときは、ちょうど船が通過中で、橋はどこ?って感じ。

船が完全に遠ざかってから向こう岸に見えていた橋が動き出しました。










めでたく合体。さあ、渡りましょ。


砂州の中ほどまで散策した頃、松林から夕陽が覗き始めました。



う~ん。なかなかロマンチックじゃないですか。

しかし、相棒はハラヘッタ!を連発。
灯篭流し? ここまで流れてくるのはいつになるかわからないよ!
花火? もう佐世保であきるほど見たよ!

ということで、松林をまた戻り、橋を渡り、一路、今宵の宿(西舞鶴)へ。

途中、私は夜空に降り注ぐ花火を少しだけ楽しむことができましたが、
相棒はもちろん大音響のみ。
が、そんなことより一刻も早く宿へ着きたい様子。

ほぼ12時間の運転で、車よりもドライバー自身がガス欠(アルコール切れ)なのでした。。



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精霊流し

2009-08-15 | 佐世保・長崎
夕食時、突然大きな破裂音が外から聞こえてきた。
パンパンパン!

びっくりして道路側のベランダへ走って下を見ると…



道路の端に明るく光る物体とその前後に列をなす人々の姿。
道路上には煙のようなものが上がっている。

そうだ!
今夜は精霊流しの日。
去年の今日は、島原で美しい切り子灯篭の精霊船に出会ったっけ。

今年は佐世保の精霊流しを見ようとずっと思っていたのに、
旅行の準備等でバタバタしていて、今日はすっかり忘れていた!

急いでカメラを取ってきて、ズームアップして覗いてみると…



ずいぶんたくさんの灯篭を乗せた船が4台も連なっていた。
その周りの人々はお揃いの衣装を着ている。
船を押す専門職の人たち?
それともご家族ご親戚一同?
それともご近所の方々?
いずれにしても、大物と呼ばれるような人が亡くなられたのだろう。

さらにズームアップしてよく見ると、先頭集団が掲げる提灯には、見覚えのある漢字2文字。

なんと、昨日、わたしたちのチラシ配りにエールを送って下さった女性と同じ苗字だった。
関係があるのかないのか、あったとしても近い間柄なのか遠いのか…何もわからないが、
珍しい名前だし、きっと…
思わず合掌し、再びカメラを手に、13階からレンズ越しに後を追った。



大量の爆竹をばら撒きながら、大音響とともにゆっくり前進。
駅前の交差点では、道路中央に出てしまった。
しかし、阻む人は誰もいない。
警察も通行人もただ見守るだけ。

死者の霊をお送りするんだもの。当然のこと…と言われれば、ごもっともデス。
不慣れな余所者にはちょっと驚きでしたが。

それにしても、どうして爆竹を鳴らすのでしょう?

「精霊流し」と言えば、さだまさしの『精霊流し』を連想する私。
あの静かで哀しげな旋律のイメージとのギャップにかなり戸惑ってしまった・・・


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街頭にて

2009-08-14 | 石木ダム
今日はお盆休みのまっただ中。
年々人通りが寂しくなるアーケード街も、いつもより賑やかです。

それを狙って?、本日、石木ダム反対&強制収用反対のチラシ配りを決行!
「石木川まもり隊」隊員5名+応援1名、計6人で午後1時から始めました。






開始直後に、一人の女性が近づいて来て「署名はやってないんですか?」と、言うのです。

(しまったー!持ってくればよかった・・)

実は、佐世保での2回目と3回目の石木ダム説明会における佐世保市民の反応をみて、
いま署名活動をするのは時期尚早、
まずは佐世保の水事情の現実を伝えることが大切だ、と思ったのです。

