一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

おいしい本が読みたい●第二十五話

2013-04-29 10:13:06 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第二十五話  




                        さらば「銀河不動産」



 「銀河不動産」、へんな名前だが実在の不動産屋である。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』から名を借りたらしい。もちろん部屋の斡旋を生業とする。儲かっているかどうかは知らない。食い扶持くらいはなんとか、と老齢の主人はいっていたが、名前からして利潤から遠く隔たっていることは疑いない。

 忘れもしない、今から35年前、部屋をさがして駅前の不動産屋に飛び込んだ。木造の間口二間のしょぼくれた、当時は「第一不動産」というありきたりな名前の店だった。髪の薄い痩せたオヤジがいて、愛想よく応対してくれた。どこにでもある不動産屋のひとつと思った。だが、ソファーに座ってふと隣に本棚があるのに気づき、並んでいる本の背表紙を何気なく眺めていると、早瀬圭一の『失われしもの』(新潮文庫)が目に入った。

 「おじさん、こういう本が好きなんかね」というようなことを言ったと思う。毎日新聞夕刊に連載されていた当時に愛読した作品がこんなところにあった。予期せぬ同好の士を見つけて話は盛りあがった。それ以来の付き合いである。駅前にあった「第一不動産」は、いつしか布田天神裏のアパートの一室に移り、さらに美容院の隣に居を構え、さらにまた、もと豆腐屋の廃屋と言ってもいいほどの店に仮住まいをした。そしてそこで、「銀河不動産」の名が誕生したのだった。

 店に顔出せば、必ずと言ってよいほど、いわゆる精神障害の誰かが来ている。彼(女)らは店主の顔を、ことばを、匂いを、もとめてやってくる。それを知っている老齢の店主は、年中無休で店を開けている、病の体をいたわることもなく。精神障害の人だけでない。出所まもない人、全盲の人、在日の人、アジアからの留学生、つまり今の日本でマージナルとされる人々の駆け込み寺というわけだ。

 どうしてそんなに他人に尽くすのさ、桜井さんは?と聞いたことがある。もう本名を出してもいいだろう、『銀河不動産』の店主は桜井昭五である。桜井さんはそのとき、お袋が首つりしたからかな、と分かるような分からない返答をした。父親のことはついぞ聞いたためしがない。中学まで朝鮮半島で育ったようで、自分が加害者のひとりであることを何よりも傷としていた。だから、在日の人にとりわけ親身であったことはうなずける。その延長線上に精神障害の人などがいたのだろうか。

 桜井さんは無類の小説好きだった。店を訪ねれば必ず本を読んでいた。借りた本も数々ある。好きな作家はとにもかくにも宮沢賢治。雨ニモ負ケズ…には生かさせてもらった、と何度も言っていた。何人もの作家の面白さを教えてもらったが、今のわたしに残るのは、田中小実昌と車谷長吉と大塚銀悦か。車谷は『塩壺の匙』、大塚は『濁世』、そして田中は『フグにあたった女』。やはり私小説系が多い。

 その桜井さんがマンションの掃除中に急死した。その掃除も、精神症のAさんの働く場をかねてのことだった。糖尿病、ぜんそく、コウゲンビョウと、いつ死んでもおかしくない体だったのに。病院で死ぬことが当たり前の現代の日本では、本当にすごいことだ。遺体は生前の意思で献体で、慈恵医大第三病院に眠っている。仏前に線香の一本でも、などという世間体はよしてくれ、ということなのか。ともかく徹頭徹尾、人に、社会に、尽くすのだ。

 「暮 マンションの掃除で気分が悪くなり失禁して意識不明しばらくして神様に助けられました 又一生県命(ママ)生きて参ります よろしくお願い致します」

 いただいた最後の年賀状の文言がこれである。わたしにとって桜井さんの最後の言葉だ。その後、桜井さんが車を運転しているときにドア越しに目線で挨拶したのが、最後の光景である。しかし、こんな人がまだいる、市井の人のなかにこそ。投げやりになってはいられない。

 とまれ、「銀河不動産」よさらば。
                                        むさしまる