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佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

憲法をいじるのはやめろ

2019-05-04 | 平和

「安倍君、憲法をいじるのはやめろ」

5月3日の憲法記念日に、1954年生まれの同級生として、安倍君に苦言を呈したのは、なんと、元NHKのプロデューサー!

「元」とはいえ、NHKの関係者。その歯に衣着せぬ真っ当な発言に拍手!

そして、それを伝えたのは、なんと、なんと、産経新聞!!

大拍手です。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190503-00000545-san-pol&fbclid=IwAR2G4_ss

 

元NHK・永田浩三氏「安倍君、憲法をいじるのはやめろ」

5/3(金) 18:38配信

産経新聞

 憲法記念日の3日、東京都内で開かれた護憲派集会で、元NHKプロデューサーで武蔵大教授の永田浩三氏がマイクを握った。安倍晋三首相と同じ1954年生まれであることを明かした上で、「大事な憲法をいじるのはやめておとなしく身を引きなさい」などと強調した。発言の詳報は以下の通り。

 「皆さん、こんにちは。32年間、NHKでプロデューサー、ディレクターをしていました。今は大学の教員として若者とともにドキュメンタリーを作ったりしています。今日は、総理の仕事をしている安倍晋三君について話したいと思います。知らない人は、あの嘘つきといえば思い出されるかもしれません」

 「私と安倍君は同じ1954年生まれです。同じ学年には(共産党委員長の)志位和夫君、(元文部科学事務次官の)前川喜平君、ドイツの首相、メルケルさんがいます。安倍君は福島(第1)原発事故の後、すぐに原発をやめると決めたメルケルさんとは相性が良くないみたいですし、加計学園の獣医学部を作るのが、いかに無理筋だったかを証拠立てて語る前川君が苦手なようです。あと志位和夫君も苦手みたいです」

 「私たち1954年生まれは、皆、戦後民主主義教育の申し子です。日本国憲法の3つの柱、『国民主権』『基本的人権の尊重』『平和主義』がどれほど大事なのか、小学校や中学校でしっかり学んだんです。先生たちも熱心でした」

 「小学校4年生のとき、東京五輪がありました。オリンピックは参加することにこそ意義がある。日の丸が上がるかどうかは関係ない。優れた競技やすごい記録に拍手を送るんだ。アベベ、チャフラフスカ、ショランダー…。柔道(無差別級)で神永(昭夫)が(オランダの)ヘーシンクに負けたときも、ショックはなくて、ヘーシンクに私は拍手を送りました」

 「『日本を、取り戻す。』『がんばれ! ニッポン!』。その旗を振る安倍君、少し了見が狭すぎませんか」

 「大学を卒業し、安倍君はサラリーマンを経て、政治家になり、私はNHKのディレクターになりました。ある時、思いがけない接点ができました。2001年のことです。私は、日本軍の慰安婦として被害に遭った女性たちを扱ったNHKの番組の編集長でした。一方、その時、安倍君は内閣官房副長官。君は放送の直前にNHK幹部たちにちょっかいを出し、番組が劇的に変わってしまいました。永田町でどんなやりとりがあったのか。その後、朝日新聞の取材で輪郭が明らかになっています」 「私は抵抗しましたが、敗れました。体験したことを世の中に語ることができず、孤立し、長い間、沈黙を続けました。悔しく、また恥ずかしいことです。あのとき君はそれなりの権力者でした。放送前に番組を変えさせるなんて、憲法21条の言論の自由、検閲の禁止を犯すことになり、そのことが世の中にさらされれば、君は今のような総理大臣になっていなかったことでしょう」

 「今、官邸記者会見で、東京新聞の望月衣塑子記者が菅(義偉)官房長官からさまざまな圧力を受け、質問が十分にできない中、それでも、われわれの知る権利の代行者であろうと必死で頑張っています。私には人ごととは思えません。でも、私と大きく違うのは、望月さん自身が勇気を出してSNSや集会で状況を発信し、市民とともに事態を共有することで、ジャーナリストを含めた連帯の輪が広がっていることです。市民とジャーナリストの連帯、メディアを市民の手に取り戻す。希望の光がわずかに見える思いです」

 「安倍君の話に戻ります。君が以前アメリカを訪問したとき、キャロルキングの『You’ve Got a Friend』という曲が好きだと言いましたね。『どんなに苦しいときでも友達でいようよ』。僕も大好きですし、その感覚はわかります。でも、残念だけど、君とトランプ米大統領は友達なんかじゃない。欠陥だらけの高額な兵器を買わされるカモにされているだけです。君には戦争の中で傷ついた人、声を上げられない弱い人を思いやる気持ちが欠けています。君の『You’ve Got a Friend』は友達にえこひいきをし、国の仕組みを私物化することです。それは友情ではない!」

 「友情とはもっと気高く素晴らしいものです。君は実力以上に大事にされました。これ以上、何を望むことがあるでしょうか。同い年、同じ学年として忠告します。『これ以上、日本社会を壊すことはやめなさい! これ以上、沖縄をいじめるのはやめなさい! 大事な憲法をいじるのはやめておとなしく身を引きなさい!」

 「歴史から学ぶことが嫌いで、不得意の安倍君、戦争の道を断じて進んではなりません。30年前にベルリンの壁が壊れたとき、私は東欧各地の取材をしていました。そのとき、人々が何より大事だと考えたのは、言論の自由と連帯、そして多様性です。憲法21条に明記された言論・表現の自由、一方、放送法第1条には『放送は健全な民主主義に資すること』とあります。健全な民主主義というのは少数者の意見を大事にし、多様性を認め、不埒な政府の横暴にあらがい、連帯することです」

