何日前だっただろう、中国で、車に轢かれた女の子を誰も助けなかったというニュースを聞いた。
が、途中からだったので全容も知らないまま、記憶は薄れかけていた。
今日、夕方のニュース番組で、現地まで出かけて取材したジャーナリストの報告があった。
まず、事故の全貌が映っている録画映像が流れた。
それは、商店街が立ち並んだアーケードの通りだった。
1台のワゴン車が女児(2歳)を撥ね、車の下に倒れたその子を後輪が轢いた。
直後に、そのそばを歩いて通る若い男性。
全く気付いてないようで、顔も前方を向いたまま一顧だにしなかった。
が、その足は明らかによけて通ったので、気付いていたことがその時わかった。
その後も、数人の徒歩の人、自転車、バイク、車など通り過ぎていった。
横を通りながら顔を向ける人もいるが、無視に近い状態の人の方が多かった。
1台のトラックは徐行しながら、その女児の上を通って行った。
車は確かに2回バウンドしていた。。
母と子の二人連れもいたが、やはり足を止めることはなかった。
そうやって18人が通り過ぎて行って、やっと19人目の女性が、その子を抱えて道の端に移動させた。
その時女児がまだ生きていたことに私は初めて気付いた。手足が動いていたから。
そばを通り過ぎた人たちは生きているのがわかっていて、瀕死の子どもをなぜ助けようとしなかったのか!
あらためて、そのニュースに強い衝撃を受けた。
そのジャーナリストも同じ思いだったらしい。
なぜ人々は子どもを助けようとしなかったのか?その謎を解きたくてやってきたと言っていた。
その謎を解くカギは3年前の事故にあった。
バスから降りた老女が誰かに押され転倒した。
一人の男性が彼女を助け病院に運んだ。
ところが後日、その老女は自分を転倒させたのはその男性だとして、彼に損害賠償を求めた。
裁判所も老女の言い分を認め、男性に高額の賠償金支払いを命じた。
男性の無実の訴えは通らなかった。
なぜなら、「やましいところがあったからわざわざ助けたのだろう?」というものだった。
似たような事例は中国内のあちこちで起きているらしい。
そんな世相の中で、人々は人助けをするとかえって損をする、と思うようになっていったという。
それが真相だとすると、人助けをしない=君子危うきに近寄らず
という風潮が広がっていったんだろうと理解できる。
しかし、それ以前のことについては理解できない。
つまり、助けられた人たちが、なぜ自分の恩人を訴え、お金を奪い取ろうとしたのか…
それがどうしてもわからない。
いかに生活に困窮していたにしても、そこまで人として落ちていくものだろうか。。