貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

温と寒が充満する句

2021-09-09 09:49:50 | 日記
令和3年9月9日(木)
旅に病で 
  夢は枯野を 
     かけ廻る
 前書き「病中吟」。
 旅の途中で病身となり、見る夢はといえば、
自分が枯れ野を駆けめぐるばかりだ、
の意。
 元禄七年(1694)の作。
 底本の十月八日の条に掲載。
 「なをかけ廻る夢心」とどちらが良いか尋ねられ、
その上五を聞き損なったこと、死を前になお発句の
ことを考えるとはまさに妄執である、と
芭蕉が反省の言を漏らしたこと等を記し、
芭蕉に辞世吟はないことを強調する。
 728戸の関係から「清滝や」の改案(450)が
翌九日に行われるとはいえ、純粋な創作としては
これが生涯最後のものであり、
旅を住処とし、俳諧一筋に歩んだ人生の末尾を
飾る句として、含蓄深いものがある。
◎ これも大変有名な芭蕉末期の句。
 旅先の大坂の友人の家に病んで、口述筆記させた
もの。
 世に別れを告げんとする気があり、辞世の句
とも考えられる。
 しかし、この世の人々に別れを告げる悲愴は
なくて、臥せている身は、現の世界で旅をし、
俳諧の道を次々と思い出している。
 まるで、あまたの枯れ野を駆け巡っている
かのようだ。
 そして、何と過去においても多くの枯れ野の
旅をしたものよと誇らしげだ。
 芭蕉は迫り来る離別の死を悲しみつつも
多くの枯れ野の句を詠んだ自分を誇らしげ
にも思っている。
 この矛盾した心根が表現の力となって句を
読む人に迫ってくる。
 それを証明するかのように、
この句、温かいA五つ、O二つ、計七つであり、
鋭く冷たいE五つ、I二つ、計七つである。
 温かく力に満ちた誇りと死別の冷たさとが
せめぎ合っている。
 一度読んだら忘れられぬ温と寒とが、
この句に充満し、不思議な力を発散している
作品である。
 芭蕉の死後も、何時までも忘れられぬ、
永遠に生きる句である。