で、このようなチラシとポスターの縮小版をセットにして配布したのですが、




もうそんなことは先刻承知、反対の意思表示をしたい!
そういう方もいらっしゃるんですね~

思わぬ誤算。

「すみません。いま署名用紙を持っていないので、
 もしよかったら、後でご自宅にお送りしますけど」


「じゃあ、そうしてください」
「住んでる方がいらっしゃるのにねー、ぜったい許せないと思ってましたよ」
そう言って、即座に住所とお名前を書いて下さいました。

それからわずか2,3分後、また一人の男性が・・・
「川棚の方ですか?」と私に訊くので、
「いえ、佐世保市民ですけど」
「いやー、よくやってくださった。ダムなんかいらんですよ。
 税金の無駄遣い!佐世保から反対の声をあげんばいかんと思っとったですよ」
「頑張ってください!」

嬉しくって、後ろ姿に最敬礼。
・・・あっ!そうだ! 追いかけて、その方にも署名のお願いをして、ご住所を頂きました。

予想以上の滑り出しにルンルン気分でしたが、そのお二人は、特別だったようです。

その後の通行人の反応は五分五分くらいでしょうか。
つまりチラシを受け取ってくれる人と拒否する人が半々くらい。

その受け取ってくれた5割の人も、五分五分。
つまり内容(石木ダム反対)をわかって受け取る人とただ機械的に受け取る人が半々くらい。
いえ、もっと少ないかもしれません。

また、内容がわかって受け取った人が反対派とは限りません。
渡されたチラシの文字をチラリと見て、「いりません。私はダム賛成派ですから」と言う方に
「どうしてですか?」と尋ねると、
「そりゃあ、水は必要でしょうもん。佐世保は水が足りんとですけんダムは必要ですよ」
「ところが最近は足りてるんですよ。ここにそのデータがありますから、見るだけでも…」
とねばって、しぶしぶ受け取って下さった方が数人いました。

賛成派の中には、ジロリと睨みつけたり、
「なにバカなことしてるんだ!」と捨て台詞を吐いて行く人も2,3人いたので、
しぶしぶでも受け取って下さったことに、心から「ありがとうございました!」

受け取りを躊躇する人に声をかけると、「うーん。むずかしいからね」
「どっちとも言えんもんねー」「何もわかりませんから」等々の返事。

「ですよねー。難しいですね。でも、ここにその手がかりになるようなことが書かれてるので
是非お家に帰ってから読んでみてください」
と言って、なかば押しつけたりもしました。

なので、内容についてわかっていると言っても、必ずしも反対派とは言えないのです。

そんな中で、嬉しいケースもありました。

はじめは「どちらでもない」と言ってた女性。
話していくうちに、
「実は川棚出身なんです。だから、あそこのきれいな風景が目に焼き付いています。
 でも、30年佐世保に居て、佐世保の水不足もわかっています。
 だから、どちらの人の気持ちもわかるんです」
と、ご自身の葛藤を打ち明けてくれました。

二つ折りのチラシを開いて、表の説明をしながら、
現在の佐世保市はダムがなくても水が賄えていること、これからはますます水需要が減ること
などを話すと、
「そうだったんですかー!これで気持ちが楽になりました。ありがとう!」
と、本当に嬉しそうな表情を見せて下さいました。

もう一人やはり川棚出身の女性から声をかけられ、「頑張って下さい」と言われたし、
川棚から遊びに来ていた高校生の女の子3人連れは、ダムのことよく知らないというので
説明したら、かなり真剣にきいてくれて「勉強になりました」「聞けてよかった」
などと言ってくれました。


結局、用意したチラシ600部は、約1時間で配布終了。
予定時間の半分で済みましたが、それは通行量がいつもよりずっと多かったから。

今日だけで終わるのではなく、また次回も計画したいね~と、隊員1号と話しています。




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長崎原爆の日 2009

2009-08-09 | 佐世保・長崎



今日は長崎原爆の日。
私にとっては2回目の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典。

実はこのとき、すぐ近くの爆心地公園では、NO MOX の仲間が、
プルサーマル反対の署名活動をやっていたのですが、
私は式典に参列したかったので、終わり次第合流することにしました。

