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平松恵美子監督『あの日のオルガン』

2022-09-25 20:08:35 | 日記
 今日は私が敬愛している映画監督のロベール・ブレッソンの誕生日に当たる日です。『バルタザールどこへ行く』のロバのラストシーンでの声は忘れられないし、『スリ』の面会のシーン、そして『ジャンヌダルク裁判』でのジャンヌの振る舞いなど、忘れられないシーンがたくさんあります。DVDでほとんどの作品を買うことができるので、まだ観ていない方がいたら、そして何よりも「映画」を見るのが好きな方だったら、おすすめです。

 さて、平松恵美子監督・脚本の2019年作品『ある日のオルガン』を、昨日、厚木市九条の会ネットワーク主催の映画会として、厚木市文化会館で再見してきました。
 太平洋戦争末期、保育園児、幼稚園児らを集団疎開させる女性が主人公で、親たちの反対にもかかわらず、子供たちの命を助けるため、疎開先を見つけてもらうのですが、受け入れ先はボロボロの荒れ寺しかないのでした。幼い子供たちとの生活との生活は問題が山積み。それでも保母たちは子供たちと向かい合い、子供から好かれるみっちゃん先生はオルガンを奏で、みんなを勇気づけていました。主人公(戸田恵梨香)は怒ってばかりいて、指導力を発揮。しかしそのうち東京大空襲の日に、たまたま東京に来ていた主人公は、他の保母が防空壕に直撃弾を受け、死に絶え、子供たちの家族がかなりの数亡くなり、自分も左手に火傷を負って疎開先に帰ってきます。主人公は疲れ果て、唯一男のスタッフにも赤紙が届き、自分のやってきたことに疑問を持ち始めます。死ぬ時にはせめて自分の子供を胸に抱いて死にたかったのではなかったのか。そして8月14日。東京の方の空が真っ赤に染まり、それを呆然と見るしかない主人公。
 翌日ようやく戦争は終わり、子供たちは親族などに引き取られていきます。そして最後の子供は、戦争に行っていた父が生き延びてきて、子供を抱きしめ、泣く父親。すると主人公はそれまでどんな時にも涙を見せなかったのに、その場で泣き崩れます。最後のエンディングで、当時の保母は今でも子供たちと交流があるということが示され、映画は終わります。

 私は2度目にもかかわらず、何度も号泣してしまい、周りの方に迷惑をかけてしまいました。でもそれだけの映像と声、音に満ちていて、実話に基づいたこの映画は傑作だと思いました。特に東京大空襲ですべての家族を失った子供ケンちゃんに、みっちゃん先生が家族がみな死んでしまったことを教えてあげるシーンは忘れがたく、今でも思い出しただけで胸が熱くなる、そんなシーンでした。
 また映画が終わった後は、いい本を売りに来ていた森さんとも知り合え、そこでしか手に入らない本もあり、3冊買わせていただきました。
 とてもいい日を過ごさせていただき、感謝、感謝です。

斎藤美奈子さんのコラムその122&前川喜平さんのコラムその83

2022-09-23 00:31:21 | 日記
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず9月11日に掲載された「古川貞二郎さん」と題された前川さんのコラムを全文転載させていただくと、
「村山内閣から小泉内閣まで8年7カ月にわたり官房副長官を務めた古川貞二郎さんが亡くなった。官僚の先輩として、人生の先輩として、本当に尊敬できる方だった。切れ者といった印象はなく、見方によっては愚鈍にさえ見えた。しかし公共の福祉に尽くそうとする姿勢は一貫していた。最長在任記録はその後安倍・菅内閣の杉田和博氏により更新されたが、僕が杉田氏に同様の尊敬の念をもつことはない。
 古川さんは厚生官僚、僕は文部官僚だったので長いお付き合いがあったわけではない。謦咳(けいがい)に接する機会を持ったのは、僕は内閣官房の中の中央省庁等改革推進本部に出向していた1998年から2000年までの時期だ。
 省庁再編が行政改革だったのかは疑問だが、各省庁の官僚は血まなこで取り組んだ。それは純然たる縄張り争いだった。僕はその調整に当たったが、省庁間の争いにはほとほと手を焼いた。どうにも捌(さば)き切れなくなった争いを裁いてくれるのが古川副長官だった。
 古川さんは各省庁の言い分を丁寧に聴き取り、議論を重ねて解決案を見出した。某省が政治家の力を借りようとしたとき、普段は温和な古川さんがその省の幹部を烈火のごとく叱責(しっせき)した。官僚の世界の問題は官僚同士で解決すべきだというのが古川さんの信念だった。官僚の矜持(きょうじ)とは何かを教えてくれる人だった。」

