自転車にまつわる四方山話(よもやまばなし)

自転車に関する気ままなブログです。

創刊号 その3 「BICYCLE NAVI」

2012年07月14日 23時28分18秒 | 
「創刊号」は、ある日突然、書店に登場します。
大抵、発売予告などなく書店の『スポーツ/自転車』のコーナーに、さも以前からその場所にあったように置かれ、下手をすると見落としてしまいそうなぐらい普通に並びます。

また、注意しないと、Vol.2がいつ発売される分からなかったりもします。
月刊であれば良いのですが、偶数月発刊や季刊、シーズン中のみの発刊等々。
そして、いつの間にか、休刊していたり・・・。



さて今回は、「BICYCLE NAVI」です。





別冊CG とあるように、自動車雑誌「カーグラフィック」の別冊として創刊しました。

創刊号の表紙は、自転車雑誌っぽくなく、「カーグラフィック」誌を彷彿させるもので、自動車と自転車のコラボをイメージさせるものでもありました。



しかし、Vol.2では、全くイメージを変えた表紙になりました。





出版社は、発刊当時「二玄社」。
2010年に、二玄社からの発刊が休刊となりましたがその後「ボイス・パブリケーション」となって復刊し現在に至っています。


日常生活の延長線上で自転車をとらえている内容で、レーサージャージを着てロードバイクをバリバリ乗るとか、ランドナーでツーリングなどはあまり取り上げられていません。
ファッションの一部として、また身近に自転車と接する方法やグッズが多く取り上げられているようです。
これは、あくまでも個人の主観です。
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DeRosa Planet プラネット その6

2012年07月11日 23時22分03秒 | 完成車
Planetは、DeRosaの中でも早い時期にインテグラルヘッドを取り入れたモデルです。

ヘッドチューブに組み込まれているカートリッジベアリングは、シマノ製。
DeRosaと言えば、Campagnoloのはずなのですが・・・。
この時期、カンパ製が無かったからなのでしょうか?
その真偽は分かりません。

カートリッジベアリングを押さえるトップキャップには「DeRosa」の刻印がありますが平たい形状で、ステアリングコラムにスペーサーを多く入れると間抜けた感じになってしまいます。







本格的な競技者であれば前傾も深く、ステムもヘッドパーツにピッタリくっつきスペーサーなど不要なのでしょうが、悲しいかなのんびりサイクリストはスペーサーをたっぷり使い、そのため「間抜けた」ステアリングの印象を与えてしまいます。







少しでも「間抜けた」感を払拭するためにアクセントをつけてみました。






中間に色を入れました。

見た目は「色」のついた5mmのスペーサーを中間に挟んだだけのことなのですが、ちょっとした工夫が必要でした。

Planetのステアリングコラムは、1インチ。
最近はほとんどオーバーサイズ(OS)で 1・1/8インチ。
OSには、多くの色つきスペーサーが市販されていますが、1インチは黒のみ。
自分で色をつけるしかありません。
さてどうするか?

最初に試みたのが、スペーサーへのペイントです。
しかしこれは下地の黒が強すぎて映ってしまい美しくありませんでした。
白色などで下地を作ってからイエローを重ねればいいのでしょうがこの方法は断念。

次に試みたのがカッティングシートを貼ることです。
これは良いアイデアでした。
二重に巻けば下地の黒も気になりません。
5mmの幅にカッティングシートを巻くのは大変なので大きめに貼ってはみ出た部分をカッターで切り取れば仕上げもキレイです。

単なる自己満足の小ネタでした。


ついでに、Merakの写真も・・・
こちらはカラーのスペーサーを挟んでいます。






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創刊号 その2 「VELO MAGAZINE」(ベロ マガジン)

2012年07月10日 23時26分29秒 | 
新幹線乗車までのわずかな乗り継ぎ時間、新大阪駅構内の本屋に立ち寄ったところ
「颯爽登場!VOL.1 世界最高級の自転車競技マガジン 日本上陸!」
『VELO マガジン日本版』
という見出しが目に入り思わず購入しました。






自転車雑誌でありながら表紙は、バットマン風?
「VOL.1」に惹かれ購入したもののこの表紙は「世界最高級の自転車マガジン」には見えません。
新幹線の中で読むのにはちょうど良くじっくり読んでみると、キャッチコピーと不釣り合いな表紙は、フランスで発刊されている「VELO MAGAZINE」の焼き直しのためのようでした。
たまたま創刊号となった6月号がイラストで、例月の表紙は選手の写真のようです。

内容は、ヨーロッパを中心としたロードレースに関するレポートや選手インタビュー。
かなりマニアックな内容で選手の小ネタも多く記載されています。
フランス発行の日本語版だからでしょうか。
海外のレース情報に飢えているような人には良いでしょう。

写真も綺麗で紙質も良いのですが、100ページ足らずで 1,500円は最高級?。
個人的には、正直少し高いと感じる設定です。
内容も八重洲出版「CICLISSIMO(チクリッシモ)」に似ており価格設定も近く購読者がかぶりそうな気がします。


出版社は?と見てみると、なんと!「ベースボールマガジン社」でした。
「自転車競技マガジン」から復活でしょうか?
今後の展開に期待したいです。
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DeRosa Planet プラネット その5

