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四元良隆&牧祐樹監督『テレビで会えない芸人』その2

2022-04-09 03:22:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。

 2019年5月1日、元号が令和に改められた。街には号外、メディアは祝賀ムード。しかし、松元は連日のマスコミ報道に違和感を持っていた。「森友学園の問題もいまだに何も解決していないのに、みなさん令和になりましたよと、リセットして前のことは忘れて…」。松元がカメラのレンズにぶつけた。「問題なのは、こういったテレビとかが煽り立てて、一緒になってやっていること。“改元なんて関係ないよ、仕事もないんだよ”という人もいるはずなんですけど、テレビはそれを流さないだろうし。だから、誰かが水を差さないといけない。そんなに騒ぐなよって。だって、何にも変わってないじゃないですか」。
 松元を支える言葉がある。「テレビに出ている芸人を、俺はサラリーマン芸人って呼んでいるんだ。テレビからクビにならないようなことしか言ってない、他の人が言えないことを代わりに言ってやるのが芸人だ。お前を芸人と呼ぶ」。言葉の主は落語家・立川談志。「最高に嬉しかったですね、この人が言ってくれたんだから、よし、芸人になろうおt思ったんです」。コメディアンのすわ親治さん(66歳)が松元の自宅に招かれた。ザ・ドリフターズのステージにも立ち、志村けんは兄弟子にあたる。松元とは、鹿児島実業高校の同級生だった。酒を酌み交わし、懐かしい話に花が咲いた。「すわが入って、堅いことを言っているなかに庶民の笑いも出てきたら、みんなが笑ってくれた。俺たちはそれがほしかったんだ」。「ザ・ニュースペーパー」でともに活動し、テレビでもブレイクしたが、その後2人は脱退することとなった、すわさんはこう振り返るl「テレビはスポンサーがいる。言い換えなどを求められ、牙を抜かれて何も毒がなくなっちゃった.“じゃあいいです。うちは舞台で勝負しますから”って、一貫性があればよかったんだけど…」。松元もうなずきながら、「俺、一人になって、カミさんと二人だけだから、好きなことを言おうと思って」。「いいよ、好きなことやった方が」とすわさんが応えた。別れ際、駅の改札前、「ありがとう、がんばって」と互いに声を掛けあう。
9月3日。松元はいつものように稽古に励んでいた。話しているのは、先月に亡くなった杉浦正士さんのこと。「ザ・ニュースペーパー」の仕掛人、芸能事務所の社長である。松元は入院していた杉浦さんの元を何度か訪ねていた。ほとんど意識のない状態だったが、松元の言葉にまばたきで応じたという。杉浦さんのことを語っているうちに、どろどろとしたものがフッと浄化されたという。「いろんな人のおかげで今の自分があるなと思ってね…」。(中略)
 松元には、永六輔から託されたものがある。2016年3月、永が亡くなる4ヶ月前、ラジオ番組「六輔七転八倒九十分」(TBSラジオ)に招かれたときのこと。闘病中の永はスタジオにはいなかったが、松元へのメッセージを番組に預けていた。「ヒロくん、9条をよろしく」。松元が20年以上も続けている演目「憲法くん」は、日本国憲法を擬人化した一人芝居だ。「こんにちは、憲法です。わたしがリストラになるかもしれないという噂を耳にしたんですけど、ほんとうですか?」。日本国憲法の成り立ちなどをユーモアを交えて語っていく。「どうしてわたしを変えるんですか?! そしたら言われましたよ、“現実”に合わないからだよと。だけど、変ですよね? わたしって“理想”だったんじゃないでしょうか」。松元は観客一人ひとりを見つめて、日本国憲法前文を滔々とそらんじる。そして最後に語りかける。「わたしをどうするかはみなさんが決めることです。わたしは、“みなさんのわたし”なんですから。“わたし”を今日のみなさんに託しましたよ」。
 2021年春の公演。新型コロナウイルスが猛威を振るい、政治や五輪に世間が翻弄されるなか、松元は変わらず、弱者の立場から政治や社会をそしてメディアを鋭く斬り続けていた。痛快な風刺に、会場がどっと笑いで包まれる。しかしそれだけではない。松元の笑いには、不思議なやさしさがある。
「いわゆる多数派は“世の中の空気を読めよ”って言う。テレビは本当に空気を反映しますよ。でも、空気を反映して戦争になったこともあったんです。世の中の空気を読むんじゃなくて、“ちょっとおかしくないのかい?”って、本当は言うべきなんですよ。“このカメラ”も、本当はそういうのを映し出すものなんですよね」。

 とても面白く、また現在の与党の横暴さをユーモラスに指摘している痛快な映画だったのですが、欲を言えばもっと舞台のシーンを見てみたかったです。