 「今日は5月3日、32年前、朝日新聞阪神支局小尻知博記者が銃弾に倒れました。言論の自由が脅かされる社会なんてあってはなりません。ここにお集まりの皆さんが思っておられるのは多分、こうだと思います。リセットすべきなのは、元号ではなく、今の政権なのだと」

 「『All governments  lie』 今の政権は嘘をつく、今の政権は嘘をついているのです。嘘にまみれた安倍政権こそ終わりにすべきです。心あるジャーナリストとの連帯で、安倍政権を今年中に終わりにさせましょう。ありがとうございました」

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野中広務からのメッセージ 2008年4月15日『不登校新聞』より

2018-02-01 | 平和

【戦争特集】元自民党幹事長・野中広務さんに聞く

――野中さんの戦争体験を聞かせてください。

 僕は1925年生まれですから、国がだんだんと戦争へと向かい、実際に戦争が始まり、終戦を迎えるところまでを見てきた世代です。実際に私も戦争へ行って見事な戦死をとげるのが男子の本懐だと教え込まれ、自分でもそう思いこんでいました。そして、1945年の3月には召集令状も来ていました。

 戦争というのは突然、始まるものではありませんが、いったん戦争が始まると、これは本当に恐ろしく、むごたらしい事態になります。人が人を平気で殺してしまう。軍人だけでなく一般市民までをも巻き込んだ被害が起きるのです。

 先日、3月10日は東京大空襲の日でした。米軍からの爆撃によって東京が焼け野原になった日です。いまの東京を見ても、それを想像できないでしょう。思い出す人も少ないかもしれません。ましてや広島や長崎の原爆被害、そのすさまじい状況を想像するのは難しいことでしょう。

――「日本が戦争へ向かっている」と言われますが、野中さんはどう見られていますか?

 神奈川県の座間には「キャンプ座間」と呼ばれる米軍の陸軍基地があります。キャンプ座間の一部には陸上自衛隊も駐屯しています。現在、この座間にワシントンの米軍の陸軍第一司令部がやってきて、それに伴い、自衛隊の司令部も集結すると言われています。これは深刻な問題です。かつて日本は中国大陸を侵略しようとしたとき、朝鮮半島の上部に満州国をつくり、東京にあった関東軍司令部を満州国に移した歴史とダブるからです。

 満州国ができてどうなったのか。歴史をふり返れば、南京虐殺が起き、ベトナム、カンボジア、インドネシア、フィリピンへの侵略が始まったわけです。日本軍の内部では、フィリピンを攻めた際に「このまま戦争を続けていくのは無理だ」という趣旨の意見も持ち上がっていました。しかし、それがわかっていても、どうにも止められずに戦争を続けたわけです。

 こうした歴史的な背景があるにも関わらず、さきほどのキャンプ座間の「米軍再編」を日本は3兆円もの税金を使って進めようとしているのです。

 いま、政治家のほとんどが戦争を見ていません。質問にあるように、戦争へと国が刻一刻と向かっています。戦争への道にブレーキをかけられるのは、私たちの世代が、最後の砦でしょう。戦争が起これば、かならずその傷跡は後世まで残ります。私は死ぬ瞬間まで、戦争を止めるための努力を続けていきたいと思っています。

―― 一方で、今の若い人たちのことを野中さんはどう思っていらっしゃるでしょうか。フリーターやニートの問題が国会でも議論されています。

 規制緩和の「美名」のもとに、小泉純一郎元首相などが、アメリカの市場原理を導入して、アメリカ並みの規制緩和をしました。たしかに経済だけを見れば、好景気になったと言われますが、それはまやかしです。

 年金制度が崩れ、社会保険が潰され、医療や介護の負担が重くなっていく。大企業は人件費を抑えるためにリストラや早期退職を進め、派遣やパート社員を使うようになりました。正規雇用者と非正規雇用者では、生涯所得格差が3倍になっていると指摘されています。こうしたなかでフリーターやニートが増えました。

◎ 市場原理が心を破壊

 戦後教育のせいだという指摘もありますが、そうではありません。強い者が勝ち、弱い者が負ける、という市場原理が、社会の大切なコミュニティを破壊し、家族を破壊し、子どもの心まで引き裂いていった。日本の心が破壊されたわけです。そういう一連の動きのなかにフリーターやニートの増加があります。

 ただ、福田総理になって、すこしずつ取り戻そうという動きがあります。それも、この間、アメリカを中心とする会社の株価がガタッと下がったため、日本の株も下がり、暗雲が立ちこめています。いまこそ、日本がどんな方向に進んでいくのか、グローバリゼーションの世界戦略のなかで日本の位置をどこに持っていくのか、国内の深刻な社会問題をどうすべきか、議論しなければなりません。しかし、残念ながらそういう全体的な視野の討議が国会ではまったくされていません。

――いまご指摘された「日本の心」とは何なのでしょうか?

 いまは水道をひねれば水が出ます。ガスをひねれば火が出ます。しかし、もともと、そうだったわけではありません。
 日本人は、何の道具もない時代から山に道をつけ木を植え“山”をつくってきました。川には井堰をつくり、ため池をつくり、さらには田んぼをつくり、水が貯まるような仕組みをつくってきました。

 すべては「水の道」をつくり、水害を抑えるためです。日本人は水の道を利用して、米をつくりました。米は何百年と同じ場所で穂を実らせても土が痩せない作物です。ここに飢餓と災害を同時に抑えるための知恵がつまっています。そして、春には豊作を祈る祭、秋には豊作を感謝する鎮守の祭をし、そこから日本の伝統芸能が発展しました。私たちは謙虚な気持ちで自然とともに生きてきた民族なんです。

 ところが、いま山は“無価値”にさせられてしまいました。プロパンガスによって薪を使わなくなり、誰も山に手を入れなくなりました。さらにアメリカの要求で建築基準法が変えられ、外材をどんどん入れ、外材についてきた新しい害虫が山を荒らしました。金になるから、という理由で針葉樹政策がとられましたが、針葉樹のスギやヒノキはしっかりとした根を張りません。すぐに大災害を引き起こすようになってしまいました。

 善し悪しではなく、これがこの国の培ってきた文化や風土です。それはよくみなさんにも知っておいてほしいことです。

――先ほどから一貫して「弱者への視線」を感じますが、野中さんの視線の源にはなにがあるのでしょうか?

