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自転車にまつわる四方山話(よもやまばなし)

自転車に関する気ままなブログです。

創刊号 その3 「BICYCLE NAVI」

2012年07月14日 23時28分18秒 | 
「創刊号」は、ある日突然、書店に登場します。
大抵、発売予告などなく書店の『スポーツ/自転車』のコーナーに、さも以前からその場所にあったように置かれ、下手をすると見落としてしまいそうなぐらい普通に並びます。

また、注意しないと、Vol.2がいつ発売される分からなかったりもします。
月刊であれば良いのですが、偶数月発刊や季刊、シーズン中のみの発刊等々。
そして、いつの間にか、休刊していたり・・・。



さて今回は、「BICYCLE NAVI」です。





別冊CG とあるように、自動車雑誌「カーグラフィック」の別冊として創刊しました。

創刊号の表紙は、自転車雑誌っぽくなく、「カーグラフィック」誌を彷彿させるもので、自動車と自転車のコラボをイメージさせるものでもありました。



しかし、Vol.2では、全くイメージを変えた表紙になりました。





出版社は、発刊当時「二玄社」。
2010年に、二玄社からの発刊が休刊となりましたがその後「ボイス・パブリケーション」となって復刊し現在に至っています。


日常生活の延長線上で自転車をとらえている内容で、レーサージャージを着てロードバイクをバリバリ乗るとか、ランドナーでツーリングなどはあまり取り上げられていません。
ファッションの一部として、また身近に自転車と接する方法やグッズが多く取り上げられているようです。
これは、あくまでも個人の主観です。
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創刊号 その2 「VELO MAGAZINE」(ベロ マガジン)

2012年07月10日 23時26分29秒 | 
新幹線乗車までのわずかな乗り継ぎ時間、新大阪駅構内の本屋に立ち寄ったところ
「颯爽登場!VOL.1 世界最高級の自転車競技マガジン 日本上陸!」
『VELO マガジン日本版』
という見出しが目に入り思わず購入しました。






自転車雑誌でありながら表紙は、バットマン風?
「VOL.1」に惹かれ購入したもののこの表紙は「世界最高級の自転車マガジン」には見えません。
新幹線の中で読むのにはちょうど良くじっくり読んでみると、キャッチコピーと不釣り合いな表紙は、フランスで発刊されている「VELO MAGAZINE」の焼き直しのためのようでした。
たまたま創刊号となった6月号がイラストで、例月の表紙は選手の写真のようです。

内容は、ヨーロッパを中心としたロードレースに関するレポートや選手インタビュー。
かなりマニアックな内容で選手の小ネタも多く記載されています。
フランス発行の日本語版だからでしょうか。
海外のレース情報に飢えているような人には良いでしょう。

写真も綺麗で紙質も良いのですが、100ページ足らずで 1,500円は最高級?。
個人的には、正直少し高いと感じる設定です。
内容も八重洲出版「CICLISSIMO(チクリッシモ)」に似ており価格設定も近く購読者がかぶりそうな気がします。


出版社は?と見てみると、なんと!「ベースボールマガジン社」でした。
「自転車競技マガジン」から復活でしょうか?
今後の展開に期待したいです。
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創刊号 その1 「自転車競技マガジン」

2012年07月08日 11時17分10秒 | 
自転車に興味を持ち最初に購読したのが、「サイクルスポーツ」誌でした。
その1974年4月号です。




何度も何度も読み返し本はボロボロとなりましたが、それ以降の本を大半処分したもののこの本だけは手元に残しました。

「サイクルスポーツ」の創刊は、1971年(昭和46年)1月だそうなので、今となれば創刊とほぼ同じ期間自転車に係わってきたことになります。



1975年4月からは「ニュー サイクリング」誌も購読するようになりました。





入門的な「サイクルスポーツ」に対し、年齢層・経験も少し上の層を読者にしていた「ニュー サイクリング」は別の意味で新鮮でした。

「ニュー サイクリング」誌の創刊が、1963年1月なので約50年ということになります。
かなりマニアックな内容だったので、読者の好き嫌いははっきりしていたようです。

この頃、自転車を趣味にする人の絶対数は少なく、楽しみ方のジャンルもツーリング派かロード派かのいづれかで、現在のように多様な楽しみ方はありませんでした。
自転車をファッションの一部ととらえるなど想像もできませんでした。


ロードパーツとしてシマノの「Dura-Ace」やサンツアーの「サイクロン」等が登場し、ロードレーサーが普及していくものの自転車競技(ロード)の草レースは皆無で、レース参加者は連盟に登録をしなければなりませんでした。
アマチュアですが、競技者志向でなければレース参加は難しかったように思います。

