うたことば歳時記

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夏至

2016-06-19 08:30:05 | 年中行事・節気・暦
 のんびりしているうちに、21日の夏至が近づいてしまいました。だいたい6月21日のことが多く、4年に1回くらいの頻度で22日になることもあります。言わずと知れているように、北半球では一年の中で最も昼間の時間が長く、夜の時間が短い日です。ただし日の出が最も早く、日の入りが最も遅い日ではないとのこと。その辺の理屈は、私では説明できません。東京では昼間の時間は14時間50分、夜の時間は9時間25分ですから、その差は約5時間もあります。東京の日の出は4時27分、日の入りは19時ちょうどくらいです。

 またこの日は太陽の南中高度が最も高い日でもあります。この日の南中高度は、90度-(その場所の緯度-地軸の傾き23.5度)で計算できますから、東京の緯度を35.5度とすると、南中高度は78度という事になります。78度というと、ほとんど真上から照らすようなものですから、当然影の長さが最短になります。太陽の高さを直接見つめて観測することはできませんから、昔の人は影の長さで太陽高度が最も短いということを知ったわけです。太陽高度が高いということは、月の南中高度はその反対に低くなりますから、これなら観測できます。梅雨時で月の見えないことが多いでしょうが、この時期には月の高度が低いということにも注目したいものです。

 日本の最南端である沖ノ鳥島の北緯は20度ですから、北回帰線より南にあります。それでここでは南中時には影が南側にできるはずです。もちろん体験しているわけではありませんが、理屈上はそうなります。

 また日の出の位置や日の入りの位置が、最も北寄りになる日でもあります。朝早く起きて、太陽がどの位置から上ってくるか、また夕方に、どの位置に沈むかを観測しておくと面白いですよ。その位置を基準として、次第に南に寄ってきますから、それによって季節の移ろいを実感することができるでしょう。

 夏至初めとする冬至・春分・秋分・立春・立夏・立秋・立冬の二至二分四立は世界中共通の日です。もちろん南半球では夏と冬、春と秋が逆になりますが、日にちは同じです。よく旧暦は中国の暦の直輸入であるとケチを付ける人がいますが、この八つは世界共通ですから、中国の暦云々という批判は、全くの的外れです。もちろん各国の標準時や地球の自転の関係で、一日くらいの前後はありますが・・・・。

 古人は夏至には全く関心がなかったようで、夏至を詠みこんだ古歌は見当たりません。ですからこの日に特に行われる伝統行事もなく、地域によっては、大阪地方の蛸のようにこの日に特に食べるものがあることもあるようですが、全国的共通理解に至っているものはなさそうです。

  夏至から次の節気の小暑の間の七十二候については、まず初候としては、「乃東枯」と言います。これは「ないとう かる」と読みます。ネットでは「枯るる」と読んでいることが多いのですが、次に続く言葉がないのに「枯るる」と連体形で読む必要はなく、終止形の「枯る」と読むのが正しいと思います。ただし連体形で終わることによって、余韻や感動を表現するという修辞法もありますから、一概に誤りと決めつけることもできません。しかし敢えてここで連体形で終わる必要性を感じられず、私としてはすっきりしません。ただ七十二候の中には他にも連体形で終わるものがいくつかあることは申し添えておきましょう。「乃東」は夏枯草(なつかれぐさ)のことだそうで、植物名としては、「ウツボグサ」というのだそうです。私は見ればわかるのですが、わからない方はネットで検索して映像をご覧ください。なぜこの草が選ばれたのか、私には全く無理解できません。

 次候は「菖蒲華」で、「しょうぶはなさく」、あるいは「あやめはなさく」と読むのだそうです。それはよいのですが、この「菖蒲」が何なのかが問題です。古語の「菖蒲」は「あやめ」と読みますが、紫色の花が咲くハナアヤメではなく、菖蒲湯に入れるサトイモ科のショウブのことです。しかし日本版の七十二候が定められたのは江戸時代のことですから、当時の「菖蒲」がサトイモ科のショウブであるとは限りません。「はなさく」と読ませることからすれば、紫色の花が咲くハナアヤメであると理解するのが自然でしょうか。しかし時期的には遅すぎます。花菖蒲なら江戸時代には出現していますし、時期的にも矛盾はなさそうです。この「菖蒲」が何を指すかは、私にはとても断定できそうもありません。とにかく文献上の「菖蒲」は余程気をつけてかからないといけません。
 
