佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

素朴な疑問

2009-03-27 | 平和

ミサイル迎撃態勢を閣議決定(3月18日)

イージス艦、PAC3で迎撃態勢へ=日本海、東北中心に配置-防衛省(3月27日)

北ミサイル「破壊命令」 安保会議経て防衛相が発令(3月27日)


こんな見出しを見てギョッとしているのは私だけ???と思えるほど、世間は静かです。

TVをつけても、WBC連覇で熱狂する野球の話題とか、献金問題で迷走する政局の話題とか、
迎撃問題は決して大きい扱いではありません。

ネットを開いても、ソマリア沖自衛隊艦船派遣に反対する人々の声はあれだけ聞こえてきたのに、
この件で真正面から敢然と抗議する声は多くは聞かれません。

な~ぜ???
不思議で不思議でしかたありません。
私の頭の中に渦巻く素朴な疑問を記してみます。


まず第一に、北朝鮮はあくまでも「人工衛星」と主張しています。

毎日新聞によると、<人工衛星を打ち上げるロケットも弾道ミサイルも基本構造は同じ。先端に載せるのが人工衛星か爆弾かの違いです。人工衛星かどうかは「発射後に専門家が評価する」(ボロダフキン露外務次官)と言われるほど区別が難しい>と、素人向けに解説されています。

であるならば、どうしてそれを撃ち落とすなんて乱暴なことが許されるのか?
もし万一本当に人工衛星であったなら、他国の宇宙開発実験の邪魔をするってことでしょう?
もし、日本の科学者が苦労の末開発し、国民の貴重な税金を投入して造られた人工衛星をどこかの国が「あれはミサイルだ!危険だ!」って決めつけて撃ち落としたら、私たちは冷静でいられます?怒り狂いませんか?


第二に、それが本当にミサイルであったとしても、要は実験でしょう?
日本本土を狙って発射させるわけではないでしょう?
北朝鮮は国際宇宙条約に則って、発射時期や落下する可能性のある海域等を事前通告しているわけでしょう?

弾道ミサイルの実験は北朝鮮に限ったことではなく、去年はロシアやイランやパキスタンなどもしていますね。それらの実験に対し、他国が撃ち落としたなどということは、もちろんありませんよね?
もし日本が迎撃し、仮に成功したならば、国際社会はそれを許すでしょうか?


第三に、この行為はあきらかに憲法9条に違反していませんか?

武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と、日本国憲法第9条の1項で宣言しています。

これは、仮に隣国のミサイル実験を国際紛争の火種と解釈するならば、それを解決するには、
わが国は迎撃するぞと脅したり、実際に迎撃ミサイルで撃ち落としたりはしませんよ。あくまでも話し合いその他、武力を使わずに解決しますよ
・・・と言っているのではありませんか?

また、2項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と言いながら自衛隊が存在しているのもおかしな現実だけれど、少なくとも自衛隊は国の自衛権に基づき、専守防衛に徹するということを国内外にアピールしてきたわけですよね。
それが今回、攻撃されようともしていないのに、迎撃ミサイルを発射するのはおかしくないですか?

実験が失敗して誤って日本の領土・領海に落下する事態に備え、ミサイル防衛(MD)システムで迎撃する方針を決め、浜田靖一防衛相が「破壊措置命令」を自衛隊に発令したということですが、
「(ミサイルが)不具合で落下する場合を具体的に想定すると、通常は我が国の領域内に落下することはない」と、河村建夫官房長官も今日の記者会見で述べています。
とても可能性の少ない飛行物体の落下に備えて迎撃ミサイルを配備するなんて、どう考えても異常な気がするのですが・・・私の感覚のほうが異常ですか?