昨年の経験から今年は早めに到着。
なんとか巨大テントの下の席を確保できました。



夏真の炎天下の下で長時間の式典に参列するのは、高齢者ならずとも大変です。
とかく来賓席だけにテントが張られがちな式典ですが、長崎の平和祈念式典は違います。
参列者全体を暑さから守る巨大テントが張られます。
それだけではありません。

今年も去年と同様、ボランティアによって冷たいおしぼりとお茶が配られました。



あちこちから「わぁー、気持ちいいー!」という声があがります。
その声に若いボランティアたちは嬉しそうに、笑顔で応対しています。

この日この場所に集う人々を、職員も市民も共に心をこめて迎えようとしている、
そんな空気が伝わってきます。


開式の時間となりました。
今年も例年同様、高校生の男女による司会進行です。



大人でも子どもでもない、のびやかでまっすぐな声が心地よく響きます。

この後は撮影禁止(式の雰囲気を乱すため)、私もカメラをしまいました。

原爆死没者名奉安、献水、献花と進み、
11時2分、黙とう。

そして、田上長崎市長による平和宣言。

アメリカのオバマ大統領をはじめ、すべての核兵器保有国とその指導者の名前をあげ、
「被爆地長崎へ来てください、原爆資料館を訪れ、被爆の跡地に立ってみてください」
「死者の沈黙の叫び、犠牲者の無念の思いに、誰もが心ふるえるでしょう」と、
核兵器の現実を直視することを求め、
また市民に向かっては、
「歴史を作る主役は、私たちひとりひとりです」と、
それぞれの暮らしの中で行動をおこすことを呼びかけました。

続いて、被爆者代表の奥村アヤ子さん。
両親やきょうだい、すべての家族を原爆によって奪われた奥村さんの悲しみ、苦しみは、
多くの参列者の涙を誘いました。

その後、麻生首相をはじめとする来賓挨拶。

その中で印象的だったのが、ミゲル・デスコト・ブロックマン第63回国連総会議長のあいさつ。

彼は公的な立場の他に、ローマカトリック教会の信奉者という個人的な立場から、
「64年前にこの場所で起きた犯罪に私の教会のものが直接関与したことについて、
日本のすべての兄弟から許しを請うために来日したのです」と宣言しました。
「核兵器が二度と使用されないことを保証する唯一の確実な方法は、核兵器を廃絶すること」
そのための「断固たる行動をとること」
「日本と広島市長、長崎市長は、核保有国にこれを求める道義的な権威を持っています」

(この力強いメッセージが、すぐそばで聞いていた麻生総理の耳に届いただろうか・・
 たぶん否だろうナ・・)

そして、児童による合唱「子らのみ魂よ」、高校生による合唱「千羽鶴」と続き、
12時前に閉式。


急いで爆心地公園に駆けつけましたが、やはりもう仲間は移動した後でした。

そこで見たのは、去年と同じ場所に立って歌っていたユウイチ君。



懐かしい「オープンマイク」の文字。
一声かけたかったけど、歌の最中だったので遠慮しました。

ゴメンね。約束破って。
来年またここで逢いましょうって言って別れたのに・・
いま急いでいるの。
来年また来るよ。

と心の中で詫びて、次の署名活動場所の原爆資料館へ向かいました。


階段のところで、いきなり「お願いします」と渡されたのは、1枚の折り紙。
(えーっ。急いでるんですけど・・)という言葉が出せなかったのは、
目の前で一生懸命折っている子どもたちがいたから。

