佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

3回目にして・・・

2010-09-27 | 雑感

「その後お変りありませんでしたか?」

きょとんとする私。

「前回のあと、痛みなどありませんでしたか?」

「あ、いえ。何も…」

「では、前回と同じようにお掃除をしていきますね」

 

ああ、びっくりした。

2回続けて無口だった歯科衛生士さんが、のっけから優しく声をかけて下さるなんて!

今日は何かいいことでもあったのかな?



「イスを倒します」

「口を開けて下さい」  

ガリガリ、ゴリゴリ・・・

「口をかんでください」

口をかむ? きっと閉じるという意味だろう。

閉じてみた。何も言われない。

よかった。前回まではずっと口を開けっぱなしだったのであごがだるかったし、

溜まった唾液が気になっていたが、それもゴックンすることができる。



もしかしたら、院内で指導があったのかもしれない。

患者への説明や対応について、先輩から助言を受けたのかな?

「口を開けて下さい」

「イスを起こします」

「うがいをして下さい」

おや、うがいも指示してくれる。わかりやすくていいな。

ん?

もしかしたら、私が不満を記した先日のブログを読んだ誰かが、彼女に密告したとか…?

アハハ、それはないだろう。考え過ぎだ。



「口を開けて下さい」

カリ、カリ、カリ・・・

(アチッ!ちょ、ちょっと、今日はかなり痛いなぁ)

前回まではとても穏やかな調子だったのに、

今回は歯間を掃除する器具の動かし方がかなり乱暴な気がする。

気のせいかなぁ。だといいけど・・

 

途中何度か痛くて顔をしかめたが、何も反応がない。

前の歯医者さんの場合は、ちょっと眉根を寄せただけで、

「あ、痛かったですか?」
「ごめんなさいね~少し我慢してね~」
「もうすぐ終わりますからねー」などと言って下さったものだ。。

 

今はしゃべれないけど、今度うがいをした後に「痛いです」と訴えよう!

そう決意した。

「起こします」「うがいをどうぞ」

ガラガラペッ! さあ言うぞ!と思った時、

「では、これから歯磨きをします」と言われ、

「あ、はい・・・」

抗議の機会を失したことに我ながら情けないな~と思いつつも、

ま、いいかー、もう痛い思いはしなくて済みそうだから、と気を取り直す。

 

しかし、あきらかに歯磨きも今までより乱暴だ。

前回までは小刻みのブラッシングがとても気持ちよくて、眠りそうになったほど。

今回は大きな動きで、歯ぐきがこすれて痛い。

歯ブラシの先っぽが歯ぐきの付け根に押し付けられて、これも痛い。

再び顔をゆがめてアピールするが、全く反応がない。

しかたない。今度うがいが終わったら、ぜったい抗議しよう。。

 

「起こします。うがいをどうぞ」

ガラガラペっ。さあ、言うぞ。

と、その時、

ポロロロ~ン、ポロロロ~ン! (携帯メール着信音)

 

「アららら、すみませーん!ごめんなさい!」

足元の手荷物入れの籠からバッグを取り出し、あわててスイッチを切る。

マナーモードにするのを忘れてた!

抗議をするどころか、もう小さくなるばかり・・。

 

「いいですか。倒しますよ」

「口を開けてください」

もう最後までなされるがまま・・。無駄な抵抗は止めた。

 

「はい、終わりです。また一週間後に来て下さい。お大事に」

ああ、3回目にしてやっと聞いた「お大事に」だけれど、

言葉よりも、やはり「大事に」治療してほしかった・・です。

 

待合室の部屋を出る時、壁に貼られたネパールの写真の、

その中で笑顔を見せる、この歯科医院の院長先生と目があった。

 

とうとうお目にかかることはありませんでしたね。

今もネパールですか?

歯科医はあふれるほど居るこの日本を飛び出して、ネパールでもアフリカでも、

歯科医療を必要としている場所で大いにご活躍ください。

陰ながらお祈りしています。

と、心の中でご挨拶をして、ドアを閉めた。

 

夕食後、歯磨きをして、奥歯のそばに2つできた小さな傷口に薬を塗る。

どうか口内炎になりませんように・・

明日は諫早へ合唱練習。

その次の次の日は、音声訳の録音日で、一日中口を動かさなければならないから。

 

よーし、来月になったら、また歯科医探しだ。

でも、もうブログにはぜったい書かないゾ。。 

 

 

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心ふるえる

2010-09-22 | 佐世保・長崎

「うたごえふれんど」の仲間に誘われて、初めて「つくも苑」を訪れた。

「つくも苑」という名前は何度か聞いたことがあり、私はなぜか老人ホームだと思い込んでいた。

仲間のTさんは半年ほど前から、そこで紙芝居をやったり本を読んだりしてるという。
今度は歌を歌いたいので一緒に手伝ってくれない?と言われ、喜んでOKした。

迎えに来てくれたTさんの車の中で初めてそこが障害児者の施設だと知った。

 

「私が行ってるのは児童棟と呼ばれるとこやけどね、子どもとは言えん歳の者もおるんよ」

「職員さんの手が足りんけんねー、たいへんよ」

「行くたびにね、『家はどこかー?』と訊きに来る子がおるからね、きっと今日も訊かれるよ」

などなど予備知識を与えてもらいながら、そこへ向かった。

 

私たち「ふれんど」の3人の他に、元ベテラン保育士さん2人も加わって、計5人でお邪魔した。

その部屋に入ると、こども?たちはすでに待っててくれて、大半が車イスだった。

(帰宅して調べると、平成21年4月1日現在の児童棟入所者は28名で、うち20名が20歳以上で、
うち11名は30歳以上となっていたが、見た感じは皆とても若い!)

