佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

ジョー・オダネル写真展へ

2008-07-31 | 平和
7月26日、朝9時30分の高速バスで長崎へ向かい、1時間ほどで平和公園に到着。
太陽に輝く平和の像に「お久しぶり!」のご挨拶。





公園内の記念碑や平和の泉を撮りながら、早足で原爆資料館へ向かう。
ジョー・オダネルの写真展を見るために。



来てよかった!
本当にそう思った。数少ない展示だったが、忘れがたい写真展だった。
そこにあるのは、廃墟の街と被爆者の傷と子どもたち。
目をそむけたいほどの現実の中で、こどもたちの表情だけが希望を与えてくれるのはなぜだろう。
彼もまたそう感じたからこそ、子どもの写真をたくさん撮ったのだろうか?
でなければ、辛すぎるだろうな。
自分たちが犯した罪の証拠写真を撮り続けるのは…。

午後からは、隣にある平和祈念館で開催された「平和塾」に参加したが、想定外の内容だった。
「原子核の崩壊と核分裂」についての講義は、まるで物理の授業そのもので、私が大の苦手とするもの!
事前にテーマを調べておくべきだった。トホホ。
アルファ崩壊がどうたら、ベータ崩壊がどうたら、周期律がどうたら・・・。
ああ、来るところを間違えたなぁ、と後悔しても後の祭り。狭い会議室に10人ほどの受講者。
カメラが1台にスタッフが3人。NHK長崎放送局がずっと撮影している。
途中で退室するわけにもいかず、我慢の2時間だった。
でも、講義後の参加者たちとの交流は楽しかった。
特に、もう一人の女性受講者は、私と名前(姓ではなく名)が全く一緒だったので互いに親近感を感じ、
皆さんと別れてからも祈念館の中を共にまわった。
「遺影・手記閲覧室」では、彼女のご主人のお母様の遺影を検索してみせてくれた。
そうこうしてるうちに、もう5時。一路佐世保へ。夕飯の用意が待っている!
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佐世保から

2008-07-30 | 佐世保・長崎
毎日暑い日が続いていますね。
皆さんバテテませんか?
こちらはもっと暑いんですよ。
海のそばだからでしょうが、湿気がとても多くて蒸し暑いんです。
夏なのに洗濯物が乾かないほど! 毎日乾燥機を使っています。

さて、こちらに来て3週間が過ぎ、やっと日常が戻ってきた感じです。
一人で買い物も行くようになり、バスに乗ることが多くなり、気づいたことがあります。

こちらのバスは、佐世保市営バスと西肥バスの2社がほぼ同じ路線を走っていて、バス停も同じ。
なので本数も多く、サービス精神も旺盛で、利用者としては大助かりです。
例えば、バスカードはPASMOのようにチャージができて、もちろん現金よりお得だし、
回数券もかなり割安になるし、また、運転手さんたちが親切なんですよ。

先日、住宅街を走っていたら、急にバス停でないところで止まりました。
ん?と思っていたらドアが開いて、お客さんが二人「ありがとうございまーす!」
と乗ってきました。
彼らはバスが来たのを見てバス停まで走っていたのですね。
それに気づいた運転手さん、そのバス停に人が待っていないのを見て、
しかも降りるお客さんもいなかったからバス停の手前で止まってくれたというわけです。
ほんの2,30mのことですが、そのお客さんは大助かりだし、乗客は誰も損をするわけでもないので、
考えてみれば当然のサービスかもしれません。
でも、私がこれまで住んでいたところ(福岡、横浜、新座)では未経験のことでした。

もう一つは、バスの中が音の出る広告情報誌状態。これも驚きです。
普通はバス停の案内のついでに、そのバス停の傍の会社なりを一つ流すくらいですよね?
たとえば、「次は○○です。××病院においでの方はこちらでお降り下さい」とか。
でも、こちらでは、バス停の案内が終わったら、いきなりCMが始まります。
「トントントントン、ワシントン。レオレオレオレオ、レオパレス。
ご宴会や…にはワシントンホテルの日本料理店○○と、レオパレスの××を!
どちらもサービス満点、お味は…」などと。
初めはうるさいなあと思っていましたが、慣れるとバックミュージックみたいなものです。

ところが、昨日聞いた案内には思わず吹き出しそうになりました。
乗降客の多いバス停を出たところで、このバスの行先と次のバス停の名前が告げられた直後、
「あなたこの頃元気かねー」「そうよ。最近始めた体操のせいやろかねー」
「よかねー。うちもできるやろか?」「簡単よー。誰でもできるとよ。今度一緒に行かんね」
と、いきなり長崎弁で高齢者と思しき女性の会話が流れ、びっくり!
初めは誰かお客さんの会話が何かの手違いでオンエアされたのかとあたりを見回したほどです。
でも、その会話の後、「介護予防体操のお問い合わせは、・・・・」と、市役所の国民健康保険課や
介護サービスの連絡先などが流され、ああこれもCMだったのかと納得した次第です。

このように、のんびり開放的な県民性を感じながらの佐世保暮らしの幕開けですが、
ひとつ気になっていたのは、やはり基地の問題です。

休日に繁華街を歩けば、必ず何人かの米兵やその家族と思しき人々、また海上自衛隊の隊員たち
に出会います。彼らの存在が、佐世保の財政や商店の売り上げを支えているのは事実でしょう。
そのせいか、反戦平和運動などは不活発だと聞いています。
先日ネット上でたまたま見つけた記事(2年前ですが)には、長崎局から佐世保局に移動した
記者の驚きが書かれていました。
8月9日の市民の反応が、反核平和主義を掲げる長崎と、基地共存路線を行く佐世保では
あまりにも大きな温度差があったと。
この記事についてこちらで9条の会の代表を務める方は、
「基地共存意識が強いというよりも、明治時代から軍港として栄えた街にとって、
空気のような存在になっている」とおっしゃいました。
その方に誘われて、明後日日曜日は原子力空母レーガン入港反対集会に行く予定です。
どんな集会が開かれるか…興味と期待が入り混じっているところです。

また、明日は、長崎平和公園を訪れ、原爆資料館で開催中の、ジョー・オダネル写真展を見てきます。
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