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佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

やさしさ

2010-08-28 | 雑感

久しぶりに藤川幸之助さんの「母のうた」

 

       夕日を見ると

   今日もここから
   あの夕日が見えました
   あの夕日を見ると
   いつも思うんです
   今日も母にやさしくできなかったと
   もっと母にやさしくすればよかったと

   ウロウロするな!
   ここに座っていろ!
   同じことばっかり言うな!
   もう黙ってろ!
   母さんが病気だって
   わかっちゃいるけど
   「おれの母さんだろう!しっかりしろ!」
   と、つり上がった目で
   何度も何度も母に言って
   母は驚いて
   私を悲しそうに見つめて
   私は言った後自分をずっと責め続けて

   この夕日を見ながら
   明日こそ母へやさしくしようと
   毎日毎日そう思うけれど
   毎日毎日このくり返し
   母さんごめんなさい
   母さんに苛立つぼくを許してください
   母さんごめんなさい
   こんなぼくを許してください

 

この詩のあとに書かれていた文章が、詩そのものよりも心に残ってしまった。

 

 この手の詩を書くと、必ず読者におしかりを受ける。「お母さんはあなたを大切に育ててくれたのだから、もっとお母さんに優しくしなさい」とか、「お母さんに対する攻撃的な詩は書いてほしくないです」とか。でも、介護の中ではいつも聖人君子のようには行かない。自分のイメージどおりに動かない母に苛立ち、怒り、悲しむ。そして、独りになって、苛立った自分を責める。この感情の繰り返しは、私だけではないはずだ。多くの介護者が経験した感情ではないだろうかと思った。そして、それを詩に書いた。「悩んでいるのはあなただけではないんですよ。同じように苛立ち、怒り、悲しみ、悩んでいる人間がここにもいるんですよ」と、思いをこめてこの詩を書いた。

 

藤川さんに「おしかり」の感想を送る読者というのは、どんな方たちだろう。

たぶん藤川さん以上に親や病人に優しく接することのできる人なのだろう。
いかなる状況でも、冷静さと寛容さと思いやりを失わない、まさに聖人君子なのだろう。

私など、この詩を読むと、藤川さんってなんて優しい人だろう・・と思うばかり。
そして、優しくない自分を意識して、少し自己嫌悪。

だから、その読者は、私から見たら神様のような愛と優しさに満ちた方に違いない。

 

しかし、そんな優しい方が、なぜ藤川さんを叱るのだろう。

「苛立つぼくを許してください」と言う藤川さんに、

苛立った自分を隠さず、偽らず、読者の前に晒して見せ、

介護のたいへんさに悩み傷ついている人たちに共感し、

心の負担を分け合おうとしている藤川さんに、

なぜ、非難の言葉を送るのだろう。

そう考えた時、その読者の優しさが偽物に思えてきた。

こういう人たちの何気ない言葉が、介護者を追い込み、孤立させ、悲劇を招くのではないだろうか。

近年、介護に疲れて・・という事件や犯罪が目につくようになった。

 

子ども手当てもいいけれど、

お年寄りや障害者も、社会で見守りケアしようとする方向へ向かってほしい。

今の日本があるのは、「後期高齢者」と呼ばれる人々が汗水たらして築き上げたもの。

介護する家族をサポートする政策をもっと充実させるべきだ。

一日も早く。

 

そうしたら、今よりももっと優しくなれる人が増えるだろう。。


 

 

 

 

 

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千灯籠まつり

2010-08-27 | 佐世保・長崎


夜空に浮かぶオレンジの塔。

昨年、新聞を見て初めて知って、今年はぜったい見に行くぞ!と密かに待っていました。

江迎町(今年4月に佐世保市に合併され、今は同じ市内です)の、千灯籠まつり


少し離れたところに車を止めて(小さな町が、祭の2日間はたくさんの人や車であふれます)、
人の流れに沿って歩いて行くと、賑やかな太鼓の音が・・・



可愛いこどもたちの演奏にしばし足をとめ、聞き入りました。



外国の子どもたちも、和太鼓が大好きなようで・・




再び歩いて行くと、ますます灯籠の数が増え・・・目的地はもうすぐかな?



急に上り坂。
辺りは暗くてよく見えません。フラッシュ撮影してみると・・・すごーい!お地蔵様がたくさん並んでいます。
どうやらお寺のようです。(あとで地図で調べたら寿福寺らしい)

そもそも、このお祭りは、
今から約500年程前、戦国時代末期から始まったといわれる「地蔵まつり」に由来していて、
この祭の際に、灯籠を各家庭の軒先に飾ったり、お寺の参道に奉納していたらしい。
その数が次第に増え、いつしか千灯籠と呼ばれるようになったのだそうで・・・

ということは、あの巨大な灯籠タワーは、この近くのはず・・・

そのまま前の人の後について行き、
お寺の境内を回って、暗い階段を降りて、また別の坂道を上って行くと、広い公園に出て、
その左手にありました!



真下で見ると、さらにでっかい!

