佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

第二の古里 佐世保

2014-03-27 | 佐世保・長崎

「世界のサセボ」と言われると、

くすぐったい感じを通り越して、引いてしまいそうになりますが、

でも、ここに書かれていること、わかります。

私も引っ越してきた最初の1年は、同じ印象を持ちました。

佐世保という地域が、他の地域にはない明るさ、元気さ、荒っぽさをもってるような、

魅力的な町にみえました。

 

やはりそれは、若い人たちとの出会いでした。

古い価値観にとらわれず、自由にしなやかに暮らしている若者たちの存在に、

驚きつつも、学ぶことがたくさんありました。

 

そして、中山記者も書いているように、

佐世保市民の長崎市へのライバル意識は相当なものを感じますが、

余所者から見たら、全く個性が違うので比べる必要はないのにな~と思います。

 

うまい例えではないけれど、

長崎市は優しくて思慮深いお姉さん、

佐世保市は元気でやんちゃな弟、

そんなふうに、私の中では、ぼんやりとイメージ化されてきたようです。

 

そしてどちらにも共通してるのは、人の温かさ。

これは長崎県民の共通点なのだと、埼玉を出る時、教えてくれた人がいましたが、

本当にそうでした。

 

今年の夏がくれば、私も長崎県民になって、丸6年です。

少しは私も温もりのある人間に近づけたかな?

いやいや、県民性ってのはDNAの問題だから、後から入ってきてもムリ!

という声が聞こえてきそう・・・

 

サセボを”第二の古里”と言ってくださった中山さん、

新たな任地でも、お元気で、よいお仕事をなさってくださいますよう、

陰ながら願っています。

 

 

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波佐見町の枝垂れ桜

2014-03-22 | 佐世保・長崎

え?桜がもう満開!と思うでしょ?

こちらはソメイヨシノよりも少し早く咲くシダレザクラです。

ほんとに満開!今日明日の土日が最高でしょう。

シダレザクラは枝垂桜と書くように、枝が下に向かって垂れています。

こんなふうに・・・

すごいです。

まるで花弁が滝のように滴り落ちています。

この花はみーんな1本の木の根から幹へ、幹から枝へ、水や養分が送られて、

そうして、こんなに美しく元気に咲いています。

この木はずいぶん長生きして大きくなったようです。

どのくらい大きいかというと…

こーんなに!

桜を見上げる人間たちの、なんと小さいこと。。

 

このシダレザクラは、佐世保市のお隣、波佐見町田の頭郷にあり、樹齢は100年ほど。

震災後全国の注目を集めた三春のシダレザクラは、なんと樹齢1000年超とのこと!

そちらに比べれば、まだ「はなたれ小僧」なのでしょうね。。

 

波佐見のシダレザクラも、まだまだ、あと数百年生きていけますように…

それはきっと私たち人間しだい…だよね! 

 

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およって静かにねんねんよ

2014-03-21 | 雑感

日本には子守唄がたくさんありますね~

私も大好きです。

五木の子守唄、竹田の子守唄、島原の子守唄、中国地方の子守唄、波の子守唄など…

昔から歌い継がれてきたものが多く、よって作者不明のものが多いのですが、

島原の子守唄や波の子守唄など、戦後作られた唄でも、

子守唄には共通する懐かしさや哀愁を感じます。

 

ところで、ただ「こもりうた」と題された子守唄をご存知ですか?

それは、こんな歌詞の唄です。

 

1  昔々よ 北の果て オーロラの火の燃えている
   雪のお城がありました
  「それから、かあさんどうしたの」
  「黙ってお聴きよいい話 お話きいてねんねんよ」


2  雪のお城のお庭には 氷の花が咲いていて
   雪の小人が住んでいた
  「本当にかあさん、おもしろい」
  「黙ってお聴きよいい話 お話きいてねんねんよ」


3  雪の小人は十五人 揃って白い雪帽子
   帽子の玉は銀のふさ
  「おやおや!かあさん すてきだな」
  「黙ってお聴きよいい話 お話きいてねんねんよ」


4  帽子の房をふりながら 一日踊ってくたびれた
   眠った小人は十五人
  「そうしてかあさん、おしまいね」
  「いえいえ黙っていい話 お話きいてねんねんよ」


5  眠った間にいたずらの 白い小熊がもってった
   房のついてる雪帽子
  「・・・・・・・・・・」
  「あらあらおねむり お利口よ、およって静かにねんねんよ」



作詞・野上彰  作曲・團伊玖磨 の作品です。

3日前に、友人が歌って聞かせてくれました。

題名を聞いたときは知らないと思ったのですが、歌を聴いて、

まず旋律を思い出し、その後で1番の歌詞を思い出しました。

やはり遠い昔、どこかで聴いていたようです。

でも、3番以降の歌詞は、記憶の欠片もありませんでした。

 

ところが、友人曰く、

「5番、この最後の5番の歌詞がいいのよ!」と。

 

ん?「およって静かにねんねんよ」?

