最近、授業での必要があって世界各国の国旗について詳しく勉強しています。アメリカ合衆国は最も見慣れた外国の国旗ですが、私の知らなかったこともあり、面白かったので少々書いてみました。
アメリカ合衆国の国旗は英語では「the Stars and Stripes」、日本語では「星条旗」と呼ばれています。紺地に白い星が置かれ、赤と白の横筋が重なるデザインは、1777年6月14日に、フィラデルフィアで行なわれた第2回大陸会議(アメリカ植民地代表者の会議)で制定されて以来、基本的には変わっていません。ただ星の数はアメリカ合衆国を構成する州の数と一致させることから、その後は州の数が増えるたびに星の数と配置がかわり、現在の国旗は27代目に当たります。紺地に白い星と赤白の横筋という様式は、制定以来一貫してかわらないのですが、最も変更の多い国旗でもあるのです。
一般には、独立戦争の時にフィラデルフィアに住んでいた、ベッツィー・ロスという女性が裁縫したものが始まりと理解され、歴史上の人物としてその名はよく知れ渡っているのです。私もそのように理解していましたが、論文をいろいろ調べてみると、どうもそうではなさそうです。実際のところは、彼女の孫が祖母からそのように聞いたことがあるという伝聞があるだけで、それを直接証明する史料があるわけではなく、アメリカの歴史学会では認められていないそうです。アメリカの公立学校では、始業時に国旗敬礼と国旗に対し忠誠を誓う文言を唱和するほどに国旗を大切にしているのですが、ベッツィー・ロスが作ったとは、教科書にも載っていません。ベッツィー・ロス依頼されて縫ったということはあったかもしれませんが、彼女の創作ではなさそうです。しかし彼女は最初に星条旗を作った人として、その住まいは観光名所になっています。
ちなみに最近は国旗に敬礼をすることを強制するのは、憲法に違反するという訴訟もあるようです。まあ日本人の感覚からすればそれももっともですが、大統領就任式で、聖書に手を置いて宣誓することが当然の国なのですから、日本人の常識で判断することはいけないのだとも思います。何しろコインに「We trast in God」と刻まれている国なのですから。
1775年に独立戦争が始まると、植民地軍の総司令官となったジョージ・ワシントンは、「グランド・ユニオン」と呼ばれた最初のアメリカ国旗をデザインし、それは翌年1776年の1月1日に軍の施設に掲げられました。この旗は、赤白13本のストライプは現在の国旗と同じで、左上隅のカントンの部分にイギリス国旗を置いたものでした。ただしイギリス国旗といっても、現在のイギリス国旗とは少し異なります。赤い斜めの十字が見当たらないのです。赤い斜めの十字はアイルランドの国旗ということになっているのですが、この段階ではアイルランドはまだイングランドに併合されていませんでしたので、「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」は成立していません。アイルランドが併合されるのは1801年のことですから、現在のイギリスの国旗と少し異なっているわけです。これは新しい発見で、今までは見過ごしていました。
しかしよくよく考えてみれば、イギリスと戦っているのにイギリスの国旗が置かれた旗を掲げたのでは具合が悪いと、ワシントンも思ったのでしょうね。そこで独立を宣言したの翌年の1777年6月14日、大陸会議は「合衆国国旗は赤白交互の13本のストライプからなり、カントンには青地に白色の星座をつくるべし」と決議をしました。合衆国の旗の基本はこの時にできたわけです。この6月14日は現在では『Flag Day』という祝日とされ、家庭や公共施設の入り口に国旗が掲げられます。そしてニュージャージー州代表として独立宣言に署名したフランシス・ホプキンソンという人が、星を輪のように並べるデザインを考案しました。星条旗のデザインの実際の考案者は、このフランシス・ホプキンソンであると言えるでしょう。
13本のストライプと13の星は、独立当初の13州を表しています。この旗についてワシントンは、「星は天から与えられたもの、赤は母国を表す。その赤を分離する白のストライプは、われわれが母国から分離したことを表す。」と述べています。
初めのうちは13州だけだったのですが、その後州の数が増えるに従って、星の数と条の数も増やされていました。しかし15本までになったのですが、条の数が増えると遠くからは色が混じってピンク色に見えるため、途中から条の数は13本にもどし、星の数だけを増やすように改められました。現在の国旗には50の星が置かれています。最後の50番目の星はハワイ州で、ハワイが州に昇格した翌年の1960年から現在に至るまで続いています。もし将来にグァム島が州になることがあれば、星が一つ増えるかもしれません。
アメリカ国歌は日本語では「星条旗」、英語では「The Star-Spangled Banner」と呼ばれ、アメリカ国旗を歌っています。よく「星条旗よ永遠なれ」と勘違いされることがありますが、それは全く別の曲です。この原詩は、1814年にフランシス・スコット・キーという人によって作詞されました。これは1812年に始まった米英戦争での出来事が背景となっています。アメリカでは首都ワシントンD.Cが占領され、大統領官邸も石の外壁を残して焼け落ちてしまいました。そのような劣勢の中で、イギリス軍艦の夜間艦砲射撃に耐え抜いたマクヘンリー砦(メリーランド州ボルティモア)に、星条旗(その当時は星15個、縞15本)が夜明けの光の中で翻っているのを見た作詞者が、その感動を書き留めたものです。その旗の大きさは縦30フィート(914cm)、横42フィート(1280cm)もある大きなものでしたから、遠くからもよく見えたのでしょう。ちなみに戦後、この時大統領官邸を修復する際に、焼け焦げたのを隠すために真白なペンキを塗ったことから、大統領官邸は「ホワイトハウス」と呼ばれるようになります。
参考のために、アメリカ国歌の和訳を、ネット情報の助けを借りて載せておきます。
1.
