月を愛でるのに相応しい季節はと問えば、多くの人が秋と答えることでしょう。もっともなことと思います。しかし月の美しさは四季それぞれであり、春は霞む朧月、秋は鏡のように澄んだ名月、冬は空高く冴えわたる寒月が、みなそれぞれに趣をもっています。そして夏の月はというと、多くの人は「さて・・・・?」と一瞬考え込んでしまうことでしょう。あらためて振り返ってみると、現代人は、夏の月をしげしげと眺めることはあまりないのではと思います。しかし古歌の世界では、夏の月を詠んだ歌は、秋の名月には及ばないものの、決して少ないわけではありません。
それでは夏の月を詠んだ歌をいくつか並べてみましょう。
①夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月やどるらむ (古今集 夏 166)
②夏の夜も涼しかりけり月影は庭しろたへの霜と見えつつ (後拾遺 夏 224)
③夏の夜の庭にふりしく白雪は月の入るこそ消ゆるなりけれ (金葉集 夏 141)
④夕立のまだはれやらぬ雲間より同じ空とも見えぬ月かな (千載集 夏 297)
⑤我が心いかにせよとてほととぎす雲間の月の影に鳴くらむ (新古今 夏 210)
⑥五月雨の雲の絶え間をながめつつ窓より西に月を待つかな (新古今 夏 233)
⑦五月雨の雲間の月のはれゆくをしばし待ちけるほととぎすかな (新古今 夏 237)
⑧庭の面はまだかわかぬに夕立の空さりげなくすめる月かな (新古今 夏 267)
⑨むすぶ手に涼しき影を慕ふかな清水に宿る夏の夜の月 (山家集 夏 244)
⑩影さえて月しもことに澄みぬれば夏の池にもつららゐにけり (山家集 夏 247)
⑪夕立の晴るれば月ぞ宿りける玉ゆり据うる蓮の浮き葉に (山家集 夏 249)
探せばもっとあるのですが、余り多くなるので、取り敢えずはこのくらいにしておきます。①は百人一首にも収められていて、よく知られていますね。「月の面白かりける夜、あか月方によめる」という詞書きが添えられています。宵とは日没後からだいたい夜中までの時間を指すのが一般的ですが、厳密な定義があるわけでもなさそうです。まだ宵のうちと思っているうちに夜が明けてしまったので、月は沈む間もなく、雲のどのあたりにあるのだろうか、という意味です。夜更かしをしているうちに暁になってしまうと、有明の月が見えることがあります。有明月は何も夏のものというわけではありませんが、夜が短いので殊更に注目されるのでしょう。
夏の夜が短いといえば、東京の夏至を例にとると、日の出は午前4時25分頃、日の入りは午後7時頃ですから、本当に暗い時間は8時間しかありません。寝たかと思えば、すぐに明るくなってしまいます。そこで「夏の夜の臥すかとすればほととぎす鳴く一声に明くるしいののめ」(古今集 夏 156)という歌があります。これは月を詠んでいるわけではありませんが、夏の月にはほととぎすが相性のよいものとされ、秋の名月と雁の取り合わせのように、絵画にもよく描かれたものでした。唱歌『ほととぎす』にも歌われていますが、若い世代の方はご存じないでしょうから、私のブログで「唱歌『ほととぎす』」をご覧下さい。⑤はそのような歌で、唱歌『ほととぎす』の作詞者が参考にした歌の一つでしょう。夏の月は雲の隙間からわずかに見え、ちょうどその時、ほととぎすが鳴き過ぎていったというのです。夜のほととぎすの声はしばしば聞いていますが、私は残念ながらその姿を視認できたことはありません。雲間から月影が漏れたときにほととぎすが鳴き、その姿が見えるというのは、おそらく想像上のことなのでしょう。⑦でも月とほととぎすがセットで詠まれています。とにかく夏の月はほととぎすと相性がよかったことを確認しておきます。
②と③はわかりやすい歌で、月の光を霜や雪に見立てています。③では月が沈むと月影が見えませんから、雪も消えてしまったといいます。現代人には大げさな比喩としか見えないでしょうが、電気の明かりなどない時代、月が出ていなければ野外は真っ暗でしたから、月の光の明るさには、現代人以上に感じ取っていたはずです。また当時は月の光を白と感じ取ることが共通理解されていましたから、霜や雪に見立てることは、常套的なことでした。⑩では水面に映る月影を氷(古語のつららは、現代の氷を意味する)のに見立てています。夏の夜の涼しさを、冬の景物である霜や雪や氷に見立てることによって、涼しさを表しているとも考えられるでしょう。
④⑤⑥⑦では、いずれも雲間の月が詠まれています。おそらく五月雨の時期なのでしょう。その雨が止み、雲が途切れると、わずかにその隙間から月が見える。これが夏の月の情趣であると理解されていたことがわかります。
④⑧⑪では、夕立の後の月が詠まれています。⑧は、夕立の後でまだ庭が濡れているのに、月がさも何もなかったように澄んでいるという意味で、「さりげなく」という捕らえ方がユニークです。⑪では、蓮の葉に月が宿るというのですから、蓮の葉に露の玉が乗っていて、月の光を映して光ってい見えたのでしょう。夕立が降る日は、昼間は猛暑だったのでしょう。しかし降った後は急に涼しくなります。この涼しげな月が、夏の月のもう一つの情趣と理解されていたわけです。