 僕は条件が揃っているんです。まず、被差別と言われる地域の育ちですし、戦争中の思い出も大きいです。

 戦時中、家の近所に造兵廠(兵器工場)が疎開してきました。働いていたのは、ほとんどが朝鮮半島から来た人でした。この人たちが毎日、鞭で打たれて血みどろになりながら働いていました。隣町のマンガン鉱も同じような状況だったそうです。そういう姿をずっと見てきたからでしょう。

――最後に子どもや若者へメッセージをお願いします。

 やはり若いもんが、これからの時代を背負っていくんです。ひとつは年寄りに遠慮をしないことです。そして、この国を少しでも誇れるように、あきらめずに反骨精神を持ち、やっていってほしいと思います。

――ありがとうございました。(聞き手・石井志昂)

2008年4月15日 『不登校新聞』掲載

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グアムからアメリカへの公開状

2017-08-15 | 平和

「公開状」という言葉を初めて知りました。
「公開質問状」ならしょっちゅう使っていますが…

デジタル大辞泉によると、
「 世間一般の意見や批判などを求めるために、特定の個人や団体にあてた書状を新聞や雑誌などに公開掲載するもの。オープンレター」
だそうです。

「オープンレター」のことか!と納得。
そして、それ以上に、この公開状に書かれている内容に納得しました。

http://attackansai.seesaa.net/article/452695488.html

「グアム」を「沖縄」に置き換えても納得。
さらに「アメリカ」を「日本」に置き換えても納得できるのが悲しい。

転載させていただきます。

 

グアムからアメリカへの公開状

2017年08月14日
グアムからアメリカへの公開状
ビクトリア・ロラ・M・レオン・ゲレロ
(「ボストン・レビュー」)
2017年8月10日

[ビクトリアさんは09年10月に大阪で「戦争あかん!基地いらん!関西のつどい」に参加し、感動的なスピーチを行ったので、覚えている方も多いと思います。現在はグアム大学新聞の編集長、グアム大学、サザンハイスクールなどでジェンダー・スタディーズや「創造的な書き方」などを教え、グアムの軍事化やチャモロの独立をテーマにした執筆や映画の制作で活躍しているそうです。原文はこちらから]

guam1.jpg

親愛なるアメリカのみなさん

あなた方がやっと、グアムで何が起こっているかを気に留めてくれるようになってうれしいです。インターネットで見ていると、あなた方の多くは初めて「グアムって何?」って思ったようです。グアムで育った私たちは、毎日あなた方のあらゆることを聞かされてきました。残念なことに、あなた方が「グアム」という言葉を口に出すのは、私たちが爆弾の標的にされる時だけです。あなた方に知ってほしい、もっと興味深いことがいっぱいあるのに。

私たちはこの間の爆撃の脅迫にそれほど驚いていません。グアムと爆撃が同じセンテンスの中で語られるのを聞くのは慣れています。毎月のように、ミサイル発射実験が行われるたびに、あるいは激しい非難の応酬があるたびに、北朝鮮や中国やロシアがグアムを爆撃するかも知れないと聞かされています。私は中国の悪名高い「グアムキラー」(中距離弾道ミサイルDF-26)の写真を私のコンピューターに保存しています – 私たちの独立運動グループが「インディペンデンス101」(村で行っている学習運動)でのプレゼンテーションで、「なぜ私たちが今すぐ自由を勝ち取る必要があるのかを説明するための1つの事例としてです。

そうです。グアムにはあなた方からの独立を望んでいる人たちがいます。一方で、爆撃の脅しを聞いて、誇大な宣伝に委縮してしまう人たちもいます。この人たちは私たちがあなた方の強力な軍事基地を必要としていると信じ、もっと米軍を強化するよう乞いはじめています。そうすればわれわれが爆撃されないだろうという理由からです。おわかりですか? でも、あなた方こそ、爆撃をめぐるすべての問題の原因です。

これまでグアムに落とされた爆弾の中で最悪のものは第二次世界大戦の最後の段階で、あなたがたが投下したものです。開戦当初は、あなたがたは日本がグアムを侵略することを十分に知っていながら、私たちを無防備のままにしました。あなた方は攻撃が始まる数カ月前に、白人の軍人の家族たちを安全な船で米本土へ返しましたが、私たちを守るためには何もしませんでした。そうです。前回、あなた方がその国による攻撃から私たちを守ってくれると約束していたその国が侵略した時、あなた方は2日間で降伏し、2万人の人々を見捨て、その多くは最も残虐な戦争犯罪の犠牲になりました。しかし私たちは力強く、醜悪な戦争を生き延びただけでなく、その後に続く損失・喪失にも耐え抜きました。

あなたがたは1944年にグアムに戻ってきたとき、爆弾で私たちの島を荒れ野にし、多くの家族が帰る家をなくしました。あなた方が巨大な基地を建設できるように、私たちは追い散らされ、追放されました。有り難いことに、グアムの人たちはあなた方の軍隊に勤務し、あなた方の自由のために死にました。人口当たりの戦死者の数ではあなた方を上回っています。

