うたことば歳時記

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夕日

2015-08-31 09:48:15 | 唱歌
 いきなり高い音で始まり、また初めと終わりが「ぎんぎんぎらぎら」という言葉で、曲も歌詞も強烈な印象を与える童謡である。歌詞と曲の雰囲気がピタリと合った名曲であろう。

 1、ぎんぎんぎらぎら  夕日が沈む  ぎんぎんぎらぎら  日が沈む
   まっかっかっか   空の雲   みんなのお顔も  まっかっか
   ぎんぎんぎらぎら  日が沈む

 2、ぎんぎんぎらぎら  夕日が沈む  ぎんぎんぎらぎら  日が沈む
   カラスよお日を  追っかけて  真っ赤に染まって  舞って来い
   ぎんぎんぎらぎら  日が沈む

 作詞は葛原しげるで、大正10年(1921年)、児童雑誌『白鳩』に掲載され、室崎琴月が曲をつけて中央音楽学校で発表されたという。原詩は「きんきんきらきら」だったものを、小学2年生の娘に指摘されて「ぎんぎんぎらぎら」に訂正した経緯については、先行する多くの考証があり、受け売りになるのでここでは触れないでおく。その辺りの経緯については、インターネットで池田小百合氏の「なっとく童謡・唱歌」を参照されたい。
 私なりに興味を持ったことは、童謡とは離れてしまうが、烏と太陽の関係である。我が家から見て西の方角にあたる近くの里山に、烏の大群のねぐらがある。毎朝まだ薄暗いうちから何百という烏が東の方角に飛んでゆき、夕方にはその逆方向に帰ってくる。まあそのやかましいこと。烏相手に怒ってみたところでどうにもならないから、もう諦めている。
 烏は夕日に向かって飛ぶのだろうか。烏は太陽の位置と体内時計によって、帰るべき方角を本能的に理解しているのかもしれない。あるいは夕方にねぐらに帰るので、そう感じるだけなのかもしれない。そのあたりは鳥の専門家に伺いたいところである。しかしどうであれ、太陽、わけても夕日と烏の取り合わせは、世界中の神話・伝説・文芸などに登場する。
 日本の文芸で「烏と太陽」の取り合わせといえば、すぐに思い浮かぶのが『枕草子』の冒頭部である。
  「春はあけぼの・・・・・秋は夕暮。夕日花やかにさして山ぎはいと近くなりたるに、烏のねどころへ行くと   て、三つ四つ二つなど、飛び行くさへあはれなり。」
ここではどこにも太陽という言葉はないが、夕暮れにねぐらに帰るというのであるから、烏と夕日はきっと重なって見えたことであろう。
 日本の神話で「烏と太陽」の取り合わせといえば、すぐに思い当たるのが、神武天皇が熊野山中で道に迷った時、大和の橿原まで案内した八咫烏のことである。神武天皇は太陽神である天照大神の直系子孫であり、それを天から遣わされた八咫烏が案内した。間接的ではあるが、烏と太陽が結び付いている。
 中国の『楚辞』(中国戦国時代の楚地方で謡われた詩を集めた詩集。前漢末期に成立。)の天問篇には、太陽の中には三本足の烏が棲むと記されている。それ以後、中国の文献や図画には烏と太陽をモチーフにしたものがたくさん現れ、「金烏」(きんう)と言えば太陽を意味するようになる。そう言えば、確か、大津皇子が処刑される前の辞世にも、夕暮れの有様を「金烏西舎に臨らい・・・・」という印象的な詩があった。
 童謡「夕日」の作詞において、太陽に烏が棲むという中国的理解が背景にあったことはないであろう。伝統的な和歌に詠まれることもなく、文人必須の教養と言える程に共有されていたとは思えない。特に思想的影響を受けなくとも、夕暮れの烏は、誰もが普通に目にする景色であったから、作詞者は見慣れた情景を素直に歌っただけであろう。しかしそれだけに、世界中に烏と太陽の結び付いた神話伝承があることが、改めて納得できるのである。

 あてもなく思いつくままに書いているうちに、童謡とは無関係の取り留めもない内容になってしまった。済みません。歌う子供にとっては、どうでもよいことばかりである。しかし「どうして烏がお日様に向かって飛んでゆくのかなあ。きっとお日様にお家があるからかもしれないね」というような語りかけがあってもよいかとは思っている。