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『万葉集』高校生に読ませたい歴史的名著の名場面  

2020-05-10 13:11:38 | 私の授業
万葉集


原文
東野炎立所見而反見為者月西渡

現代語訳
 東の方を望むと、野原には「炎」が立っていて、振り返って西の方を望むと、月がまさに沈もうとしている

解説
 『万葉集(まんようしゆう)』は、現存最古の和歌集で、年代の明らかな最も新しい歌は、天平宝字三年(759)正月に詠まれた巻末の大伴(おおともの)家持(やかもち)の歌ですから、それ以後の成立です。天皇や貴族から下級官人、防人・東国の庶民など様々な身分の人の歌が、四千五百三十余首も収められていますから、その編纂には多くの人が関わったはずです。中でも大伴家持が主体的に関わったとされていますが、末尾が大伴家持の歌であることは、それを物語っています。特に防人の歌が注目されますが、ヤマト政権以来の武門の名族ある大伴氏の家持は、兵部省の高級官僚であったことがあり、直に防人に接することができましたから、防人情報を得やすい立場であったことによっているのでしょう。
 万葉仮名で記されていることは、もう説明の必要もないでしょう。一字一音が基本で、例えば、以(い)、呂(ろ)、波(は)は漢字の音で、蚊(か)、女(め)、毛(け)、は訓で読んでいます。覧(らむ)、鴨(かも)のように一字で二音を表すこともあます。嗚呼(あ)、五十(い)のように、二字で一音を表すこともありますが、その名残で、現在でも「五十嵐」と書いて「いがらし」と読みます。
 万葉仮名で書き取られた歌は、詠んだ本人や書き取った官僚は読めたでしょうが、時間が経つにつれて、次第に読めなくなりました。平仮名や片仮名が普及して、万葉仮名が使われなくなるのですから無理もありません。そこで村上天皇の天暦年間(947~957)に、『後撰和歌集』の撰者でもあった源順(みなもとのしたごう)ら五人の歌人(「梨壺(なしつぼ)の五人」)が、『万葉集』の歌約四千首に読み仮名をふりました。その後幾人かの歌人が、何代にもわたり読み仮名を付け、鎌倉時代の中頃、天台僧仙覚(せんがく)は本格的な註釈本として、『萬葉集註釈』という書物を著しました。彼はそれまでに断片的に伝えられていた『万葉集』の古写本を回収校合して定本を作り、読み仮名を付けたのです。これは江戸時代の国学者である契沖(けいちゆう)や賀茂真淵から現代に至るまで、万葉集研究の最も基礎となるテキストとなっています。つまりもし仙覚の業績がなかったら、私達は、『万葉集』の全容を知ることはできないのです。
 ここに載せたのは柿本人麻呂の歌で、『万葉集』の解読がいかに難しいかをよく理解できる歌です。三一音節の短歌をたった十四字で表記していますから、一字を数音節で読んだり、音を補いながら読まなければなりません。一般には「ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」と読まれていますが、これはあくまでも江戸時代の国学者である賀茂真淵の説に過ぎません。仙覚は、「あづまのゝけぶりの立てるところ見てかへりみすれば月かたぶきぬ」と読んでいて、かなり異なっています。
 原文では東と西が対であると考えれば、「あづまの」(東野)ではなく、「ひむがしのの」(東の野)と読めます。また仙覚は「炎」を「けぶり」と読み、「煙」と理解しています。一方真淵は「かぎろひ」と読み、「陽炎(かげろう)」と理解していて、『万葉集』で他に詠まれている「かぎろい」も、みな「陽炎」の意味です。しかし冬の未明には、絶対に陽炎は見えません。そのため古語辞典では、「かぎろひ」を「日の出前の東の空が赤く染まっている様子、曙光のことと」と苦しい説明をしていますが、これは真淵説を根拠にしていますから、断定できません。
 そこで「炎」が「けぶり」と「かぎろい」のどちらであるかを、「炎」が導く動詞により検証してみました。すると、動詞を導く「かぎろひ」が詠まれた歌は、私の数え漏れの可能性もありますが、四首あり、みな「燃ゆ」を導いています。一方「煙」を詠む四首は、みな「立つ」を導いています。すると「炎」は「煙」と理解するのが自然であると考えました。しかし「炎」を「かぎろい」と読みたくなる歌もありました。(「炎(かぎろい)乃(の)春(はる)尓(に)之(し)有(あれ)者(ば)」(1047番)。また月が西に行くことを、「渡る」とも「傾く」とも表現する歌がありますが、「渡る」の方が用例は多く、素直に「月西に渡る」と読みたくなります。また仮に「傾く」と読むとしても、「かたぶきぬ」とも、無理すれば「かたぶきけり」とも読めます。
 以上の結果、とり敢えず「ひむがしの野にけぶり立つ所見てかへり見すれば月西に渡る」と読んでみましたが、これも私の仮説に過ぎません。いずれにせよ、『万葉集』の訓読の難しさと、定説でも、疑問をもって考えることが大切であるということを理解できればよいと思います。










