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うたことば歳時記

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春くれなゐの岩つつじ

2016-04-19 14:31:02 | うたことば歳時記
夏も近付く今日この頃、里山には野生の躑躅(つつじ)が咲くようになりました。一般的には「山つつじ」と呼ばれているようです。品種改良されたつつじと異なり、野生のつつじは淡い紅色で、たまに白い花もあります。『万葉集』には「丹つつじ」や「白つつじ」という表現がありますから、はじめから紅白2色があったようです。

 初めから脱線してしまいますが、「紅白のつつじ」と言えば、ホオジロの鳴き声を思い浮かべますね。動物の鳴く声を人の言葉に置き換えて聞き取ることを「聞きなし」と言うのですが、ウグイスの「法、法華経」は誰でも知っています。ホオジロの聞きなしでよく知られているのは、「一筆啓上つかまつり候」というもので、実際そのように聞こえます。もう一つよく知られているのが「源平つつじ白つつじ」「源平つつじ茶つつじ」というものです。ホオジロは我が家の周辺にもたくさんいて、そのつもりになって耳を澄ますのですが、一筆啓上の先入観があるためか、源平つつじには聞こえませんでした。

 つつじを詠んだ古歌は『万葉集』では10首詠まれていて、美しい女性の比喩として詠まれることがあります。王朝和歌になるとその数は大変少なくなりますが、色がわかるのはほとんどが赤系となっています。つつじの本来の色は紅色と理解されていたのでしょう。

 また慣用的に「岩つつじ」と詠まれることが多いのですが、『万葉集』にも1例ありますから、早くから定着していたようです。「岩つつじ」と聞けば、すぐに思い浮かぶのは、『平家物語』大原御幸の場面です。大原の寂光院に隠棲している建礼門院を、後白河法皇が突然に訪ねた際に、建礼門院は山に花を採りに行って留守にしていました。法皇が「人やある」と呼んでも誰もいません。そのうち年老いた尼が現れて、法皇と話をしているうちに、建礼門院が山から降りてきます。

 上の山より濃墨染の衣着たる尼二人、岩の懸道を伝ひつつ下り煩はせ給ひけり。法皇御覧あつて、「あれは何者ぞ」と仰せければ、老尼涙を押さへて申しけるは、「花篋肱に懸け岩躑躅うち添へて持たせ給ひたるは女院にて渡らせ給ひ候ふなり。爪木に蕨折り具して候ふは、鳥飼中納言維実の娘、五条大納言国綱の養子、先帝の御乳母大納言典侍局」と申すも敢へず泣きけり。
 法皇も哀れげに思し召して、御涙塞き敢へさせ給はず
 女院も、「世を厭ふ御習ひといひながら、今かかる有様を見え参らせんずらん恥づかしさよ。消えも失せばや」と思し召せどもかひぞなき。
 宵々毎の閼伽の水結ぶ袂も萎るるに暁起きの袖の上山路の露も滋しくて絞りやかねさせ給ひけん山へも帰らせ給はず御庵室へも入らせおはしまさず、あきれて立たせましましたる所に内侍の尼参りつつ花篋をば賜はりけり。

 『平家物語』の原文を載せましたが、難しい部分もあるので、現代語訳も添えておきましょう。

 さて、上の山から濃墨染の衣を着た尼が二人、険しい岩道伝いを難儀しながら下りてこようとされていました。後白河法皇がご覧になって「あれは何者だ」と仰せになると、老尼は涙をこらえて、「花籠を肘に掛け、岩つつじを 添え持っておられるのが建礼門院さまでございます。薪と蕨をお持ちなのが鳥飼中納言・藤原伊実殿の娘で五条大納言・藤原邦綱殿の養子、先の安徳天皇の乳母でもあった大納言典侍局…」と言うこともままならずお泣きになりました。
 法皇も哀れに思われて、涙をお止めになることができませんでした。
 建礼門院も「世捨て人の常とは言いながら、今このようなありさまをお見せする恥ずかしさ。消えてしまいたい!」と思われたのですが、どうしようもありません。
 毎夜の仏前に供える水で袂は萎れているのに、早朝起きて山路を行くので、袖はたくさんの露に濡れ、露と涙で絞りかね、いまさら山へも帰られず、庵へも入られず、途方に暮れて立っていたところ、内侍の尼が参り、花籠を受け取られました。

 頃は「卯月二十日」の頃ということですから、もう夏になっていましたが、山奥のこととて、季節の移り変わりが少しばかり遅かったのでしょう。まだ山にはつつじが咲いていたようです。ここでも「岩つつじ」
と慣用的に呼ばれていますね。庭に植えることが当たり前になっている現代では、ピンと来ないかもしれませんが、岩山に咲く野生のヤマツツジを見る機会があれば、それだけで一幅の見ものであると思って下さい。

ヤマツツジが咲くのは、晩春から初夏にかけてのことです。その色は夕紅の空の色を思わせたのでしょう。次のような歌が詠まれています。
○入日さす夕くれなゐの色映えて山下照らす岩つつじかな   (金葉集 春 80)
これには「晩に躑躅を見るといへることを詠める」という詞書きが添えられています。「晩に」とは言うものの、「入日さす」というのですから、夕暮れのことなのでしょう。晩春の夕暮れは、一日の終わりだけでなく、春の終わること、春の暮れることを連想させます。この歌にはどこにも「春を惜しむ」とは詠まれていませんが、当時の人の感覚ならば、春の暮れる頃の夕暮れは、特別な情趣を感じさせるものでした。そのような暮春の夕暮れだからこそ、夕紅色の岩つつじをしみじみと歌に詠む心が湧いてきたのでしょう。


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