佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

反対署名コピー

2009-09-30 | 石木ダム
とんでもないことがおきていました。

私たちが集めて県に提出した、石木ダム建設の事業認定申請に反対する署名が、
コピーされ、川棚町や佐世保市に渡されていたというのです。

詳細はこうです。

先日9月25日、第2次分6184筆の署名を「清流の会」の方々が県に手渡す時、
その中の一人が「前回6月の署名のコピーが川棚町役場に渡っていると聞いているが…」と言うと、
「石木ダム建設事務所にコピーを送った。今回はコピーしない」と答えたそうです。

それを聞いたメンバーはその足でダム事務所へ。

応対に出た所長は、
佐世保市と川棚町にコピーを渡したことを認め、
「ダム事業を共同でやっているので、情報を共有しておく必要がある」と主張。
問題意識はまるでなかったようです。それどころか、
「地域・地区別に分けて、何処が未だ石木ダムの理解が進んでいないのかを把握して其処に向けて当方の広報・宣伝・説明をしようとしているところだ」との言葉には、唖然とします。(これらの内容はあくまでも抗議に行ったメンバーからきいたものです。)

また川棚町役場では、ダム対策室長が応対。
ダム事務所から渡されたコピーをどうしたか尋ねると、
「チェックしたら役場職員が署名していたので、それをピックアップして任命権者である町長に報告した。署名簿と共に持っていった」との返事。
未だに信じられないような話です。

翌26日から新聞・テレビ等も騒ぎ始めました。

28日、県議会でも委員会で取り上げられ、
委員から「署名をコピーして市や町に渡したことは県の個人情報保護条例の目的外使用にあたるのではないか」「コピーを反対派の切り崩しに利用したのではないか」との批判の声が上がりました。

これに対し桑原土木部長は
「署名をコピーしたことは県民に石木ダム事業に疑念を抱かせ深く反省している。市や町へ渡したコピーはすべて回収したい」と陳謝したということですが、
その上で「県が働きかけに利用した事実は一切なく市や町については調査して報告する」と述べたそうで、それは私がまた聞きしたダム建設事務所長さんやダム対策室長さんの言葉とはあきらかに相違しています。


一方私たち佐世保市民も、市の対応を確認すべく、昨日29日申し入れを行いました。
私たちというのは、この署名の取りまとめ団体であった川棚の「清流の会」と、佐世保の「水問題を考える市民の会」、「石木川まもり隊」、そして佐世保市議4名です。

申し入れの内容は、この件についての事実関係を時系列的に明らかにすることです。

申し入れ書を受け取ったあと、副市長と水道局長は40分ほど口頭で説明をしてくれましたが、

事実関係としては、
6月29日に県庁で会議に出席していた水道局員が、石木ダム建設事務所職員から受け取って持ち帰った。
上司の判断で、水道局の鍵付き保管庫に入れておいた。
昨日(9月28日)回収に来たダム建設事務所職員に返還した。
「中身は一切見てないし、個人情報の流出もない」ということでした。

しかし、はじめは、受け取ったものの中身が署名であるとは知らなかったと言い、
途中から封は開けてないが、署名であることは分かっていたと言ったり、
個人情報である署名のコピーを受け取ることに、副市長は「共同事業者として問題ない」と発言するなど、意識・認識の低さが明らかになりました。

参加者の一人が、「情報の共有化とはどういう意味か?」
「この事業に反対している人がいる。その署名が○○筆集まった、という情報は共同事業者として共有すべきでしょう。しかし、それがどこの誰それだという情報が共有すべきことですか?」と、わかりやすく問いかけたのに、副市長はあくまでも問題ないと言ってました。

個人情報に関する行政のナンバー2の方の認識がこういうものだったとは・・・
なんだか寒気を感じました。


この件はひとり石木ダムに限らない、広範でとても重要な問題だと思います。

私たち一人一人が、個人として市民として、自分の意思を自由に持ち、
誰にも邪魔されず、何をも恐れず、その意思を持ち続け、
また、意思表示できるような、
そんな社会であるかどうかの根本にかかわる問題だと思うのです。


この成り行きを、当事者の一人としても、
また、私の呼び掛けに応じてたくさんの署名を集めてくれた友人たちへの責任からも、
しっかり見つめていきたい・・・






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沁みついた記憶

2009-09-27 | 石木ダム
再び、日曜日の街頭チラシ配り。

今日は「水問題を考える市民の会」として、佐世保の水事情の実態を伝え、
石木ダムの必要性の無さを訴える内容のチラシでした。

2時間で用意したチラシ900枚すべて配布しました。

はじめの1時間は市議のYさんも手伝ってくださって、総勢7人でした。


今日は、通りかかった2人の男性の方と、石木ダムについての話ができました。

一人目の方は、「うーん、実は迷ってるんだよ。前はぜったいダムは要ると思ってたんだけどね」
と言われたものだから、ここぞとばかりにいろんな情報を伝えました。

漏水のこと、現在は本当は水が足りていること、
それでも心配なら、ダム以外の代替案があることなどなど。

「そうか・・それなら僕も要らないと思う。署名とかはやってないの?」
(こちらでは珍しい、標準語を話すおじいちゃんでした)

「近いうちに始める予定なんですが、今日はやっていないんですよ。
 署名用紙ができたら、またこの辺でやりますけど、ここはよく通られますか?」

「うん、よく通るよ。そのときはまた声をかけてください。
 それに、これは大事な話だが、僕はもう年なので、すぐに忘れてしまう。
 また、説明を聞きたくなったら、あなたさんはいつもここにいるんですか?」