件の青年もやってきて、やはり「家はどこかー?」と訊かれたので、「潮見町よ。知ってる?」と答えると、
黙って私の顔をじーっと見つめていた。

 

初めにみんなで自己紹介をして、

次に、元保育士さんのお一人が指歌を披露。とても面白かった。

続いてもう一人の元保育士さんが、紙芝居を2本やって…それはちょっと残念だった。
雑音の多い環境では読む声がよく聞こえないし、紙芝居の大きさもやや小さくて見えにくかったから。

 

私はこどもたちの中に混じって聞いていたら、隣の男の子がしきりに腕を引っ張る。

携帯のようなものを出して、それと自分を交互に指を差す。

自分の携帯だと言いたいのか、それとも、その携帯のカメラで自分を撮ってくれと言ってるのか…?

受け取って開こうとするが開かない。

保育士さんがやってきて、「それ、おもちゃなんですよ。この子カメラが好きだから」と教えてくれた。

「そうなんだ~、じゃ、あの紙芝居の絵を上手に撮ってね」と言うと、
彼は嬉しそうにニヤッと笑って、シャッターを押す仕草を何度もやった。

 

Tさんは、職員不足だって言ってたけど、この部屋だけでも4,5人以上いるし…、
こどもたちは別の部屋にもいるのかな?
全部で何人くらいいるのだろうと思って、先ほどの保育士さんに訊いてみた。

「えーと、たしか26人だったかな?いや、違ったかな?ごめんなさい。よく知らないんです」

「実は私、児童棟に来るの今日が初めてで…今日は実習なんです」

「?」な顔を私がしていたのだろう、続けて説明して下さった。

「私は大人の棟でずっと働いているんですが、今度向こうの棟が1つ取り壊されて
そこにいた人たちが児童棟で暮らすことになったので、
これからは大人と子どもの両方をみることになって…
児童への対応はまた全然違うので実習することになったんです」

え?どうして取り壊すの?入所者が急に減ったんですか?

「いいえ、そういうわけでは…今は民間ですから…」

とても言いにくそうな様子だったので、それ以上は尋ねなかった。

(こちらも帰宅後に調べたデータだが、昨年4月現在で大人の入所者は156人。
 内50代以上が4分の3を占め、60代以上は約半数となっている。
 それは確かに高齢者と青少年ではケアの仕方も大きく違ってくるだろう)

 

さて、いよいよ私たちの出番。
ついさっき駐車場で歌詞カードをもらって歌う曲目を決めただけのぶっつけ本番。
ま、なんとかなるだろう…と3人そろって前へ出る。

「もみじ」の二重唱から始まって、「しゃぼん玉」「赤い靴」など歌っていった。

みんな、キャーとかウォーとか急に声を発して、笑顔がいっぱい。

 

嬉しい・・みんな、こんなに歌が好きなんだ! 

「赤とんぼ」を歌いながら、私はまた皆の中に入っていった。


隣の青年(先ほどのカメラマンとは違う人)の歌声が聞こえる。

あ、歌詞を知ってるんだ!すごい!と聞き耳を立てていた。
(歌ってると言っても、言語障害があるのでかなり聞き取りにくい)

そのうち声が聞こえなくなったので、歌詞を忘れたのかな?と思い、
持っていた歌詞カードを彼に見せようとしたら…
その青年は泣いていたのだ。

赤い目をこちらに向けて、涙をポロポロこぼし始めた。

でも、決して哀しい表情ではない。

もしやと思って「この歌が好きなの?」と訊いたら、大きく頷いた。

私は感動を通り越して、心が震えた。

久しぶりに心が震えた。

 

帰りの車の中で、Tさんにその話をした。

「そうさー。あの子たちはほんとに純粋やからねー」

また、口ごもった職員の言いたかったことを教えてくれた。

「前は県立の施設だったんだけどね、民間になってからはコストダウンが最重要課題!
1棟なくなれば電気代でも暖房費でも、経費は全然違ってくるやろ?
削られるところはどんどん削ってやっていかんと経営がなりたたんとやろね~」

そんな・・・

「日本の福祉はどんどん後退しよるねー。これからどげん世の中になるんやろうね…」

 

Tさんは、週に2日は老人ホームのボランティアをして、
「つくも苑」には月に2回通い、
その上、てんかんの息子さんを抱える友人が糖尿病で心配だからと、時々手伝いに行くらしい。

ただただ頭が下がるばかり。

私はTさんのようなマネはできないが、また「つくも苑」のお手伝いには行きたいと思う。

私の心の洗濯に…

  