Oh, say can you see,
by the dawn's early light
What so proudly we hailed
at the twilight's last gleaming?
Whose broad stripes and bright stars,
through the perilous fight.
O'er the ramparts we watched
were so gallantly streaming?
1.
おお、見えるだろうか、
夜明けの薄明かりの中
我々は誇り高く声高に叫ぶ
危難の中、城壁の上に
雄々しく翻(ひるがえ)る
太き縞に輝く星々を我々は目にした
And the rockets' red glare,
the bombs bursting in air,
Gave proof through the night that
our flag was still there,
Oh, say does that star-spangled
banner yet wave.
O'er the land of the free
and the home of the brave!
砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中
我等の旗は夜通し翻っていた
ああ、星条旗はまだたなびいているか?
自由の地 勇者の故郷の上に!
アメリカ国歌はオリンピックの表彰式でよく聞きますので、生徒の中にはオリンピックの歌だと勘違いしている者もいたくらいです。
さてアメリカ合衆国の国旗は順調に星の数を増やしてゆくのですが、1861年に南北戦争が起きました。アメリカ合衆国の北軍と、合衆国から分離したアメリカ連合国の南軍との戦争です。結局4年間も続いて北軍が勝つのですが、その間南側では、アメリカ連合国の国旗や南軍旗が使われました。国旗は北側の合衆国の国旗とよく似ています。カントンの部分には紺地に七つの州を表す七つの白い星を円形に並べ、赤白の条の部分は水平に三分割し、上から赤・白・赤の配色としたものでした。しかし戦場では北軍の星条旗と紛らわしいとして、別に南軍旗が作られました。それは赤地にX字形で紺色の十字を置き、十字の上に白い13の白い星を並べたもので、現在でも南側の国旗よりよく知られています。しかし南側の連合国は奴隷制廃止に反対していたため、現在南軍旗を掲揚することは人種差別を容認するものとして、問題視されることがあります。
アメリカ国旗を掲揚する場合は、紺地に白い星のカントンの部分が必ず左上になるようにするという決まりがあります。横長に掲揚する場合はまだよいのですが、縦長に掲揚する場合はたとえ裏表が逆になっても、カントンを左上にしなければなりません。悪気はないとしても間違って掲揚すれば、それは国旗やアメリカやそれを見るアメリカ人を侮辱することになるからです。
アメリカは世界の大国であるだけに、星条旗のデザインはチリ・ウルグアイ・リベリア・プエルトリコ・キューバ・パナマ・マレーシア・ギリシアなど、世界の多くの国の国旗に影響を与えました。特にリベリアは、国の成り立ちについてはアメリカと密接な関係があります。「リベリア」とは「自由の国」という意味で、アメリカで奴隷から解放された黒人たが、「祖国再建」をスローガンに西アフリカに渡って入植し、アメリカ憲法を参考にした憲法を制定して、1847年に独立した国です。
アメリカ国旗についていろいろ調べていて、今まで知らなかったこともたくさんありました。ただ読むだけではなかなか身に付かないので、いつもこうして文章にまとめています。それによってより身に付くからです。いかにもわかっていたかのように書いていますが、そういうわけではありません。御免なさい。また本来ならばカラーで国旗の図を載せられれば良いのですが、悲しいかな機械音痴名ためやり方がわかりません。携帯で写真を写すのが精一杯で、ご不便をおかけして申し訳ありません。
アメリカ合衆国の国旗は英語では「the Stars and Stripes」、日本語では「星条旗」と呼ばれています。紺地に白い星が置かれ、赤と白の横筋が重なるデザインは、1777年6月14日に、フィラデルフィアで行なわれた第2回大陸会議(アメリカ植民地代表者の会議)で制定されて以来、基本的には変わっていません。ただ星の数はアメリカ合衆国を構成する州の数と一致させることから、その後は州の数が増えるたびに星の数と配置がかわり、現在の国旗は27代目に当たります。紺地に白い星と赤白の横筋という様式は、制定以来一貫してかわらないのですが、最も変更の多い国旗でもあるのです。