「いいえ、いつもいるわけではありません。 
 こちらに連絡先が書いてありますので、こちらに質問でもご意見でもいつでもどうぞ」

「いや、僕はあなたさんの説明を聞いたわけですから、 
 その説明で疑問がでてきたら、あなたさんが答えてくれなくちゃあ」

「たしかにそうですね」
私はバッグのところまで走り、中から名刺を取り出し、戻ってきておじいちゃんに渡しました。

彼は、「いやー、久しぶりに名刺をもらったなー」とにっこり。
「頑張ってください」の言葉を残して去って行かれました。


二人目の方、こちらは超頑固な推進派。

チラシを受け取り、数行目を走らせるやいなや、
さっと突き返し、「政権が変わったからいうて、のぼせあがんなよ!」の言葉。

「のぼせあがってなんかいません。政党活動でもなんでもありません。
 私たちは普通の市民として、佐世保市の水道問題を前から考えてきましたし、
 その中で石木ダムの必要性に疑問が出てきたから訴えているだけです」
「いま水道料金の値上げが検討されているのはご存じだと思いますが」と言いかけると、

「そがんことはわかっとる。ライフが火ばつけたけんね。
 ばってん、しょんなかと。水は必要じゃけん。水が足らんっちゃけん」

「いえ、実はですね、現在では水はほとんど足りているんですよ。この表を見てください…」
と、チラシに書かれている表を示しながら、ここ数年の一日平均配水量は8万トン以下で、
佐世保市の水源からは一日に10万トンが配水可能で・・・というようなことを伝えると、

「飲み水がありゃいいていうもんじゃなかと。水が十分ないと、町は発展せんと。
 あんたたちはそげんこともわからんで、よけいなことばして」

「でも、水をたくさん必要とする企業ばかりじゃありませんし、
 福岡や松山のように水不足でも発展してる都市はあるんじゃないのですか?」

「よそのことはどうでんよか!とにかく佐世保は水がないから発展せんとじゃ!」
「おいはね、佐世保で生まれて佐世保でずっと暮らしよったから、よお知っとる。
 小学校に行きよったころから何回も断水は経験しとると。
 そんころからダムを造ろうとしとったとよ。
 そいが、あんたたちのような馬鹿な連中が反対ばすっけん、いつまでたってもでけんで…
 あんときすぐ造っとったら、工業団地がでけて、オイたちはそこの工場で働くことがでけたと」

「そうでしたか…」
 (1972年ごろ、針尾工業団地なるものを造ろうとしていた話はきいていた。
  そのための工場用水確保が当時の石木ダム建設の目的だったことも。
  そして、その夢叶わず、いまそこがハウステンボスになっていることも。
  その当時この男性は学校を卒業して、地元での就職を希望していたのだろう)

「ダムができんばっかりに大阪に行ってさ、その後も関西ば転々として、
 だいぶ前に帰ってきたばって、まーだできとらんやなかね。
 こんままやったら、若っかもんは働くとこののうて、
 オイのごと、都会に出ていくばっかりたい」

「おっしゃることもわかります。では、もっと水を確保できれば、
 それはダムにかぎらなくてもいいのでしょう?」

「なーんができるとね、ダム以外で」

「雨水利用とか再生水の活用とか方法はいろいろありますが、
 海水淡水化と言って、海の水を真水に変える方法があるんですが…」と言いかけたら、
またもや制され、
「あー、そがんとは何も役に立たん!」
「オイは、よー知っとう。あの水で洗濯すると、シャツが黄色うなってどがんならん」

「えっ!?それはいつ頃のお話ですか?今の海水淡水化装置はとても性能がよくて…
 私は福岡の海水淡水化施設に見学に行きましたが、
 水道水と同じ無色透明で、水道水よりも無味無臭で…」

「あんたも福岡から来たとや?このごろ福岡のもんが長崎の問題にあれこれ口出して…」

「いえ、私は佐世保の者ですよ。それに福岡だけでなく、沖縄でも使われてますし、
 海外では日本以上に深刻な水不足の国々がありますからね。中東やアフリカなど…」

またしても
「そんなことわかっとう!」と遮って、
「オイはそのナイジェリアで2年間働いとったと。工場の中にそがん装置があって、
 その水ば使うとったと。もう20年以上前たい」

「そうですか…。
 でも、科学技術は日進月歩ですから、当時よりは海水をろ過する技術も格段に上がって
 今は安心して飲んだり洗濯できるきれいな水が作れるんですよ」

「いやー、あてにはならん。目に見えんバイキンやら、毒になるものが入っとるかもしれん。
 あんたは海の水のことはよう知っとうとね?」

「いいえ」

「そうやろう?この辺の海は、もう汚れっしもうたよ。
 海底には得体のしれんゴミがいっぱいよ。魚も捕れんごとなってきた」
「水俣病のことは知っとろうが。あっちは汚れた海の魚を食べてああなったんじゃが、
 こっちも汚れた海の水を飲まされたら、どがんことになるのか。。」
「そがんことはぜったいイヤじゃ。やっぱり、水は天からのもらい水じゃ!それが一番じゃ」