私の感覚が異常でないとすれば、なぜマスコミはこのような自国の過剰反応を放置しておくのでしょう。

いえ、マスコミだけではありません。
国内の様々な平和団体の皆さんは、どうして批判の声を大にしないのでしょう?
もちろん、全くないわけではありません。でも、小さいままです。
野火のように大きく燃え広がる気配はないようですね。


我が家の窓からは、出番を待つイージス艦「こんごう」と「ちょうかい」の姿が見えます。

はぁ~


今はただ、北朝鮮の「人工衛星orミサイル」の実験が成功して、予定海域に無事落下し、日本が迎撃ミサイルを発射する事態が起きないことを祈るばかりです。。。

 

 

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石木ダム

2009-03-17 | 石木ダム



鮮やかな黄色の菜の花、その向こうに広がる緑の棚田。
想像以上に美しい日本の原風景・・・ここが石木川流域です。
長崎県や佐世保市が、いま総力をあげてダム建設を始めようとしている現場です。

私は佐世保市に越してきてまだ9か月足らず。
市民の多くが苦労したという大渇水の経験はもちろんありません。
市や水道局は渇水の年でなくても、佐世保市は慢性的な水不足で苦労していると言います。

しかし、だからといって、他の自治体である川棚町の住民の皆さんに犠牲を強いてまでダムを造る
のはおかしいと思っています。
水不足を喧伝する一方で漏水率は高く、節水コマや雨水利用などの具体的な施策も遅れている、
そんな佐世保市のやりかたに疑問を感じます。
また、人工のダムは仮に利水効果があったとしても一時的なもの。自然を壊し、結果的にはさらなる水不足を生む。雨水をしっかり蓄える森=緑のダムを作り育てることこそが、根本的な対策になると信じているから、私はダムの建設には反対です。

昨年11月末、佐世保市に「水問題を考える市民の会」ができました。
佐世保市の水事情の実態はどうなのか?
将来の水資源対策はどうなっているのか?
ダム以外に対策はとれないのか?
などなど学習会を開いて勉強しているところです。

そして、3月15日、仲間の皆さんと石木を訪れました。


これが石木川
思い描いていたより、うんと小さい川でした。
まさに春の小川、せせらぎといった感じの清流でした。


ここは「石木ダム建設絶対反対同盟」の団結小屋。
30年に及ぶ苦渋の歴史が詰まっているようです。。


赤い文字が、その言葉の意味を深く突き付けてきます。

いま現在、水没予定地域(川原地区)の中で反対しているのは13世帯ですが、その上にある木場地区にも絶対反対同盟の仲間が30世帯以上いらっしゃるようです。

1962年(ということは47年も前ですね)、県がいきなりダム建設を目的とした調査・測量に来てから、ずっと長い長い闘いが続いています。
町に裏切られ、住民同士の分裂や対立も生まれ、その中で耐え抜いてきた人々。
それはただ自分が生まれ育った自然を守りたい、ここで暮らしたいという、素朴で正当な道理と
信念なのだろうと思います。
その皆さんの30回目の団結大会に参加させていただきました。


開始30分前には、すでに多くの人々が集まっていました。
カメラマンや取材記者などマスコミ関係者もかなり・・・。


開会宣言に続いて、全員で歌った「石木ダム絶対反対の歌」
なかなかいい歌詩ですね。


代表挨拶を述べる岩下さん。
こみあげてくる思いに何度も言葉を詰まらせて・・・その姿を拝見しただけで、これまでの、そしてこれからも続く苦しい道のりが伝わってきました。

