天童荒太さんの’16年作品『ムーンナイト・ダイバー』を読みました。
冒頭部分から引用させていただくと、
「眠気を誘う穏やかな海の上にのぼった立待月(たちまちづき)が、闇の底から町をすくい上げる。
満月から二日が過ぎた立待月は、やや欠けているにせよ丸くふくらみ、雲なく晴れた夜のため、目立った産業のないこの海辺の町をほの明るく照らし出している。
瀬奈舟作(せなしゅうさく)が小型トラックを走らせている海岸通りに、明かりの灯っている家は少ない。じき午前一時という時間のせいもあるが、家に人が住んでいない場合がある。
通りの向かって右手、突堤との狭間の海沿いに長く伸びる空き地同然の土地には、新しい建材を用いた洒落たデザインの住宅が、ぽつん、ぽつんと、間を置いて建っている。(中略)
だが、道路からは見えない海側の壁やバルコニーが、見るも無残に壊れていたり、家のなかの柱や階段や土台部分などに修復の難しい損壊が生じていたりして、人が住むことはできない家屋なのだという。
これらの家々は、新築か、もしくは近年建てたもので、土台のコンクリートと上の家屋をしっかりとつなぐ工法だったのだろう。その周りにあった古い家々は、土台の上に家屋をただ載せるだけの旧来の工法だったゆえに、当時、ほとんどが一瞬のうちに波に押し流され、引き潮にさらわれて、消失した。向かって右手の海沿いの土地が、空き地同然に見えるのは、そのためだ。(中略)
この町は避難指示区域には入っていない。だが四年半近く前、かなりの数の住民が一時避難し、その後、この土地で生まれ育った中高年の多くは戻ったものの、幼い子どもを持つ家族連れは、おおかたが避難先に身を落ち着けてしまった。さらに、地元の漁業や水産加工の仕事で暮らしを立てていた住民が少なくなかったこともあり、時間が経つごとに、町に残っていた人々さえ、少しずつ離れているのが現状だと聞く。(中略)
この町には、子どもの頃の夏休みによく訪れていた。街灯はもっと間隔をつめて立っていたと覚えている。あの日に、街灯も電信柱も信号も、そのほとんどが根もとから折リ曲げられ断ち切られたのだろう。いまなおこれらも完全には復旧していない。」……
主人公の舟作は4年半前の津波で両親と兄が悲惨な死を遂げたのを目撃し、現在は、やはり後継ぎだった健太郎を津波で失った元漁師の文平とともに、事故を起こした福島原発の近くの、帰還困難区域の海で密かに月1回、被ばくの危険を冒しながら、海底に潜って遺品の捜索をしています。依頼者は珠井という男で、妻と14歳の娘と震災以来、音信不通でした。違法行為に当たるため、極めて秘密にことを運んでいたのですが、計画を知った珠井の親友を通じて、信用できる人物を少しずつ紹介し合う形で、会員は十人程度になっていて、舟作との窓口は珠井一人となっていました。
ある日、拾得物を珠井のところへ届ける帰りに、舟作は透子という女性から声をかけられ、彼女が会員の一人であることを知ります。透子は結婚するはずだった男性とたまたま喧嘩していた時に、大震災に会い、その男性と連絡が取れなくなっているのでした。彼女は服職デザイナーをしていて、彼が指にはめていた独特の形の指輪をもし発見しても持ち帰らないでほしいと舟作に頼みます。
舟作はそう言われて、かえって指輪を探し始めます。何回か透子と話す間に、透子は今付き合っている人がいて、指輪が見つかれば、その人と結婚し、見つからなければ、一生独身でいるつもりだと舟作に言います。そしてある晩、ついに舟作は指輪を発見しましたが、それはそれをはめていた人骨とともに流れに乗り、急に深さを増す深淵へと動いていきます。舟作は無理をしてそれを取りに行こうとしますが、ふいに背中側から彼を押しとどめる無数の手が出現し、彼が振り返ると、それは舟作の知人で震災で亡くなった者たちの姿でした。
舟作はいろんな人に支えられて自分が生きていることを改めて知り、透子には指輪が見つかったことを知らせます。そして思い出の種を、思い出を失った人たちに運んでいく鳥を見たという自分の娘と息子、そしてそれに同調する妻たちに舟作は近づいていき、小説は終わります。
父を津波で失い、母が再婚するというので喧嘩をして家出してきた姪に対し、舟作が手を強く握って「大丈夫だ」と言うシーン、また、父が舟作の身代わりで仕事場に行って津波に会ったことで、舟作の姉弟が舟作を失わなくってよかったと姪が語るシーンは胸に響くものがありました。また、津波に破壊された街を海中で見てきた後、荒れた気持ちで妻を抱くシーンはすごくエロティックに描かれていたことも付け加えておきたいと思います。
