閑吟集』現代語戯訳 3(201番歌以下)
室町時代の小歌などの歌詞集である『閑吟集』を、私なりに現代語訳にしてみました。現代語訳はネット上にも多く、出版もされていますから、今さら古典文芸の専門家でもない私が訳す程のことはないので、今もそのまま歌の歌詞になるようにと、五音と七音を活かして訳してみました。その制約があるため、当然ながら大胆な意訳をせざるを得ず、正確な現代語訳にはなっていません。出版されている注釈書と異なることもありますが、もともとが歌ですから、人によって解釈に幅があるのはやむを得ません。高校の日本史の授業の教材研究の合間に、面白半分にやってみただけのことですから、お許し下さい。
〇は原文、◎は私の現代語訳、◇は私のコメントです。ただ所詮は素人ですから、解釈に誤りがあるかもしれませんし、日本史の教諭が私の本職ですから、目の付け所が文芸的ではありません。
書き足しているうちに、文字数上限の3万字を越えてしまいましたので、3つに分割しました。随時加筆訂正しています。
〇霜の白菊 移ろひやすやなう しや頼むまじの 一花心や 204
◎露霜の置く白菊は 移ろいやすいものなのね あてにならないあの人の 浮気の心花心
◇王朝和歌では、霜の置く頃には赤紫に色変わりした白菊は、一年に二度咲くと賞翫されることもありましたが、色変わりすることが心変わりを意味すると理解されることもありました。一般に「花が移ろう」とは花が枯れることを意味していますが、白菊に限っては、色変わりすることを意味しています。ですから心変わりの比喩として、しばしば恋の歌に詠まれたわけです。この歌は、好きな男の心変わりを白菊の色変わりに擬えて嘆きつつ、開き直っていている場面です。『蜻蛉日記』では、夫藤原兼家の浮気を知った妻が、「嘆きつつひとり寝(ぬ)る夜のあくる間はいかに久しきものとかは知る」という歌に、色移りをした菊を添えて遣ったと記されています。古語の「頼む」には現在と同様に依頼するという意味がありますが、頼みに思わせるとか、あてにさせるという意味もあり、この場合は後者の意味でしょう。「花心」は、花の様に移ろいやすい浮気心のことです。なおついでのことですが、菊が枯れることを「舞う」と表現するというネット情報をよく見かけるのですが、とんでもない出鱈目です。私の手許には古歌に詠まれた自然の景物を数年ががかりで主題毎に分類整理したデータがあるのですが、菊を舞うと詠んだ歌は只の一首もありません。
〇えくぼの中へ身を投げばやと 思へど底の邪が怖い 217
◎君の笑顔に 身投げして あずけてしまえと 思うたが えくぼの淵の 底深く 邪鬼が潜むか 蛇が出るか 君の笑顔を信じていいの?
◇外面は菩薩様のように微笑んでいても、内面では夜叉のように邪悪なことを、諺では「外面似菩薩、内心如夜叉」(げめんじぼさつ、ないしんにょやしゃ)と言います。女性を蔑視するつもりは毛頭ありませんが、これは若い僧が女性を見て心が惑うことを諫めた諺です。えくぼが窪んでいることから、「底」という言葉が選ばれているのでしょうが、「邪」は淵の底に潜む「蛇」(じゃ)を連想させます。それにしても「えくぼに身投げ」という言葉は秀逸で、そのまま演歌の歌詞になりそうです。
〇春過ぎ夏闌(た)けてまた 秋暮れ冬の来たるをも 草木のみただ知らするや あら恋しの昔や 思ひ出は何につけても 220
◎春過ぎて 夏が深まり 秋暮れて 冬となりゆく移ろいを 知らせてくれるは 草木のみか 過ぎた昔の思い出は 何につけても懐かしく
◇この歌は、作者不明の謡曲『俊寬』の一節です。安元三年(1177)、僧俊寬の山荘において、いわゆる「鹿ヶ谷の陰謀」と呼ばれる平氏打倒の密談が行われたのですが、露顕するところとなり、俊寬と平康頼と藤原成経の3人が、鬼界ヶ島に流罪となりました。ところが翌年、赦免の使者が来るのですが、俊寬の名前はなく、そのまま置き去りにされ、泣く泣く生き別れとなってしまうという粗筋です。この歌は、俊寬が配所で都を懐かしむ場面です。自然の移ろいに懐旧の情を催すのは、古今を問わず日本人なら誰もが自然に共感できます。それは日本人は季節の移ろいを人生の移ろいになぞらえて理解するからです。「青春」という言葉がある様に、若い頃は春、働き盛りの頃は夏、実りの多い熟年期は秋、そして晩年は冬というわけです。古歌では、心情を自然の物になぞらえて表現することが多いのですが、それは季節の移ろいを単なる自然現象としてではなく、そこに人生を重ねて感じているからなのでしょう。鬼界ヶ島が現在のどの島に当たるかについては諸説がありますが、鹿児島県の離島と考えられていますから、季節の移ろいは、冬には雪深い京の都とは大いに異なっていたはずです。
〇逢はで帰れば 朱雀の河原の 千鳥鳴き立つ 有明の月影 つれなやつれなやなう つれなと逢はで帰すや 222
◎君に逢えずに 空しく帰る 朱雀河原に 千鳥鳴く 恨み辛みの 有り明け月よ なぜに逢えずに 帰すのか
◇訪ねて行ったのに、なぜか会うことが出来なかった悲しみを、男が月に訴えている場面でしょう。有明月に恨み言を言いたくなるのには、わけがあります。一夜の契りの後に別れるのは「後朝(きぬぎぬ)の別れ」と称して明け方が普通なのですが、その時に月が見えるとしたら、それは有り明けの月だからです。現代語訳の「恨み辛みの有り明け月」の「有り」は「恨み辛み」と「月」に掛けられていて、「恨み辛みのある有明月」という意味です。朱雀大路は本来は平安京の中央を南北に通る大路でしたが、朱雀大路より西側の右京は早くから荒廃していました。それで千鳥が鳴くような自然環境だったようです。千鳥の中には渡りをしない留鳥の種類もありますが、一般には冬の鳥と理解されていました。ですから千鳥の声の寂しげな印象も相俟って、寂しさが増幅されるのでしょう。恋人を訪ねて行くと、河原で寂しげに鳴く千鳥の声が聞こえるというと、すぐに連想されるのは、紀貫之の歌です。「思ひかね妹がり行けば冬の夜の河風寒み千鳥鳴くなり」(拾遺和歌集)という歌なのですが、紀貫之を「下手な歌詠み」と散々に貶した正岡子規は、この歌だけは珍しく褒めています。有名な歌ですから、原歌の作詞者は、貫之の歌にヒントを得たのかもしれません。
〇世間は霰よなう 笹の葉の上の さらさらさつと 降るよなう (231)
◎世の中は 霰のようね 笹の葉に ささらささらと 降るのよね
◇笹の葉や枯れ葉に降る霰の音は、よくよく耳を澄ませると確かに聞こえます。先入観かも知れませんがサ行の音に聞こえ、笹の葉に霰降る音は笹の音に導かれて、「さらさら」と表されています。また「降る」は同音の「経る」を掛けてかけているのですが、「さらさら」に導かれて「さっと」時の経過の早いことを表しています。要するに世の移り行くことの早さを詠んでいるのですが、短い中に、いろいろ仕掛けがあり、気が付かなければ知らないままに、さらさらさらっと経り過ぎてしまいそう。『閑吟集』の歌にはこの様な仕掛けがたくさんありますので、それを読み取ったり現代語に直すのもなかなか難しいものです。なお『閑吟集』の49番歌では、同じことを「ちろりちろり」と詠んでいます。
〇申したやなう 申したやなう 身が身であらうには 申したやなう 233
◎告白したい 話したい ねえ ほんとは告白したいのに 身の程知れば 話せない
◇胸の内に秘めている焦がれる思いを、本当は話したくて仕方がないのに、我が身の素性を自覚すればする程に、話ができる相応の相手ではないのでしょう。高貴な人に憧れた、哀しい遊女の恋かも知れません。
〇あまりの言葉のかけたさに あれ見なさいなう 空行く雲の速さよ 235
◎やっとのことで声かけたのに 思い余っていらぬこと 見上げてごらんよ 空行く雲の 流れの何と速いこと
◇いつかチャンスがあったら、告白しようと思い詰めていて、勇気を出して声かけたまではよいのですが、その後が続きません。思わず口をついて出た言葉は、頓珍漢なことばかり。それでも却って初々しい恋心が伝わってきます。心も上の空とは、このことを言うようです。かなり脱線しますが、英語教師の夏目漱石が、授業で生徒達が「I love you」を「我君を愛す」や「僕はそなたを愛しう思う」と訳したのを聞き、「日本人はそんなことは口にしない。月が綺麗ですねとでも訳しておきなさい」(「月がとっても青いなあ」と言ったという説もあり)と言ったとされています。もちろん俗説で確証はないのですが・・・・。まあ「空をご覧なさいな」と声をかけられた相手に素養と心の余裕があれば、漱石の様に気の利いた返しもできたことでしょう。
〇薄(うす)の契りや 縹(はなだ)の帯の ただ片結び 245
◎さても契りは薄かった 縹(はなだ)の帯は色あせて すぐに解(ほど)けた片結び
◇「帯で結ぶこと」は契ることの、解くことは別れることの象徴的表現ですから、これは恋人と別れてしまったことを自嘲的に詠んだ歌です。縹色は薄い藍染めの色のことで、露草の花の色と言えばわかりやすいでしょう。普通の藍染めより青色の度合いが薄く、縹色はすぐに褪せするものという共通理解がありました。片結びは解けやすい結び方で、それが縹色だというのですから、契りの浅さが増幅されているわけです。
〇神は偽りましまさじ 人やもしも空色の 縹に染めし常陸帯(ひたちおび) 契りかけたりや かまへて守り給へや ただ頼め かけまくもかけまくも 忝(かたじけ)なしやこの神の 恵も鹿島野の 草葉に置ける露の間も 惜しめただ恋の身の 命のありてこそ 同じ世を頼むしるしなれ 246
◎人はもし 空言(そらごと)の嘘を言うとても 神は偽りなさるまい 縹の色に染めぬいて 二人で誓う常陸帯 神の御前に供え掛け 守り給えと請い願う 畏れ多くも畏(かしこ)くも 鹿島の神の御恵に すがる葉末の露の間も 心に掛かる恋の仲 同じこの世にあってこそ 二人で契る甲斐もある
◇鹿島の神は『万葉集』や常陸風土記にも記された古社で、武神として信仰を集めました。それで出征する兵士が鹿島社に詣でてから旅立つことは、「鹿島立ち」と呼ばれていました。また恋愛成就の神でもあり、恋占いの風習がありました。12世紀前半の歌書『俊頼髄脳』には、女が多くの求婚者の中から一人を選ぶのに、男の名前を書いた帯を神前に供えて祈願すると、神が選んだ男の帯が裏返っているという話が記されています。また同じ頃の『奥義抄』(おうぎしょう)という歌書には、男女が帯に名前を書いて二つ折りにして供えると、神官がそれを結んで恋が成就するという風習があったことが記されています。
〇水に降る雪 白うは言はじ 消え消ゆるとも 248
◎水に降る雪すぐ消える たとえ儚く消えたとて 決して口には出しはせぬ 私の恋は白雪と
◇「白」は、はっきりしていることを意味する「著し」(しろし)を掛けています。水の上に降る白雪は一瞬に溶けてしまい、白い色は消えてしまいますが、「消え消ゆる」と消えるを重ねることにより、いくら降ってもすぐに消えてしまうことを強調しています。恋が儚く消えたとしても、意地でも口にはださない一途な女心を詠んでいるのでしょうか。
〇人の心は知られずや 真実 心は知られずや 255
◎あの人の 心の中はわからぬものか 本当に 心はわからぬものよ
◇「知られずや」の「や」は、疑問や反語を表す係助詞か、詠嘆を表す文末の間投助詞か、どちらであるかに因り意味は微妙に異なります。詠嘆の間投助詞ならば、「人の心というものはわからないものだなあ!」と訳せます。係り助詞の疑問ならば、「あの人の心の中がわからないものかなあ、知りたいなあ」という意味になります。反語ならば、「人の心というものは、他の人にはわからないものなのだろうか。否きっとわかるものだ」と訳せます。結局どれがよいかは、受け取る人次第でよいと思います。要するに、「相手の心は十分にわかっていたつもりだったのに、別れを告げられてしまった。そのわけを知りたいのに、人の心というものは何とわからないものだ」、ということなのでしょう。
〇忍ぶ身の 心に隙(ひま)はなけれども なほ知るものは涙かな なほ知るものは涙かな 259
◎忍ぶ恋する我が心 隙(すき)など見せぬと思うたが 涙は隙をかぎつけて 思わず知らず漏れてくる
◇恋の悩みは表には出すまいと心に決めていたのに、ふと涙が漏れて、不覚にも人に知られてしまったしいう場面でしょう。「なほ知るものは涙かな」とは、涙を流して泣くことを意味しているのですが、それはもともとは「世の中に憂きもつらきも告げなくにまず知るものは涙なりけり」(古今集 941)という歌に拠っています。また「なほ知るものは涙かな」については、『枕草子』の136段にも関連する逸話があり、歌を詠む程の人なら誰もが知っていることでした。「忍ぶ身の心に隙はなけれども」は、「忍ぶるに心の隙はなけれどもなほ洩るものは涙なりけり」(新古今 1037)という歌を下敷きにしています。ここまで来ると、古歌の知識が不十分な現代人は完全に脱帽です。『閑吟集』を単なる歌謡集と思ってはならないのです。
〇忍ばゞ目で締(し)めよ 言葉なかけそ 徒名(あだな)の立つに 261
◎忍ぶ恋なら眼(まなこ)で殺せ 言葉かければ浮き名立つ
◇「な・・・・そ」は「・・・・してくれるな」という禁止を表しています。短い歌なので状況を絞りきれず、いろいろな解釈がありそうです。他人に知られないように、色っぽい視線を送って、相手を恋の虜にしてしまおうというのでしょうか。あるいは人前では感づかれないように、目で合図をせよ。言葉に出せば、要らぬ噂が立つから、という解釈もできます。どちらにせよ、「目で締めよ」という表現が強烈ですので、現代語訳でも敢えて過激な言葉を選んでみました。
〇むらあやでこもひよこたま 273
◎あの人は 来ないだろうよ この夜も
◇この歌は逆さ言葉になっていますから、本来は「また今宵も来でやあらむ」なのです。逆に詠まなければ意味が通じないということは、人に聞かせるためではなく、呪文のように一人で称えたのでしょう。逆に称えることにより、歌の内容もまた逆になって、来そうもない人が来るかもしれないというのですから、しばらく訪ねて来なくなった男を待つ女の歌というわけです。『閑吟集』には他にも「きづかさやよせさにしざひもお」 (同上189番)という逆さ読みの歌もあります。これは逆さに読むと「おもひざしにさせよやさかづき」となるのですが、漢字を当てはめれば「思ひ差しに差せよや盃」となります。意味としては「思い入れ(特別な心)をもって盃に酒をついでおくれ」ということですから、酒の席で男が女に迫ったか、逆に女が男から盃を受けて、色っぽく迫った場面でしょう。
〇今結た髪が はらりと解けた いかさま心も 誰そに解けた 274
◎結ったばかりの髪解けた 何もせぬのにすぐ解けた 誰が私に恋をして 道理で私の髪解けた
◇若い女にとって髪を結うことは、男に対する武装の様なもの。女が髪を結ったり髪を解いたりするのは、プライベイトの行為であり、人にその姿を見せるとしたら、余程に心を許す人の前だけに限られます。ですから自ずと髪が解けたというのは、誰かが思いを寄せた結果であるというのでしょう。「結」と「解」は反対語で、ここでは対になっています。「いかさま」は現代では「いんちき」とか「ぺてん」という意味に用いられています。しかし古語では「如何様」という漢字表記のまま、「どのよう」「どう見ても」という意味ですが、ここでは「如何にも」「なる程」という意味で用いられています。