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戦争案内

2010-09-19 | 平和
戦争案内というタイトルのDVDと本を、友人が貸してくれました。

見終わったのが予定より遅れてしまって…、
次に待ってる方(私がとても尊敬する近現代史の先生)に急いで送りました。
でも、送る前に、本の一部をコピーさせて頂きました。

自慢じゃないけど、記憶力の悪さには自信があります!
内容はしっかり心に焼き付いても、具体的な数字など覚えられません!
でも、その数字が超大事!
数字は紛れもない現実ですから。
そこで、5ページほどコピーさせてもらった次第です。友人には事後承諾を得ました。

この映画のテーマは、<戦争はなぜおきるのか?>でした。
戦争をテーマにした出版物はたくさんありますが、その多くは戦争の悲惨さを描いたものや、
ある人物に焦点を当てた武勇伝的なもの、あるいは国家の思惑に沿った「純粋な」記録映像などが多く、
中にはその原因を追及するような作品があっても、それは「その戦争」の原因でしかありません。

第一次、第二次と世界規模の、
何千万という人の命を奪った歴史を体験したにもかかわらず、
なぜ未だに戦争は繰り返されるのだろう?

どうして、戦争は生まれ続け、どうして戦争は終わらないのか、
ずーっと不思議に思っていました。

その素朴な疑問に真正面から答えてくれたのが、この『戦争案内』でした。


この映画の監督であり本の著者でもある高岩さんは、フィリピンで取材中に、
フィリピンの歴史学者レナト・コンスタンティーノさんに言われます。

「それにしても日本人は今まで一度も自国の歴史を正しく理解したことがないのではないか?
日本の歴史書や歴史教科書をたくさん調べましたが、今まで日本が行なって来たアジアに対する侵略戦争の張本人をすべて軍人や政治家として描いています。しかし基本的に軍人や政治家は金で操られた操り人形の役をしたにすぎません。戦争を必要として計画して金で軍人や政治家を操って莫大な利益を上げてきたのは、財閥・資本家たちですよ。しかし日本の歴史書には、このことはどこにも書いてありませんね」

それをきっかけに、「なぜ戦争はおきるのか」というテーマに沿った高岩さんの誠実な取材が始まります。
いろんな人との出会いの中で、貴重な調査、研究の資料も手に入れ、
高岩さんのテーマはどんどん答えに近づいてゆきます。

例えば、1915年から1919年までの会社利益率の一覧表がありました。
出典は、東洋経済『株式会社年間』とあります。

東洋経済と言えば、あの『会社四季報』で有名な経済誌の老舗ですよね。
十分信頼できる資料です。

第一次世界大戦が始まったのは1914年、終わったのは1918年ですが、
その間、大方の企業がウナギ上りの利益をあげています。

川崎造船= 利益率 21.2%(1915年)→217.7%(1917年)、 資本金 2.7倍(1919年)
日本鋼管= 利益率 19.2%(1915年)→274.3%(1917年)、 資本金 11.3倍(1919年)
芝浦製作所= 利益率 10.6%(1915年)→143.0%(1917年)、 資本金 1.8倍(1919年)
東洋紡績= 利益率 25.4%(1915年)→125.6%(1919年)、 資本金 1.5倍(1919年)

戦争って本当に儲かるんですね。
武器商人だけでなく、鉱業や造船、電機関係、製紙会社、繊維会社まで・・・
"風が吹けば桶屋が儲かる"の諺どおりです。

その次の表を見ると、大一次大戦によって日本経済が大きく発展したことがよくわかります。

戦争開始時に 5億9100万円だった輸出高が、戦争終結時には 20億9800万円!
戦争開始時に 15.2%だった利潤率が、戦争終結時には 57.8%!
わずか4年間で3.8倍もの利潤率アップですから…
三井物産に限って言えば、9.2倍も…!!!


そして、儲かったのは企業だけじゃなかった・・・
一番儲かったのは・・・なんと・・・
「天皇」でした。

「1917年、ロシア革命でロシアの皇帝が倒されてからは、天皇が世界一の大富豪になった」
と、書かれています。


1905年(日露戦争に勝利した年)、天皇家の保有株数は286,329株でしたが、
1942年(太平洋戦争まっただ中、国民は耐乏生活を強いられていた頃)には、992,103株を保有、
着実に資産を増やしてきたことがわかります。

また、終戦時の1945年には、天皇家の土地は、1,352,210町歩。
といってもピンときませんが、説明を読むと、
「鳥取・佐賀・神奈川・東京・香川・大阪の6都府県の全面積に等しい」
つまり「日本の国土総面積の約10%」だったとのこと。その規模がよくわかりました。


天皇家の人々なんて、お金について心配することもないだろうし、
お金儲けなど全く関心がないだろうと思っていた私には、意外でした。

実際には、まわりの人たち(今でいえば宮内庁とか?)が動いていたんでしょうか?
それとも天皇自身が?
その辺はこの本にも明らかにはされていませんが、面白いエピソードが書かれていました。

侵略戦争に勝って国を富ますには、軍備を増強しなければいけません。
時の首相、山県有朋は、そのために増税案を何度も国会に上程するけれど否決されます。
「そこで、山県は、反対派の国会議員を買収するために、議員の歳費を一挙に5倍に引き上げた上に、
有力議員に直接買収資金を多額与えて、増税案を成立させた」のだそうです。
(私が調べた別の資料では、800円から2000円に増額と書かれてて、それによると2.5倍ですが)

そして、その買収資金を提供したのは天皇でした!
当時のお金で98万円、今のお金ではいくらになるでしょう?
当時は都心の一軒家が1000円で買えたそうですから・・・

この経緯は、国会図書館に残されている西園寺公望の日記に記されていました。
「山県は、国会議員買収のため天皇から受け取った資金を、どうも一部自分の懐に入れているようだ」と。

でも、天皇がなぜこんな大金を出したのか?

