昨日の続きです。
・「林山さんの“仕事の鬼”っぷりを象徴する逸話があるんです。彼は毎日、自宅で自分の担当する番組のオンエアをチェックする際、自分の目の前にラジオを3台置いて、左から、TBS、文化放送、ニッポン放送とダイヤルを合わせて、同時間帯の番組を3ついっぺんに聴いていたんです」
・「81年の夏、マッチとトシちゃん(田原俊彦)と、それからヨッちゃん(野村義男)の“たのきんトリオ”が、後楽園球場でコンサートを開催することになりました。(中略) 僕の席は外野席の一番後ろの高いところだったんですが、(中略)前の席に座っていた女の子が、僕に気がついて『吉田照美だ!』と叫んだ。すると、そこから『吉田照美だ!』という言葉が伝言ゲームのように前のほうに伝わっていき、どんどんみんながこちらを振り向いていく。気がついたら、、僕の視界に入っている人全員がこちらを見ているんです。(中略)これまでに、いろんな番組でたくさんのイベントをやらせてもらいましたけど、あれほどの熱視線を浴びたのは、後にも先にもこのときだけです」
・「『セイ!ヤング』の頃までずっと、僕にとって理想のラジオパーソナリティは小島一慶さんでした。しかし『てるてるワイド』が始まって3ヵ月後、ラジオ界に大きな革命が起こったんです。そしてそれは僕にも決定的な変化をもたらすことになりました。81年1月1日、あの『ビートたけしのオールナイトニッポン』が始まったんです」
・「僕の中では、深夜放送の世界は、ほとんどやり尽くされた感があったんです。(中略)でも、そんな深夜放送の世界にたけしさんが現れて、『お前らなんかに放送はあげないよ。オイラの放送だよ』と言い切っちゃうかっこよさというのは本当に強烈でした」
・「しかもすごいのは、大人も夢中になって聴いていたということ」
・「ところが僕の人生を振り返ってみると、幼少期は下町で過ごしていたわけで、たけしさんのように『オイラ』とは言わなかったけど、『オレ』とか『オマエ』、とか、割と乱暴な言葉遣いで友達とやりとりしていたことを思い出して、僕にだって“自分の言葉”があるじゃないかということに初めて気づいたわけです」
・「余談ですけど、たけしさんの『オールナイトニッポン』がスタートして間もなく、82年の夏に、その裏でやっていたTBSラジオの『那智チャコパック(中略)』が終わってしまうんです。そのときのリスナーの反響は凄まじかったですね。彼らが番組終了反対の行進を行ったということがニュースにもなるほどでした」
・「芸の世界では『学ぶは“真似ぶ”』という言葉があります。それは『真似るとは、つまり王道を学び、王道に通ず』ということだと思います」
・「3年半は全然、楽勝でした。何の努力もせず天下を取り続けていた。それが3年半経ったところで、強敵が現れるんです。84年2月、ニッポン放送の『ヤング・パラダイス』という番組に、新パーソナリティとして三宅裕司さんが登場したんです」
・「『夕やけニャンニャン』から学んだことがあるとすれば、言葉は悪いんですが、やっぱりテレビは“見世物”なんだということ。同時に、テレビに出ている、しかもヒット番組に出ているということは、すごい波及力があるんだなということは勉強になった気がします」
・「5年半続いた『てるてるワイド』に後ろ髪を引かれる思いを抱えながら、『吉田照美のやる気MANMAN!』が始まったのは、87年の4月。平日午後1時からのワイド番組です」
・「『やるMAN』は、一般のリスナーのみならず、著名人もたくさん聴いてくれた番組で、大橋巨泉さん、井上陽水さん、Mr.Childrenの桜井和寿さん、みなさん何度もゲストで来ていただきました」
・「こうして87年の番組開始から6年目で番組聴取率第1位の座に就いた『やるMAN』は、07年に終了するまで通算で55回も1位となりました。そして番組の知名度とともに、僕と小俣さんの名前も、よりクローズアップされることに。特にそれまで全国的には知られていなかった小俣さんは一気にブレイクしました」
・「『てるてるワイド』時代にフリーになって始めた『11PM』は、『やるMAN』に変わってからも続けることができていました。『11PM』は、僕のテレビレギュラーの中では一番長く続いた番組。丸5年やらせてもらいました」
・「宜保さんが初めてゲストに来たびっくりしました。(中略)。このときはレギュラーの三枝成彰さんと早見優ちゃんが宜保さんに霊視してもらうという企画だったんですが、宜保さんの言うことが全部図星だったみたいで、二人ともどんどん真剣な表情になって、熱心に話に聞き入ってるんです。僕はMCだから霊視してもらう予定はなかったんですけど、CMの間に『僕も何か見えますか?』と聞いたら、すかさず宜保さんが『吉田さんはお父様が小さい頃、ご兄弟を亡くされていますね』。もうその通りなんですよ」(また明日へ続きます……)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
