佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

18人が通り過ぎたわけ

2011-12-23 | 雑感

何日前だっただろう、中国で、車に轢かれた女の子を誰も助けなかったというニュースを聞いた。

が、途中からだったので全容も知らないまま、記憶は薄れかけていた。

今日、夕方のニュース番組で、現地まで出かけて取材したジャーナリストの報告があった。

 

まず、事故の全貌が映っている録画映像が流れた。

それは、商店街が立ち並んだアーケードの通りだった。

1台のワゴン車が女児(2歳)を撥ね、車の下に倒れたその子を後輪が轢いた。

直後に、そのそばを歩いて通る若い男性。

全く気付いてないようで、顔も前方を向いたまま一顧だにしなかった。

が、その足は明らかによけて通ったので、気付いていたことがその時わかった。

その後も、数人の徒歩の人、自転車、バイク、車など通り過ぎていった。

横を通りながら顔を向ける人もいるが、無視に近い状態の人の方が多かった。

1台のトラックは徐行しながら、その女児の上を通って行った。

車は確かに2回バウンドしていた。。

母と子の二人連れもいたが、やはり足を止めることはなかった。

そうやって18人が通り過ぎて行って、やっと19人目の女性が、その子を抱えて道の端に移動させた。

その時女児がまだ生きていたことに私は初めて気付いた。手足が動いていたから。

そばを通り過ぎた人たちは生きているのがわかっていて、瀕死の子どもをなぜ助けようとしなかったのか!

あらためて、そのニュースに強い衝撃を受けた。

 

そのジャーナリストも同じ思いだったらしい。

なぜ人々は子どもを助けようとしなかったのか?その謎を解きたくてやってきたと言っていた。

その謎を解くカギは3年前の事故にあった。

 

バスから降りた老女が誰かに押され転倒した。

一人の男性が彼女を助け病院に運んだ。

ところが後日、その老女は自分を転倒させたのはその男性だとして、彼に損害賠償を求めた。

裁判所も老女の言い分を認め、男性に高額の賠償金支払いを命じた。

男性の無実の訴えは通らなかった。

なぜなら、「やましいところがあったからわざわざ助けたのだろう?」というものだった。

 

似たような事例は中国内のあちこちで起きているらしい。

そんな世相の中で、人々は人助けをするとかえって損をする、と思うようになっていったという。

それが真相だとすると、人助けをしない=君子危うきに近寄らず

という風潮が広がっていったんだろうと理解できる。

しかし、それ以前のことについては理解できない。

 

つまり、助けられた人たちが、なぜ自分の恩人を訴え、お金を奪い取ろうとしたのか…

それがどうしてもわからない。

いかに生活に困窮していたにしても、そこまで人として落ちていくものだろうか。。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする