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うたことば歳時記

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曙と暁(春はあけぼの)

2017-02-02 12:43:50 | うたことば歳時記
 明後日には立春を迎えます。そうすると気になるのは『枕草子』の冒頭の部分です。高校の古典の授業で暗記させられ、いまだに覚えています。かつてハワイ出身の横綱である曙が春場所で優勝すると、どのスポーツ新聞も、「春は曙」と大きな見出しを付けていたものです。誰でもが考えつきそうなのですが、それ以上の名文句はなかったので、他社も同じかもと思いつつ、決まり文句となっていました。

 ところで「曙」とはどのような時間帯なのか気になりました。早朝を指すと思われている「暁」や「東雲」とどのように違うのでしょうか。

 ネット情報を検索すると、もっともらしい解説がたくさんありました。しかしなぜそうなのか、その理由や根拠を示してくれないのです。ネット情報は玉石混淆ですから、どこまで信用できるかどうかわかりません。出典や根拠まで示して解説している場合は信用できることが多いのですが、そうでない場合は、余程気を付けてかからないと、間違った理解をしてしまうかもしれません。そこで素人ながらも、可能な限りの例や根拠に基づいてお話ししてみます。

 まずわかりやすいのは「曙」でしょう。『枕草子』の冒頭には、次のように記されています。「春はあけぼの。やうやう白くなり行く山ぎは、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」 山際が少し白っぽくなり、わずかに明るくなって紫色の雲がたなびいているのが見えるのですから、夜の暗さはもうありません。また太陽が見えるわけでもありません。山と空の境、つまり山際を視認できる程度の明るさになっている時間帯を指していることがわかります。

 『万葉集』の中から「曙」ということばの使用例を探したのですが、私の手許の資料には、引っ掛かってきません。丁寧に探しても一首もありません。ひょっとしてあったら御免なさい。このあと触れますが、『万葉集』には「暁」を詠んだ例はいくつかみつかりました。ということは、「曙」と「暁」はどちらが早い時間帯かという議論は、万葉時代にはあり得ないということです。

 そういうわけで、『万葉集』より後の歌集から、「曙」を詠んだ歌をいくつか拾ってみましょう。
①花ざかり春の山辺の曙に思ひわするな秋の夕暮(後拾遺和歌集 1103)
ここでは秋の夕暮に対比されるものとして、春の曙が詠まれています。そうすれば曙は朝焼けが見える時間帯と理解するのが自然でしょう。『枕草子』の冒頭が下敷きになっていることはすぐにわかりますね。

②今はとてたのむの雁もうちわびぬ朧月夜の曙の空(新古今集 58)
意味は、今はもう北に帰る時だとして、田の面にいる雁もさすがに辛くて鳴いている、朧月が有明となって残っている曙の空であることだ、ということでしょう。有明月は東の方でなければ、日の出後も暫くは見えます。ですから月があるのでまだ暗いというわけではありません。②からも、曙は東の空がもう明るくなっている時間帯であると推測できます。

 「暁」は古語では「あかとき」と読まれました。『万葉集』には「あかとき」を詠んだ歌はたくさんあるのですが、八代集あたりになるとみな「あかつき」になってしまい、「あかとき」の例がありません。まずは暁の時間帯がわかりそうな歌を、『万葉集』からいくつか拾い出してみましょう。

③「わが背子を大和へ遣るとさ夜深けて暁露にわが立濡れし」(万葉集 105)
この歌は、斎宮として伊勢宮に奉仕する大伯皇女を弟の大津皇子が密かに訪ねて来たのを、大和に又送り返す時の歌です。いろいろ悲しい背景があるのですが、本題から外れるので、ここでは触れないでおきましょう。意味は、私の弟をまた大和に送ろうと、夜もふけ、やがて暁の露に濡れるまで、立つづけたことであった、というようなことでしょう。ここでは暁は夜更けの後の時間帯と理解されています。

④暁と夜烏鳴けどこのもりの木末(こぬれ)が上はいまだ静けし(万葉集 1263)
夜更けの山のことでしょう。暁だと夜烏が鳴いていますが、森の梢はまだ静まりかえっている、というのです。暁の時間帯に夜烏が鳴くというのですから、まだ東の空が明るくなっていないと思われます。

 他にも「暁月夜」(2306)、「今夜(こよひ)の暁」(2269)という表現すらありますから、暁は、夜も更けてもうすぐ東の空が少し白んでくる前の、まだ暗い時間帯と理解されていたわけです。

 それなら『万葉集』より後の歌集から、「あかつき」の歌を探してみましょう。とは言ったものの、あまりに多すぎて、選ぶのにも困りました。

⑤みじか夜の残り少なくふけゆけばかねて物うきあかつきの空 (新古今和歌集 1176)
これは女のもとに通ってきた男が、夜が次第に更けてきて、後朝の別れを思って詠んだ歌です。夏の短い夜が残り少なく更けてゆくので、思いやることさえ心残りの暁の空であることよ、という意味でしょう。まだ後朝の別れには至っていないのですが、夜が更けてきた頃というのです。夜更けといえば、また暗い時間帯と理解することができます。