全部で、3300個の灯籠でできているという。



江迎町の地元や県内だけでなく、遠く福岡や愛知県からも奉納されているんだ・・・




中はこのようになっています。
高さ25mもある三角錐です。高所恐怖症の人では飾り付けもできませんね。

大正末期から昭和にかけて、石炭の町として栄えていた頃は、このお祭りも盛大に行われていたけれど、
昭和40年代に入り、相次ぐ炭鉱の閉山とともに町は過疎化の一途をたどり、祭も次第に衰退。

しかし、千灯籠で町を活性化しようという地元の人々の情熱が、日本一への挑戦となり、
本当に日本一高い灯籠タワーができたのだそうです。
そして、街路の灯籠も年々増えていき、今では10000個も灯されるようになりました。




千灯籠のある広場では、野外コンサートも行われていて・・・
灯籠とロックは、意外と溶け合って、若者たちも芝生の上でまった~り耳を傾けていました。


さて、私たちは渋滞を避けて、花火が始まる前に帰ることに・・・

街の道路上も人でいっぱい。

向こうからやってくる神輿見物のためでしょうか?



小さな神輿です。
上に乗っているのは若者で、オジサンたちが担いでいます。






夏祭りって・・・

古くて新しくて、情緒的で躍動的で、なんとなく・・・

いいな~


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はるばると・・・

2010-08-25 | 石木ダム
遠くからはるばると、石木ダム問題を研究している学生さんがやってきました。

かの東京大学大学院のYさんです。
現地を訪れるのはもう3回目かな?
前回は5月末の「ほたる祭り」のとき。
その前会ったのは、いつだったか…団結小屋でコタツに入って話したので、冬だったっけ…

探してみたら、ありました。
http://blog.goo.ne.jp/michie39/e/643f9f4328fbee58ff3e2c786e3177d0
2月17日が初回でしたね~

今回は、佐世保の水源地も見てみたいとのことで、先週の土曜日、夫と共にご案内。

といっても、去年の夏のように水道局の方とご一緒に…というわけではありませんから、
このように中に立ちいることはできません。



どうしてなんだろう?
佐世保のダムはガードが堅いですね。

昨年の5月に県内のダムをあちこち見て回りましたが、
ほとんど、ダム湖のほとりに立つことができました。

佐世保の場合は、遠くからそそり立つコンクリートのダムの堤防を見上げるくらいで、
ダム湖を見ることすら容易ではありません。下の原ダムは例外ですが。



でも、せっかくそばまで来たので、車を降りて行ったり来たり。
少しでもよく見える場所を探して、パチリ。

菰田ダムは、堤体がカーブしている珍しい形をしています。

転石ダムも遠くから見るだけで…

次に訪れた川谷ダムも、このようにフェンス越しに見るだけ…



と思いきや、
なんと入口が開いているではないですか!

道の両側の雑草が刈り取られたばかりのようで・・
きっと周囲の草刈りの最中なのかも・・
ちょっとだけお邪魔して、スタッフの方にお会いしたらおことわりすればいいかな・・
ついでに何かお話も聞いたりして・・

などと虫のいいことを考えつつ、少しだけ中に入ってみました。

でも、人影はどこにもなく・・
Y君も私も堤の中ほどまで歩いて行って、左右の景色をカメラに納めてもどってきました。


相浦川水系を見たいとのY君の希望で、
ダムの他にも、相浦、四条橋、三本木の3つの取水場にも回ってみましたが、
三本木はものすごい夏草に覆われて、対岸から見ることもできませんでした。

そのお詫びに…というわけではないけれど、
溜め池にご案内というオマケを付けました。

郷美谷池。
転石ダムをはるかに凌ぐ大きな溜め池。
貯水量は304,900m3といいますから、もうりっぱな貯水池ですよね。



この池のほとりには、こんなかわいい石橋も残っています。


ここに辿り着くまでは、狭い山道をクネクネ回ってきたのですが、
その道のそばにあった、いくつもの小さな小さな田んぼ。

そこで今も稲を作り続けている方のご苦労を想像すると、頭の下がる思いでしたが、
この橋も、この溜め池も、この地域で農に勤しんでこられた先人の
苦労の結晶にちがいありません。

水道局は、何かというと、佐世保の急峻な地形を言い訳にします。
地形が急だから、降った雨もすぐに海に流れて、川の水量が保てない。
地形が急だから水圧がかかり、配水管も負担が重くなり漏水しやすい・・などなど。

でも、昔の人は、そこに住んでいる以上、そこで工夫して暮らしてきたのです。
労を惜しまず、知恵を出し合い、自然と共存してきた・・

その結果、素晴らしい技術や文化が生まれた。。

そんな身近な貴重な財産を、私たちは見過ごし、忘れ去り、
安易な選択=水が足りなきゃダムを造ればいい=に流されてきたのではないでしょうか。

Y君のおかげで、久しぶりに佐世保の水問題について考えることができました。


といっても、Y君の専門は水道関係でも河川工学でもなく、
「社会文化環境学」というあまり聞き慣れない新しい分野の学問。

水事情に関するつっこんだ質問はあまりなく、
「石木川まもり隊」は、いつどうやってできたのか、どんな活動をしてるのか等々、
そちらの方の質問をいっぱい受けました。

まだ隊が生まれて1年ちょっと。
わずかな時間の中でやってきたことを振り返りつつ、できるだけ正確に伝えたつもりですが…。

チラシ・パンフレット作り、署名活動、上映会、メディアや議員への情報提供、シンポジウム、
現地の方々との交流etc…

その中で、昨秋の「石木の里山ピクニック」に若い人達がたくさん参加したことに
Y君は少し驚いていました。
このような社会問題への関心、またそれを行動に移す若者は少ないだろう…
と、若者自身であるY君は感じていたようです。