原文
東野炎立所見而反見為者月西渡

現代語訳
 東の方を望むと、野原には「炎」が立っているのが見えるが、振り返って西の方を望むと、月がまさに沈もうとしている

解説
 『万葉集(まんようしゆう)』は、現存最古の和歌集で、成立年代には諸説があります。年代の明らかな最も新しい歌は、巻末の大伴家持の歌で、天平宝字三年(759)正月に詠まれていますから、少なくともそれ以後の成立です。天皇や貴族から下級官人、防人・庶民など様々な身分の人の歌が、四千五百三十余首も収められていますから、その編纂には多くの人が関わったはずです。中でも大伴家持が主体的に関わったとされていますが、末尾が大伴家持の歌であることは、それを物語っています。特に防人の歌が注目されますが、武門の名門である大伴氏の家持は、兵部省の高級官僚であったため、防人の情報を得やすい立場であったことと無縁ではないでしょう。
 万葉仮名で記されていることは、もう説明の必要もないでしょう。一字一音が基本で、例えば、以(い)、呂(ろ)、波(は)は漢字の音で、楽(ら)、女(め)、毛(け)、は訓で読んでいます。覧(らむ)、鴨(かも)のように一字で二音を表すこともあます。嗚呼(あ)、五十(い)のように、二字で一音を表すこともあり、現在でも「五十嵐」と書いて「いがらし」と読みます。
 万葉仮名は、詠んだ本人や書き取った官僚は読めたでしょうが、時間が経つにつれて、次第に読めなくなりました。平仮名や片仮名が発明され、万葉仮名が使われなくなるのですから無理もありません。そこで村上天皇の天暦年間(947~957)に、『後撰和歌集』の撰者でもあった源順(みなもとのしたごう)ら五人の歌人が、『万葉集』の歌約四千首に読み仮名をふりました。その後幾人かの歌人が、何代にもわたり読み仮名を付け、鎌倉時代の中頃、天台僧仙覚(せんがく)は本格的な註釈本として、『萬葉集註釈』という膨大な本を完成させました。彼はそれまでに断片的に伝えられていた『万葉集』の古写本を回収校合して定本を作り、読み仮名を付けました。これは江戸時代の国学者である契沖や賀茂真淵から現代に至るまで、万葉集研究の最も基礎となるテキストとなっています。つまりもし仙覚の業績がなかったら、私たちは、『万葉集』の全容を知ることはできないのです。
 ここに載せたのは柿本人麻呂の歌で、『万葉集』の解読がいかに難しいかをよく理解できる歌です。三一音節の短歌を十四字で表記していますから、一字を数音節で読んだり、音を補いながら読まなければなりません。一般には「ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」と読まれていますが、これは江戸時代の国学者である賀茂真淵の説です。仙覚は「あづまののけぶりの立てるところ見てかへりみすれば月かたぶきぬ」と読んでいます。
 仙覚は「あづまの」と読んでいますが、東が西と対になっているとすれば、「ひがし」(ひむかし)と読んだ方がよいと思います。「炎」については、仙覚は「けぶり」と読み、「煙」と理解していますが、真淵は「かぎろひ」と読み、「陽炎(かげろう)」と理解しています。しかし月がまだ西の空に残る未明に、陽炎が見えるはずはありません。古語辞典では「かぎろひ」は、「日の出前の東の空が赤く染まっている様子、曙光のことと」と説明されています。しかしこれは、真淵説を根拠にしていますから、真淵説が崩れれば成り立ちません。
 そこで「炎」が「けぶり」と「かぎろい」のどちらであるかを明らかにするために、「炎」がどの様な動詞を導くか検証してみました。すると、「かぎろひ」が詠まれた歌は、私の数え漏れの可能性もありますが、四首あり、みな「燃ゆ」を導いています。一方「煙」を詠む四首は、みな「立つ」を導いています。すると「炎」は「煙」と理解すべきであると考えました。また月が西に行くことを、「渡る」とも「傾く」とも表現する歌がありますが、「渡る」の方が用例は多く、素直に「月西に渡る」と読みたくなります。また仮に「傾く」と読むとしても、「かたぶきぬ」とも「かたぶけり」とも読めます。
 以上の検証の結果により、取り敢えず「ひむがしの野にけぶり立つ所見てかへり見すれば月西に渡る」と読んでみました。しかし「所見て」が、歌として不自然に感じられます。もちろんこの読み方はあくまでも仮説に過ぎません。ただこと程左様に、『万葉集』の訓読が難しく、定説とされていても、常に疑問を持って検証する必要があることを理解できれば、それでよいと思います。


昨年12月、清水書院から『歴史的書物の名場面』という拙著を自費出版しました。収録されているのは高校の日本史の教科書に取り上げられている書物を約100冊選び、独断と偏見でその中から面白そうな場面を抜き出し、現代語訳と解説をつけたものです。この『万葉集』も収められています。著者は高校の日本史の教諭で、長年の教材研究の成果をまとめたものです。アマゾンから注文できますので、もし興味がありましたら覗いてみて下さい。