⑥鳥のねに驚かされて暁の寝覚めしづかに世を思ふかな (新葉和歌集 1138)

「寝覚め」というのですから、本来目覚める時間よりも早く目覚めてしまったと理解できます。それが暁であるというのですから、まだ明るくはなかったと思われます。

 こんな調子で探して行けば、もっと相応しい歌があるのでしょうが、これは軽い随想であって論文ではありませんから、そこまでは追求しません。しかし全体として暁とは、夜が更けた後のまだ暗い時間と結論してもよいのではと思います。

 さてここまでは良いとして、厄介なのは「しののめ」です。一般には「東雲」と書かれますが、『万葉集』には「小竹之眼」の表記があり、本来の意味は「篠の芽」のようです。「東雲」という表記は、もちろん後世の宛字です。

⑦朝柏潤八川辺の小竹の芽の偲ひて寝れば夢に見えけり (万葉集 2754)
「朝柏」は朝の柏の木のことで、潤んだ柏から「潤八川(うるはかは)」にかかる枕詞でしょう。「小竹(しの)の芽の」は「篠の芽の」と同じで、同音を繰り返して「偲(しの)ひて」にかかりますから、特定の時間帯を表しているわけではありません。意味は、朝の柏の木が潤んでいる潤八川辺に生える篠の芽ではありませんが、あの人を偲んで寝たら夢に現れました、ということでしょう。

 ほかに2478番にもう一首ありましたが、上の句が2754と全く同じの「朝柏潤八川辺の小竹の芽の」となっています。要するに『万葉集』の「しののめ」の用例では、曙や暁とは比較検討できないのです。

 ところがネット情報では、言語学者の堀井令以知氏の説を紹介して、「太古の日本家屋には、明り取りの窓に、篠で編んだ條の目を使った。夜が明けると、この條の目から日の光が差しこんでくる。それで條の目が夜明けを指す言葉として使われるようになった。」という情報ばかりが流布しています。しかし本当なのでしょうか。「太古の日本家屋」がいつの時代の物なのかはっきりしません。明かり取り窓に篠竹を編んだ物が使われていたなどということが、文献的にも考古学的にも証明できるのでしょうか。後世の茶室建築にあったとしても、しののめということばが歌に盛んに詠まれる平安時代の根拠でなければ意味がありません。仮にそのような窓があったとしても、その隙間から漏れ来る光が語源であることを客観的に示す根拠があるわけではありません。堀井説は、二重の仮説の上に成り立っています。一つは篠で編んだ窓が古くからあったこと。二つ目は、その窓の隙間から漏れた光が語源であるということです。この二つはいずれも思い付きに近い仮説であって、史料的根拠はありません。高名な学者が説くと、そのまま断定的に情報が独り歩きしているような気がしてなりません。

 平安から室町期の歌には、「しののめに月を残して」「しののめに山の端見えて」「しののめのあけゆく空」「しののめのややあけそむる」などの多くの例があるのですが、まだ暗い「暁」と東の空が明るくなって山際が見える「曙」と、明確に区別できるような歌が見当たりません。ただまだ暗い時間帯であることをはっきりと示す歌がないので、暁よりは後の時間帯であるとは言えると思います。しかし曙との前後関係は不明です。ネット情報では暁より遅く、曙より早い時間帯との説明が多いのですが、そこまで言い切れるか自信はありません。そもそも三者を時間帯を分けて理解すること自体が良いかどうかも検証しなければならないでしょう。

 まあここでは、暁は夜も更けたまだ暗い時間帯、曙は東の空に朝焼けが見える程度に明るくなりかけた時間帯ということにとどめておきましょう。

 それにしても清少納言はなぜ「春は曙」と言ったのでしょうか。現代人はあまり興味がないようですが、古には春が立つ徴(しるし)は春霞と理解されていました。古い和歌集の春の歌の巻頭には、必ず春霞を詠む歌が並んでいます。しかも春は東からやって来ると理解されていましたから、心ある人ならば、つまり風情のわかる人ならば、誰もが立春の朝早く東の空を遠く眺めたのです。現在では、時間に関係なく霞とは春などに遠くがぼやけて見えることと理解されていますが、本来は朝夕の時間帯のそのような景色を指していましたから、日が高く昇ってしまった時間ではなく、朝早く東の空を眺めたものなのです。『枕草子』の冒頭部の記述には、立春の朝とは書かれていませんが、春の始めには早朝の東の空をつくづくと眺めるのが常だったのです。まして季節の変化を繊細な感覚でとらえていた清少納言ですから、「春霞は見えるだろうか」という気持ちで眺めていたに違いありません。

 ついでのことですが、立春になると必ず「まだ寒さが厳しいのに、なぜ立春というのだろうか」旧暦は中国の暦をもとに作られたから、日本の気候とはずれがある」とか言って、全く悲しくなるほど的外れなコメントを耳にします。なぜそのようなコメントが的外れで間違っているのか丁寧に解説してありますので、私のブログ「うたことば歳時記」のなかの「旧暦の基礎知識」を御覧下さい。


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