とにかく大急ぎで折って、できた鶴をテープで張り付け、
隣の女の子の完成を見届けてバイバイしました。


急いでると言いつつ、またまた興味惹かれるものに遭遇。


(なんじゃ?この屏風のようなものは?)
と近づいてみると・・・



平和へのメッセージが書かれた小さな板きれ(たぶん蒲鉾板の再利用かな?)を
繋いだ素敵な作品。

どうやって繋いでるのかな?と近づいて見ていたら、
「書きませんか?」とお誘いの声。

「いえ、先を急いでますので。ごめんなさい。素敵ですね!」
と、今度はちゃんとお断りして、駆け出しました。


すぐ前の階段を上ると、もう原爆資料館。

佐世保の仲間のE さんの姿が見えました。
声をかけて、私もさっそく署名活動開始。

たくさんの人が快く署名に応じてくれました。

家族連れも多く、「プルサーマルって何?」と子どもに訊かれたお父さんは困り顔。
「原爆の材料となったプルトニウムという危険なものを発電所で燃やそうという計画なの」
と言うと、「へー、そうですか、それは怖いですね」とご両親はすぐペンを取ってくれました。

若いカップルなども、説明をするとかなり関心を持ってくれ、
パンフレットを渡すと、「ありがとう」の言葉が返ってきます。

この前、佐世保でやった時とは大違いの反応でした。

やはり、原爆の日の今日、原爆資料館を訪れる人々ですから当然なのかもしれませんが。

中には、自分たちもプルサーマルの署名活動をやってるとか、
「この前、六ヶ所村に行ったけどね・・・」と、逆に教えて下さったり。

また、「暑い中をたいへんですね。頑張って!」と言って、1000円もカンパして下さる女性も!
一瞬、女神様に見えました。。


署名活動を終えるとすぐに車で、次なる会場へ。
宮崎在住の菊池洋一さん(元原発建築技術者)のお話を聞く会です。
2時少し前について会場の準備。

予定をかなり過ぎて2時半頃から始まりました。


菊池さんのお話は、専門家であり現場にいた技術者だけが知っている興味深いお話でした。
原子力発電所というものがいかに杜撰な建築物であるか、とても具体的です。
もっと聴きたいのは山々でしたが、友人との約束があったので、こっそり部屋を出ました。

事前に、途中で退室する失礼を詫びておいたのですが、そのとき、
菊池さんは不快感を表すどころか、ご自身の講演録が記された雑誌を差し出し、
「あとで読んでください」とおっしゃって下さいました。
また、菊池さんのブログ「花宇宙 ひとつらなりの生命」のことも教えて下さいました。
感謝!です。


さて、友人Kさんとは「岡まさはる記念長崎平和資料館」で合流。
他に見学者の姿も見当たらず、私たちはそれぞれのペースでのんびり館内を見て回っていると、
途中から車いすの男性と、彼を案内する女性の声が聞こえてきました。

彼女の説明がとてもわかりやすかったので、てっきりここのスタッフかと勘違いし、
耳を傾けているうちに、いつのまにかKさんともども同行させてもらっていました。

ずいぶんたってから互いに自己紹介をしてみると、
なんと、その女性Mさんは、私の佐世保の友人をよく知る人でした。

また、ここのスタッフではないけれど、この資料館の展示や企画にかかわっている人で、
案内できるのは当然だったのです。

そして、車いすの男性Tさんは、NPO法人障害者自立センター「つっかいぼう」の理事で、
社民党障害者議員連絡会事務局長さん。
毎年原爆の日に長崎を訪れ、この資料館を訪れるとのこと。
Kさんも一年おきに長崎に来ているので、いろいろ話が弾みました。

閉館時間までいて、次に向かったのは、山王神社の1本足の鳥居と原爆クスノキ。

その後、早めの夕食を済ませ「万灯流し」を見物。



広島の灯篭流しとは全く違います。
遠くから見ると、まるで長い電車のよう。
整然と並んだ四角い灯りが、静かに流れて行きます。

その万灯を追いかけながら川岸の歩道をずっと歩いて行きましたが、
しばらくすると灯りの帯は川岸に引き揚げられ始めました。
どうやらここが終点のようです。

引き揚げられた万灯は、10人前後の男たちによってその場で解体、
底と側面が分離され、山のように積まれていきました。

灯りを吹き消す前にお願いして、間近で写真を撮らせてもらいました。



恒久平和・・・それは、長崎の願い、世界の願い、
そして、私の願いです。

 

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