でしょう?
私もそんなふうに感じていたけど、こちらの若い人たちは問題意識が高くて、
特に自然環境に関することに熱心な人が多いのよ。
私なんか教えられることばかり・・・

というようなおしゃべりをして帰宅してみると・・・なんと!

そのピクニックのときに出会った若い女性からの封書が届いていました。
あれは、去年の10月下旬ですから、もう10ヵ月も経っているんですよ!

なのに、署名15筆とお手紙が添えられていました。

石木ダムのこと忘れないでいてくれたんだ~ 
こうばるのこと覚えててくれてたんだ~ 

そのことが嬉しくて・・・

噂をすれば…と言いますが、
こんなことなら、しょっちゅう「石木川まもり隊」の話をしていましょうかネ~ 
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原発アンケート

2010-08-22 | さよなら原発

原発について、不安に感じてる人、

原発はこれ以上造るべきでない、or減らすべき、orなくした方がいいと思っている人、

是非、いま内閣府がおこなっている原発アンケートに答えてください。

あなたの声を政府に届けて下さい。

思っているだけでは、何も変わりません。

 

http://www.aec.go.jp/jicst/NC/senmon/seisaku/bosyu/100727/bosyu100727.htm

上のURLをクリックして、内閣府のプレスリリースを直接読んでみて下さい。

 

1.概要

 原子力委員会は、「原子力政策大綱の見直しの必要性に関する検討について」を決定し、見直しの必要性の有無についての検討を開始することとしました。
 つきましては、現行原子力政策大綱(以下、「現大綱」という)に示す政策の進捗状況や原子力を取り巻く環境の変化、さらにこれらを踏まえて大綱のあり方や現大綱に示されている政策に対するご意見を広く国民の皆様から伺いたく、以下の要領で意見の募集をいたします。率直なご意見をお寄せください。

2.意見募集の対象

●現大綱の見直しの必要性の有無
●見直しの必要な(または必要でない)理由
●見直しが必要と回答された場合、見直しのあり方や個別施策への意見

3.参考資料

現行原子力政策大綱(資料-1)
現行原子力政策大綱について(資料-2)
現行原子力政策大綱に関する政策評価について(資料-3)
現行原子力政策大綱とこれまでの政策評価等との対比表(資料-4)
お寄せ頂いたご意見

4.意見募集期間

 平成22年7月27日(火)~9月21日(火)17時まで(郵送の場合は同日必着)

 

これを読むと、なんだか難しそうですが、

私たちは素人なのですから、素人なりの素朴な意見でいいと思うのです。

「ご意見を広く国民の皆さまから伺いたく」と書かれていますし・・

 

昨夏、私たちは「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズに喜んで投票し、

民主党政権が誕生しましたが、

その言葉とのズレを感じていたのが、エネルギー政策でした。

 

緑のダムなど自然環境を重視する民主党が、なぜ原子力発電を推進するのか・・

ずっと疑問でした。

温暖化対策、CO2削減のためなどと言っても、それは理由になりません。

原発は膨大な温排水を海に流すので、原発を「海暖め装置」と呼ぶ学者もいますし、

電気を作る時点でのCO2の排出量は少なくても、

原発で使う原料ウランの採掘・運搬時に排出されるCO2、

使用済み燃料の核廃棄物の処理やその半永久的な保管に排出されるCO2、

それらをトータルして考えると、決してCO2削減に寄与するとは思えません。

 

そして、何より、原発には大きな大きな危険性がずっと付いてまわります。

ひとたび大事故が起これば、あのチェリノブイリのように、

大気も土壌も放射能で汚染され、たくさんの犠牲者を生み、

今も癌などの後遺症は続いていて、

最大の環境破壊を引き起こすのですから。

 

また、廃棄物の安全な処理法が未だ確定してないのに、

それでも、「そのうちなんとかなるだろう~」とでも思っているのでしょうか?