 末候は「半夏生」で、「はんげしょうず」と読みます。半夏とは烏柄杓(カラスビシャク)と呼ばれる草だそうで、我が家の庭にもたくさん生えてきます。鎌首をもたげた蛇が、ちろちろと舌を出すような、不気味な姿をしています。見たことのない方は、ネットで検索して下さい。

 夏至といっても、古来の特別な行事はなさそうです。実際に暑くなるのは時間差があり、まさに秋の立つ頃ですから、暑さが本格的になる頃と理解してもよいのでしょう。それにしても、ウツボグサやカラスビシャクなどは知っている人も少ないので、もっとわかりやすい植物と入れ替えた方がよいと思います。もし現代版七十二候を作るというなら、私ならあぢさゐなどを入れたいと思います。

息子たちの語録

2016-06-17 10:40:38 | その他
今は既に独立していますが、私には3人の息子がいます。まだ幼かった頃、成長の記録を残してやりたいと思ったのですが、ビデオに録画することに抵抗がありました。幼稚園や小学校の運動会などで、他人を押しのけても我が子の姿を映そうと、なりふり構わずに出しゃばる「親馬鹿」の様子を、不快に感じていましたから、自分がそうなることには矜持が許しませんでした。それよりビデオの機械を買うお金がなかったと言う方が実際であったかもしれません。そういうわけで、カメラで写した写真以外には、視覚的記録を残してやることができませんでした。

 そのかわり何か面白い記録を残してやりたいと考え、息子たちの面白い会話を、録音するようにして書き残していました。子供は大人の常識を越えた発想で、大人が考えもしない面白いことを言います。その様な場面を、記憶も失せないうちにメモに残すようにしたのです。九十二歳の両親の介護をしつつ、自分の人生の幕引きを考えさせられ、自分の荷物の整理をし始めたところ、懐かしいこのノートが出て来ました。今となっては貴重な成長の記録で、読み直してみると、笑い転げたり、反省させられたり、考えさせられたりするものばかりです。映像の記録を残す親は多いことでしょうが、会話の記録もまた面白いものですよ。そう思いましたので、いくつか御紹介します。
 長男と次男と三男はそれぞれ2歳違いで、長男が小学校2年生から3年生の頃の会話です。

風呂から上がって
父(私) お父さんのシャツに穴が開いてるよ。
長男  新しいのかえば
父   いいの、がまんがまん。まだ着られるよ。父さんのは買わないで、みんなにいいの買ってあげ     るよ
長男  きっといいことあるよ。笠地蔵のおじいさんもつぎはぎの着てたから。


布団の中で
次男  お父さん、小学校に入ったら、スイミング教室に行かせてね。
父   お兄ちゃんと同じ剣道がいいのに。
次男  やだ。だってお兄ちゃんに負けちゃうもん。
長男  負けても頑張るのがえらいんだよ。


礼儀正しい子供たち
夕方、 三男が友達を数人連れてきて
三男  お母さん、家で遊んでもいい?
母(妻) ええ、いいわよ。お父さんがもう帰っているから。
三男  やったー、おーい、みんな、家で遊べるよ。いいかい、「おじさん、こんにちは」って言うんだよ。
母   ??・・・・?
夕食後
父   どうりで、みんな大きな声で挨拶してたっけ。


お父さんのお父さん
昨夜、静岡のお祖父ちゃんが一晩泊まっていきました。
父   お父さんは、あれからどうしたの?
母   8時半頃に帰ったわよ。
三男  お父さんはお祖父ちゃんのこと「お父さん」って言うんだよ。
父   だってそうでしょ。お前のお父さんのお父さんはお祖父ちゃんでしょ。
三男  お母さん。お父さんはちっともわかっていないから、教えてあげなよ。
 