これまでグアムに落とされた爆弾の中で最悪のものはあなた方によるものです。

現在、あなた方は私たちの島の3分の1を占領しています。私たちの隣人たちに向けられた爆撃機や原子力潜水艦を駐留させています。あなた方は終わりのない戦争ゲームに興じ、私たちの空、水、土、体に噴煙と廃棄物をまき散らしています。あなた方が私たちの近隣の諸島で爆弾の実験を行う時、私たちは死の灰の中で息をしています – これらの島から風に乗ってここまで来るのです。私たちはあなた方が爆弾で汚染した海から獲れた魚を食べているのです。あなた方の音波探知機の実験のせいで進路を迷い、浜に打ち上げられ、朽ちてゆくクジラを悲しんでください。私たちは犠牲にされています - 一度も同意したことがないのに、それどころか多くの人々にとっては意に反してです。神聖な先祖伝来の村に入ることもできず、1000エーカーもの石灰岩を覆う豊かな森とそこに住む生き物たちが、海兵隊の射撃場のために破壊されようとしています。

あなた方はとんでもない時間に、私たちの家の上で爆撃機を飛行させています。どういうことですか、アメリカの人たち。私は今、ここで子どもを育てています。小さな子どもたちです。自分たちの上をあなた方の旗が飛んでいるのに気付いていて、それを嫌っています。あなたがたの爆撃機の轟音が聞こえると、遊んでいた公園の滑り台の下に隠れます。友だちにも、B—1やB—2の轟音が聞こえたら隠れるように言っています。道路には「児童公園 - 徐行」という標識があります。あなたがたも徐行して、子どもたちを遊べるようにしてくれませんか?

私は子どもたちがここで育ったほしいと思っています。ここはこの子たちの、そして私の、私のママの、ママのママの、そしてそのママの生まれ育ったところです。私がこの子たちにいてほしいと思う場所はほかにありません。私は多くのアメリカ人たちが自分の生まれた土地から逃げて来なければならなかったことを理解しています。アメリカがあなた方にとってより良い生活を与えた、あるいは少なくともそれを約束したでしょう。あなた方の多くは生まれた土地に帰りたけれども帰れません。そして悲しいことに、あなた方の多くは、この「明白なる天明」のために土地と生命を奪われたアメリカ先住民のことについて、あまり考えていません。

しかし、あなた方のせいで誰もが爆撃の対象としてきたこの島、この美しい島は私の島です。あなた方の島ではありません。そして私はここから逃げ出したいとは思いません。私は一度、この島を出たことがあります。大学での教育のためです。しかし、その間ずっと、この島のことを考えて心が痛みました。私は学位を取得した後すぐにここに帰り、学んだことをここで活用しようとしました。生まれ育った土地での生活は、私にとってはよりよい生活です。私はこの土地によって育まれました。私の家族はここで自分たちの食べ物を育てています。私は賢い赤ん坊たちを育てています。裏庭はジャングルです。これが私の先祖たちが私や子どもたちに望んだ生活です。私は私の家族が平和に暮らせると信じて、安心して眠れることを望んでいます。だから、どうか爆撃について語るのはやめて、なぜグアムが2017年の今もあなたがたの植民地であるかを自問して下さい。
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国際民主法律家協会(IADL)、共謀罪廃止を訴える

2017-06-18 | 平和

友人からのメールを貼付します。

 

6月16日、NGOの国際民主法律家協会(IADL、発言者ミコル・サビア)
は、ジュネーヴで開催中の国連人権理事会35会期において、日本の共謀罪につ
いて発言しました。

*****************************

  国際民主法律家協会(IADL)は、人権理事会に対して、2017年6月15日に日本
の国会で採択された、いわゆる「共謀罪法案」が人権保障にとって否定的影響を
持つことについて注目するよう呼びかける。

 法案は広汎な抗議がある中で、通常は本会義の投票の前になされる委員会での
承認を省略するという異例な方法で成立した。これは、争いのあるテーマについ
ての議会での十分な討論の促進という点からも問題である。

  政府は、この法案を採択することは、国内法を国連国際組織犯罪条約に適用す
る上で、そして2020年の東京オリンピックを迎えるにあたってのテロの危険に対
応するために、必要だと言った。法案の中では、テロリストグループや他の組織
犯罪グループは、放火や著作権違反までの277の犯罪に関する計画と準備行為
に関し罰せられることになっている。

  法律専門家は、このような法律を追加して創設することの適切性と必要性につ
いて疑問を投げかけている。さらに、プライバシー権に関する国連特別報告者、
ジョセフ・カナタッチ氏が2017年5月18日に日本政府宛にあてた書簡では、法案
はプライバシー権と表現の自由に対する不当な制限になる可能性がある、と指摘
されている。「組織犯罪集団」の定義のあいまいさは、安全保障のセンシティブ
な領域におけるNGOの活動に対する監視を合法化する機会を与えることになる。

  日本政府は、特別報告者の正当な懸念に正面から答えずに、「明らかに不適切」
と言って受け付けなかった。安倍晋三首相は、カナタッチ氏の評価を「極端にバ
ランスを欠いている」と言って公然と非難し、特別報告者の言動を「客観的な専
門家のものではない」とした。このような攻撃的な言動は、日本政府の国連特別
報告者制度に対する重大な侮辱である。特に日本は、他のすべての国連加盟国の
人権尊重を推進すべき人権理事会の理事国の一つなのであるから、許されるべき
ものではない。