何とかならなかったから、原子力政策もいよいよ行き詰ってきたのではありませんか。

 

ヨーロッパのように自然エネルギー開発に力を入れてほしい。

太陽光、風力に加えて、火山列島の日本には地熱という大きな資源が眠っています。

将来にツケを残さない、安全なエネルギーにシフトしてください。

 

そのような素朴な声を、私は送りました。

是非、皆さんも、それぞれの思いを、勇気を出して届けてみませんか。

 

去る8月9日、長崎原爆の日に、佐賀地裁では、

「玄海原発におけるMOX燃料使用差し止め」請求が提訴されました。

多くの県民国民が、原発の中でもさらに危険なプルサーマル発電にNO!と叫んでいるのです。

私も「支える会」会員の一人として、この裁判の成り行きをしっかり見守りたいと思っています。

 

                         

 

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日本のうたごえ祭典in長崎

2010-08-20 | 佐世保・長崎

1953年以来、毎年全国のどこかで開催されてきた「日本のうたごえ祭典」が、

初めて長崎で開かれます。

 

10月15日(金)、16日(土)、17日(日)の3日間です。

会場は、ブリックホールかぶとがにアリーナ市民会館平和会館などです。

 

昨年は京都、一昨年は東京、その前は広島でした。

半世紀以上も続いてて、長崎は初めてというのは意外でした。

 

いずれにせよ、長崎県民の私にとっては、とても嬉しいことです。

全国から5000人以上の「うたごえ」仲間が集まると聞いています。

愛知に住んでいる友人からも「行くからね!会おうね!」と、メールが届きました。

 

古い仲間と会える嬉しさ・・・それと同じくらい、今の仲間と歌える喜びも感じつつ、

練習に出かけます。

 

佐世保の仲間とは、『ありがとう、いのち』という歌を練習しています。

以前、埼玉にいるとき「ピースフェスティバル」で歌った曲で、

佐世保の仲間に紹介したら、みんなもとても気に入ってくれました。

 

諫早の皆さんと練習しているのは、『干潟の海の詩』

諫早湾が閉め切られて、大量の干潟の生き物たちが死にました。

でも、今すぐ水門を開ければ、再び干潟の海が蘇り、豊かな有明海が再生されるでしょう。

そう信じ、願いながら、歌っています。

 

そして、昨夜は、「こうばる」の皆さんと、『こうばるのうた』を練習しました。

石木ダム建設のための付替え道路工事が中断され、座り込みも中断。

それ以来会ってなかったので、約1ヶ月ぶりです。

なんだかとても懐かしさが湧いてきて、まるで同窓会に来たような気分・・不思議。

 

昨夜の練習には、諫早から合唱指導のN先生や、長崎から助っ人4人も参加して下さって、

嬉しくて有難くて、充実した2時間でした。

 

歌にはまるで縁がない、歌うことはとても苦手、と言ってた「こうばる」の女性達が、

こんなに堂々と大きな声で歌えるようになるとは・・・

やはり、ふるさとを守りたい一心なんだろうな。

 

そして、Y君の語り。

語りが入ると、つい皆聴き惚れて、バックコーラスを忘れてしまいそう。

そのうち、住民メンバーも、詩を書いた本人も、胸が熱くなって歌えなくなってしまう。

これはヤバイ!当日はなるべくY君の声に耳を傾けないよう注意せねば・・・

 

そんなことを頭の中にメモして帰ってきました。

 

PCを開くと、猫丼さんからメールが届いていました。

ビデオ公開の件で。

猫丼さんは、あの「ほたる祭り」の様子を撮影しただけでなく、

それをユーチューブに公開してくれたのです!

 

昨夜は、それを「こうばる」のみんなに伝えるのをすっかり忘れてました。

猫丼さん、ごめんなさい。

これから伝えます。

 

いま、これを読んで下さっている貴方も、

このURLをクリックして、ご覧になってみて下さい。 

http://www.youtube.com/watch?v=9mdKvO4t_pE

こうばるの里を。

こうばるを流れる石木川を。

(この映像ではちょっと濁っていますが、田植えの真っ最中だから。いつもはもっときれいです)

こうばるのほたる祭りを。

 

ビデオの最後は、やぐらの上にはためく旗にズームインしますが、

あの旗は日の丸ではありません。

赤地に白丸の旗、「石木ダム建設絶対反対同盟」の団結旗です。

昔、下筌ダム(しもうけダム)に最後まで反対し闘った室原氏が掲げていた旗です。

 

こうばるの皆さ~ん、見ましたか~?

ますます元気が湧いてきますねー。

長崎県民だけでなく、日本中の人に石木ダムのこと知ってもらえるよう、

「日本のうたごえ祭典」出場目指し、がんばりましょう!


 

 

 

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平和を繋ぐ手

2010-08-18 | 平和

長崎新聞には『音読コーナー』という欄がある。

<朝の3分が脳を活性化 声に出して読んでください>という案内と共に、

毎日、おもしろいエッセーやら、子どもたちの作文やら、

読みやすくて、周りの人にも伝えたくなるような内容が掲載されている。

 

私は音訳ボランティアをやっている関係で、時々練習を兼ねてこの欄を読んでいるが、

昨日と今日、二日間にわたって掲載された中学生の作文がとても素敵だったので、

このブログを訪れて下さる方々にもご紹介したいと思う。

 

それは、「平和を繋ぐ手」というタイトルで、沖縄県石垣市の中学3年生が書いたもの。

 

 「わぁ、国境に立ってる!」

去年の夏休みにカナダへホームステイをしました。その際に訪れたアメリカとの国境線には、ピースアーチという白い塔が建っていました。両国の国交が永遠に続くよう願い、常時開かれた門に、