続いて、川棚町議や「清流の会」、また一般市民など、反対同盟を支えている地元の方々の
活動報告やスピーチがあり、どれも熱くて真剣な思いのこもったものでした。

中でも印象的だったのは、一人でいろいろ調べているというMさんのお話。
私は2年前まで賛成していたんですよ。何も知らなかったから。佐世保市がそんなに水に困っているんならダムを作ってあげればいいじゃないかとね。でも、春・夏2回の説明会をきいて、なんかおかしいと思った。何がおかしいのかよくわからないんだけど、ダムの後ろに化け物がいるような気がした。石木ダムは川棚川総合開発事業の一環だというので、とにかく川を歩き回った。そうしたらね、川棚川って案外水量が豊富なんですよね。佐世保に水を送るのは川棚川からでしょ。それで、役所の人に聞いたんですよ。川棚川の水量をね。そうしたら日平均278,000t だって言われてね。じゃあ、佐世保が欲しがってる55,000t くらいダムを作らなくてもあげられるんじゃないですか?って言ったんですよ。そうしたら、その数字を128,000t に変えてきたんですよ
この方は、とにかく真実を知ることで川棚町民の意識も変わるはずと信じて、今後も自分なりに調査を続けたいとおっしゃっていました。

また、どなたの発言か忘れましたが、
水は誰のものかってきいたんですよ。そしたら県のもの、国のものって言われたんですね。おかしいでしょう?水は地域住民のものです。地域に住むすべての生き物のものです」という言葉も心に残りました。

その後、同じダム問題で闘っている熊本の人々が、それぞれの活動を説明しながら力強い応援メッセージを語ってくれました。


まずはじめは石木と同じ、いま現在ダム建設に反対している路木ダムの住民の会の方のお話。
県はダムの必要性を説くために、1982年の洪水で下流の宅地約100棟が床上浸水したと明記してるんですが、そんな事実はないし、第一ここには70棟しか家がないんですよ」と。
いずこも同じですね。まずダムありき。ダムを造ろう。そのための理由づけを考えよう。
理由がなければ理由を作ろう。と、こういうふうになっていくのでしょう。



次に話して下さったのは、荒瀬ダムの撤去を求めている住民の方。
荒瀬ダムは半世紀も前に完成。
当時、私は賛成してましたよ。だって良いこと尽くめだって言うでしょ。ダムができたら水害はなくなる、電気代は半分になる、ダムを見にくる観光客が増えるって。冗談じゃないですよ。ダムができて洪水はひどくなりました。以前は自然な増水だったけど、ダムから水があふれるときは一気です。ひどいものです。以前はきれいな川でアユ漁が盛ん、釣具店や船大工、旅館などたくさんあったが今はゼロ。町はすっかり疲弊した。20000人いた人口も今では5000人。ダム湖にたまるヘドロの悪臭はひどく、その撤去に毎年10億円もかかっているんですよ」と、それはそれは恐ろしい現実でした。


川辺川ダムが白紙撤回されたのは、つい最近、画期的な決断として日本中に知れ渡ったけれど、川辺川が注ぎ込む球磨川流域にはすでにいくつものダムがあり、それが漁民にとってどんなに甚大な被害をもたらしたか、球磨川漁協の方は声を大にして訴えられました。






そして、この地図上に明記されたダムの一つ一つを示しながら、「このダムを請け負ったのは誰ですか?西松建設です。このダムは?西松建設です。このダムは?・・・」と、全部が西松建設でした。
そういうことだったんですね・・・



こちらは、京都大名誉教授の今本博健教授。
治水の専門家であり、その立場からみて石木ダムの治水意義は全くないと断言された。
のみならず、現在日本中に900もの治水ダムがある、さらに150を造ろうとしているが、これまでダムが水害を防いだ例は皆無だと言ってよいだろうとまでおっしゃったのは驚きでした。

また、「これからの人口減少を考えると水需要は明らかに減る。不必要なダムを造れば、それは水道料金に跳ね返り、困るのは佐世保市民自身だろう」とも。ですよねぇ。


最後に、「石木ダム建設計画白紙撤回」決議文を採択し「ガンバロー!」の大声が響き渡りました。

その後会場は急いで変身。たくさんのテーブルが出され、次々にご馳走が並べられました。
美味しそうでしょ?本当に美味しかったですよ。地元の野菜や山菜の煮物、イノシシ汁等々。
反対同盟の方々はまさに家族一丸となって闘っていらっしゃるんだな・・・と、
心のこもった手料理を味わいながらしみじみと感じました。