日清戦争に勝った日本は、清国から3億5000万円の賠償金を得ますが、
実はそのうちの2000万円は天皇が受け取ったのだそうです。

それも天皇の意思なのかどうかは私の知り得るところではありませんが。

とにかくこの映画を見て、また本を読んでわかったのは、
一部の企業家にとって、戦争は経済発展に繋がる必要な手段だったということ。

戦争は命を奪うだけでなく、あらゆるものを破壊するので、経済を破綻させるもの
と、思ってた私・・・目からウロコでした。

だから、戦争はなくならないんですね~。
戦争で大きな利益を得る人たちがいて、
その少数の人たちが、政治家やマスコミを操り、情報をコントロールする。
そうして、国民市民が本当のことを知る機会もなく、考えようともしなくなったとき、
戦争になんらかの大義名分が与えられ、圧倒的な市民権を得て戦争が生まれるのでしょう。

でも、やはり、戦争は地球に対する最大の破壊行為。

利益を得るのは、ごくごくごく一部の人たち。
その簡単な事実を、私たち市民がはっきりと意識することがとても大切だと思う。

戦争が起きる時、正当な理由は何もない。
あるのは口実と、人間の欲だけ。。
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当り?ハズレ?

2010-09-16 | 雑感
1ヶ月ほど前から、そろそろ歯医者さんに行かなくっちゃ…と思っていた。
でも、忙しいのを口実にずるずると先延ばしにしていた。

が、やっと意を決して、行くことにした。

行くと決めたら医院選び!

いえね、すぐ近く(隣のビル)に、昨年通ってた歯科クリニックがあるのですが、
そこは助手の方がイマイチで、少し痛い思いをしたものだから、
今回は別のところに…というわけ。

しかし、歯科医というのは多いもんですね~
気にかけながら街を歩いていると、あるわあるわ・・・
犬も歩けば歯科医院に当る?と言いたいくらいたくさんあります。
(佐世保が特に多いのか、どこの都市でもそうなのかわかりませんが)

こりゃ困った!
やはりここは周りの人たちの意見に耳を傾けて・・
と、友人知人にあたってみると、なんとこれが、みんな違う歯科医にかかっていて、
しかもみんな「ここはいいよ~」と勧めて下さる。
そりゃそうだよね。
気に入らないところに通うわけないし。

仕方ないから、ネットの口コミ情報を見てみることにした。
これはあてにならないと思っていたのだが…。

すると、ある歯科医院の口コミ欄に、
東京から月に3回も飛行機に乗って佐世保まで治療に来ている人がいた!
建物は古いが、腕は抜群だと書いてあった。
しかもその医師は、ネパールの医療活動を支援している志の高い方らしい。

決~めた!
どんなところか見に行くだけでも行ってみよう~
歩いて行ける距離だし…。




た、確かに、古い・・・超オンボロな建物。

1階の店舗はシャッター街になってるし、2階にその歯科はあるらしいが、ほんとにやってるのかなぁ?




急な階段を上って行くと、確かにありました。

中に入ると、待合室には2人ほど待ってる人がいて、ホッ!
小さな本棚には漫画や雑誌などが置かれていて、
小さなテレビも1台あって、
壊れかけたエアコンがあって、
長椅子があって、
ヒビやシミのある壁には、ネパールの写真がそこらじゅういっぱい貼ってありました。



ほんとにネパールがお好きなんだな~

10分ほど待って名前を呼ばれ中に入ると、
中はけっこう広くて、治療台も5,6個はあるみたい。
スタッフもそこそこいる。
が、若い女性ばかり。
ネパール大好きの院長の姿は見当たらない。

初めに症状を聞いて、レントゲンを撮り、その画像を見せながら治療方法を説明する。
その女医さんから指示を受けた助手みたいな女の子が、代わって治療を始めた。
特に巧いとも下手だとも思わないが、口数がとても少ない。

「倒します」「起こします」と、イスを操作する時だけ声をかけてくれるが、
「うがいをどうぞ」とも言わない。
でも、コップに水が注がれるので、うがいしてもいいんだなと判断してかってにやる。
うがいが終わると、「倒します」と言われ、
倒れると器具が目の前にやってくるので、言われなくとも口を開けると治療が始まる…という具合。