 また、9月14日に掲載された「五輪トラブル劇場」と題された斎藤さんのコラム。
「あるPR誌で一回に三冊ずつ、同じテーマの関連書を紹介する連載を続けている。2013年に五輪開催地が東京に決まって以来、五輪について四回取り上げた。
 復興五輪の美名の下で行われた欺瞞(ぎまん)的な招致活動(14年3月号)。新国立競技場のコンペやり直し、エンブレムの盗用疑惑、JOCの不正献金疑惑などの相次ぐゴタゴタ(16年10月号)。大会が迫る中で新たに顕在化した東京の酷暑やボランティア搾取(20年1月号)。コロナ下での延期と強行、開催直前の辞任ドミノなどを含む総括(22年3月号)。
 新しい問題が絶えず浮上し、反五輪の新刊書が絶えず出版されてきたことの証拠である。
 ところが、五輪トラブル劇場はまだ終わっていなかった。閉幕後にラスボスよろしく登場してきたのが不正金銭授受疑惑である。AOKI。KADOKAWA、大会組織委員会。どこまで広がる汚職の裾野!
 五輪騒動の発端は石原元都知事の招致表明(05年)とその失敗(09年)、さらに嘘(うそ)で固めた安倍元首相の福島アンダーコントロール発言だった(13年)。二人ともすでに故人である。
 それなのに次は札幌五輪?! 鎮火していない火事場の上に燃料の追加よろしく新しい建物を建ててどーする。構造的な問題を五輪は孕(はら)んでいる。絶対にまた不正の山になる。」

 そして、9月18日に掲載された、「不人気国葬の記録」と題された前川さんのコラム。
「戦前最も不人気だった国葬は山縣有朋それだそうだ。1万人収容できる会場に千人ほどしか来なかったという。安倍元首相の国葬(国葬儀)には最大六千人程度の参列者は最大六千人程度の参列者を想定しているそうだが、山縣の不人気記録を更新しないことが政府の最低目標だろう。
 国葬への案内状は、国や自治体の関係者、海外の要人などに加え「各界代表」にも幅広く送られたらしい。その一人、演出家の宮本亜門さんはツイッターで「どうしてこれが僕に?」と投稿。「もちろん私は行きませんが」と欠席の意思を明らかにした。案内状が何人に贈られたのかは知らないが「歩留まり」は相当低いだろう。
 とにかくこの国葬は不人気だ。時事通信が9~12日に行った世論調査では、反対51.9%に対し賛成は25.3%しかなかった。こうなると欠席のリスクより出席のリスクの方が大きくなる。「なぜ欠席したが」が問われるからだ。明確な賛否の意見を持たない人は、リスクの低い欠席を選ぶだろう。
そんな中で連合の芳野友子は出席の意向を表明し、「労働者代表として出席せざるを得ない」「苦渋の判断だ」などと述べたが、要は本人が出席したいのだろう。因(ちな)みに僕のところへも案内状が来たが、何の苦渋も感じることなく、欠席の返事を出した。」

 どれも一読の価値のある文章だと思いました。

スティーヴン・スピルバーグ監督『フック』その2

2022-09-22 00:29:06 | 日記
 今日はアンナ・カリーナの誕生日。彼女は1940年に生まれているので、今年は生誕82年目に当たります。
先日自殺したゴダールの最初の妻であり、また60年代のゴダール映画のミューズとして、今でもアンナ・カリーナの魅力は、ゴダールの映画を観れば味わうことができます。
 特に忘れられないのは、『女は女である』で二人の男に妊娠を迫るお茶目なカリーナ(この映画の頃が、ゴダールとカリーナの蜜月状態の頃だったと思います)、『はなればなれに』のカリーナのダンス、そしてなんといっても『気狂いピエロ』での彼女の魅力(かわいい歌も歌ってくれるし、鮮やかな色彩の画面の中での彼女の存在感は半端ありませんでした)。『女と男のいる舗道』でも彼女はダンスしていますが、ラストでは射殺されてしまうという衝撃的なショットも忘れがたいし、『アルファヴィル』での愛を失ったサイボーグが最後には愛を取り戻すシーンも感動的でした。
とにかくゴダールとカリーナのコンビから生まれた一群の映画群は、いまでも全く古びていないし、逆に現在の不毛な日本映画界で活躍する映画監督には、ちゃんとゴダールとカリーナの一連の映画を観た上で、映画を撮ってほしいと熱烈に感じます。
 アンナ・カリーナ、最後は一人寂しく亡くなってしまいましたが、(ゴダールと彼女の間には子供は生まれませんでした)、もしゴダールとカリーナの間に子供が生まれていたらと想像しただけで、ワクワクしてきます。
アンナ・カリーナ、その魅力的な姿、声、仕種、みなまだ映画の中に生き続けていますよ。天国から私たちのことを見守っていてくださいね。

