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蓮實重彦先生のゴダールの追悼文「『ヌーヴェル・ヴァーグで一新』の嘘」

2022-09-19 07:40:38 | 日記
 9月15日の朝日新聞の朝刊に蓮實重彦先生の寄稿文が載っていました。その全文を転載させていただくと、
「『息たえだえに』を意味するフランス語の慣用句を原題とした長編第一作『勝手にしやがれ』(1959年)で『世界に衝撃を与えた』といわれるジャン=リュック・ゴダールは、その日本語の題名故に、わが国では『自分勝手』な映画作家と見なされがちである。それは、ある意味で正しいといわねばならぬ。彼は、自分に相応(ふさわ)しい作品しか撮ってこなかったからだ。しかも、ゴダールは、みずからの生命さえおのれで操るかのように、自死同然の振る舞いで他界してみせたという。何ということだ!
しかし、『ゴダールの衝撃』なるものの実質について見ると、彼ほどみずからの『影響』を自粛した監督もめずらしい。60年代にトリュフォーやシャブロルとともに『ヌーヴェル・ヴァーグ』の旗手として世界の映画シーンを一新したなどといわれているが、それは真っ赤な嘘(うそ)である。ゴダールのような映画を撮った映画作家は、世界に一人として存在していないからだ。ことによると、唯一の例外は日本かもしれない。実際、ある時期の黒沢清監督だけが、ゴダール風の映画を撮ることに成功しているからである。しかし、それは、彼が『勝手にしやがれ!!』というヴィデオ作品シリーズを撮ったこととはいっさい無縁である。長編第二作の『ドレミファ娘の血は騒ぐ』(85年)こそ、ゴダールの身勝手な毛沢東的な西部劇『東風』(70年 ジガ・ヴェルトフ集団名義)を見てしまったことの痛みと甘さとをなだめるように反芻(はんすう)しながら撮られた感動的な作品にほかならぬからである。
 現在の世界では、合衆国や日本はいうまでもなく、フランスやスイス━━彼がみずからの意思で命を絶ったのは、スイスに存在している法規によるものだという━━においてさえ、あたかもゴダールと呼ばれる映画作家などかつて一度たりとも存在していなかったというかのように、ごく自然に━━出鱈目(でたらめ)に━━あれやこれやの映画が撮られており、誰ひとりとして、ゴダールのことなど記憶してはいない。それは、ゴダールがその存在を必須のものと見なしたハリウッドの古典的な作品群など、かつて存在したためしなどないというかのように、誰もが無自覚に映画を撮っているのと同然である。
 ゴダールは、そうした事態に警鐘を鳴らそうとして、『ゴダールの映画史』(全四篇(へん))なるものを、途方もなく長い時間をかけて撮っている。だが、それもまた、あたかも存在していないかのように無視されている。ゴダールはムルナウを同時代に見ることの叶(かな)わなかった世代に属しているが、それだけに古典的なハリウッド映画を浴びるほど見ながら、その映画がどのように成立していたかを仔細(しさい)に分析している。『勝手にしやがれ』を見ながら、『新しさ』ばかりが推奨され、それが持っていた古さに対する深い敬愛の念を誰も見ようとはしなかった。何ということだ!
 実際、ゴダールの後期の作品を見ていると、彼がジョン・フォードの作品の肝心な部分を見落としていないことが痛いようにわかる。『フォーエヴァー・モーツアルト』(96年)や『アワーミュージック』(2004年)には、フォード独特の身振(みぶ)りである『投げること』が雄弁に実践されているからだ。つい最近『ジョン・フォード論』(文藝春秋、22年)を上梓(じょうし)したわたくしは、現在、三宅唱監督のご助力で『フォードと「投げること」』というヴィデオ作品を編集中なのだが、そこには、ゴダールの作品における『投げる』動作を、あたかもフォードの作品であるかのように挿入してしまうつもりでいた。それは、今年の十二月には完成予定だが、その第一の視聴者に想定されていたゴダールが亡くなってしまったいま、わたくしは、さてどうしたものかと深く悩んでいる。」

 今現在、過去の傑作の映画群があった歴史にまったく無頓着にフィルムを回している全世界の映画監督に読ませたい文章でした。文章の中でも書かれているムルナウの映画を一作も見たことなく、映画を撮っている「無知」な映画監督は、あえて「映画作家」とは呼びたくなくなる、そんな挑発的な哀悼文だとも思いました。
 そして、蓮實重彦先生、もう40年前になりますが、かなりぶしつけな態度を取り、数々のご迷惑をおかけしたことも、こちらでお詫びさせていただこうと思います。私もここに来て、やっと自分の家庭を築き、自分の好きな職業を得られるようになりました。学生時代、電車の中で先生に声をかけていただいたこと、いまだに鮮明に覚えています。また、先生の本『映画の修辞学』の表紙が、私が孤独に愛していたドライヤーの『奇跡』の写真で埋められていたことを見た時の驚きは「この先生に一生ついて行こう」という思いを強くしたことをも表明しておきます。先生、1年でも長く生きて、これからも立派な仕事を残していっていただきたいと、陰ながら応援させていただきます。