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ジャ・ジャンクー監督『四川のうた』その1

2012-05-22 05:24:00 | ノンジャンル
 ジャ・ジャンクー監督・共同脚本の'08年作品『四川のうた』をDVDで見ました。
 「新世紀の太陽を迎えて、成発の社員は声高らかに歌う」の字幕。“成発グループ”と大書された正門。中の工場では金属の加工が手作業や大きな機械を使って行われています。
 「2007年12月29日、50年のこの工場ともお別れだ」と演説する男性。古いコンクリートの建物。こちらを見つめる壮年の男性。「24 CITY」のタイトル。
 「芙蓉の花咲く成都、二十四城。城はいにしえより栄えたり」「四川省成都」の字幕。大きな製作機械を乗っけて道を進むトラックの縦移動撮影。古びた工場の内部の横移動撮影。「フー・シークン」の字幕。工場全体の設備を担当していたと先程の壮年の男性は語り、当時第4チームの組長だったワンさんが、手作りしていた道具を常に大切に使っていたことを話し、不義理をしてワンさんに随分長い間会っていないと言います。「フー・シークン 1948年 成都生まれ 1964年 420工場61課所属 整備工の見習を経て軍隊へ」の字幕。当時の社員証の映像。フーは文革期にも、誰もいない工場で一人で働き続けたワンさんのことを語ります。鼻からチューブで酸素吸入しているベッド上の老女を見守る家族。その家族のうちの一人の男性・ワンが街を歩いていく姿を横移動で捕えます。ワンと再会するフーですが、二人ともなかなか言葉が出てきません。耳の遠くなったワンにフーは話しかけ、ワンのことを褒めるとワンは言葉少なに謙遜します。苦し気に呼吸するワンの手と髪をなでるフーは、涙を流します。
 「徹底的かつ確実な科学発展を目指そう!」という横断幕が掲げられた講堂の中に、一人立つ男性。「グァン書記 」「グァン・フォンジョウ 1935年 遼寧省 海城生まれ 420工場では保安課長に続き、工場内の党書記を務めて退職」の字幕。舞台上でバドミントンが行われているのを背景に、グァンは朝鮮戦争時にはミグ戦闘機の修理工嬢だった111工場が移転されて420工場となったこと、111工場の6割の労働者が420工場へ異動させられたことを語ります。
 夜の成都のバスに乗る女性。「ホウ・リィジュン」の字幕。彼女は自分の母が実家にずっと帰りたがっていたが、なかなか帰れず、14年ぶりに母が帰郷した時の様子を語ります。「ホウ・リィジュン 1953年 瀋陽生まれ 420工場では63部門の修理工」の字幕。彼女は夫と一人の子供と暮らす典型的な3人家族でしたが、子供が小6の時に人員削減で失業し、その時のお別れ会の時の様子や、職探しの苦労、警察の目をかいくぐり白蘭の花売りを始めたこと、今は家で裁縫をしてわずかながらも金になる仕事を続けていることを語ります。「すべきころがあれば老けるのも遅い」の字幕。。
 階段で歌う2人の女性。マージャン屋の内部。「退職者用娯楽室・使用規則」の貼り紙。鼻にチューブをつけた男性。犬を抱いた男性。体を寄せ合う夫婦。机の前に一人座る女性。成都の裏町。「指名手配 懸賞のお知らせ」の貼り紙を熱心に見る子供たち。「420工場社員宿舎」の字幕。点滴を右手で高く持ち上げながら街を歩く女性は、公園に置かれたミグ戦闘機の前を通り過ぎます。「ダーリー」の字幕。彼女は建物に入って階段を上り、ソン主任を待っている間、420工場は機密企業で、従業員は特別な待遇を受けていたと語ります。「ハオ・ダーリー 生産ラインのスタッフだった。優秀な女性労働者として表彰を受けている」の字幕。食料チケットの映像。彼女は生活費以外は貯金と実家への仕送りに使い、瀋陽から成都まで船で移動させられた際、3才の息子と生き別れになってしまったことを涙ながらに語ります。空中戦のテレビを見るダーリー。(明日へ続きます‥‥)

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/