今何をやってるのかの説明もなく、ちょっと不安だったが、
慣れると面倒でなくていいかな?とも思う。

あまりにも静かで、いつのまにか睡魔に襲われていたらしい。
「口を開けて下さい」との声に、ハッとして目覚めた。

終わって治療室を出る時も「お大事に~」の声はない。

建物同様に、院内の暗い雰囲気がちょっとひっかかる…。
でも、今日がたまたまかもしれないし。
たまたま元気のない担当者にあたったのかもしれないし…。
う~ん、次回はどうしようかな~。


そう思いつつ、待合室を出ようとした時、壁の張り紙の文字が目についた。



そうだな…

もう少し、この壁の貼り紙を見に来ようかな。

見厭きる頃には、ここに来たことが、当りかハズレか、きっと判明することでしょう。 


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こうばる通信5

2010-09-12 | 石木ダム



「こうばる」のほーちゃんから、「こうばる通信5」が送られてきました。

絵も構成も、私たちオバン世代には考え付かない通信です。



ゆるゆるの自然体で、手作りの良さがいっぱいあって・・・
本物は、是非、ほーちゃんのブログを訪ねて、ご覧になってくださいね。
http://hozumix.blog32.fc2.com/


  石木川が流れるこうばるは、時間がゆっくりと流れているのだ。

  本当に何もないのだけれど、それでもじわっと何かいやされるものがある。

  いや、昔からあるものが今も残っているのである。

ほーちゃんが書いている通りだと思います。
だから初めて訪れた誰もが、「ふしぎ~!初めてなのになんか懐かしい気がする・・」って言うのでしょう。

ほーちゃんは今、「川原のうた」のピアノ伴走でも頑張っています。

10月16日の本番に向けて、ゆっくりじんわり頑張ろうね、ほーちゃん!

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諫早湾 海上デモ

2010-09-11 | 有明海・諫早干拓
昨朝6:56発の電車に乗って向かった先は…ここ。



諫早湾潮受け堤防北部排水門前。

この日、福岡・佐賀・熊本・長崎4県の漁業者が早期開門を求めて海上デモをしました。
この情報を教えて下さったのは、「干潟の海の詩」の合唱指揮者のN先生。

10月15日の「日本のうたごえ祭典」でこの歌を歌う前に是非現地を訪ねたいと思っていた私は、
即座に「行きます!」と返事していました。

排水門のかなり手前で車を降り、歩いて現場に向かいながら、
「あれが多良のお山、あっちが雲仙の普賢岳」などと説明して下さったので、
歌詞のイメージが私の中で少し修正されて焼き付きました。

    諫早の海の ふところ深く
    多良のお山と雲仙の
    山の裾野に抱かれた
    母なる干潟 
    ああ 諫早の海

現場にはいろんな支援団体が集まっていて、スピーチが行われていました。
私たち「うたごえ」は、「干潟の海の詩」のCDを大きなスピーカーで海に向かって流したり、
また和太鼓を叩いたりして応援しました。



豆粒ほどに見えていた船団が、どんどん近付いてきました。



珍しそうに何枚も写真を撮っていたからでしょうか…
一人の年配の男性が双眼鏡を貸してくれました。

そして、いろんなことを話してくれました。

「今年のノリはひどかった…」



「黄色になってしもうてね」

えー!全滅ですか?

「いや、場所によって違うから。大丈夫なところもある」

そうですか。ノリがだめになったのはやはりこの門のせいですか?

「そう。 だけど、いま開門したらもっとダメになる」

え?! 皆さん、さっきから即時開門せよ!と訴えておられますよね。お仲間じゃないんですか?

「ああ。わしたちは佐賀の漁民やけん、いますぐ開門してほしかけど、この近くのノリ漁のこと考えたら…」

時期があるってことですか?いつならいいんですか?

「そう、4月か5月だな」

そうなんですか。待てますか?

「苦しいけどな。ま、待てんで止めていく者もおるやろな。ノリ漁は金がかかるから厳しいしなぁ」

お金がかかる?

「ああ、乾燥機なんか2000万円くらいするやろう、船もうちのは2500ぐらいやったしな」


知らないことばかりだった。
もっと聴きたかったけど、仲間と思しき人が呼びに来て、そのおじいさんは去って行った。









こちらは、佐賀県内の漁協の婦人部の人たちです。





皆さん大きな声を振り絞って、何度も何度もシュプレヒコールを続けます。

    宝の海を返せー!  返せー!
   
    開門調査を先送りするなー!  するなー!

    我々はもう待てないぞー!  待てないぞー!




そのうち、近づいてきた船団のシュプレヒコールとのコラボレーションが始まりました。

   「開門調査を実施せよー!」と漁船からの声。それを受けて「実施せよー!」と女たちが叫ぶ。

   「政治判断を果たせー!」とお父ちゃんたちが叫ぶ。それを受けて「果たせー!」とお母ちゃんたち。


空には何機もヘリコプターが旋回していました。 


抗議行動を終えて、船団が帰り始めました。





そのとき、さっきとは別のオジサンが、また「沖の方を見てごらん」と、双眼鏡を渡してくれました。



漁船たちは、右へ左へハイスピードでジグザグ行進をしています。
白い波頭がいっぱい立っていました。

この行動の意味はどういうことなのでしょう?
お聞きするのを忘れていました。。



しばらくして小長井漁協のMさんの船が近づいてきて、
「応援ありがとう~」と手を振りながら去って行きました。


応援行動も終わり陸のほうも解散。
昼食後、「日うた祭典」での「干潟の海の詩」のステージに関する漁民の方との打ち合わせを
Mさんのお宅で行いました。

「細かいことは俺よりお母ちゃんに言っといて。その方が確実だから」
と言われて、私たちはMさんの奥さんと電話番号を交換。
私は「石木川まもり隊」と印刷された連絡先を渡したら、
「あ~こうばるの方ですか~今年のほたる祭り行きましたよ!」とおっしゃってびっくり!

