うたことば歳時記

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うさぎ

2015-08-20 17:01:24 | 唱歌
確かめたわけではないが、唱歌『うさぎ』は、文部省唱歌の中でも、最も歌詞が短い歌かもしれない。 明治25年(1892年)に 『小学唱歌 第二巻』に掲載されたが、作詞も作曲もわからない、いわゆる「わらべ歌」の類である。今から考えれば、お堅い文部省が唱歌としてよくぞ採り上げたものである。

  うさぎ うさぎ なに見てはねる
  十五夜お月さま 見てはねる

 自分の幼い頃を思い出すと、誰から教えられたかは思い出せないが、大人達はみな月にはうさぎがいると教えてくれていた。大人も、いつかはうそであることがわかる日が来ることはわかっていても、そのように語りかけてくれたのである。本気で信じていたかどうかは思い出せないが、実際にうさぎを飼っていたこともあり、真剣に十五夜の満月を眺めたものであった。同じような経験を、多くの日本人がしていることであろう。サンタクロースの話のように。騙されたからといって怒る人はいやしない。幼年期は、まずは豊かな感性が育てられる時期であるから、それで良いのである。
 月にうさぎがいるという理解は、かなり古い時代まで遡ることができる。私がいちいち述べるまでもなく、飛鳥時代の天寿国繡帳に刺繡で描かれていることはよく知られている。その左上の隅に満月の中のうさぎが縫い取られているが、長頸壷と桂の木も一緒に描かれている。
 天寿国繡帳とは、聖徳太子の没後、その妃の一人であった橘大郎女が、祖母にあたる推古天皇に、天寿国に往生した聖徳太子の姿を、せめて図像によって偲びたいと訴えたことにより、推古天皇が采女らに命じて作らせた刺繡の帳である。絵を描いた東漢末賢、高麗加西溢、漢奴加己利の3人の者は、その名前からして明らかに渡来系の人物である。つまり、月にうさぎがいるという理解は、古代中国伝来のものであった。
 月のうさぎについて述べた最古の文献は、中国の戦国時代後期、南方にあった楚の国の歌謡を集めた『楚辞』の「天問」篇である。「天問」は天地構造や歴史に関する疑問を列挙した内容で、その中に次のように触れられている。
  
  夜光何 死則又育    夜光何のぞ 死すれば則ち又育す
  厥利維何 而顧菟在腹   厥(そ)の利維れ何ぞ  而して顧菟(こと)腹に在り

  夜光(月)にはいったい何の徳があるのだろうか、月は欠けてもまた満ちてくる。
  何の利があって、月は腹にうさぎを住まわせているのだろうか。

早くも紀元前3世紀には、月にうさぎがいるという理解があったことになる。面白いところでは、時代は下るが、11世紀の宋代の宋代の『後山叢談』という書物には、地上の兎はすべて雌で、月の兎は逆に雄ばかりだから、地上の雌兎は月光をあびて妊娠するという俗説が収録されているそうである。本来ならば直接確認すべき所であるが、希少本のため、そう簡単には見られず、筆者は未確認である。
 視覚的資料として最古の物は、中国湖南省で発見された紀元前2世紀の馬王堆漢墓出土の帛画である。ここには烏のいる太陽と、うさぎと蟾蜍(せんじょ・ひきがえる)のいる三日月が、対になって描かれている。また唐代には月桂樹の左右にうさぎと蟾蜍を描いた月宮鏡がたくさん作られている。よくよく観察すると、うさぎは竪杵と臼で何やら搗いている。結論から言えば、うさぎは不老長寿の仙薬を作っているのであるが、天寿国繡帳の長頸壷は、臼と竪杵かもしれない。東京芸術大学の美術館にも一つ展示されているので、機会があれば是非とも見学をお勧めしたい。
 まだまだ丹念に探せば資料はあるだろうが、まずはこれくらいにして、渡来人や遣唐使などを通して、月には桂の木(月桂樹)が生えていて、うさぎとひきがえるが住んでいるという理解が伝えられていたことを確認しておこう。
 日本の文献で月のうさぎについて述べているのは、平安末期の説話集である『今昔物語集』である。ただ日本の文献とは言ったものの、和漢・インドなどの説話を集大成したものであるから、もともと日本の説話ではない。そのもとになったのは、インドの仏教説話である。子供向けの絵本ともなり、話の内容はよく知られている。
 むかしむかし、猿と狐と兔が仲良く暮らしていた。ある日3匹は行き倒れの老人に出会い、助けようとした。猿は木の実や果物を集め、狐は川から魚を獲り、老人の所へ運んできた。しかし兔は何も採ってくることができなかった。思い余った兔は、猿と狐に火を焚いてもらうと、「せめて私の肉を食べて下さい」と言い残し、火の中へ飛び込んだ。老人は実は帝釈天であった。兔の捨て身の慈悲行に感心した帝釈天は、兔を抱いて天に還り、月へ昇らせて永遠にその姿をとどめさせた。だから月には今も兔の姿が見える、という粗筋
である。
 中学生の時、私はこの話を『今昔物語集』で読んで、切なくなったことを覚えている。それまでは無邪気に月にはうさぎがいると伝えられていると思っていたが、兔の自己犠牲を思うと、たまらない気持ちになった。宗教というものに関心を持ち始めていた頃で、そこまでしないと人は救われないのだろうかと、大人びたことを考えたものである。
 その時の心の悩みは、未だに残っているのであろう。童謡『うさぎ』を口ずさむと、それがふたたび思い出されるのである。前掲の『後山叢談』の俗説ならば笑い話で済むが、近世の邦楽に多く用いられ、ミ・ファ・ラ・シ・ドの五つの音からなる「陰音階」(都節音階)の曲であることも手伝って、私は「もののあわれ」を禁じ得なくなるのである。童謡なのだから、それは考え過ぎであることはわかっている。理屈では納得している。しかし、・・・・しかしなのである。
 子供の世界では、月のうさぎは餅を搗いている。それは満月の「望月」が「餅搗き」に通ずるため、仙薬から餅に転化したためである。薬研というものが日常的に見られなくなってしまった現在、漢方薬の原材料を粉にすると言っても、大人でも若い人にはイメージすら湧かないであろう。まして子供にわかるはずがない。やはり童謡なのだから、私の考え過ぎなのであろう。