「May these gates never be closed」

「この門が閉まることは永遠にない」という言葉が刻まれているのを見て、私は胸がとても熱くなりました。

 カナダ滞在中は、ホストファミリーやカナダ沖縄県人会の方々との交流により、カナダの素晴らしい歴史や文化を学びました。何よりも、言語が違って言葉はうまく交わせなくても、心と心を通わせ、たくさんの笑顔と親切に出会えたことに私は本当に感動しました。

 新聞やラジオからは、連日、世界の緊張した関係のニュースが流れています。北朝鮮と韓国の間には、一触即発の緊迫した空気があります。さかのぼれば同じ民族だった国が争っています。国土面積の0.6パーセントにも満たない小さな島沖縄に、日本の約75パーセントの米軍基地が置かれています。洪水警報が発令されるほどの豪雨の中、基地を囲んだ約13キロの堅く繋がれた1万7千人の手の思いは届かないのでしょうか。県民の思いもむなしく、名護の辺野古への移設が考えられています。「世界のどこでも、1時間以内で攻撃」という新聞の見出しを見て、私は心が震えました。アメリカが地球のあらゆる場所を1時間以内で攻撃する無人超音速機を開発したのです。

 人種が違っても、言葉が違っても、平和を求める気持ちは一緒であるはずなのに、人はどうしてこうも争うのでしょうか。お互いを認め合い、心を通わせて話をすれば、きっと友好的な関係が築けると私は思っています。

 私は台湾の血を持つ父と、日本の血を持つ母との間に生まれたハーフです。でも、私は中国語を話すことができません。授業で「南北朝鮮問題」について勉強したとき、中国語の話せる父と、舞踏や音楽でアジアを交流している母を持つという恵まれた環境を、もっと生かさなければいけないと思いました。中国語や沖縄の芸能も学びたいと思っています。

 私は今、外国語にとても興味を持っています。外国語でも自分の思いを自由に表現し、世界中の人々と交流できたら、どんなに素敵なことだろうと思います。世界の人々と仲良く交流することが、争いを起こさないことに繋がると思うからです。

 沖縄の人も、本土の人も、カナダの人も、アメリカの人も、繋ぐ手の色は違っても、通い合う心、平和を願う気持ちは同じです。国境の鉄門が閉まることのないように、みんなで手を繋ぐことができるような世界になるよう、私も、私の夢を重ねながら努力し、行動していきたいと思います。

 

私が日頃思っていることを、中学生がこんなにも理路整然と述べてくれたことにびっくり!

でも、このように上手く表現できなくても、なんとなくこのように感じている人も多いと思う。

そう信じたい。

 

彼女と全く同じ動機から、私もかつて海外の人たちとメール交換をやっていた。

あまりにも貧弱な英語力と時間的な問題から、1年足らずで挫折してしまったが、

でも、その中で得たものはとても大きく、私も交流の大切さを実感した。

 

教科書では得られない他国の地理や歴史や文化への興味、

一度も訪れたことのない遠い国の人たちが急に身近に感じられるようになり、

互いに「あなたの国とはいい関係でいたいね」と本心から伝えあうようになった。

 

 

若い人たちには、どんどん日本を飛び出して、世界を見てきてほしい。

世界中に友だちをつくってほしい。

そして、日本のことも伝えてほしい。

 

日本に帰ってきたら、

世界の人と握手した手で、私たちと握手してほしい。

 

そうしたら、私たちも「平和を繋ぐ手」になれるかも・・・

 

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佐世保 精霊流しと万灯籠流し

2010-08-16 | 佐世保・長崎


15日夜、ものすごい爆竹の音と共に、今年も精霊船が佐世保の街を運ばれていく。

パン!パンパンパン!!!
私にはどうしても鉄砲を撃ちあう音に聞こえて、
亡くなった方は、これで安らかに眠れるのだろうか…と、よけいな心配がよぎるけれど、
これが地域の慣習であり文化なのだから、
新米佐世保市民の私の感想は、ここだけの話にしておきましょう。


精霊船は、その年亡くなった方の御霊を乗せてお供え物と共に海に流すものですが、
今は海に流すことは禁止されています。
最近の船は、電飾などで華やかに飾らていますし、量も半端じゃありませんから。


だから、今では名切グランドと呼ばれる大きな広場に集められます。



ここでもすごい爆竹の音!

これが皆、精霊船。


大小いろんな船があります。





この小さな可愛い船には、パンダのぬいぐるみが。
亡くなったのは、こどもでしょうか…

こちらの船には犬の絵が。船の名前も「なな丸」。
愛犬「なな」は、きっと家族同様の存在だったのでしょう。




私にとって精霊流しは、長い間、あの名曲、さだまさしの『精霊流し』のイメージでした。

 線香花火…
 黙って舟のあとをついてゆきましょう…
 静かに時間が通り過ぎます…

精霊流しがこんなに華やかで賑やかなものだとは思いませんでした。


しかし、そこから歩いて10分ほどの場所ではおこなわれていた「万灯籠流し」こそ、
『精霊流し』のイメージにぴったりの、静かで美しい光景でした。

佐世保川にかかるアルバカーキ橋の上にはたくさんの提灯が飾られ、
橋の下を静かに万灯篭が流れていきます。


街の灯りが川面に揺れて邪魔していますが、オレンジ色の点々に見えるのが灯籠の灯りです。


橋の上から川の上流を見ると・・・
右側は繁華街に沿った通りで、左手の窓灯りは総合病院の建物かな?