  IADLは、テロリズムに対抗する上では国際人権法の義務を遵守することが
何よりも優先しなくてはならないと強調するともに、日本の国会に対してはいわ
ゆる共謀罪法案を廃止するとともに、人権理事会に対しては、日本政府に対して、
仮に特別報告者に好まない評価をされた場合や実際にされた場合でも、特別報告
者の権限と権威を尊重するように呼びかけることを要望する。

2017年6月15日 国際民主法律家協会(IADL BUREAU)


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やんばるの森を守りたい

2016-10-01 | 平和

私も「やんばるの森」を守りたい。

行ったこともない場所だけれど、ずっとそう思っていました。

この動画を見て、その思いをさらに強くしました。

 

反対する最大の理由は、

戦争の訓練をしているということ。

この豊かな森を戦争の道具にしないで、

様々ないのちが生まれ巡っていく森であってほしい。

 

木工職人の伊佐さんの言葉を良かったらシェアしてください。

 

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まんが・わたしたちの平和憲法

2016-07-05 | 平和

1988年に出版された『まんが・わたしたちの平和憲法』をご存知ですか?

その中の1ページです。

 

この漫画は、主人公の男の子たちが旅に行っていた1年あまりの間に、憲法改正が行われ、帰宅したとたん戦場に駆り出されそうになるドタバタ劇を描いています。

大人はなぜ大事な平和憲法を捨ててしまったんだ?

なぜ世界一の憲法を変えてしまったんだ?と怒るこどもたち。

母は答えます。

次々と法案が可決成立していっても自分たちの暮らしには関係ないと思ってた、

世の中は改憲ムードに湧いていた、

深く考えずに投票してしまった・・・

と。

30年近く前に、まるで近未来を予言しているような漫画ですね。

そして、もっと驚くのは、この漫画の出版者。

なんと、それは、創価学会婦人部平和委員会でした!
http://seoul-life.blog.jp/archives/62149212.html

 

当時は創価学会の皆さんも、本当に平和な社会を標榜していたのですね~

どこで変わってしまったのでしょうか。

でも、変わったのは創価学会だけではありませんよね。

日本国民全体が変わってしまったのかも・・

戦後の荒廃の中で、何物にも代えがたい宝物として新憲法を抱きしめた、

あの喜びは多くの人の記憶の中で風化し、忘れ去られ、

再び、戦前の社会に辿り着こうとしているかのようです。

 

今度の参院選で与党が大勝したら、まちがいなく憲法の危機がやって来る。

それをなんとか阻止したい。

そうは思っても、今の私は何もできない。

ただ、自分の1票を行使するだけ。

そして、祈るような思いでテレビの開票速報を見守るでしょう。

 

でも、願うだけでなく、その思いを行動で示す勇気ある人々もいます。

その1人、友人のOさんは、こんな活動をやっています。

(Oさんのメールから転載)

 

昨日は17:30から地下鉄丸ノ内線「本郷三丁目」駅前で、Hさんと私でスタンディングデモを行う予定でした。

私は用事が早く済んだので16:30にはデモ予定場所に着いてしまい、一人で早めにスタンディングを始めました。

それで、17時頃まではプラカード(A2サイズの紙に筆で手書きで「今の憲法/私たちが困ること/何もない/ 困っているのは/戦争に参加したい/『アベ』だけだ」と縦書き6行に書いたのもの)を掲げて静かに立っていました。

その間に前を通った人々の反応をスケッチ風に短歌にしてみました。



・プラカード『撮ってよいか?』と聞いてからスマホで写し立ち去る男性

・『よくぞ声上げてくれた』と礼言ってお辞儀までする中年男性

・プラカードじっくり読んで『同感よ』にっこり笑う地元のおばさん

・そば通り『アベはダメだ』と声かける作業員風二人の男性



17時から私は尺八を吹き始め、17時半からはHさんが予定通り到着し、アルトサックスの素晴らしい音色の演奏を始めました。

その頃には、仲間が集まって、総勢13名となり、プラカードを持つ人、サクラになる人、それぞれ自由に好きなことをしました。

Hさんがアルトサックスで演奏するポピュラー音楽の“声”は駅から出て来る人や通りがかりの人々に快い印象を与え、注意を引きつけプラカードを読む人を確実に増やしたと感じました。


そして、その後の活動予定が記されていました。


7月1日(金)午後5時~、JR「国分寺」駅南口
  2日(土)午後1時~、JR「高田馬場」駅早稲田口★
  4日(月)午後5時~、JR「御徒町」駅前★
    5日(火)午後5時~京王線「調布」駅前
  8日(金)午後5時~JR「武蔵境」駅前

 

今頃は調布の駅前で尺八を吹いていることでしょう。

こんなプラカードをぶら下げて。

今の憲法

私たちが困ること

何もない

困っているのは

戦争に参加したい

『アベ』だけだ

 

ここ佐世保からでは参加できないのが残念です。

 

 

 

 

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武装パレードと金平茂紀さん講演

2016-06-12 | 平和

今年も自衛隊の武装パレードが佐世保のアーケード街でおこなわれました。

私が初めて見たのは移住してきた翌年の2009年で、その頃は陸上自衛隊だけでしたが、

2014年からは陸上自衛隊と海上自衛隊の合同パレードとなり、

だんだん大規模になっているような気がします。

今年はちょうど共同演習を行っているインドとアメリカ海軍の音楽隊も参加し、

950人という過去最多のパレードとなりました。

 

11時スタートの1時間前には、武装パレードに反対する市民団体が抗議の集会を開いていました。

 

でも、パレードの時間が近づくと、

アーケード街は日の丸の旗を持った市民が両サイドを埋め尽くし、今か今かと待っています。

 

まず初めに自衛隊の音楽隊、続いてやってきたのは、インド海軍の音楽隊ですが、

日の丸の旗が邪魔して、チビの私は、ほとんど見えません。

 

場所を変えて、待っていると、次にやってきたのは米海軍の音楽隊。

ジャズっぽい音楽で軽快に、踊りながらの演奏です。

 

その後、自衛隊の行進が始まりました。

まずは海上自衛隊。

教育隊とか候補生とかいろいろ分かれての行進です。

 

こちらは陸上自衛隊の女性隊員。

きりっとした眼差しの素敵な女性たち。でも、迷彩服なんて似合わない!

