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吉田照美『ラジオマン 1974-2013 僕のラジオデイズ』その1

2017-03-08 06:55:00 | ノンジャンル
 遅ればせながら、吉田照美さんの’13年作品『ラジオマン 1974-2013 僕のラジオデイズ』を読みました。照美さんにインタビューした内容をまとめて文章化したものと、照美さんとの付き合いが長い小山薫堂さんと照美さんの対談、永六輔さんと照美さんの対談を掲載した本です。
 本文からいくつか引用させていただくと、
・「若い頃は、『くだらないこと』『バカバカしいこと』をテーマに掲げて、ラジオならではの笑いを夢中になって追求してきた。もちろん今でも、くだらないことやバカバカしいことは大好きだ。たくさんの笑いをリスナーに届けたい、と思っている」
・「(前略)予備校の授業が終わると、みんなラジオの話題で盛り上がってるんですよ。那智チャコ(野沢那智と白石冬美)の『パックインミュージック』の話をしている人が多かったかな」
・「東京アナウンスアカデミーの授業では、やたら自己紹介させられるんです。そのときに僕が感じたのは、やっぱり、聞いてるみんなが笑えるような自己紹介が一番いいんじゃないかということ」
・「そんな中で出会ったのが、TBSラジオの深夜放送『パックインミュージック』の小島一慶さん。『パックインミュージック』は、愛川欽也さんや那智チャコのお二人も面白かったんですけど、僕にとっては小島一慶さんの月曜日が一番でした。一慶さんがすごいのは、しゃべりがアナウンサーっぽくないんです。自分の日々の生活の中で感激したことや興味を持ったことを話すんですが、それをごくごく普通の言葉で表現しているところが画期的でした」
・「もちろん深夜放送も元気な時代でした。そもそも僕は、深夜放送のディスクジョッキーがやりたくてアナウンサーになったわけですが、(後略)」
・「『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』が始まったのも、ちょうどこの年なんです。鶴光さんは、ラジオならではの、“笑えるエロ”というものを編み出した人でした。実際に見せるよりも、音で想像力や妄想力をかきたてるからこそ、いやらしいんだ、という切り口は新鮮で、まさにラジオならではの面白さなんです」
・「ただ当時は、鶴光さんに限らず、深夜のラジオでは、性的な好奇心を刺激してくれるような番組がけっこうあったんです。僕が特に好きだったのが、TBSラジオの『私のロストラブ』という番組。素人の女の子をスタジオに呼んで、その子の初体験にまつわる想い出話を事細かにインタビューするんです。(中略)普段、女の子からそんな話を聞くことなんて、まずないじゃないですか。だから僕も、食い入るように聴いてました。パーソナリティは、なんと中村メイコさん。庶民派のお母さんというイメージを持っている方も多いと思うんですけど、この番組のメイコさんは素晴らしかった。決して下品ではないんだけど、ドキドキさせてくれるんです」
・「ただ、今にしてみると、その頃の自分が、同じ文化放送の先輩アナウンサーよりも、どちらかと言うと他局のアナウンサーのしゃべりを目指していたということが、ラッキーだったなと思う。僕はそもそも小島一慶さんや久米宏さんに憧れてこの世界に入ったわけですから、(中略)文化放送の他のアナウンサーとは違うカラーを出すことができたし、文化放送の中で、多少なりとも目立つことができたんです」
・「60年代の終わり頃から70年代あたりまでの時期というのは、ラジオがヒット曲の発信源でした(後略)」
・「由紀さおりさんの『夜明けのスキャット』もラジオから火がついた曲だったし、一時、イギリスのベイ・シティ・ローラーズというバンドが大ブレイクしたことがあるんですけど、あれは文化放送が仕掛けたブームなんです」
・「(前略)ラジオというのは、常にリスナーがしゃべり手に対して応援の気持ちをもって聴いてくれるようなところがあるんです」
・「(『パンチDEデート』は)いわゆるお見合い番組で、一般の男女がスタジオに出てきて、カーテンで仕切られてお互いに姿が見えない状態で話をしていくんです。三枝さんが女性側、きよしさんが男性側につくんですけど、途中、三枝さんがカーテン越しに覗いて男性の顔をチェックするんですよ。そのときのリアクションが最高で、『オヨヨ! 西城秀樹というよりも……最後のおでき、という感じ』。あの言葉の表現力はすごいなって」
・「そこで、笑いに関して特に才能がない自分が、ラジオで何をしゃべろうかと考えたときに、“失敗談”が武器なんだということに気づいたんです」
・「80年10月、『吉田照美のてるてるワイド』がスタートしました。平日の夜9時から深夜0時までの生放送で、僕にとって初めての帯ワイド番組になります」(明日へ続きます……)