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土用鰻の平賀源内起原説の出鱈目

2019-02-18 10:16:46 | 歴史
マスコミやネット情報で説かれている年中行事情報には、根拠のない出鱈目なことが溢れているのですが、その一つに土用鰻の風習が、平賀源内のキャッチコピーから始まったというものがあります。

 それによれば、青山白峰という人が著した『明和誌』(1822年)という随筆に、夏に売り上げの落ちた鰻屋が、博学で知られた平賀源内に相談したところ、「本日土用の丑の日」と書いて店先にはり紙をするようにと言われ、そのようにしたところ大繁盛をした、ということが記されている、というのです。しかしいくら丁寧に『明和誌』を読んでも、そのような記述はありません。ただ「暑中と寒中の土用の丑の日に鰻を食べる風習が、安永・天明の頃から始まった」と記されているだけです。『明和誌』は大正5年に出版された『鼠璞十種第二』という随筆集の巻頭に収録されているので、国会図書館デジタルコレクションで閲覧が可能です。活字になっていますし、短い本ですから、30分もしないで読めます。信じられないというなら、御自分で直接確認して下さい。

 源内が風来山人の名前で著した『里のをだまき評』という書物に「土用の丑の日に鰻を食べると滋養になる」記されているとウィキペディアに書かれているため、それを孫引きしている説が広まっているのですが、「吉原へ行、岡場所へ行くも皆夫々の因縁づく、能(よい)も有、悪いもあり。江戸前うなぎと旅うなぎ程旨味(うまみ)も違はず」と記されているだけです。これは吉原の遊女と他所から来た遊女の違いを、江戸前の鰻と江戸以外から来た鰻(旅鰻)程には違わないという意味で、品のよい喩えではありません。原文は国会図書館デジタルコレクション『天狗髑髏鑒定縁起』と検索し、その47コマ目の左ページで見られます。江戸時代の版本の写真版しか載っていないので、慣れていないと読めませんが、いくら丁寧に読んでも、土用鰻のことは見当たりません。

 結局は平賀源内が関わる土用鰻の話の原典は存在せず、誰かがでっち上げた話であると思われます。今のところ明治期の文献では見たことがありませんので、おそらく大正期以後のことであると思います。もちろん私の見落としの可能性もありますが・・・・。暑中と寒中の土用丑の日に、鰻を食べる慣習が江戸時代に一般に広まったことは事実ですが、源内の助言から始まったというのは、全く根拠がないのです。

源内起原説を紹介している人は、いったい何を根拠に書いているのでしょうか。『明和誌』『里のをだまき評』を見たことがないに違いありません。一般の人が見たことがないのはやむを得ません。特に『里のをだまき評』は変体仮名が読めなければ解読できませんから。しかし土用鰻についての文を公表するほどの人が読んでいないのは、大いに問題があります。私に言わせれば、辛口ですが、「読んだこともないのに、よくもまあ読んだかのような顔をして書けるものだ」と思います。とにかく源内起原説を書いている人は、原典すら読まずに、先行する俗説をただ写しているだけであることを、自ら宣伝しているのと同じようなものなのです。出鱈目な説を垂れ流しにするのは、もう止めてもらいたいものです。

 また「う」の字のつく物を食べると「運」がよくなると信じられていたとも説明されていますが、その頃にそのような風習があったことを証明する文献史料はありません。ただ当時の絵巻物(『江戸年中風俗之絵』1840年頃)に「今日うしの日」という広告を貼ってある鰻屋が描かれていますから、土用の丑の日に鰻を食べる慣習が一般に広まっていたことは事実です。この絵巻物はインターネットで「国会図書館デジタルコレクション『江戸年中風俗之絵』」と検索し、その巻二の第7コマ目を開くと見ることができます。大変珍しい史料ですから、ぜひ御覧下さい。以上のように、土用に鰻を食べる風習があったことは史料で確認できるのですが、源内起源説には何の根拠もないことを、あらためて確認しておきましょう。

 それどころか、全く正反対の説があります。明治31年の『風俗画報』159号には、次の様に記されています。「往古、土用中の丑の日に鰻を食すれば、大悲利他不尽天の如く諸願満足を主る虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)の忌諱(きき)に触ると云て、世上普通の人は皆この日鰻を食せざりしなり。而して日常膳に魚肴を上すこと能はざる貧人は、この日に限り廉価を以て鰻を食し得るに因り、皆争てこれを求めり。何れの鰻店もこの機に乗じ、これ等貧人の注意を喚起するが為めに、紙牌を店頭に掲げ、以てこれを待ちしが、今は全く反対になりしこそ笑(おか)しけれ」。

 土用丑の日には虚空蔵菩薩信仰の禁忌として、鰻を食べない風習があったため、この日ばかりは鰻の売れ行きが芳しくなく、鰻の値段が下がる。それで貧しい人がそれを狙って鰻を買い求めるので、鰻屋が店頭に丑の日に廉売する広告を掲げるようになり、今は本来の禁忌の意味が無視されて、皆が土用鰻を食べる様になった、というのです。古くから鰻は虚空蔵菩薩の乗り物であるとか、虚空蔵菩薩は丑年と寅年生まれの人の守り本尊でぬるという俗信があり、虚空蔵菩薩信仰に縁のある人や地域では、鰻を食べることを禁忌とされてきたことは事実です。これも話としてはなかなか面白いのですが、しかし『風俗画報』の情報は玉石混淆であり、現在はこれを考証する材料を持ち合わせていないため、一つの説として紹介するに留めておきます。

 




 ついでのことですが、近年に長野県諏訪市では、寒中土用鰻の発祥地と称して、冬の土用に鰻を食べることを新たな町おこしとして盛んに宣伝しています。確かに夏よりは冬の鰻の方が脂はのっています。しかし寒中土用の鰻を食べる習慣は、江戸時代に普通に行われていたことです。前掲の『明和誌』や『東都歳時記』という江戸後期の江戸の歳時記にも、はっきりと記されています。諏訪市には『明和誌』や『東都歳時記』を読んだ事のあるお役所の人はいなかったのでしょうか。「発祥の地」は明らかに誤りです。「復興の地」で十分ではありませんか。こうして伝統的年中行事や風習が捏造され、いずれ既成事実化して独り歩きしていくのでしょう。

 それにしてもどうしてこのような出鱈目なことが事実としてまかり通ってしまうのでしょう。

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