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スティーヴン・スピルバーグ監督『カラー・パープル』

2022-09-20 00:31:06 | 日記
 スティーヴン・スピルバーグ監督・共同製作の1985年作品『カラー・パープル』をDVDで観ました。
 サイト「映画ウォッチ」の「ネタバレあらすじ」の一部加筆修正させていただくと、
「1909年、アメリカ・テネシー州の田舎町。14歳の少女セリー(デスリタ・ジャクソン)は父から性的暴力を受け、望まぬ妊娠をしてしまいます。やがてセリーは女の子を出産しますが、セリーは我が子を一度も抱くことなく父は赤ん坊を他の家に売り飛ばしてしまいました。この事に衝撃を受けたセリーの母は程なく亡くなり、父は新しい妻を迎えました。父の結婚式に参加したミスター(ダニー・グローヴァー)はセリーの妹ネティ(アコーシア・ブシア)に惚れていましたが、姉妹の父はネティの代わりにセリーをミスターの元に強制的に嫁がせます。ミスターは亡くなった先妻との間に3人の子がおり、高圧的なミスターはセリーや子供たちに当たり散らしては奴隷のようにこき使っていました。そんなある日、父に襲われそうになったネティがセリーの元に逃げ込んできました。ミスターがネティに手を出すことを恐れたセリーは逃げるように忠告します。そしてセリーの不安が的中し、ミスターはネティを襲おうとしますが抵抗され、激昂したミスターはネティを追い出してしまいます。姉妹は手紙を書くことを約束して引き裂かれていきました。
 1916年。成人したセリー(ウーピー・ゴールデンバーグ)は精神的にも強くなっていました。ミスターの連れ子ハーポ(ウィラード・プーフ)はソフィア(オプラ・ウィンフレイ)と付き合っており、彼女が妊娠したのを機に結婚しました。やがてソフィアの尻に敷かれるようになったハーポはミスターに相談すると、ミスターは自分がそうしたようにソフィアにも暴力を振るえと言い出しました。ハーポはミスターの言う通りにし、嫌がったソフィアは子供を連れてハーポの元から去っていきました。一方、セリーはネティからの手紙を待ち望んでいましたが一向に届きません。そんなある日、ミスターの元恋人でR&Bシンガーのシャグ(マーガレット・エブリー)がミスター家に転がり込んできました。しばらくミスター家に居候することになったシャグはセリーと打ち解けていきました。
 1922年。ジャズの虜になったハーポは音楽仲間たちと酒場を開業、すっかり体調の良くなったシャグは酒場のステージに立ち、面倒を見てくれたセリーのために「セリーのブルース」を捧げました。セリーは深い喜びに包まれたその時、ソフィアが新恋人と共に酒場に来店、ハーポの新恋人と口論になったことから大騒動になってしまいます。その後、家に戻ったセリーはシャグに自らの過去を打ち明け、シャグはセリーに沢山の愛情を注ぎました。やがてセリーはシャグについてミスター家を出ようとしましたがミスターに阻まれ、シャグはミスターの家から出ていきました。
 月日が流れた1936年、セリーはグラディ(ベン・ギロリ)という男と結婚したシャグと再会を果たしました。シャグはミスターの目を盗んで郵便物を受け取ります。それはネティからの手紙でした。やがてミスター家の廊下の床下からは、ミスターがネリーに渡さず隠していた、ネティからの手紙が大量に発見され、セリーは笑顔を浮かべました。ネティはセリーの最初の子供を引き取った裕福な夫妻の援助を受けて教師となり、結婚して子供も生まれていました。その後ネティは夫妻と共にアフリカへ渡っていたのでした。
 ネティの生存に救われたネリーはこれまで自分を抑圧し続けていたミスターへの恨みが重なり、ミスターを殺そうとしましたが駆け付けたシャグに制止されました。セリーの苦しみを見かねたシャグは彼女を都会に連れていくことを決意、セリーは初めてミスターに怒りをぶつけました。セリーはミスターに別れを告げ、シャグと共に田舎町を去っていきました。数年後、セリーとネティの父が亡くなり、亡き母の遺言により実家の権利を得たセリーは再びテネシー州に舞い戻ってズボンの店を開きました。シャグもセリーの住む町に移住、ソフィアと復縁を果たしたハーポの酒場で歌う傍ら、長年疎遠になっていた父とも和解を果たしていました。そしてある日、シャグたちと共に暮らすセリーの元に、アフリカから帰ってきたネティが家族を連れて訪ねてきました。約20年ぶりに再会を果たした姉妹は夕陽を背に、幼い頃のように戯れ合っていました。」

 人間関係が複雑でしたが、それでも2時間30分を超える長さをなんとか耐えることができました。