 さて、昨日の続きです。

 ロストボーイズと日々厳しい特訓を行い彼らとも打ち解けて来たピーターは彼らと一緒にフックのカギ手を盗むことを計画します。変装をして海賊達の中に紛れ込みピーターはカギ手の近くまで行きます。しかしそこではフックが計画したジャックのための野球の試合が行われておりピーターはバッターボックスに立つジャックの姿を目にします。カギ手そっちのけでジャックの応援をし始めるピーター。そしてジャックは見事ホームランを放ちます。ジャックのホームランにピーターは喜びますが、フックの我が息子と言う声にショックを受けます。そして一緒に喜ぶジャックとフックの姿を見て基地へと戻ります。そして難航していた飛ぶことに躍起になります。しかしなかなか飛べずにやきもきするピーター。そしてピーターは隠し部屋を見つけます。そしてその部屋がウェンディーの部屋であったことを思い出します。そして懐かしさにひたっていると、彼のくまのぬいぐるみのタディを見つけます。そしてピーターは自分の母親のこと、初めてネバーランドに来たときのことを思い出します。そしてウェンディーとの出会いも思い出すのでした。ピーターは春になると彼女のもとを尋ねましたが、彼女は歳を重ねていき飛ぶこともできなくなってしまっていました。そのことにショックを受けるピーターでしたが、ウェンディーの孫のモイラに一目惚れし彼はネバーランドに戻らないことを決意するのでした。飛びたくても悲しい思い出の多いピーター。しかし彼は自分が父親になったときのことを思い出します。すると体は宙に浮き彼は幸せな思い出を思い出し、また飛べるようになるのでした。飛び回る彼の姿を見たロストボーイズ達もピーターパンが帰って来たことに大喜びします。そしてルフィオも彼が戻ってきたことを認めピーターの剣を彼に返すのでした。
 いよいよピーターはジャックとマギーを助けるべくロストボーイズ達とフックのもとへと乗り込みます。ピーターはフックとジャックの前に降り立ち、ジャックを連れ戻そうとしますがジャックはフックのことを家族だと言います。ピーターはジャックを取り戻そうとフックに挑みます。そしてロストボーイズ達も一気に攻め込み海賊と戦います。一方ピーターはマギーの声を聞きつけ彼女を捕まえようとする海賊と戦い無事に救い出します。そしてロストボーイズと海賊の戦いはロストボーイズ達が圧倒し海賊達はどんどん退却し逃げて行きます。しかしその間フックと戦っていたルフィオはフックに刺されて死んでしまいます。ピーターが彼に駆け寄るとルフィオは最後の力を振り絞りピーターのような父親が欲しかったと告げ力尽きてしまいます。そしてそれを目にしたジャックはピーターに謝り家に帰りたいと言います。その言葉を聞いたピーターはマギーとジャックを連れ家に帰ろうとしますが、フックが孫の孫の代まで復讐してやるという宣言にフックと因縁の決着を着けるべく彼の前に戻ります。そして見事フックを倒しピーターはジャックとマギーを連れてネバーランドを後にするのでした。」

 あっという間の2時間20分でした。

スティーヴン・スピルバーグ監督『フック』その1

2022-09-21 06:16:42 | 日記
 ロン・ハワード監督の2016年作品『THE BEATLES EIGHT DAYS A WEEK』をDVDで観ました。ビートルズが結成されてから『サージェント・ペパーズ・
ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を発表するまでを描いたドキュメンタリーで、あまり楽しい1時間48分ではありませんでした。

