一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【38】

2008-02-06 13:24:56 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【38】
Kitazawa,Masakuni  

 数日まえ、夜中雨が降りつづいたが、明け方から霙まじりの雪となった。低気圧が去り、この二・三日、澄みきった青い空を背景に、まばゆいばかりの陽の光を受けて大室山が白銀に輝いている。東に目を転ずると、大島の三原山内輪山が、同じく雪を戴いているのがみえる。庭の白梅が小さな花をほころばせ、メジロたちが交替で蜜を吸いにくる。

 庭にでると、手が届きそうな枯枝にシジュウカラが止まり、声をかけるまで鳴きつづけ、注意を喚起する。「ああ、おまえか」というと、嬉しそうに身をくねらせ、羽ばたいて去っていく。いつか書斎に二度も入ってきたシジュウカラにちがいない。どんな動物にも、ひと(鳥?)一倍好奇心の強い個体がいるのだ。

「脱亜入欧」と「脱イスラーム入近代」 

 「ニューヨーク・タイムズ」書評紙2008年1月6日号は、全紙イスラーム特集であり、読みでがあった。非ムスリム(非イスラーム教徒)の書いた本を、ムスリムまたは中東系知識人が書評し、またその逆もあるだけではなく、それらを挟んでそれぞれ二人ずつがエッセイを書くという仕組みになっている。

 たしかに公正だが、私の気になったのは、ムスリムまたは中東系知識人の多くが現在のイスラーム文明または文化に批判的であり、「自由と民主主義」というフランシス・フクヤマ流の近代化または西欧化に賛意を示していることであった。それに対してむしろ、デヴィッド・L・ルイス(『神のるつぼ;イスラームそしてヨーロッパの形成、570から1215』)やザカリー・キャラベル(『おんみに平和あれ;ムスリム、キリスト教徒、ユダヤ教徒共存の歴史』)などの本が、むしろイスラーム文明の栄光やその寛容を称えている。 

 おそらくエドワード・サイードなども存命であれば、この特集に参加したにちがいないが、彼などはこの「自由と民主主義」の賛美の先駆者であったといえる。西欧在住のイスラーム知識人はなぜこうなってしまうのだろうか。

 たとえば、リー・ハリスの『理性の自殺;啓蒙思想に対する急進イスラームの脅威』の書評を書いたアヤーン・ヒルシ・アリである。

 たしかにこれはひどい本である。自爆攻撃に代表されるイスラーム急進派の「狂信主義」は、西欧の伝統的な「理性信仰」に対する挑戦であり、近代を築き上げてきた啓蒙思想の破壊にほかならない、と著者は主張する。さらに、現在アメリカのアカデミズムに充満する文化相対主義は、イスラーム狂信主義をも理解しようとするが、こうした理性的寛容、つまりハリス流にいいかえれば「理性狂信主義」は必ずイスラーム狂信主義によって滅ぼされる、すなわちそれは「理性の自殺」なのだ、ともいう。西欧はすべからく「理性狂信主義」を脱してイスラーム狂信主義と戦わなくてはならない、と。

 アリはハリスのこうした主張を批判する。そのこと自体は正しい。だがよって立つべき道は、あくまでも「自由と民主主義」だという。なぜなら、狂信主義はつねに集団的なものであるが、西欧の「自由と民主主義」は、あくまで個の尊重とその合意のうえに成立しているからである、と。

 たしかにイスラーム急進派の文化は、中東の部族社会や部族中心主義と切り離すことはできない。だがアリのいうように、それがただちに集団的狂信主義の温床であるとはいえない。中東以外の多くの部族社会でも、西欧流の「自由と民主主義」とはまったく異なったかたちではあるが、個人の自由や、ロングハウス・デモクラシーとよばれるようなみごとな民主制が存在してきた。もし現在の中東にそのような自由と民主制が明確でないとしても、それは西欧植民地主義の長期にわたる抑圧や伝統的社会形態の解体に由来するものであって、伝統そのものからではない。

 おそらく明治以後の日本社会と同じく、西欧植民地主義による急激な近代化の結果、伝統は歪曲され、共生のコミュニティが、個人を抑圧する「強制」のコミュニティとなったからにちがいない。同じ号にも、革命後のイランで20年にもわたって牢獄につながれた二人の女性のそれぞれの回想記が書評されているが、こうしたきびしい女性差別も、けっして伝統であったとは思われない。

 サイードをはじめとする西欧在住のイスラーム知識人は、結局「脱亜入欧」を提唱した福沢諭吉と同じ思想的・イデオロギー的地位を占めているといえよう。あるいは近くは、わが国の戦後民主主義を主導した知識人たちと酷似している。つまり真の伝統を、近代化または植民地化による歪曲された「伝統」と混同し、濁った盥の水ともいうべき後者とともに、真の伝統という赤児を溝に流してしまったのだ。

 戦後民主主義で育てられた若い世代は、その結果、種族的アイデンティティを失い、ひいては個人的アイデンティティを危機に陥れることとなった。だが幸いなことにイスラーム諸国では、それは西欧在住知識人にとどまり、中東の若い世代ではまだ、イスラーム的アイデンティティは強固であるようにみえる。