「そうですね。それはいやですね。でも、ほんとにそんなに汚れてるんですか?
 もし、そうなら、その汚れはどこからきてるんですか?
 やはり、川から流されてきてるんじゃないんですか?
 それこそ工場廃液とか…。ダムも川の途中に造るわけだし…。」

「ばっかだね。ダムは天からのもらい水ば溜めるっとやなかね。
 川の水いうても上流の方やけん、工場なんかありゃせんよ」

(ごもっとも。私がバカでした)

「でも、だとしたら、私たち人間だけがきれいな水を飲んで、川は汚れたまま、
 海の水も汚染されて、魚や海草がダメになってもいいんですか?
 やっぱり川そのものをきれいにしたいですよね」
「欧米などでは、ダムは川の環境破壊に繋がるといって、もう造ろうとしてないし、
 コンクリートの護岸を壊して、自然な川を取り戻そうとしているんですよ」

「よその国はよその国たい。日本にはダムは要ると!特に佐世保にはダムはいると!」

「でも、石木ダムは佐世保にできるわけじゃないですよね。お隣の川棚町に造るわけで…。
 そこに住んでらっしゃる人たちは、ぜったいここに住み続けたいと言い続けておられるわけで…
 その方たちの権利を奪うことが私たち佐世保市民にできるんでしょうか?」

「権利とか何とか難しかことはよか。とにかく水は要ると。」

「わかりました。でも、ですよ。ダムがあればぜったい安心ですか?
 昔のような大渇水がおきたら、石木ダムがあっても給水制限は避けられないと
 水道局も言ってますよ」

「そりゃ、そうたい。石木ダムはたいして大きゅうはなかもんな。
 ばってん、なかよりゃよかたい。なかったら、もっと断水とかが続くんやけん」

「その点、やはり海水淡水化施設があれば安心ですよ。海の水なら渇水の心配はないでしょ?」
「いえ、おっしゃりたいことはわかります。ただ、現実も見てください。
 福岡も水不足で苦しんだ末、あの施設を造り、現在、一日5万トン近くの真水を造ってます。
 その量は市民の生活用水に換算すると25万人分にもなるんですよ」
「しかも、玄界灘のきれいな海水を真水にして、残りの濃縮された海水は下水処理水と混ぜて
 福岡湾に流しているんですが、そのおかげで福岡湾がきれいになっているそうです」

「たぶん安心できないとおっしゃるでしょうが、もしも、もしもですよ。
 ほんとうにきれいな安心できる水を海水から造れるのなら、
 海水淡水化施設こそ、水不足を解消する手段になりますよね?」

「…。まあな。ばってん、福岡と違うて、こっちじゃそりゃいつになるやらわからんと」
「とにかく、今はダムが一番よかと。ダムば早よ造らんば。
 あんたちが邪魔すっけん、ますます遅れよる!これ以上よけいなことはすんな!」

そう言って、去っていかれました。。


子どものころの辛い渇水体験。
社会人になろうとしたとき、地元に職場がなくて都会へ出ていかねばならなかった悔しい思い。
過酷な水不足環境の海外での労働経験、そこで出会った未熟な海水淡水化装置。

一人の人生経験の中で水にまつわる記憶の数々。
辛い思い出がしっかり沁みついていた。

いま、彼の中では、新しい情報や理屈など、なんの役にも立たないかのように見える。


伝えることの難しさを改めて感じるとともに、
私もたくさんのことを教えてもらいました。

私には水にまつわる、沁みつくほどの思い出など何もなく、
空気のように当たり前のものとして、その恵みを受けてきて、
ただ、知識や情報だけを頼りに訴えている。

この男性とのやりとりをブログ上に再現しながら、
薄っぺらな自分の姿を認識することができたのは、とてもよかった・・・。

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県庁へ

2009-09-26 | 石木ダム
24日午後、県庁へ。
県議会の「改革21」の部屋を訪れました。
この会派は、民主党と社民党と無所属の議員さんたち13人が集まっています。

約束の4時、奥の部屋(応接室でしょうか?)に通されましたが、椅子が足りません。
何しろ、川棚・佐世保・福岡から計15名が集まるとは全く想定外のことだったのでしょう。
議員さんたちは、13名中7名だけ。あとは委員会が長引いていて不在とのことでした。

「清流の会」のMさんと「反対同盟」のIさんが挨拶し、
石木ダム不要論の根拠を「九州住民ネット」のHさんと、「石木川まもり隊」のMさんが一生懸命説明しました。

が、議員さんたちに大きな反応はなく、質問もほとんど出ません。
いま話題となっている143のダム(国交相が見直しを検討するとした全国のダム)の中に、
石木ダムが入っていることさえ知らない議員もいました。

中央と地方の違いはわかってたこととは言え、やはりがっかりです。

翌日知事宛てに署名を提出するが、そのとき同行してもらえないかとの願いには、
「民主党(県連)は未だ態度を決めてはいない」ので同行できないとして、
「今日で終わりではなく、又そのうち、勉強をさせてもらうということで・・」
ちょうど時間となりました。