今本教授の左隣に座っていらっしゃるのは、映画「水になった村」の大西暢夫監督。
埼玉の友人のおかげで、つい最近、監督のことを知ることができ、この日初めてお会いし、
少しだけお話をさせていただきました。想像通りの、いえ、それ以上に温かい感じの方でした。
日本最大のダム徳山ダムに村が沈むまで、そこで暮らし続けたジジババたちを16年間追い続けた監督、日本中のダムを知り尽くしている監督が、石木ダムのことを一生懸命応援して下さっていることを知り、とても嬉しくなりました。


このブログを読んで下さった佐世保市民の皆さん、
3月25日夕方6時から、戸尾町の「させぼ市民活動交流プラザ」で水問題の学習会を行います。
前回に引き続き、水道局水源対策室の方にお話を伺います。
疑問や意見をどんどんぶつけて、いっしょに学んでみませんか?
水は命の源です。21世紀は水戦争が起きるだろうとさえ言われています。
その大切な水について、役人任せにしないで、いっしょに考えてみませんか?

佐世保市以外にお住まいで読んで下さった方々、
もし機会があったら川棚町の石木川流域を訪ねてみてください。
昔の人々が丁寧に石を積み上げて作った棚田がそこかしこに点在する、とても美しい風景に出会えます。
そして、その景色を水底に沈めたくないと思ってくださったら・・・

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卒業できないこどもたち

2009-03-13 | 雑感

「卒業証書授与を保留」

今朝の新聞に出ていた見出し。
授業料の滞納を理由に、県内で6人もの私立高校三年生が卒業できずにいるという。
授業料を完済すれば渡しますよということ。

前日の新聞には佐賀県の7人の卒業生の事例が書かれていた。
県立高校2校では、授業料滞納生徒にいったん渡した卒業証書を回収したという。
私立高校1校では、正式でない(学校印のない)卒業証書を渡し、
もう1つの私立高校では卒業式にも参加させず、卒業証書も渡さなかったという。

唖然とするほかはない・・・

各学校長、教育委員会の皆様におききしたい。
その子たちに何の落ち度があるのですか?
授業料を支払うのはその子たちの親ですよね?
親が卒業するわけではありませんよね?
筋違いのことでこどもたちを苦しめないでください。
卒業は新しい門出です。
これから社会に羽ばたこうとするこどもたちの羽をあなた方は捥ぎ取ろうとするのですか?


これが、この国の姿なのですね。

つい先頃、オバマ大統領との首脳会談一番乗りを果たした麻生総理は、「世界で1位と2位の経済大国として、金融・経済危機をはじめ、国際社会の幅広い課題に協力して対処することを確認した」と胸を張ったけれど・・・

どこが経済大国なのでしょう?
高校生の教育費も払えない働き盛りの大人たちの現状、
その現状を露呈している日本経済の実情、
その実情がわかっていても、あいかわらず教育費を負担しようとしないこの国。。

これを経済大国と自称して、麻生さんは恥ずかしくなかったでしょうか?

私は恥ずかしくてたまらない。
世界に対しても、また、この国のこどもたちに対しても。

こどもたちは、この国の未来です。
少子化を嘆き、その対策を喧々囂々と議論する議員たちが、なぜこのような状況を看過しているのか理解できません。

前々から指摘されていたことですが、
あまりにも貧弱な教育予算の見直しを、私たちはきちんと声に出さなければいけないですね。

世界でこれほど親の教育費負担が高い国はありません。
富裕な家庭の子どもだけが教育を受ければいいというおかしな考え方は、もういい加減やめましょう。

国際人権規約(1966年に国連総会で採択)は「高校や大学の教育を段階的に無償にする」と定めており、欧州のほとんどの国では高校の学費は必要なく、大学も多くの国で学費を徴収していません。

なんと、この条項を承認していないのは、157カ国のうち、日本、ルワンダ、マダガスカルの3カ国だけだそうです

政治家の方々は、日本のこどもたちが安心して教育を受けられるような環境作りに早急にあたってほしいし、私たち自身がまずそのような意識を持たなければ…
と強く思います。