 さて、スティーヴン・スピルバーグ監督の1991年作品『フック』をDVDで観ました。
 サイト「映画ウォッチ」の「ネタバレあらすじ」に一部加筆修正させていただくと、
「40歳になるピーター・バニング(ロビン・ウィリアムズ)は仕事人間であまり家庭を顧みず、特に息子のジャックとの関係がギクシャクし上手くいかなくなっていきます。そんな中クリスマスにウェンディー(マギー・スミス)の病院の設立パーティーもありロンドンへ家族で向かいます。10年ぶりのウェンディーとの再会。しかし家族より仕事を大事にするピーターの姿を見たウェンディーは海賊になってしまったのね、とつぶやきます。そしてその晩ピーターとモイラとウェンディーはパーティーへ行き、ジャックと妹のマギーは留守番をします。パーティーが終わり、ピーター達が家に帰ると家の中が荒らされていて、ピーターは慌ててジャックとマギーを探します。しかしどこを探しても見つからない2人の姿。ウェンディーは子供部屋のドアにピーターへ宛てられたフック船長(ダスティ・ホフマン)からのメッセージを発見します。そしてウェンディーはピーターに昔のことを思い出すように問いかけ、ピーターパンの物語の挿絵を見せ「ピーターパンはあなたよ」と告げます。
 ウェンディーの話に戸惑いを隠せないピーターは1人子供部屋で考え込みます。すると窓から光の塊が飛びこんで来て、ピーターははたき落とそうとするも逆に叩きつけられます。その姿をまじまじと見ると妖精(ジュリア・ロバーツ)だったのです。この事態にピーターは幻覚を見ているのだと考えますが、妖精のほうはピーターとの再会にはしゃぎます。彼女はピーターの相棒のティンカーベルだったのです。ピーターは依然として目の前に起こっていることを信じようとしません。
 そしてまたもやティンクに叩き付けられ気絶したピーターをティンクはネバーランドへ連れて行きます。
 目を覚ましたピーター。しかしそこはロンドンの家ではなく柄の悪い海賊が沢山。そしてピーターはティンクの助言で海賊のふりをして紛れ込みます。するとそこでフック船長が意気揚々とピーターパンへの復讐を宣言し、さらって来た子供達を披露します。子供達の姿を見たピーターは助けようと2人のもとに行きます。自分の目の前に現れた憎き敵。復讐心に燃えるフックは戦いを挑みますがその変わり果てた姿にフックは落胆し、3人を海に突き落とそうとします。
するとそこに現れたティンクはフックをピーターと戦わせるよう説得しピーターを3日で鍛え直すと約束します。交渉成立するもののピーターは誤って海の中に転落してしまいます。しかしなんとか人魚たちに助けてもらいピーターはロストボーイズ達の基地に迷いこみティンクと再会します。ティンクはロストボーイにピーターが帰って来たことを知らせます。ピーターの帰還に大喜びする彼らでしたがそこに現れたのは歳を重ねて変わり果てたピーターの姿。リーダーのルフィオをはじめ誰もがこの中年男がピーターパンだと信じませんでした。しかし1人の少年がピーターのことをじっと見て顔を触り。彼のことをピーターだと言います。それを皮切りにみんなピーターのもとに駆け寄りますが、ルフィオはピーターのことを受け入れません。しかし子供達のためにフックと戦わなければならないピーターは彼らに頼みティンクの説得もありロストボーイズのもとで特訓を行うことになるのでした。しかしピーターはなかなか飛び方を思い出せずにいるのでした。
「一方フックはスミーの助言でジャックとマギーを味方につけようと考えます。マギーは両親のことを信じ、フックからの言葉に耳を貸さないもののジャックはピーターが約束を守ってくれなかったことや助けるときもすぐ諦めたことなどすっかりピーターへの信頼が薄くなっていました。フックもそこを見逃さずにつけこんでいきジャックの心を開いていくのでした。


(明日へ続きます……)