ちょっと期待外れの一日でしたが、
県庁の廊下でばったりS県議にお会いして、元気をいただきました。

「先週の日曜日、チラシ配りやったんですね。声かけてくれればよかったのに」
「・・・?」
「僕も隊員ですから」

・・・  


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有明海訴訟・意見陳述

2009-09-25 | 有明海・諫早干拓
先日、有明海訴訟のことをブログに書きましたが、
その後いろんな方からコメントやメールをいただきました。

私がそうだったように、
この問題が今も続いており、漁民の方々にとってより深刻な事態になっているということを
全く知らなかったという感想が多かったです。

そのことを原告団のお一人である「しのさん」に伝えましたら、

  人間は自分が幸せで平穏な環境では、
  そういう酷い目に遭うなどとはドラマの世界のこと位にしか思いません。
  ごく普通の人は、自分の身の回りの出来事にさえも「ひとごと」位にしか認識がなく、
  いかにして事実を正確に伝えていくかが大事なことだと思います。

という返信があり、
しのさん自身が福岡高裁で発言した意見陳述書の原稿を添付してくださいました。

私も「事実を正確に伝えていく」ことの大切さを痛感する一人として、
ご本人の快諾を得ましたので、この陳述書を皆さんにご紹介させて頂きます。

是非、お読みください。



平成20年(ネ)第683号 工事差止等請求控訴事件
控訴人兼被控訴人   国
被控訴人   松本正明ほか49名
控訴人   松藤文豪ほか50名


                意 見 陳 述 書

福岡高等裁判所 第1民事部イ係 御中

                    長崎県島原市有明町********   
                           被控訴人  ****   

1 はじめに

 私は、長崎県島原市有明町の漁民です。有明漁協に所属し海苔養殖をしています。
 平成20年6月27日、「よみがえれ!有明訴訟」における佐賀地裁の開門判決は、有明海漁業の将来に一筋の光が見えた判決でした。この判決を聞いた瞬間「これで何とか漁業で生き延びられる。」と、心の底からそう思いました。
 私たち漁民は、上京し国に対し控訴を断念し裁判所の判決どおりに開門調査してくれるよう何日も何日も農水省で陳情しました。
 しかし、国は無情にも控訴しました。
私は、佐賀地裁でも漁民の深刻な現状について意見陳述いたしましたが、佐賀地裁の開門判決以降も有明海の状況は悪くなる一方であり、もう一刻の猶予もないということを裁判所に理解していただくために、本日、再び意見陳述をさせていただくことを決意しました。

2 ここ1年間の状況

(1) 被害の拡大
 平成9年に諫早湾が締め切られてから、幾度となく大規模な赤潮被害、排水における汚水とヘドロの拡散などで私たち漁民は苦しんできました。
 最近の傾向として感じることは、調整池からの排水の際、一気に大量排水するために、排水の翌日には有明町地先まで濁りが到達し、ヘドロの拡散が広範囲に広がっているということです。
 今年に入り、また新たな有明海異変が始まっています。新聞、テレビでも報道されましたが、アサリの産地である熊本県沿岸の干潟にアナアオサと呼ばれる青海苔やホトトギスガイが大量発生しアサリ漁が出来なくなったということです。
 有明町地先の干潟では、平成9年に諫早湾が締め切られてからまもなくして、同じような状況になり被害は年々ひどくなっています。
 かつてアサリなどが獲れていた干潟は、今は見る影もなく、広範囲にアナアオサとホトトギスガイでヘドロ化し、そこを歩けば足首より深くぬかるみます。
 報道された熊本県沿岸の状況は、有明海の環境悪化がさらに広がっていることを示しています。
 一方、7月に有明海、八代海、橘湾で広範囲に発生したシャトネラ赤潮では、特に魚類養殖に甚大な被害があり、同じ漁業を営む者として、現地の漁民の苦しみには、本当に心が痛みます。
 以前は、大雨が降っても、魚が死ぬようなひどい赤潮は出ませんでした。また、たとえ赤潮が出ることがあっても、早い潮の流れで海水が入れ替わり、数日で収まっていました。
 漁業の中でも、養殖という仕事は生産から出荷までには相当の経費が掛かります。今回のような事態になれば損害は計り知れません。再び必ず起こるであろう赤潮への不安や次の生産を始めるための運転資金にも困り、廃業せざるを得なくなります。
 現在の有明海には、海底に赤潮の原因となるプランクトンの卵のような「シスト」と呼ばれるものが海底に眠っています。条件が整いさえすれば、再び大発生しますから、不安で仕方ないのです。

⑵ 海苔養殖業の状況
 海苔養殖も、ここ3年ほどは生産量、生産金額ともに振るいません。特に平成19年度、平成20年度は以前行っていなかった4月入札を含めた数字ですから完全に不作です(資料1、2)。
 ある海苔生産者が、「海苔が終わったときにはお金も残っていなかった。」と言うくらい経営状況は厳しく、今年も廃業者が出ました。他の生産者も廃業予備軍といっても過言ではありません。
 8月5日~7日の3日間、平成21年度海苔養殖の支柱を立てる漁場を区割りするために干潟でくい打ち作業がありました。
 海苔養殖をする干潟の状況は酷いものでした。アナアオサの繁殖、ホトトギスガイによるぬかるみは先ほども述べたとおりです。何より驚いたのは、あの大規模なシャトネラ赤潮の影響か、干潟から腐敗臭がしていたのです。
 しばらくは潮が満ちてくるときにも海の近くの家にまで異臭が漂ってきていました。この後、そこからは硫化水素が発生するものと思われ、今シーズンの海苔養殖もどうなってしまうか非常に心配です。