一般には、独立戦争の時にフィラデルフィアに住んでいた、ベッツィー・ロスという女性が裁縫したものが始まりと理解され、歴史上の人物としてその名はよく知れ渡っているのです。私もそのように理解していましたが、論文をいろいろ調べてみると、どうもそうではなさそうです。実際のところは、彼女の孫が祖母からそのように聞いたことがあるという伝聞があるだけで、それを直接証明する史料があるわけではなく、アメリカの歴史学会では認められていないそうです。アメリカの公立学校では、始業時に国旗敬礼と国旗に対し忠誠を誓う文言を唱和するほどに国旗を大切にしているのですが、ベッツィー・ロスが作ったとは、教科書にも載っていません。ベッツィー・ロス依頼されて縫ったということはあったかもしれませんが、彼女の創作ではなさそうです。しかし彼女は最初に星条旗を作った人として、その住まいは観光名所になっています。
ちなみに最近は国旗に敬礼をすることを強制するのは、憲法に違反するという訴訟もあるようです。まあ日本人の感覚からすればそれももっともですが、大統領就任式で、聖書に手を置いて宣誓することが当然の国なのですから、日本人の常識で判断することはいけないのだとも思います。何しろコインに「We trast in God」と刻まれている国なのですから。
1775年に独立戦争が始まると、植民地軍の総司令官となったジョージ・ワシントンは、「グランド・ユニオン」と呼ばれた最初のアメリカ国旗をデザインし、それは翌年1776年の1月1日に軍の施設に掲げられました。この旗は、赤白13本のストライプは現在の国旗と同じで、左上隅のカントンの部分にイギリス国旗を置いたものでした。ただしイギリス国旗といっても、現在のイギリス国旗とは少し異なります。赤い斜めの十字が見当たらないのです。赤い斜めの十字はアイルランドの国旗ということになっているのですが、この段階ではアイルランドはまだイングランドに併合されていませんでしたので、「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」は成立していません。アイルランドが併合されるのは1801年のことですから、現在のイギリスの国旗と少し異なっているわけです。これは新しい発見で、今までは見過ごしていました。
しかしよくよく考えてみれば、イギリスと戦っているのにイギリスの国旗が置かれた旗を掲げたのでは具合が悪いと、ワシントンも思ったのでしょうね。そこで独立を宣言したの翌年の1777年6月14日、大陸会議は「合衆国国旗は赤白交互の13本のストライプからなり、カントンには青地に白色の星座をつくるべし」と決議をしました。合衆国の旗の基本はこの時にできたわけです。この6月14日は現在では『Flag Day』という祝日とされ、家庭や公共施設の入り口に国旗が掲げられます。そしてニュージャージー州代表として独立宣言に署名したフランシス・ホプキンソンという人が、星を輪のように並べるデザインを考案しました。星条旗のデザインの実際の考案者は、このフランシス・ホプキンソンであると言えるでしょう。
13本のストライプと13の星は、独立当初の13州を表しています。この旗についてワシントンは、「星は天から与えられたもの、赤は母国を表す。その赤を分離する白のストライプは、われわれが母国から分離したことを表す。」と述べています。
初めのうちは13州だけだったのですが、その後州の数が増えるに従って、星の数と条の数も増やされていました。しかし15本までになったのですが、条の数が増えると遠くからは色が混じってピンク色に見えるため、途中から条の数は13本にもどし、星の数だけを増やすように改められました。現在の国旗には50の星が置かれています。最後の50番目の星はハワイ州で、ハワイが州に昇格した翌年の1960年から現在に至るまで続いています。もし将来にグァム島が州になることがあれば、星が一つ増えるかもしれません。
アメリカ国歌は日本語では「星条旗」、英語では「The Star-Spangled Banner」と呼ばれ、アメリカ国旗を歌っています。よく「星条旗よ永遠なれ」と勘違いされることがありますが、それは全く別の曲です。この原詩は、1814年にフランシス・スコット・キーという人によって作詞されました。これは1812年に始まった米英戦争での出来事が背景となっています。アメリカでは首都ワシントンD.Cが占領され、大統領官邸も石の外壁を残して焼け落ちてしまいました。そのような劣勢の中で、イギリス軍艦の夜間艦砲射撃に耐え抜いたマクヘンリー砦(メリーランド州ボルティモア)に、星条旗(その当時は星15個、縞15本)が夜明けの光の中で翻っているのを見た作詞者が、その感動を書き留めたものです。その旗の大きさは縦30フィート(914cm)、横42フィート(1280cm)もある大きなものでしたから、遠くからもよく見えたのでしょう。ちなみに戦後、この時大統領官邸を修復する際に、焼け焦げたのを隠すために真白なペンキを塗ったことから、大統領官邸は「ホワイトハウス」と呼ばれるようになります。
参考のために、アメリカ国歌の和訳を、ネット情報の助けを借りて載せておきます。
1.
