令和3年9月23日(木)
寿貞は尼になり、ひっそりと暮らしていたが、
元禄七年(1694)六月二日頃に急死した。
芭蕉庵で息絶えたのだ。
そして、芭蕉も同年十月十二日に息絶える。
数ならぬ
そして、芭蕉も同年十月十二日に息絶える。
数ならぬ
身となおもひそ
玉祭り
前書き「尼寿貞がみまかりけるときゝて」
取るに足らぬ身であったなどと思うなよ。
前書き「尼寿貞がみまかりけるときゝて」
取るに足らぬ身であったなどと思うなよ。
今日の魂祭りに冥福を祈ることである、
の意。
元禄七年(1694)の作。
「寿貞」・・・同年五月末頃に死去した女性。
元禄七年(1694)の作。
「寿貞」・・・同年五月末頃に死去した女性。
芭蕉との関係には、諸説あり。実態は不明。
「数ならぬ身」・・・ものの数にも入らぬ
「数ならぬ身」・・・ものの数にも入らぬ
つまらない身の上。
六月八日は猪兵衛宛書簡に
六月八日は猪兵衛宛書簡に
「寿貞無仕合せもの・・・とかく難申尽候
一言理くつは無是候」とあり、
芭蕉がその死に深い感慨を抱いている
ことは確実。一句捧げる。
松尾家の盆会に連なりつつ、不遇であった
松尾家の盆会に連なりつつ、不遇であった
寿貞の成仏をも内心に祈ったと考えられる。
一方、心を強くもって、魂祭りするよう、
寿貞の父に対して呼びかけたと解する説
もある。
◎ この一句は、尼寿貞に話しかけるような
◎ この一句は、尼寿貞に話しかけるような
体裁をもって詠まれている。
自分のことを物の数にも入れないと、
塵芥のような人間だと卑下する必要はない
のだよ。
芭蕉は、弟子たちには、この女性のいる
ことを一切黙っていた。
元禄七年(1694)七月十五日の盆会が近づいた。
元禄七年(1694)七月十五日の盆会が近づいた。
芭蕉は寿貞の死の知らせを受けて、
故郷の伊賀上野で兄が法会を開いたときに、
寿貞の死を悲しみながら、故郷の魂祭り会に
出席。
しかし、それは松尾家の営みであって、
しかし、それは松尾家の営みであって、
寿貞とは関係のないことで、位牌はなかった。
芭蕉は仏前で祈りながら寿貞の霊に対して
芭蕉は仏前で祈りながら寿貞の霊に対して
深く悲しんだのである。