「およって」って何?どういう意味?と訊きますと…

 

「およる」とは「寝る」の尊敬語。おやすみになるという意味だそうです。

こどもに尊敬語を使った、この詩人の感性に友人は感動したのです。

私も同感です。

 

こどもを平気で殺す大人がいる、

子育てを放棄する親がいる、

こどもの健康を無視して原発推進を進める為政者がいる、

そんな今を生きていると、

私にもその言葉は衝撃的にさえ聞こえました。

 

そして、ネットで調べてみると、この歌が作られたのは、私が生まれた年でした。

私が少しだけ覚えているのは、母が歌ってくれたからでしょうか?

母が、「およって 静かに ねんねんよ」と

歌ってくれたのでしょうか・・・

 

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散策 五番街

2014-03-17 | 佐世保・長崎

お昼過ぎ、郵便局での用事を済ませ、いつものスーパーエレナへ向かっていたけれど、

温かな春のそよ風に誘われて…そうだ!今日は五番街のエレナへ行ってみよう!

五番街には3回ほど出かけたものの、五番街オーナーのエレナには寄っていない…

 

もっとも、エレナの他にも入ったことのない店はいっぱいあって…

今日は、その中の1つ「マライカ」にも寄ってみました。

マライカはエスニック雑貨のお店で、店内にはアジアやアフリカの国々から輸入した

衣類や雑貨がいっぱい!

マライカとは、スワヒリ語で「天使」という意味なんだって!

こんな可愛い手作りの置物もあり、見ているだけで楽しい。

これを買いました。

亀の灰皿。

私には無縁のものですが、約1名、家族に愛煙家がいるもので…

 

ベッドカバーもちょうど探していたし、この色合いが気に入って買い物かごへ。

 

これはペンダント。

3本の紙ひもに、皮で作ったお花を通したもので、

店員さんが自分の首にかけてみせてくれて、それがとてもいい感じだったので、

珍しく衝動買いしちゃいました。。。

ところが帰宅してみると、なんだか私にはイマイチ・・・

そっか~、これに似合う服をもっていないんだ~

でも、クローゼットのドアにぶら下げたら、すごく部屋の雰囲気が良くなったので、

当分はお部屋の壁掛けとなりそうです。

 

 

その後寄った「無印良品」では、とても機能的ないいものを見つけました。

バッグインバッグです。

大きなバッグの中に入れる小物整理用バッグですね。

上から見るとこんな感じ。

チャックを開けてみると・・

ほらね、たくさん入っているでしょ?

手前から、携帯電話、ICレコーダー、ボールペン、シャープペン、

リップクリーム2本、ファンデーション、キャンディケース、お財布、

手帳、ハンカチ、ティッシュ、裏のポケットには名刺入れ…

なんと13点もしっかり収まってます。

こんなの欲しかったんだ~

 

整理整頓が苦手な私は、バッグの中がすぐにごちゃごちゃになって、

いつも探し物をするはめに・・

特にペンケースやお財布、携帯がみんな黒で、

私のバッグの裏地もほとんど黒が多いので、よけい見つけ辛かったのです。

 

良い買い物をして気分も良好で、最後にスーパーエレナで食材を買って帰りました。

五番街のエレナは、いつものエレナよりも品揃えが豊富で、

野菜などは地産品を多く扱っていて、いいな~と思いました。

が、1つだけなことが…。

 

ショッピングカートがカギ付きなんですよね~

あれは何故?

カートを使うには100円玉を入れて鍵をはずさないと使えない。

使い終わったら、その100円玉は戻って来るんだけど、

そんなの面倒で、私は使う気にならなかった。

店内を見回すと、誰一人使ってる人はいない。

 

何故だろう?

エレナ五番街さんは、お客さんにカートを使ってほしくないのかな?

何故だろう?

