のんびりしているうちに、21日の夏至が近づいてしまいました。だいたい6月21日のことが多く、4年に1回くらいの頻度で22日になることもあります。言わずと知れているように、北半球では一年の中で最も昼間の時間が長く、夜の時間が短い日です。ただし日の出が最も早く、日の入りが最も遅い日ではないとのこと。その辺の理屈は、私では説明できません。東京では昼間の時間は14時間50分、夜の時間は9時間25分ですから、その差は約5時間もあります。東京の日の出は4時27分、日の入りは19時ちょうどくらいです。
またこの日は太陽の南中高度が最も高い日でもあります。この日の南中高度は、90度-(その場所の緯度-地軸の傾き23.5度)で計算できますから、東京の緯度を35.5度とすると、南中高度は78度という事になります。78度というと、ほとんど真上から照らすようなものですから、当然影の長さが最短になります。太陽の高さを直接見つめて観測することはできませんから、昔の人は影の長さで太陽高度が最も短いということを知ったわけです。太陽高度が高いということは、月の南中高度はその反対に低くなりますから、これなら観測できます。梅雨時で月の見えないことが多いでしょうが、この時期には月の高度が低いということにも注目したいものです。
日本の最南端である沖ノ鳥島の北緯は20度ですから、北回帰線より南にあります。それでここでは南中時には影が南側にできるはずです。もちろん体験しているわけではありませんが、理屈上はそうなります。
また日の出の位置や日の入りの位置が、最も北寄りになる日でもあります。朝早く起きて、太陽がどの位置から上ってくるか、また夕方に、どの位置に沈むかを観測しておくと面白いですよ。その位置を基準として、次第に南に寄ってきますから、それによって季節の移ろいを実感することができるでしょう。
夏至初めとする冬至・春分・秋分・立春・立夏・立秋・立冬の二至二分四立は世界中共通の日です。もちろん南半球では夏と冬、春と秋が逆になりますが、日にちは同じです。よく旧暦は中国の暦の直輸入であるとケチを付ける人がいますが、この八つは世界共通ですから、中国の暦云々という批判は、全くの的外れです。もちろん各国の標準時や地球の自転の関係で、一日くらいの前後はありますが・・・・。
古人は夏至には全く関心がなかったようで、夏至を詠みこんだ古歌は見当たりません。ですからこの日に特に行われる伝統行事もなく、地域によっては、大阪地方の蛸のようにこの日に特に食べるものがあることもあるようですが、全国的共通理解に至っているものはなさそうです。
夏至から次の節気の小暑の間の七十二候については、まず初候としては、「乃東枯」と言います。これは「ないとう かる」と読みます。ネットでは「枯るる」と読んでいることが多いのですが、次に続く言葉がないのに「枯るる」と連体形で読む必要はなく、終止形の「枯る」と読むのが正しいと思います。ただし連体形で終わることによって、余韻や感動を表現するという修辞法もありますから、一概に誤りと決めつけることもできません。しかし敢えてここで連体形で終わる必要性を感じられず、私としてはすっきりしません。ただ七十二候の中には他にも連体形で終わるものがいくつかあることは申し添えておきましょう。「乃東」は夏枯草(なつかれぐさ)のことだそうで、植物名としては、「ウツボグサ」というのだそうです。私は見ればわかるのですが、わからない方はネットで検索して映像をご覧ください。なぜこの草が選ばれたのか、私には全く無理解できません。
次候は「菖蒲華」で、「しょうぶはなさく」、あるいは「あやめはなさく」と読むのだそうです。それはよいのですが、この「菖蒲」が何なのかが問題です。古語の「菖蒲」は「あやめ」と読みますが、紫色の花が咲くハナアヤメではなく、菖蒲湯に入れるサトイモ科のショウブのことです。しかし日本版の七十二候が定められたのは江戸時代のことですから、当時の「菖蒲」がサトイモ科のショウブであるとは限りません。「はなさく」と読ませることからすれば、紫色の花が咲くハナアヤメであると理解するのが自然でしょうか。しかし時期的には遅すぎます。花菖蒲なら江戸時代には出現していますし、時期的にも矛盾はなさそうです。この「菖蒲」が何を指すかは、私にはとても断定できそうもありません。とにかく文献上の「菖蒲」は余程気をつけてかからないといけません。
末候は「半夏生」で、「はんげしょうず」と読みます。半夏とは烏柄杓(カラスビシャク)と呼ばれる草だそうで、我が家の庭にもたくさん生えてきます。鎌首をもたげた蛇が、ちろちろと舌を出すような、不気味な姿をしています。見たことのない方は、ネットで検索して下さい。