⑶ 漁船漁業の状況
 漁船漁業の場合はもっと悲惨です。これまで30代、40代の特に子供が学校へ通っている家庭の若手漁民が、何人も生活が出来ないために陸(オカ)に上がりました。
 しかし、陸(オカ)にあがれた者は、まだ良いほうです。仕事を見つけられない者は魚が取れない海で漁具を増やして無理して仕事を続けています。
 一方では、父親が漁を引退して息子夫婦で漁に出ていた家が、水揚げが少ないために嫁さんがパート勤めで家計の補充をしなければならず、引退した父親が高齢を押して再び船に乗っている家もあります。年齢を考えるともう何年も続かないのは明白であり、有明海がこのままの状況ならどうなってしまうのでしょうか。

⑷ 死亡者の急増
 諫早湾干拓が始まってからすでに20名以上自殺などの犠牲者が出ています(資料3)。
 かつて有明海が「宝の海」と呼ばれた頃はこのようなことはあり得なかったことです。まさに異常としか言いようがありません。
 有明町では今年に入り3月に1人、7月に2人と働き盛りである50代の漁民が、相次いで亡くなられました。
 このうち1人は、「公金支出差し止め訴訟」と「よみがえれ!有明訴訟」の原告でもありました。有明海再生の志半ば病に倒れたのです。今、漁民の生活Zは困窮を極めています。少々体調が悪くても生活が苦しいためになかなか病院にも行けないのです。無理にでも働かなければ生活ができませんし、病院代にも苦労されていたのではないかと思います。結局、病院へ掛かった時には手遅れだったそうです。
 7月に亡くなられた漁民のうちの1人は自殺でした。この方は、諫早湾が締め切られてからは特に水揚げが少なくなったために、漁に出る回数を増やさなければならず、働き尽くめで「体がキツイ、キツイ。」と回りに話されていたそうで肉体的、精神的疲れから自ら命を絶たれたものと思います。
 諌干さえなかったらこの漁民が自殺することもなかったと思うと、本当に悔しいです。
 もう1人は心不全での突然死でした。この方も、諫早湾の締め切りで水揚げが少なくなり、そのころ3人の子供さんが社会人になる前であったために、漁の合間に休むまもなくアルバイトなどで生活を支えていたそうです。無理が祟ったのでしょう。やっと子供さんが社会人になった矢先の出来事で、ご本人の無念は察するに余りあります。
 諫早湾の締め切りから何年も何年も不漁が続き、生活のために寸暇を惜しんで仕事をしなければならず、肉体的負担はとても大きくなっています。将来にまったく希望が持てない状況で、漁民は強いストレスと不安を抱えて精神的負担も大きくなっています。
 もう今や漁民の生活は極限状態で、これから先も犠牲者がいつ出てもおかしくありません。

3 私たち漁民が裁判所に望むこと
 有明海が「宝の海」と呼ばれたころは、有明沿岸地域は自然の恵みにより繁栄していました。
 しかし、諫早湾干拓事業は、有明海を「死の海」に変え、沿岸地域の経済も人々の心もずたずたにしました。
 私たち漁民が裁判所に望むことは、今もなお有明海異変は続いているということを裁判官の目で実際に見てから、判断をしていただきたいということです。
 今、有明海で何が起こっているのか、干潟がどうなっているのか、漁民はどんな思いでいるのか、旧干拓地はどうなったのか、干拓農地は本当に大丈夫なのか、営農者はどう考えているのか、沿岸地域の人々の生活はどうなっているのか。
 漁民が何年も、何年も裁判所に通い有明海漁業の窮状を訴えねばならないことが普通のことなのでしょうか。私は、こんなことはおかしいと思っています。
 私たち漁民は有明海で以前のような漁ができることを望んでいるだけです。
 有明海とその周辺地域の現状を、現地に赴き、その目で、その耳で確かめてください。私たち漁民は、現地で苦しんでいるのです。
 その上で、有明海漁業と地元農業が共存共栄し、有明4県の沿岸地域再生に繋がる道筋をつけていただくことを切に希望いたします。
                                    以 上
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プルサーマルを止める1万本の矢大作戦!

2009-09-24 | さよなら原発

地方には元気で素敵な若者がたくさんいます。
NO MOXの仲間たちもそう。

佐賀のYさんは、無農薬野菜を作り、ジャンベというアフリカの太鼓をたたき、
反プルサーマルの運動も頑張っています。

Yさんのアピールを、Yさんの友人のEさんが転送してくれました。
Eさんは若き陶芸家です。

彼女たちはいつも自然体で、しなやかに軽やかに、よりよい社会を目指して活動しています。

先日の佐世保市議会に提出した請願不採択時の議員さんたちのコメントや、
民主党や連合が原発推進という立場表明などの記事を読んで、
私の中では少々あきらめムードが漂っていましたが、

いけない、いけない、
最後の最後まで希望は捨てずに、できることを続けるのみですね。

以下のアピールを読んで、是非ご協力をお願いします。


プルサーマルを止める1万本の矢大作戦!

佐賀県玄海原発プルサーマルも、早ければ10日ほどで燃料が装荷されてしまいます。
諦めず、県知事、九電へ声を届けたいと思います。
全国からたくさんの思いが届けば、これはニュースになります。
毎日、何通でも構いません。文字だけでなく、お子さんの絵でも、とにかく思いを伝える事です。
ぜひみなさんの協力をよろしくお願いします!!