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ビキニデー

2009-03-12 | 平和

友人が今年もビキニデーに参加したと、メールで知らせてくれました。
そして、ビキニデーや第五福竜丸の事実を知らない人があまりにも多いので、職場の新聞に記事を投稿したそうです。
その記事は転送歓迎とのことなので、私のブログでも紹介させて頂くことにしました。


第五福竜丸って知っていますか?
2009年3・1ビキニデーに参加して・・・            
                                          黒坂操

どうして3月の寒い時期にビキニなの?ビキニデーに参加した20代の参加者の率直な意見です。

今から55年前の3月1日、ヒロシマナガサキに原爆が落とされた9年後、太平洋上の楽園と呼ばれた美しい国、マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカは水爆実験を行いました。
「ブラボー」と名づけられた水爆の爆発威力は、広島原爆の1000倍に相当する、とてつもないものでした。「ブラボー」の爆発により珊瑚礁が直径2キロメートルにわたってえぐられ、その跡は今も残っているそうです。
破壊され、放射能に汚染された珊瑚礁の微粉末は、何万平方キロメートルにわたって舞い上がり降り注いだのです。

当時、その灰は「死の灰」と呼ばれていました。第五福竜丸はこの海域でマグロ漁していたため、乗組員全員が「死の灰」を浴びたのです。
「死の灰」を浴びた第五福竜丸は約2週間後、静岡県焼津港に戻りましたが、23人の乗組員は全員放射線障害になっていました。また、当時の日本人の栄養源であったマグロが被爆したことによって、家庭にも大きな衝撃を与えました。

事件から半年後、乗組員で通信士だった久保山愛吉さんが手当ての甲斐なく、急性放射線障害で亡くなりました。
このことも、当時、大きく報道され、2つの原爆により大きな被爆したヒロシマナガサキについで、3度目の核兵器による被害に日本列島に怒りが広がりました。毎年、ヒロシマとナガサキで行われている原水爆禁止世界大会はこの事件をきっかけに始まったのです。

久保山愛吉さんは東京の病院で家族に「原水爆の被害者はわたしを最後にして欲しい」という言葉を残して亡くなりました。お父さんが骨となって東京から静岡に帰る列車の中で、まだ小さな娘さんは「暑いから」と言って遺骨をうちわでずっと仰いでいたそうです(涙)

第五福竜丸は、地球上から核兵器をなくすシンボルとして東京「夢の島」にあります。
日本人として、一度確認しておく必要があるのではと私は思います。


去年はじめてビキニデーに参加したこの友人は、とても大きな衝撃を受け、当時その思いをメール等で熱心に語ってくれました。
それは、第五福竜丸乗組員だった大石又七さんが事件の真相を伝えたいと20年以上も被爆体験を語り続けている姿を見て、「知ることの大切さと知ったことを伝える意味についてあらためて考えさせられたから」だそうです。

私も実はほとんど知らなかったのです。第五福竜丸という漁船が、ビキニあたりで、アメリカの核実験による死の灰を浴びたらしいと、その程度の知識だけ。
被爆の程度も、その後の乗組員のことも、そこから原水爆禁止運動が始まったことも全く知りませんでした。
その後、本や映画で少し学び、また、こちらへ越してくる前に、友人の案内で東京にある「第五福竜丸展示館」に行きました。

 

 

 


 


第五福竜丸は予想以上に大きな船でした。
下から見上げると、その巨体が「俺をしっかり見ろ!」と訴えてるようでした。


俺は荒波の中を 男たちを乗せて進んだ
男たちは 大きなマグロをたくさん漁った
俺は たくさんのマグロと 男たちの笑顔を乗せて 元気に港へ戻るはずだった
しかし あの時
俺も 男たちも マグロも みんな死の灰を浴びた
マグロは みんな食べられずに捨てられた
男たちは苦しみ 一人が死んだ
時が過ぎ 一人 また一人と 何人も死んだ
だが 俺は死なない
ずっと ここに居て死の灰をあびたこの体を晒しものにし続けてやる
男たちがみんな死んでも 俺が 男たちにかわって 証言し続けてやる


そんな声がきこえてくるようでした。
映画や本では得られない、実感とでも言うのでしょうか?