橋の上から下流を見ると、

灯籠のスタート地点が見えます。

なぜ下流から上流に向かって流れているのか・・そのわけは、今は上げ潮だから。
潮が満ちてくる時間帯だから、川の流れが海からの流れに押されているのです。


スタート地点に近づいてみました。

灯籠を持った市民が係の人に渡します。



係の人は合掌をして受け取り、隣の人に手渡します。






そうやって次々にリレーして、最後の人が、そっと川の水面に浮かべます。



流れに乗って灯篭は、ゆっくりゆっくり遠ざかっていきました。

佐世保川に沿って奥へ奥へ、住んでいた場所を目指すかのように。。

引き潮の時がくると、そこから海を目指すのでしょうか?

それとも…?




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侵略の数字

2010-08-15 | 平和

65年前の今日、8月15日に戦争が終わりました。

一般的には終戦記念日と言われていますが、敗戦記念日と言うべきとの説もあります。

どちらにせよ、一般市民にとっては戦争の恐怖から解放され、平和が訪れた日です。

平和の尊さを悟ったあの時を忘れずに、いつまでも心に留め語り継ごうと、
新聞もテレビも、毎年特集を組みます。

原爆や空襲による地獄絵のような惨状、

勇ましく戦場に散った特攻兵たちの心情、

戦争孤児の健気な物語、等々。

毎年のことながら涙があふれます。

 

しかし、この国内の悲劇を記憶にとどめるだけでは、真の平和は創れません。

 

2ヶ月ほど前、友人がメールで伝えてくれた詩を紹介します。

長野県にお住まいの池田久子さんという方が書かれたものです。

タイトルには<若い君やあなたに伝える>とありますが、

戦争を知らない、いい歳をした私たちにも伝えてほしい、伝えたい詩だと思いました。

 

ここに書かれた「侵略の数字」の信ぴょう性については、異論をお持ちの方もいるでしょう。

8月9日のブログでも、本島元長崎市長の話の中で出てきた数字に反論を頂きました。

私には、数字について証明できる知識も手段もありません。

ただ言えるのは、あの戦争で犠牲となった夥しい数の日本人がいて、

同時に、それを超える数のアジアの人々を日本人が殺してしまったということです。

そして今、この時にも、世界のどこかで、あの時とおなじように、

殺し殺され合う「戦争」がおきているということです。

 

戦争は自然災害ではありません。

人間が起こすもので、それを終息させるのも人間です。

今ある平和を守り続けるには、私たち一人ひとりの強い意志が必要です。

だから…この詩を、紹介したいと思いました。

 

 平和のために~若い君やあなたに伝える侵略の数字~


  今から50年以上前のこと
  1931年9月18日から
  日本は15年もの間戦争をしていました

  満州事変が1931年9月18日
  中国東北部奉天の柳条湖での鉄路爆破が
  戦いのはじめでした

  支那事変は1931年7月7日
  中国河北の盧溝橋での一発の銃声が
  この戦いのおこりです

  そして世界戦争への拡大
  1941年12月8日
  これは日本軍が太平洋上の真珠湾を
  空から奇襲攻撃したのがきっかけです。

  次つぎとおこされた十五年戦争は
  どれもこれも日本がしかけたものでした

  けれども当時日本人の大多数の人びとや
  あなたと同じ年頃の少女だった私らは
  柳条湖の燥破も盧溝橋の銃声も
  中国軍がしかけたと教えられ、信じこみ
  真相を知ったのは敗戦の後
  しばらくたってからのことでした

  君たち あなたたち
  この15年間の数字を
  どうか よォく見て下さい

  日本中の人びとがだまされつづけた間に
  32万余だった日本の軍隊は
  848万人
(厚生省援護局1964年調べ)になりました。
  そのうちあなたと同じ年頃の少年兵もふくめて
  248万人が戦死しました

  日本や海外で兵隊でもない人びとが
  原爆やら空襲やら
  80万人も殺され
  236万人が家を失い傷つきました

  ナチスが殺害したユダヤ人の数は
  600万人といわれます
  けれど侵略日本の銃火で殺された
  中国、朝鮮、アジア人の数は
  実に2千万人以上です。

  あなたは聞くでしょう
  この戦争をはじめたのは誰なの
  軍人? 政治家?
  どうしてイヤだといわなかったの
  そう はじめたのは少数の支配者
  でもその手先に使われたのは
  大多数の国民わたしたちや
  わたしたちの父母
  祖父母です
  あの時教育され
  マスコミにそそのかされ
  いつの間にか殺し屋の手先になった
  私たち 私たちの親たち

  今 君にあなたにそのことを伝えたい
  再び私たちは殺さないか
  再び私たちは殺されないか
  私たちは二度とだまされないか

  本当にだまされないというために
  しっかりとこの「数字」を伝えたい

  君たち あなたたちに
  しっかりと。
  
                     

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静子さん

2010-08-13 | 雑感

あの日から、もう25年がたったんですね。

昨夜、TVのニュース番組で、その特集をやっていました。

日本航空123便の墜落事故。

 