〇待てども夕べの重なるは 変はる初めか おぼつかな 277
◎待っても今宵も来ないのは 心変わりの徴(しるし)かも 心もとないことばかり
◇かつてはしばしば訪ねて来た男が、最近来ないのは、心変わりでもしたのだろうかと、女が不安を募らせているわかりやすい場面です。ふと、竹久夢二作詞の『宵待草』「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな」を連想し、夢二独特の心細そうな表情の女性を思い浮かべてしまいます。
〇あまり見たさに そと隠れ走(はし)して来た まづ放さいなう 放して物を言はさいなう そぞろいとほしうて 何とせうぞなう 282
◎あまりにあなたに会いたくて そっと隠れて走って来たの まずは放して下さいな ねえ それではものも言えないわ とにかくあなたが恋しくて 私どうにかなりそうよ ねえどうしましょ
◇男の胸に飛び込んだ女が、話もできない程に強く抱きしめられ、もがいている場面です。普通は男がこっそり通ってくるのですが、ここでは逆になっています。余程に積極的・情熱的な女性なのでしょう。忍ぶ恋など振り捨てて、心のままに行動できる女性の姿は、室町時代ならではのことと思います。江戸時代にはその様な女性像は息を潜めることとなり、それが再びよみがえるのは、与謝野晶子や平塚雷鳥まで待たなければなりません。
〇来し方より今の世までも 絶えせぬものは 恋といへる曲者(くせもの) げに恋は曲者 曲者かな 身はさらさらさら さらさらさら 更に恋こそ寝られね 295
◎神代より 今の世までも 絶えないものは 恋という名の曲者よ まことに恋は曲者なのよ 曲者よ この身はさらにさらさらに 恋に焦がれて眠られぬ
◇恋というものを「曲者」と表現しています。「曲者」は、現代では怪しげな者・不審者という意味で、「悪」の印象を伴います。しかし古語では変わり者とかしたたか者という意味で、微妙にニュアンスが異なります。この場合も、「恋をしてしまったのは私のせいではなく、恋という曲者のせいなのよ」と、手に負えない「曲者」に取り付かれた自分自身を、突き放して少々ユーモラスに、また自嘲気味に見ているわけですから、恋は怪しげな不審者ではありません。末尾の「ね」は、係助詞「こそ」を受けて打消の助動詞「ず」が已然形となったものです。「さらさら」は「更に」を導くために語調を調えているのですが、古歌には、霰や時雨が笹の葉にさらさら音を立てて降るという趣向があり、その影響があると思われます。この歌は恋を主題にした謡曲の『花月』からそのまま採られています。
〇爰(ここ)はどこ 石原嵩(いしわらとうげ)の坂の下 足痛やなう 駄賃(だちん)馬に乗たやなう 殿なう 299
◎ここは何処(どこ) 石原峠の坂の下 私あんよが痛いのよ お馬に乗せてよ ねえあなた
◇若い二人がこれから峠道を越えようとするのですが、くたびれるので馬に乗りたいと、女が男を手こずらせるように甘えている場面です。峠の麓には客待ちの駄賃馬がいるのでしょうか。室町時代には、交通の要衝には馬借という運送業者が大勢いて、年貢米の米俵などを輸送していました。ですから交渉次第では人も乗せてくれたことでしょう。これはこれで微笑ましい場面なのですが、これと正反対の歌が『万葉集』(3317)にあり、比べてみると、なかなか面白いものです。「つぎねふ山背道(やましろじ)を他夫(ひとづま)の馬より行くに己夫(おのづま)し徒歩(かち)より行けば 見るご とに音(ね)のみし泣かゆそこ思(もふ)に心し痛したらちねの母が形見と我わが持てるまそみ鏡に蜻蛉領布(あきづひれ)負ひ並(な)め 持ちて馬買え我が背(せ)」、「馬買はば妹徒歩ならむよしゑやし石は踏むとも我は二人行かむ」という歌です。
〇花見れば袖濡れぬ 月見れば袖濡れぬ 何の心ぞ 305
◎花を眺めりゃ涙に濡れる 月見上げても涙に濡れる 涙のわけを教えてよ
◇美しいものを見ると、訳もなく涙が溢れてくるものです。でも涙の訳は、花が美しいからではなく、月が澄み切っているからでもありません。花も月も、きっかけに過ぎないという経験は、誰にでもあると思います。307番歌と並べてみると、「涙の訳は、そんなの言わなくてもわかるではありませんか。あなたのせいに決まっているでしょ」と言いたいのかもしれません。
〇泣くはわれ 涙の主はそなたぞ 307
◎泣くのは確かに私だけれど お前は私の涙の主 泣かせるお前が悪いのよ 307
◇泣いている「われ」はたぶん男でしょう。「涙の主」の解釈はなかなか難しいのですが、ここでは「涙の拠ってくるところ」と理解しました。『閑吟集』には対句が効果的に用いられる歌が多いのですが、差し詰めこの歌は、その中でも究極の対句でしょう。余分なものは極限まで削ぎ落とすという美意識は、俳諧・水墨画・能楽・枯山水・書院造りなど、室町文化の特徴の一つであり、現代日本人もその美意識を継承しています。す。