貝塚の貝
家族揃って秩父に化石を採集に行きました。
父   石の中から蟹や貝がでてきたので驚いたでしょ。
長男  誰かが昔、あそこで蟹や貝を捨てたの?
父   違うよ。何千万年も前のことだから、人間はまだいなかったんだよ。あそこは昔は海だったのさ。
長男  まえに人が貝を捨てたのを拾いに行ったじゃない。
父   うん。あれは貝塚さ。大昔の人が貝を食べて、貝殻を捨てたところさ。でもあれは土の中で、
    まだ石になっていなかったでしょ。
長男  それじゃあ、お祖父ちゃんの家にもあったよ。お祖父ちゃん、貝を食べた後、家の前に捨ててた。


体重測定
朝食時に
父   計りの上で片足で立つのと両脚で立つのと、どっちが重いか。
次男  えーと、片足の方が重い。
長男  なに言ってんだ。同じじゃないか。
父   やってごらん。
次男  あれ、同じだ。
母   さすが。お兄ちゃんはやっぱり三年生だ。


いろいろなフライ
男たち4人で風呂に入っていました。
次男  お父さん、バタフライはこうやって泳ぐんだよ。
父   バタフライって英語で何のことか知ってるか?
次男  フライっい言うのは蠅だから、蠅がバタバタすることかな?
父   おまえ、蠅のことフライっいいうの知ってるの。大したもんだ。でもバタフライっていうのは、ち     ょうちょのことなんだよ。
長男  でも、足をバタバタするのはバタ足じゃないの?
父   まあ、それはそうだけど。
三男  僕、海老フライがいい。
父   まったくお前はいつもとんちんかんなことばかり言うんだから。

撫でし子(なでしこ)

2016-06-16 14:46:33 | うたことば歳時記
ナデシコを漢字で書けますか。これがなかなか難しいのです。『万葉集』では「瞿麦」や「石竹」と表記されていますが、『古今和歌集』以後は「常夏」と書かることがあります。もっとも「常夏」はナデシコの別名であって、「とこなつ」と読まれ、「なでしこ」と読んだわけではなさそうです。「なでしこ」と読む場合は、「撫子」と表記されるようになります。

 その「撫子」ですが、同音異義語の大好きな古人は「慈しんで撫(な)でた子供」という意味に理解し、次のような歌が詠まれました。
  ①あな恋し今も見てしが山賤(やまがつ)の垣ほに咲ける大和なでしこ (古今集 恋 695)
  ②双葉(ふたば)よりわが標(し)めゆひし撫子の花のさかりを人に折らすな (後撰集 夏 183)
  ③よそへつつ見れど露だに慰まずいかにかすべきなでしこの花(新古今 雑 1494)

 ①は、ああ恋しくて今も逢いたいものだ。山に住む人の垣根に咲いていたあの大和なでしこのような可愛いあの娘を、という意味です。詞書きがないので具体的なことはわかりませんが、なでしこの花を可愛い女の子に喩えているのです。作者はその娘がまだ幼い頃から可愛がっていたのでしょう。次第に成長してくると、可愛いだけではなく、年頃の女性として恋心が芽生えたのかもしれません。

 「なでしこ」はもちろん「撫でし子」です。「し」(き)は、文法的には過去を表す助動詞で、主に話し手自身の直接体験を 回想する場合に用いられ、「自己体験過去」の助動詞とも呼ばれます。ですから特に説明されなくとも、「幼い頃に私が撫でて可愛がった可愛い子」という意味を背後に含んでいるのです。(余談ですが、現代短歌ではこの自己体験過去の助動詞を、単なる過去を表す言葉として、自己体験以外にも乱用しているのは、時代の趨勢とはいえ、少々残念なところです。)