今年も多くの遺族が、御巣鷹の尾根へ登りましたが、その中に24歳の若者の姿がありました。

事故当時まだ母親のお腹の中にいたから、父親の顔も声も知りません。

が、母親から聞いて育った父のイメージは若者の中にしっかり根を降ろしているようです。

毎年、母親と共に慰霊登山するたびに、父親の存在を確認していたのかもしれません。

慰霊式の途中で、涙ぐむ母親の肩をそっと抱いた彼の姿が印象的でした。

 

私の友人静子さんも、その飛行機=日本航空123便に乗っていました。

ご主人と、2人の幼子と共に乗っていて、全員亡くなりました。

 

その名前の通り、物静かな雰囲気の女性でした。

でも、4人姉妹の長女らしく、控えめな中にも頼りがいのあるしっかりした性格の人でした。

職場で机を並べ、1年先輩の私は少しだけ先輩風を吹かせることもありましたが、

プライベートの時間では、むしろ私の方が甘えていたかもしれません。

 

その頃は横浜に住んでいた私たちですが、それぞれの結婚で遠く離れてしまいました。

 

会えなくなって5,6年ほどたった8月12日夜、飛行機事故のニュースを見ましたが、

何も考えず寝てしまいました。

 

ところが翌朝5時前、私は静子さんの夢を見て目覚めました。

びっしょり汗をかいていたのは、ただ暑かったからだと思いましたが、

気になってすぐTVをつけました。

 

NHKの画面には、ただ淡々と名前が流れていました。

何人も何人もの知らない名前が通り過ぎて行くのですが、私はTVの前から離れられないのです。

この中に、その名前が出てくることがまるで私にはわかっていたような・・・

そんな感じでした。

 

そして、やはり、出てきたのです。

気が動転することもなく、涙を流すこともなく、ただ「やっぱり…」と。

 

その日は一日中、TVの前に座りっぱなしでした。

 

翌日だったか、翌々日だったか・・

静子さんの妹さんから電話がありました。

私が持っている静子さんの写真の中に、ある洋服をが写ってないか訊かれたのです。

 

つまり、まだ身元確認のできてない遺体は、どれも判別不可能なほど損傷が激しく、

身につけている衣服の切れ端から判断せねばならないほどの状況でした。

でも、その日、静子さんが着ていた服について、ご両親には心当たりがなかったのです。

帰る日の前日はご主人の実家に泊まったので、当日の服装はそのご実家の方から聞かれたのですが、

その説明で思い当たる服の記憶はなく、

それで、友だちの誰かが、その服を着て写っている娘の写真を持っていはしないか・・

と考えられたようです。

 

残念ながら私のアルバムの中には該当する服の写真はなかったので、

共通の友人知人にあたってみましたが、答えは皆おなじでした。

 

数日後、遺体発見の電話。

「見つかったと言うか・・母が無理やり見つけたという感じです」

 

「歯型を照合しようにも、歯もありませんから・・

『この耳の形は静子にまちがいありません』と、母が言い張ったのです」

 

電話を切った後、涙があふれて止まりませんでした。

 

色が白くて、きれいな肌の女性でした。

和風で、良妻賢母型の女性でした。

いま生きていたら、平凡な優しいおばあちゃんになっていたかもしれません。

 

亡き友の思い出を、今日、語る気になったのは、

昨夜の若者のせいです。

 

彼は大学時代、事故のことを知らない人がいることに驚きました。

そして、事故を風化させないように、未来に語り継ぎたいと思ったそうです。

 

私は事故については語れないので、静子さんについて語ってみました。

静子さんの存在が風化しないように。

そして、それは、その静子さんの命を奪った航空機事故を風化させないことに繋がるのではないか…

そんな気がしたのです。 

 

 

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小値賀島の歴史

2010-08-12 | 
8月6日、小値賀島の最終日です。

まず向かったのは「牛の塔」



これは、建武新田開発工事で犠牲になった使役牛の供養塔です。

鎌倉時代末期といいますから、今から680年くらい前でしょうか。
その頃の小値賀島は、まだ東と西の2つの島に分かれていました。
平戸松浦家の定公は、2つの島の海峡部分を埋め立て田地を作る工事に取り組みました。

機械の無い当時の主要労働力は牛で、多数がその難工事の犠牲になりました。

工事が完成した建武元年(1334年)、その牛たちの供養塔を建立し、
その下に、法華経を記した一字一石経を埋めたと言われています。

一字一石経というのは、小石1個に経文の1文字を書いたもので、
6万個!も納められたそうです。

今でも毎年「牛の塔祭」と称する慰霊祭が行われているそうです。

現在は使役牛ではなく、肉牛が草を食む姿があちこちでみられます。
放牧された牛たちが草を上手に食べるので、まるで芝生のグリーンが広がっているよう!

