森崎東監督の'70年作品『男はつらいよ フーテンの寅』をWOWOWシネマで見ました。シーンのつなぎがワイプで行われスピード感あふれる構成になっていましたが、山田洋次さんによる共同脚本の“泣き”の部分が煩わしく、森崎監督本来の猥雑でスカッとした映画にはなっていなかったように思います。
さて、昨日の続きです。
やがて利一と祐二は、モモ太に出会います。彼は清美の家に近づこうとして憲兵に見つかり左肩に銃傷を負っていました。もう清美の家には行かないと言うモモ太の言葉を聞いて、祐二は再び清美を自分の便所女にする決意を固めます。
清美は幸彦が戻って来たら憲兵に連絡し、幸彦が逃げたら銃殺しろと憲兵隊に言われ、拳銃と電話機を前にして呆然としています。彼女は幸彦の秘密を吐くように憲兵に訊問されましたが、そのような秘密はないと言い張ったため、水責めの拷問に会い、その後、自分の死を体験する幻覚剤『髑髏」を憲兵隊に注射され、その後釈放されたのですが、副作用で殆どの感情が消え、記憶障害も起こしていました。彼女は『髑髏』により、自分が踏み絵でマーテル教の信者であることを認め、肛門から口へと槍を射し込まれる公開処刑によって息絶えるという体験をしていましたが、その恐怖に耐えて生き延び、2度目の『髑髏』の注射にも耐えるという、それまでに例のない意志の強さを示し、これ以上注射を続ければショック死するという憲兵隊の上層部の判断で釈放されたのでした。
すると清美の家に先日訪ねて来た祐二が侵入してきて、清美を四つん這いにさせ、強姦します。次第に体が反応し始めた清美は、兄との情事を思い出し、射精が終わった祐二に強烈な嫌悪と憎悪を覚え、拳銃で祐二を射殺します。清美は憲兵隊にも見つからなかった防空壕に祐二の死体を運びますが、そこには兄と婚約者の腐敗の進んだ死体と、凶器の包丁がありました。
古井戸の中に落ちた雷太は悪夢から覚め、自分が死んでいないことに気付きます。弟たちを探しに、そこへやって来たモモ太は雷太を助けますが、雷太は左半分の脳と左半分の顔を失い、それに伴って記憶も失っていました。モモ太は彼をモノノケのキチタロウのところへ連れて行き、雷太の記憶を取り戻すには他の子供の脳を手に入れればいいこと、そのためにはベカやんに毒を盛って殺し、彼の自動小銃を手に入れることをアドバイスされます。モモ太の家を訪れたベカやんに、モモ太は毒入りの茶を勧めます。ベカやんはそれに気付きますが、雷太の機転で毒をベカやんに注入することに成功し、ベカやんの体は溶けてしまいます。自動小銃を手に入れた二人は村に向かい、喪中の貼り紙にしたがって歩いているうちに、利一と父が祐二を弔っている家に辿り着き、雷太がやって来たことに怯えて逃げ出そうとした二人を射殺します。
利一の頭を手に入れた二人は、キチタロウの元を訪ね、利一の脳を溶かして雷太の頭の傷に注いでもらうと、利一の脳と雷太の脳が融合して、記憶が戻ってきます。雷太は猟師小屋の古井戸に過去の謎を解く鍵があるとして、モモ太とそこへ向かいますが、井戸の中に二人の弟の無残な死体を発見したモモ太は、雷太こそが利一と祐二から殺せと頼まれていた男で、彼が自分の弟たちを殺したと思い込んで、彼との決闘に及ぶのでした。
自己愛はありますが、友情も憐れみもなく、非道・冷酷・狂気・残酷にあふれている、何とも後味の悪い小説でした。文体は読みやすく、一気に読めるものでしたが、特に印象に残る清美の『髑髏』の死の幻覚シーンは、とても「やばい」雰囲気で、ロバート・ケッチャムの『隣の家の少女』を認めてはならないのと同じ理由で、こうした小説も認めたくないと思った次第です。脚本家で映画監督でもある高橋洋くんだったら、どのように読むのだろうと思ったりもしました。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