室町時代の小歌などの歌詞集である『閑吟集』を、私なりに現代語訳にしてみました。現代語訳はネット上にも多く、出版もされていますから、今さら古典文芸の専門家でもない私が訳す程のことはないので、今もそのまま歌の歌詞になるようにと、五音と七音を活かして訳してみました。その制約があるため、当然ながら大胆な意訳をせざるを得ず、正確な現代語訳にはなっていません。出版されている注釈書と異なることもありますが、もともとが歌ですから、人によって解釈に幅があるのはやむを得ません。高校の日本史の授業の教材研究の合間に、面白半分にやってみただけのことですから、お許し下さい。
〇は原文、◎は私の現代語訳、◇は私のコメントです。ただ所詮は素人ですから、解釈に誤りがあるかもしれませんし、日本史の教諭が私の本職ですから、目の付け所が文芸的ではありません。
書き足しているうちに、文字数上限の3万字を越えてしまいましたので、3つに分割しました。随時加筆訂正しています。
〇霜の白菊 移ろひやすやなう しや頼むまじの 一花心や 204
◎露霜の置く白菊は 移ろいやすいものなのね あてにならないあの人の 浮気の心花心
◇王朝和歌では、霜の置く頃には赤紫に色変わりした白菊は、一年に二度咲くと賞翫されることもありましたが、色変わりすることが心変わりを意味すると理解されることもありました。一般に「花が移ろう」とは花が枯れることを意味していますが、白菊に限っては、色変わりすることを意味しています。ですから心変わりの比喩として、しばしば恋の歌に詠まれたわけです。この歌は、好きな男の心変わりを白菊の色変わりに擬えて嘆きつつ、開き直っていている場面です。『蜻蛉日記』では、夫藤原兼家の浮気を知った妻が、「嘆きつつひとり寝(ぬ)る夜のあくる間はいかに久しきものとかは知る」という歌に、色移りをした菊を添えて遣ったと記されています。古語の「頼む」には現在と同様に依頼するという意味がありますが、頼みに思わせるとか、あてにさせるという意味もあり、この場合は後者の意味でしょう。「花心」は、花の様に移ろいやすい浮気心のことです。なおついでのことですが、菊が枯れることを「舞う」と表現するというネット情報をよく見かけるのですが、とんでもない出鱈目です。私の手許には古歌に詠まれた自然の景物を数年ががかりで主題毎に分類整理したデータがあるのですが、菊を舞うと詠んだ歌は只の一首もありません。
〇えくぼの中へ身を投げばやと 思へど底の邪が怖い 217
◎君の笑顔に 身投げして あずけてしまえと 思うたが えくぼの淵の 底深く 邪鬼が潜むか 蛇が出るか 君の笑顔を信じていいの?
◇外面は菩薩様のように微笑んでいても、内面では夜叉のように邪悪なことを、諺では「外面似菩薩、内心如夜叉」(げめんじぼさつ、ないしんにょやしゃ)と言います。女性を蔑視するつもりは毛頭ありませんが、これは若い僧が女性を見て心が惑うことを諫めた諺です。えくぼが窪んでいることから、「底」という言葉が選ばれているのでしょうが、「邪」は淵の底に潜む「蛇」(じゃ)を連想させます。それにしても「えくぼに身投げ」という言葉は秀逸で、そのまま演歌の歌詞になりそうです。
〇春過ぎ夏闌(た)けてまた 秋暮れ冬の来たるをも 草木のみただ知らするや あら恋しの昔や 思ひ出は何につけても 220
◎春過ぎて 夏が深まり 秋暮れて 冬となりゆく移ろいを 知らせてくれるは 草木のみか 過ぎた昔の思い出は 何につけても懐かしく
◇この歌は、作者不明の謡曲『俊寬』の一節です。安元三年(1177)、僧俊寬の山荘において、いわゆる「鹿ヶ谷の陰謀」と呼ばれる平氏打倒の密談が行われたのですが、露顕するところとなり、俊寬と平康頼と藤原成経の3人が、鬼界ヶ島に流罪となりました。ところが翌年、赦免の使者が来るのですが、俊寬の名前はなく、そのまま置き去りにされ、泣く泣く生き別れとなってしまうという粗筋です。この歌は、俊寬が配所で都を懐かしむ場面です。自然の移ろいに懐旧の情を催すのは、古今を問わず日本人なら誰もが自然に共感できます。それは日本人は季節の移ろいを人生の移ろいになぞらえて理解するからです。「青春」という言葉がある様に、若い頃は春、働き盛りの頃は夏、実りの多い熟年期は秋、そして晩年は冬というわけです。古歌では、心情を自然の物になぞらえて表現することが多いのですが、それは季節の移ろいを単なる自然現象としてではなく、そこに人生を重ねて感じているからなのでしょう。鬼界ヶ島が現在のどの島に当たるかについては諸説がありますが、鹿児島県の離島と考えられていますから、季節の移ろいは、冬には雪深い京の都とは大いに異なっていたはずです。
〇逢はで帰れば 朱雀の河原の 千鳥鳴き立つ 有明の月影 つれなやつれなやなう つれなと逢はで帰すや 222
◎君に逢えずに 空しく帰る 朱雀河原に 千鳥鳴く 恨み辛みの 有り明け月よ なぜに逢えずに 帰すのか