 

その行進を本部席で見守る自衛隊、米海軍、印度海軍の司令官たちと佐世保市長。

市長はどんな思いで、銃を掲げて行進する女性隊員に拍手を贈っていたのでしょう。

 

このパレードに銃を持たせているのは、

「ふだんのありのままの姿での行進を見てもらうことが自衛隊への理解につながる」

からというのが陸自の説明です。

そうでしょうか?

その行進を見て若者や子どもが感じるのは、戦争ごっこのようなカッコ良さ。

あるいは、撃ち合うこと、殺し合うことをイメージさせる恐怖感ではないでしょうか?

それが、日本国憲法下での自衛隊を理解することに繋がるのでしょうか?

むしろ捻じ曲げ、覆い隠すものではないでしょうか。

 

覆い隠すと言えば、今年のパレードでは、市民が市民を覆い隠しました。

「武装パレード反対」と書かれた横断幕を持った市民の列の前に、

日の丸の旗を持った市民たちがやってきました。

武装反対の文字を日の丸が覆い隠そうとしたのです。

 

銃を担いでの行進が始まった時、反対派市民団体は大きな声でシュプレヒコールを始めました。

「戦争法はんたーい!」「自衛隊員を戦場に送るなー」「自衛隊員の命を守れー!」

声を限りに叫ぶ市民の声を、一段と大きくなった楽隊の演奏と、

これまた市民の大きな拍手の音で、覆い隠そうとしたのです。

 

なぜ他者の意見を排除しようとするのでしょうか。

いつから異論を認めることができない人が増えてきたのでしょうか?

 

暗い気持ちになりながら、パレード終了と同時にバス停へ急ぎました。

今日のもう1つの予定、この講演を聞くために・・

 

現政権はメディアを道具視し、統制を強化している。

メディアは自主規制し、忖度している。

忖度というより「自発的隷従」さえ見られる。

と、金平さんは今のメディア環境を評しました。

 

金平さんはいろんな話をしてくださいました。

オバマ大統領の広島訪問について、

田英夫キャスターの弾圧事件(1967年)のこと、

高市総務相の電波停止発言などなど。

 

その中で特に印象的だったことの1つが、昨年の沖縄慰霊の日のこと。

安倍首相の挨拶の時、「帰れ!」「帰れ!」と、ものすごいヤジが飛んでいた。

しかし、NHKは「忖度」して、そのヤジを全てカットして報道したそうです。

 

帰宅後、NHK長崎の今日のニュースを見たら、

武装パレードでのシュプレヒコールや横断幕もきちんと放送されていました。

(ホッ、よかった! NHK長崎はまだ大丈夫…)

 

もう1つは筑紫哲也さんの最後の「多事争論」。

金平さんは、落ち込んだ時、方向が見えなくなった時、

筑紫さんの遺言ともいうべき、この最後の「多事争論」を見るそうです。

でも、見ると辛くなるそうです。

筑紫さんの遺言を誰が受け継いでいるだろうか…と考えて。

「皆さんも一緒に辛くなってください」

そう言って、筑紫さんの最後のシーンを見せてくださいました。

 

「ニュース23」のDNAと僕らが呼んでいるものがあります。

・権力ある者を監視しよう

・少数派であることを恐れない

・多様な意見を確保して自由な気風を保つ

そういう意志を持った番組であろうと努めてきました。

これからも、この松明は受け継がれていきます。

これからも「ニュース23」をよろしくお願いします。

(最後の部分を要約するとこんな感じだったと思います)

 

筑紫さんは「ニュース23のDNA」と言ったけれど、

金平さんは「僕は引き継いでいるだろうか」といったけれど、

これは私たち国民一人ひとりが掲げなければならない松明。

一番組で守り切れるものではない。

少なくとも、

・少数派であることを恐れない

・多様な意見を認め合う

そんな生き方を、私たち一人ひとりが目指さねば、

あっという間に戦前のような日本になってしまいそう。

 

今日の武装パレードを見た私は、本気でそう感じたのでした。

 

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ゆるす心

2016-01-05 | 平和
アメージング・グレイスは私の好きな歌です。
ジョン・ニュートンの作詞による賛美歌でゴスペルの名曲と言われています。
讃美歌の歌詞はピンときませんが、その旋律が好きです。
 