さて、昨日の続きです。
やがて利一と祐二は、モモ太に出会います。彼は清美の家に近づこうとして憲兵に見つかり左肩に銃傷を負っていました。もう清美の家には行かないと言うモモ太の言葉を聞いて、祐二は再び清美を自分の便所女にする決意を固めます。
清美は幸彦が戻って来たら憲兵に連絡し、幸彦が逃げたら銃殺しろと憲兵隊に言われ、拳銃と電話機を前にして呆然としています。彼女は幸彦の秘密を吐くように憲兵に訊問されましたが、そのような秘密はないと言い張ったため、水責めの拷問に会い、その後、自分の死を体験する幻覚剤『髑髏」を憲兵隊に注射され、その後釈放されたのですが、副作用で殆どの感情が消え、記憶障害も起こしていました。彼女は『髑髏』により、自分が踏み絵でマーテル教の信者であることを認め、肛門から口へと槍を射し込まれる公開処刑によって息絶えるという体験をしていましたが、その恐怖に耐えて生き延び、2度目の『髑髏』の注射にも耐えるという、それまでに例のない意志の強さを示し、これ以上注射を続ければショック死するという憲兵隊の上層部の判断で釈放されたのでした。
すると清美の家に先日訪ねて来た祐二が侵入してきて、清美を四つん這いにさせ、強姦します。次第に体が反応し始めた清美は、兄との情事を思い出し、射精が終わった祐二に強烈な嫌悪と憎悪を覚え、拳銃で祐二を射殺します。清美は憲兵隊にも見つからなかった防空壕に祐二の死体を運びますが、そこには兄と婚約者の腐敗の進んだ死体と、凶器の包丁がありました。
古井戸の中に落ちた雷太は悪夢から覚め、自分が死んでいないことに気付きます。弟たちを探しに、そこへやって来たモモ太は雷太を助けますが、雷太は左半分の脳と左半分の顔を失い、それに伴って記憶も失っていました。モモ太は彼をモノノケのキチタロウのところへ連れて行き、雷太の記憶を取り戻すには他の子供の脳を手に入れればいいこと、そのためにはベカやんに毒を盛って殺し、彼の自動小銃を手に入れることをアドバイスされます。モモ太の家を訪れたベカやんに、モモ太は毒入りの茶を勧めます。ベカやんはそれに気付きますが、雷太の機転で毒をベカやんに注入することに成功し、ベカやんの体は溶けてしまいます。自動小銃を手に入れた二人は村に向かい、喪中の貼り紙にしたがって歩いているうちに、利一と父が祐二を弔っている家に辿り着き、雷太がやって来たことに怯えて逃げ出そうとした二人を射殺します。
利一の頭を手に入れた二人は、キチタロウの元を訪ね、利一の脳を溶かして雷太の頭の傷に注いでもらうと、利一の脳と雷太の脳が融合して、記憶が戻ってきます。雷太は猟師小屋の古井戸に過去の謎を解く鍵があるとして、モモ太とそこへ向かいますが、井戸の中に二人の弟の無残な死体を発見したモモ太は、雷太こそが利一と祐二から殺せと頼まれていた男で、彼が自分の弟たちを殺したと思い込んで、彼との決闘に及ぶのでした。
自己愛はありますが、友情も憐れみもなく、非道・冷酷・狂気・残酷にあふれている、何とも後味の悪い小説でした。文体は読みやすく、一気に読めるものでしたが、特に印象に残る清美の『髑髏』の死の幻覚シーンは、とても「やばい」雰囲気で、ロバート・ケッチャムの『隣の家の少女』を認めてはならないのと同じ理由で、こうした小説も認めたくないと思った次第です。脚本家で映画監督でもある高橋洋くんだったら、どのように読むのだろうと思ったりもしました。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)