gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

奥田英朗『コロナと潜水服』その9

2022-04-05 00:59:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

「それっていつ頃の話ですか?」直樹が聞いた。
「もう三十年以上前のことら。(中略)」
「せば気をつけて」
管理人が笑顔で手を振る。(中略)
パンダを発進させ、海沿いの道に戻ると、ナビが《音声案内を開始します》と言った。(中略)

 次に到着したのは新潟大学だった。(中略)
 男は直樹に近づくと、親し気な笑みを浮かべ、「このパンダ、オメさんの車ら?」と聞いた。
 直樹はその場で固まった。三人目。これは偶然じゃない━━。
「ええ、わたしの車ですが……」(中略)
「’(中略)それより懐かしい車だったもんで、ちっと見させてもらってました。ちなみに、わたしはここの職員です。怪しい者ではありません」(中略)
「あのう……」直樹は恐る恐る聞いた。「もしかして、昔、知り合いが乗っていたとか、そういうのですか?」
「ええ、そうですようわかりましたね」(中略)
「いや、実はですね、さっき向こうの海沿いにあるサーキットで管理人らしき人に同じように声をかけられたんです。(中略)」
「ああ、わかった。間瀬サーキットら。そんなら心当たりあります。昔の知り合いっていうのが、パンダでそのサーキットによう言ってましたわぁ。なるほど、そういうことがあったんですか」(中略)
「その人、今はどうしてるんですか?」
 直樹が聞くと、男は一瞬、表情を硬くし、「もう死にましたわ」と言った。
「もう三十年くらい前になりますかね。地元で工業デザイナーをやってたんですが、白血病と続く合併症で、あれよあれよという間に……。まだ二十五歳だったどもねぇ」
「そうでしたか……」
直樹は鳥肌が立った。そしてもうひとつの想像が浮かぶ。このパンダは、もしかするとその人物の愛車だったのではないか━━。
「ちなみに、そいつ富田雄一と言って、この大学の出身でね。ぼくとは同学年で、サークルが一緒だったんですよ。(中略)」
 男は昔を思い出したのか、いっそう懐かしげにパンダを見つけた。
「そうか。これ、じゃあ富田のパンダか。何だ、何だ」(中略)
「せば気をつけて」
 男が手を上げて挨拶し、去って行く。(中略)カーナビを見つめる。モニターに地図が映し出された数秒後、《音声案内を開始します》という音声が流れた。
わかった。今日は君に付き合おう。(中略)

 次に到着したのは、オフィス・アートという事務機器メーカーだった。(中略)富田君が勤務していた会社のようである。(中略)その前に初老の守衛がやって来て「ここに停めので」と注意された。(中略)
「三十年くらい前なんですけど、ここに勤務していた富田って人を知っている人、いませんかね。若くして亡くなられた方なんですけど」
 富田という名前を聞いて、守衛がさっと表情を変えた。
「富田って富田雄一君? 病気でなくなった」
「ご存じなんですか?」
「ええ。(中略)わたしね、この車見て、あーって思ったんだわ。そう言えば富田君、赤いミニに乗ってたなあって」(中略)
「そう。じゃあ中に入ってください。富田君を知ってる人間、呼んで来っから」(中略)
「わたしは小林という者ですが、昔、新潟大に共通の友人がいて、それで……」
「そうでしたか。わたしは富田と同期で、今も会社に残っています」(中略)
「で、富田の実家はどうなったんですか?」(中略)
「いえ、知りませんけど」
「もう取り壊したのかなあ、おかあさんも亡くなられて、住む人間はいないでしょう」
「すいません。わたし、富田君の家族のことは知らないんで……」
「そうでしたか。小林さんは東京にお住まいですもんね。(中略)」
「もう十八年前だ。次は弔い上げの三十三回忌ですかって言ったら、ご両親とも、そのときはもう自分たちは死んでるって、笑って言ってたなあ。パンダはそのときもガレージに停まっていて、ああ、まだ家族はこの車を手放さないんだって、そう思ったことを憶えてますよ」(中略)
「わたし、ひとつ知りたいことがあって、富田の命日に墓参りに行くと、いつも真新しい赤い花が供えてあるんですよ。(中略)あれは昔の恋人が供えてくれてるんじゃないかって、そんな想像をずっとしていて……。(中略)」
「富田君には恋人がいたんですね」
「ご存じなかったんですか? 花屋の一人娘。シホちゃん。(中略)」」
 直樹はパンダに乗り込み、富田君が昔勤めていた会社を後にした。
 ナビが黙ったままなので、あてずっぽうに道を走らせる。(中略)しばらくして《音声案内を開始します》とナビが声を発した。(中略)

(中略)そろそろ日が暮れかかっている。(中略)そろそろ宿を探さないと、部屋を取れないこともある。(中略)
ナビによると阿賀野市ということろを走っていた。(中略)しばらくして「歓迎 出湯温泉」と書かれたゲートが現われた。(中略)
これまでの流れから考えると、このペンションも富田君の思い出の場所なのだろう。(中略)縁のある人たちに、富田君をひと時でも思い出させることができたとすれば、自分も少しは役には立ったことになる。(中略)

(また明日へ続きます……)