いよいよ梅雨が明け、猛暑本番となりそうです。でも、間もなく立秋ですから、「夏本番」と言うわけにはいきません。先日、私の主催する生涯学習のための研修会で、「夏の唱歌を歌う」と題して、懐かしい歌を皆で歌いました。その中に『我は海の子』があり、いろいろ話が発展したので、その時の様子を一寸お話しをしてみましょう。わが埼玉県には海がないこともあって、「海」への憧れが人一倍強く、私にとっては大好きな歌となっています。
ネット情報ですが、明治43年、文部省『尋常小学読本唱歌』に初出し、作詞者・作曲者ともに不詳でしたが、宮原晃一郎(1882~1945年)の作詞という説が有力だそうです。
まずは歌詞を載せておきましょう。
1、我は海の子白浪の さわぐいそべの松原に
煙たなびくとまやこそ 我がなつかしき住家なれ。
2、生まれてしほに浴して 浪を子守の歌と聞き
千里寄せくる海の気を 吸いてわらべとなりにけり。
3、高く鼻つくいその香に 不断の花のかおりあり。
なぎさの松に吹く風を いみじき楽と我は聞く。
4、丈余のろかい操りて 行手定めぬ浪まくら
百尋千尋海の底 遊びなれたる庭広し。
5、幾年ここにきたえたる 鉄より堅きかいなあり。
吹く塩風に黒みたる はだは赤銅さながらに。
6、浪にただよう氷山も 来らば来れ恐れんや。
海まき上ぐるたつまきも 起らば起れ驚かじ。
7、いで大船を乗出して 我は拾わん海の富。
いで軍艦に乗組みて 我は護らん海の国。
一通り読んでみて、難解なことはなさそうです。1番の「とまや」は「苫屋」で、草葺きの粗末な家のこと。3番の「不断の花のかおり」とは、磯の独特の匂いを、絶えることのない花の香りに喩えたのでしょうが、ネット上には、不断草の花のことという説もありました。しかしいくら何でもこの説は頂けません。「松風の音」と対句になっているのですから、それにつり合うような風情のある内容でなければなりません。確かに「フダンソウ」という植物はあるのですが、その様な特定の花の名前をでは、到底つり合いません。松風の音を美しい音楽と聞くというのですが、古来、松風の音は琴の音に喩えられるのが常套でした。またその逆に、琴の音は松風に喩えられるのも古歌の常套でした。作詞者は古来の歌言葉は熟知していましたから、このような表現となったのでしょぅ。しかしまだ腕白盛りの子供達が、琴の音の風情に関心を持つことなどないでしょうから、そこまで踏み込んで理解する必要はないでしょう。しかしこの歌とは関係なく、古人は松風を琴の音と聞いたということは、知っておいてもよいでしょう。海辺で松風を聞くこともあるでしょう。そのとき、いろいろ想像を膨らませて、昔を偲ぶことができるでしょうから。
4番の「丈」について、1丈は10尺ですから、約3mということになります。「浪まくら」とは舟の中で寝ることですが、この場合は実際に船中泊ということではなく、あてもなくあちこち舟を漕いだということでしょう。「尋」について、1尋は両手を左右に伸ばした長さですから、まあ身長とほぼ同じということです。「百尋千尋」は実際の長さではなく、深い海にも潜ったということでしょう。海の底も、自分の庭のように熟知しているというのです。5番では、日焼けした逞しい少年の様子が浮かびます。6番では氷山や竜巻に触れられていますが、氷山が日本に来るはずはありませんから、困難や危険をも畏れないことの比喩としているのか、あるいは少年が成長して、世界の海に乗り出す覚悟を歌っているともとれます。7番の「いで」は「いざ」とか「さあ」という意味で、思い切って事に当たらんとするときの感動を表す言葉です。大船や軍艦に乗って、海の富を探ったり、護国の使命を果たそうというのです。
歌ができたのが日露戦争後のことですから、当時の小学生がこの歌を歌う際には、日本海海戦のことなどが脳裏をかすめたことでしょう。その戦時色の故に、戦後は音楽の教科書から姿を消してしまいましたが、その後は1番から3番までが復活され、平成元年に文部省が発表した新学習指導要領で共通教材となったということです。
まあそれは、現代のご時世にはやむを得ないことでしょう。しかし日本が「海の国」であるという認識まで削除してはなりません。日本の国土の面積は約38万平方㎞で、世界第61位に過ぎません。しかし領土の沿岸から200海里(1海里は1852m)の排他的経済水域の面積では、アメリカ・オーストラリア・インド・ニュージーランド・カナダに次いで、第6位なのです。
「軍艦」ではありませんが、海上保安庁の「巡視船」や海上自衛隊の「護衛艦」は、現在も海国日本の利益を守るために、日夜活躍をしていることを忘れてはいけないと思います。都知事選挙に立候補している鳥越俊太郎氏が、かつて「尖閣諸島など中国にくれてしまえばよい」と公言したことがあります。私は鳥越氏全てを否定するつもりはありませんが、いくら何でもこの発言は頂けません。島自体は小さくとも、その政治的・経済的価値は余りにも大きく、「くれてしまえ」で済む問題ではありません。もし尖閣を獲られれば、次は沖縄が狙われることは明白です。中国は日清戦争で沖縄が日本に奪われたと思っているのですから。
小学校で7番まで歌わせる必要はないでしょうが、海に憧れていた少年少女が成長し、船乗りや海上保安官・海上自衛隊員となって、誇らしげに歌うのは、大いに結構なことだと思います。私自身は男子高校で学び、臨海学校でこの歌を7番まで歌った記憶があります。先生が指導したのか、自分たちで自主的に歌ったのか、半世紀以上も前のことなので思い出せません。全員が赤褌姿で沖の島を一回りして戻ってくる遠泳に先立ち、景気付けのためだったようですが、記憶が曖昧です。