そんな中で選手登録をせずに一般人が参加できるレースとして開催されていたのが「チャレンジ サイクルロードレース」(修善寺)です。
4月の、まだシーズン始まったばかりの肌寒い時期に開催されるレースですが、元祖一般参加のレースだと思います。

その後、「神鍋カップ」というサンツアーの前田工業主催のレースも開催されるようになりました。
(個人の記憶なので記憶違いがあるかもしれません。)


徐々に自転車競技人口が増加していたその時代に創刊されたのが、「自転車競技マガジン」です。





創刊は、1978年(昭和53年)10月、発刊は ベースボールマガジン社。

純競技雑誌で、「サイクルスポーツ」や「ニューサイクリング」とは一線を画するものでした。
「ベースボール マガジン」の自転車版で体裁も準じていたように思います。
表紙は、ベルナール・イノー。
当時、ロード界の絶対君主!
乗っている自転車は、ジタン(仏)でカンパニョーロ スーパーレコード仕様です。
ステムは、チネリではなく日東「パール」で、「帝王イノーに認められた」と日東の方がそのことを後日語っていました。

レースに特化した内容は、それはそれで面白かったです。

草レースは、その後もどんどん増えてはいったのですが、「自転車競技人口が増えた」のではなく「競技機会が増えた」ことに留まったのか、「自転車競技マガジン」は廃刊(休刊?)してしまいました。

今の時代であれば、もっと受け入れられ読者も多かったでしょう。
時期が少し早かったのかもしれません。


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「サンツアーの軌跡」 その2

2011年10月13日 22時33分35秒 | 


このグランプリは、随分昔、ショップの片隅にさびしそうに置かれていたものでした。
入手したのがいつ頃だったか、どこのショップだったかも記憶があいまいで、ただ覚えていいるのは、
既にディレーラーは軽合が主流で、スチールのディレーラーなど見向きもされなくなっていたという
ことです。
当時、古いパーツを集めるのが好きで、ただ「古そう」ということだけで買い求めたもでした。
機構がどうかも分からず、それほど興味もわかず、そのまま「パーツ缶」に入れっぱなしにしていました。
保有していることすら忘れていたのです。

「サンツアーの軌跡」を読んで、このグランプリが「スラントパンタ機構」の初搭載機で、「サンツアーの」、
と言うより「その後のすべてのディレーラーの」エポックメイキングとなるものだということを知りました。
私のパーツ缶の中でイジケていたものが、ようやく日の目を見ることができたようです。





機構は、「スラントパンタ」と呼ばれるフリーに沿ってプーリーが平行に動く、今では当たり前のものです。
カンパもシマノもスラムもこの動きをしなければ、インデックス機構は働かないというものです。

その画期的な機構を初めて搭載したディレーラーが、このグランプリだったのです。
サンツアー、凄い!
しかし、残念なことにサンツアーは、その後なくなってしまいました。残念・・・。

私は、今でもサンツアーが大好きです。
サイクロンの初期型はミニベロで現役、シュパーブの最終型はミキストに装着されています。

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「サンツアーの軌跡」 その1

2011年10月11日 22時11分11秒 | 
「旅する自転車の本」(出版社)3号のサブタイルは、『サンツアーの軌跡』というもので、オールドサイクリスト
の私にとっては楽しくまた興味深い記事がたくさん盛り込まれていました。



自転車に興味を持ち始めたころの憧れのパーツは、正にサンツアーのパーツで、カンパニョーロなど一桁違う
価格は到底買える筈もなく、当時の国産パーツのポピュラーなものが精々でした。
最初に買ったリアディレーラーは、「VーLUXE」(Vラックス)です。



このディレーラーは、ハイテン鋼のランドナー擬きの自転車に装着し、随分酷使しました。
途中で通学用に転用したため雨や泥を日常的にかぶり、しかもあまり掃除をしない環境で使われたにもかかわら
ず、トラブルはありませんでした。
フリーはパーフェクトで、このフリー価格も安くしかも丈夫でディレーラーとの相性も非常に良いものでした。

最初に買ったディレーラーが、「VーLUXE」と書きましたが、その前に使っていたのが「スキッター」です。



初めて買った変速機付のサイクリング車(ご多分に漏れず、「電子フラッシャー」というウインカーやストップ
ランプが付いていてセミドロップハンドルでした)に装備されていたものです。
シフトレバーはトップチューブにあり、さながら車のフロアシフトのような形をしていました。
変速機の扱いなど理解しないで使っていましたが、壊れることなく役割を終えました。

『サンツアーの軌跡』では、スキッター命名やその開発の様子やエピソード、さらに当時の日本の状況などが書か
れていて、今知ると「そういう時代だったのか」と改めて当時を振り返ることができます。

「VーLUXE」をパーツの入っている缶から探しているとこんなものも出てきました。



「GRAND-PRIX」(グランプリ)です。
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