スティーヴン・スピルバーグ監督『カラー・パープル』

2022-09-20 00:31:06 | 日記
 スティーヴン・スピルバーグ監督・共同製作の1985年作品『カラー・パープル』をDVDで観ました。
 サイト「映画ウォッチ」の「ネタバレあらすじ」の一部加筆修正させていただくと、
「1909年、アメリカ・テネシー州の田舎町。14歳の少女セリー(デスリタ・ジャクソン)は父から性的暴力を受け、望まぬ妊娠をしてしまいます。やがてセリーは女の子を出産しますが、セリーは我が子を一度も抱くことなく父は赤ん坊を他の家に売り飛ばしてしまいました。この事に衝撃を受けたセリーの母は程なく亡くなり、父は新しい妻を迎えました。父の結婚式に参加したミスター(ダニー・グローヴァー)はセリーの妹ネティ(アコーシア・ブシア)に惚れていましたが、姉妹の父はネティの代わりにセリーをミスターの元に強制的に嫁がせます。ミスターは亡くなった先妻との間に3人の子がおり、高圧的なミスターはセリーや子供たちに当たり散らしては奴隷のようにこき使っていました。そんなある日、父に襲われそうになったネティがセリーの元に逃げ込んできました。ミスターがネティに手を出すことを恐れたセリーは逃げるように忠告します。そしてセリーの不安が的中し、ミスターはネティを襲おうとしますが抵抗され、激昂したミスターはネティを追い出してしまいます。姉妹は手紙を書くことを約束して引き裂かれていきました。
 1916年。成人したセリー(ウーピー・ゴールデンバーグ)は精神的にも強くなっていました。ミスターの連れ子ハーポ(ウィラード・プーフ)はソフィア(オプラ・ウィンフレイ)と付き合っており、彼女が妊娠したのを機に結婚しました。やがてソフィアの尻に敷かれるようになったハーポはミスターに相談すると、ミスターは自分がそうしたようにソフィアにも暴力を振るえと言い出しました。ハーポはミスターの言う通りにし、嫌がったソフィアは子供を連れてハーポの元から去っていきました。一方、セリーはネティからの手紙を待ち望んでいましたが一向に届きません。そんなある日、ミスターの元恋人でR&Bシンガーのシャグ(マーガレット・エブリー)がミスター家に転がり込んできました。しばらくミスター家に居候することになったシャグはセリーと打ち解けていきました。
 1922年。ジャズの虜になったハーポは音楽仲間たちと酒場を開業、すっかり体調の良くなったシャグは酒場のステージに立ち、面倒を見てくれたセリーのために「セリーのブルース」を捧げました。セリーは深い喜びに包まれたその時、ソフィアが新恋人と共に酒場に来店、ハーポの新恋人と口論になったことから大騒動になってしまいます。その後、家に戻ったセリーはシャグに自らの過去を打ち明け、シャグはセリーに沢山の愛情を注ぎました。やがてセリーはシャグについてミスター家を出ようとしましたがミスターに阻まれ、シャグはミスターの家から出ていきました。
 月日が流れた1936年、セリーはグラディ(ベン・ギロリ)という男と結婚したシャグと再会を果たしました。シャグはミスターの目を盗んで郵便物を受け取ります。それはネティからの手紙でした。やがてミスター家の廊下の床下からは、ミスターがネリーに渡さず隠していた、ネティからの手紙が大量に発見され、セリーは笑顔を浮かべました。ネティはセリーの最初の子供を引き取った裕福な夫妻の援助を受けて教師となり、結婚して子供も生まれていました。その後ネティは夫妻と共にアフリカへ渡っていたのでした。
 ネティの生存に救われたネリーはこれまで自分を抑圧し続けていたミスターへの恨みが重なり、ミスターを殺そうとしましたが駆け付けたシャグに制止されました。セリーの苦しみを見かねたシャグは彼女を都会に連れていくことを決意、セリーは初めてミスターに怒りをぶつけました。セリーはミスターに別れを告げ、シャグと共に田舎町を去っていきました。数年後、セリーとネティの父が亡くなり、亡き母の遺言により実家の権利を得たセリーは再びテネシー州に舞い戻ってズボンの店を開きました。シャグもセリーの住む町に移住、ソフィアと復縁を果たしたハーポの酒場で歌う傍ら、長年疎遠になっていた父とも和解を果たしていました。そしてある日、シャグたちと共に暮らすセリーの元に、アフリカから帰ってきたネティが家族を連れて訪ねてきました。約20年ぶりに再会を果たした姉妹は夕陽を背に、幼い頃のように戯れ合っていました。」

 人間関係が複雑でしたが、それでも2時間30分を超える長さをなんとか耐えることができました。