小値賀島にとって牛は、昔も今も大切な存在なんですね。 





ここは、小値賀町歴史民俗資料館

まさに小値賀の歴史の宝庫!
約4万点もの展示物が並べられたこの館は名家小田家の屋敷跡



真ん中奥の白い物は、「マッコウ鯨の歯」と書かれています。
手前に置かれているのは、クジラの骨で造られた杖です。

小田家は江戸時代の初期に、捕鯨をするために壱岐から小値賀島に移住してきました。
当時いくつかの鯨組がありましたが、小田組の鯨漁は規模といい技といい群を抜いていたそうです。




こちらは、船森教会跡の写真と、神父様の衣服です。

船森教会というのは、野首教会と同じ野崎島にありますが、
それぞれのキリシタンの発祥はやや異なっています。

野首集落のキリシタンは、外海(そとめ)地方から下五島を経由して、野崎島に渡ってきた人たちで、
一方、船森は、処刑寸前に助けられたキリシタン3人が住み着き生まれた集落でした。


江戸時代末期のある日、小値賀島の船問屋が、
大村の海岸で打ちひしがれたように佇む3人に出会います。
聞けば、明日は処刑されるという隠れキリシタンの3人でした。

彼らに同情した船問屋は、3人を船荷の中に隠まいます。
途中、役人の検問に会い、あわや彼もまた打ち首か?という危機もありましたが、
どうにか無事に小値賀に連れ帰ることができました。

そして、3人を人目につかない野崎島の南部(当時は無人だった)船森に住まわせ、仕事も与えました。

彼らは後から移住してきた人々と共に集落を作り、一時は150人を超えていましたが、
昭和41年、廃村となりました。

船森集落の人々にとっては救いの神であった船問屋の田口家の子孫が、
実は、今回お世話になった民宿のご主人だったのです。

彼はクリスチャンではありませんが、
先祖の偉業を称えて、昨年5月、この集落跡地に十字架を建てたそうです。


長崎には隠れキリシタンにまつわるたくさんの話がありますが、
他県に育った私は何も知りません。



踏み絵についても歴史の時間に学びましたが、見るのは初めて。
もっと大きくて薄いものかと思ってました。

これは、小さめのお弁当箱くらいかな。



小値賀島の歴史は意外と古いのです。

比較的平坦な地形なので、人々が住みやすかったことから、
約2万5000年前、後期旧石器時代に小値賀の人類の歴史は始まったといわれます。



これは縄文時代の遺跡から出土した矢じりですが・・・

小値賀島とその周辺は、火山列島で、大地は玄武岩などの火山岩からできており、
この矢じりの原材料である黒曜石は存在しません。

専門家の話では、この黒曜石は、佐賀県か大分県のもののようです。

また、これらの矢じりは、固まって出土したということで、まるで矢じり工場跡のようだったと…

ふーむ。

この謎について、この資料館を案内して下さった女性は、

「 たぶん、この島に矢じり造りの技術者のような人がいて、

 遠くから船で原料の黒曜石が運ばれ、ここで大量生産していたんじゃないでしょうか?」

と、説明して下さいましたが、私はイマイチ納得できませんでした。


交通手段も通信手段もほとんどない縄文時代に、
西の離島に、矢じり作りの名人がいるってことが、果たしてどこまで伝えられるだろう?

できた矢じりは、また誰かが取りに来る?何かと物々交換という形で?
それはあまりにも現代的な発想のような気がするのですが…

いずれにしても謎とロマンがいっぱいで、わくわくします。 




この資料館=小田家の屋敷は、なんと270年前の建物だそうで、
庭には日本庭園があり、裏庭には、つるべ井戸も残っていました。


こちらも本物を見るのは初めて!




さあて、そろそろお時間です。

宿に荷物を取りに行き、お隣の喫茶店で、またお昼をいただきました。
今回はピラフと、かき氷のレモン。

歌好きのご夫妻は、時々佐世保までカラオケをやりにくるそうで…
佐世保での再会を約して別れました。


帰りは高速船ではなく、フェリー「なるしお」に乗船します。



いつも、我が家(マンション13階)の窓から見慣れた姿ですが、近くで見ると、とても大きく感じます。

14時出港。

小値賀島がだんだん小さくなっていきます。


野崎島ともお別れです。


船森地区にズームイン!



段々畑がきれいに残っていて、まるで、まだ人が手を加えているみたいですが、
実は、そうではありません。

これが、ディアライン。

鹿が草をムシャムシャ食べていくと、その口が届かない高さの草は残りますね。
遠くから見ると、横に伸びた緑の線が幾重にも連なっていて、
まるで段々畑のようです。

野崎島にはシカの好物の植物がたくさん生えているんですって。

鹿の天国ですね。

そのうち「小値賀島」の「おぢか」は「小鹿」や「王鹿」や「邑鹿」に変化したりして・・・?




ようやく佐世保湾入口が見えてきました。



左手が佐世保市高後崎、右手は西海市寄船鼻、奥に見える尖った山は、川棚町のシンボル虚空蔵山!





3本の円柱は、佐世保市民なら誰もが知っている針尾の無線塔。

旧日本海軍の無線送信所電波塔で、
太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ」を発信した施設として有名です。



さて、いよいよ佐世保港が近づいてきました。


いつもは、あの窓からこっちを見てるんだよな~

たまには立ち位置を変えて見るのもいいものです・・・ネ


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