「また来年も来て下さいねー」と、主催者でもないのにかってに呼びかけていました。


そして、すべてが終わって帰る前に、疑問を率直にぶつけてみました。
今日佐賀の漁民の方から聞いたこと。
「開門は今ではなくて来年の4月か5月がいい。今やると却って被害がおきる」とおっしゃったこと。

松永さんはきっぱり言われました。
「俺たちは一日も早くと思っている。被害はおきない。
被害がおきると言ってる人たちは開門の意味を勘違いしている。
いっぺんに水門を全開すると思っている。そうではない。
少しずつ徐々に開けて開門調査をしようと言っているんだ。その方法でやれば被害は起きない」

なるほどと納得しました。

でも、同じ漁民で、同じ開門運動をやっている人たちで情報が共有されてないのは、
ちょっとまずいんじゃないかなぁ…と少し余計な心配をしてしまいました。


とにもかくにも初めての景色、光景に出会い、いろんなことをいっぱい教えて頂いた一日でした。


昨日の光景はこちらのユーチューブで見れますよ。ぜひ覗いてみて下さい。
転送、拡散、大歓迎だそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=1zzkYl8reBQ
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うたごえ祭典出場辞退か・・・?

2010-09-07 | 石木ダム


昨朝の長崎新聞、社会面です。

こんなに大きく掲載されました!


写真に写ってる最年少のK君も大喜びで、明日この写真を幼稚園に持って行く!と言って、
お父さんにカラーコピーを頼んだのだそうです。



コメントにあるように、「歌うことに慣れていない」人たちが、「川原のことを知ってほしい一心で」
歌った結果です。

結果発表が終わって帰る時、私も多くの人から「おめでとう!」と、声をかけられました。
決して儀礼的ではない、(ああ、皆の思いが届いたんだな・・)と実感できる声と顔でした。

川原の皆さんも、自信がついて、やる気満々、
「早速今日、公民館音楽室の空き状況をチェックして練習日を決めなくちゃ・・・」
「これを機会に来年もまた出ませんか?と誘われたんだけど、どうしよう」
「ダムが中止になるまで『こうばるのうた』を歌い続ける?」
「同じ曲じゃあなんだから、『こうばるのうた その2』を創るとか・・・?」

などと、冗談を言い合って電話を切った直後、ガックリくるような情報がもたらされました。

なんと、全国大会出場には、参加費として、一人2900円を払うのだそうです。

えー、どうして?
昨日は、一人500円だったでしょ?
全国の発表会のときも、会場は昨日と同じでしょ?

この質問に、実行委員をしている友人は事務局の担当者に電話して確認してくれました。

・この金額は「日本うたごえ祭典」実行委員会本部(東京)が決めたもので、長崎に決定権はない。

・発表会は3日間にわたって、6つの会場で行われ、準備やリハを入れるとほぼ一日全館貸し切り状態。
 部屋代のほか機材や設備など様々な使用料もかかる。

・審査員の交通費、宿泊代、謝礼などもかかるし…
(全国大会の場合は審査員の先生は7人で、しかも東京・京都・大阪など遠くから呼ぶ先生が多いとか)


そうだよね~、お上や企業など有力スポンサーが付くわけじゃなし、
だから、どんな歌でも自由に歌える、伝えたい思いを歌に乗せて、多くの人たちに発信できる、
そこがいいところなんだけど…それはわかってるけど、こんなにかかるとは…

2900円出しても歌いに行こうって思う人がどのくらいいるかな~?
しかも、1家に2人とか、5人も出場した家族もいるのよ!
それは500円の参加費だからできたことなのに…

友人がアイデアを出してくれました。

今回は27人での出場だったけど、全国大会では、少数精鋭、1家に1人に限定したら?
13人だけにするの。13世帯の思いを届けるという意味でね。

それに、カンパを集める手もあるよ。
私、カンパする!


友人の温かい言葉に励まされて、私は参加費についての情報のすべてを川原の人に伝えました。
そして、「決めるのは皆さんです。出場辞退もOKです。どうぞ、よく話し合って下さい」とメールしました。


はたして・・・?