・「林山さんの“仕事の鬼”っぷりを象徴する逸話があるんです。彼は毎日、自宅で自分の担当する番組のオンエアをチェックする際、自分の目の前にラジオを3台置いて、左から、TBS、文化放送、ニッポン放送とダイヤルを合わせて、同時間帯の番組を3ついっぺんに聴いていたんです」
・「81年の夏、マッチとトシちゃん(田原俊彦)と、それからヨッちゃん(野村義男)の“たのきんトリオ”が、後楽園球場でコンサートを開催することになりました。(中略) 僕の席は外野席の一番後ろの高いところだったんですが、(中略)前の席に座っていた女の子が、僕に気がついて『吉田照美だ!』と叫んだ。すると、そこから『吉田照美だ!』という言葉が伝言ゲームのように前のほうに伝わっていき、どんどんみんながこちらを振り向いていく。気がついたら、、僕の視界に入っている人全員がこちらを見ているんです。(中略)これまでに、いろんな番組でたくさんのイベントをやらせてもらいましたけど、あれほどの熱視線を浴びたのは、後にも先にもこのときだけです」
・「『セイ!ヤング』の頃までずっと、僕にとって理想のラジオパーソナリティは小島一慶さんでした。しかし『てるてるワイド』が始まって3ヵ月後、ラジオ界に大きな革命が起こったんです。そしてそれは僕にも決定的な変化をもたらすことになりました。81年1月1日、あの『ビートたけしのオールナイトニッポン』が始まったんです」
・「僕の中では、深夜放送の世界は、ほとんどやり尽くされた感があったんです。(中略)でも、そんな深夜放送の世界にたけしさんが現れて、『お前らなんかに放送はあげないよ。オイラの放送だよ』と言い切っちゃうかっこよさというのは本当に強烈でした」
・「しかもすごいのは、大人も夢中になって聴いていたということ」
・「ところが僕の人生を振り返ってみると、幼少期は下町で過ごしていたわけで、たけしさんのように『オイラ』とは言わなかったけど、『オレ』とか『オマエ』、とか、割と乱暴な言葉遣いで友達とやりとりしていたことを思い出して、僕にだって“自分の言葉”があるじゃないかということに初めて気づいたわけです」
・「余談ですけど、たけしさんの『オールナイトニッポン』がスタートして間もなく、82年の夏に、その裏でやっていたTBSラジオの『那智チャコパック(中略)』が終わってしまうんです。そのときのリスナーの反響は凄まじかったですね。彼らが番組終了反対の行進を行ったということがニュースにもなるほどでした」
・「芸の世界では『学ぶは“真似ぶ”』という言葉があります。それは『真似るとは、つまり王道を学び、王道に通ず』ということだと思います」
・「3年半は全然、楽勝でした。何の努力もせず天下を取り続けていた。それが3年半経ったところで、強敵が現れるんです。84年2月、ニッポン放送の『ヤング・パラダイス』という番組に、新パーソナリティとして三宅裕司さんが登場したんです」
・「『夕やけニャンニャン』から学んだことがあるとすれば、言葉は悪いんですが、やっぱりテレビは“見世物”なんだということ。同時に、テレビに出ている、しかもヒット番組に出ているということは、すごい波及力があるんだなということは勉強になった気がします」
・「5年半続いた『てるてるワイド』に後ろ髪を引かれる思いを抱えながら、『吉田照美のやる気MANMAN!』が始まったのは、87年の4月。平日午後1時からのワイド番組です」
・「『やるMAN』は、一般のリスナーのみならず、著名人もたくさん聴いてくれた番組で、大橋巨泉さん、井上陽水さん、Mr.Childrenの桜井和寿さん、みなさん何度もゲストで来ていただきました」
・「こうして87年の番組開始から6年目で番組聴取率第1位の座に就いた『やるMAN』は、07年に終了するまで通算で55回も1位となりました。そして番組の知名度とともに、僕と小俣さんの名前も、よりクローズアップされることに。特にそれまで全国的には知られていなかった小俣さんは一気にブレイクしました」
・「『てるてるワイド』時代にフリーになって始めた『11PM』は、『やるMAN』に変わってからも続けることができていました。『11PM』は、僕のテレビレギュラーの中では一番長く続いた番組。丸5年やらせてもらいました」
・「宜保さんが初めてゲストに来たびっくりしました。(中略)。このときはレギュラーの三枝成彰さんと早見優ちゃんが宜保さんに霊視してもらうという企画だったんですが、宜保さんの言うことが全部図星だったみたいで、二人ともどんどん真剣な表情になって、熱心に話に聞き入ってるんです。僕はMCだから霊視してもらう予定はなかったんですけど、CMの間に『僕も何か見えますか?』と聞いたら、すかさず宜保さんが『吉田さんはお父様が小さい頃、ご兄弟を亡くされていますね』。もうその通りなんですよ」(また明日へ続きます……)
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)