送り先 (古川康 佐賀県知事)TEL 0952-25-7007    
                   FAX 0952-25-7288    
     メールフォーム http://www.saga-chiji.jp/teian/                              

     (九州電力)TEL 092-761-3031    
            FAX 092-761-6944    
メールフォーム 
https://www1.kyuden.co.jp/cgi-bin/inquire/inquire.cgi?op=0&categori=104


九電HP>お問合せ>お問合せフォーム>原子力発電>記入してOK
(注)必ずあなたの名前と住所をはっきり明記して送ってください。

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チラシ配り第2弾

2009-09-21 | 石木ダム

昨日、「石木川まもり隊」による石木ダム反対のチラシ配り第2弾を商店街でやりました。



1時間で用意したチラシ700枚、全部受け取ってもらえました。

今回も、受け取りを拒否する人、無視する人など、もちろん少なからず・・
でも、前回と違う手応えを一つ感じました。

それは、受け取った人の多くがすぐ内容に目を通していたということ。




若い女性も、




親子連れも、




立ち止まって読みふける年配の男性も・・


これは嬉しい現象でした。

通常は、チラシを受け取るやいなや、すぐにカバンやバッグにしまいこんだり、
手に持ったまま、どこかゴミ箱でもあれば捨ててしまおうかな・・
みたいな雰囲気の人も見かけますが、

今回は、受け取るとすぐ中を開く人がけっこういたのです。

今回のチラシは二つ折りにしましたので、小さめで、受け取った時は表紙しか見えません。
「あなたは本当のことを知っていますか? 石木ダムについて考える3つのヒント 」
というタイトルです。

それを見て興味を感じた人が中を開いて読んでくれたのです。
それはきっと、水道料金値上げ問題への関心と、
その問題と石木ダムの関連を記事にしてくれたタウン誌「ライフ」の効果だと思います。

どれだけの人が納得してくれたかはわかりませんが、

へー、そうなんだ・・

ふーん、ほんとかなあ?

などと感じて興味を持ってくれたら嬉しいです。


私たちがチラシを配っている横でお花を売ってたオバチャンは、
「ダムは要るばってが、やり方がまちごうとったもんね」と言いました。

どうしてダムが要るのか訊くと、水不足だから、と予想通りの返事。
チラシの中を開いて、このように今はほとんど足りていて、
足りなくなる時もあるけれど、それはめったになくて、その量も・・・と説明をすると、

「そうね。なら、いらんね。あんたたちは川棚の人?」
「いいえ、佐世保市民です」
「川棚の人に頼まれてやりよっと?」
「いいえ、水の問題は佐世保市の問題ですから、自分たちの意思でやっています」
「なら、ボランティア?」
「?・・・まあ、そんなようなもんです」
「えらかねー。頑張ってねー」
と言われました。

共感してもらえたのか、からかわれたのか、よくわかりませんでしたが、
悪意は感じなかったので、「ありがとうございまーす!」と言ってその場を離れました。

また、向かいの喫茶店から従業員の方が近づいて来られた時は、
(あ、さっきお店の入り口に近づき過ぎたので営業妨害だと怒られるのかな)
と、思わず身構えましたが、そうではなくて、
「私にも1枚ください」でした!

また、一番熱心に聴いてくれたのは、ベビーカーを押していた若い男性。
彼は、「環境面でダムには賛成したくないけれど、佐世保は水不足だから仕方ないと思っていた」
と言い、チラシに示した数字にイマイチ半信半疑の様子。

「パソコンやります?インターネットやります?水道局のホームページを開いて中に入っていくと、前日の総配水量が表示してある場所があります。ちょっと見つけにくいかもしれないけど。この資料はそこにある数字や、水道局がまとめたデータを基にしているんですよ」
と言うと、すごく納得した雰囲気でした。

それで図々しくも、周りのお友だちとかにも伝えてもらえますか?とお願いしたら、
このチラシを2部余分にもらってくれました。

若いお父さんの後姿がとても頼もしく見えました。 




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石木ダム建設の是非を考える市民集会

2009-09-20 | 石木ダム
19日、長崎市で開かれた「石木ダムの是非を考える市民集会」に参加してきました。

「自主・平和・民主のための広範国民連合長崎」の主催、「清流の会」共催で、
石木ダム問題の詳細は、「九州住民ネットワーク」のHさんから説明がなされました。

その後、建設予定地住民を代表してIさんの発言もあり、皆真剣に耳を傾けました。

意見交換は大変活発で、佐世保市の漏水問題をはじめ無策ぶりが大いに批判され、
佐世保市民としては身の置き所がないようなつらい立場でしたが、
それにもめげず、佐世保の水事情の現状や、市民有志による反対運動の活動状況など、
Yさんと共に発言させてもらいました。

過去にさかのぼって強制測量のころからずっと心を痛めておられた83歳の方の発言、
海水淡水化やスーパーウオーターを検討してはどうかという提案、
漏水対策はその気になって取り組めばむずかしいことではないと、長崎市の事例紹介等々、
参考になるお話をたくさん聞かせていただきました。

元長崎市長本島さんも発言され、
以前金子知事と二人で話した時、石木ダムは止められないのかと訊いたら、
「やめられません」建設省の金がもう相当入っているのでと言ったというお話や、

かねてからのアイデア(大村湾に水を貯蔵する大きなプールを浮かべる)もご披露。
100m×100m×深さ30mのものだと、30万トン保管できる。
それが10個あれば300万トンだ。と説明されました。