今朝、「We Love こうばる合唱団」代表のSさんから、FAXのお手紙が届きました。

「何をしてもお金はかかります。『こうばる』は皆お金持ちですから、気にしないで下さい」
「皆さんのおかげで大会にも出ることができ、こうばるの全員がたいへん喜んでいます」
「今度はチーム"ばるせん"を引っ張って参加したいと思います。乞うご期待」

などと書かれていました。
Sさんらしいユーモアと度量の大きさを感じさせる文面でした。

"ばるせん"?と思ってるところへ、ご本人から電話。

私たちは人前で歌うやらとんでもないと思うとったでしょ。
「ながせん」が手伝ってくれるって言うから、そんなら…という気になって出たでしょ。
でも、今度は「ながせん」の手は借りられんから、「こうばる」の男たちを引っ張ってきて、
「ばるせん」になってもらうとよ。
「ばるせん」って名前よかでしょ?私がつけたとよ!

な~るほど!
「ばるせん」ね。いーい名前です!

「ながせん」というのは、長崎の男声合唱団の名前で、
一番初めに「こうばるのうた」を気に入って歌ってくれた皆さんです。
川原のほたる祭りにも参加して歌ってくれました。
そして、歌うことが苦手と言う川原の人たちを応援して、
予選会では6人のメンバーが一緒に歌ってくれました。
遠い長崎から夜の練習に駆け付けて下さったこともありました。

そういうわけで、こうばるの皆さんには、
長崎の男声合唱団=「ながせん」とインプットされているのでしょう。
では、こうばるの男声合唱なら「ばるせん」でいいじゃない?というわけです。

一人でも多くの「ばるせん」が集まるよう、私も祈っていま~す!  
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!と?

2010-09-05 | 石木ダム

今日はとてもアンビリーバブルな一日でした。

その一つは、「2010年長崎のうたごえ演奏交流会」で、「こうばるのうた」が選ばれたこと

10月16日の「日本うたごえ祭典」のオリジナルコンサート部門に出場することになりました。

数人の助っ人が参加してるとはいえ、メンバーのほとんどは歌が苦手という地元川原の女性たち。

でも、ダムからふるさと川原の自然を守りたい一心で頑張ったんです!

火事場のクソヂカラ?バカヂカラ?みたいなもんでしょうか。

やはり、思いは力を生み育てるんだ・・・と、嬉しくなりました。

10月の祭典では、日本中から選ばれた合唱団が集まってきますので、

合唱力では大きなギャップがあるかもしれません。

でも、そんなことに怖気付く「こうばる」の女性たちではありません。

全国の人に石木ダム問題を知ってもらう絶好の機会ととらえ、

これからますますファイトを燃やして頑張ることでしょう。

その仲間として、共に歌えることを、本当に誇りに思います。

 

もう一つのアンビリーバブルなことは、とても悔しい、イヤな気分にさせるものでした。

まもなく東彼川棚町の町長選(12日投開票)がありますが、
それに関して、ある候補者を誹謗するチラシが出回っていて、
その最後にこう書かれています。

    私腹を肥やすことばかりしないで、町のことを考えたらどうですか?

    わが町 わが故郷の清流を守るため 我々は闘う!

    汚い利権屋よ この地から去れ!

                     絶対反対同盟 石木川まもり隊

 

指摘されている内容が事実かそうでないのか、川棚町民でもない私には全くわかりませんが、

仮に100%真実で、
仮にそれを私たちが知っていたとしても、
このような卑劣なビラは絶対に出しません。

「小心者」、「強欲者」、「陰でコソコソとへつらう小悪党」等々
人格そのものを傷つけるような言葉を並べたビラを作るなんて、
「石木川まもり隊」も「石木ダム建設絶対反対同盟」も絶対するわけがありません!

確かに、候補者の3名はいずれも、石木ダム事業に推進の立場。
石木ダムは同町の重要課題でありながら争点にはならず、
反対地権者は貴重な1票を誰に託しようもなく、苦い思いでしょう。

でも、それをビラで不特定多数の人に訴えようとは思いません。

このビラを書いた人は何が目的なのでしょう?

その候補者を落としたいのか、その候補者の身内のライバル企業の仕業とみる人もいるようですが。

それとも、ビラの作成者を「反対同盟」や「まもり隊」に装うことによって、
私たちへの反感を町民に植え付けたいのでしょうか?

いずれにしても、このような卑怯な真似は二度としてほしくない!



 

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水を大切にする日?

2010-09-04 | 石木ダム


土曜日の昼下がり。
楽隊を先頭に、アーケード街をパレードするのは・・・



石木ダム推進派のお歴々。

佐世保市長を中心に、市議、県議・・・皆さま例によっておそろいの法被姿で・・




その後ろにズラリと続く人の列・・・
佐世保歯科医師会、佐世保PTA連合会、JAながさき西海、
佐世保市民生委員児童委員協議会連絡会、佐世保婦人団体連絡会…etc.

なぜこんなに多くの団体が石木ダムを推進しているのかって?