いつも思うのですが、
現場に立ったり、ご本人の肉声で体験談をお聞きしたり、遺品を手に取ったりすると、
理屈抜きに伝わるものってありますね。

それが真実の持つ力なのでしょうか?
歴史の真実に、私たちはもっと耳を傾けねば・・・

 

 

展示館の裏庭にある「マグロ塚」
本来は築地市場の一角に造られる予定だったのですが、築地市場の移転・改築計画が流動的なため、「塚」そのものは現在こちらに仮設置されています。

東京の築地市場の正門の横の壁に、一枚のプレートが掲げられていて、そこには、
事件から丸45年が過ぎた平成11年3月1日、「核の被害が二度と起こらないことを願い、歴史的事実を記録しておくために作られた」と書かれています。

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うたごえ喫茶

2009-03-06 | 佐世保・長崎

今日は、佐世保の皆様へお知らせです。

 

いえね、佐世保以外の方でもいいんですよ。

関東のお友だち、飛行機で飛んで来ませんか~!

 

明日、3月7日(土) うたごえ喫茶を開催します。

場所は、アルカス佐世保2Fの スピカ創作室

時間は、PM7:00~9:00

 

急でごめんなさい。もっと早くお知らせすればよかったですね。

 

「うたごえ喫茶」を知らない方もいらっしゃるかもしれませんね。

特に若い方々は。

そういう方々のために、少しご説明をしますと・・・

 

戦後、新宿のとある飲食店でロシア民謡を流していたら、お客さんが一緒に歌い出して大盛り上がり・・・それがきっかけとなって生まれた歌える喫茶店。みんなで一緒に歌う喫茶店です。

新宿に「ともしび」や「カチューシャ」などの本格的な歌声喫茶が誕生すると、労働運動や学生運動の高まりとともに、全国に広がっていって、最盛期には100軒以上のお店が存在したんですって。

 

その頃は日本中が元気な歌声に包まれていたんでしょうね。

 

でも時代は移り、世相の変化と共に歌声喫茶は衰退、カラオケの登場で完全に姿を消していきました。

 

が、しぶとく生き残っていたのが、前述の2店。

私は5、6年前から「ともしび」を知り、通うようになりました。(といっても、たまーにですよ)

ピアノやアコーデオンの伴奏に合わせて、またリードしてくれる司会者の歌声に合わせて、歌集を見ながら、みーんな大声で歌うんです。

もう、上手下手なんて関係ありません。少々のストレスは即解消!

同じテーブルになった見知らぬ人ともすぐに親しくなれる不思議な世界でした。

 

佐世保に越してきて、そんな歌声喫茶がないのが少し寂しいなーと思っていたら、

もうお店はないけど、「うたごえ」を愛する人々がここ佐世保にも存在、その仲間と出会うことができました。

数年前から年に2,3回、歌声喫茶を開催してきたとのことで、私も今回からお手伝いさせて頂くことになりました。

 

このブログを読んでいるあなた

もし、歌うことが嫌いじゃなかったら、

もし、明日の夜、時間があったら、

もし、興味があったら、

スピカに来てみませんか?

 

明日もがんばろう!って気分が湧いてきますよ、きっと。

 

 

 

 
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プルサーマルって知ってる?

