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大黒・大国・大根と鼠

2016-07-26 15:48:08 | 歴史
 先日、川越の骨董市に遊びに行きました。専門が日本史ですから、もともと古い物は大好きですが、収集するつもりは全くありません。残る人生も知れているのに、余計な物を抱えていては、遺された家族が処理に困るからです。最後は何も持たずにあの世に行くのが理想です。数千冊の蔵書も、ほとんど処分してしまいました。せいぜい、日常的に使う食器がいくつかあれば、それで十分です。目の保養だけで帰ってくるのですが、実際には買うお金がないための言い訳も半分あるのかもしれません。

 印象に残った物は、大根鼠の古伊万里皿でした。何枚かあったのですが、大根と鼠の他に、鍵や宝珠が一緒に描かれている皿もありました。何年か前の鼠年の年賀状には、大根と鼠が描かれていたことも思い出し、一寸、両者の関係について小話を御紹介します。

 日本における両者の特別な関係は、『古事記』の神話まで遡ります。大国主命が須佐之男命(スサノオノミコト)の娘である須勢理毘売(スセリヒメ)を娶ろうとしたのですが、須佐之男命は大国主命に厳しい試練を与えました。第一日目は蛇のいる部屋に閉じ込められ、二日目は蜂や百足のいる部屋に閉じ込められたのですが、須勢理毘売が蛇や百足を鎮める霊力をもつ布を授けたため、無事にやり過ごすことができました。そして三日目には、広い野原に射込んだ鳴鏑(ナリカブラ)の矢を拾って来ることを命じられました。彼がそれを探しに行くと、須佐之男命は周囲から火を放ったため、火に囲まれて逃げ場を失ってしまいます。その時、鼠が現れて「内はほらほら、外はすぶすぶ」と言うのでそこを踏むと、穴に落ち込んでしまいました。しかしそのおかげで火をやり過ごすことができたばかりでなく、鼠が矢をくわえて持ってきてくれたのでした。須佐之男命はさらに難問を以て大国主命を試みるのですが、無事に解決して、ついに須勢理毘売を妻に迎え、出雲国づくりを始めることになるのでした。つまり大国主命は鼠に命を助けられたわけです。

 こうして大国主命は出雲族の祖となるのですが、「大国」は音読みすると「大黒」と同音ともなるため、中世以降には、仏教と共に日本に伝えられた大黒天と習合するようになりました。大黒天は本来はヒンドゥー教の主神であるシヴァ神の化身マハー・カーラに起原をもっています。「マハー」とは大きいことを意味していて、「カーラ」暗黒を意味しているため、「大黒」と漢訳されました。シヴァ神は破壊を掌る恐ろしげな神であり、大黒天もそのような忿怒の形に表されていたのでしょうが、最澄が密教と共に日本に伝えてからはしだいにその性格を変え、福徳の神として信仰されるようになったということです。

 そして江戸期には打ち出の小槌を片手に持ち、大きな袋を肩に担ぎ、俵の上に乗る姿で表されるようになりました。そして神像が絵に描かれるときには、必ず俵の側には鼠がいるようになりました。それは大国主命を救った鼠なのですが、俵の中の米から連想でもありました。また袋を背負っているのは、稲葉の素兔(「白兔」ではない)の出雲神話で、大国主命が袋を背負っていたと記されていることに拠るものでしょう。こうして大黒天や大国主命と鼠が結び付き、鼠は大黒天や大国主命のお使いということになりました。そして「だいこく」という音がさらに「大根」の音を響かせているため、大根が大黒天や大国主命のシンボルともなり、大根と鼠の取り合わせができたのでした。

 『誹風柳多留』には、「大黒の好きは大根(だいこ)のぶん廻し」という川柳があります。ぶん廻しとはコンパスのことで、大黒天が大根を好むとは好色なことだ、とふざけているのです。大黒天の祭日は甲子の日ということでしたから、この日には二股大根を供える習慣がありました。大根を栽培する際に元肥を入れ過ぎると、二股大根になることがあるのですが、当時の人がそのことを知っていたかどうかはわかりません。

 そして大国神・大黒天は、江戸時代には恵比寿神などと共に七福神に数えられて現世利益を求める庶民の信仰を集め、大根・鼠のモチーフが、縁起物に描かれるようになります。私が骨董市で見た古伊万里の皿は、そのような物の一つでした。一緒に描かれていた鍵は宝庫の鍵であり、宝珠も文字通り財宝ですから、福徳神のシンボルでもあります。もし大根鼠のモチーフを描いた物を見つけることがあれば、一つ求めて歴史や神話を楽しんでみてはいかがですか。


追記

読者の方からコメントをいただきました。ありがとうございます。悪意の誹謗中傷でない限り、たとえ反対意見でもありがたく頂戴いたします。「大黒・大根同音説」より、「大国・大穀」の方が素直ではないかとの御指摘でした。なる程、そういう理解もあるのかと、初めて気が付きました。しかしもしそうならば、大根と鼠のモチーフはどのようにして成立したのか説明が付かないのではと思います。古伊万里の皿には、大根鼠を描いた縁起物が夥しく残っているのです。所詮、私も素人の域を出ません。御存知の方は教えて下さい。


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