◇訪ねて行ったのに、なぜか会うことが出来なかった悲しみを、男が月に訴えている場面でしょう。有明月に恨み言を言いたくなるのには、わけがあります。一夜の契りの後に別れるのは「後朝(きぬぎぬ)の別れ」と称して明け方が普通なのですが、その時に月が見えるとしたら、それは有り明けの月だからです。現代語訳の「恨み辛みの有り明け月」の「有り」は「恨み辛み」と「月」に掛けられていて、「恨み辛みのある有明月」という意味です。朱雀大路は本来は平安京の中央を南北に通る大路でしたが、朱雀大路より西側の右京は早くから荒廃していました。それで千鳥が鳴くような自然環境だったようです。千鳥の中には渡りをしない留鳥の種類もありますが、一般には冬の鳥と理解されていました。ですから千鳥の声の寂しげな印象も相俟って、寂しさが増幅されるのでしょう。恋人を訪ねて行くと、河原で寂しげに鳴く千鳥の声が聞こえるというと、すぐに連想されるのは、紀貫之の歌です。「思ひかね妹がり行けば冬の夜の河風寒み千鳥鳴くなり」(拾遺和歌集)という歌なのですが、紀貫之を「下手な歌詠み」と散々に貶した正岡子規は、この歌だけは珍しく褒めています。有名な歌ですから、原歌の作詞者は、貫之の歌にヒントを得たのかもしれません。
〇世間は霰よなう 笹の葉の上の さらさらさつと 降るよなう (231)
◎世の中は 霰のようね 笹の葉に ささらささらと 降るのよね
◇笹の葉や枯れ葉に降る霰の音は、よくよく耳を澄ませると確かに聞こえます。先入観かも知れませんがサ行の音に聞こえ、笹の葉に霰降る音は笹の音に導かれて、「さらさら」と表されています。また「降る」は同音の「経る」を掛けてかけているのですが、「さらさら」に導かれて「さっと」時の経過の早いことを表しています。要するに世の移り行くことの早さを詠んでいるのですが、短い中に、いろいろ仕掛けがあり、気が付かなければ知らないままに、さらさらさらっと経り過ぎてしまいそう。『閑吟集』の歌にはこの様な仕掛けがたくさんありますので、それを読み取ったり現代語に直すのもなかなか難しいものです。なお『閑吟集』の49番歌では、同じことを「ちろりちろり」と詠んでいます。
〇申したやなう 申したやなう 身が身であらうには 申したやなう 233
◎告白したい 話したい ねえ ほんとは告白したいのに 身の程知れば 話せない
◇胸の内に秘めている焦がれる思いを、本当は話したくて仕方がないのに、我が身の素性を自覚すればする程に、話ができる相応の相手ではないのでしょう。高貴な人に憧れた、哀しい遊女の恋かも知れません。
〇あまりの言葉のかけたさに あれ見なさいなう 空行く雲の速さよ 235
◎やっとのことで声かけたのに 思い余っていらぬこと 見上げてごらんよ 空行く雲の 流れの何と速いこと
◇いつかチャンスがあったら、告白しようと思い詰めていて、勇気を出して声かけたまではよいのですが、その後が続きません。思わず口をついて出た言葉は、頓珍漢なことばかり。それでも却って初々しい恋心が伝わってきます。心も上の空とは、このことを言うようです。かなり脱線しますが、英語教師の夏目漱石が、授業で生徒達が「I love you」を「我君を愛す」や「僕はそなたを愛しう思う」と訳したのを聞き、「日本人はそんなことは口にしない。月が綺麗ですねとでも訳しておきなさい」(「月がとっても青いなあ」と言ったという説もあり)と言ったとされています。もちろん俗説で確証はないのですが・・・・。まあ「空をご覧なさいな」と声をかけられた相手に素養と心の余裕があれば、漱石の様に気の利いた返しもできたことでしょう。
〇薄(うす)の契りや 縹(はなだ)の帯の ただ片結び 245
◎さても契りは薄かった 縹(はなだ)の帯は色あせて すぐに解(ほど)けた片結び
◇「帯で結ぶこと」は契ることの、解くことは別れることの象徴的表現ですから、これは恋人と別れてしまったことを自嘲的に詠んだ歌です。縹色は薄い藍染めの色のことで、露草の花の色と言えばわかりやすいでしょう。普通の藍染めより青色の度合いが薄く、縹色はすぐに褪せするものという共通理解がありました。片結びは解けやすい結び方で、それが縹色だというのですから、契りの浅さが増幅されているわけです。
〇神は偽りましまさじ 人やもしも空色の 縹に染めし常陸帯(ひたちおび) 契りかけたりや かまへて守り給へや ただ頼め かけまくもかけまくも 忝(かたじけ)なしやこの神の 恵も鹿島野の 草葉に置ける露の間も 惜しめただ恋の身の 命のありてこそ 同じ世を頼むしるしなれ 246
◎人はもし 空言(そらごと)の嘘を言うとても 神は偽りなさるまい 縹の色に染めぬいて 二人で誓う常陸帯 神の御前に供え掛け 守り給えと請い願う 畏れ多くも畏(かしこ)くも 鹿島の神の御恵に すがる葉末の露の間も 心に掛かる恋の仲 同じこの世にあってこそ 二人で契る甲斐もある
◇鹿島の神は『万葉集』や常陸風土記にも記された古社で、武神として信仰を集めました。それで出征する兵士が鹿島社に詣でてから旅立つことは、「鹿島立ち」と呼ばれていました。また恋愛成就の神でもあり、恋占いの風習がありました。12世紀前半の歌書『俊頼髄脳』には、女が多くの求婚者の中から一人を選ぶのに、男の名前を書いた帯を神前に供えて祈願すると、神が選んだ男の帯が裏返っているという話が記されています。また同じ頃の『奥義抄』(おうぎしょう)という歌書には、男女が帯に名前を書いて二つ折りにして供えると、神官がそれを結んで恋が成就するという風習があったことが記されています。