2009-03-03 | さよなら原発

2月下旬から3月初めにかけて、「報道されない原子力の不都合な真実」と題された講演会が

九州各地を駆け巡りました。

それは、NPO法人『たんぽぽとりで』が企画したもので、玄海原子力発電所(佐賀県)で、

まもなく(順調にいけば今秋11月にも)行われようとしている日本初のプルサーマル計画とはどういうものなのか、その実態を九州に住んでいる人々に是非知ってほしいという思いが込められた講演会でした。

 

講師は長年原子力問題に携わってこられたお二人で、作家の広瀬隆さんと

元慶応大学教授の藤田裕幸さん。

 

私はお二人のお話は以前聴いたことがあったし、特に10年ほど前に聞いた広瀬さんの燃料電池のお話は、未来エネルギーへの希望の光を初めて感じることのできた、とても衝撃的なものでした。

 

そんなことも思い出しながら、なんとなくわくわくした気分で佐賀会場へ向かった私は、その2時間半後には、自分の無知と呑気さを思い知らされ、愕然として帰途に就いたのです。

 

 

 まず初めに、藤田さんのお話で特に目から鱗だったのは、「原発は過剰設備である」ということ。

 

TV等のCMで私たちはいつも聞かされています。

「現在使ってる電気量の三分の一は原子力発電によるものです」と。

そういうふうに伝えられると、たいていの人が、「それじゃあやっぱり原発は必要よね~。我が家の電気量を三分の一減らせって言われたら困るもの。夏場の暑い時の冷房制限も辛いし…」と思ってしまいますよね。

 

ところがどっこい。現実は、原発がなくても電気量は賄えていた!のです。

 

例えば2005年の火力発電の発電能力(設備容量)は1億7577万kwもあるけれど、

その稼働率は半分以下の49,5%。(8700万kw)

水力発電は4736万kwの発電能力の20,8%しか稼働していない。(985万kw)

一方、原子力発電は4958万kwの発電能力の70,2%を使っている。(3480万kw)

つまり、この年の総発電量1億3165万kwというのは、火力発電を75%稼動するだけで

賄える量だったことになります。

 

原子力発電所が必要だと思わせるために、わざと火力発電や水力発電の稼働力を抑えていることが、客観的な数値からはっきりわかりました。


しかも、この割合は、九州電力の場合、さらに顕著です。

2007年度のデータによると、火力発電の稼働率は37,5%、水力発電の場合は15,1%、

そして原子力発電はなんと86,1%も稼働していたのです。

 

 

もう一つ、耳にタコができるほど聞かされていた言葉として、「原子力はクリーンエネルギー」というのがあり、電力会社に言わせれば、「CO2をたくさん発生する火力発電は、いくらその能力があってもそれに頼るわけにはいかない、それは地球温暖化を招き、環境破壊につながる」との大義名分に繋がってきたのですね。

 

このCO2の換算の仕方に関してもまやかしはたくさんあります。

原発の燃料のウランをウラン鉱山から掘り出し、発電後の核廃棄物の処分や保管(何百年にもわたって厳重に)にかかるCO2排出を考えれば、火力発電をも実ははるかに上まわるわけです。

が、仮にそれを抜きにしても、原発がもたらす放射能汚染という一点を考えただけで、どうしてクリーンだなどと言えるのか不思議でなりません。

しかもその汚染は、たいへん危険なもの! 今だけでなく、未来永劫にわたって続くのですから。

 

そして、その危険性は、ふつうの原発をはるかに超えてプルサーマルで発揮されるようです。

 

まず第一に、プルサーマルで使われるMOX燃料(プルトニウムとウランの混合酸化物燃料)が放出する放射能は、ふつうの原子炉で使われてきたウラン燃料と比較してγ線で20倍、

中性子線で1万倍、α線で15万倍という、とてつもない危険物だそうです。

 

さらに、これをプルサーマル燃焼させた場合、その発熱量も高いことから、使用後のMOX燃料は

地下に埋められる温度に下がるまで約500年かかる」と、2004年7月「核燃料サイクル開発機構」が発表したそうです。

埋められないような熱いものを移動させるのもかなり困難でしょうし、できたとしてもどこが受け入れてくれるでしょう?