カートを使うと、予定外のものでもついつい買い物カゴに入れてしまうけど、

カートを使わず買い物カゴを手に持っていると重いから、

必要なものだけを買って、済ましてしまいがちなのに。

つまり売上を少なくしているように思うんですが・・・

 

ま、経営者でもエレナ従業員でもないので、余計なお世話ですよね。

何か理由があるのでしょう~

 

というわけで、今日は、銀ブラならぬ、五番街ブラを久々に楽しんできました。 

 

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罪滅ぼしの脱原発

2014-03-13 | さよなら原発

神奈川に住む友人は、NHKの籾井会長問題以前から、全くテレビとは無縁の生活をしていました。

テレビだけではなく新聞も、読売、朝日など大手には強い抵抗を示していました。

たぶん、たくさん取材された経験から植え付けられた実感なのでしょう。

遠回りでも、口コミで伝えていくことの大切さをよく語っていました。

 

その友人が、珍しく新聞の取材を受け、その記事について知らせてくれましたので、貼付します。

「内容は恥ずかしいものですが、もう、恥ずかしがってひっこんでいる余裕がないほど、

日本の原発事故への対応はおかしな状況に陥っています」と書かれていました。

そして、

この記事を書いた若い男性記者は幼い子を持つそうで、態度は真剣そのものでした」とも。。。

 

 

罪滅ぼしの脱原発 

福島第一原発に携わった元技術者が訴え/横浜

カナロコ by 神奈川新聞 3月9日(日)7時0分配信

 原子力発電を推進する側に長く身を置き、東京電力福島第1原発にも携わった元技術者が、脱原発社会を目指し講演を続けている。根底にあるのは、贖罪(しょくざい)の念。原発の安全性に限界を感じていたものの、国策を前に見て見ぬふりを続けてきた。原発事故から3年を迎える今、「原発の安全性は理論ではなく信仰だった」と言い切る。講演会で各地を回り、国内すべての原子炉廃炉の必要性を、ためらわずに訴えている。

 「この国で原発は駄目なんだと、もっと広く伝えるべきだった」。3年前。放射性物質が拡散し、住民が避難を余儀なくされた福島第1原発事故を目の当たりにした小倉志郎さん(72)=横浜市=は、自責の念に駆られていた。

 旧日本原子力事業や東芝に勤務し、原子炉の冷却水ポンプの設計などに携わってきた。1960年代後半から福島第1原発1~6号機のポンプや熱交換機を担当した。

 当時の設計思想は、電源などのシステムが1系統しか使用不能にならないとする「単一故障原理」。今回のようなすべての外部電源が失われる事態は想定外だった。「だがそれは、理論ではなく信仰」と小倉さん。なぜか。

 「そう信じ込まないと、膨大な対策が必要になる。そんな対策は経済的に成り立たないと今なら言えるが、当時は疑いもしなかった」。国策として原発は推進されている。家族を養わなければならない。長く勤めるうちに原子力産業の問題点も見えてきたが、「見て見ぬふり」をするのが精いっぱいだった。

 2002年に定年退職を迎えた。技術を買われ電力会社などから「若い技術者の教育担当に」と再就職の誘いがあったが、すべて断った。「もう関わりたくない」との思いからだった。

 安息を得た一方、押しとどめていた原発への懸念や不信感が頭をもたげた。07年、編集者だった友人の勧めで、論文を執筆。電源設備など機器の多くが屋外にほぼむき出しで設置されており、武力攻撃などで冷却機能を失う原発のもろさを指摘した。論文を機に、原発の危険性を伝える講演活動も始めた。

 震災後、講演の依頼は急増した。「たくさんの人に伝えたい」と断らずに応じている。原発の内情だけでなく、除染の難しさや内部被ばくのリスクについても紹介している。

 だが、目の前の現実は自身の思いから逆行を続ける。原発再稼働の手続きは全国で進み、政府の新たなエネルギー基本計画案は原発を「重要なベースロード電源」と位置付ける。

 「同じ考えでいる仲間うちで脱原発を叫んでいるだけでは、手遅れになる」。現状の脱原発運動に危機感を強める小倉さんは、「運動の輪の外にある『日常』を生きる人々と、どうやって自然に思いをつないでいけるか。身近なところから話し合う努力を地道に続けていくしかない」と話す。

 そうやって脱原発社会を手繰り寄せていく-。「それが福島に報いることではないか」。小倉さんは、そう考えている。

 

 

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あれから3年 避難生活26万7419人、震災関連死3048人

2014-03-12 | 雑感

昨日の午後は「地球屋」という飲食店にいました。

このお店の2階で、『ダムのツボ出版記念展』というのをやっているので、
https://www.facebook.com/hozumikoubaru/media_set?set=a.411287439008062.1073741827.100003804288928&type=1

受付というか、案内というか…店番みたいなものかな?