ネット情報ですが、明治43年、文部省『尋常小学読本唱歌』に初出し、作詞者・作曲者ともに不詳でしたが、宮原晃一郎(1882~1945年)の作詞という説が有力だそうです。
まずは歌詞を載せておきましょう。
1、我は海の子白浪の さわぐいそべの松原に
煙たなびくとまやこそ 我がなつかしき住家なれ。
2、生まれてしほに浴して 浪を子守の歌と聞き
千里寄せくる海の気を 吸いてわらべとなりにけり。
3、高く鼻つくいその香に 不断の花のかおりあり。
なぎさの松に吹く風を いみじき楽と我は聞く。
4、丈余のろかい操りて 行手定めぬ浪まくら
百尋千尋海の底 遊びなれたる庭広し。
5、幾年ここにきたえたる 鉄より堅きかいなあり。
吹く塩風に黒みたる はだは赤銅さながらに。
6、浪にただよう氷山も 来らば来れ恐れんや。
海まき上ぐるたつまきも 起らば起れ驚かじ。
7、いで大船を乗出して 我は拾わん海の富。
いで軍艦に乗組みて 我は護らん海の国。
一通り読んでみて、難解なことはなさそうです。1番の「とまや」は「苫屋」で、草葺きの粗末な家のこと。3番の「不断の花のかおり」とは、磯の独特の匂いを、絶えることのない花の香りに喩えたのでしょうが、ネット上には、不断草の花のことという説もありました。しかしいくら何でもこの説は頂けません。「松風の音」と対句になっているのですから、それにつり合うような風情のある内容でなければなりません。確かに「フダンソウ」という植物はあるのですが、その様な特定の花の名前をでは、到底つり合いません。松風の音を美しい音楽と聞くというのですが、古来、松風の音は琴の音に喩えられるのが常套でした。またその逆に、琴の音は松風に喩えられるのも古歌の常套でした。作詞者は古来の歌言葉は熟知していましたから、このような表現となったのでしょぅ。しかしまだ腕白盛りの子供達が、琴の音の風情に関心を持つことなどないでしょうから、そこまで踏み込んで理解する必要はないでしょう。しかしこの歌とは関係なく、古人は松風を琴の音と聞いたということは、知っておいてもよいでしょう。海辺で松風を聞くこともあるでしょう。そのとき、いろいろ想像を膨らませて、昔を偲ぶことができるでしょうから。
4番の「丈」について、1丈は10尺ですから、約3mということになります。「浪まくら」とは舟の中で寝ることですが、この場合は実際に船中泊ということではなく、あてもなくあちこち舟を漕いだということでしょう。「尋」について、1尋は両手を左右に伸ばした長さですから、まあ身長とほぼ同じということです。「百尋千尋」は実際の長さではなく、深い海にも潜ったということでしょう。海の底も、自分の庭のように熟知しているというのです。5番では、日焼けした逞しい少年の様子が浮かびます。6番では氷山や竜巻に触れられていますが、氷山が日本に来るはずはありませんから、困難や危険をも畏れないことの比喩としているのか、あるいは少年が成長して、世界の海に乗り出す覚悟を歌っているともとれます。7番の「いで」は「いざ」とか「さあ」という意味で、思い切って事に当たらんとするときの感動を表す言葉です。大船や軍艦に乗って、海の富を探ったり、護国の使命を果たそうというのです。
歌ができたのが日露戦争後のことですから、当時の小学生がこの歌を歌う際には、日本海海戦のことなどが脳裏をかすめたことでしょう。その戦時色の故に、戦後は音楽の教科書から姿を消してしまいましたが、その後は1番から3番までが復活され、平成元年に文部省が発表した新学習指導要領で共通教材となったということです。
まあそれは、現代のご時世にはやむを得ないことでしょう。しかし日本が「海の国」であるという認識まで削除してはなりません。日本の国土の面積は約38万平方㎞で、世界第61位に過ぎません。しかし領土の沿岸から200海里(1海里は1852m)の排他的経済水域の面積では、アメリカ・オーストラリア・インド・ニュージーランド・カナダに次いで、第6位なのです。
「軍艦」ではありませんが、海上保安庁の「巡視船」や海上自衛隊の「護衛艦」は、現在も海国日本の利益を守るために、日夜活躍をしていることを忘れてはいけないと思います。都知事選挙に立候補している鳥越俊太郎氏が、かつて「尖閣諸島など中国にくれてしまえばよい」と公言したことがあります。私は鳥越氏全てを否定するつもりはありませんが、いくら何でもこの発言は頂けません。島自体は小さくとも、その政治的・経済的価値は余りにも大きく、「くれてしまえ」で済む問題ではありません。もし尖閣を獲られれば、次は沖縄が狙われることは明白です。中国は日清戦争で沖縄が日本に奪われたと思っているのですから。
小学校で7番まで歌わせる必要はないでしょうが、海に憧れていた少年少女が成長し、船乗りや海上保安官・海上自衛隊員となって、誇らしげに歌うのは、大いに結構なことだと思います。私自身は男子高校で学び、臨海学校でこの歌を7番まで歌った記憶があります。先生が指導したのか、自分たちで自主的に歌ったのか、半世紀以上も前のことなので思い出せません。全員が赤褌姿で沖の島を一回りして戻ってくる遠泳に先立ち、景気付けのためだったようですが、記憶が曖昧です。
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