 

結論として、きわめて危険な使用済みMOX燃料は、引き取り先もなく、地下に埋めることもできず、玄海原発の敷地内の貯蔵プールで大事に大事に保管し続けなければならないということ・・・それが現実のようです。

六ヶ所村の再処理工場の例を見なくとも、そのようなプールがいずれ満杯になるのは子どもでも予測できることですが、その先のことを電力会社はどう考えているのでしょうか?

しかも、この地震列島で・・・。

 

 

では、なぜこのようなリスクを抱えてまでプルサーマルを強行しようとするのか?

その疑問に対する広瀬さんの説明はこうです。

 

それは、全国の原発から発生する使用済み核燃料=高レベル放射性廃棄物の最終処分場がないこと。全国の原子炉の運転を続けるためには、その廃棄物を六ケ所村で再処理して、それを再び燃料として利用しようと考えるしかなかったと。

 

もともと六ヶ所再処理工場で取り出されるプルトニウムは、高速増殖炉「もんじゅ」で使用するためのものだったのだけれど、その「もんじゅ」は19995年の事故で不能となり、六ヶ所再処理工場を実現するために生み出した口実がプルサーマル計画であったと。

その六ヶ所工場も、昨年11月からガラス固化不能状態に陥っており、高レベル放射性廃液がどんどん溜まっているらしいけれど…。

 

しかも、その六ヶ所再処理工場の運転に必要な再処理費とMOX燃料加工費の合計は、

12兆1900億円。同量の発電を通常のウラン燃料でやれば9000億円ですむという。

知れば知るほど、考えれば考えるほど、恐ろしくてバカバカしい! それがプルサーマル計画の全容でした。

 

でも、なぜ、こんなバカバカしい計画を実行しようとするのでしょう?

すべて白紙に戻せばいいではありませんか。

プルサーマルだの、増殖炉だの、無理なことはやーめた!と白旗あげて、そんなものに費やすお金と時間と知恵を、自然エネルギー開発のために使えばいいではありませんか。

住民はもちろん、すべての国民にとっても、日本列島にとっても、地球にとっても、誰にとっても、

電力会社自身にとっても、それが一番いいことのはず・・・なぜ、そうしないの?

 

それに対する答えは、広瀬さんも藤田さんも同じ。

その答えはただ一つ。核兵器用プルトニウムの確保のためだそうです。

 

それだけは、これまで信じられませんでした。

唯一の、二度にわたる被爆国が、そんなことを考えるわけがない・・・と思ってきました。

「非核三原則」を有するこの国が・・・。

しかし、藤田さんが用意された資料には、次のように書かれていました。

 

「わが国の外交政策大綱」(外交政策企画委員会、1968年~1969年)

第二部「安全保障に関する施策」第9項

「核兵器については、NPTに参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともに、これに対する掣肘を受けないよう配慮する」

 

非核三原則なんて嘘っぱちじゃないですか!

「持ち込ませず」の原則が崩れていることは誰の目にも明明白白だけれど、「持たず」「作らず」は

生きてると信じてたのに・・・

作る意志がない無いならば、「核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルを常に保持する必要」は

全くないし、そうではないから「当面」という言葉がついたのでしょう。

 

全く政治家も政府も、嘘つきの詐欺師集団ですね。

でも、詐欺師の皆さん方に、私は言いたい。

 

人間、いつでもやり直しはできますよ。

間違いに気づいたら、正せばいいのです。

放射能は半永久的に溜まり続けます。

一日でも、一時間でも、一分でも早く止めたら、それだけ地球の汚染が少なくなります。

 

詐欺師を選んでしまった私たち自身にも、私は言いたい。

プルサーマルって知ってますか?

知らなかったら、一緒に勉強しましょう。

知らないことは恥ずかしいことではないのですから。

知ろうとしないことが問題なのです。

一日でも、一時間でも、一分でも早く、地上からすべての原発が消えてなくなる日を夢見て・・・。

コメント (4)
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