名前貸しのようなものです、きっと。
「石木ダム建設促進佐世保市民の会」というのがあって、そこには上記を含め
29団体が登録されていますが、
市民の会と言いながら、活動費は佐世保市から出されています。
これまで毎年150万円が助成されていたけれど、今年から130万円に減額されたそうです。

当然!いえ、1円たりとも私たちの税金など使ってほしくありません。
お金も出さないし、活動もほとんど自主的にはやっていないでしょう。
だって、事務局は市役所だか水道局だかの中にあるし、
今日のようなパレードも仕切っているのは、水道局の職員だもの。

以前、PTAの会長をやっていた知人の話だと、
全く知らないうちに促進の会の登録団体になっていたので、
PTA連合会の先輩にどんなことをやればいいのか訊いたら、
「何もやらなくていいのよ」という返事が返ってきたとか。。


パレードの終着地は島瀬公園。



テントの前には、いつもの幟が…
「石木ダム建設は市民の願い」「お願いして実現しよう 石木ダム」



そして、来賓のスピーチも、判で押したように「石木ダム」「石木ダム」・・・

 ちょっと…いいかげんにしてほしいんだけど!
今日のイベントは「水を大切にする日」なんでしょう?

だったら、節水機器の紹介をするとか、
「雨水タンクなど設置する場合は市から補助金を出しますよ」くらい言ったらどうなんですか?
節水コマを無料で配るとかしたらどうなんですか?


その上、通行人に配っていたポケットティッシュにはこのようなチラシが折りたたんで入っていました。






いつも、いつもこうやって、過去の大渇水を持ちだして、
あの時の苦労を忘れないよう、市民に刷り込むんですよね~

あの時は西日本の各地が渇水で苦労したのに、
まるで佐世保だけが水不足で苦しんだかのような錯覚を与え、トラウマ化させています。



このマインドコントロールを解くには、正しい情報を伝えることしかありません。

その役目を大きく荷っているのがマスメディアです。
報道関係者の良心に期待します。

でも、なかなか難しいだろうな~
だから、こんなちっぽけなブログでも伝えたくなってしまう。

これを読んで、自分のトラウマに気付く人が一人でもいたら・・

それを願って、発信しているのですが… 

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水道局に抗議!

2010-09-01 | 石木ダム

これは、8月29日の新聞折り込みのチラシです。

佐世保市水道局製作です。

 

なんかヘンですよね?

「水を大切にする日」のキャンペーンチラシなら、

"節水を心がけましょう"と呼びかけ、その具体策を提示するのが普通ですよね?

例えば、水道を出しっぱなしにして歯を磨かないとか、

おふろの残り水を洗濯や掃除に使うとか。

 

あるいは、水道水はどうやって造られるか・・

降った雨が蛇口から出てくるまでの長い旅路を語ってみるとか。

 

あるいは、きれいな水が飲めなくて死んでいく人が世界にはたくさんいることを伝えるとか。

 

ところが、そんなことは全く書かれていません。

書かれているのは、ただただ佐世保の水源が足りない、

でも、石木ダムができればすべて解決され安心!

ということだけ。

 

水道局の本質がミエミエですね。

水を大切にしようなんて・・・ほとんど考えてない。

頭の中にあるのは石木ダムのことばかり。

何とかダムを造りたい。何とかその必要性を市民に訴えたい。

ただそれだけ。


 

でもね、こんなにデタラメなキャンペーンチラシは許せません。

事実に反する情報を刷り込み、市民の判断を誤導するものです。

 

「石木川まもり隊」は、「水問題を考える市民の会」と共に、今日、

水道局に抗議の申し入れに行きました。

 

私たちが特に強く抗議したのは、

「一日の水源使用量は105,000m3なのに、安定水源量は77,000m3しかない」という説明。

 

これを見たら、多くの市民は、一日に40,000m3近くも不足してるんだ・・・

それはたいへん、早く何とかしてほしい、渇水が起きる前に早くダムでも造ってほしい!

と感じてしまうでしょう。

 

でも、現実は違うのです!

昨年度の一日平均配水量は75,000m3にも満たないのです

しかもこのうちの約10,000m3が漏水でムダになっているんですから、

それを差し引くと、本当に必要な水は65,000m3ほど

安定水源が77,000m3もあれば、十分ですよねー。

 

「水を大切に」と市民に言う前に、水道局自身がその意識を強く持ってほしい。

それはイコール漏水を無くすこと。

そうすれば、ダムなど全く必要無し!

 

しかも、佐世保の水源は、77,000m3だけではないのです。

あと28,500m3もあるのに、それは不安定水源と称して、

水源として認めようとしないのです。

 

なぜでしょうね。実際に取水してるんですよ、毎日。

平成19年度の取水量の一日平均値を見ると、

当局が言う安定水源77,000m3から実際に取水したのは、約60,000m3で、

当局が言う不安定水源28,500m3から取水したのは約25,000m3でした。

 

こんなに取水実績のある水源をなぜ認めようとしないのか。

水道局に疑問をぶつけると、どうしても水利権の定義の説明になっていくのですが、

私たち素人には何度聞いても納得できません。

 

対応して下さった水道局の職員の皆さんは、私たちの抗議に最後まで耳を傾け、

2週間以内に文書で回答すると約束して下さいました。

明日から議会が始まるその準備で忙しいときに・・・

そのことにはとても感謝しています。

 

でも、やはり皆さんの悪質なキャンペーンには抗議します。

現実を無視した水需要予測からはそろそろ卒業してください。

市民には正しい情報を提供し、佐世保の水事情をよりよいものにするために、

共に知恵を出し合っていきましょう。 

 

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