〇水に降る雪 白うは言はじ 消え消ゆるとも 248
◎水に降る雪すぐ消える たとえ儚く消えたとて 決して口には出しはせぬ 私の恋は白雪と
◇「白」は、はっきりしていることを意味する「著し」(しろし)を掛けています。水の上に降る白雪は一瞬に溶けてしまい、白い色は消えてしまいますが、「消え消ゆる」と消えるを重ねることにより、いくら降ってもすぐに消えてしまうことを強調しています。恋が儚く消えたとしても、意地でも口にはださない一途な女心を詠んでいるのでしょうか。
〇人の心は知られずや 真実 心は知られずや 255
◎あの人の 心の中はわからぬものか 本当に 心はわからぬものよ
◇「知られずや」の「や」は、疑問や反語を表す係助詞か、詠嘆を表す文末の間投助詞か、どちらであるかに因り意味は微妙に異なります。詠嘆の間投助詞ならば、「人の心というものはわからないものだなあ!」と訳せます。係り助詞の疑問ならば、「あの人の心の中がわからないものかなあ、知りたいなあ」という意味になります。反語ならば、「人の心というものは、他の人にはわからないものなのだろうか。否きっとわかるものだ」と訳せます。結局どれがよいかは、受け取る人次第でよいと思います。要するに、「相手の心は十分にわかっていたつもりだったのに、別れを告げられてしまった。そのわけを知りたいのに、人の心というものは何とわからないものだ」、ということなのでしょう。
〇忍ぶ身の 心に隙(ひま)はなけれども なほ知るものは涙かな なほ知るものは涙かな 259
◎忍ぶ恋する我が心 隙(すき)など見せぬと思うたが 涙は隙をかぎつけて 思わず知らず漏れてくる
◇恋の悩みは表には出すまいと心に決めていたのに、ふと涙が漏れて、不覚にも人に知られてしまったしいう場面でしょう。「なほ知るものは涙かな」とは、涙を流して泣くことを意味しているのですが、それはもともとは「世の中に憂きもつらきも告げなくにまず知るものは涙なりけり」(古今集 941)という歌に拠っています。また「なほ知るものは涙かな」については、『枕草子』の136段にも関連する逸話があり、歌を詠む程の人なら誰もが知っていることでした。「忍ぶ身の心に隙はなけれども」は、「忍ぶるに心の隙はなけれどもなほ洩るものは涙なりけり」(新古今 1037)という歌を下敷きにしています。ここまで来ると、古歌の知識が不十分な現代人は完全に脱帽です。『閑吟集』を単なる歌謡集と思ってはならないのです。
〇忍ばゞ目で締(し)めよ 言葉なかけそ 徒名(あだな)の立つに 261
◎忍ぶ恋なら眼(まなこ)で殺せ 言葉かければ浮き名立つ
◇「な・・・・そ」は「・・・・してくれるな」という禁止を表しています。短い歌なので状況を絞りきれず、いろいろな解釈がありそうです。他人に知られないように、色っぽい視線を送って、相手を恋の虜にしてしまおうというのでしょうか。あるいは人前では感づかれないように、目で合図をせよ。言葉に出せば、要らぬ噂が立つから、という解釈もできます。どちらにせよ、「目で締めよ」という表現が強烈ですので、現代語訳でも敢えて過激な言葉を選んでみました。
〇むらあやでこもひよこたま 273
◎あの人は 来ないだろうよ この夜も
◇この歌は逆さ言葉になっていますから、本来は「また今宵も来でやあらむ」なのです。逆に詠まなければ意味が通じないということは、人に聞かせるためではなく、呪文のように一人で称えたのでしょう。逆に称えることにより、歌の内容もまた逆になって、来そうもない人が来るかもしれないというのですから、しばらく訪ねて来なくなった男を待つ女の歌というわけです。『閑吟集』には他にも「きづかさやよせさにしざひもお」 (同上189番)という逆さ読みの歌もあります。これは逆さに読むと「おもひざしにさせよやさかづき」となるのですが、漢字を当てはめれば「思ひ差しに差せよや盃」となります。意味としては「思い入れ(特別な心)をもって盃に酒をついでおくれ」ということですから、酒の席で男が女に迫ったか、逆に女が男から盃を受けて、色っぽく迫った場面でしょう。
〇今結た髪が はらりと解けた いかさま心も 誰そに解けた 274
◎結ったばかりの髪解けた 何もせぬのにすぐ解けた 誰が私に恋をして 道理で私の髪解けた
◇若い女にとって髪を結うことは、男に対する武装の様なもの。女が髪を結ったり髪を解いたりするのは、プライベイトの行為であり、人にその姿を見せるとしたら、余程に心を許す人の前だけに限られます。ですから自ずと髪が解けたというのは、誰かが思いを寄せた結果であるというのでしょう。「結」と「解」は反対語で、ここでは対になっています。「いかさま」は現代では「いんちき」とか「ぺてん」という意味に用いられています。しかし古語では「如何様」という漢字表記のまま、「どのよう」「どう見ても」という意味ですが、ここでは「如何にも」「なる程」という意味で用いられています。
