貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

二星岩の上での逢瀬というおとぎ話 想像句作!

2021-09-20 09:49:10 | 日記
令和3年9月20日(月)
高水に 
  星も旅寝や 
      岩の上
  今朝もこの句と仲良く。
◎ 今夜の七夕は大雨である。
 風も強く、嵐の気配がある。
 この荒れ模様では、牽牛と織姫は会えそうに
ない。
 この大雨に、弟子の杉風が訪ねて来た時、
雨の七夕を俳句にして、牽牛と織姫が天ノ川を
泳いで、岩の上で逢ったというおとぎ話風の
俳句を作った。
 元禄六年(1693)の作。
 高水のために、牽牛と織姫がともに高水の
上に抜き聳える岩の上に避難して、
お互いを認め合ったものの、出会いの幸福を
得られなかった顛末を憐れんでいる。
 漢字表現を並べることで、自然災害を、
美しく、含蓄の深い物語に変えているところ
が面白い。

雨星の心の

2021-09-19 10:20:47 | 日記
令和3年9月19日(日)
高水に 
   星も旅寝や 
       岩の上
 この大雨では、天の川も水嵩が増し、
渡ることのできない織姫星は、川原の
岩の上で淋しく旅寝をすることだろう、
の意。
 元禄六年(1693)の作。
 前書き「吊(とぶらふ) 初秋雨星/
元禄六文月七日の夜。風雲天にみち、
白浪銀河の岸をひたして、雨
烏(う)鵲(じやく)の橋杭を流し、
一葉(いちえふ)梶をふきをるけしき、
二星も屋形をうしなふべし。
 今宵を只に過(すぐ)さむも残おほしと、
一燈かゝげ添る折ふし、遍昭・小町が
歌を吟ずる人あり。
 星によって、此二首を探て雨星の心
をなぐさめむとす。」
「 吊(とぶらふ) 」・・・吊(とぶらふ)は
     「弔」の誤用。・・・
「雨星」雨の七夕を惜しむ意の題(底本の
編者史邦によるか)で、
「雨星」は、雨で逢瀬を遮られた二星。
 「元禄六」・・・前書きは真蹟懐紙と
共通し空想される天上の星を描いた後、
遍昭・小町の歌に基づく句で、
「雨星の心」を慰めにした旨を記す。
 その歌とは、
 「岩の上に旅寝をすればいと寒し
          苔の衣を我に貸さなん」 
                   (小町)
 「世の背く苔の衣はただ一重
        貸さればうとしいざ二人寝ん」
                    (遍昭)
       <後撰集>の唱和。
「高水」・・・川などの増水。
 底本や真蹟懐紙では、この後に
「遍昭が歌/
七夕に 
   かさねばうとし
        絹合羽   杉風」
が続き、芭蕉庵での唱和と推察される。
『山之井』に、
「みつぶにても雨だにふれば、
       星のあふせむなし」
とあり、
「雨星」は俳諧に好まれる句題の一つ
であった。
 つづく。


「無常迅速」三句!けしき見えたり!

2021-09-18 11:37:10 | 日記
令和3年9月18日(土)
 元禄五年の句。
頓て死ぬ 
  けしきは見えず 
       蟬の声
で、芭蕉は見事に詠むようになる。
 この句、間もなく死んでしまうのに、
そんな様子は全く見えず、蟬が鳴きしき
っている、
の意。
 「頓て」・・・もうすぐに。
 真蹟句切に「無常迅速」の前書きあり。
 これは、芭蕉が好んだ語の一つ。
 『卯辰集』に、同じ前書きで、中七
「けしきも見へず」。
 底本は
「下闇(したやみ)や 
      地虫ながらも 
            蟬の声 
             嵐雪」
「客ぶりや 
      居処かゆる 
            蟬の声 
             探志」
 に続けて、過去・現在・未来を表象する
蟬三句の構成で、生あるものの運命
といったことも感得させる。
 大雨と洪水は、芭蕉の時代にもあったようで、
自然の驚異を、穏やかな物語に変えている句
もある。
 つづく。


蟬と鐘の共鳴!

2021-09-17 10:30:25 | 日記
令和3年9月17日(金)
撞鐘も 
  ひゞくやうなり 
       蟬の声
 前書き「稲葉山」。
 響き渡る蟬の声に応じて、寺の釣り鐘も
まさに鳴り出しそうである、
の意。
 貞享五年(1688)の作。
 「撞鐘」・・・撞(しゆ)木(もく)で、
        撞きならす釣り鐘。
 蟬の声に鐘が共鳴するという発想が面白く、
稲葉山山麓には、妙照寺などいくつかの寺
がある。
◎ 蟬の鳴き声がうるさいほどに響いて
いる。すると、蟬の鳴き声に共鳴したか
のように、稲葉山の麓の鐘が鳴り出して
きそうだ。
 もちろん、そのようなことはあり得ないが、
芭蕉の耳には、そのように老いた響きで
啼いているように思えたのだ。
 本当に蟬と鐘との共鳴などあり得ないが、
山と森とに満ちている蟬の声は、
うるさいと思うより見事だと、
芭蕉は感じている。
 この夥しい鳴き声もやがて全部が死に
至ることを、句にしたのはずっと後。
 その句は、明日。

皆 涼し!

2021-09-16 10:10:27 | 日記
令和3年9月16日(木)
此あたり 
  目に見ゆるものは 
      皆涼し
 この辺り一帯、目にみゆるものは
皆涼しげで、気持ちがよい、
の意。
 貞享五年(1688)の作。
 前書き「十八楼ノ記」。
 「十八楼ノ記」(本朝文選)は、
「みのゝ国ながら川に望んで水楼あり」に
始まる俳文で、美濃の鷗歩に招かれた折
の句文。
 文章に細かい模写があり、併せての
鑑賞が望まれる。
 ◎この句も同じ年代に成る。
 長良川には、有名な鵜飼とともに
水楼が多い。
 そこより見渡す景色の涼しげな様子に
ついては、芭蕉の散文の解説も見られる。
 水楼は風通しがよい。
 川の涼しげな流れがよい。
 遠い山々例えば稲葉山も見渡されて、
「みな涼し」とある。
 川岸の民家は竹林、夜の篝火、入り日、
撞き鐘、全て涼しげで、
夏景色を引き立てている。
 また同じ頃の作。つづく。