2012年07月09日 23時21分50秒 | 完成車
既成のフレームを購入して悩むのはポジション出しです。
複数台を並行して乗る者にとってポジションのわずかな違いは、「楽しくライディングする」ことに影響します。
「何かしっくりこない」と思いながら乗る、あるいは「いつもと違うところにストレスがある」というのは嫌なものです。
それでも慣れ親しんだパーツで組み上げていれば、そのフィーリングの違いは掴み易いものです。
しかし、せっかくの新しいバイクなのでこれまでとは違ったパーツを使いたいとスケベ心を起こして取り付けると後で大変な目にあったりします。

それまで乗っていたロードのバーはすべてマースバーと言われるクラシカルなタイプ。
Planetはインテグラルヘッドでもあり、ここは少し冒険を兼ねてアナトミック形状のバーにチャレンジしようと取り付けてみました。





ハンドルバーは、「DEDA 215 アナトミック」、ステムは 「DEDA ニュートン 26」の100mm。
この時すでに、ステムを110mmから100mmに交換した後です。

それでもこのアナトミック形状では、ドロップが深すぎ、しかも随分バーが遠く感じました。
ステムを短くしてもポジションに合わないので、同じアナトミック形状でもドロップが浅くリーチも比較的短いものをパーツカタログ等で探し交換しました。





「日東 M190 Euro」です。
Euroの意味は、カンパ エルゴ用の意味でバーにブレーキ用とシフト用の2つの溝があるものです。
(当時シマノは、ブレーキワイヤーのみバーに沿わすタイプで、現在はシフトも沿わす形状です)

アナトミック形状は、近年のロードポジションの変化に対応した形状です。それは、以前よりバーの位置を高くて遠くにするというものです。
しかし、これが私にはどうもしっくりこないようです。





昔からなじみのある形状に変更しました。結局、冒険は失敗?
「DEDA 215 シャロー」です。
この形状には安心感があります。

あと少し何とかならないものか・・・。





ステムを90mmにしました。
これでポジションの違和感は解消されました。

ステムの100mmから90mmの変更で、ポジションは改善されましたがプロポーションは「残念」な結果になってしまいました。
仕方ないですね。


さて、交換した部品たち。
もちろん購入したものです。
一部手放しましたが、手元に残ったものも。
家人に見つかったら大変なことになります。
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創刊号 その1 「自転車競技マガジン」

2012年07月08日 11時17分10秒 | 
自転車に興味を持ち最初に購読したのが、「サイクルスポーツ」誌でした。
その1974年4月号です。




何度も何度も読み返し本はボロボロとなりましたが、それ以降の本を大半処分したもののこの本だけは手元に残しました。

「サイクルスポーツ」の創刊は、1971年(昭和46年)1月だそうなので、今となれば創刊とほぼ同じ期間自転車に係わってきたことになります。



1975年4月からは「ニュー サイクリング」誌も購読するようになりました。





入門的な「サイクルスポーツ」に対し、年齢層・経験も少し上の層を読者にしていた「ニュー サイクリング」は別の意味で新鮮でした。

「ニュー サイクリング」誌の創刊が、1963年1月なので約50年ということになります。
かなりマニアックな内容だったので、読者の好き嫌いははっきりしていたようです。

この頃、自転車を趣味にする人の絶対数は少なく、楽しみ方のジャンルもツーリング派かロード派かのいづれかで、現在のように多様な楽しみ方はありませんでした。
自転車をファッションの一部ととらえるなど想像もできませんでした。


ロードパーツとしてシマノの「Dura-Ace」やサンツアーの「サイクロン」等が登場し、ロードレーサーが普及していくものの自転車競技(ロード)の草レースは皆無で、レース参加者は連盟に登録をしなければなりませんでした。
アマチュアですが、競技者志向でなければレース参加は難しかったように思います。

そんな中で選手登録をせずに一般人が参加できるレースとして開催されていたのが「チャレンジ サイクルロードレース」(修善寺)です。
4月の、まだシーズン始まったばかりの肌寒い時期に開催されるレースですが、元祖一般参加のレースだと思います。

その後、「神鍋カップ」というサンツアーの前田工業主催のレースも開催されるようになりました。
(個人の記憶なので記憶違いがあるかもしれません。)


徐々に自転車競技人口が増加していたその時代に創刊されたのが、「自転車競技マガジン」です。





創刊は、1978年(昭和53年)10月、発刊は ベースボールマガジン社。

純競技雑誌で、「サイクルスポーツ」や「ニューサイクリング」とは一線を画するものでした。
「ベースボール マガジン」の自転車版で体裁も準じていたように思います。
表紙は、ベルナール・イノー。
当時、ロード界の絶対君主!
乗っている自転車は、ジタン(仏)でカンパニョーロ スーパーレコード仕様です。
ステムは、チネリではなく日東「パール」で、「帝王イノーに認められた」と日東の方がそのことを後日語っていました。

レースに特化した内容は、それはそれで面白かったです。

草レースは、その後もどんどん増えてはいったのですが、「自転車競技人口が増えた」のではなく「競技機会が増えた」ことに留まったのか、「自転車競技マガジン」は廃刊(休刊?)してしまいました。

今の時代であれば、もっと受け入れられ読者も多かったでしょう。
時期が少し早かったのかもしれません。


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