〇待てども夕べの重なるは 変はる初めか おぼつかな 277
◎待っても今宵も来ないのは 心変わりの徴(しるし)かも 心もとないことばかり
◇かつてはしばしば訪ねて来た男が、最近来ないのは、心変わりでもしたのだろうかと、女が不安を募らせているわかりやすい場面です。ふと、竹久夢二作詞の『宵待草』「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな」を連想し、夢二独特の心細そうな表情の女性を思い浮かべてしまいます。
〇あまり見たさに そと隠れ走(はし)して来た まづ放さいなう 放して物を言はさいなう そぞろいとほしうて 何とせうぞなう 282
◎あまりにあなたに会いたくて そっと隠れて走って来たの まずは放して下さいな ねえ それではものも言えないわ とにかくあなたが恋しくて 私どうにかなりそうよ ねえどうしましょ
◇男の胸に飛び込んだ女が、話もできない程に強く抱きしめられ、もがいている場面です。普通は男がこっそり通ってくるのですが、ここでは逆になっています。余程に積極的・情熱的な女性なのでしょう。忍ぶ恋など振り捨てて、心のままに行動できる女性の姿は、室町時代ならではのことと思います。江戸時代にはその様な女性像は息を潜めることとなり、それが再びよみがえるのは、与謝野晶子や平塚雷鳥まで待たなければなりません。
〇来し方より今の世までも 絶えせぬものは 恋といへる曲者(くせもの) げに恋は曲者 曲者かな 身はさらさらさら さらさらさら 更に恋こそ寝られね 295
◎神代より 今の世までも 絶えないものは 恋という名の曲者よ まことに恋は曲者なのよ 曲者よ この身はさらにさらさらに 恋に焦がれて眠られぬ
◇恋というものを「曲者」と表現しています。「曲者」は、現代では怪しげな者・不審者という意味で、「悪」の印象を伴います。しかし古語では変わり者とかしたたか者という意味で、微妙にニュアンスが異なります。この場合も、「恋をしてしまったのは私のせいではなく、恋という曲者のせいなのよ」と、手に負えない「曲者」に取り付かれた自分自身を、突き放して少々ユーモラスに、また自嘲気味に見ているわけですから、恋は怪しげな不審者ではありません。末尾の「ね」は、係助詞「こそ」を受けて打消の助動詞「ず」が已然形となったものです。「さらさら」は「更に」を導くために語調を調えているのですが、古歌には、霰や時雨が笹の葉にさらさら音を立てて降るという趣向があり、その影響があると思われます。この歌は恋を主題にした謡曲の『花月』からそのまま採られています。
〇爰(ここ)はどこ 石原嵩(いしわらとうげ)の坂の下 足痛やなう 駄賃(だちん)馬に乗たやなう 殿なう 299
◎ここは何処(どこ) 石原峠の坂の下 私あんよが痛いのよ お馬に乗せてよ ねえあなた
◇若い二人がこれから峠道を越えようとするのですが、くたびれるので馬に乗りたいと、女が男を手こずらせるように甘えている場面です。峠の麓には客待ちの駄賃馬がいるのでしょうか。室町時代には、交通の要衝には馬借という運送業者が大勢いて、年貢米の米俵などを輸送していました。ですから交渉次第では人も乗せてくれたことでしょう。これはこれで微笑ましい場面なのですが、これと正反対の歌が『万葉集』(3317)にあり、比べてみると、なかなか面白いものです。「つぎねふ山背道(やましろじ)を他夫(ひとづま)の馬より行くに己夫(おのづま)し徒歩(かち)より行けば 見るご とに音(ね)のみし泣かゆそこ思(もふ)に心し痛したらちねの母が形見と我わが持てるまそみ鏡に蜻蛉領布(あきづひれ)負ひ並(な)め 持ちて馬買え我が背(せ)」、「馬買はば妹徒歩ならむよしゑやし石は踏むとも我は二人行かむ」という歌です。
〇花見れば袖濡れぬ 月見れば袖濡れぬ 何の心ぞ 305
◎花を眺めりゃ涙に濡れる 月見上げても涙に濡れる 涙のわけを教えてよ
◇美しいものを見ると、訳もなく涙が溢れてくるものです。でも涙の訳は、花が美しいからではなく、月が澄み切っているからでもありません。花も月も、きっかけに過ぎないという経験は、誰にでもあると思います。307番歌と並べてみると、「涙の訳は、そんなの言わなくてもわかるではありませんか。あなたのせいに決まっているでしょ」と言いたいのかもしれません。
〇泣くはわれ 涙の主はそなたぞ 307
◎泣くのは確かに私だけれど お前は私の涙の主 泣かせるお前が悪いのよ 307
◇泣いている「われ」はたぶん男でしょう。「涙の主」の解釈はなかなか難しいのですが、ここでは「涙の拠ってくるところ」と理解しました。『閑吟集』には対句が効果的に用いられる歌が多いのですが、差し詰めこの歌は、その中でも究極の対句でしょう。余分なものは極限まで削ぎ落とすという美意識は、俳諧・水墨画・能楽・枯山水・書院造りなど、室町文化の特徴の一つであり、現代日本人もその美意識を継承しています。す。
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