でも、ランチタイムのお客さんは少ないし、

1階で食事をしたらほとんどの方はすぐ帰るだけなので、

数人の方が見に来てくださいましたが、2時を過ぎると、暇になりました。

 

携帯の時計が14:46を刻んだので、一人黙とうをしました。

とたんに忘れていた映像が瞼に次々と浮かびました。

濁流の中をおもちゃのように流れていく車や家。

飛行機までも。

そして夜、海が燃えていた光景。

翌朝、ヘリから撮影された消えた街並み。

陸に取り残された大きな船。

 

テレビでみただけの私の脳裏にも、こんなにくっきりと残っているのに、

被災者の脳裏に刻み込まれた光景はどんなに鋭く深いものだろう。

3月10日現在、東日本大震災による被害者は次の通り。

死者=1万5884人

行方不明者=2633人

避難生活者=26万7419人

 

しかも、震災関連死が3048人!

もちろん圧倒的に福島県民が多い。

原発事故のせい。

長引く避難生活、先の見えない不安、ストレスが限界に達している人も多い。

 

なぜだろう?

経済大国と言われ、先進国と自負し、人権や平和主義を重んじてきた国で、

災害から3年も経っているのに、まだ放置されている人々がたくさんいて、

復興計画も進まないなんて・・・

 

復興が進まない理由の一つに、工事の資材・人材不足が言われている。

オリンピック関連工事のために、被災地の作業員が引き上げていると…

 

何かが狂っている。。

 

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ひずんだ家族

2014-03-08 | さよなら原発

つい先日高校を卒業したばかりの福島県のはるかさん。

彼女の「ひずんだ家族」の現実を、私たちは知るべきだと思ったので、

今日の朝日新聞の記事を転載させてもらいます。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11017754.html?_requesturl=articles/DA3S11017754.html&iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11017754

 

きっと福島には、何人ものはるかさんがいることでしょう。。。

 

 

 あれから家族はふつうではなくなり、私はそれに慣れてしまった。

 両親の間の溝が決定的に深まったのは、震災の年の夏。暑い日だった。

 4カ所目の避難先だった福島県郡山市のアパートで、泣き叫ぶ母(49)が父(51)をなじった。

 「大丈夫って言ったのに、大丈夫じゃなかったじゃない」

 父は言い返さなかった。

 何でこんなことになったんだろう。高校1年だった矢代悠(はるか)さん(18)はトイレにこもり、声が漏れないように泣いた。

 父は東京電力社員。自宅は福島第一原発の20キロ圏内、福島県楢葉町にあった。一家は原発事故で、震災の翌日から避難を迫られた。車で寝泊まりもした。

 父は事故の収束作業に呼び戻された。避難先の家に戻るのは月8日程度。細い体がさらに痩せ、ほおがこけた。母は知り合いから口々に「どう責任を取るの」「被害者面して」と言われ、携帯電話の電話帳から約30人の名前を消した。

 福島県いわき市に避難した祖母までが「おめえの旦那が東電のせいで、どれだけ世間体を悪くしてるか」と言った。母は泣いた。若いころ、東電の子会社に勤め、「安定している東電の人と結婚しなさい」という祖母の言葉通りの選択をしたのに。

 両親は会話を交わさなくなった。父からメールを受け取り、内容を母に伝える役割を悠さんが担った。

    *

 テレビニュースが「脱原発デモ」を映し出す。

 東京の電気をつくる原発がどこにあるかも知らなかったくせに。お父さんが頑張っていることは、誰も知ろうとしないのに。無責任じゃない?

 悠さんは父が責められているように感じて、腹が立った。でも、「父のことを話せば、軽蔑した目で見られるかも」と心配する自分もいた。高校でも父のことを深くは話せなかった。

 高2の夏。被災地の高校生300人を招くNPOや企業の企画で、米国に短期留学した。他の高校生や米国の学生とディスカッションを重ねるうち、度胸がついてくるのがわかった。

 帰国後、被災地の高校生が東北の課題を話し合う東京の集まりにも参加した。母を津波で失った宮城県の高校生の体験を聞き、決心した。「自分も言わなきゃ」。緊張で体が震えたけれど、みな泣きながら聞いてくれた。

 被災したからこそ得た機会が自分を強くしていた。

 「震災で減った観光客を呼び戻そう」。留学仲間の高校生が企画したいわき市を案内するバスツアーにも、スタッフとして加わった。悠さんは高2の春からいわき市に移り住んでいた。

 旅行会社の協力で昨年5月に始まったツアーは、第3弾まで実現した。悠さんは首都圏からの客に父が東電社員として収束作業に当たっていることを話した。そして、「私たちが楢葉町に住んでいたことを忘れないでください」と伝えた。

