佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

低線量被ばく_揺らぐ国際基準

2011-12-30 | さよなら原発

一昨夜のNHK総合TV 「追跡!真相ファイル」には驚いた。

 低線量被爆の国際基準がいかにいい加減なものなのかが、あまりにもはっきりと示されていたから。

 

日本政府が子どもの年間許容量を20ミリシーベルトにすると発表したのは、たしか4月だったと思う。

国内外の専門家から驚きと批判の声が上がり、翌月、1ミリシーベルト以下を目指すと修正した。

が、では、その1msvなら安心なのか?それはなかなか分かりづらい。

私たち素人には判断する知識もないし、専門家の意見もバラバラだし、

一方政府は1msvは科学的根拠に基づいた国際基準なので信用できると胸を張るので、

不安を感じつつも、わたしたち一般市民はなかなか反論できなかった。

 

ところが・・・そこには科学的根拠など全くなかった。

その国際機関 ICRP の事務局長自らが認め、

また、その基準を策定した当時の委員の有力者の言葉なので間違いはないだろう。

 

ICRPの本部(カナダのオタワ)事務局長クリストファー・クレメント氏によると、

現在の数値の根拠となったのは、ヒロシマ・ナガサキの被爆者のデータだったが、

それが1980年代後半になってデータの間違いが見つかった。

1000msvと書かれていたものが、実際は500msvだった。

ということは、ICRPが示していた癌死亡リスクは倍に引き上げられねばならず、

被爆許容量は半分に修正されねばならなかったのに、そうはならなかった

なぜか?

 

その疑問に答えたのは、当時の基準策定委員だったチャールズ・マインホールド氏(米)。

悪びれもせず笑顔で彼が語るには、

「私は他の米国の委員と協力してリスクの引き上げ(許容量の引き下げ)に強く抵抗しました」

私たちは科学的根拠に基づいて決めたのではありません。それは政治的判断でした」と。

当時の委員15人中13人が核関連や原発関連の関係者や政治家。

リスクを引き上げれば、その安全対策に莫大なお金がかかる。

(当時の予測資料では3億6900万ドルとなっていた)

結局彼らは団結して、リスクの引き上げを阻止しただけでなく、

同時に、放射線業務従事者のリスクをさらに20%も引き下げるのに成功した!

(同業務者の年間許容量を20mcvとした)

 

今も、ICRPは、核関連企業やその政治部門に関わる人たちの意向で動いているのではないか?

2010年度の予算617,000ドルのうちの40%250,000ドルを米国が出していた。

ちなみに日本は4位で、45,000ドル出していたとのこと。

 

世界の警察を自認し、他国は許せないが自国の核兵器は必要な抑止力として開発を続け、

原発も一時期はどんどん増やしていったアメリカ。

その政策をサポートするために都合よく決められていった「国際基準」

そのデタラメな基準値のおかげで病に苦しみ、死んでいったアメリカ国民の存在。

 

イリノイ州、シカゴ郊外。3つの原発をかかえ、地域の水が汚染された。

しかし、そのトリチウムの量は基準値以下として放置され、100人の子どもたちがガンで亡くなった。

その子どもたちの名前が石畳に刻まれていた。

 

幼いころ脳腫瘍を患い、今もその後遺症で苦しんでいるセーラさん。

18歳の彼女の身長は140cmで、右手がうまく動かない。

小学生のように可愛い彼女が、震える声で言った。

科学者には、私たちが単なる統計の数値でないことを知ってほしい。

私たちは生きています。

空気と水をきれいにして下さい。

たくさんの苦しみを味わいました。

誰にも同じ思いをしてほしくありません。

 

日本の原子力安全委員会のエライ人たち、

文部科学省のエライ人たち、

経済産業省のエライ人たち、

最もエライ内閣総理大臣の野田さん、

そして、すべての電力会社の社長さんたち、

どうぞ、セーラさんの言葉を目に止め、耳に止め、心に止めてください。

 

コメント (1)
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