”ばっきん”のブログ

日常生活中心のブログです。
平成28年9月から妻と息子、母の4人で暮らしています。

ユージン・オーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団

2010年09月24日 23時20分35秒 | 想い出
誰にでも忘れられない演奏会を記憶にとどめているものがあるだろう。
私の場合は,外国のフルオーケストラで初めて聴いた1978(昭和53)年6月3日(土)のNHKホールでのユージン・オーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団の演奏だ。
当時は大学で3年生吹奏楽部に所属し,トランペットを吹いていた時期だが,アメリカのメジャーオーケストラの金管の実力はどの程度のものなのかと期待を膨らませて臨んだのだが,正直度肝を抜かれた印象だけが今も鮮明に覚えている。
演目は,前半がサミュエル・バーバー作曲の管弦楽のためのエッセイ第2番作品17とワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」~前奏曲と愛の死,後半はチャイコフスキーの交響曲第4番であった。
それまで実演では,日本のオーケストラしか聴いていなかっただけに録音と比べてライブはがっかりするものだと思い込んでいたが,円熟のフィラデルフィア・サウンドは,異次元の世界だった。
弦楽合奏がうねる,金管の音が飛んでくるといった感覚はまさに驚異そのものだった。
これは凄い,録音には入りきらない音だと思ったのは後にも先にもこの1回だけ,40年以上も同楽団の常任を勤めたオーマンディならではのサウンドだったのだろう。
日本の気むずかしいクラシック・ファンには,精神性に欠けるとか,外面的とかと酷評されることが多い同コンビだが,楽器を演奏する立場から言えば,「バカ言うな!こんな演奏はそうできるもんじゃない」と叫きたい衝動に駆られたのだ。
ワーグナーの官能的な世界は,驚異的なアンサンブルを誇る同楽団のストリングスの独壇場であり,
チャイコフスキーのフィナーレにおけるトランペットの強奏は弾丸のように私の頭をぶち抜いた。
以来,私の評価の基準はこのときの感動が礎となっており,現在に至るのである。

残念ながら,オーマンディの亡き後は,正直言ってこの楽団の良さは充分に引き出すことの出来ない指揮者ばかりだったような気がしてならない。
30年以上経ったが,いつまでも昨日のことのように頭から離れない思い出である。