 抱きしめてくれる人、「お父さんたちは英雄だ」と言ってくれる人がいた。震災後はめったに笑わず、口数も減った父。その父が口に出せないことを、代わりに少しだけ言えた気がした。

    *

 母は今も祖母を許すことができない。「心穏やかになる日はない。私に実家はない」と言う。父は福島第一原発4号機の核燃料取り出しに当たり、週末だけ帰宅する生活が続く。父母がそろっても、視線が交わることはない。

 悠さんは今月1日、高校を卒業した。4月から県内の大学で建築を学ぶ。「昔のように、家族でリビングに集まって仲良く話したい。でもどうすればいいのか、わからない」

 ただ、一つ考えていることがある。

 おばあちゃんに会いに行って話を聴こう。なぜお母さんにあんなことを言ったか、どんな気持ちなのか。家族の関係が変わるきっかけになるかもしれないから。今の私なら、向き合える自信がある。

 (根岸拓朗)

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フクシマの嘘 その2

2014-03-04 | 佐世保・長崎

 

10万テラベクレル!

と言われても、私にはピンときません。

でも、それが、あの原発事故発生当初に、海へ流出したのとほぼ同じ値なのだと言われてビックリ!

それは、阿武隈川から仙台湾に注ぎ込まれる1年間のセシウムの放射能の値でした。

フクイチから80kmも離れた海でなぜ?

それは、阿武隈川流域に降った雨や雪が地上の放射能を洗い流し、

それが小川や支流に運ばれて、阿武隈川に集積するから…

仙台湾では、毎年福島原発事故が起きているのと同じこと?

 

行政は大地の除染には熱心だが、川や海の汚染は見て見ぬふり?

京都大学防災研究所の山敷庸亮准教授が河口の泥土を分析したら、4680bq/kgだった。

しかし、これは危険な値ではない。

新基準値は、8000bq/kgなので、それ以内だから危険ではない。

ところが、事故前の基準値は、100bq/kgだったので、

それを基準に考えると、メチャクチャ高い値ではないか!

 

双葉町の元町長井戸川さんは、事故当時外にいて降ってきた灰を浴びた。

いまでも喉の痛みや鼻血が頻発している。

しかし、国は被曝した人たちを何ら検査もせずに、事故による人体への被害はなかったと言っている。

「日本政府は非人間的です。非常に激しい怒りを持っています」と井戸川さんは語っていた。

 

なぜ、こんな現実が許されているのか…

私には理解できません。

 

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たったひとつの尊い存在 まど・みちお逝く

2014-03-02 | 雑感

まど・みちおさん死を、新聞各紙が大きく報じていた。

「ぞうさん」 「一ねんせいになったら」 「ふしぎなポケット」など、

懐かしい、誰もが知っている歌の詩を書いた童謡詩人。

 

私の大好きな詩人、谷川俊太郎さんが唯一のライバルと言っているのを知った時、

ふ~ん…と思っていた。

 

5~6年前に、まど・みちおさんのこの詩に出会って、

私も、やっとわかった気がした。

 

さくらの はなびら


えだを はなれて 

ひとひら

さくらの はなびらが

じめんに たどりついた


いま おわったのだ

そして はじまったのだ

ひとつの ことが 

さくらにとって

 いや ちきゅうに とって

うちゅうに とって

 あたりまえすぎる

ひとつの ことが

かけがえのない

ひとつの ことが

 

この広い宇宙で、かけがえのないたった一つの存在、たった一つの命、

その素晴らしさ、尊さ。

それに気づいたまどさんだからこそ、こんな詩が書けた。

 

うさぎ


うさぎに うまれて

うれしい うさぎ

はねても

はねても

はねても

はねても

うさぎで なくなりゃしない


うさぎに うまれて

うれしい うさぎ

とんでも

とんでも

とんでも

とんでも

くさはら なくなりゃしない

 

嬉しいのは うさぎだけじゃない

すべての生き物が 自分の命を生きる喜びを感じている

私たち人間も 本来はそうであるはず…

と、まどさんは信じていた…のかな?

 

くまさん


はるが きて

めが さめて

くまさん ぼんやり かんがえた

さいているのは たんぽぽだが

ええと ぼくは だれだっけ

だれだっけ


はるが きて

めが さめて

くまさん ぼんやり かわに きた

みずに うつった いいかお みて

そうだ ぼくは くまだった

よかったな

 

わたしがわたしであることを

わたしも「よかった」と思いたい… 

 

 

 

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