夏の夜の月は、秋の名月ほどに注目されることはありませんが、五月雨や夕立の後、雲の切れ間からわずかに月影が漏れ、涼しさを演出してくれます。もしそんなときにほととぎすが鳴いて飛びすぎていく瞬間に出会えたら、それこそ最高の「夏の夜の月」なのです。
それでは夏の月を詠んだ歌をいくつか並べてみましょう。
①夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月やどるらむ (古今集 夏 166)
②夏の夜も涼しかりけり月影は庭しろたへの霜と見えつつ (後拾遺 夏 224)
③夏の夜の庭にふりしく白雪は月の入るこそ消ゆるなりけれ (金葉集 夏 141)
④夕立のまだはれやらぬ雲間より同じ空とも見えぬ月かな (千載集 夏 297)
⑤我が心いかにせよとてほととぎす雲間の月の影に鳴くらむ (新古今 夏 210)
⑥五月雨の雲の絶え間をながめつつ窓より西に月を待つかな (新古今 夏 233)
⑦五月雨の雲間の月のはれゆくをしばし待ちけるほととぎすかな (新古今 夏 237)
⑧庭の面はまだかわかぬに夕立の空さりげなくすめる月かな (新古今 夏 267)
⑨むすぶ手に涼しき影を慕ふかな清水に宿る夏の夜の月 (山家集 夏 244)
⑩影さえて月しもことに澄みぬれば夏の池にもつららゐにけり (山家集 夏 247)
⑪夕立の晴るれば月ぞ宿りける玉ゆり据うる蓮の浮き葉に (山家集 夏 249)
探せばもっとあるのですが、余り多くなるので、取り敢えずはこのくらいにしておきます。①は百人一首にも収められていて、よく知られていますね。「月の面白かりける夜、あか月方によめる」という詞書きが添えられています。宵とは日没後からだいたい夜中までの時間を指すのが一般的ですが、厳密な定義があるわけでもなさそうです。まだ宵のうちと思っているうちに夜が明けてしまったので、月は沈む間もなく、雲のどのあたりにあるのだろうか、という意味です。夜更かしをしているうちに暁になってしまうと、有明の月が見えることがあります。有明月は何も夏のものというわけではありませんが、夜が短いので殊更に注目されるのでしょう。
夏の夜が短いといえば、東京の夏至を例にとると、日の出は午前4時25分頃、日の入りは午後7時頃ですから、本当に暗い時間は8時間しかありません。寝たかと思えば、すぐに明るくなってしまいます。そこで「夏の夜の臥すかとすればほととぎす鳴く一声に明くるしいののめ」(古今集 夏 156)という歌があります。これは月を詠んでいるわけではありませんが、夏の月にはほととぎすが相性のよいものとされ、秋の名月と雁の取り合わせのように、絵画にもよく描かれたものでした。唱歌『ほととぎす』にも歌われていますが、若い世代の方はご存じないでしょうから、私のブログで「唱歌『ほととぎす』」をご覧下さい。⑤はそのような歌で、唱歌『ほととぎす』の作詞者が参考にした歌の一つでしょう。夏の月は雲の隙間からわずかに見え、ちょうどその時、ほととぎすが鳴き過ぎていったというのです。夜のほととぎすの声はしばしば聞いていますが、私は残念ながらその姿を視認できたことはありません。雲間から月影が漏れたときにほととぎすが鳴き、その姿が見えるというのは、おそらく想像上のことなのでしょう。⑦でも月とほととぎすがセットで詠まれています。とにかく夏の月はほととぎすと相性がよかったことを確認しておきます。
②と③はわかりやすい歌で、月の光を霜や雪に見立てています。③では月が沈むと月影が見えませんから、雪も消えてしまったといいます。現代人には大げさな比喩としか見えないでしょうが、電気の明かりなどない時代、月が出ていなければ野外は真っ暗でしたから、月の光の明るさには、現代人以上に感じ取っていたはずです。また当時は月の光を白と感じ取ることが共通理解されていましたから、霜や雪に見立てることは、常套的なことでした。⑩では水面に映る月影を氷(古語のつららは、現代の氷を意味する)のに見立てています。夏の夜の涼しさを、冬の景物である霜や雪や氷に見立てることによって、涼しさを表しているとも考えられるでしょう。
④⑤⑥⑦では、いずれも雲間の月が詠まれています。おそらく五月雨の時期なのでしょう。その雨が止み、雲が途切れると、わずかにその隙間から月が見える。これが夏の月の情趣であると理解されていたことがわかります。
④⑧⑪では、夕立の後の月が詠まれています。⑧は、夕立の後でまだ庭が濡れているのに、月がさも何もなかったように澄んでいるという意味で、「さりげなく」という捕らえ方がユニークです。⑪では、蓮の葉に月が宿るというのですから、蓮の葉に露の玉が乗っていて、月の光を映して光ってい見えたのでしょう。夕立が降る日は、昼間は猛暑だったのでしょう。しかし降った後は急に涼しくなります。この涼しげな月が、夏の月のもう一つの情趣と理解されていたわけです。
夏の夜の月は、秋の名月ほどに注目されることはありませんが、五月雨や夕立の後、雲の切れ間からわずかに月影が漏れ、涼しさを演出してくれます。もしそんなときにほととぎすが鳴いて飛びすぎていく瞬間に出会えたら、それこそ最高の「夏の夜の月」なのです。
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