Oh, say can you see,
by the dawn's early light
What so proudly we hailed
at the twilight's last gleaming?
Whose broad stripes and bright stars,
through the perilous fight.
O'er the ramparts we watched
were so gallantly streaming?
1.
おお、見えるだろうか、
夜明けの薄明かりの中
我々は誇り高く声高に叫ぶ
危難の中、城壁の上に
雄々しく翻(ひるがえ)る
太き縞に輝く星々を我々は目にした
And the rockets' red glare,
the bombs bursting in air,
Gave proof through the night that
our flag was still there,
Oh, say does that star-spangled
banner yet wave.
O'er the land of the free
and the home of the brave!
砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中
我等の旗は夜通し翻っていた
ああ、星条旗はまだたなびいているか?
自由の地 勇者の故郷の上に!
アメリカ国歌はオリンピックの表彰式でよく聞きますので、生徒の中にはオリンピックの歌だと勘違いしている者もいたくらいです。
さてアメリカ合衆国の国旗は順調に星の数を増やしてゆくのですが、1861年に南北戦争が起きました。アメリカ合衆国の北軍と、合衆国から分離したアメリカ連合国の南軍との戦争です。結局4年間も続いて北軍が勝つのですが、その間南側では、アメリカ連合国の国旗や南軍旗が使われました。国旗は北側の合衆国の国旗とよく似ています。カントンの部分には紺地に七つの州を表す七つの白い星を円形に並べ、赤白の条の部分は水平に三分割し、上から赤・白・赤の配色としたものでした。しかし戦場では北軍の星条旗と紛らわしいとして、別に南軍旗が作られました。それは赤地にX字形で紺色の十字を置き、十字の上に白い13の白い星を並べたもので、現在でも南側の国旗よりよく知られています。しかし南側の連合国は奴隷制廃止に反対していたため、現在南軍旗を掲揚することは人種差別を容認するものとして、問題視されることがあります。
アメリカ国旗を掲揚する場合は、紺地に白い星のカントンの部分が必ず左上になるようにするという決まりがあります。横長に掲揚する場合はまだよいのですが、縦長に掲揚する場合はたとえ裏表が逆になっても、カントンを左上にしなければなりません。悪気はないとしても間違って掲揚すれば、それは国旗やアメリカやそれを見るアメリカ人を侮辱することになるからです。
アメリカは世界の大国であるだけに、星条旗のデザインはチリ・ウルグアイ・リベリア・プエルトリコ・キューバ・パナマ・マレーシア・ギリシアなど、世界の多くの国の国旗に影響を与えました。特にリベリアは、国の成り立ちについてはアメリカと密接な関係があります。「リベリア」とは「自由の国」という意味で、アメリカで奴隷から解放された黒人たが、「祖国再建」をスローガンに西アフリカに渡って入植し、アメリカ憲法を参考にした憲法を制定して、1847年に独立した国です。
アメリカ国旗についていろいろ調べていて、今まで知らなかったこともたくさんありました。ただ読むだけではなかなか身に付かないので、いつもこうして文章にまとめています。それによってより身に付くからです。いかにもわかっていたかのように書いていますが、そういうわけではありません。御免なさい。また本来ならばカラーで国旗の図を載せられれば良いのですが、悲しいかな機械音痴名ためやり方がわかりません。携帯で写真を写すのが精一杯で、ご不便をおかけして申し訳ありません。
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