 ②には、「女子持て侍りける人に、思ふ心侍りてつかはしける」という詞書があります。「標(しめ)をゆふ」とは標縄を張って占有を表す行為ですから、「双葉・・・・撫子の花」は、「幼い頃から撫でるようにして大切に育てた乙女」という意味。それを「人に折らすな」というのですから、「他の男に取らせるな」という意味です。現代人には理解しかねる倫理観かもしれませんが、『源氏物語』の光源氏も紫の上を同じように育てて妻に迎えていますから、王朝時代には許されることだったのでしょう。

 ③は詞書きによれば、母がなかなか訪ねてこない息子に、なでしこの花と一緒に贈った歌で、なでしこの花をお前だと思って眺めてみるが、少しも心が慰められない、という意味です。要するに、寂しいから母に逢いに来て欲しいと訴えているのです。なでしこの花が「幼い頃から可愛がってきた可愛い子」を意味することが、共通理解となっていたことがわかります。

 このような幼児からの類想で、親に先立たれた遺児という理解も生まれます。
  ④見るままに露ぞこぼるる後れにし心も知らぬ撫子の花 (後拾遺 哀傷 569)
長い詞書などによれば、父である一条天皇が亡くなった後、わずか4歳の皇子(後の後一条天皇)が、父の死もわからずに傍らの撫子の花を手に取った姿を、これもわずか24歳の母である上東門院(藤原道長の娘、彰子)が見て詠んだ歌ということです。要するに、父の死を実感できない幼児のことを、母が詠んだ哀しみの歌なのです。「後(おく)る」とは、遅くなるということではなく、「愛する者と死に別れる」という意味。「露」はもちろん「涙」の比喩です。まさに「撫でし子」が実感される歌ですね。現代短歌では同音異義語にほとんど関心がもたれないのですが、このように撫子の印象をより豊かにしてくれる可愛い理解を、もっと大切にしたいものです。

 現代では母の日に子供が母にカーネーションを贈る習慣がありますが、カーネーションは江戸時代には「オランダなでしこ」と呼ばれ、なでしこの仲間です。もちろん偶然のことですが、古の日本では、母が愛しい子を連想する花であったのです。

寒月和歌抄  恋の歌

2016-06-14 18:10:39 | 短歌

恋の歌

私が和歌を詠み始めたのは50代になってからのことですから、以下の歌は若い頃を思い出して詠んだものばかりです。若い頃から詠んでいたら、もっとたくさんあったのでしょうに、この年(四捨五入で70歳)になると、今さら恥ずかしくて恋の歌でもあるまいし、と思ってしまい、恋の歌はめったに詠まなくなりました。



      妻となるべき人に初めて逢ひに行くこころを
○声のみの君に逢ふ日よふくらめる心を枇杷(びわ)の籠(こ)に詰めて行く
   見合いの土産は、籠に溢れんばかりに詰めた枇杷。以来、妻は枇杷を好きになったという。

      妻に椿の花を贈りて
○日の本の大和の花よ玉椿人恋しさに色に出でにけり
   椿は日本原産の花木。「色に出づ」とは、隠しきれずに表に出てしまうこと。

      夢に妻を見て
○しきたへの袖折り返し寝(い)ぬる夜は夢の中にも梅の香ぞする
   王朝時代、夜の衣の袖を裏に返して寝ると、恋人の夢を見るという俗信があった。

      白梅に寄する恋
○見えずともかをり漏れくる白梅の知らずや夜の花の心を
○闇の夜の香もしるき白梅の知らずや君をかくも恋ふとは
   恋心は隠しようがない。「見えず・・・・白梅の」は「知らずや」の序詞。

      恋文
○封筒に春を一輪忍ばせて君にし送る花の移り香
   「し」は強調の意味。

      旅の土産の黄楊(つげ)の櫛
○我妻は心も知らずしまひをり思ひを君につげの小櫛(をぐし)の
  せっかく買ってきたのに、「黄楊(つげ)」が「告げ」を掛けることは、解説しないとわかってもらえな   かったが、今も大切にしている様子。

      白百合に寄する恋
○吾妹子(わぎもこ)に恋こそまされ夏草の草深百合の後(ゆり)もかはらず
   古来、百合は草深い中にひっそりと咲く花という理解があった。「百合」と同音の「後(ゆり)」を意    図して重ねて。