自分で歌う時は、山ノ木 竹志さんの訳詞で歌います。


1.海に生まれ 旅をつづけた
  みどり深き 森を抜け
  幾千万の月日 重ねて
  我ら 人類(ひと)と 成りぬ

2.人間(ひと)に生まれ 旅をつづけた
  果てなき荒野 さまよい
  幾千万の生命(いのち) 流れて
  我ら この地に 在り

3.畏れ知らぬ 愚かな旅人
  戦(いくさ) 憎しみ 涙
  幾千万の試練 超えて
  我ら 共に 立つ

4.恵み深き みどりの大地
  惑星(ほし)よ 海よ 森よ
  幾千万の生命 育み
  救いたまえ 我ら

  幾千万の生命 照らして
  共に 歩みたまえ 
 
 
この歌詞ではもちろんなくて、本来の讃美歌ですが、オバマ大統領がスピーチの途中で突然歌いだしたそうです。
その様子がユーチューブにアップされていました。

 
そしてそのことが元旦の朝日新聞にも紹介されていましたので、転載させていただきます。
 
 
アメージング・グレース オバマが歌った、ゆるす心
 
朝日新聞 2016年1月1日05時00分
 

かつて奴隷取引の拠点だった米南部サウスカロライナ州チャールストン。ここで昨年6月、白人至上主義の男に射殺された牧師ら黒人9人の追悼式があった。

大勢の参列者を前に、黒のスーツに身を包んだオバマ大統領が壇上に立った。

力強く進んでいたスピーチが、突然止まった。

沈黙が10秒ほど続いた。

犠牲者の同僚であるロニー・ブレイルスフォード牧師(57)が前方をうかがうと、オバマ氏は5メートルほど先の演台で下を向いていた。

「何を言おうとしているのかな」。そう思った直後、オバマ氏は伴奏なしで歌い始めた。

《アメージング・グレース なんと甘美な響き 人でなしの私を救って下さった》

たちまち総立ちの大合唱に。天を見上げ、涙を流す人もいた。

ふだん冷静に振る舞う大統領が、この日は犠牲者一人ひとりの名を、叫ぶように読み上げた。

「事件直後の遺族の行動から、大統領はこの歌を選んだと思う」。ブレイルスフォードさんは振り返る。

追悼式の1週間前。逮捕された容疑者が出廷した。遺族は一人ひとり、モニター越しに男に語り掛けた。

「あなたは私から大切な人を奪いました。もう彼女(母)と話し、抱きしめることもできません。でも私はあなたをゆるします」

「私は自分がとても憤っていることを告白しますが、憎むことはありません。ゆるさねばなりません。あなたの魂のために私は祈ります」

地元の教会で23年、ゆるすことの意味を説いてきたブレイルスフォードさんもその言葉に圧倒された。

     *

賛美歌アメージング・グレースの作詞者はジョン・ニュートン(1725~1807年)。奴隷貿易に長年携わった後、牧師になった英国人だ。

「彼は大勢のアフリカ人奴隷の売買に手を染めた。罪の償いとゆるしを求め、この歌を作ったのでしょう」

やはり追悼式に参列した同州下院議員のジョセフ・ニールさん(65)は話す。歌は海を渡り、米国で広く親しまれるようになった。

「奴隷制は米国を分断し、南北戦争の原因にまでなった。その後も、この歌は差別にあらがう歌として歌われてきたのです」

1960年代にはミシシッピ州の公民権運動家ファニー・ルー・ヘイマーがこの歌を路上で歌った。「彼女は警察官から瀕死(ひんし)の暴行を受けても、ゆるすことを歌った。この歌はアフリカ系米国人に、苦難に耐える勇気と強さを与えてきた」

オバマ氏の歌声への熱狂的な反応は、今も苦難にある人々の琴線に触れたからだとニールさんは考える。

     *

昨年12月。サウスカロライナ州コロンビアの黒人教会を訪ねた。礼拝でコリー・ローリック牧師(63)は直前に起きたカリフォルニア州の銃乱射事件の犠牲者を悼み、信者とアメージング・グレースを唱和した。

ローリックさんは「ここの部分が特別です」と言い、その一節を朗読した。

《多くの危険と苦労、誘惑を乗り越え やっとたどりついた こんなに長い道のりを無事に来られたのも神の恵み 神の恵みは私を故郷にも導いてくださる》

退役軍人のロバート・ジョンソンさん(74)は言った。「私たちアフリカ系は、奴隷制度や人種隔離をくぐり抜けてきた。この歌詞を聴くたびに、全ての記憶が脳裏によぎるんだ」

ジョンソンさんは、軍での体験を思い出す。

白人兵士が飲食店で座って食事している時も、黒人は「向こうへ回れ」と追い返された。裏手に回ると、店の壁に開いた穴からパンが出てきて路上で食べた。

「国家のために戦おうという時に、その国で座って食事できなかった」

半世紀前の記憶。それでも、今も胸が痛む。

独立宣言で「平等」をうたった米国は今年、建国240周年を迎える。人種や宗教に起因する憎悪犯罪はなおも絶えない。7年前、初のアフリカ系大統領として華々しく就任したオバマ氏の任期は残り1年。彼が掲げた「一つのアメリカ」の理想は、いまだ遠い。

それでも、ローリックさんは「ゆるし」を説く。

「我々の歴史は、痛みの歴史。何か被害を受けた時、ゆるせなければ、いつまでも憎しみに心を支配される。ゆるすことは、自らを解放することなのです」

隣のジョンソンさんが身を乗り出して言った。「(何が起きても)私たちは前進しないといけないからね」。ローリックさんが「その通りだ」と応じた。2人は顔を見合わせて大きく笑った。

 (チャールストン、コロンビア〈サウスカロライナ州〉=金成隆一

     ◇

 <黒人教会襲撃事件> 昨年6月17日、米南部サウスカロライナ州チャールストンのエマニュエル・アフリカン・メソジスト・エピスコパル教会で、黒人9人が白人至上主義の男(21)に射殺された。男は「人種間の戦争を始めたかった」と供述。チャールストンは奴隷取引で栄えた港町で、同教会は1816年ごろに白人教会を脱した黒人らが設立。焼き打ちに遭ったり、創設者の1人が処刑されたりした。1960年代には公民権運動の拠点になり、キング牧師も演説した。

 

