うたことば歳時記

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葛の裏風

2015-08-09 22:04:10 | うたことば歳時記
暑さがピークとなる8月にもなると、我が家の周辺の里山や原野は、一面の葛の葉で覆われる。遠慮ということを知らないその生命力に、対抗できる草は見当たらない。あらゆる草を覆い隠し、あたりは「真葛が原」となる。立秋の頃には、秋の七草に数えられる葛の花が咲き始め、芳香が漂うが、古人は葛の花を歌にはあまり詠まなかった。葛については、古人の関心は専らあたりを覆い尽くす葉にあったのは不思議である。 そして同じ葛の葉でも、古人が惹き付けられたのは、秋風に翻るその様であった。葛の葉は面積が広い割には薄く、風が吹くと一斉に裏に返るのがよくわかる。葉裏の色が表の色より少し白みがかっているため、裏返るのがよく見える。風そのものは目には見えないが、一面の真葛が原を風が渡ってゆくのが、まるで波が伝わって行くように、風が色になって見えるのである。
 このような風を、うたことばでは「葛の裏風」という。
   ①神南備の御室の山のくずかづらうら吹き返す秋は来にけり  (新古今 秋 285)
この歌は大変わかりやすく、解説は不要であろう。秋の訪れが風によって感じ取られることは、歌の世界では共通理解であった。
 しかし葛の裏風を詠んだ歌の中では、このような素直な歌は大変少ない。多くの場合、この「裏」を掛詞として、それこそ言葉の裏に別の意味を持たせる詠み方が圧倒的に多いのである。
   ②秋風の吹き裏返す葛の葉のうらみてもなほうらめしきかな   (古今集 恋 823)
   ③忘るなよ別れ路に生ふる葛の葉の秋風吹かば今帰りこむ    (拾遺集 別 306)
   ④浅茅原玉まく葛の裏風のうらがなしかる秋はきにけり     (後拾遺 秋 236)
   ⑤牡鹿伏す茂みにはへる葛の葉のうらさびしげに味る山里    (後拾遺 雑 1151)
   ⑥うつろはでしばし信太の森を見よかへりもぞする葛の裏風   (新古今 雑 1820)
②はかなわぬ恋の相手を恨めしく思う恋の歌で、葛の葉は歌の内容とは全く関係がない。風に翻って裏を見せる葛の葉の「裏見」と「恨み」を掛け、「秋風の吹き裏返す葛の葉の」は「うらみ」を導く序ことばになっている。④では「うらがなし」を⑤では「うらさびし」を導いている。これらに共通する「うら」とは、「なんとなくある種の心持ちがする」ということを表す接頭語で、うら哀し、うら寂し、うら恋し、うら珍し、うら若しなどの例がある。
 ③と⑥は葛の葉が「裏返る」ことから、「かへる」を導いている。葛の葉が風に翻っている様子を見ると、古人はすぐに「還る」「返る」「戻る」ことを連想したのである。(⑥は和泉式部の恋に関わる歌であるが、難しいその内容については、ここでは触れないことにしておこう。)
 葛の葉を見ると、すぐに恨みに結び付けるという発想は、こればかりはどうも頂けない。現代人である我々は、風の渡るのが見える面白さを素直に感じ取ればよいと思う。そこに葉に隠れて見えない葛の花の香りが加われば、なおさらその風情を楽しみたいものである。