納涼の古歌

2016-06-09 21:11:56 | うたことば歳時記
 まだ猛暑日には遠いのですが、猛暑を少々先取りして、納涼の古歌を探してみました。そもそも「納涼」と言う言葉は、わかりにくい言葉ですね。「涼しさを納める」ってどんな意味なのか。涼しさをどこかに納めてしまっては、かえって暑くなってしまうのでは。そんな考えも一瞬よぎるでしょうが、「納」とは、小屋を表す象形文字の「冂」に、入れることを意味する「入」を組み合わせた会意文字「内」と、糸や織物を意味する「糸」を組み合わせ、税として糸などを倉に入れ込むことを表す文字です。ですから、納涼とは、家の中に涼しさを採り入れるというのが、本来の意味のようです。なお余談ですが、

 それでは、納涼の古歌を並べてみましょう。
 ①夏山の楢の葉そよぐ夕暮はことしも秋の心地こそすれ (後拾遺 夏 231)
②夏衣たつた川原の柳かげ涼みにきつつ慣らす頃かな (後拾遺 夏 220)   
③山かげや岩もる清水の音さえて夏のほかなるひぐらしの声 (千載集 夏 210)
 ④夕されば玉ゐる数も見えねども関の小川の音ぞ涼しき (千載集 夏 211)
 ⑤さらぬだに光涼しき夏の夜の月を清水にやどしてぞ見る (千載集 夏 213)
 ⑥わが宿のそともにたてる楢の葉のしげみに涼む夏は来にけり (新古今 夏 250)  
 ⑦むすぶ手に扇の風も忘られてわぼろの清水すずしかりけり  (堀河院百首 夏 533)

 ①と⑥では、楢の木蔭が、②では柳の木蔭が詠まれています。楢はいわゆる団栗の木の一種で、柏程ではないですが、葉は幅が広いのでしっかりとした木蔭ができます。そのため、このような歌が詠まれたわけです。②の柳は枝垂柳か川柳か判別できませんが、水辺を好む柳ですから、涼しさが感じられることでしょう。
③④⑦では清水やその流れる音、⑤では清水の水面に映る月影が詠まれています。③にはひぐらしが詠まれていますが、ひぐらしが鳴くのは早朝か夕方ですから、その涼しげな鳴き声も相俟って、涼しさを感じられることでしょう。①④でも夕暮れが詠まれています。⑦の「むすぶ」は水を掌ですくうという意味です。

 こうしてみると、クーラーのない時代、真夏に涼しさを自然に感じられる場所は清流の水辺や木蔭であり、また涼しさを感じられる時間帯は、夕暮れや夜でした。そう言えば『枕草子』にも「春はあけぼの・・・・夏は夜」と記されていましたね。クーラーに慣れきってしまった現代人なら、この程度では涼めないのかもしれませんが、私の幼い頃、つまりクーラーのなかった頃は、夕方に縁側で涼んだり、木蔭に宿ってほっとしたものでした。子供の頃の夏休日記の天気の記録を見ても、35度を超えるようなことはなく、それだけでも十分に納涼になっていたと思います。

 このところ忙しさと体調不良で、ブログを書けない日が続きました。頑張りすぎると続きませんから、のんびりやるつもりです。ながーくお付き合い下さい。


追記

有り難いことに読者の方が、私が上げた以外にも納涼の歌を教えて下さいました。せっかくの御指摘ですので、ここに御紹介いたします。

 摂政太政大臣
かさねても涼しかりけり夏衣うすきたもとにやどる月かげ
 藤原有家朝臣
すずしさは秋やかへりてはつせ川ふる川の辺の杉のしたかげ
 西行法師
道の辺に清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ
 西行法師
よられつる野もせの草のかげろひてすずしく曇る夕立の空
 藤原清輔朝臣
おのづから涼しくもあるか夏衣ひもゆふぐれの雨のなごりに

西行の「道の辺に・・・・」の歌は、後に松尾芭蕉が奥の細道でも本歌にする、よく知られた歌ですね。ありがとうございます。