な~るほど。素人の私にはすごくグッドアイデアだと思えるんですが、
ずっと前からおっしゃっていてそれが具体化されないのは、専門的には難しいものがあるのかな…





昨年長崎県民になったばかりの私は、本島さんをこのような間近で見るのは初めて。
まだまだお元気なご様子で嬉しくなりました。 
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水道料金と石木ダム

2009-09-19 | 石木ダム
9月17日、18日二日間に渡り、佐世保市議会企業経済委員会の傍聴に行きました。
このところ佐世保市民をビックリ仰天させた水道料金値上げについて審議されるからです。

来年2010年4月から現行の27.35%アップ、
2年後の2012年4月からは、さらに2%上積みして現行の29.35%アップするという。
つまり30%近い数字をいきなりつきつけられました。

しかも、水道局の経営ひっ迫の理由の一つに、市民の節水による水道使用量の減少があげられ、
それは水道局にとっては収入減であり、赤字要因を生み出しているというのです。

他にも不況による企業の水道使用量減少、大口使用者であう米軍基地の需要の減少、
老朽化した施設設備の整備費の支出増加などがあげられているけれど、
市民にとってどうしても納得がいかないのは節水→値上げの部分。

常日頃、水道局が「佐世保は水が足りません。慢性的水不足です」「水は大切に使いましょう」
と言うから節水に協力してきたのに、そのお返しが値上げなの?という声はあちこちで聞かれます。

私自身は、本当に必要な値上げならやむを得ないと思っています。
例えば、徹底的な漏水対策を実行するために必要な工事費だったり、
雨水や再生水を利用するための設備投資の費用だったり、そういうことのための値上げなら。

今回の値上げの本当の理由は何なのか?
本当に回避できない状況なのか?
そういうことが知りたかったのです。


重要案件だったので、審議は長時間に及びました。
委員の手元に配られた資料は膨大で、それに関する水道局側の説明を聞くだけでもかなりの時間を要します。
しかも、わたしたち傍聴者には資料が渡されないのですから、必死に聴き耳たてても理解困難。
結果、傍聴者は少しずつ減ってゆき、また友人たちも用事があったので最後まで残ったのは私だけ。

ところが、みんながいなくなった二日目の夕方から様相が急変。

それまで、水道局を鋭く追及してきた委員たちは、すべてを聞き終わって、
やっと「石木ダム」に言及してきたのです。

ほとんどの委員が石木ダム推進派なのですから、わかってても避けていたのか、
それともやっと理解したのかは私にはわかりませんが、とうとう一人の議員が言いました。

「このままでは水道局はやっていけない。なぜなら石木ダムがあるから」

つまり、この余裕のない経営状況の水道局にとって石木ダム事業が多大な負担になっていること、
仮に今回の値上げを認めても、数年後にはまたさらなる大幅な値上げが必要になるだろう、
これだけの負担を水道局に負わせるのは無理だ、一般会計から補てんすべきだという意見でした。

それが可能かどうか当局の考えを聞くため、副市長や財務部長を呼びますか?
との委員長の問いに全員が同意。
30分ほどの休憩をはさんで役人たちが会議に参加することになったのです。

思わぬ展開に友人たちに電話すると、みんな集まってきて、6人でしっかり傍聴しました。

副市長や財務部長は委員の意見を聞いても、もちろんこの場で確約できることではなく、
石木ダム事業費に関しては、一般会計からも3分の1は負担しているとか、
仮に一般会計からさらなる支出をすることになると、他の何かを削らなければならず…
など同じことを繰り返すばかり。

「この大事なときに市長はどこに行ってるんだ?」
上京してるとの返事に
「何の用事だ」
けれどもちろん副市長はだんまりです。
「今日この重要案件が審議されるのはわかっていたはず」
「石木ダムをお願いしている市長が肝心な時に・・・」
「これはゆゆしきことですよ」等々の声も上がる中、

結局、市長はじめ関係者で検討するので時間がほしいとの副市長の言葉に委員たちも了解。

夜7時、企業経済委員会の採決が始まりました。
90号議案、92号議案、等々次々に可決されていき、いよいよ問題の100号議案・・・

全会一致で、継続審議となりました。

これは、市民の怒りが議員を動かしたのかもしれませんが、
12月議会でどういう結果になるか、私たち市民が今以上の関心を持つことが大切です。

仮に一般会計から支出され、水道料金の値上げが見送られるか少額値上げに抑えられるかしても、
結局は市民のお財布から出ていくことに変わりはないわけですから。

そこまで負担しても必要なダムなの?
と、少しでも多くの人が考えてくれるきっかけになるといいなー


水道局も市民もムダな公共事業の犠牲にはなりたくありませんよねー 

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請願

2009-09-18 | さよなら原発
玄海原子力発電所でのプルサーマル実施延期を求める意見書の採択を求めて、
9月の佐世保市議会に請願を出しました。

その趣旨説明が9月17日に行われました。

佐賀県内では16の市町議会に請願書や陳情書が提出されたときいていますが、
長崎県内では初めてです。

請願者は、20代や30代の若者の集まりである「私にできることを考える会」です。

みんなを代表してEさんが趣旨説明、応援団は私も含め仲間4人と、紹介議員のYさん。

請願はもちろんのこと、委員会傍聴の経験もなかったEさんは、頭が真っ白になってしまって、
何を言ったらいいのか、みんな飛んでしまった…と、終わってからとても落ち込んでいました。