冒頭部分から引用させていただくと、
「眠気を誘う穏やかな海の上にのぼった立待月(たちまちづき)が、闇の底から町をすくい上げる。
満月から二日が過ぎた立待月は、やや欠けているにせよ丸くふくらみ、雲なく晴れた夜のため、目立った産業のないこの海辺の町をほの明るく照らし出している。
瀬奈舟作(せなしゅうさく)が小型トラックを走らせている海岸通りに、明かりの灯っている家は少ない。じき午前一時という時間のせいもあるが、家に人が住んでいない場合がある。
通りの向かって右手、突堤との狭間の海沿いに長く伸びる空き地同然の土地には、新しい建材を用いた洒落たデザインの住宅が、ぽつん、ぽつんと、間を置いて建っている。(中略)
だが、道路からは見えない海側の壁やバルコニーが、見るも無残に壊れていたり、家のなかの柱や階段や土台部分などに修復の難しい損壊が生じていたりして、人が住むことはできない家屋なのだという。
これらの家々は、新築か、もしくは近年建てたもので、土台のコンクリートと上の家屋をしっかりとつなぐ工法だったのだろう。その周りにあった古い家々は、土台の上に家屋をただ載せるだけの旧来の工法だったゆえに、当時、ほとんどが一瞬のうちに波に押し流され、引き潮にさらわれて、消失した。向かって右手の海沿いの土地が、空き地同然に見えるのは、そのためだ。(中略)
この町は避難指示区域には入っていない。だが四年半近く前、かなりの数の住民が一時避難し、その後、この土地で生まれ育った中高年の多くは戻ったものの、幼い子どもを持つ家族連れは、おおかたが避難先に身を落ち着けてしまった。さらに、地元の漁業や水産加工の仕事で暮らしを立てていた住民が少なくなかったこともあり、時間が経つごとに、町に残っていた人々さえ、少しずつ離れているのが現状だと聞く。(中略)
この町には、子どもの頃の夏休みによく訪れていた。街灯はもっと間隔をつめて立っていたと覚えている。あの日に、街灯も電信柱も信号も、そのほとんどが根もとから折リ曲げられ断ち切られたのだろう。いまなおこれらも完全には復旧していない。」……
主人公の舟作は4年半前の津波で両親と兄が悲惨な死を遂げたのを目撃し、現在は、やはり後継ぎだった健太郎を津波で失った元漁師の文平とともに、事故を起こした福島原発の近くの、帰還困難区域の海で密かに月1回、被ばくの危険を冒しながら、海底に潜って遺品の捜索をしています。依頼者は珠井という男で、妻と14歳の娘と震災以来、音信不通でした。違法行為に当たるため、極めて秘密にことを運んでいたのですが、計画を知った珠井の親友を通じて、信用できる人物を少しずつ紹介し合う形で、会員は十人程度になっていて、舟作との窓口は珠井一人となっていました。
ある日、拾得物を珠井のところへ届ける帰りに、舟作は透子という女性から声をかけられ、彼女が会員の一人であることを知ります。透子は結婚するはずだった男性とたまたま喧嘩していた時に、大震災に会い、その男性と連絡が取れなくなっているのでした。彼女は服職デザイナーをしていて、彼が指にはめていた独特の形の指輪をもし発見しても持ち帰らないでほしいと舟作に頼みます。
舟作はそう言われて、かえって指輪を探し始めます。何回か透子と話す間に、透子は今付き合っている人がいて、指輪が見つかれば、その人と結婚し、見つからなければ、一生独身でいるつもりだと舟作に言います。そしてある晩、ついに舟作は指輪を発見しましたが、それはそれをはめていた人骨とともに流れに乗り、急に深さを増す深淵へと動いていきます。舟作は無理をしてそれを取りに行こうとしますが、ふいに背中側から彼を押しとどめる無数の手が出現し、彼が振り返ると、それは舟作の知人で震災で亡くなった者たちの姿でした。
舟作はいろんな人に支えられて自分が生きていることを改めて知り、透子には指輪が見つかったことを知らせます。そして思い出の種を、思い出を失った人たちに運んでいく鳥を見たという自分の娘と息子、そしてそれに同調する妻たちに舟作は近づいていき、小説は終わります。
父を津波で失い、母が再婚するというので喧嘩をして家出してきた姪に対し、舟作が手を強く握って「大丈夫だ」と言うシーン、また、父が舟作の身代わりで仕事場に行って津波に会ったことで、舟作の姉弟が舟作を失わなくってよかったと姪が語るシーンは胸に響くものがありました。また、津波に破壊された街を海中で見てきた後、荒れた気持ちで妻を抱くシーンはすごくエロティックに描かれていたことも付け加えておきたいと思います。