夏至といっても、古来の特別な行事はなさそうです。実際に暑くなるのは時間差があり、まさに秋の立つ頃ですから、暑さが本格的になる頃と理解してもよいのでしょう。それにしても、ウツボグサやカラスビシャクなどは知っている人も少ないので、もっとわかりやすい植物と入れ替えた方がよいと思います。もし現代版七十二候を作るというなら、私ならあぢさゐなどを入れたいと思います。
またこの日は太陽の南中高度が最も高い日でもあります。この日の南中高度は、90度-(その場所の緯度-地軸の傾き23.5度)で計算できますから、東京の緯度を35.5度とすると、南中高度は78度という事になります。78度というと、ほとんど真上から照らすようなものですから、当然影の長さが最短になります。太陽の高さを直接見つめて観測することはできませんから、昔の人は影の長さで太陽高度が最も短いということを知ったわけです。太陽高度が高いということは、月の南中高度はその反対に低くなりますから、これなら観測できます。梅雨時で月の見えないことが多いでしょうが、この時期には月の高度が低いということにも注目したいものです。
日本の最南端である沖ノ鳥島の北緯は20度ですから、北回帰線より南にあります。それでここでは南中時には影が南側にできるはずです。もちろん体験しているわけではありませんが、理屈上はそうなります。
また日の出の位置や日の入りの位置が、最も北寄りになる日でもあります。朝早く起きて、太陽がどの位置から上ってくるか、また夕方に、どの位置に沈むかを観測しておくと面白いですよ。その位置を基準として、次第に南に寄ってきますから、それによって季節の移ろいを実感することができるでしょう。
夏至初めとする冬至・春分・秋分・立春・立夏・立秋・立冬の二至二分四立は世界中共通の日です。もちろん南半球では夏と冬、春と秋が逆になりますが、日にちは同じです。よく旧暦は中国の暦の直輸入であるとケチを付ける人がいますが、この八つは世界共通ですから、中国の暦云々という批判は、全くの的外れです。もちろん各国の標準時や地球の自転の関係で、一日くらいの前後はありますが・・・・。
古人は夏至には全く関心がなかったようで、夏至を詠みこんだ古歌は見当たりません。ですからこの日に特に行われる伝統行事もなく、地域によっては、大阪地方の蛸のようにこの日に特に食べるものがあることもあるようですが、全国的共通理解に至っているものはなさそうです。
夏至から次の節気の小暑の間の七十二候については、まず初候としては、「乃東枯」と言います。これは「ないとう かる」と読みます。ネットでは「枯るる」と読んでいることが多いのですが、次に続く言葉がないのに「枯るる」と連体形で読む必要はなく、終止形の「枯る」と読むのが正しいと思います。ただし連体形で終わることによって、余韻や感動を表現するという修辞法もありますから、一概に誤りと決めつけることもできません。しかし敢えてここで連体形で終わる必要性を感じられず、私としてはすっきりしません。ただ七十二候の中には他にも連体形で終わるものがいくつかあることは申し添えておきましょう。「乃東」は夏枯草(なつかれぐさ)のことだそうで、植物名としては、「ウツボグサ」というのだそうです。私は見ればわかるのですが、わからない方はネットで検索して映像をご覧ください。なぜこの草が選ばれたのか、私には全く無理解できません。
次候は「菖蒲華」で、「しょうぶはなさく」、あるいは「あやめはなさく」と読むのだそうです。それはよいのですが、この「菖蒲」が何なのかが問題です。古語の「菖蒲」は「あやめ」と読みますが、紫色の花が咲くハナアヤメではなく、菖蒲湯に入れるサトイモ科のショウブのことです。しかし日本版の七十二候が定められたのは江戸時代のことですから、当時の「菖蒲」がサトイモ科のショウブであるとは限りません。「はなさく」と読ませることからすれば、紫色の花が咲くハナアヤメであると理解するのが自然でしょうか。しかし時期的には遅すぎます。花菖蒲なら江戸時代には出現していますし、時期的にも矛盾はなさそうです。この「菖蒲」が何を指すかは、私にはとても断定できそうもありません。とにかく文献上の「菖蒲」は余程気をつけてかからないといけません。
末候は「半夏生」で、「はんげしょうず」と読みます。半夏とは烏柄杓(カラスビシャク)と呼ばれる草だそうで、我が家の庭にもたくさん生えてきます。鎌首をもたげた蛇が、ちろちろと舌を出すような、不気味な姿をしています。見たことのない方は、ネットで検索して下さい。
夏至といっても、古来の特別な行事はなさそうです。実際に暑くなるのは時間差があり、まさに秋の立つ頃ですから、暑さが本格的になる頃と理解してもよいのでしょう。それにしても、ウツボグサやカラスビシャクなどは知っている人も少ないので、もっとわかりやすい植物と入れ替えた方がよいと思います。もし現代版七十二候を作るというなら、私ならあぢさゐなどを入れたいと思います。