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憎しみという贈り物はあげない

2015-11-20 | 平和

13日夜パリで起きた連続テロが世界中を震撼とさせています。

欧米諸国だけでなく、世界中が「テロには屈しない」と声明を発表、軍事力でISを叩き潰そうとしています。

大国が威信をかけて戦えば、しかも世界中が団結すれば、ISを潰すことは容易いでしょう。

でも、いつか別のテロ集団が生まれ、報復の連鎖が生まれます。

人間って愚かですよね・・・

 

でも、こんなに賢い人もいるんですね。

賢くて、そして強い。爆弾よりもミサイルよりも。

 

ジャーナリストのレリスさんが書いたテロリストへのメッセージを転載します。

 

 金曜の夜、君たちは素晴らしい人の命を奪った。私の最愛の人であり、息子の母親だった。でも君たちを憎むつもりはない。君たちが誰かも知らないし、知りたくもない。君たちは死んだ魂だ。君たちは、神の名において無差別な殺戮(さつりく)をした。もし神が自らの姿に似せて我々人間をつくったのだとしたら、妻の体に撃ち込まれた銃弾の一つ一つは神の心の傷となっているだろう。

 だから、決して君たちに憎しみという贈り物はあげない。君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈することになる。君たちは、私が恐れ、隣人を疑いの目で見つめ、安全のために自由を犠牲にすることを望んだ。だが君たちの負けだ。(私という)プレーヤーはまだここにいる。

 今朝、ついに妻と再会した。何日も待ち続けた末に。彼女は金曜の夜に出かけた時のまま、そして私が恋に落ちた12年以上前と同じように美しかった。もちろん悲しみに打ちのめされている。君たちの小さな勝利を認めよう。でもそれはごくわずかな時間だけだ。妻はいつも私たちとともにあり、再び巡り合うだろう。君たちが決してたどり着けない自由な魂たちの天国で。

 私と息子は2人になった。でも世界中の軍隊よりも強い。そして君たちのために割く時間はこれ以上ない。昼寝から目覚めたメルビルのところに行かなければいけない。彼は生後17カ月で、いつものようにおやつを食べ、私たちはいつものように遊ぶ。そして幼い彼の人生が幸せで自由であり続けることが君たちを辱めるだろう。彼の憎しみを勝ち取ることもないのだから。

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日本ブランドこそ日本を守る 柳澤協二さん講演

2015-10-04 | 平和

久しぶりに諫早に向かいました。

車窓から眺める景色のなんて穏やかなこと!

真っ青な空にすじ雲が・・

秋ですね~

と、のんびり空を仰ぐ幸せ。

いつまでも続いてほしい。

どこまでも広がってほしい。

遠い異国の地では、この美しい空からミサイルが飛んでくることに怯えている人もいる。

この国もいつかそうなるかもしれない・・そんな不安を感じさせる現政権の動きに鈍感であってはならない。

そんな気持ちで、今日の講演会場にむかいました。

 

講師の柳沢協二さんは、日本の防衛官僚でした。

2004年から2009年まで、第2次小泉内閣以降歴代内閣の下で、内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)を務めた方。

防衛のスペシャリストです。

その方が、今回の安保法制はまちがっている。

集団的自衛権の行使、アメリカに追随する抑止力では、日本の平和は守れないと断言しています。

 

国際地政学研究所理事長という専門家の視点から、日本の弱点を指摘。

大陸に近い島国の日本に、たくさんの米軍基地がある。

大陸と米国の戦争になれば、米国は日本の基地からどんどん出撃しガンガン攻撃する。

大陸からのミサイルは米国本土には届かない。

日本にある米軍基地が攻撃目標となる。

安倍さんは日本をアメリカの盾にしたいのか?

日本の防衛に効果をあげるのは米軍に同調することではなく、日本ブランドを守ること。

テロの多い中東諸国における日本ブランドとは、

アメリカによる原爆の惨劇から見事に復興し世界の経済大国になった国、

そして70年間一度も他国を攻撃していない国、

一発も撃っていない自衛隊が守る国なのです。

2004年~2006年、イラクのサマーワに派遣された自衛隊員に「一人の犠牲者も出なかったのは、

一発も撃たなかったからだ」と何度も強調されました。

当時の自衛隊員の制服は緑色でした。

砂漠の地に紛れる迷彩服の米軍とは一線を画し、砂漠では一番目立つ色の緑を選択しました。

我々は闘いに来たのではないとの意思表示だったそうです。

それでも数回、自衛隊の宿営地にイラク軍の弾が飛んできました。

でも、自衛隊は撃ち返さなかった。

そして水の補給や道路の復旧に尽力する自衛隊の姿を見て、

地域の権力者たちが自衛隊を守ってくれるようになりました。

これが日本ブランドなのですネ!

 

そんな貴重な日本ブランドを捨てる道を、強行採決までして、なぜ安倍政権は突き進むのでしょう?

国民の意思や願いを無視した政権。

憲法をも無視した政権。

しかし、その許しがたい安倍政権が、なぜか自民党の中では肯定されています。

無投票で新総裁に再任されました。

柳澤さんは言います。

来年の参院選で野党が過半数を取ることが大事。

このできてしまった法律を使わせないこと。

それには、何が何でも、この法律に反対する議員の数を増やさなければならない。

国会承認に60日ルールは無い。

衆議院で承認しても、参議院で否決すればよい。

法律があっても、それを運用しなければ意味をなさない。

 

確かにそうですね。

それを知っている若者たちは、諦めていません。

可決された後も、デモは続いています。

http://mainichi.jp/movie/movie.html?id=901003671002

 

それにしても、この声が、自民党議員にはなぜ届かないのだろう?

全員耳鼻科に行くべし!

 

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