Y議員は、「この請願をしたことでこの問題を議員のみなさんに知ってもらったということと、
こういう行動をしている市民がいるという事を示せたことがよかったんです。
請願したっていう事に意味があるんです!」とおっしゃったけど、本当にそうだと思いました。

請願の補足説明文のコピーだけでなく、プルサーマルの仕組みをわかりやすく絵にしてきたり、
たどたどしくても一生懸命説明している彼女の熱意と純粋な思いは、きっと伝わったと思います。

残念ながら、今日18日の採決の結果は、全員一致で不採択となりましたが、
彼女が投じた一石はきっと議員さんたちの良心に届いていると信じたい・・・

自分たちがいかに不勉強であったか、
地球の未来を真剣に考えている若い人たちが佐世保にもいるんだなと感じてくれたと信じたい。

信じたいけれど、あの不採択の理由をきいていると、虚しさを覚えたのも事実です。

「国の厳格な審査を受けて許可されたのだから大丈夫」

厳格でもなんでもない、確実な実験もしていないってことを一生懸命訴えたはずなのに…。

そして、ある議員はこう言われました。

「請願者は危険だと言われたが、原発には働いている人がいる。
 中にいる人が一番よく知っているはず。
 安全性が確保されているから働いているんでしょう?」





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よみがえれ!有明海訴訟

2009-09-15 | 有明海・諫早干拓


昨日長崎地裁で開かれた「小長井・大浦漁業再生等請求事件」を傍聴し、
その後、市立図書館での裁判報告集会にも参加してきました。

それは、関係者以外にもそこに集まる多くの支援者や十数人の弁護団の方々、
つまり環境問題に高い関心を持っていらっしゃる人たちに石木ダム問題を訴えるためでした。

地元「清流会」のIさんの訴えを応援し、私たちが作ったチラシを配布させて頂きました。

そして、前から関心はありながら不勉強のまま過ごしていた諫早干拓の問題を少しでも知りたい、
という思いもありました。


この日の裁判は40枚の傍聴券を超す人々が集まり(ざっと見たところ60人くらい?)、
私もクジを引き、幸い「当たり」でした。

開廷し、まもなく原告の漁師の方の意見陳述が始まり、その話に衝撃を受けました。


その方は53歳とのことでしたが、
有明町では今年に入り、50代の漁民が相次いで3人亡くなり、その内の1人は自殺、
また、大浦でも7月に1人漁師が自殺したというのです。

何年待っても開門されず死にかけた有明の海。年々深刻になる不漁。
昨年佐賀地裁が開門を命じたのに、国は控訴。
望みを断たれ、漁業への展望が全く見えず、「自殺を選ぶしか途がなかった」のか。

その漁師は、こう言いました。

    私は、今はなんとか首をくくらなくてすんでいますが、
   あとどれだけ我慢できるのか、全く自信が持てません。
   漁民の自殺の知らせを聞くたびに、
   明日は我が身かと背筋が寒くなる思いです。
    でも、私が首をくくるときは、諫早の堤防でくくります。
   そうすれば、大々的に新聞に載って、
   諫早干拓事業の抱える大きな矛盾が、
   全国民に知れ渡ることになるでしょう。
    私は、有明海を守るためには命をかけて抗議する。
   それくらいの覚悟があるのです。


続いて原告ら訴訟代理人弁護士の意見陳述があり、さらに驚かされました。
「1999年1月以来、マスコミに明らかになっているだけで22名の漁民が自殺しており、
人知れず命を絶った漁民を含めるとその数は何倍に膨らむか知れません」と。

こういう事実を全く知らなかった自分自身を恥じるとともに、
ここにいたってもなお開門に反対をする長崎県知事や国の考えが、全く理解できません。

昨年6月の、国に開門を命じる佐賀地裁の判決に対し、国はアセスを理由に開門しようとしません。

しかし、アセスは「まやかし」であり不要だというのが原告団の主張です。
なぜなら、2002年にすでに短期開門調査を行っており、
このときの農水省は、開門を決意してわずか4日で実行しています。

当時の農水省が作成したお知らせのパンフレットには、
土のうを設置し塩水の侵入を防ぐので、開門しても「潮遊池からの農業用水は今までどおり使えます」と断言し、農業者の理解を求めています。

そして、約1ヵ月間、海水を調整池に導入しましたが、その約束どおり、農業用水への被害は出ませんでした。
さらに、漁業については、驚くべき好影響が出たのです。

◦開門後3,4日で調整池の水質が劇的に改善
◦島原半島沿いに、開門期間中に限って大規模な潮目が発生
◦有明海奥部で何年も捕れなかったタイラギが回復
◦有明町沖合に多数の稚魚が出現

などなどで、これこそアセスの調査そのものと言っていいでしょう。

アセスをしないと開門できないというのは言いわけで、短期開門することそのものがアセスだと、素人の私でも感じます。

農水省が提案しているアセスによると、開門まで最短でも6年の期間を要するそうです。
それまで有明の海は耐えられるでしょうか?
漁民は待てるでしょうか?

これ以上の環境破壊と漁民生活の破壊は止めて、一日も早く開門してほしい・・
と切に願います。


帰るとき、島原の漁師Sさんが「頑張ってくださいね。一度決まったら元に戻すのは大変だから」
と、声をかけてくださいました。
実感のこもった声でした。

ご自分たちが生き残れるかどうかの瀬戸際にいて、石木ダムのことを心配して下さるお気持ちが
本当に本当に嬉しかった。。





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